定時で逃げ出しても着くのは七時前。 一人目の途中からこそこそと入場。
「片棒」志らら
「蚤のかっぽれ」らく里
「妾馬」錦魚
<中入り>
「鮫講釈」談奈
「錦鯉」らく朝
「片棒」
前述の通り途中から。
お囃子や手古舞のあたり、端折らずにやった上で混ぜっ返したりしていたが、些か中途半端。
もっとぶっ壊してしまってよいと思うのだけれど、真打ちトライアルとなるとやりにくいのか、お題を課した師匠の意図を汲みあぐねているのか。 前回より肩の力は抜けており、楽しんで見られた。
「蚤のかっぽれ」
ネタ下ろしからなんだかんだで三度目だが、これまでで一番の出来。
コンサートホールで返りが良いからか、唄も伸び伸び。 かっぽれの所作も付け焼刃ではないので実に良い形。
蚤の子供と杯の遣り取りをするのが馬鹿馬鹿しくも面白い。
マクラの危険球気味のクスグリが野暮な客に蹴られた感じもしたが、そこはセコな客だったと言うことで。 出来としては非常に良かった。
「妾馬」
二月になってしまったが、おめでたい話。
軽くて、様子が良くて、明るく楽しい。
あやふやな部分などもありつつ、上手く丸め込んで演っていた。 良いものを見た。
客席の沸き方は今日一番。
「鮫講釈」
中入りを挟んで空気が変わったところで、マクラを振らずに噺へ。
この噺のどのあたりでどうウケるかでその日の客のスノッブ度が測れるのだけれど、今日はお寒い感じ。 修羅場読みも立て板に水と言う感じではないが、淡々と。
あぷなっかしいようでいて、なんとかなってしまうのが「らしく」あった。 客がずるずると巻き込まれて行く。
一席終えて「縁かいな」。 踊りも綱渡り。
扇子の先が小刻みに震える様に真打トライアルというものの重圧を見る。
「錦鯉」
糖尿病をテーマにした自作。「抜け雀」「宗珉の滝」「景清」あたりからの掴み込みで筋を作り、粗食をして身体を動かせば糖尿は改善すると言う教えを織り込んである。
脈絡なく登場人物が出入りし、複数の話からの掴み込みによる矛盾もあって全般的に冗長。
糖尿の進行による手の痺れを治すために日参した川崎の宿の外れの観音様が実は子宝観音だったと言うのが落ちに繋がるのだけれど、子宝を授かるためなら妊婦は通わないし、安産祈願なら授からない悩みの人は通わない。 そのあたりがどっちつかずで描けていないし、観音様を「神様」と表現するのもおかしい。
兎に角、話が練れていないし刈り込んでもいない、言葉も撰べない。 実に長い弁当幕。
そうなると俯く客が増える。 頭の上をやり過ごす「寝床」のような状態。 鼾すら聞こえた。
回収して開票・集計する間、志らく師が出てきて講評・・・のようなもの。
途中で集計終了の太鼓がドドンと鳴り、結果発表。
一位 らく朝、二位 錦魚。
落語立川流は今日死んだ。
客が殺した。