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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-04-10 [長年日記]

_ 昼までに

学校へ行かねばならないと言っていたかみやんは何個もかけた目覚まし時計をことごとく無視して昼まで寝続けた。 ・・・と言うとかなり自堕落な人間であるかの様だが原因は私が持って行った酒にある。
 Less than 30days old.
 と誇らし気にラベルに書かれたそのコーンウイスキーは、無色透明なのにコーンと言うよりは何故かコーンスターチの様な粉っぽい味がして、けして不味くはないのだけれどとりたてて美味しくはなく、しかも後を引くという厄介な代物で。 加えて抜けが悪いと言う録でもなさ(笑)
 昼過ぎにようやく起き出した我々はとりあへずかみやんの車で街の中に降ろしてもらい、その後日本一売る気のないカメラ屋「よっちゃん」へ。
 一緒に居た飛良泉先生はさぞ呆れていたと思うが、私とオヤジは売るとか売らないとか、これは幾らかとか、そう言う世俗的な話は全くせず、始めから終わりまでレアもの・ダメなもの談義に明け暮れて、何も買わずに店を出た。
 北京餃子で昼飯を喰って駅まで歩く道すがら六条とはち合わせ。

「なんでこんな所にいるんですか!!!!」

って大きなお世話だ(笑)
 駅で北上する飛良泉先生と別れて、私は延々上野まで寝続けた。

2000-04-09 [長年日記]

_ 折角

指定を取って乗り継ぎを気にせずに東京まで寝られると思ったのにそうは問屋が卸さず、指定を取らずに確信犯的に乗り込んで来たアニヲタくんたちがうるさくて朝まで碌に寝られなかった。

_ 一旦

家に帰ってひとっ風呂浴びてから上野へ。 つまみと酒を買い込んでから飛良泉先生と待ち合わせて仙台へ。
飲んだくれつつ十一時前にようやく仙台についた我々はかみやん宅へ。 面子はわたし、かみやん、ひたひた、お散歩子猫、飛良泉先生。 六条は何だか良く判らない理由で途中で帰った。
こういう集めようにもこうまで腐った面子が揃わない様な飲み会は、文字どおり掃きだめの様なかみやん宅で三時過ぎまで続いた。


2000-04-08 [長年日記]

_ またもや

十時半過ぎに起きだして近所を散歩。
だらだら歩いては写真を撮り、お好み焼きを喰い、コーヒーを飲み、タコ焼きを喰い、コーヒーを飲み、そのあまりの不味さに別の店でコーヒーを飲み直し、そろそろ東京へ戻らなければならない不快感から自棄になってタコ焼きと焼そばを喰い溜めした。
そうこうしているうちに夕方になり、いろいろと世の不条理を感じつつも大阪駅へ。
近鉄で名古屋まで出てしまえば安くついたのにそれに気がついた時には時間切れ。 私の旅なんざいつもこんな物だ。


2000-04-07 [長年日記]

_ 十時半頃

起き出してあみだくじで行き先を決めたら奈良になったのだけれど、何故か琵琶湖方面へ。
京阪で京都へ出て中古カメラ屋を冷やかした後、蕎麦屋で昼飯。
地下鉄に乗っていると何時の間にか路面電車になってしまう京津線から石山坂本線に乗り換えて終点の石山寺へ。
下って行くと淀川になってしまうとは思えない底の見える瀬田川、薪で沸かす風呂屋、幅1メートルの踏切、ハンドパワーで脳味噌をいじると言う整体屋。 京都とも大阪とも違うのんびりしたうらぶれ方が良かった。
石山駅前でパンを買い、浜大津まで戻って、湖を見ながらぼーっとした。
陽も暮れて来たので再び怪しい電車に揺られて大阪へ。 翌日のムーンライトながらの切符を押さえられてので、浮かれ気分で酒とつまみを大量に買い込み、今日は早く帰れたバチコン旦那と三人で飲んだくれた。


2000-04-06 [長年日記]

_ 朝、

起きない。

十時半頃ぬらくら起き出してごそごそやっていると、バチコン旦那を仕事に送り出してから二度寝していたカボ妻が起きて来て散歩。

_ 淀川の

あたりを夕方迄断続的にぶらぶら。 大阪は棟割り長屋が矢鱈と多いのだけれど、東京のそれとは建て方がまるで違っていて面白い。 高くても二階家、多くは平屋なので、建て込んでいる割に空がひろびろとしていて気持ちが良かった。

もう一つ東京とは違うのは路地で育てられている草花・植木・盆栽に外来種の植物が多い事で、確かに綺麗では有るのだけれどなんとなく落ち着かなかった。

ちゃんとした紅茶を出すのに定食も充実した「塩鯖定食、しっぽの方」などと言う注文がまかり通るメルヘンな内装の喫茶店を出る頃には陽が傾きつつあり、東京で食べるそれとは全く次元の異なるタコ焼きを買って家路についた。

_ 晩飯に

謎のカレーを食べた後、巷で話題の鳥肌実なる芸人のビデオを見た・・・。
あまりのつまらなさとつめの甘さ、ニセモノ臭ふんぷんたる芸風に激怒。
貶す為にはちゃんと見なければならないので怒りのあまり一度消したビデオを最初から見直したのだけれど途中で何度消そうと思ったことか。
こんなのはクソだ。 こんなのが「毒のある笑い」なんだったら私が普段見ている物はなんなんだ?。
口直しに三上寛を聴いていたら殺伐とした気分になって来て、ビーチボーイズやらラヴィ・シャンカールやらをカボさんに聴かせてやる気を吸い取って遊んだ。
会社の付き合いでゴルフの打ちっぱなしに連れて行かれていたバチコン旦那が十一時過ぎにようやく御帰宅。
三時頃迄鳥肌実やら最近の大槻ケンヂやらそれらのファンの中に多く含まれるニセ不思議ちゃんのもたらす害悪について語り合って寝た。


2000-04-05 [長年日記]

_ 18きっぷの

余り券を個人売買で手に入れて、その足で大阪へ。

15:03発伊東行普通列車。 混んでいる。

その日のうちには名古屋辺り迄行ければ御の字だと思っていたら最終で大阪迄行ける事が判明。 新快速って物があるのをすっかり忘れて普通列車ばかり見ていたのがいけなかった。

_ で、

まぁ「今日は名古屋泊まりで翌朝大阪に着きます」って言ってしまっていたカボさんに電話をして詫びをいれて軒先きを借りる算段。

_ 豊橋で

接続に余裕が出来たので立ち喰いできしめんをすすりこむ。 てんぷらきしめん¥390-。 ただのきしめんじゃ物足りなかろうと思っててんぷらをのせてみたのだけれど、これは全くの蛇足だった。

小振りのどんぶりにゆがいた麺を盛り、その上にこれでもか!!と油揚の煮付けと青葱の刻んだのがほうり込まれ、その上にさらにかき揚げ。 思ったよりもしっかりした味付けでなかなか旨かった。

売店でビール2本と練り物。 「一口きんぴら」と「タコソフト」。 不味くはないのだけれど、練り物は少々甘過ぎるきらいがあってしかもグルタミン酸過多な上に揚げ油が良くないらしく、盛大に悪酔いして暫く雪隠詰め。

_ 23:39に

大阪着。 地下鉄の最終の乗ってカボ・バチコン邸へ。 夜中迄語って寝た。


2000-04-04 [長年日記]

_ 会社から

餞別に貰った図書券を消費するために錦糸町へ。
駅ビルの本屋の改装が終わっておらず、仕方なく入ったデパートの本屋には女子供むけの下らない本ばかり並んでいて厭な感じ。


2000-04-03 [長年日記]

_ 労災の

後始末で河田町の薬局へ。

書類の不備で出直しになり、その足で会社へ行ってなんかならなくもなかったのだけれど、なんだか馬鹿々々しくなって抜弁天からゴールデン街へと散歩。

西口しょんべん横丁の岐阜屋でタンメン。 不味くはないがただのラーメンを喰った方が良いようだ。

プリズムへ寄り内職仕事の手伝いをしつつくっ喋って帰宅。


2000-04-02 [長年日記]

_ 金がないので

カメラを持って自転車で向島界隈へ。
土手っ縁から桜橋を渡って今戸から南千住の再開発地区へ。
築堤工事は水神大橋の辺り迄すすんで来ているのに、土手沿いに並ぶ小屋はますます立派になっており、耕作も行われている。


2000-04-01 [長年日記]

_ 今日から

いよいよプ−太郎である。

何もする気にならず家でぼーっとしていた。

出掛けようにも旅にでようにも先立つものがない。


2000-03-31 [長年日記]

_ 日がな一日

淡々と働き、機械を掃除してから私物を処分して終業。 これで本当にお仕舞い。
月曜日以降の予定がしっちゃかめっちゃかになりつつ合ったけど、もう知らない。
近所のお好み焼き屋で送別会。 ひとと話をする様な気分ではないので鉄板焼からお好み焼きからもんじゃにいたる迄延々焼いていた。
もう一軒行く様な雰囲気だったのだけれど、金もないし飲んで楽しい面子じゃないのでとっとと帰って来た。

これで私の会社員稼業もひとまずお仕舞いである。

2000-03-30 [長年日記]

_ 昼休みに

会社のボロチャリをすっ飛ばして飯田橋へ。 椎名林檎の新譜を購入。

飯田橋迄は山一つ越える感じ(これは誇張では無くて、神楽坂上には戦国時代の山城の跡がある)なのだけれど、気合いで往復で約20分。

_ 弁当を

喰った後、おとつい発狂したCDプレーヤーのほこりを払い、接点を削って磨き恐る恐る電源を入れてみた。 なんとか動いたので買ったCDを昼休み中聴いていた。

好き嫌いはかなり有ろうかと思うが耳に心地良いよく出来たアルバムだと思う。 1曲1曲が有機的に繋がっていて通して聴くと一時間近く気持ち良く過ごせる。

音がかなり厚く作ってあるので低音強調とかの機能は切って普通に聴くと丁度良いと思う。

買って損は無い。


2000-03-29 [長年日記]

_ 病院へ

行って来た。 労災が効くのは今月一杯なのでこれで最後。

午后から出社。 定時に帰ろうとしていたら突然残業、八時に退社。


2000-03-27 [長年日記]

_

寒さで目が覚めたら6:47。 カメラとレンズは

α-7000
フジカST605
ライカD-III

スーパータクマ−35mm/f2.3
ズマール50mm/f2
EBCフジノン55mm/f1.8
ペトリ55mm/f1.8
ジュピター9 85mm/f2
ゼニット1R 100mm/f1.5

フィルムはフジの800が2本、コダックの800が1本、カラーの400とモノクロの400を押さえに持って行く事にした。

_ 残業を

うやむやにして会社から逃げ出して四ッ谷へ。 坂の上に取引先が有る為、物陰に身を潜めて開場を待った。

中はこぢんまりしていてゼニット1R 100mm/f1.5の最短撮影距離が5メートルなので敢えて4〜5列目あたりに陣取った。

始めのうちは取り易かったのだけれど途中から前の奴がちょこまかと席を移動するので往生した。

結局フィルム三本は撮り切れなかったがまぁ仕方が無い。 撮影したフィルムはその場で上納した。

_ 然し乍ら

ライブの仕切りは最悪に近かった。 「仕切るのは好きだど無能なヤツ」がやっていそうな感じで、某ハンズ(笑)の某(去年部屋を掃除したら名刺が出て来たので破いて捨てた)のツラを思い出した。

司会のお笑い芸人も出演者の名前と経歴、近況と今後の予定くらいは暗記しておいてしかるべきなのに、アンチョコどころかA4の進行表をめくりながらやっている。 全部覚えられなくても合間々々に覚えられる筈だし、その時はアンチョコを見れば良い。

_ それに輪をかけて

主催者がおたんこで、「巻け」とか「引っ張れ」とかは客席から見え難い所からさりげなく合図すれば良いのにわざわざ伝令を立てたり、てめぇでのこのこ出て来たり、なっちゃいねぇったらなかった。

私の目についたおたんこぶりは氷山の一角だったようで、内実はそれに輪をかけてひでぇもんだったらしい、難儀な事だ。

そんなおたんこなライブだったのだけれど、私が撮りに行った娘は悪条件にも扱いの悪さにもめげずかなり頑張っていた。

露出計をひねくったり、手でピントを合わせていたのは相変わらず私だけ。 悪条件にもめげずかなり頑張っていた(笑)

一枚でも二枚でも当たりが出ていれば良いのだけれど・・・。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

# Dwightsa [levitra original <a href=http://dstvmediasales.com/sitema..]


2000-03-26 [長年日記]

_ 浮き世のしがらみで

知り合い筋のもちつきへ。 肉体労働ではてんで役に立たないので周りのこまごまとした事を手伝った。 からみ餅用の大根おろしをこむすめ共がちんたらやっていて埒が明かないので大根を2本半くらい一気におろしたら後で右手がとんでもない事になって泡を喰った。

終了後荻窪へ。 プリズムで餅を配る。

新宿へまわってフィルムを買い、2眼レフを見てまわった。

_ 明日は

四ッ谷のライブハウスで撮影。 持って行くカメラとレンズを撰ぼうと思ったのだけれど、箱の大きさが判らないので諦めて寝た。


2000-03-20 [長年日記]

_ 気がついたら

東京駅、5:27。

とりあへず山手線を一周半、代々木で総武線に乗り換えて小岩迄ひたすら寝てから出勤。

この間見知らぬ人に2回起こされた、いびきがうるさかったようだ。

普段は横にならないと眠れないタチなのだけれど、今回は行きも帰りも延々寝ていた。

一日労働に勤しんで家に帰ったら親は呆れていた。


2000-03-19 [長年日記]

_ 4時半に

起きて、もう一度巡回してから荷造りをして仙台へ。

水戸迄はひたすら寝ていた。 水戸駅で朝食、てんぷらそば¥320-。 喰った後はまたひたすら寝ていわきへ。 いわきからはまたひたすら寝て原ノ町へ。 原ノ町からはまたひたすら寝て仙台へ。 1時40分着

_ そのまま

ウィークリーマンションへ直行し、荷物を置いてわたりょ、六条とダイエーへ買い出し。

前回利用した十字屋にくらべると当たり前の物しか置いていなくて一寸がっかり。

ひと休みしてから仕込みに入った。 

_ 当日作ったものは

以下の通り。

餃子
コンビーフとチーズのラビオリ
ミラノ風(笑)ポークカツレツ
牛キムチ炒め
牛トマトキュウリ炒め
雪菜と油揚げの煮びたし
餃子のあまり具のオムレツ
うな玉煮
肉野菜炒め

 まだ何か作った様な気もしますが覚えていません。
 先ずは餃子の具から。
 白菜1/4の硬い所と柔らかい所を切り分けて、硬い所のみをみじん切りにし、塩をして揉み、水気を切っておく。
 ニラ1/2わもみじん切りにする。
 これらと豚ひき肉(中パック)を手で揉み込むように良くまぜる。
 鶏ガラスープをお湯で溶いたもの茶わん半分くらいと五香粉とごま油適量を入れて更にまぜる。
 暫く冷蔵庫で寝かせる。

 寝かせている間に牛肉とキムチと白菜の柔らかい所を炒めた。

 コンビーフ一缶を器に空けてほぐし、5ミリ角くらいにちぎったチーズを混ぜておく。

 油揚げは一口大に切り、空炒りしてかるく焦げ目をつける。
 スープを注ぎ塩で味を整えたらいったん油揚げを引き上げておく。
 雪菜(小松菜、山東菜でも良い)は一口大に切り、煮汁に入れて軽く火を通す。
 油揚げを鍋に戻して味を整える。

 餃子の具とラビオリの具を餃子の皮に包んておく(人数が揃ってから焼く)

 パン粉にバジル・オレガノなどのハーブ(今回は無印良品の「イタリアンハーブミックス」を使用)とすり下ろしたパルミジャーノチーズを混ぜておく。
 豚ロースに塩・胡椒をしておく。
 フライパンにオリーブ油を多め(肉が半分つかるくらい)に入れて熱する。
 肉に小麦粉、卵、パン粉の順で付けて、フライパンへ。
 表面がきつね色になって来たら裏返して弱火で火を通す。
 箸で押してみて弾力が出て来たらだいたい火が通っている。
本当はチーズやら生ハムやらを挟むのだけれど、さすがにそこ迄はしなかった。

 余った餃子の具をフライパンで炒め、卵を三つ割り入れてオムレツを作った。
 フライパンを左手で保持しつつ向こう側へ倒し右手でフライパンの柄をとんとんと。
 向こう側に寄ったらひっくり返して出来上がり。

 餃子はフライパンを熱したら八つくらい(少なめに)並べて暫く焼いたら茶わん半分くらいの水を差してふたをして弱火に。 2〜3分立ったら水を捨て余計な水分を飛ばして出来上がり。

 当日気合いを入れて作ったのはこれくらい。
 作っている合間々々に飲み食いをして、毒づきクダを巻いて、十時半に退散。
 夜行バスに揺られて帰った。

2000-03-18 [長年日記]

_ 仕事帰りに

新宿へ。 先ず、模索舎で頼まれ物を含めて本を4冊購入。

「戦後の先行者たち」埴谷雄高、影書房
「ぼくは本屋のおやじさん」早川義夫、晶文社
「大杉栄」(For Beginersシリーズ)文・竹中労、絵・貝原浩、現代書館
「無政府主義者は答える」岩佐作太郎、黒色戦線社

 西口に出てM42マウントのテレコンバーターを探す。 ドイにもマップカメラにも良いものが無く、結局泥棒市場で購入。
 疲れたのでとっとと寝ようと思ったのだけれど「大杉栄〜」が思いの他読みごたえの有る本で、読了して時計を見たら11時30分。 メールチェックしで巡回して4時半まで仮眠。


2000-03-12 [長年日記]

_ 例に因って

例のごとく昼過ぎから浅草方面へ。

バスの接続が悪く、業平橋のうらぶれた商店街を歩きつつ写真を2〜3枚。 浅草には寄らず、次のバス停から直で日暮里へ。

_ また

例のごとく谷中銀座の「ハッピー」で餃子と御飯、400円、旨い。 そのあといつもと違う角を曲がって、いつもと違う路地をうろうろ、三崎町から初音町、根津片町から池之端、さらに広小路へ。 戦争で焼けていない町は路地も狭く、歩いていて落ち着く。

_ バスに乗って

寝たまま高田の馬場へ。 駅の手前、二丁目で降りて駅迄歩いてみたら一度見たっきりどこで見たのか忘れていた古汚く傾いた喫茶店「ランブル」を発見。 駅前では「ファンタさわやかりんご」を発見、林檎味のファンタを飲むのは何年ぶりだろう。

_ そのあとは

またまた例のごとく荻窪に寄って馬鹿話しをして帰って来た。


2000-03-11 [長年日記]

_ 仕事が

早仕舞いになったので都バスの一日乗車券を買ってぶらぶらする事にした。

先ずは矢来町から細工町、納戸町へ。 納戸町の和菓子屋で母親の誕生祝いを購入。 どら焼き(インドラ、カボチャ、カスタード)三つづつ、桜餅三つ、何やら新製品三つ。 帰ってから喰ってみたらこの新製品が矢鱈旨かった。 あんこと苺をパイ皮で包んで焼いたもの。

_ 四ッ谷の

モールに寄ってみたら宮下マキ写真展「寝食共存」をやっていたためか店内には写真好きの若者風の客がわらわらいた。 二階のギャラリーに行ってみたらさらにごちゃごちゃしていて写真そのものも私の大嫌いな種類の如何にもイマドキな厚かましく生々しい写真で見るに堪えないのでとっとと退散して我楽多屋へ。 ヤシカDS50mm/f1.9が2000円で出ていたのだけれど、絞り羽根がねばっていてしかもリアキャップが取れない代物だったので止めておいた。 博打を打てる経済状況でも無いし。

_ 千駄ヶ谷の

ホープ軒で「もやしそば」750円。 ラジオからは蹴鞠の中継。 道路向いの国立競技場でもやっている筈なのに思いのほか静かだった。

銀座へ移動してカメラ屋を冷やかしたあと、前から気になっていた「改造社書店」を覗いてみた。

名前からそのスジの本を期待していたのに何の事は無い普通の本屋でがっかりした。


2000-03-09 [長年日記]

_ 入っている

・・・と言うか入れてもらっているメーリングリストのオフ会へ。

会場である「ミュンヘン」は酒も食い物も旨かったので、普段ならその辺を書くのだけれど今回はそんなのはどーでもいい。 出て来たカメラが凄すぎた。

_ その時

聞いた笑い話、◯サカメに載っていたらしい。

Q、読者「◯ーライのレンズはト◯ナーが造っていると言うのは本当ですか?」

A、◯キナー広報「ロー◯イ社との契約上お答えできません。」

_ それはさておき

カメラの話。
先ずはコシナのフォクトレンダー・ベッサRと安原一式。 同じシャシーから作ったとは思えないあまりの違いに泣く。
ベッサRのファインダーはさすがの造りで二重像も見易い。 軽いし使い易い。 手にも馴染む。
安原のファインダ−はアイポイントがあからさまにずれていて普通に覗くと露出計がぼやけてちゃんと見えない。 しかもシャッターを切る度にセルフタイマーのレバーがひょこひょこ動く。
シャッターを押そうとするとシャッターダイヤルに指が引っ掛かって非常に押し難い。
ダイキャストの仕上げも木型そのままで、良いとか悪いとかしゃなくて酷い。 うちにも仕上げの酷いカメラは何台も有るけれど、ロシア人が酒飲みながら作ったような奴でもここ迄凄いのは無い。 ペトリが占領中に作っていたスプリングカメラ「カロロン」のダイキャストも丁度こんな感じなのだけれど、カロロンの方がデザインに於いて上なのでまったくもって「なんだかなぁ」である。
質感は

 フェド・ゾルキー>安原>上海

・・・といった感じなのでフェド・ゾルキーが一万円台から、上海も二万円台で買える事を考えると、いくら露出計がついていると言ってもコレで五万ナンボは高い。

_ 口直しに

キャノレックスT90、キャノンのT90にコンタレックス用のべローズからマウントを移植したもの。 レンズの脱着に少しお作法が要るものの操作は簡便で使い易い。

レックス用レンズをとりあへず使ってみたい人にはお薦め。 但し自分で作らなければなりません。

_ で、

ついに触ってしまったのがコンタレックスSE・・・。

ディスタゴン35mm/f4とSプラナー50mm/f4を付けて覗いてみる。

Sプラナー50mm/f4は最遠撮影距離が60センチと言う難物で、凄いには凄いんだけどマクロ屋で無い私にはピンと来なかった。

しかしまぁ何とも驚いたのがディスタゴン35mm/f4。 これは凄かった。

ヘリコイドを回してピントを合わせて行くと、空気中に分散していた分子が寄り集まって像を作って行くような感じで完全に合うと像がピッと立ち上がり、逆にピントを外して行くと像はふわぁーっと分解して行く。

35mm/f4などと言う暗いレンズなのに薄暗い店内でも楽にピントが合うし、結構マクロ寄りの造りなのに普通に使っても違和感が無く、ヘリコイドの「ぬる感」も非常に心地よくて、いつまでも手の中で弄んでいたいくらいだった。

ボディのコンタレックスSEも素晴らしかった。

今迄は聞きっ齧りの半可通で「人間工学を無視した傲慢な作りで、でかくて重くておまけに使い難い」と勝手に思い込んでいたのだけれど、これは少なくともSEに関しては間違いだった。

ファインダーは明るくて見え味もスコブル良く、露出計も正確で且つ合わせ易い。

これは右手の人指し指で絞りを、親指でシャッタースピードを替えられる様にダイヤルが配置されている為で、左手はピントに集中出来る。 私が慣れ親しんで来た右手がシャッターに集中出来るオリンパスと逆の発想なのだけれど、右利きの場合どちらが楽か考えると流石はツァイスでした。

大きくて重いのは確かなんだけれど、その重みにも意味はあって手ブレがかなり押さえられるようだ。 1/8秒迄なら確実に止められると思う。

なんともマズイ物に触ってしまった。 コレ一台あれば後は何にも要らないかもしれない・・・。

_ あ、

ペトリは別です。


2000-03-08 [長年日記]

_ そろそろ

自分の所も何かしないと不味い。 とりあへず食い物関係の記事を追加。

「食べ物に関する部屋」に「謎の店」バーガーランドを、「東京で食べる関西風のうどん」に新宿東口かのやをそれぞれ追加。


2000-03-06 [長年日記]

_ 仕事帰りに

新宿へ。 馬券売り場の近くの立ち喰い「かのや」でたぬきうどん。

ここは饂飩は手打ちだしつゆも混ぜ物なしなのでさっぱり旨い。

とりあへず腹をふさいだあと、御苑前のミニコミ書店「模索舎」へ。

ここは市場に流通し難い雑誌・書籍を数多く取り揃えていてチラシから分厚い本までそれこそ数限り無くおもしろそうな活字が並んでいる。

「ユリイカ 1993.9月号 特集:宮武外骨」青土社

「悪戯」大杉栄、黒色戦線社(大正10年のアルス版の復刻)

を購入、大当たり。

抱え込んでいたもめごとも漸く目鼻がついた。


2000-03-05 [長年日記]

_ 朝から

出かけようと思いつつも動き出したのは昼過ぎ。 とりあへず浅草へ。

観音様に挨拶をしてから境内でひとしきり撮影。 神谷バーにしけこんで煮込みと電気ブラン。 七百余円、端数は忘れた。

_ 松屋前から

バスで日暮里へ。 駅前の坂を上って下って谷中銀座商店街に入ってすぐ左側の中華惣菜屋「ハッピー」の食堂で餃子(¥250-)、麻婆豆腐(¥380-)、ビール(¥450-)安い(笑)。

居合わせた神田うまれの小父さんと何故か空襲と疎開の話(苦笑)、と食い物の話をしながら喰い且つ飲んだ。

_ 店を出て

谷中、上野桜木と抜けて芸大界隈へ。 何やら物々しいと思ったら芸大の試験の日だった。

上野公園の中は、愛も変わらずの人口爆発が続いている。 ブルーシート掛けの小屋に混じって本式のテントをぶっ建てている人がいて、外を見ながら蜜柑箱の机で何やらものを書いていた。 こういうのなら良いな・・・と思った。

桜の気の早いものは蕾がほころび始めており、いよいよ春らしくなってきた。 桜並木を抜けて公園山下に出るとヨドバシの前に何やら列が出来ている。近くに言ってみるとプレステ2だった。 御苦労な事だ、売る方も買う方も。

_ 御徒町から

国鉄で荻窪へ。 暫くとぐろを巻いた後、上野駅のパンダででわたりょと落ち合って一杯。


2000-03-04 [長年日記]

_ 土曜・日曜と

連休になったので遠出をしようと思っていたのだけれど金も無いので止めにした。

夕方迄家でぐだぐだしていたのだけれど、神田に本を買いに行く事にした。

三省堂にて

「ドグラ・マグラ」夢野久作、現代教養文庫

「日本共産党の研究(1)(2)(3)」立花隆、講談社文庫

「陰陽師」岡野令子・夢枕獏、白泉社

を購入。 そのあと新宿に移動してヨドバシでフィルムを購入。

_ 岐阜屋に

寄って肉野菜炒め、餃子、煮込み、ピータン、ビール2本、で、二千四百余円。 端数は忘れた。


2000-03-03 [長年日記]

_ 先輩の

結婚式の写真が漸く上がって来た。

おもったよりは何とかなっていたようで、まぁよかった。

_ 荻窪に寄ると

また変な物が入っていた。 ペンタレックスK-1000〈笑〉チリ製らしい。
 ぱっと見はペンタックスのK-1000にそっくりなのだけれど、細部の仕上げはさすがにラテンで、プラスチックにバリは有るわ、貼り革は曲がってるわ、塗装ははみ出てるわ・・・〈笑〉
 笑ったのはペンタ部のおでこのところ〈メーカー名が入る所〉のダイキャストの型をちょこっとだけいじったらしく、ペンタレックスと書いてある部分だけメッキの色が違っていた。
 もう一台はゼニットのハーフサイズ一眼レフ〈但し、大きさはフルサイズ〈笑〉〉。 ファインダーは真四角(笑)、電子式シャッターなのにマニュアル、しかも露出計もない(苦笑)。


2000-03-02 [長年日記]

_ 今月末で

とりあへず退職する事だけは決まっているのだけれど、その先は何も決まっていない。

将来の夢なんざありゃしないし、この先世の中が良くなるとも、良くできるとも、良くしようとも思わないし・・・。

隠居くらいか、この先したい事は。


2000-03-01 [長年日記]

_ 先月・先々月と

色々あった為、ここのところ絶望的に金が無い。 昼飯はフランスパン1本と野菜ジュースのみ。

帰りも家に直行。

今週末には給料が出るので、それ迄の辛抱。


2000-02-28 [長年日記]

_ こうして

通勤するのもあと一月余

今日は仕事帰りに飯田橋迄歩きつつ、馴染みの立ち喰いを廻る事にした。

_ 先ずは

赤城神社門前の追分そばへ。
 ここは最近増えて来た自家製麺茹でたてを出す店の草分けである小諸そばの系列店。

オフィス街に多く広い店が多い小諸そばに比べて追分そばは辺鄙な所に多く店も狭いが、その分のんびり食べられる。 かけそば¥210-。

きざみ葱は自分で好きなだけ入れられるし小梅も食べ放題。まぁがりがりぼりぼり食べている馬鹿はいないが。

麺は細麺、つゆはこれに合わせて甘味の少ないさっぱりした物。 この店だけのサービスなのかも知れないか柚子がひと欠け乗っていて仕舞いまでさっぱりいただける。 無愛想な店だけれど仕事は細かく丁寧だ。

_ 店を出て

神楽坂上交差点へ。 旨いが何時も好いている餃子とラーメンの店かどやが休みだった。 潰れていなければ良いのだが・・・。

_ 交差点を

過ぎると神楽坂の商店街。 いつも通り賑わっているようないないような・・・。毘沙門天の前には花屋の露店。 寒そうだ。

ここでもう一軒、青山へ。

この店は昼時はどうだか知らないが、夕方行くと何時もがらんとていて他の客が居た記憶が無い。 かけそば¥230-。 たぬきにすると揚げ玉と菜っ葉と蒲鉾が入って¥330-。

麺は紀州屋製麺なるところから仕入れている茹で麺、つゆは醤油っ辛い甘口。

かけだと一寸甘いように感じるが、天ぷらをいれれば丁度良くなるだろう。 店内にはいつもラジオが大き目の音でかかっているか、NHKなのでさほど耳障りではない。 相撲の本場所中などは却って心地よいくらいだ。

こ綺麗なチェーン店よりもこういう店の方が私は好きだ。

_ 坂の下迄

おりると知らぬ間に不二家の改装が終わって、すっかり綺麗になっていた。

交差点を渡るとお壕にかかる橋の上ではギターとウッドベースとドラムの三人編成の辻楽隊がジャズをずんちゃかやっていて、其の横に立っていた法政の応援団の旗が大して風も無いのにやけに揺れていると思ったら旗持ちの若いのはにやけながらおねぇちゃんとくっ喋っていた。 いやはや応援団も柔らかくなったものだ。

_ 昨日

部屋を片付けていたら高校三年の時に国語表現と言う作文の授業の課題で書いた作文が出て来た。 ろくでもないので書き出してみる。

部活動〈スポーツ〉と学業は両立するか

 部活動と学業は両立するかについて、私の経験に基いて結論を言えば、両立は難しい。
 確かに、厳しい練習をしているにも関わらず良い成績を取る生徒も居る事は居る。 しかしそれらの生徒も大概授業中は眠っているし、中には弁当を喰っている者も居るのである。
 この事からも解る通り、彼等は授業よりも部活動を優先させているのだ。 それに他の多くの生徒の成績は芳しく無い。 部活動に入り、人並みの練習をこなしながら平均的レベルの勉強をすると言う事は、相当な努力をしない限り不可能である、・・・と言う事を彼等は身をもって教えてくれている。
 それは何故か、考えればすぐ解る。 部活動が厳しすぎるのだ。
 部活動と言う物は趣味の延長であると私は考えているが、一所懸命やっている・・・と言うよりも目を血走らせていると言った方が良い様な部が多い。 例を挙げれば野球部である。
 私から見れば、彼等は趣味で野球をやっていると言うより、仕事として野球をやっている様に見える。
 一年生は昼休みに校庭の整備をしなければならないので食事をする暇が無い。 いつ食事をするのかと言うと、授業中、あるいは十分間の休み時間に食事をする。
 また、部活動は五時で終了する筈だが、何故か八時頃迄やっている。
 食事をする暇も無く、八時頃迄練習らしき物をやっている・・・と言えば、殆どサラリーマンの世界である。 違うのは彼等のやっている事が仕事では無い所と、一杯呑んで帰る事が無い所位の物である。
 これでは学業と部活動の両立は限り無く不可能に近い。
 練習時間を守らせれば両立の可能性も無くは無い、まぁ彼等が容易に納得するとは思えないが。
 これで私が両立は難しいと言った意味がある程度は理解して頂けたと思う。
 部活動が趣味の範囲を越えている限り学業と部活動の両立は難しい、・・・と私は考えているのである。



 いやはや何とも爺臭い文章だ。 半可臭いし〈笑〉


2000-02-27 [長年日記]

_ 毎度の事ながら

暇は有っても金は無い。 昼過ぎからちゃりんこ転がして葛飾区内へ。

四ツ木から立石へ。 隅田川の東側〈つまり私が住んでいるあたり〉は「川向こう」なんて言って、西側と比べると一寸品下がったようなイメージが有るのだけれど、荒川放水路を越えるともうそこは郊外であって街の雰囲気は全然違う。

立石の駅前でひとしきり写真を撮ってから青砥へ。

なんてこんな所迄来たかと言うと、駅前に謎のハンバーガーショップ「バーガーランド」かあるからで、ここは商品も謎なら親爺はもっと謎。

エッグバーガーとポテトLで締めて380円、これで腹一杯になってしまうのだから恐ろしい。

_ 家に帰ってから

こんなものを作ってみた。


「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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