初めてこの日が休みになった。 昼過ぎに起き出してとりあへずお茶の水・神田へ。
明大の新しい建物はなんだか大学らしさが無いと思ったらゲバ字の踊る立て看板が一つも無い。 これはいただけない。
明大脇の坂を下りて神保町へ。 予備校の頃から行っているカリスマとんかつ屋はいつのまにか代替わりしていて、若主人が元気に働いており、当分潰れない様子で安心した。
ここの先代の爺ぃの何がカリスマなのかと言うと、ふだんは風采の上がらない爺ぃなのに、混雑してくるとガラリ人が変わって気配で客の行動が読める様になり、椅子席に座ろうとした客を揚げ油を睨んだまま「今日はカウンターだけだよ」と脅しつけたり、菜箸を使うのがまどろっこしくなると素手でとんかつを揚げ始める始末。 引退しちまったのか、どうなのか、この日は店にいなかった。
肝心の味の方もなかなかの物で、値段はと言えば、丼めしにしじみ汁、山盛りの線キャベツとスパゲッティのケチャップ和えの上にとんかつが鎮座ましまして十年前から七百円ぽっきり、濃いお茶も一杯付く。 赤身とロースが選べる。 ちなみに海老フライ八百円、カキフライ八百五十円。
食欲を満たした後三省堂へ。
平賀源内捕物帳、久生十蘭、朝日文芸文庫
酒場漂流記、なぎら健壱、ちくま文庫
くわんおん、水原紫苑、河出書房新社
を購入。
荻窪のプリズムへ。 店でいつもの様にぐだぐたしたあと、良い人悪い人ダメな人取り混ぜ、総勢八人で駅前の呑み屋「かみや」へ。 鮟鱇鍋、鱈鍋、牡蛎鍋、キムチ鍋、その他各種つまみを餓鬼の様にぱくつきつつ、デンキブランを飲み、飲んだ。 開いたボトルは2本半。 残りはキープされた。
翌日は案の定宿酔。
病院へ行って来た。 消炎・鎮痛薬と神経のクスリと胃薬を処方してもらい、仕事の部署も多少楽な方に変えてもらった。 年内はなんとか乗り切れそうだ。
プ◯ズムへ。 ゼニットIR 100mm/f1.5と付属ボディであるミノルタα-7000を購入。
ついでにひたひたに頼まれていたゼニター16mm/f2.8も購入。 ゼニットの100mm/f1.5はノクトヴィジョン用の物を改造した物で・・・って、この間かいたとおもうけど、まぁ、そう言う物です。 メリットは兎に角明るい事とコ−ティングが怪しく青い事で、デメリットは最短撮影距離が5mと長い事、絞りリングに目盛りが無い事。 しかし5mは意外に近い事が判明、結婚式とか怪しいイベントの撮影には良さそうだ。
「春木屋」で初めてラーメンを喰った。 もっと威張った店だと思っていたのだけれど意外に客あしらいも丁寧で、ラーメンも旨かった。 非常にオーソドックスなラーメンなのだけれど非常にバランスが良く、似た味の他店のラーメンが如何にバランスが悪く尖った味であるかが判った。 けなす隙の無い味。
忘年会に行った。 来れば買う客、来ても買わない客取り混ぜて二十八人。 なにかしらの景品を持ち寄って交換会をやると言う事でヤシカにフジノン55/2.2を付けて出したらペンタコンの50/1.8が来た。 マイヤーの物(オレストンあたり)だと思っていたらツァイス(パンカラー)らしい。 出した人曰く「非常に力弱い写りをする」とのこと。 早速使ってみる事にした。 ついでに店主が当たったペトリフレックスVも身請けして来た。 これはペトリマウントになった最初のペトリで探してもそうそう見つかる代物ではないので調子は悪かったがまぁしかたがない。 十二時半頃帰宅。
怪我をする前の部署に戻ってから、尾篭な話になるけれどずーっと下痢が続いている。 夜も碌に寝られない。 精神的にもおかしい。 夢と現実の境目が曖昧になって来た。 忙しいから病院にも行っていない。
仕事もしくじり続きでそれが更に問題を深刻化させている。
そして今日、怪我をした方の手に鈍痛がした、と思ったら、急に手が重くなって動かせなくなった。
動かなくなったと言うよりは「動かし方が判らなくなった」という感じだった。 すぐに動く様になったのだけれど、「もう一回やったら、次はこの程度では済まないだろうなぁ・・・」と思ったら物凄く憂鬱になってやっている仕事をうっちゃらかしてどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られた。 そろそろ潮時かな、とも思う。
帰りの地下鉄のホームで一瞬自分が今何をしているのか判らなくなった。
肯定してばかりいるのは、自分の人生を肯定できないからだ。
日曜日に撮影した分のフィルムをラボ屋に出しに行ったら、お気に入りの怪しい中華料理屋「ハルビン料理」が閉店していた。 この店は向こうから帰って来たと思しきおばちゃんが一人でやっていて、怪しくて安くて旨くて、理想的な店だったのだけれど矢張り怪しすぎたようだ。
あぁ、ニラ入りとニラ抜きを選べた水餃子。 「ぴーるならつめたいの、ごはんならあたたかいのがあうね」と言っていた豚蹄。 ごはんなら3杯は軽くいけるにんにく入りの肉味噌、セロリの入った浅漬け。 あんなに旨いと思わなかったトマトと玉子炒め、キュウリと玉子いため。 豚頭、豚耳。 「辛くして下さい」と言ったらホントに辛かったマーボー豆腐。 食べていないメニューも沢山有ったのに・・・。 地震以来店を閉めたままの中野の台湾料理屋と言いここと言い、汚くて居心地の良い店が無くなって行くのは辛い。
撮影したフィルムの打率は、腰を据えて撮った分いつもより高く、半分くらいは当たっていた。 とりあへず夕方迄に撮り終えたカラーフィルム2本のみだけれど、いろいろ使ったレンズの中ではペトリの55mm/f1.8が一番良かった。 次がオートタクマ−の35mm/f2.3。 フジノンの55mm/f1.8は写り過ぎてあまりポォトレヱト向きではないようだ。 傾向としては、特定の人物の話題になると途端に表情がよくなるので、その辺りが面白くも有り、また、痛くもあった。
「高村光太郎詩集」には、P98に栞が挟まっていて、棚から引っ張り出して、手に取って開くと丁度「米久の晩餐」と言う詩であった。 米久というのは、今でも浅草の観音様の裏手、ひさご通りにある老舗の牛鍋屋で、空襲でその頃の建物は燃えちまったと思うが、今も木造の二階家で商売をしている。 まぁ、この詩が心地よくて「これなら大丈夫だろう」と多寡を括ってレジに持って行ったのだけれど、「智恵子抄」から収録されたお仕舞いの方は恐れていた通りの凄まじさで自虐的な気分になっていた私に取っては丁度良い買い物であった。 「智恵子抄」からの収録が少ない為、「智恵子抄」そのものも購入。 ついでに「滞欧日記」澁澤龍彦、と、月刊東京人1月号を購入。
で仙台へ。 駅のロビーでK嬢と待ち合わせて、喫茶店→散歩→喫茶店→散歩→喫茶店→散歩、を繰り返して帰って来た。 1日に紅茶とコーヒーを何杯飲んだかわからない。 持って行ったカメラはペトリMF−10とフジカST605とライカD−III。 レンズはフジノン55mm/f1.8とペトリ55mm/f1.8とズマール50mm/f2、オートタクマー35mm/f2.3とサン28mm/f2.8。 日がな一日写真を撮り続け、歩き続け、心理テストをやらされてどつぼにはまり、勾当台公園で年甲斐もなくシャボン玉を吹き、カメラを一台売り付け、丸善で「高村光太郎詩集」を買い、晩飯用の駅弁といつもより多めのビールを買い込み、新幹線の中で更にビールを買い足し、やけ酒をかっ喰らいつつ酩酊状態で帰宅。
がらみの友達(ひたひた、ばく、アユム、気分は形而上(仮))と高円寺で呑み。 まず、抱瓶(だちびん)と言う沖縄料理居酒屋へ。 オリオンビール中ジョッキ2杯。 泡盛(請福、三十度。どなん、四十三度。)ストレートで一杯づつ。 壁に来店した有名人の写真が貼ってあって、友達はソウルフラワーの中川敬とか喜納昌吉とかの顔を見つけて喜んでいたが、私が秋山祐徳太子を見つけてもひたひたしか反応してくれなかった、つまらん。 ゴーヤ以外はおいしかったが、音楽がうるさい。