乗り継いで一時間半、国内のとある倉庫で荷受けと出荷と梱包のお仕事。
まる三月働いていなかったから筋肉痛で碌でも無い事になるのでは無いかと思っていたのだけれど、そんなに酷くはならなかった。
8:30〜17:30迄、基本的に残業は無しで日当は¥6800-。
いい加減な品物を扱わなくて済むし、嘘はつかなくて済むし、人間関係は職場内で完結してるし、私にとっては働き易いようだ・・・今の所は。
中で何をやっているか判らないので、何人も必ずノックをしてから扉をあける事になっている。
ついさっき「コツコツ」とノックした後に扉を開けた妹が「猫のジュリアーノが出て来る漫画ってなんだっけ?」と聞いて来た。
私が「それは『愛してナイト』」と答えると、「そうだよねぇ・・・」と妹は扉を閉めて立ち去った。 ・・・かと思いきや再びノックした後扉を開けて「らんぜとかりんぜとか言うのが出て来るのはなんだっけ?」と聞くので「それは『ときめきトゥナイト』」と答えると、妹は再び「そうだよねぇ・・・」と言い残して立ち去った。
こんな事を兄貴に聞く方も変だが答えられる兄貴の方もおかしいよなぁ・・・と思いつつも、浪人中に「はいからさんが通る」を全巻衝動買いしてむさぼる様に読んでいたり、引っ越し荷物の中から川原泉の本がゴロゴロ出て来たのを目のあたりにすればまぁ仕方ないかな・・・と思い直した。
最近、流石に金が無いので、昼間っから何処にも出歩かずに家でゴロゴロしている。 現像する金も無いので写真も撮っていない。 悪循環だ。
職安の端末で検索して電話を掛けてみると、男の求人はしてないとか宣われることがままある。 ノルマとか目標とかに追い回されずに、低賃金・昇給見込無し・内勤で地道に働きたいのだけれどどこもそう言う人間はいらないらしい。 しょうが無いからバイトを探す事にした。 次は二十日に面接。
長生きはするもんじゃないなぁ・・・。 もういい。
怪我をして初めての梅雨・・・と言う事になる。
なんでわざわざこんなことを書くかと言うと、それは調子が悪いからであって、痛い訳でもなく、動かないわけでもないのだけれど、なんかこう違和感があっていらいらする。
職安へ。 検索方法を変えてみたいくつか勤まりそうな仕事があって、明日もう一度電話をすることになった。
帰りがけに傘立てを見ると、盗られていた。
職が無いのも困るんだけど、問題は今日の雨、傘が無い。
気晴らしにバスで大塚まで出て、気が済むまで都電に乗る。
つりかけモーターの音やレールの軋む音を聴き、窓から紫陽花や薔薇を見る。
都電が走る町に住みたい。
頼まれ仕事でスポーツ大会の撮影。 カメラはフジカST605とライカD-III。 レンズはEBCフジノン55mm/f1.8とオートタクマー35mm/f2.3とペトリ135mm/f2.8とズマール50mm/f2。 ピントも露出も厳しい状況だったので、殆ど標準レンズで撮影。
中抜けしてひたひたと三ノ輪橋の電停で待ち合わせてとりあへず昼飯。 都電と京成を乗り継いで青砥へ。 バーガーランドでエッグバーガーとポテトL、〆て\380-。
立石仲見世をぶらぶらしたり、浅草の西参道とか五重塔通りをうろうろしたあと、並木の藪にしけこんでわさび芋を肴に一杯。 もりで〆て店を出ると雨も小ぶりになってきたので鳥越まで歩いてお祭りを見たあと、おかず横丁から佐竹のアーケードを通って御徒町へ。
中田商店をのぞいた後、ヨドバシ、HMV、ユニクロと回る。 中野に行って精算したあと、北口のおーくら家でラーメンを食って解散。
しかし、蕎麦屋で昼酒を飲む楽しみを、失業者が失業者に教へる図ってのもなんだかねぇ(苦笑)。
求人票がパート採用と正社員採用に分けて置いてある。 しかし、正社員の棚を見ても、パート採用だったりすることがまま有る。 求人票では正社員採用となっていても面接に行ってみるとバイト採用だったりすることも有る。 困ったものだ。
不首尾。
上京中の飛良泉先生、暇なひたひたと荻窪で待ち合わせて、とりあへずプリズムへ・・・行ってみたら休み。 中野の例の店へ行けど親爺は他行中。
仕方がないのでフジヤ、日東商事と中古屋を素見したあとブロードウェーへ。 中古CD屋とまんだらけでまったりと買い物。 丁度親爺が帰って来る頃合になり、南口へ移動していじったり覗いたり。
日も暮れて来たので高円寺の竜屋長兵衛へ移動して飲んだり喰ったり。
この日は「山芋の千切り」「牛スジの煮込み」「悶絶竜屋風冷麺」「砂肝と筍のヤマンバ風」「鬼平風まぜごはん」「キングofポテトフライ」「ぬか漬け」等。 相変わらずぐうの音もでない旨さ。
上野発21:41発なのに店を八時過ぎに出たのでちょいと急いだものだからひたひたは電車の中で小間物屋を開いてしまい、昼間金貸しから貰ったちり紙が役にたった。
さいわい飛良泉先生は発車に間に合い、ひたひたも見る間に回復したので終電前には家に帰れた。
新宿へ。 ロフトプラスワンでイベントを二つ掛け持ち・流連。 計15時間居て、飲んだのはアンズ酒ソーダ割りとジントニックのみ。 チャージ、お通しこみでも¥2800-。 我乍らひでぇ客だ(笑)。
一寸趣向を変えて都営交通のすべてに乗れる一日券を購入、¥700-。 まず、バスで本所吾妻橋まで出て、そこから新橋行に乗り換えて新橋へ。 さらに国際医療センター行で牛込柳町へ。 練馬車庫行で新江古田駅前へ。
ここから地下鉄大江戸線で代々木に出て、ガード下の「天まり」という立ち喰いでかきあげ蕎麦を。
さらに国立競技場前駅の構内で写真を撮り歩き、新宿で母親と待ち合わせて知り合いの家へ行き帰宅。
嗚呼、これが青春・・・ (C)吉田拓郎
わたしもあらかた片付いたのを見届けた後、家に帰って昼まで寝ていた・・・ら
ひたひたから電話がかかってきて、二時に錦糸町で待ち合わせてヨ○バシを素見してから谷中の例の店で餃子とマーボー豆腐と焼きそば。
久しぶりに連れ出したローライコードを振り回しながら谷中、根津、千駄木界隈をぶらぶらしつつ上野へ。
いい加減暗くなってきたところへ雨までふってきやがったので、荻窪の某カメラ屋へしけこんで管を巻いたあと、広東風で晩飯。
注文する係りの人にひたひたが無脊椎動物アレルギーだと言うのを忘れていたため、烏賊だの海老だの牡蠣だのが拷問か嫌がらせのように出てきてしまって、さらには私がレートを読み違えたがために立て替えてもらうことにもなってしまって、ひたひたには二重に申し訳なかった。
今度埋め合わせします。 ・・・いつになるやら判りませんが。
もう終わり、失業してふた月経った。 そろそろ働かないとマズイんだけど、何をするにも、こう、何と言うか、馬鹿々々しさを感じてしまって、どうにもやる気が起きない。
元来自分を売り込むことに胡散臭さを感じているので、「あなたのセールスポイントは何ですか?」などと聞かれても何と答えてよいやら見当がつかない。
逆に「あなたの短所は?」なんて聞かれても、まさか「厭世主義と虚無主義を克服できないことです」なんてぇ事をしゃべるわけにも行かないし・・・。
で、職安で紹介された所の面接に行って来た。 11時からって事になっていたのだけれど丁度忙しい時間帯らしく、暫く待たされた後、店の奥で面接。
みっちり一時間、根掘り葉掘り聞かれてぐったりした頃合に開放された。
結果は後日PHSにかけてくれるそうな。
新橋まで歩いて立ち食いでかき揚げうどんを手繰ってからカメラ屋を三軒梯子して素見。
いったん帰宅して着替えたあと、夕方から市ヶ谷へ。
法政の貧乏くささを守る会主催の「5.26 法大 3万 朝帰り集会」へ野次馬的に参加。
これは学内を小奇麗にした上で規制を強化し法政を上智・青山化してブルジョアお上品大学にしようとする大学当局の陰謀を粉砕して、貧乏臭くて自由で居心地のよい法政の校風を守ろうとするイベントで、非常に貧乏臭い飲み会であった。
待ち合わせてキャンパスに入ると開会挨拶がはじまったところで、そのあと各サークルの連帯挨拶、学内デモとつづき、のどが渇いた頃合に漸く飲み会は始まった。
自ら「貧乏」と名乗るだけの事はあって、非常に貧乏臭く、酒はビールとワインが少しであとは合成酒と焼酎(甲類)。 つまみは乾き物が少しあるのみ。
どうにもしょうがないので自分で買出しに出かけた。 新見付橋を渡った外濠の向うにコンビニとハナマサ(24時間営業の肉屋)が並んでいるのだけれど。 とりあへずハナマサでサラミソーセージ゜(太さ10センチ、長さ40センチ)と徳用チーズ、漬物、キムチを購入。
となりのコンビニで割り箸と紙皿、ウーロン茶を購入。
そして夜は深けて行った。
浅草へ。
三社祭の初日を撮影。 機材はライカD−IIIにジュピター3 50mm/f1.5。 フィルムはネガカラー、フジの400。
露出計を家に忘れて来たのでヤマ勘露出。 やはり大抵の人はAF一眼レフを使っています。 確かにそうでないとピントは辛いですね。
上野へ移動して某オフに参加。 マルイの前で待ち合わせて上野の昇龍という中華屋へ。
ここの餃子は巨大で一個が普通の店の三倍くらいある。 11人で行ったので席が分かれてしまったのだけれど、幸い小食なグループだったので餃子三枚、肉ニラ炒め、五目チャーハンで済んだ。 ひとり頭1275円。
店を出てからマクドナルドで暫く時間を潰した後、カラオケ屋でオールナイト。
十一時半に店に入ったのに1時半までくっちゃべりっぱなしで誰一人歌わないと言う訳の判らない珍しい経験をした。
歌が始まらないまま日付けが変わった。
「20plus」へ。 二部の作品は会場設営の途中で見ただけだったので、じっくり見ようと思っていたのだけれど「近所でペトリのケースが100円で出ている」と言うので取るものもとりあへず店へ走り購入。
金を下ろし損ねたのでバス代が足りず帰りは雨の中駅から家迄歩いた。