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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


1999-10-24 [長年日記]

_ 金も無いので

都バスの一日乗車券を買って散歩に出掛けた。 三ノ輪に出て浄閑寺のあたりをぶらぶらしてから都電に乗ろうかとも思っていたが、今回は三河島方面へ行ってみる事にした。

_ オリンピック〔安売屋〕の前では

複数の何だか判らない言語が飛び交っており、そこを過ぎて閑散とした工場街に差し掛かると、押し売り然とした初老の男が婦人靴・時計・バッグなど来歴の怪しそうな品物を並べて露店をおっ始めていた。 その初老の男は、時折通り掛かる人に誰彼構わず「どれでも千円、どれでも・・・」と声を掛けていたが、私が見ていた五分程の間には誰も何も買わなかった。

_ 暫く行くと

道は急に細くなり、小さな商店街が始まった。 今日一杯で店を仕舞うと言う傘屋とシャッターを半分締めた豆腐屋とかうらぶれ過ぎてカメラを構える事すら憚られる様な店ばかり並ぶその商店街を抜けると漸く三河島の駅前。 なにをこう、ぐだぐだ書き連ねているかと言うと、要するにまぁ「つまらなかった」と言う事であって、その後は意地で日暮里・谷中・根津と歩いて、疲れ切って帰宅した。


1999-10-23 [長年日記]

_ Volkischな

Beobachterは矢張り出入りしており、掲示板の些細な言辞に過敏に反応して恫喝めいた書き込みを残して行った。 NaziのEpigonenとしての彼等の言動はまさに教科書通りで非常に判りやすいのだけれど、素朴且つ情緒的で有り過ぎて現代社会に於ては大きな広がりを持ち得ない為現代に於けるファシズムの実践例とはなり得ず、従って私の好奇心をも刺激し得ない。

来る者は拒まない主義なので書き込まれた雑言に対してもそれなりに応対はするけれど、もはや積極的に関わる気になれないのはその為でも有る。

※なんだか判らない単語が有ると思いますが独和辞典でも調べて下さい。


1999-10-15 [長年日記]

_ 先日

置き引きに遭った際に露出計も取られたのだけれど、無いと不便なので上野のヨドバシに買いに行った。 七千円位だったと思っていたらヨドバシでも九千円するので近所の中古屋を回ったら六千円のが有ってそれを購入。

_ 家に

帰る道すがら突発的にマーボー豆腐が喰いたくなり、材料を買い込んで大量に作った。

先ずにんにく一ヶと生姜一欠けと葱二本をみじん切りにして多めの油で炒めて一味を小匙二杯、胡椒、山椒を多めに加える。 ひき肉100グラムを加え火が通ったらえのき一ヶと椎茸10個を細切りにした物を加えて炒める。 ガラスープの素とオイスターソースを適当に振り入れ、お湯を注いで一煮立ち。 賽の目に切った豆腐二丁を加えて更に一煮立ち。

塩と醤油で味を見てから水溶き片栗粉を加えて、最後にごま油をひとっ垂らし。

_ 蕎麦が喰いたい

蕎麦屋で酒が呑みたい。 このところ立ち喰い以外で蕎麦を喰っていない。 独りで昼間から酒を呑むなら矢張り蕎麦屋だ。

焼き海苔、蕎麦味噌、板わさ。 安直なつまみで一合か二合ヤって盛りで締めて出てくるとまぁ二千円位であがる。

しかし金が無い。 家で呑もうにも酒を買う金も無い。


1999-10-13 [長年日記]

_ 十一日は

六条と半日東京をぶらぶらした訳だが、これが以外と〔と言っては何だけど〕面白かった。 浅草にしろ谷中にしろ、大体このあたりが面白かろうと思って連れて行くとそれなりに面白がってくれて、「あっちへ行きたい」「こっちへ行きたい」「何々が見たい」「何がしたい」と能動的に動いてくれるし、幾ら歩いても文句を言わないし、私が普段入らない店や見落としていた露地に入って行ってくれるので、十年以上前から暇さえ有ればぶらぶらしてきた谷中の露地にも色々な発見が有り、かといって「そこはマズイだろう」と言う露地や店には何故か入って行かないので気分的にも非常に楽であり、置き引きの一件を差し引いても大変楽しい1日ではあった。 道端の草花に目を留めて「あれは何」「これは何」と一々反応するのも面白かった。 吾亦紅なんて字は書けるけれど現物にお目にかかったのは初めてだ。

独りで歩いていると得てして点間移動に成りがちなのだけれど、久々に散歩らしい散歩、そぞろ歩きをした。

しかしながら上野公園の治安の悪さは、リトルテヘランと化していた数年前の比では無く、よくよく考えてみればこれだけの数の人間が堂々と定住しているのは終戦直後以来であり、254の仕事がそう有る訳でも無くシケモク拾いや雑誌拾い、地見屋なんぞで生活が成り立つ訳も無い訳であって、ラジカセやら自転車やらを持っているのは当たり前、中には犬を飼っている者すらいる現状を見るにつけ、盗み・かっぱらいが横行するのも無理からぬ事であると思はざるを得ない。

なんだか達観したようなことを書いているけれど、やられた直後はそれなりに憎悪が渦巻いてて、実の所「モロトフカクテルでそこら中火の海に・・・」とか「ホスゲン、イペリット、ルイサイト、チクロン・ベー」「マスタード臭よりアーモンド臭のほうが足がつき難いか・・・」とかいけない考えが頭の中をぐるぐるまわっていた。

_ 多分

レンズは出て来ないと思う。 質屋、道具屋、中古カメラ屋。 CかKかAか、もしくはNか・・・。 向こうはプロだからそれがどう言う品物かは持って来たヤツを見れば判る。 判ればそれなりの値段で買い叩く。 持って来たヤツも後ろ暗いからあまりごねる訳にもいかない。

払ったとしても2。 3までは出していないのではないだろうか。 そうだとすると普通に売れば10位にはなるから、店にしてみれば旨いはなしなわけだ。 これ以上具体的な話は書けないし、書いたところで楽しくもなんともない。 読まされるほうも不愉快だろう。

 関係無い話になるけれど、「ウラの世界は楽しいぜ」とかなんとか言っているオタンコ野郎を見るにつけ、物事の表層しか舐めいない奴、守秘義務とかややこしい事と無縁な奴はお気楽脳天気でいいや、と思う。
 ただ「気楽でいいねぇ」とは思うけれど決してそうなりたいとは思わない。
 筆が滑ったついでにもう一つ。 モラトリアムだ何だかんだと言い訳をしつつ、そこら中でクソを垂れ流している奴が居るのだけれど、社会に対する責任を猶予されているとしても、自分の言動についての結果責任は取ってしかるべきでは無いだろうか。 誰とは言わないけれど言われた人は判るでしょう。 君です。

 しかし何で不忍池っ端でパンを喰っていたかと言えば、普段立ち喰いでしかモノを喰っていないのでとっさに食事をする場所を思い付かなかったからだ。 良く考えればまともな食い物屋は幾らでもあった。 レストランならナガフジの他にも風月堂、黒船亭、ローターオクセン。 とんかつなら双葉、蕎麦なら蓮玉庵や池之端のやぶ。 後悔先に立たず、喰えない物を聞いてから考えれば良かった。

_ 「喰えない」と言えば

T大の院生Sがまたぞろ蠢動しているらしい。 自分勝手且つ冗長で、ろくに改行もしない、文字だけなのに25KBも有るメールが送られてくるとのこと。 学生写真展関係者で高見の見物を決め込んでハナクソをほじっていられるのは恐らく私とひたひただけだと思う。 皆様おきをつけて。
 彼のいつもの遣り口は、
〔1〕先ず相手を怒らせる
〔2〕自分の私見を述べる際に「われわれ」とか「みんな」とか「〜と言っている人がいる」とか二人称・三人称を平気で使う。
〔3〕自分のした事を自分がされた事であるかの様に書く。
これらを踏まえて、腹が立ってもジッと堪えて読書百遍。 冷静に繰り返し読んでみれば矛盾やほころびはどんどん出てくるからそれを判りやすく箇条書きにでもして質問してみたりすると、逃げるか詫びを入れるかどうなるかは判らないけれど、少なくともナメタ真似はしなくなると思う。

 なんだか悪口だらけになってしまった。 自分ではあまり怒っていないつもりだったのだけれど、確実にストレスは溜まってたようだ。


1999-10-12 [長年日記]

_ 先ずは

昨日何をしていたかから。

九時半に上野駅パンダ前で山大OBのわたりょ、OGの六条と待ち合わせ。 わたりょは国会図書館へ、私は六条を連れて東京観光。 とりあへず銀座線で浅草へ。 多分東京で一番臭くて汚くてうらぶれた地下街を通って仲見世へ。 「雷門が見たい」と言うので雷門から仲見世を通って観音様に挨拶をし、影向堂から三社さま、二天門とまわって、西参道から六区あたりをぶらぶら。 「お土産が買いたい」と言うので知り合いの組み紐屋だの手ぬぐい屋だのをまわり、辺りをぶらぶらした後、松屋の前から日暮里行きのバスに乗り日暮里駅へ。 駅前のドトールてひと休みしてから谷中界隈をぶらぶら、五重塔跡の公園でひとしきり猫と戯れた後、またぶらぶらとべっ甲屋やら仏具屋やらを冷やかしつつ上野方面へ。 途中「夜中の谷中」なる写真展にぶらっと入ってみたらこれがなかなか良くてポストカードを買った。 少々くたびれたので愛玉子〔おーぎょーちい〕と言う店の構えも出てくる食い物も胡散臭い店で小休止。 この「愛玉子」と言う物は、台湾原産の寒天とぜりーを足して二で割った様な透明な食い物で、六条は「チーアンミツ」を、私は「チーワイン」を頼んだ。 これが結構旨い。 上野桜木から芸大の前を通り、噴水を横目で見つつ上野公園を抜けて公園山下へ。 ナガフジと言うパン屋の上のレストランで中食を、・・・と思ったら無茶な混みようで、買ったパンを池っ端で喰うことにした〔これが間違いの元だった〕。 蓮池とボート池の間の小道のベンチに腰掛けて、色々と話をしながらパンをパクついて、さてそろそろ移動するか・・・と腰をあげるとカメラバッグが無い。 間抜けな事に置き引きを喰らってしまったのだ。

まぁ見目麗しからざる貧乏臭い男が決して醜くはない若い娘とベンチに並んで腰掛けてクリームパンを半分づっこなんてぇ図を見たスネクレ根性のバカボンドがカメラバッグの一つもかすめ取ってやろうと思うのは当然至極であって、時と場合てぇ物をわきまえずにぼーっとしていた私がお間抜け野郎だってと言う事だ。

六条は「私がもっと気を付けていれば・・・」などと言っていたが、「人を見たら泥棒と思え」式の考えを持たずに暮らせればそれに超した事は無い訳であって、さほど物騒では無い仙台で静かに暮らしている分には不必要な考え方だから気にしない様には言っておいたのだけれど、そうもいかないだろう。

何が悲しいってレンズをかっぱらわれた事よりも、十年来ぼーっとするために使って来たベンチにもはやぼーっと腰掛けてはいられない世の中になってしまったと言う事だ。

で、まぁ出て来ゃしないとは思ったのだけれど気休めに被害届を出してからタクシーをすっ飛ばしてお茶の水駅へ出て、中央線で新宿へ。 ヨドバシの印画紙売り場でわたりょ及びO嬢と落ち合ってしばらくぐだぐだしたあと、一寸早かったのだけれど上野に移動して一杯やって、とっとと帰ってクソして寝た。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

# 北小路康美 [はじめまして。北小路と申します。 今日、たまたま、わたしが主催した個展「夜中の谷中」で検索をかけたら、こちらをヒット..]


1999-10-11 [長年日記]

_ 上野不忍池で

置き引きに遭った。 持って行かれた物はつぎのとおり。

カメラバッグ。
露出系〔BEWI社製〕
カールツァイス フレクトゴン 35mm/f2.4
ペンタックス スーパータクマー 35mm/f2
ライツ エルマ− 35mm/f3.5
ペトリ 50mm/f1.7
ストロボ 〔viviter〕
とアグファのフイルム3本。

大ヘコミ大会。
最大の原因は私が鼻の下を伸ばして腑抜けになっていた間抜けさ加減に尽きる。
東京の治安がここまで悪化しているとは思わなかった。 中古カメラ・レンズの流通の実態に鑑みて十中八九出て来ないと思うが、授業料だと思って甘受するしかない。

1999-10-10 [長年日記]

_ 色恋、仕事の愚痴、家庭内の揉め事

などは日記のネタとして使わない事にしているので、この三つで、・・・と言うか後者二つで脳味噌のかなりの部分が喰われている昨今はコンテンツの充実を計るどころか日記すら滞りがちだ。
 日記すらつけられなかったもう一つの理由は、質・量ともに物凄い日記を一年分纏めて1日で読んでしまった為に暫くフヌケになっていたからだ。 その日記と言うのはルカさんと言う人の日記であって、この人はゲームの宣伝企画の仕事をしており、基本的に物凄く忙しくて、「寝てない」「眠れない」「家に帰れない」「リタリン」と言った表記が矢鱈と多かったりするのだけれど、ほぼ365日分の日記を毎日、その日に書けない時には後日纏めてアップロードしており、しかも面白い。 翻って自分の日記を読み直してすると薄いの薄く無いの・・・。
 以前ミニコミの様な個人雑誌を出していた頃は、自分の生活に自分で波風を立てたり、休みの度に無理矢理どこかへ出掛けたりしていたが、最近はそうもいかずにのんべんだらりと暮らしている。 一度旅に出るとどうやっても二万からかかってしまうからせいぜい月に一度が良い所だし、あまりバカな事も出来ない。 まぁ破産しない程度にぼちぼちやっていこうと思っている。


1999-10-09 [長年日記]

_ 早寝しようと

思っていたが延々電話。 


1999-10-06 [長年日記]

_ 帰宅してから

延々HTMLタグとにらめっくら。 フレームを入れたら訳が判らなくなって迷宮の様になってしまい、原因が判らなくて困った。 結局"right"が"light"になっていると言うおバカなスペルミスだった。

_ そういへば

高校の後輩で「スペルマスター」と言う渾名のヤツがいた。 もちろん女だ。


1999-10-05 [長年日記]

_ 給料日だ

仕事を終えてすぐ中野へ。 押さえておいたカメラを2台購入。 キャノンEos5 28〜105mm/f3.5-4.5とリコー35S 45mm/f2.8。 どちらもひとの所へ行くもの。 自分の為にはタクマー35mm/f2を購入。 人を撮る機会が増えたので明るい35mmが欲しかったのだ。 


1999-10-04 [長年日記]

_ 仕事の後

飯田橋迄歩いた。 飯田橋そばの跡は早くも改装が始まっていた。

明日は給料日だ、カメラを2台買う。 ひとのだけど。


1999-10-03 [長年日記]

_ 仙台から

わたりょが来た。 3時に新宿のマップカメラで待ち合わせてカメラや巡り。 新宿、荻窪、中野と移動してロシアもののレンズを3本お買い上げ。 上野に移動して駅の中のサブウェイで軽く一杯やって別れた。 


1999-10-02 [長年日記]

_ 件の事故は

落ち着いたかの様に報道されているけれど、まったく信用できない。 軍事的・政治的に都合の悪い事柄に関して報道管制が敷かれるのは当たり前の事であって、今回の事も報道されている事が正しいとはとても思えない。
 事故が何故起きたかはさておき、起きてから後の会社や行政の対応は謎に満ちている。 たとえば、冷却水を抜く為の作業はどのような装備でどうやって行われ、抜かれた著しく汚染された(であろう)水はどこへ行ってしまったのか、住民より先に何故会社の人間が避難したのかとかまぁ報道各社も財閥系企業の起した事故だからスポンサーの都合とかいろいろあるんだろうけどまったくお粗末であると言はざるを得ない。
 今回の事故に関する諸々は、国家と言うものが信用に足る物では無い事を、我々国民が如何に国家になめられているかを示す物であり、ニヒリスティックな嘲笑的態度を示して傍観していると先々碌な事にならないであろうことをも示している。
 言論の自由などと言うものは最早我が国には存在しないし、ここでこんな事を書いている事がどんな結果をもたらすかも判った物では無い。

 今日の日記は暫くしたら消すかも知れない。

1999-09-28 [長年日記]

_ 飯田橋駅西口にあった

「飯田橋そば」と言う立ち喰いが閉店してしまった。 ここは窓から外濠のボート乗り場が見えたりする、綺麗な夕焼けの見える都内でも珍しい眺めの良い蕎麦屋だった。 ほんのり茶色くなる迄揚げたかき揚げが香ばしく、手際も良かったし、まぁまぁ繁昌していたと思ったのだが・・。 まっとうな商売をしている立ち喰いがまた一軒減った。


1999-09-27 [長年日記]

_ 荻窪の

プリズムに行って来た。 知人が何と比較してシーガルを買ったのか、その場にどんなワルい人がいたのか等など、確認して来た。 
 店にあったのはイオスRT、オリンパスOM−150mm/f1.4付、ペンタックスMX28mm/f2.8(シグマ)付、ペンタックスMZ−5、ペンタックスK2、といったところ。
 私はOM−1かMXあたりを買うであろうと踏んでいたのだけれど、それらを比較検討した結果、シーガルになったらしい。 ちなみにOM−1とMXとシーガルは同じ値段でした(笑)
 まぁ24mm/f2.8が付いてその値段なら十分安いし、シャッターの感触も良いカメラだから良い買い物だと思う。 閉店後、三鷹でやっていたロシア物レンズ限定の写真展「ロシアンフォーカス」を見に行った。 作例の為の作品の様なつまらない物は少なく、日大芸術学部の写真展なんかよりは面白かった。


1999-09-26 [長年日記]

_ うちのMacが

電話線と繋がって一年経った。 生活時間帯が変わったり、長電話が減ったり、行動範囲が広がったり、と、色々な事が起こった。
 「箱根の山から西はみんな敵だ、薩長の手先だ」などと言っていた私だったが、大阪やら名古屋やらに箱根の山の向こうに友達が出来た反面、江戸ものの風上にも置けないような野暮天ともめ事になったり、固定観念やら価値観もへったくれも無い大きな変化に正直振り回された一年だった。
 今は丁度無気力のまっただ中なのだけれど、そろそろ出口が見えて来た様なのでもう少しだらだらしてみようと思っている。 兎に角、借りた本を読んでからだ。


1999-09-21 [長年日記]

_ やる気ゼロの

日々が続いて書き忘れていた事を2〜3。 十五日と十九日と昨日の日記を追加した。

1999-09-20 [長年日記]

_ 先週の

日曜に頼まれ仕事で撮った写真が上がってきた。 使ったカメラはライカD−IIIとゾルキー1dとペトリMF−10、レンズはズマール 50mm/f2と、ジュピター3 50mm/f1.5と、ジュピター12 35mm/f2.8と、エルマー 35nn/f3.5と、ペトリ50mm/f1.7と、フレクトゴン35mm/f2.4と、ジュピタ−9 85mm/f2。 エルマーとジュピタ−はダメだったが他は大旨使い物になった。 ただ、前時代的なソフトフォーカスのポートレート写真を貰った子供が喜ぶかどうかは知らない。


1999-09-19 [長年日記]

_ 訳あって

東京ゲームショウへ。 別にゲームがやりたい訳では無く、引っかかりの有るブースで日がな一日写真を撮ったりお客になったり手伝いをしたり。 そこのブースのイベントの仕上がりはさすがに良く、それなりに有意義な一日だった。 しかし、隣のコンパイル(「ぷよぷよ」の会社、・・・と言うか「ぷよぷよ」しかない会社)のブースが矢鱈滅鱈うるさい。 「ぷよぷよ」大会だのカラオケ大会だのなんだのかんだのとまったく・・・。 そんなデタラメな企画ばかりやってるとまた放慢経営で潰れるぞ。

_ さらに

反対側のブースでは小峯隆生が「XFIRE」なるプレステ2用の鉄砲ぶっ放しゲームのイベントをやっていた。 「モーションキャプチャー用におねえちゃんを4人集めて6ヶ月軍事教練をした」と威張っていたが、まぁまぁの動きだった。 そうとう苛めたのだろう。

_ しかしながら

ゲームショウの客と思しきクソ餓鬼やとっちゃん坊やで溢れかえる往き還りの電車の乗車マナーは最悪で、この國の将来が如何に暗いかを思い知らされた。


1999-09-17 [長年日記]

_ ホームページを

分割民営化してみた。 本家 墨田ペトリ堂と元祖 墨田ペトリ堂に分けた。
 新しい所はここです。 まだ大した中身はありません。


1999-09-15 [長年日記]

_ 昼から

浅草へ。 後輩のM田くんに三脚と小物の受け渡し。
 クソ暑い中、とりあへず染太郎という扇風機しか無いお好み焼き屋へ。 私は生姜天とげそ天とレモンサワー、M田くんはお染め焼きとオレンヂジュースを注文。 ここは冬でも暑く、夏はもっと暑いが安くて旨くて古い(笑)。 普通食い物屋に飾ってある色紙と言うとリポーターやらなにやらの物が多いが、ここは目立つ所にいきなり坂口安吾。 そのくらい古い。
 買ったレンズの調子がおかしいとのことで荻窪のプリズムへ。 水曜定休なのだけれど祭日だから開いているかなぁ・・・と思って行ってみたら矢張り休み、そのまま中野へ行って引き伸しレンズを探す。
 Fヤ、N東商事と回ったが安い出物は無く、Fヤでシュナイダーの80ミリを買った。 頑張って焼いてくれM田くん。
 その後南口のパルテに行くとゼロハリのスーツケースが置いてあって、「番号が判らないからやってみてくれ」と言われて、480から999まで二人でやったが結局開かず。
 バーガーキングでお茶してから、金も無いのでとっとと帰ってクソして寝た。(←おげれつ)


1999-09-14 [長年日記]

_ こないだの

土日は頼まれ仕事で昔やっていて喧嘩して辞めた鼓笛隊の写真を撮って来た。 隊員をマンベンナク撮るのは疲れるし面白くも無いのでダメレンズを総動員してみた。 上がりが楽しみだ、色んな意味で。

_ さて

今日からメインの掲示板を変えてみた。 実はtcupのヤツはパスワードを忘れてしまっていて荒らされても削除したり出来なかったのでした。 こんどのやつはセキュリティレベルも高そうだし、速いし、繋がりも良いので当分これでいってみます。


1999-09-09 [長年日記]

_ 昨日

初めてジオシティのホームページが削除されるとどうなるのかを知った。 消されたヤツは誹謗・中傷の「管理者の敵リンク」(と掲示板)のみの内容であったらしく、消されても致し方ないのだけれど、ページそのものが削除されるだけで無く、メールアドレスも無効に成る上tcupの掲示板まで消されてしまったと言うから驚いた。 うちもこの先どんな事が起こるか判らないのでイロイロと考えている。

_ 今日

駅からの帰り道でおでん屋が流していた。 秋だ。


1999-09-07 [長年日記]

_ 掲示板を

もうひとつ借りてみた。


1999-09-04 [長年日記]

_ 加入している

カメラ関連のメーリングリストのオフ会が有ったのだが、休みに成らず、むかっ腹が立ったついでに青春18きっぷが一枚余っていたので夜行・日帰りで京都に行く事にした。
 またもやムーンライトながらの指定席は取れず、品川発の臨時大垣行きに並ぶ羽目に成ったが、御盆の時よりは空いていて、なんとか座る事は出来たし、冷房が効かない様な事も無く眠ったまま大垣へ。 大垣始発の快速では座席にありつけなかったので、米原で見切りを付けて新快速に乗り換え。 座れたのは良かったが、乗り心地が良すぎて眠ってしまい気がついたら京都駅を発車する所。 高槻で降りて戻ってくるあいだに九時を回ってしまった。
 駅のホームで饂飩を啜り込んだ後、地下鉄に乗・・・ろうと思ったら待ち合わせていたカボさんが早めに(1時間も^_^;;;)ついてしまったとのことで、急いで三条京阪へ行き、とりあへず地上に出た。 いつの間にやらドトールだの珈琲館だのが出来ていたが、兎に角紅茶が飲みたかったので三条のアーケードの中のリプトンへ。 アールグレイ、¥550−。 ブツの受け渡しをしてから、ひとしきりぐだぐだと話をした後、寺町から錦小路へ。 写真を撮ろうにも人が多いのと暑いのとで気分が乗らず、河原町通りへ戻って中古屋を冷やかした。 手持ちの・・・と行っても「ひたひた」に貸しっぱなしになっているペトリ35くんが何と二万四千円で売りに出ていてびつくり。 しかも難あり。 木屋町に入って高瀬川沿いを三条方向へ歩き、ムツミ堂と言う大き目の中古屋へ。 私のライカを気に入った様子のカボさんに普通に売られているライカが如何に高いかを説明。
 することが無くなったので京阪で出町柳まで出て、そこから更に叡山電鉄で鞍馬まで行ってみた。 行ったは良いが山と寺と高そうな食い物屋と怪し気なみやげ物屋しか無かったので周囲をうろうろしてからとっとと市内へ戻った。
 四条辺りで時間を潰そうと思ったら、銀行と株屋しかないので京都駅へ。 伊勢丹の上の、昔池袋駅の地下にあったスナックランドをこぎれいにした感じの軽食屋のごった煮のようなところで昼飯。 がやがやうるさすぎるので駅構内の喫茶店へ移動。 ライカと偽ライカの操作感の違いを説明したりなんだりしているうちに4時近くなってしまったのであわただしく別れて新快速に飛び乗った。
 で、時刻表を確認してみるとどうも計算があわない。 京都から鈍行を乗り継いで帰れる最終時刻を1時間間違えていたのだ。 石山で飛び下りて銀行へ駆け込み、金を下ろしてつぎの新快速に飛び乗って米原迄。 米原から浜松行きの快速に乗って蒲郡迄、蒲郡から豊橋迄新快速。 豊橋から静岡まで新幹線(乗車券+特急券=¥4300−、とほほほ・・・) 、静岡でようやく東京行き最終列車に追い付いて、なんとかその日のうちに帰ってくる事ができた。 もっとも、既に日付けは変わっていたが。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

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1999-08-31 [長年日記]

_ 仕事を

5時て切り上げて新宿のロフトプラスワンへ某オールナイトイベントを見に行く。 さぞかし混むであろうと予想して早めに行ったが、平日であった為か人が並んでいる訳でもなく、見知った顔もまだ来ていなかったので中古カメラ屋を冷やかしたあと、焼き鳥横丁の岐阜屋で腹ごしらえ。 6時半に中に入りそのまま4時半迄流連。 翌日は丁度病院へ行く日だったので、松屋で牛丼をかっ込んだあと山手線で4周半仮眠し、病院へ行き、出社。 流石に疲れた。


1999-08-30 [長年日記]

_ 日本カメラを

落ち着いて立ち読みしてみたら、いきり立って噛み付く程の事は無かった。 つまらん。

あの程度のうそならまぁいいかな・・・と、どうせペトリなんざ使やしねぇんだろうから間違っていても仕方ないかな・・・と。 モウドウデモ良く成ってしまった。

_ 中野の

Pで親爺に「素人に一眼レフを使わせるとしたらどれが良いですかねぇ?」と聞くと、「余ってるペトリを貸してあげれば良いじゃない」と言われた。 ダメだ荻窪に行こう(笑)


1999-08-29 [長年日記]

_ 土・日と

喜多方に行って来た。 フジのSS690と言う引き伸ばし機を担いで、鈍行を4本乗り継いで会津若松に付いた頃には昼になっていて、友達の車で蕎麦屋へ。 不味かったので何処で食べたのかは書か無いが忙しく成り過ぎると商売が荒れるのは悲しい物だ。

夜はおばさんの作った物をつまみに酒盛り。 傷に良く無いので深酒する訳にも行かずビール1・と日本酒1合だけで済ませた。 カボチャ・豆腐・油揚げ・枝豆・トマト・キュウリ・・・何でも旨いのだけれど、東京でこのような物を美味しく食べようとする事は既に「贅沢」であることを指摘され「何でお前は東京に暮らしているんだ」と聞かれ返答に困ってしまった。 定期的にやって来て豆腐だの油揚げだのを喰って酒を飲んで帰って行く東京者を先方は不思議に思っているようだ。

_ 本屋で

カメラ雑誌を立ち読みしたところペトリの一眼レフ「ペトリフレックス・セブン」について書かれた記事が余りにもいい加減なのに驚く。 現物を見ずに資料だけで書いている事がありありと判る事実誤認ぶりと、貶されて然るべき欠陥を無理くり誉めてしまう詭弁には呆れた。 「提灯記事」の典型的な例であると言って良いだろう。 ただでさえ「その物自体の価値」とかけ離れた高値で店頭に並んでいるペトリフレックス・セブンは、これによってさらにとんでもない値段に成って行く事だろう。


1999-08-27 [長年日記]

_ 中野の

Fヤに行くと、中判カメラのコーナーに聞いた風な口をきいて店員を困らせている客が居た。 東ドイツ製のペンタコンシックスと言うカメラを買う様な買わない様な優柔不断なモジモジ野郎で「アフターサービスはどうなっているんですか?メーカーは有って無い様な物なんでしょ?」とか「腐ってもドイツ製ですからねぇ・・・」とか当たり前の事を言っていやがる。 東ドイツの製品にアフターを求める方がどうかしているし腐っているから東ドイツなんじゃないか。

西ドイツ製のカメラはただの煮豆です、そこそこ美味しくて食あたりの心配も有りません。 ところが東ドイツのカメラは腐敗した煮豆なのです。 ただの腐った煮豆か美味しい納豆なのかは食べてみる迄、いや、消化する迄判りません。 リスクを背負って使うから面白いのであって甘く見ると酷い目に合います。

色んな意味で「当たるとデカイ」のが東ドイツをはじめとする共産圏のカメラなのです。


1999-08-22 [長年日記]

_ 気分は

ダレダレで、昨晩は九時半頃寝てしまい、今朝は四時五十分過ぎに目が醒めて、とりあへずメールチェックそして巡回。 七時過ぎにまた寝て、昼過ぎに何となく起き出して雑炊をつくった。
 昨日買って来た牛の切り落としを少し入れ、仕上げに野菜ジュースとバジルとオレガノを入れてオリーブオイルをたらして出来上がり。 インチキイタリア風偽リゾット。 こういう余計な事をすると親父は絶対に手を付けないので一人分作れば十分足りる。 白瓜を刻んでかつぶしと醤油で和えた物をおかずにした。
 喰い終えてから大阪方面にいたずら電話。 「チャントメシヲ喰エ!」とポジティブなお説教をしてひびらせてから名古屋方面の鬼畜な人の鬼畜情報を仕入れた。
 夕方になってようやく涼しくなって来たので、萩原朔太郎詩集とカメラを持って川へ。 金の無い人は他にも大勢いると見えて、河原は釣りをする人とそれを見る人で一杯。 落ち着かないので川向こうへ行ってみる事にした。
 四ツ木の駅前から渋江商店街へ。 ampmですら0:30で仕舞ってしまう農道そのままのくねくねと細い商店街には人気も余り無く、中華そば屋兼たばこ屋とか金型展示場とか布団打ち直しとか良い感じに古汚い木造のみせが並んでいる。 ここは交通安全の看板も変わっていて、無季不定型字余り有り有りのアヴァンキャルドな自由律標語が、前衛書道ばりのひん曲った字で書きなぐられていて物凄い。



おしゃべりを 道路でしてたら

あぶないよ お母さんたち



交通のルールを 守らない人

いけないよ



交差点 気をつけないと

ドッカーン!



見かけたのはこれだけだが探せばまだまだありそうだ。 おそるべし東四ツ木南町会。
 駅前の玉子屋と言う割烹の出店でぬか漬けと鰻の骨を買って帰った。

_ -今日の言葉-

 だが最も本質的な事は、書物はどのような手に落ちるかわからないのに、一定の表現を保持しなければならない、ということである。 この表現が、その読者たるものの精神的水準や本質的性質にぴったり応ずれば応ずるほど、一般にその効果はますます大きいのである。 だから大衆を目的とした書物は、はじめから文体と程度において、より高度の知識層を目的とした著作物とは異なった効果があるようにせねばならない。


アドルフ・ヒトラー著「わが闘争」より



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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