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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-05-19 [長年日記]

_ 夕方

浅草へ。

三社祭の初日を撮影。 機材はライカD−IIIにジュピター3 50mm/f1.5。 フィルムはネガカラー、フジの400。

露出計を家に忘れて来たのでヤマ勘露出。 やはり大抵の人はAF一眼レフを使っています。 確かにそうでないとピントは辛いですね。

_ その後

上野へ移動して某オフに参加。 マルイの前で待ち合わせて上野の昇龍という中華屋へ。

ここの餃子は巨大で一個が普通の店の三倍くらいある。 11人で行ったので席が分かれてしまったのだけれど、幸い小食なグループだったので餃子三枚、肉ニラ炒め、五目チャーハンで済んだ。 ひとり頭1275円。

店を出てからマクドナルドで暫く時間を潰した後、カラオケ屋でオールナイト。

十一時半に店に入ったのに1時半までくっちゃべりっぱなしで誰一人歌わないと言う訳の判らない珍しい経験をした。

歌が始まらないまま日付けが変わった。


2000-05-17 [長年日記]

_ 昨日の奴は

やはり不採用。 明日はまた職安だ(笑)。
 カボさんから新しい詩集が届いた。 紙に印刷されたものの確かさの様なものを忘れていた。
 スイッチを切っても、そこに、ブラウン管の外に厳然と存在するものからは、到底逃げられ得ない。
 ・・・なんだかとても凄いのでどうにも論評しにくいのだれど、私の文章には作為があり過ぎるなぁ、と、つくづく感じた。

 貶すのは得意ですが誉めるのは苦手です。 詳しい事はここへ行って見て下さい。


2000-05-16 [長年日記]

_ 雇用保険の

認定日なので職安へ行って手付きをした後職探し。
面接のアポが取れたので一旦帰宅してから背広を着て新大久保へ。 面接はあからさまな不首尾に終わり、中野・荻窪とカメラ屋の梯子をして憂さを晴して帰った。


2000-05-15 [長年日記]

_ 午前中

頼まれた撮影を済ませてからひたひたと待ち合わせて「20plus」へ。
モノクロの作品が少なかったのでひたひたには少々物足りなかったかも知れない。
一通り見た後は下でビールをかっ喰らい乍らダメなカメラ談義。
午前中は撮影だったので真っ当な機材しか持ち歩いていなかった筈なのだけれど、カメラバッグのなかを見たらやはり私のカメラは所詮私のカメラでしかなく、人様から見れば十分変なものであった様だ。
ひたひたは先に帰ったが私は打ち上げ迄いる事にしていたので、御見送りがてらとなりの写真洋書専門店「shelf」に入り棚を見ていたらアジェの写真集が有ったので思わず買ってしまった。
 ATGET PARIS なるその写真集は、A5判で厚さは5センチを優に越えて全787ページ。 お代も税込み¥7182-。 フランス語は何だか判らないのだけれど造本のセンスは流石であった。 パリの街が区ごとに地図になっているのだけれど、通りとか広場とかの名前の綴り文字のみで地図が描かれていたり、ページの上段に区の名前、下段に場所が書かれていたり・・・。 装丁も落ち着いて良い。
打ち上げでは注文の取りまとめやら店との交渉やら勘定の計算までやったのでちぃとも酔えなかったがその分冷静にひとびとの呑み様が観察出来て面白かった。 昔はいつもこうだったから飲み会レポートなんて物が書けたんだろうなぁと感慨に耽りつつ新宿へ移動してロイヤルホストで二次会。 終電を捕まえたら中で酔っ払い二人組に絡まれてさんざんだった。


2000-05-13 [長年日記]

_ 午后から

「20plus」へ。 二部の作品は会場設営の途中で見ただけだったので、じっくり見ようと思っていたのだけれど「近所でペトリのケースが100円で出ている」と言うので取るものもとりあへず店へ走り購入。

金を下ろし損ねたのでバス代が足りず帰りは雨の中駅から家迄歩いた。


2000-05-11 [長年日記]

_ 誕生日を迎えた

自分の為に少しばかり豪華な夕食にした。 刺身が喰いたかったがアボカドで我慢した。


2000-05-10 [長年日記]

_ バイトの不採用通知が来た。 とほほほ・・・。


2000-05-09 [長年日記]

_ 午后から

職安で手当ての説明。
パンフレットに書いてある事を説明してビデオを見せるだけ。 こういう時は寝る事にしている。
三時半過ぎに漸く解放されたので、昨日に引き続いて「20plus」へ。
今日は一部の最終日で、2部との写真の入れ替えも有るのでその手伝いも含めて見に言った。
二部の出品者にはプロも含まれており、作品の仕上げはさすが。 モデルさんが撮りにくい所為も有ってか写真そのものはおとなしめの物が多い。
会場設営には流石に気合いが入っていてわれわれ部外者が容喙する隙はなかったので、邪魔にならない様に下でビールを呑みつつ管を巻いていた。
八時前にはその日の設営を終えてロイヤルホストへ移動。 久しぶりに写真の話(カメラではなく〈笑〉)をした。
私がここでかいつまんで書き出してもその場にいなかった人にその面白さを伝える事はとても出来ないのだけれど、野暮を承知で書いてみると・・・、

 技術的な部分が如何に進歩しても、その人の撮る写真はそんなに変わらない。

 普段から物を形ではなく色で判別していると、写真も、モノクロの良さは認めつつもカラーで撮らないと落ち着かない。

 標準や広角を使う作風の人は声の小さい人が多い。 望遠で遠くから撮るタチの人は声が大きい。

 ・・・ってな感じ。
 で、写真を見るとどう言う人か大体判ると言うので私の自分でも何を撮りたかったのか判らない様な写真を見せた所、「これは良く判らないけど・・・。」と苦笑しつつも「あなたは物事を冷静に見ようとしているでしょう?」と言われた。
 うーむ。

2000-05-08 [長年日記]

_ 先日

長野へ行く途中に車で和田峠を越える際に「ここの旧道が曲がりくねってる上に細くて危ない」とか「碓氷峠の旧道も危ない」なんて話になったので

「でも日本で一番危ないのは人形峠でしょう」

 ・・・というオチをつけようと思ったら、なんだか判らなかった様ですべってしまった。 判りにくすぎたか・・・。
 で、五月八日。 午后三時半過ぎまで埼玉県内で野暮用。 その後都内へ移動して、青山でやっている「20plus」と言う写真展へ。
 これはわたしがよく行くカメラ店の一つである荻窪のプリズムの店主と客が二グループ・各10名づつに分かれて、同じ会場で会期を分けて行う写真展で、案内状には

「1人のモデルを10人のカメラマンが、それぞれの想いを込めて写した写真展です。 カメラマンの違いによるモデルの変貌を楽しんでいただけると思います。」

・・・と書いてある。
 5/5〜5/9迄が一部、5/10〜5/14迄が二部となっていて、この日は一部。  一部の方のモデルさんもプリズムの客なのだけれど、非常にノリの良い人で、撮影後に飯さえ喰わせておけばどんな格好をさせても、どんな撮り方をしてもけして文句を言わないし表情もくるくる変わって非常に面白い。
 アマチュアならではの恐いもの知らずがプラスに振れた、みていて非常に面白い写真展であった。
 難を言へば、モデルの強烈な個性に呑まれてしまっている嫌いが無くも無かった。 これはモデル本人によるセルフポートレートが余りにも凄かった所為も有るので仕方の無い事では有るし、私がそれ以上の物を仕上げる自信があるかと問われれば無い
 18時迄ということだったので慌てて行ったのだけれど、結局閉めたのは19時過ぎ。 帰りにプリズムに寄ってから帰ろうと思ったのだけれど、仕舞っていたのでそのまま帰った。

2000-05-07 [長年日記]

_ 悪仲間petaが

カメラを手放したいと言うので新宿で待ち合わせ。
階段を降りると茶店の有る(一部笑)カメラ屋で査定をさせたら篦棒な事を言われて、奮然と荻窪へ移動。
然し乍ら、店主と常連が青山で写真展開催中のプリズムは早じまいで、予定より少々早いが中野へ移動。 いつもの店でいつもの様に怪しく交渉して(笑)納得の行く値段で引き取ってもらった。
ついでにヤマモト監督とイナダ氏から依頼されたカメラを修理に出してから北口の中国語が飛び交う怪しい中華屋で飯を喰って帰宅。


2000-05-06 [長年日記]

_ 十時半頃起きて

混まないうちにイナダ邸へ移動。 帰りに六合村の尻焼温泉河原露天風呂(無料)に入った。

ここは川床から沸き出した温泉を塞き止めて川全体が温泉になっており、浅い所は数十センチ、深い所は二メートル、温い所は水、熱い所は熱湯になっていて、好みの深さ・温度のところにつかっていられる。

客もフルチンの爺ぃからぴちぴちぎゃる(死)までさまざま。 独りで来て、半日くらいぼーっとしていたい。

イナダ氏一押しの安くて旨いホルモン屋で晩飯を喰って解散。


2000-05-05 [長年日記]

_ こまごました

用事を片付けた後、昼過ぎに再び高崎線を北上。 待ち合わせて謎のイタ飯屋で晩餐。 山盛りのスパゲティにとんかつが一枚乗り、その上にブラウンソースのミートソースがかかっている恐ろしい代物。 流石に次の日の朝迄もたれた。
 そのあと、わざわざ4時間程かけて、絡みの無いAVのような碌でも無い映画を執念で撮り続ける「日本のエド・ウット」ことヤマモト監督夫妻の家へ。 夫人がついに御懐妊とのことで、人生の墓場にさいごの土がかけられて成仏せざるを得なくなったヤマモト監督にお悔やみを言い、厭味を言い、嘲笑しつつビールをかっ喰らって2時頃寝た。


2000-05-04 [長年日記]

_ 朝6時起きで

総統が少年時代を過ごされた街、町田へ。

住んでおられた社宅は跡形も無くなっていたが、周りの公園や小学校はそのまま残っておりしばし感慨に耽っておられた。

_ そのあと

都内へ移動し、西日暮里のコインパーキングに車を停めて谷中の怪しい中華屋「ラッキー」で昼飯。 餃子とやきそばで530円也。

_ さらに

澁谷へ移動して怪しい洋書と軍装の店「アルバン」へ。 総統は「一億あれば店ごと買えるのになァ・・・」「何を買ったら良いのかわからなくなってきた・・・」と溜め息をつきつつ、ペロポネソス戦争時のギリシャ軍とペルシャ軍の軍装の研究書などをご購入。 さらに各国軍放出品各種取扱の御徒町の中田商店を冷やかしたあと、友人イナダと総統はお帰りになられた。


2000-05-03 [長年日記]

_ 高崎線を

北上して友人イナダ宅へ。 大学時代、私が委員長(謎)の時に会計をやって頂いて一緒に地獄を見た(笑)ミヤシタ総統が連休で遊びに来ており、焼肉を御馳走になった。 そのまま泊まり


2000-05-02 [長年日記]

_ 午前中に

家を出て西の方へ。 ひたひたの引っ越しの手伝い。

駅前でとりあへず昼飯。 私はカツ丼、ひたひたは親子丼。 味噌汁と鰹のたたきの小鉢と漬け物が付いてどちらも500円也。 安い。

荷物が付く前に部屋の片づけ。 ニッパーくんの部屋(六畳一間、便所・台所付き、風呂無し)に転がり込むため、荷物を運び込む場所を作らねばならない。 先ずはニッパー君のものを押し入れと天袋に押し込み、備蓄食料をベランダの物置きへ。

_ そうこうしているうちに

運送屋が到着し、段ボール二十数個と洗濯機、冷蔵庫、電子レンジその他が運び込まれたのだけれど、その時点で部屋の3/4は荷物で埋め尽くされていた(笑)。

先ず、食器棚とラックを作って仕舞える物はしまってしまうことにしたのだけれど、ドライバーもネジもどこへしまったのやら荷造りした本人にも判らず、片っ端から段ボールを開けていったら最後のヤツに入っていると言うお約束のオチが付いたりしてドタバタしたものの、八時頃には棚を買わないとしまえない本・CD・ビデオなどを除いた殆どの段ボールを解体する事に成功した。

・・・と言っても十数個の段ボールが部屋に残された(笑)。

御苦労賃とし高円寺でごちになり、お土産まで貰って帰宅。 有難うございました。


2000-05-01 [長年日記]

_ 仕事を辞めてから

早一と月、未だに今後のみの振り方が決まりません。

金が無いので、日がな一日家に居て鼻毛を抜いていた。


2000-04-30 [長年日記]

_ 午后から

四ッ谷は荒木町の「サンバレー」改メ「ライブインマジック」へ。 三月二十七日に見に行ったリップクリームと言うゲームのイベントの二回目が有り、それを見に行った。
 今回は「ひまわり」なる二人組の女の子が前座を勤めた。 「ゆず」とか「19」とかそんな感じの今様フォークデュオ、ギター+ボーカルとタンバリン+コーラスの二人組。 サポートでギター兼ベースとドラムがついた。
 フォークと言っても「今様フォーク」なので、「♪〜今日の仕事は辛かった・・・」とか「♪〜戦争だ 戦争だ 戦争だ・・・」なんてことや「今日からは、今日からは、浮浪者のままではいられない・・・」なんてことは歌わないし、もちろん「オマンコがどうたらこうたら」なんてことは絶対に歌わず、ほれたはれたとか友達がどうはたこうしたと言うようなことを綺麗に歌っておられた。 今回が初ライブと言う事で、かなり舞い上がっているように見受けられたが、歌詞が飛んだり弦をぶったぎったりする事も無く、アンコール迄無難にこなしていた。 普段は千葉駅前の路上でやっているとの事で、エレアコは使い馴れないと見えて、最初から最後迄、サンダルでシールドを踏んずけっ放しだった(笑)。

 そのあとリップクリームのイベント。 私が見に行ったのはこういう娘なのだけれど、この人はステージに立つとスイッチが入る種類の人で、司会のお笑い芸人と談笑しているうちはおもしろくもかわいい女の子なのだけれど、いざ歌い出すとそれはもう恐ろしい存在感であって、ふいにカメラ目線を貰った時にはもう驚いたのなんの・・・。

 カメラ目線を貰って死ぬかと思ったのは初めてだ。


2000-04-29 [長年日記]

_ 今日は

墓参り。


2000-04-28 [長年日記]

_ 午后から

バイトの面接なので、今日は早めに起きて教育テレビを見ていた。 今年度の小学生向け道徳番組は5年生向け、6年生向け共に秀逸で、特に5年生向けの「さわやか3組」は例年レベルが高いのだけれど、今年は主人公とその家族のキャラクターがかなり戯画化されていて、大人向けの笑いも取れるドラマに仕上がっている。 「ちびまるこちゃん」の影響はかんじられるが、道徳番組としての一線は越えていないのはさすが。
 6年生向けの「虹色定期便」はオーソドックスな作りではあるのだけれど、主人公の女の子の名前が「桃」、渾名が「ピーチ」ってのが痛くて、登場人物の誰もが主人公を「ピーチ」と呼ぶのには笑った。 狙ってやっているとしか思えない。 今年の教育テレビは、社会科の番組にも伊集院とかフリップフラップを使っていて下手な民放よりも面白い。
 バイトの面接はまぁ何とかなったと思う。 終わってから荻窪へ、更には中野へ寄って帰った。


2000-04-27 [長年日記]

_ 人の悪口を

言っていたら罰が当たったと言うか当てられたと言うか・・・、兎に角もうかゆいのかゆくないの。

あ、かゆいと言っても、別に「なんきんにいった」とか「けんなにおじらみをうつされた」と言う訳では有りません。

昨晩から蕁麻疹が出て、午前中一杯かゆみに苦しめられていました。 いやぁ、こゆくてかまるのです。

昼頃やっ落ちつい来たので散歩煮でかけた。

天気も良かったのでいつもとは逆に上野から谷中方面へ。 不忍池っ端から坂を上って五条天神。 上野公園内でも西のはじに有るこの辺りは、人影もまばらだし、薮の中に住んでる人はいないし、散歩には良い所だ。

桜並木の下を抜けて噴水を左に見つつ芸大方面へ。 桜は毛虫大量発生前の清清しい新緑。 つつじは咲き始め、はなみずきが見ごろになっていた。 いつもは上野桜木から谷中墓地へまっすぐ抜ける道を通るのだけれど、今日は一本左へ。

この道には十字路でもT字路でもトの字路でもなく「ケの字路」が有る。 寺町をてくてく歩いた後はいつものようにハッピーで餃子。 今日は御飯が未だ炊けていなかったので焼そばとぎょうざ。 金530円也。

そのあと荻窪へ出てみたがなんだか休みだったので、少々はやかったが中野へ。 例の店に入ったMacの設定を直してインターネットの接続をして来た。 おまけを貰って帰宅。

明日はバイトの面接だ。


2000-04-26 [長年日記]

_ 月曜発売の求人雑誌を

ひらいても、割の良い仕事は既に埋まっている。 賃金の多寡よりも嘘を付かなくてよい仕事がしたい。 明後日、別のラボ屋の面接。 吉と出るか凶と出るか・・・。


2000-04-25 [長年日記]

_ 遅ればせながら

職安に行って来た。 時節柄なのか非常に混んでいて、うらぶれた捨て鉢な空気にやられて疲れたので、晩飯を作ったらとっとと寝た。

カジキの切り落としが安かったのでネギマ汁。 昨日買った合い挽きと春菊を炒め煮にした。

放哉の句集を読む。 こういう時に読む本では無かった(苦笑)。


2000-04-24 [長年日記]

_ アルバイトの

不採用通知が来た。まぁそんなもんだろう。


「私はこんなに素晴らしい人間なのにどうして世の中に受け入れられないのだろう?」


 ・・・ってな感じの根拠の無い自信とかが有れば腹も立つのかも知れないけれど、生憎・・・と言うか、幸い・・・と言うかそう言う物は無いので、明日からまた淡々と新規蒔き直し。

誰か仕事下さい(笑)。

2000-04-23 [長年日記]

_ 家に辿り着いてから

メールチェックだの掲示板巡回だのメールのお返事書きなどをしていたら猛烈な眠気に襲われてキーボードに手をおいたまま寝てしまった。 テレホ終了前に回線を切ったのは覚えていルだけれど、気が付いたら三時半。 たった一晩の夜明かしで生活サイクルはとんでもない事になりつつ有る。


2000-04-22 [長年日記]

_ 今夜は

怪しいイベントで夜明かしをするので昼まで寝だめをした。
 昼頃起き出してメールチェック。 最近ペトリに関してのメールが増えて来た。 ちゃんとせにゃならんなぁと思い、久しぶりに纏まった更新をした。
 表の直し等をしていたら以外と時間を喰ってしまい、気が付いたら4時半過ぎ。 出かける準備をしていたら電話が入ってふと時計を見るともう五時。 今日は土曜、時間は五時、財布には2000円。
 家捜しをしても金など有るはずも無く、開いている銀行で金を下ろす事にした。
 然し乍ら、私の使っている旧財閥系の銀行は非常にサービスが悪く、土曜でも開いている窓口が碌に無い。 結局新宿へ出てから探しても何処に有るやら影かたちで、公僕にきいたら「伊勢丹の向いだ」と言う。 地下鉄で一駅分あるじゃないか。 そんなこんなで現場に付いたのは七時一寸前。 開演には間に合ったのだけれど結構混んでいる。 イベントの詳細はこことか、こことか、ここ(笑)とか、ここ(笑)とか、それとここ(笑)とかも見て下さい。
 本日のカメラとレンズは、フジカST605にペトリ50mm/f1.7と135mm/f2.8、ペンタックスオートタクマー35mm/f2.3。 フィルムはフジの800。 なかなかどうしてピントを合わせづらい状況なので、うちで一番ピントのヤマの掴み易いペトリの50mmをメインにした。

 で、このいずみさんと言う人。 本業はプログラマーで、徹夜したりなんだりで今回は碌に準備が出なかった様なのだけれど、時間が足りない様に感じられる程内容の濃いイベントであった。
 いずみさんに関しては私がくどくど説明するより、御本人のページを見た方がてっとりばやいのでそんな感じでお願いします。
 物販コーナーでは北朝鮮萌え萌え軍楽CDとか、萌え萌え赤ヘルグッズ(復刻機関紙、ヘルメット用ステッカー、宣伝用教本など)を購入。 実りの多いイベントであった。
 終わる頃には既に始発が動いており、家に帰って昼過ぎまで寝た。

2000-04-21 [長年日記]

_ バイトの面接の日

朝、7:30に起きて風呂に入って支度して麹町へ。

当初は夜のバイト(荷物の仕分け等)をして、ひとまず免許費用を貯めようと思っていたのだけれど、「夜のバイトは止めてくれ」と親に泣かれて、まぁその理由も判らんでは無いので、とりあへず昼間のバイトをする事にした訳だ。

然し乍らコンピューター関連はブラインドタッチが出来ない、右手のみ・左手のみ(しかもカナ入力)でしか打てない・・・とかいろいろ考えてボツ。

力仕事は手に負担がかかり過ぎるし、印刷関連は御免蒙りたい。

写真やカメラと関わっては生きたいのだけれど、カメラマンとして喰って行く自信は無いし、カメラ屋は嫌いなカメラも売らないと成り立たない・・・。

・・・と、いささかわがままな理由ではあるのだけれど、まぁ色々考えてラボ屋を選択した。

ダメだったらまた考えよう。 一週間以内に返事が来るそうな。

_ 帰りがけに

四ッ谷のモールへ寄って写真展を見て来た。

 大西基写真展「眼のなかの鏡」
4/10〜4/22
8×10のピンホールカメラによる多重露光写真、異なる風景が重なる時に、写るもの。

 電車や車、人どころか、雲までが流れて写ってるのが面白かった。
 ただ、多重露光で雲海とビル街を重ねた様なものには少々あざとさを感じた。

 我楽多屋を覗いた後、十日町そばで昼飯。 ここのなす天は長さ20センチ余、でかくて柔らかくて旨い。

 退職金が出た。 ¥79000-。 出ただけマシか・・・。

2000-04-18 [長年日記]

_ 午后一時に

浅草駅でM田くんと待ち合わせ。 MZ-5を売る為に相場を調べてまわった。 先ず浅草で早田と真美堂とカワマスをチェック。 谷中へ移動して例の店で昼飯。 私はニラレバ炒めと御飯、まっつう君はエビチリと御飯、それから餃子を一人前づつ。

おばちゃんは相変わらず何言ってるんだか少なくとも半分は判らないのだけれどそれはそれで面白いからいい。

ビールの一つも飲みたい気分では有ったが、金も無いので止めておいた。

そのあと、秋葉原に移動してマップカメラ、ニッシン。 新宿へ移動してドイ、マップカメラ、ドロボウ市場。 何処へ行ってもMZ-5は無い。 売れているのだろうか?。

荻窪へ移動してぐだぐだと管を巻いたあと中野へ。 パルテでひとしきり唸って(私が)からフジヤと日東を冷やかす。 結局まとまった数のMZ-5を置いていたのはフジヤのみ。

日東から駅へ戻る途中のラーメン屋で晩飯。 威張る程旨く無い。

つぎの休みが何時になるか判らないまっつぅくんはフジヤにMZ-5を置いていく事を決断。 委託の手続きをして駅への道すがら「手数料を引くと買い取りの方が高くなっちゃうので委託の値段を上げて来ました。」・・・って、ねえ・・・。

金を作るのが目的であって委託に出すってのはあくまでも手段に過ぎないわけで、委託より買い取りの方が実入りが良いならそれに越した事は無いんで、それなら買い取りに変えっちまいましょう。

・・・って事で、一ン日歩き回って市場調査して委託に出した挙げ句に買い取りと言う、ナンとも締まらない結末の一日ではあった。


2000-04-16 [長年日記]

_ 珍しく〈←いいのか?〉午前中に起きて秋葉原へ

怪しいプロモーションビデオの撮影を見に行く。
 電気街口でダメな人たちと待ち合わせて歩行者天国へ出てみると、既に撮影は始まっていたのだけれど、スタッフは予想していた会社ではなく一寸拍子抜け。
 ゲリラ撮影をするって言うんで、集合した段階で捕まえないと1日足を棒にしても見つからないと思って心配していたのだけれど、ゲリラって割にはかなり大っぴらにやっていてびっくり・がっかり。
 仲間うちで「ゲリラ撮影」って言うと、迎賓館の前に風の様に集まって一発撮りして、警官が来たら速攻で逃げる・・とか、見張りと謝り要員を配置しておいて東京駅のホームで撮り逃げ・・・とか、少人数でさっと準備してさっと撮ってさっと逃げる(笑)ってのが当たり前だと思っていたのであまりの大っぴらさ加減と機動力の無さと、ついでに下準備と段取りの悪さにびっくりした。 ついでにギャラリー(笑)の仕切りもしねぇし。
 だってV二台、三脚二つ、スチルカメラ一台を3〜4人で回して、しかも衣装とかの鞄も持って歩くからもう大変。 ゲリラ撮影って言うより「ゲリラ風味」の撮影だった。
 監督がどう言う画を撮りたいのか横で見ていてもさっぱり判らなかったのでそのへんは置いておくとしても、タイムキーパーはいないし、いくらカリスマ美容師だか何だかにメイクして貰ったにしても、朝っぱらからまる一日直しもしないでそのままってのは一寸どうかしている。 ・・・っていうかファンデーションは何も顔だけに塗るものではないので(ごにょごにょ)
 口パク用のCDプレイヤーは音飛びしまくり、しかも代替用カセットのトラッキングも合って無い。
 秋葉原でやってるんだから現地調達なんか簡単に出来る筈なのに音飛びするCDで無理矢理続けるし・・・。 口の動きのずれはどう誤摩化して編集するんだろう?

 馬鹿馬鹿しくなりつつも結局夕方まで見て、その後A一郎くんと谷中へ餃子を喰いに行き、更に荻窪へ寄って帰った。

 最近、自分が常識だと思っていた事が次から次へと覆されている。 イベントの仕切りにしろ屋外での無許可撮影にしろ・・・。 ってな話を仲間うちでしたら、さらに酷いのがいるらしく、「世の中そんなのばっかりだぞ、こっちはもっと酷い」と逆に嘆かれた。
 某コンサートの裏方用のケータリングは折詰の弁当だったそうな(笑)。 そんなもの悠長に喰ってる暇なん有る訳無いんで、サンドイッチとかハンバーガーとかおにぎりとか腐りにくくて手で一寸つまめるものを大量に並べて置くものだ、・・・って叩き込まれたんだけど(笑)
 で、おまけに飲み物はでっかいペットボトルのジュース、しかも冷えて無い(笑)。 紙コップも無い。 どうやって飲むんだ?(笑) 。
 照明の暑さをしらねぇのか?脱水症状やら熱射病やらで人死にが出るぞ(笑)。 冷えたスポーツドリンクとかお茶の類いの500mlペットボトル、一番良いのはミネラルウォーター。 ペットボトルが無ければ紙コップに注いだのを並べておく・・・って、こんなの考えれば判るとおもうんだけど判らない。 で、指摘すると怒る(嗤)。
 こっちはたかが大学イベントの呼び屋とか同人映画の裏方なのに、金取ってやってるヤツがこれじゃぁねぇ。 いいんでしょうか?。


2000-04-15 [長年日記]

_ 朝も

六時半をまわってから漸く寝付いたのだけれど、やる事も有るので昼前には起きた。

昨晩のうちに航空便で本が届いていた。

これはアメリカの知り合いに頼んで送ってもらった cocollector guide to KURIBAYASHI-PETRI cameras って本で、辞書と首っ引きになるのではないかと思っていたら、カメラ絡みの専門用語さえ判れば中・高・浪・大と英語嫌いで赤点つづきだった私の様な人間にもなんとか読みこなす事が出来た。

文字ものの資料がなくて今まで判らなかった事も大体判って来た。

ただ、資料を集めて書いたような感じで、現物と照らし合わせると納得の行かない部分も多少有るので、その辺りは自分で調べるしかない様だ。

ざっと目を通してからプリズムへ見せびらかしに行く。 帰りに北口でラーメン。

_ 帰って

寝るだけだと思っていたら昨日の二人に拉致されて蒲田温泉へ。 ここは380円で入れる銭湯なのに温泉で、しかも12時までやっている。
 しかしなんとも凄いのがここの電気風呂で、感電して死ぬのではないかと思う程びりびりくる。 面白がって入っていたら筋肉痛になった。
 帰りがけに北上野の「油うどん」なるあやしい店へ。 油うどんの「油」とは「ホルモンについている上質の脂身を野菜スープで煮込み、旨味を閉じ込める為に油で揚げたもの」だそうで、どんなモノ凄ぇものが出て来るのかと思ったら存外まともな食い物で拍子抜けした。 うどんとしては美味しいのだけれど、茹で麺のうどんで580円はちと高いかな。


2000-04-14 [長年日記]

_

小学校以来の悪仲間petaから電話が有り、拉致られて車で東東京をぶらぶら。
 先ずは深川、森下の月〜土の11:30〜15:00までしか営業しないカレー屋へ。 ほうれん草と目玉焼きの乗った「ポパイカレー」とアイスコーヒーを注文。 カレーはルーには具の入っていないさらさらしたものが御飯と別盛りになって出て来る。
 野菜も全てすり下ろされていて肉なんぞは影かたち。 2センチくらいの肉の繊維が入っていた事から見て、牛スネでスープを取っているものと思われるが、その先は皆目見当がつかない。
 口に甘くて咽と胃に辛いタイプのカレーで、私の好みではなかったのだけれど、それでも旨いと思った。
 ここで秀逸だったのがアイスコーヒーで、挽きたていれてたのアイスコーヒーが250円。 クリームもガムシロップもいらない旨さ。
 その後、小名木川貨物駅ちかくの酒屋へ。
 見た目はただの街の酒屋なのだけれど、店内は三面が冷蔵庫で日本酒がズラリ。 洋酒・ワイン・焼酎は勿論、砂糖・塩・酢・醤油・味噌などの品揃えも物凄く、正直驚いた。 ここでpetaは何やら日本酒を一升と「爆弾ハナタレ」なる芋焼酎を2本買い、それを置く為にとりあへずpetaの家へ。
 で、さらに移動して金町駅前の立ち喰いそば「そばっ子」へ。
 ここは自家茹で麺なのにかけ200円、もり230円、大盛り〈1.5倍〉60円増、特盛り(2倍)100円増。 我々はかき揚げもりの特盛りをたのんだのだけれど、これでも400円。 麺は自家茹でにしては太めで、歯ごたえの良いかなりのもの。 かき揚げも自家製でちゃんと作ってるし、つゆもまともで思いのほか旨かった。
 そのあと更に新京成八柱駅前に移動して酒と輸入食料品の安売り店へ。
 入った途端ワインが300円台で並んでいてびつくり。 二階の食品コーナーを見てさらにびつくり。
 何もかも安い。 パスタ、オリーブ油、グレープシードオイル、ブルックボンドのアールグレイ、ポンパドゥールのカモミールティーなどなど・・・を買い込んだ。 金なんざ無いんだけど、この手の物は家で精算出来るのでまぁいいかな・・・と。
 買った物を置きに再びpetaの家へ。 先ほど買って冷蔵庫に入れてあった爆弾ハナタレとダバダ火振を一杯づつ飲ませてもらった。
 爆弾ハナタレは芋焼酎を蒸留したときに最初に出て来る部分を瓶詰めしたもの。 芋臭さはまるでなく、吟醸香のような良い香りと香りそのままの味がする。 これは凄かった。
 ダバダ火振は私の好きな栗焼酎でこちらも味・香りともに甘い。
 しかしながら私は旨すぎる酒・自己主張の強い酒ってのはどうも苦手で、「どちらがより旨いか・凄いか」って事になると爆弾ハナタレなのだけれど、「どちらが好きか」ってことになると、やはりダバダ火振だ。
 私の買ったものを家に置きに行ってから、「晩飯を喰う時に酒が飲めないと寂しい」ってんで車を置きにまたもやpetaの家へ戻り、バスでひとまず亀有へ。
 駅前のヨ−カド−でチェリーコ−クを買ったりパチ屋を覗いたりした後、松戸で焼肉。
 ここはオヤジが胡散臭いもののべらぼうに安くて、キムチ150円、ワカメスープ100円、トンソク・センマイ250円。 一番高いものは骨付きカルビ900円で、その次がロースとカルビの480円。
 なんだかんだとたらふく喰って店もそろそろ看板・・・って頃になって、もう一人の悪仲間、歳はキムタク顔はコムテツなきむてつが合流。 焼肉目当てにわざわざやって来たのに見事に喰いっぱぐれた彼の胃袋を塞ぐ為に八潮のものすごくクドイラーメン屋へ。 一人で食わすわけにもいかず、仕方なく喰ったみそホルモンラーメンのくどいのくどくないの・・・。 漸く家に帰ったものの、胃もたれが酷くて朝まで寝られなかった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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