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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2001-02-11 [長年日記]

_ 7時ころ

帰宅してメールチェックして掲示板巡回してから仮眠。 12時15分に九段下駅2番出口集合なのに11時半ころ起きた。 慌てて支度をして出発。

今日も1月7日と同じく撮影会へ。

_ 今日のカメラ・レンズ゛は

フジカST605
テッサー50mm/f2.8(ツァイス・オプトン)
ライカD-III
ズマール50mm/f2
プラクチナ
フレクトゴン25mm/f4
マミヤプレス・スーパー23
セコール100mm/f3.5
ローライコードIa トリオター75mm/f3.8
プラウベル・ロールOP アンチコマー75mm/f2.8

フィルムはアグファのAPX400とAPX25

_ 前回

撮影した分は、硬いレンズ中心の望遠系よりも柔らかいレンズの多い標準・広角系のものの方が上がりが良かった(ピントが厳しかった事もある)ので、長い物は全部置いていったのだけれどそれが裏目に出た。

前回よりも客の総数が多く、モデルに寄りたがり、拘束したがる客が多かった為、長い物を使ってアウトレンジ射撃に徹したほうが良かったのだけれど、持っていったレンズの都合上そうも行かなかった。

_ しかし、

今回は客の質が悪くて参った。 寄りたがる奴、矢鱈モデルを拘束する奴。ひとの写線を平気で切る奴、 去年久方ぶりに鉄の現場へ出たときも酷かったんですが、最近はどこへ行ってもこんな物なんでしょうか?。

_ 終了後、

新宿へ移動して松本さんがやっているもう一つの写真展へ。
ギャラリーの場所をうろ覚えで出てきてしまった為、交番で聞いたらウソを教えられて道に迷い、、104で訊いても
「その名前での登録はございません。」
結局、自宅に電話して家のものにコンピューターを立ち上げてカボさんのサイトを開いてもらい、トップページにあるギャラリーの電話番号を聞いて、漸く現場にたどり着いたころには4時を回っていた。
展示作品を見た後、ポートフォリオを見せていただき、お茶を飲みながらひとしきり写真の話をした。
松本さんは山口の人なのだけれど、4月から我々の仲間内でも札付きの腐れ外道が山口大学に講師で行くらしいので、なんだかよくわからないのだけれど、兎に角詫びておいた。
この日は会場で即興演奏のライブを行うことになっていて、その準備が始まってしまったので時間つぶしに外に出た。 まず、あおい書店で新谷かおるの新作「刀神妖緋伝」の1巻を購入。 そのあと模索舎へ行って本とCDを物色。 何処へ行っても無かった大工哲弘のCDがごっそりあったり、アナ関連の買いたい本が有ったりしたのだけれど、懐が寂しいので給料日まで我慢。
ドドールへ行ってカプチーノ(L)\260-。 今回の新谷の漫画は、今までと違って大手企業に(今のところ)喧嘩を売っていないので、なんとか続きそうな感じ。

_ コーヒーを

飲み終えた頃、カボさんから電話が入り、待ち合わせて再び模索舎へ。 買いたい物を全部買っていると破産してしまうので、慎重に40分くらい検討。 本とビデオを買っていかれた。 そんなさなかに私のPHSが鳴ってしまい、模索舎の店内にインターが響いた。 危なかった。
 ギャラリーに戻って即興演奏のライブを聴いた。 ・・・と言うか心地よく寝かせてもらった。 パイプ椅子で悪夢にうなされる事も無く眠れたのは初めてではなかろうか。
新宿西口のブート屋(あぁ、ジェスロ・タル欲しい・・・)を回った後、歌舞伎町の博多天神でラーメンを啜って東京駅へ。
3月に引越しをされるとの事。 今度会うときは滋賀県という事になりそう。


2001-02-10 [長年日記]

_ いまの仕事を

始めてから初めて定時で上がって初台へ。 新東京国立劇場小ホールで観劇、「ピカドンキジムナー」。

沖縄・原爆・在日と重い話三つを絡めた社会派のお芝居。 真面目な切り口で且つ、悪人が一人も出てこないので、私のような虚無・厭世主義に行ってしまった人間にはどうにも居心地が悪かった。

芝居そのものの出来は貶し様が無いくらい良くて、辻萬長の重厚な演技は流石だったし、生で益岡徹を見られたのも嬉しかった、一番驚いたのは寺島しのぶだった。

この人は母親より父親に顔が似てしまったため、あまり美人とは言えない、・・・と言うかむしろ(以下自粛)なのだけれど、挙措の一つ一つが柔らかくて、すぅーっと動いてぴたっと止まる。 席が舞台から遠かった所為もあろうが、非常に美しく見えた。 これには驚いたし納得もした。

休憩時間に外に出てみると、初日と言う事もってか客の面子が物凄い。 水野晴男、早坂暁、澤地久枝、etc.etc・・・。 妹尾河童もいるなー、と思ったら舞台美術を担当していた。 客がステレオタイプな代々木左翼的くすぐりで笑うたびに疎外感を覚えて引いてしまった部分はあって、そのたびに舞台美術・大道具・小道具・照明などに目が行ってしまったのだけれど、この辺は流石だった。 小ホールなので舞台の間口は狭いのだけれど、奥行きと高さはたっぷり有って、その空間を非常に上手く使っていた。 照明の当て方一つとっても角度と言いタイミングと言い絶妙で、非常に勉強になった。 もう二度と演劇には関わらないと思うけれど・・・。

終演後、新大久保で焼肉→新宿のディスコ(笑)で呑み。 焼肉屋は旨かったが高かった。

ディスコ(笑)は一緒に言った人曰く「10年ぶりに来たけど全然変わってなくて、多分30年前から変わってない」とのこと。 シュープリームスとかジャクソンファイブが掛かっていた。

阿佐ヶ谷で始発待ちをして帰宅。


2001-02-04 [長年日記]

_ 写真関連で

新たな企画をはじめる事になり、都内某所の築65年のアパートの住人から阿佐ヶ谷近辺の諸々について聞いた後、ひたひたと密談。

カボさんのサイトで告知されていた松本晃弘さんの写真展を見に行ってから中野の店に行き、夕食がてら高円寺で呑み。 金銭的には厳しいけれど何とかカタチにしたいものだ。

詳細が決まったら、・・・というか、軌道に乗ったら報告します。


2001-01-29 [長年日記]

_ 昨日

湯冷めして風邪を引きそうな気配だったので、一日家にいて大人しくしていた。


2001-01-28 [長年日記]

_ 昨晩降った雪は

大分融けたが、まだまだ残っていて寒い。 8:00に新宿駅で待ち合わせて、知り人と日帰りで温泉へ。 寝飛ばすのではないかと危惧されていた阿佐ヶ谷方面の人は、案の定寝飛ばし。 電車が終点に近づくにつれ、周りは雪景色に。 バスに乗り換えて山道を登っていくと、道路が白くなっていき、バスの速度もどんどん落ちていく。 しまいには前のバスに追いつく始末。 横方向にも傾斜のついた左カーブを登れなくなったらしい。 雪かき作業を待って発車、派手に尻を振りつつも漸く登りきって村営の温泉へ。 露天風呂で1時間、食堂で酒を飲みつつ2時間。 バスの時間なので帰ろう・・・と思ったらバスが運休になったと言う。 施設の車を出して貰い、山を降りてバス停へ。 帰りがけに阿佐ヶ谷に寄り、寝飛ばした人を連れ出して、高円寺の竜屋長兵衛で呑み。 今日はいつに無く込んでいて、料理が注文に追いつかず、店主も恐縮する事しきり。 でも、出てきたものはやはり旨かった。


2001-01-27 [長年日記]

_ 今週も雪

猛烈な吹雪の中、秋にやった写真展の集まりに参加するため荻窪の中華料理屋「広東風」へ。
おいしい中華を喰らい、酒を呑みつつ、写真展の今後を話し合う・・・筈だった。 しかし、私がよく行く中野の店の悪口を延々と垂れ流しつづける奴がいて、どうにも不味い飯になってしまった。
そいつとは1月15日に中野の店でかち合っているし、私がその店によく出入りしていることも知っている筈なので喧嘩を売っていやがる事は明らかだったのだけれど、こんな所で喧嘩を買うのも大人気ないので、放って置いた。
「良いものは常連にしか売らない」「汚い物を平気で売る」とか何とか、まぁ聞くに堪えない悪口をぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺら、そんなに厭な店なら行かなきゃ良いんだ。
「でもアイツ変なもの沢山持ってるから・・・。」って何なんだそりゃ?おならぷーだ。 確かにあの親爺さんは偏屈だし、嫌いな客には売らないし、誰にでも勧められるような店ではないけれど、奴の言っていた事は殆どウソだ。 こちらがウソをついたり、しつこく値切ったり、知ったかぶりをしたり、他の店で買ったものの自慢をしたり、べら棒な値段で自分の持ち物を委託に出したりしない限り、普通に対応してくれるし、変なものを売りつけられたこともない。
私が見る限りにおいて、この客はそう言うことをする奴なので、嫌われても仕方がないと思う。 少なくとも私はこいつが大嫌いだ。 こう言う飯の不味くなる要素がありつつも、いつも通りこの店の料理はとても美味しかった。


2001-01-21 [長年日記]

_ 昼過ぎに

起き出して駅前の喫茶店で遅い昼食。 そのあと喫茶店を2軒はごしつついろいろ話してから帰宅。


2001-01-20 [長年日記]

_ 雪の降る中

会社帰りに新宿へ。 阿佐ヶ谷北氏らと押井守の新作「AVALON」を観に行った。 映画好きの人々の評価は低かったのだけれど、私は良いと思った。
 これは多分、私が映画を映画として観ていない所為だと思う。 色使いとか、東欧の町並みの暗さとか、軍事的な諸々とかへの拘りかたはやはり凄かった。 あとは「ドグラマグラ」に通じるどれが現実なのか判らなくなるような入れ子方式の筋立てとか。
 飲み屋を2軒はしごした後、阿佐ヶ谷北氏の家へ。 「人狼」のDVDを観た。 判る人にしか判らないような昭和30年代初頭の東京の町並みがこれでもか、と、細かく描き込まれていて、面白かった。


2001-01-15 [長年日記]

_ 青春18きっぷの

余り券を消化するために、午后から横須賀線で南へ。
 北鎌倉でぶらぶらしようか、それとも鎌倉から江ノ電の乗ろうか、いっそ久里浜迄行ってしまおうか、と、考えているうちに電車は鎌倉駅を出発してしまった。 逗子の駅が近づいて来た頃、車窓に岩殿寺の看板が見えたので、逗子で降りる事にした。
 この寺は鏡花の「春昼」「春昼後刻」の舞台となったところで、駅からは離れているし、別に何があるわけでもないので人影も殆どなく、山門には100円ご報謝くださいとか何とか書かれた箱があるだけ。 鎌倉あたりの寺と違って商売っ気が無い。
 梅には未だ早かったが、寺内のそこここには水仙が咲いていて、良い香りが漂っていた。 坂東二番の札所になっているだけあって、石段も本堂も整備が行き届いており、小説にあるような寂れた破れ寺の雰囲気は既に無かったが、墓地へ続く細い石段は磨り減ったつま先上がりの石段が残っていて往時の面影を留めていた。
 寺のある山の周りはぐるり住宅地に取り巻かれているのに、山の上は非常に静かで、時折通過する電車の音が聞えるだけだった。
 帰りに石段を降りると、山門の脇に鏡花の文学碑があった。


2001-01-14 [長年日記]

_ 例によって

例の如く昼過ぎに起き出して銀座へ。 ミュンヘンで入れてもらっているカメラ関連のメーリングリストのオフ会。
 コシナから出るフォクトレンダーブランドの新製品についての話とか、オーディオの話。 それからクラシックのお勧めCDの話など。
 ロンドンレーベルで、モントリオール+デュトワが良いのではないか・・・との事。 うちに有る物の中で該当する組み合わせは「ボレロ」M・ラヴェル、「シェヘラザード」R・コルサコフ、の2枚。 どちらも気に入っている物なので、その線で探してみる事にする。

2001-01-07 [長年日記]

_ 今年のテーマは

「人をちゃんと撮る」なのだけれど、その一環としてモデル撮影会へ。
私は常々公言している通り「かわいいだけでは動かない」人間なので、ただのモデル撮影会だったら行かないのだけれど、今回のヤツは友達が見つけてきて入れ込んでいる飛び切り謎な娘が出るってので思い切って出かけてみた。
  今回の機材は次の通り ローライコードIa
ライカD-III+ズマール50mm/f2
ミノルタXE+MCロッコール55mm/f1.7

ミノルタα-7000+M42アダプター
フジカST605
プリモター50mm/f3.5
マミヤセコール21mm/f4
オートタクマー35mm/f2.3
ジュピター985mm/f2
ゼニット100mm/f1.5
ペトリ135mm/f2.8
フィルムはアグファAPX400とオリパン400。

_ 集合場所の

九段下駅前についてみると既にそれらしい人々がその辺にのたくっている。 勿論その中でもひときわ怪しい人々が私の友達であって、時間までしばし歓談。
受け付けを済ませて北の丸公園へ。 まず芝生の広場で池をバックに撮影、その後橋の上→木立ちの中と移動しつつ撮影。
大体の人はAF一眼かデジカメで、いつもながら手でピントを合わせている人は殆どいない。 一部例外がいて、D−1に望遠ズームつけてMFで撮っているおかしな人(これが友人(笑))がいたくらいで完全にマニュアルフォーカスなのは私だけだったようだ。
「手のひらを上にして両手を開いてみて」とか普通にポーズをつけている人が多い中、
「『先生グリンピースが食べられません!!』って顔をしてみて」
とか対応に困るような注文をつけて、その困った顔を撮るダメな人(これも友人(笑))の横で、私は正面から見ると真っ青なコーティングでしかも最短撮影距離5mなどと言うふざけたレンズを振り回したり、怪しげな二眼レフを回したり、首からカメラ五台ぶら下げてみたりしているうちにあっと言う間に1時間半が過ぎて、第一部は終了。
 撮影会そのものは4部まであるのだけれど、流石にそこまでの金は無いので私は一部で退散。 D−1な人はきっちり最後まで居たそうです。 その後4時まで対応に困る注文をつける人と錦町のジョナサンでこの日の総括を(笑)。 予想外の面白さだったので多分来月も行くと思う。


2001-01-06 [長年日記]

_ 土曜だというのに

大残業。 8時まで働いていた。


2001-01-05 [長年日記]

_ いきなり

残業、トホホホ・・・。


2001-01-04 [長年日記]

_ 5時ころ

起きてみると雪はやんでおらず、通行止区間は却って伸びており、白石でおろされて須賀川迄国道で下り、そこから東北道にまた乗った。 結局栃木県内に入るまで雪は止まなかった。 いつものように田島で降ろしてもらい東武線で帰宅。 なんだかんだで非常に疲れた。


2001-01-03 [長年日記]

_ 毎度の事ながら

昼頃ごそごそと・・・。
 青森市内で一仕事終えて帰ってきたイベント屋の後輩君とまたまた珍上海へ。 ここはメニューも多く、しかもハズレが無くて量が多くて安くて旨くて、店長の言動が奇妙で面白い。 今日は激辛ラーメンとライス。
 普段は配膳担当のおねぇさんが運んでくるのだけれど、なぜか店長が手ずから運んできた。 半年に一遍くらいしか来ないのにどうやら顔を覚えられているらしい。 まぁ、学生の時にはトラックの荷台に3人も4人も積んでやってきてそれぞれ1.5人前くらい平らげていた怪しい客だったから、まぁ覚えられていても不思議は無い。
 ミヤシタ総統邸にもどって帰り支度をしてとっとと出発。 天気予報も交通情報も見ずに出たのが仇となって、県境を越える頃から吹雪になり、何とか盛岡を過ぎたと思ったら大型トラックがチェーンでひっぱたいた圧雪路は鬼の洗濯板みたいになっているし、掘られたわだちは軽自動車には広すぎてふらつくしでいい加減厭になって花巻から高速へ。 乗ってみたら古川〜泉が吹雪で通行止。 古川で下ろされて、その吹雪とやらの中を泉まで。 泉で乗ってみたら今度は白石〜福島飯坂がまた吹雪で通行止。 馬鹿々々しくなって菅生で仮眠する事にした。


2001-01-02 [長年日記]

_ 昼頃起き出して

時刻表とにらめっこ。
 八戸までのルートは、国鉄だと3時半の電車に乗って青森経由で6時前には着けるのだけれど乗換えが2回、バスだと5時20分のに乗って八戸市内のバスセンターに8時5分着、こちらは乗り換えなしで街の中まで連れて行ってくれるのでバスを使う事にした。
 バスの時間まで市内のカメラ屋めぐり、キタムラには先生の後輩達の写真が展示してあった。 つまらないのも何点かは有ったのだけれど、それでも流石に仕上げは綺麗だったし水準以上の作品が多かった。
 バスに乗ったらバタンキューで寝ている間に八戸着。 迎えにきていたイナダ氏の車で市内旭が丘の珍上海と言うラーメン屋へ行き晩飯。 だいたい半年に一度の割で八戸に行っているのだけれど大抵ここで飯を食っている。 インドカレー大盛、800円也。 旨い。
 コンビニで茶など買った後、ミヤシタ総統邸でゲーム三昧。 今回はPS2の「剣豪」と言う人斬りゲームに嵌まって、夜中まで人を斬っていた。


2001-01-01 [長年日記]

_ どうやら

年が明けたらしい。 昼過ぎにごそごそ起き出して、することも無いのでビブレへ行ってCDを物色。
 マーラーの1番「巨人」(ニューヨークフィル)とFlder5の3rd「Believe」を購入。 書き忘れていたけれど、仙台でもHMVで2枚、R.コルサコフの1番・2番とハチャトゥリアンの「ガイーヌ」(共にサンクトペテルブルク国立交響楽団)。
 昨年の末に知り合いが「残業うっちゃらかしてブラームスを聴きに行く」なんて話をしていて、「そーいえばうちにもあったなぁ・・・」とCDを掘り出して聴いてみたところ、初めはなんだか退屈だったのが、耳が慣れてくるにつれて心地よくなってきて、しかも考え事や睡眠の邪魔にならないので、最近はクラシックばかり聴いている。 初めはブラームスだのショパンだのを聴いていたのだけれど、もっと灰汁の強い奴が聴きたくなってマーラーとかベルリオーズとかロシア・東欧ものとか、そう言うものに落ち着いた(笑)。
 CD屋を出てから食い物と酒を買い込み、本屋で立ち読みをして時間を潰した後、下宿に戻って呑んだり喰ったり。 結局朝の5時頃迄写真展とか写真サークルとか学内自治とか共通の厭な知人(痴人かな?)の厭な話もしつつ、主に写真の撮り方の話をしていた。
 私と飛良泉先生は写真の撮り方がまるで違っていて、私はどう撮るかなんて事は考えずに被写体との距離とかその場所の明るさとかに合わせて持っていくレンズとフィルムを選ぶくらいで現場に行ってその場の状況にあわせてシャッターを押したり押さなかったりするのだけれど、飛良泉先生はまずどう言う状況で撮るかを考える。 その為にモデルのテスト撮影をして、どう言う角度でどう言う表情を撮ると映えるのかを検討する。 そしていろいろとプロットを考えて、大道具・小道具・ライティング・フィルムの選択etc.を綿密に。 さらにモデル抜きのテスト撮影をして、「シャボン玉を止めて撮るには最低何分の一秒必要」「シャボン玉を流すには何分の一秒」なんて感じにノウハウとデータを収集。 で、本番になると構図を微妙に変えつつ実に多くのコマを撮る、しかもその間モデルとは常に会話しているから色々な表情が撮れる。 モデルを頼む場合も、過去の作品を見せてどう言う写真を撮っていてどう撮りたいかを説明して納得させた上でやっている。 しかも彼女をモデルにしたり、モデルを口説いたりもしないと言う。 「インフォームド・コンセント」「臨床データの蓄積」・・・なんかこう実に医学生らしい写真の撮り方だなぁ、と感心した。
 私の場合は「無作為の作為」」とか「1/30秒に1/30秒以上の時間を如何に写し込むか」とか「カメラを意識した上での素の表情」とか偶然性に頼ったまぐれ当たりの打率を如何に上げるかっていう事しか考えていないので、先生の話は非常に面白かった。 夜明け頃いい加減眠くなって寝た。

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2000-12-31 [長年日記]

_ 夕方までに

弘前に着かねばならないため、7時半に起きて、寝ているひたひたに後片付けを頼んで仙台駅へ。 何か忘れたような気がしたのだけれど、案の定マフラーを忘れていた。
東北本線で盛岡まで北上し、花輪線に乗り換えて大館へ。 さらに奥羽本線に乗り換えて弘前に着いたのは四時半ころ。 車中はずーっとマーラーの五番とベルリオーズの幻想交響曲を聴いていた、・・・って言うか聴きながら延々寝ていた(苦笑)。
買い物をしてから飛良泉先生の下宿へ行き、荷物を置いてから下町の衛生湯と言う銭湯へ。 ここはなにが凄いってロッカーが無い、丸い籠のみ。 非常に銭湯らしい銭湯だった。 下宿に戻ってはまちの刺身やら蕎麦やらを肴に豊盃倶楽部と菊水の五六八を飲んで寝た。

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2000-12-30 [長年日記]

_ 7時ころ起きて

仙台へ。 なんだか早く着きすぎてしまってHMVだのまんが喫茶だので時間を潰した後、北京餃子で朝飯。 餃子定食がまた安くなっていて驚いた。 餃子の数は3つ減ったのだけれど、餃子の具に占める肉の割合が大幅に増えた。 もちろん旨い。
借りたウィークリーマンションのチェックインには未だ時間があったのでその辺で時間を潰した後、とりあへず荷物を置いて中古カメラ屋をはしご。 帰りがけに多少買い物をしてマンションに戻り、暫くぼーっとしていた。
今回はことぶき氏に料理を任せて、私は私が食いたいものをちょろっと作っておしまい。 肉味噌を作って、油揚げを炙っただけ。 で、まぁ鳥鍋をつつきながら大いに飲んだ(私は途中で寝てしまったが)後、1時頃だったか?解散して、仙台の人々はそれぞれの家へ帰り、よそ者のわたしとひたひたはそのまま泊まった。


2000-12-29 [長年日記]

_ 漸く仕事納め

3時に仕事が終わってさぁ帰れるかと思ったらなにやら納会なる物が始まってしまい、酒なんざ飲みたかぁ無いんだけど役付きの人間がやってきて次から次へと注がれる。 迷惑な話だ。
なんだかんだで40分拘束。
なんとか逃げ出して中野へ。 支払いを済ませて、修理屋から帰ってきたカメラを受け取って一先ず帰宅。
掲示板を巡って暇乞いをしたり、メールを書いたりしているうちに時間が経ってしまい、碌に支度もせぬまま家を出た。
紆余曲折あって、八戸へ移動するイナダ氏の車にひたひたと共に便乗。 いつものように東武佐野線の田島で拾ってもらってちんたら北上。 白石で車中泊。


2000-12-17 [長年日記]

_ 五時半に

おきて一番電車に乗り、ひたすら寝ながら東京へ。

昼過ぎに家に着いて、着替えて一息ついてから横浜へ。 みなとみらいのデオデオと言う電気屋に池田早矢加嬢のライブイベントを見に行く。

一時半・三時半・五時半の三回まわしだったのだけれど、流石に一時半の回には間に合わず三時過ぎに漸く会場に到着。 見知った客は既に揃っており、私も早速カメラの準備を。

大体の人はデジカメを持っているのだけれどそのデジカメもD−1やらサイバーショットやらの高級機がずらり、そして望遠ズームをつけたAF一眼レフもずらり。 さらには、どう見てもカタギの持ち物ではない巨大ビデオカメラを構えた怪しい人が二人。 私はと言えば、なにやら怪しいカメラを4台とっかえひっかえ(笑)。

_ この日は

フジカST605→オートタクマー35mm/f2.3 ツァイス・オプトンのテッサー50mm/f2.8 KMZのジュピター9 85mm/f2 ペトリ135mm/f2.8

ペトリFA−1→コムラー24mm/f3.5

ライカD−III→ズマール50mm/f2

プラウベル・ロールOP アンチコマー75mm/f2.8(セミ判のスプリングカメラ)

_ 三時半の回は

丁度日が翳り始める頃合で、刻一刻と露出が変化して往生したのだけれど、5時の回はスポットが何灯か焚かれていてまぁなんとかなりました。 三時半の回は3m、5時の回は2.5mくらいの距離を取り、絞り値で極端に描写の異なるレンズを揃えて来たのでなるべく開けたコマと絞ったコマと両方押さえるように心がけた。 で一眼は絞りを開けてピントを浅くして冒険し、ライカとブラウベルは多少絞ってピントを深くしてピントの厳密さよりしぐさ等のタイミングを重視してまわしてみた。 フィルムはモノクロのみ、感度はASA400。 
 で、肝心のイベントです。 正直なところ蜜柑箱に毛の生えたような小さなステージなのですが、その前には異様な道具立ての怪しい客が陣取り、その物々しさを訝しんだ買い物客が外側を取り囲みます。
 未だそんなに知名度のある娘ではないので、普通の人は「なぁんだ、知らないや」と通り過ぎてしまったりする物なのですが、現物がかわいくて衣装も凝っているためか足を止める人が意外に多い。
 そして歌が始まるとあまりの事に客が増えていきます。 150cmそこそこの小さな女の子が歌い始めた途端に物凄い存在感で周囲を文字通り制圧します。 通りすがりの人も逃げられません。 ところどころ歌詞を飛ばしたりしつつ(しかし動じることなく)クリスマスメドレーをひとしきりやった後、司会のお姉さんと近況などを喋って、オリジナル曲の「朱いメロディー」ってので〆めるんですが、流石に自分の持ち歌の歌いこなしは大した物でして、貧相な舞台も怪しい客も知名度の無さも全て吹っ飛ばして客を捕まえてしまう様には正直愕きました。
 大体こう言うイベント物の撮影では客とか会場の雰囲気とかも含めて、雑感を押さえるような撮り方をする事が多いのですが、こうなるとこちらもステージに集中せざるを得ません。 「可愛いだけではない何かを如何に写すか」とか自分には些か荷の勝った事を考えながら、珍しく実に一生懸命写真を撮りました。
 確かに蜜柑箱に毛の生えたような貧相な舞台ではあったのだけれど、オケとか衣装とか詰められる部分はきちんと詰められていて、現場でもスタッフの人々から細かい気配りがなされていました。 だから本人も頑張って仕事が出来るとは思うのだけれど、撮影の時に同じ表情しか出来なくてカメラマンにドヤされてピーピー泣いて仕事を流しちゃうような同い年のバカタレントの話を聞いたすぐ後だったので、池田嬢のえらさが殊更身にしみました。
 物凄い物を見てしまったってのと、まだまだ色んな引出しがあるんじゃないかってのと、気分としては半々だったりはするのだけれど。 素晴らしいステージであった事だけは間違いなく、ペシミストでニヒリストな私ではありますが、また暫く生きてみようとホントに思いました。
 ちなみにこの人、現在公開中の映画「バトルロワイアル」に主役の前田亜季の親友役で出てます。 そちらもチェックしてみてください。

参考

池田早矢加公式ホームページ
公式サイトです。

internet bubu
さやかちゃん
ルカさんによる。
公式サイトより詳しいファンサイトです(笑)

ごくらくwebネットワークホームページ
池田早矢加ちゃん応援ページ
ひろろん長官による。
既に画像付きレポートがアップロードされています。

ハイパープレイステーションのGIRLS ON THE WEB
近況と沢山の写真、そして動画があります。

蛇足(笑)
私の撮った池田早矢加嬢の写真 1 2 

2000-12-16 [長年日記]

_ 朝起きて

市内のG軒で朝飯。 ワンタンメンと餃子。 観光客が押し寄せる前のひまな時間だったのでちゃんと作っていて久しぶりにちゃんとしたのを喰った。 ちゃんと作っているときは流石に旨い。
ここは只のラーメンとワンタンメンでは微妙にスープが違うのだけれど、私はワンタンメンの方が好きだ。
そのあと軒の傾いだ和菓子屋で一個10円の饅頭を30ケと一個75円のきんつば゜(いはゆる「大判焼」)を5ケ購入して渋茶をすすりながらパクつきつつテレビゲームやらバカ話やら。 この10円の饅頭ってのがなかなかどうして侮れない代物で、親指と人差し指で○を作ったくらいの小さな物なのだけれど、本当に採算が取れてるのか怪しいくらいちゃんと作っていてとても旨い。
白饅頭のほうは小豆の漉し餡。 この漉し餡がちゃんと豆くさいあんこを使っていて旨い。 茶饅頭の方は、一寸しょっぱくて醤油臭い皮の中に白の漉し餡。 きんつばは弛めのつぶ餡でこれはこれで旨い。 他にもいろいろ売っていたけれどどれも大概100円以下であった。 恐るべし。
うめえうめえ言い乍ら喰っていたらおばさんが茶など点ててくれた。 煎茶には茶饅頭、抹茶には白饅頭が遭うに感じた。
晩飯はしゃけの焼きおにぎりとあぶらげの焼いたのと寄せ鍋。 またこのあぶらげが肉厚で旨い。 五枚くらいぺろっと食べたらおばさんが「東京には油揚げも無いのか?」と呆れていた。 東京にも油揚げと名の付くものは有るが、まるで違う。 東京はこう言う基本的な食い物がどんどん不味くなって来ているような気がする。 蕎麦然り、豆腐然り、ラーメン然り、饅頭然り。


2000-12-15 [長年日記]

_ 先日来の

風邪で左耳が聞えづらくてどうにも埒があかないので朝から耳鼻科へ。

なにやら野戦病院のような医者で、広い診察室に診察台が3台、医者も3人。 壁際には吸入器がずらりと並び、患者が次から次へと捌かれてゆく。

私の番になり、何がどうしてどうなったのか碌に聞かれぬうちに聴覚検査室へ。 終わったらその結果を見せつつ早口で説明して、鼻から棒を突っ込んでグリグリ。管を突っ込んでブシュッと薬をぶち込んでおしまい。 直接治療しないとどうにもならないから出来るだけ何度も来てくれ・・・とのこと。 無理だ。

_ 一旦

家に帰って身支度をしてから喜多方へ。 12:05発の東北本線で宇都宮→黒磯→郡山→喜多方。 喜多方着17:40。 田中ん家へ行って蕎麦と大根おろし、長薯、等々を肴に一杯やりつつ写真の話など。 先日の写真展に出したヤツを額からひっへがして持っていったのだけれど、現像の後処理とか焼きの甘さとかを突っ込まれたりした。


2000-11-14 [長年日記]

_ 諸般の事情有り々々で

おおっぴらに告知出来なかったのだけれど、神宮前のギャラリーで知り合いと合同で写真展をやっていた。
この日は会期中最後の日曜日で、私も午后から会場に詰めて、控え室で飲んだりクダを巻いたりしていた。 一の蔵の本醸造が七分目まで残っていたのでそこらにあった菓子を魚に引っ掛けてみたものの、どうにも味気ないのでつまみを調達しに出かけてみた。 会場最寄の酒屋は場所柄からか侮れぬ品揃えで凝った乾き物を並べており、とりあへず舶来のクラッカーを買うことにしてから上に乗せるものを物色。 チーズは無かったので缶詰5種から選ぶ事に。
レバーパテ、フォアグラパテ、サーモンパテ、アンチョビ、オイルサーディンが有ったのだけれど、塩辛を舐めたい気分だったのでアンチョビにしてみた。 無印にも行ってみたのだけれど、茶請けは有ってもつまみになりそうなものは無かった。
別のところに買い物に出かけたカメラマンのホソヤさんがチーズを買ってきてくれたので、それらをクラッカーに乗せて再び飲んだり喰ったり飲んだり。 会場を閉める頃合にはすっかり出来上がってしまった私は、そのまま高円寺へ移動して引き続きひたひた及びカッバくんと竜屋長兵衛で呑み。
親の意見はさっぱり効いてこないのだけれど、乾き物で飲んだ冷酒はあとからテキメンに効いてきて、碌に飲み食いしないうちにどうにもヤバイ状態になってしまったので中座する羽目になった。
電車に乗ったまでは良かったが四ツ谷あたりで臨界に近くなってしまい憚りへ。 個室に30分くらい篭城してすこし醒ましてから再び電車に揺られて帰宅。 なんとか朝まで吐かずに持たせることには成功したが、牡蠣のクリームコロッケを食いそびれたのは返す返すも残念であった。


2000-10-29 [長年日記]

_ あり得るべからざる事が

起きた。 日暮里駅常磐線ホームの立ち喰いが日本食堂系のへ「あじさい」に変わっていた。

中を覗いてみルと働いているおばちゃんは昔通り。 丁度も昔通り。 適度にいい加減でぶっきらぼうな接客も昔通り。 ただ味だけが変わっていた。

また一つ旨い立ち喰いが消えて、金太郎飴みたいな何処で喰っても同じ味の詰まらん店に変わってしまった。

店の中で何も仕込まない立ち喰いなんて極めて不誠実な商いだと思うのだけれど、これも時代の流れなのだろう。


2000-10-25 [長年日記]

_ 給料

は出たが自棄に少ない。 また少なく計算されているよう気がして来て、段々馬鹿馬鹿しくなって来た。

口入れ屋がどうも信用出来ないってのを毎月書いている様な気がする・・・って言うか書いてますね。

金を下ろした其の足で中野の店に移動。 入金した後にいろいろ見ていたら巻き上げレバーのラチェットの噛み合わせが90°ずれていると思われる2回巻き仕様のペトリV2か転がっていていじくっていたら¥1000-で良いと言うので迷わず購入。 直せば簡単に治りそうなのだけれど面白いので当分このま使おうと思っている。

本家M3との一番の違いは矢鱈と巻き上げが硬くてレバーが尖っているので親指の腹がべら棒に痛いことだ。


2000-10-07 [長年日記]

_ 昼から

起き出して「いずみちゃんナイト7」へ。


2000-10-01 [長年日記]

_ 最近

なんだか夢見が悪い・・・って言うかどうにもおかしい。

夜、寝ている間にある人が私にメールを送信した様な情景が見ている夢と関係無く浮かんで、気持ちが悪いので翌朝チェックしてみると本当にその時間に着信していたり、昼寝中に時計が見えて秒針がカチカチ動いてちょうど1時になった瞬間に1時のサイレンが鳴ったり。 慣れて入るのだけれど激しいので困る。

体と意識が別々に眠ったりするのも厄介な物でなかなかシンクロしてくれない。 


2000-09-28 [長年日記]

_ スキャナを買った

透過原稿ユニット込みで¥16800-。 使い方が良く判らないのだけれどまぁなんとかなるでしょう。 しかしプリントから取り込んだ物とネガから取り込んだ物で色が極端に違うのには閉口。


2000-09-26 [長年日記]

_ 休みをとって

撮影三昧・・・の筈が飛んだポカをやらかして只々散歩をしただけで終わった。

ローライコードI型、ライカD-III、ペトリFT1000を持って出掛けて、ペトリの露出計を使おうと思ったら付けていたツァイス・イエナのレンズの絞り羽根が開きっぱなしで露出計の用をなさない。 おかげで3台のカメラはただの荷物と化し、歩き回るのも馬鹿らしくなったので地下鉄の相互乗り入れで切り捨てられた東急目蒲線のしっぽの部分に乗りに行った。

目黒から多摩川までは只の近郊私鉄に成り下がってしまったが、多摩川から蒲田迄は昔通りと迄は行かないがそれなりの味は残っていた。

そんなこんなで蒲田に着き、駅前のカメラ屋のCD販売価格をチェックしてほくそ笑んだ後荻窪でレンズの不具合を見てもらおう・・と思ったら、何時の間にか治っていた。

自然に壊れて自然に治る。 共産圏のカメラらしいオチの付いた一日だった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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