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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
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酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2013-09-21 「昼寝をして、起きたら、居た。」 [長年日記]

_ スライド&トークイベント「Making of “私生活”」(tokyoarts gallery)

約2年半に渡った写真集&写真展『私生活』の撮影の裏側、写真の成り立ちを、女優・安達祐実と写真家・桑島智輝、双方の視点より解説します。
芸能生活30周年を迎えるにあたって女優自らが企画した『私生活』。なぜ写真という媒体を選んだのか?どんな気持ちでカメラの前で立っていたのか?見てもらう人たちに何を伝えたいのか?
また、写真家は、彼女の強い思いをどう受け止めて、作品に昇華していったのか?女優と写真家。それぞれの視点から、今回の作品に込めた意図を、写真のスライドショーを元に語って頂きます。

出演者/
安達祐実(女優) 桑島智輝(写真家)
司会:町口景(ブックデザイナー)近田拓郎(週刊プレイボーイ)
写真集の発刊にゴシップを絡められてしまった所為か、マスコミお断りでの開催。 潜り込んでは、いたかも知れない。
限定50名のところ、先週の日曜の夕方に申し込んだ時点で既に40番台だったので、そのあとすぐ定員に達したのだと思う。

15:30過ぎに到着。 整理番号順に並び、入場。 簡易椅子が50脚置かれていて、あとは立ち見。 展示物を幾つか取り除いたスペースにプロジェクターを置き、奥の白壁に投影。
スクリーンノ両脇にモデルとカメラマンヲ配して、週刊プレイボーイの担当編集氏が進行。 撮られた写真について時系列で語って行く。

30周年と言っても、最初は大掛かりに何かをしようとは思っておらず、何人かのカメラマンに撮っておいて貰おうと言う話の中で桑島智輝にオファー。
(安達祐実曰く)「何でも上手く撮れる」桑島智輝には、作り込んだ写真を撮って貰う積もりだった。
依頼通り撮ってはみたものの、「30周年の写真がこれで良いのか?」と疑問を持った桑島は、テリー・リチャードソンがレディー・ガガのワールドツアーに同行して撮った記録写真集を見て現場の裏側を撮ることを思いつき逆提案。
撮影現場から楽屋から、安達祐実の自宅まで。 安達祐実は桑島智輝が居ないものとして過ごし、桑島智輝は気配を消して淡々と撮り続ける。
以下、採ったメモからの書き起こしを箇条書きで。

・撮影初期のもの以外はカラーネガで撮影。
・中盤からカラーネガに切り替え、コニカのビッグミニと35mmの一眼レフを使用。
・終盤は6×4.5を併用し、八丈島撮影分ではモノクロフィルムも使用。
・初めは完全に個人企画で、経費もモデルとカメラマンで折半。
・事務所から話があり、週刊プレイボーイから写真集を出すことが決定してから、八丈島と九十九里で追撮。
・セミヌードは後回しにすると気心が知れて却ってやりにくくなるので、そうなる前に撮影。
・普段の仕事は水着止まりなので、どう撮ったら良いか悩んで色々調べて頭に入れたが、それを一旦棄ててから撮影した。
・白ホリの前で涙を流しているカットは、「泣けますか?」といったらものの数秒で涙が溢れた
・「女優ってスゲー!」と最初に恐れ入った場面であった。
・追撮分は、これまで暖かい感じで撮ってきていたので、真逆なものを撮ろうと思った。
・ラース・フォン・トリアーや五社英雄の作品を見てマイナスの感情を醸成。

やっつけ仕事(AKB48絡みなどで特に酷い)の多い昨今の週刊プレイボーイにしては妙に腰の据わった企画だと思ったら、腰が据わっていたのは安達祐実と桑島智輝であって、持ち込まれた企画を写真集にしたのが週刊プレイボーイだった。
それでも追撮を組んだり、撰びにくいカットを敢えて採用したり、写真展を企画したり、週刊プレイボーイの底力は見られたと思う。
雑誌に載るグラビアや写真集は、モデルとカメラマンだけではなく、事務所の意向や編集者のセンスにも翻弄されることがまま有る。
本人主導の企画と言うこともあるが、採用不採用の基準が写真そのものの良し悪しであるのは極めて珍しい。

「眠るのは好きじゃない。」と語る安達祐実の寝起きを撮ったカットを撮られた側から評して曰く、「昼寝をして、起きたら、居た。」
部屋着のズボンの尻っぺたに無意識に両手を突っ込んだカットなどについて桑島の口から何度か聞かれたのが「これは撮らなきゃ・・・と思った」
クローゼットの前で延々着替えを繰り返してもらったりとか、昼寝をしている横で目覚めるまで待ったりとか、役と本人が渾然となってしまっている一筋縄では行かない被写体をどう撮るか、その試行錯誤と葛藤も桑島智輝の言葉の端々から滲み出る。

こうした無意識下の安達祐実を可視化したのは桑島智輝が初めてなのかもしれない、プリントとして提示された「探さなくてもそこにある『自分』」
30年役者の仕事をしていると、役を演じていることが殆どで、「安達祐実」を演じることすらある。 今回こうして撮って貰うことで、自分の「存在」を確信できたと語っていたが、演じることを生業とし、物心つく前からそれが日常となっている安達祐実にとっては、演じている自分と演じていない自分をひっくるめて「安達祐実」であり、そこに更に「無意識下にある自分」も含めて撮って写真群として見せたことで初めて持てた「自分の存在に対する確信」であったのように思う。
「記録と記憶が一体に」とも感想を述べていた。


右側の壁に飾られていた、モノクロで撮られ、ネガサイズで焼かれた作品が素晴らしかったのだけれど、これらは桑島智輝が写真弘社でプリントまで立ち会ったとのこと。
ここまで突き詰めてプリントしたことはこれまで無かったし、普段はデジタルで撮ったカラーをグレースケール変換することは無いので、今回はモノクロの美しさに驚いたと語っていたが、デジタルでも擬似的には出せるが、この「粒子感」はフィルムならではのもの。
久しぶりに見た「暗室に入りたくなる(焼きたくなる)」素晴らしいプリントだった。

撮り撮られると言う関係性に於いてのみ互いを必要とする、甘美な息苦しさを感じさせる写真展。
明日、23日まで開催。
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「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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