折井あゆみが東京タワーイメージガールを勤めた年にレギュラーで担当し、その後も折に触れて出演してきた Night View DJ が大展望台の工事に伴い暫く休止との事。
残り3週のところで休止前最後の出演。
折井出演回は荒天と言うイメージも今は昔、低気圧はかすめつつも然程の影響も与えずに通り過ぎ、高気圧が張り出して冬晴れ。
チケット売り場でスカイツリー方向の北面は見えないこと、一部施設は既に営業を休止していることを告げられる。
展望台に上がるとなるほど北面は塞がれ、東面と北面の境には壁が作られて周回出来ないようになっていたが、これが幸いしてイベントスペースは袋小路になっており、いつもより滞留するお客さんは多目。
張らなくても通る声、聞き取りやすい速さと音量、掛け合いの間の良さ etc... 、声の仕事が軌道に乗っていることが振舞いからも窺い知れる。
折井は語尾を「っサイ!」と張る癖があるのだけれど、これの当たりが柔らかくなっていた。
Night View セレクションは折井の選曲。 洋楽を中心に年相応の洒落乙感。
歌詞で選んだと語りつつ、勘所を和訳して説明するなど流石に場慣れしている。
客からのリクエストは「聴いたことの有る好きな曲」、DJセレクトは「聴いたことの無い素敵な曲」このバランスが良い。
折井も毎度趣向を凝らしてくるが、DJミズノ氏の選曲がまたツボを衝いてくる。 これがもう一つの楽しみだった。
(帰ってから調べてCDを買ったこともある。)
折井の声の仕事は吹き替えが多いのだけれど、Netflix のドラマの告知をしたときに観客が静かに沸いたのが印象に残った。
放送されるテレビでもレンタルビデオでもなく、ネット配信のドラマに反応する人々。 娯楽の選択肢としての定着。
中盤にカフェ・ラトゥールから一品ずつ注文。
「東京タワーでコーヒー嫌いを克服した」と話す折井はキャラメルラテのホット、DJミズノ氏はカフェラテ。
克服したという割りに甘いのを頼むのはご愛嬌。
以前はホットミルクが定番だったが、折井は喋るのに差し障りがあるものは頼まない。 こうした「分かりにくい矜持」も好ましい。
最後に折井セレクトでもう一曲「勇敢な僕ら」。
AKB48を巣立つ大島麻衣に折井あゆみと星野みちるが贈った曲であるが、「大島麻衣ちゃんの卒業コンサートで」的なことは説明しつつ、自分と星野については端折る。
隠す訳ではなく、看板にも頼らない。 踏み台にして次の人生の土台を固められた事の表れなのだと思う。
大展望台の改装工事は北面から始まって順次進み、イベントの再開は来春とのこと。
暫しお別れ。
ヤングジャンプに掲載された先行グラビアは芳しくない出来ではあったが、とりあへず発売日に購入。
危惧したギリシアの強い日差しは撮影する時間帯と撮り方の工夫で緩和されていた。
眩しそうにしても険しくなりにくい顔の作りも幸いしていたが、光と正対させる際に目を瞑らせてしまうことで眩しくなりようの無い状況を作り出す荒業。
一度なら使って効果の有る飛び道具も、二度三度となると陳腐化するのであるが、意に介しないのか他に方法を考え付かないのか繰り返されるのには興醒め。
渡辺梨加の表情は単調な上にも単調で、諧調にも乏しいのであるが、カメラとは自然に向き合えており、隔意の有る作為が表情に出ないのも良い。
造形美を愛でる為の写真と割り切って撮っており、被写体の能動的な動きや表情に期待していない。
出来ない無理はさせていないとも言えるが、私小説的な物語すらも無く、夏休みの絵日記的な構成。
阿部ちづるは「気を許して貰える」才はあるらしく、柔らかい表情は引き出せているが、AF任せでざっくり撮っているのでピントに厳密さを欠く憾みが有り、表情の良さを採ったのかアウトフォーカス気味のカットも散見。
オフショットなら未だしも、本篇で使うのは如何なものかと思われるような物すらある。
そして、今に始まった事ではないのだけれど、意図してやっているのではないかと思われる位「串刺し」「首切り」の構図が多い。
幾ら良い表情が撮れていても、被写体を呪詛するような撮り方に無頓着なカメラマンを肯定的には評価できない。
読後感は悪い。
橋本奈々未の最後の写真集と同じく、小学館Cancamブランド室の企画。
デザイナーも同じで、写真集と言うよりファッションブック的な体裁。
奥付にも衣装協力のブランド名がズラリ並ぶ。
撮影は桑島智輝。
全篇妙に明るいトーン。 笑っているカットが多いだけでなく、空に太陽がある間だけに撮られている。
屋内で撮影されたものも、窓からの光はふんだんに。
そこで「明るく楽しく可愛い松村さん」を演じる松村沙友理。
賑やかに過ごすうちに、ふと静寂が訪れる。 そんな瞬間も挟み込まれるのだけれど、また笑いに紛らされてしまう。
絶対値としては明るい中で、相対的に明るくないカット。
松村沙友理の内面を深掘りするような撮り方はしていないが、表層に滲み出た内面はさっと掬い取り、明るく楽しいカットの中に挟み込まれる。
これは気が付く人だけが気付けば良い部分であり、明るく楽しく可愛い松村さんの写真集としては良く出来ている。
来し方に思いを巡らすと、女性向けファッション誌のファッションブックとして出すのが、(私の見たい物にはならないとしても)落としどころだったのだろう。
何の寓意か解らないが、部屋に白い鳩がやってきて向き合うカットがあり、そこからの数ページの松村沙友理が美しく儚く哀しい。
松村沙友理は幸せだろうか。
幸せであって欲しい。
撮影は原則禁止なので場所取りに血道を上げる必要もなく、現状では行けば確実に入れるので客の出足はのんびり。
開場前になると流石に混んでくる。
客の話を聞くともなく聞いていると「秋葉原で見た」と話している人が多く、制約も規制もあってままならない部分はあると思うが「路上」の効果は確実に出ている。
ほぼ定時に開場。 オールスタンディングだが後ろから全く見えないと言うこともなく、最前列に張り付くメリットも然程無いため、客はまんべんなく散る。
発散しに来ている向きは或る程度のパーソナルスペースを確保できる真ん中あたりの方が快適なのであろう。
開演前に客が円陣を組んでなにやら儀式が始まる。
「アイドルは仲間と楽しむもの」と考える人もいれば、「アイドルは一人で楽しむもの」と考える人もいる。
「ライブは参加するもの」と考える人もいれば、「ライブは享受するもの」と考える人もいる。
私は後者に属するのだけれど、人口比では前者が圧倒的に多い。
私の楽しみ方が絶対だとも正しいとも思わないけれど、周りに迷惑は掛けないようにしているので、とりあへずは放っておいて欲しくはあり、今のところそうして貰えている。(今後もそうであって欲しい。)
Negiccoのラインダンスのように、同調圧力が排除の方向に暴走しないことを祈る。
開演前に茶番の前振りのような、おどろおどろしい曲に乗せたアナウンス的な物もありつつ、幕が開けば何事もなくライブが始まる。
クリスマス間近と言うことでそれっぽい衣装。道地・別所がトナカイ、残りはサンタ。
クリスマスソングはビッグバンドアレンジっぽいもの。 振り付けも含めてその場しのぎではない物になっている。 この辺りの送り手の姿勢は評価できる。
別所佳恋が「かれんちゃん」と「佳恋さん」の間を行ったり来たり。
動くとまだまだ子供なのであるが、ぴたり止まった瞬間にドキリとさせられる。
他のメンバーのサンタ帽やトナカイのツノが脱落していく中、石川野乃花のサンタ帽だけは最後まで頭上に在り、帽子キャラクターとしての矜持を示した。
杏斉ゆかは任されたソロパートは歌いきり、客席全体も巨視的に見られている。 満遍なく目配りをするだけでなく、大掴みに見ることが出来ているのに感心した。
宮瀬しおりの「判りにくい質の高さ」が私は好きだ。 正確でぶれない動きと、止め撥ね払いの美しさの両立。
大変なこともあると思うのだけれど常に「楽しそう」に見えるようにしているところも評価したい。
道地文子は自虐キャラクターにされつつあるが、もっと自分の振舞いや趣味嗜好に自信を持って良いと思う。
自虐もやりすぎると「踏みつけにして良いもの」と勘違いする手合いが出てくる。
神咲くるみは髪型から振る舞いから「わかりやすさ」に徹しているのが面白い。 客もわかった上で填まっている。
開演前に前振りのあった件。 メンバーの声が出なくなっていると言う設定で、「客と一緒に発声練習をすると出るようになる」と言うオチだったのだけれど、ここが些か冗長でダレた。
録った客の発声練習の音を取り込んでおいて、最後に歌う「きよしこの夜」のコーラスに使うという凝った仕掛けではあったのだけれど、時間が掛かりすぎて中だるみ感は否めない。
毎回何かしら仕掛けてくる「より良い物にする」姿勢そのものは悪くないので、次回以降の巻き返しに期待したい。
最後にひとりひとりこの一年を振り返っての所感を述べていたが、それぞれしっかり考えて話せている。
普段から考える習慣をつけさせているのだと思う。
田中美久
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.。
カメラと向き合えており、おどけた表情も見せる。
目線を外したカットに作意がでてしまっているのはご愛嬌。
水着のカットでは、然程硬くはないものの「気を張った」ところはあるのだけれど、セーラー服やワンピースのカットは悪くない。
水着のカットはおとなしめの物以外カットになったと仄聞するが、ほのめかし程度のものでも伝わる部分は伝わる。
「そう言う売り方はしたくない」と言うことなのかもしれないが、それならば企画の段階で練らせれば良い訳であり、撮った後で縛りをきつくすると言うのが解せない。
その辺りを勘案すると、写真の選択も割付けも良く出来ているように思う。
AKBグループの退勢は、無駄に権力を持った大人が守りに回りすぎているというか、保身に汲々としている事に起因するように思われる。
ノーメンクラツーラ層が肥え太りすぎた。
鎌田菜月
巻中4ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
分母が増えすぎて中々光が当たらなくなっている現状にあって、「グラビア映えする」ことは矢張りアドバンテージになり易いのかもしれない。
水着にひん剥いて一丁上がり的なグラビアも多い中、どうやればより映えるかを考えてもらった鎌田菜月は幸運であったと思うし、その運を生かせる被写体としての力量・資質もある。
巻中の4ページ。 この中に衣装5パターン、髪のアレンジ3種。
きっちり物語を紡いでいる。 眼福。
小坂菜緒
巻末5ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分は、一寸白く飛ばしすぎのような気がしないでもないが、じっくり光を廻した屋内撮影分は見応えがある。
笑顔はぎこちなく、表情を作ろうとすると硬さも目立つのだけれど、カメラと素で向き合えているのは良い。
3ページ目に大きく使われている、コップを口元に近づけたアップのカットが良い。
松田るか
表紙と巻頭7ページ23カット、撮影は細居幸次郎。
曇天雨天に恵まれたのか、屋外でも眩しげなところは見せず、全体を通して穏和。 屋内で撮った暗めのカットでは ennui な表情も見せる。
そこはかとなく décadent。
寄って迫って撮っているのが新機軸。
せせこましい割付にしない時の池永亘は写真の選択も配置も良い。
控えめなキャプションが写真を生かし、ページ下部にコンタクトプリントのように散りばめたのもアクセントになっている。
岡田紗佳
巻中5ページ10カット。撮影は佐野円香。
背景から浮き上がる塗り絵のようなレタッチには生理的な嫌悪を感じるが、構図の切り方と表情の捉え方は良い。
衣装毎に肌の色味がバラバラなので、一本のグラビアとして組むとおかしなことになる。(そこを上手く纏めてはあるが)
媒体毎に求められる写真は異なると言うことが分からないまま仕事をしているのであろう。
手足の長さの生かし方、肉感の仄めかし方は上手いのであるが。
竹内愛紗
巻末4ページ14カット、撮影は藤本和典。
「制服コレクション」の頃を思い起こさせるヤングジャンプらしいグラビア。 最近はご無沙汰な構成だが、これはこれで良い。
演出としての、捏造された記憶のような、純粋培養された「青春」。