高校野球で盛り上がっているが、私は嫌いだ。 野球は好きだけれど「野球部」とか「野球部員」と言う手合いは嫌いだ。
それはさておき、先日買って来た「ニーチェの顔」と言う本が面白い。 岩波文庫版の「ツァラトゥストラはこう言った」を訳した氷上さんの著書なのだけれど、「ツァラトゥストラはこう言った」に脚注が無いわけがやっとわかった。 この本の中で氷上さんはニーチェの思想の背景、ヘーゲル、ワーグナー、ショーペンハウエルとの関わりなどについて詳しくしかも判りやすく述べているのだけれど、これがまた非常に面白い。
特にヘーゲルの文章が何故晦渋で言はんとするところが判りにくいかについてのくだりは明快で、ニーチェの著作に関する本は何冊も持っているけれどこの本が一番良心的で且つおもしろい、お薦めです。
氷上英廣著「ニーチェの顔」より
八戸を出て五時までに仙台に着けば鈍行で帰れたのだけれど、仙台の手前から大渋滞が始まり仙台市内に入ったのは七時過ぎ。 結局家迄送ってもらったが、着いたのは夜中の二時半過ぎだった。
起き出して青森までみちのくプロレスを見に行った。 今回の収穫はカレーマンとマグナム・トーキョーとTAKAみちのくを生で見られた事であった。 カレーマンは意外に動きが良く、TAKAも思いきりの良いいつものプロレスで見ごたえが有った。 圧巻はやはりマグナム・トーキョーで、ユーロビートに乗って花道に現れてクネクネ踊り出すや否や客の3/4が群がって我先におひねりを股間に捩じ込み、記念写真を撮り、握手をし、一周回ってからリングに上がる頃には五分くらい経っていただろう。 リングの上でトランクスから掘り出して若いものに渡したおひねりはどう見ても五万円以上にはなっていた。 おそろしや。
試合中もカレーマンのマスクに付いているカレーを隠し持っていたスプーンでほじって喰うと言うお茶目もやらかし(辛かったと見えて水を飲んでみせるオチまでついていた)、試合後はおひねりと一緒に捩じ込まれていたお便りを読むコーナーまでついていた。
八戸に戻ってから大関という食い物やで晩飯。 ここはふつうに頼むと普通の量で出てくるが、大盛りにすると物凄い事になる店で、総統は炒飯をイナダ氏は大盛りカツカレーを私は大盛りカツ丼を頼んだ。 大盛りカツカレーは皿のふちで表面張力でバランスを取っている様なありさま、大盛りカツ丼もてんこ盛りの飯の上でカツの玉子とじがゆらゆら揺れている。 気合いで完食した我々は部屋に帰って辻斬りをして寝た。
乗ってからは延々雨。 隣が女の人だったので乗務員がそちらに気を利かせたらしく、私は運転席の後ろに移されたが結局碌に眠れないまま仙台着。 ドトールで時刻表を見つつうつらうつらしてるとK小林さんがやって来てカメラ、写真、その他諸々について話をして店を移動しようと思ったら御盆でことごとく休み。 仕方なく駅前のマックへ。 「立原道造詩集」を強くお薦めしている所にわたりょが登場。 再びぐだぐだ話をしたあと、向こうは原ノ町へグラフ記事の取材へ、私はその日のうちに鈍行で八戸へ行かなければ成らなかった為、豚カツをくって別れた。
総統の家へ。 「羅刹の刻」とか言う3Dポリゴン人斬りゲームをやっていたところ、町人にものを尋ねる時は刀を鞘に納めなければならないのだけれど、これが何かこう違和感が有った。
「辻斬り、できるんじゃない?」
「おぉ〜!!斬れる斬れる(喜)」
と言う訳で夜中迄「大辻斬り大会」をやって寝た。
始まったが、いきなりしがらみで拘束されてしまい、解放されて家に帰ったらもう四時半を回っていた。 十四日は仙台で友達に会った後、大学の先輩である総統の家に伺候することになっていたが、その日のうちに鈍行で仙台迄移動するのは不可能になっていたので、北へ向かう夜行バスを片っ端から空席確認・・・しようと思ったらすぐに仙台行きが取れたので、仙台の友達に電話を入れて朝っぱらから遊ぶ約束をして、とりあへずは旅支度。
八重洲口を出てバスターミナルへいくと、仙台行きはここではなく八重洲通りの東武トラベルの前だと言う。
「徒歩で10分くらいですね」と言われてげんなりしながらも言われた方向に歩いて行ったが、それらしきものは影かたちで一向に見つからない。 行きつ戻りつした挙げ句交番で聞くと「この後ろ30メートル」とのこと。 たしかに10分かかった。
目の前でうちの営業がぎっくり腰になった。 梱包した印刷物の包みを両手に一つづつ掴んで持ち上げようとした瞬間に「うっ・・・」と唸って固まってしまった。 「いたたたたた」とか言っていられるのは軽症な内だけであって、本当にやってしまうと固まって声も出せぬまま脂汗をたらすしかないのです。
彼の御盆休みは始まる前にもう終わり。 コルセットをしたまま絶対安静にしていなければならないそうだ。
件の掲示板を覗いてみると「7/15と7/24のお前の二面楚歌にある人の悪口を書いてそれに直にリンクを貼った事が許せない云々」「重箱の隅をつつくような下らない事をするな」等など、匿名で返答をしておられたのであるが、さっき確認しようと思って覗いてみたらすでに私の発言だけ消されていた。
自分たちがする理不尽な誹謗中傷は許してもそれに対する反論は許さないようだ。
寝たと言うのに人の気配がすると起きてしまう貧乏性の私は、カボさんが起き出した十時過ぎには起きてしまい、風呂を借りた後、カボさんにカメラの使用説明と写真の話をひとしきり、バチコン氏が起きて来て人間椅子とマリリン・マンソンとオジー・オズボーンのビデオを鑑賞。 いつの間にやら三時半を回っており、吉野屋で飯を喰い、かどやで抹茶ソフトを喰らい、森小路から千林を経て淀川に散歩。
既に愛知県に入っており、回ってきた車掌に検札をしてもらっているうちに蒲郡を過ぎて、あれよあれよと言う間に終点の大垣に着いた。 私は急いで列車を降りて接続列車のホームを目ざしたが旅慣れない喇叭工大生くんが必死に付いてきただけで宗教大学生くんはどこかへ行ってしまい、米原で姫路行きの新快速に乗り換えた工大生とも別れた私はようやく一人になり、うつらうつらしいてるうちに大阪駅に着いた。
指定券は予想通りとれず、品川発の臨時大垣行きに列ばなければならないと言うのにはずせない飲み会が入ってしまい、ようやく上野の焼肉屋を抜け出して品川に着いた頃には座れるかどうかギリギリの所迄列が伸びており、短そうな所を見繕ってとりあへすしっぽに付いた。
開いてからとりあへず車両の中心へ向かう私と大学生二人を尻目に、メガネは入り口の脇の席に早々と腰を落ち着けてくれたので、ようやく訳の判らない話から逃げる事が出来た。 一つ空いた席には喇叭を担いだ工大生が座り、列車は動き出した。 車内の冷房は申し訳程度にすら効いていない蒸し風呂状態で途中の駅で横に並んだ「ながら」の広々とした座席や、如何にも冷房が効いて涼しそうな結露した窓や、きもち良さそうな寝顔を横目に見つつ眠りに就いた。
感じつつも、しがらみで上辺だけの付き合いをしていた人が、私を無視して呉れる様に成った。 非常に有り難い事だ。 こっちも切り時を探していたので手間が省けた。
喧嘩をするにもそれなりのエネルギーを必要とするので疲れている時には不愉快では有るけれどこういう展開も悪くは無い。
病院へ。 相変わらずの混みようで、おまけに急患が入ったりなんだりして、病院を出る頃には2時半を回っていた。 もう風呂に入ろうが何を喰おうが好きにして良いようだ。 会社に顔を出し、四ッ谷に出て久しぶりにラーメンを喰らい、モールで写真展を見て帰った。
来週の頭から出社。
「韓非子」より
M田君が来た。 昼に浅草で待ち合わせて六区の辺りのうらぶれた露地ををうろうろしたあと、上野へ。 公園の中を抜け、芸大の横を通って谷中へ。 墓地を抜け、商店街をひやかして、日暮里から京成で町屋へ。 町屋から都電にのったりおりたりしつつ、王子のマクドナルドで飯。 チーズバーガー2個LLセット、550円+5%。
街の中で写真が撮りたいと言うので、観光客の行かない東京の街を日がな一日歩き続け、写真を撮り続けた。
マミヤの21mm/f4を貸したらハマッテしまい、「20mmが欲しい」と言うので、荻窪のプリズムへ。 丁度ウクライナ製ミール20mm/f2.5があったので、カメラにつけて覗かせてみたら気に入った様で、カードで買っていた。 中野のPに寄り、浅草でM田君を見送って帰宅。 疲れたが楽しい一日だった。 これで酒が飲めれば言う事は無いのだが・・・。
昨日書き忘れていたが、「ペトリ研究会」と「スクリューマウントの部屋」を更新。 「ペトリ研究会」の方には最末期のペトリのカタログから、へなちょこさ加減が何とも言えない文章を、誤字・送り仮名の間違い・文章表記上の間違いもふくめて原文通り掲載。 カメラに興味の無い方も読んでみて下さい。
李太白「襄陽歌」より
怪我して以来初めて立ち喰いそばに入った。 秋葉原駅総武線ホームの「田毎」、たぬきそば、370円。 まぁ食べるのに時間がかかるので立ち喰いと言っても椅子の有る所なのだけれど、とにかくそこでたぬきそばを食べた。 左手で箸を使うのにも大分慣れてきたので、それほど時間をかけずに食べ終える事が出来た。
昨日の十一時半頃、いきなり接続が切れて、そのあと全く繋がらなくなって抑えのプロバイダに切り替えたのだけれど朝になったらちゃんと繋がる様になっていた。 サーバーがどうにかなっていたようだ。
明日後輩のM田君と一緒に写真を撮りに行くので右手でシャッターを押せるかどうか試してみる。 一番軽いペトリならなんとかなりそうだ。
嗚呼、酒が呑みたい。 暫くは、と言うか、当分の間禁酒生活を続けなければならない。
中江兆民「三酔人経綸問答」より
朝起きたら既に10時になっていて、慌てて病院へ。 受付が11時迄なので、駅迄タクシー、駅からタクシー。 ようやく間に合ったが矢鱈と混んでいて、診察は12時過ぎに成ってしまった。 傷口の消毒と軟膏の塗布だけですまされそうになったので、指の腫れが引かない事、皮膚感覚が怪しい事、痺れが弱くなった分鈍痛がする事、等を説明して指を延ばす為のギブスを造ってもらい、神経を伸ばす薬の処方箋を書いて貰い、労災の申請書類の書き方を聞いた。
その足で会社へ、機械は昨日になってようやく直ったのだそうだ。 こっちは当分治らないが。
労災の書類に必要事項を記入して貰い、私がいない分負担がかかる同僚に詫びをいれて退社。 来週末迄とりあへず休む事になった。 そして、ボーナスも出た。 とりあへず出た。
帰りに四ッ谷のモールへ行き、木村伊兵衛や桑原甲子雄が影響を受けたと言うフランスの写真家ウジェーヌ・アジェの写真集を買う。 3140円、佳し。 二階のギャラリーでやっている「平岡三和写真展-ワレ、ナニモンジャ-」を三たび見る。 同じ写真展に三度も足を運んだのは初めてだが、それだけの価値は有る面白い写真展だった。 曼陀羅の様に重層的且つ幾何学的に並べられた写真は、見る度事に新しい発見が有る・・・様に私には思われたのだけれど、「見づらい」「判りにくい」と言うような感想が少なからずあったのだそうだ。 作者の意図は私の感想と合致していたそうで、他の客をうっちゃらかしてその辺りを(私には珍しく)熱く語り合った後、名刺を貰って帰って来た。
帰りのバス停で、孫と思しき子供を二人連れた50がらみのおばさんが列の先頭に・・・と言っても二人しかいなかったが、に、なし崩しで割り込もうとしたので「奥さん、お並びになったら如何ですか、列が有るんですから。」と言ってしまってから、自分が山の手言葉を喋っているのに気がついた。 我ながら器用な奴だ。 こういう時に下町風の巻舌になると絡んでいる様にしか見えない。
本のページの「小説(戦後篇)」を更新。
昨日掲示板に書いた内容がそのま流れて行くのは惜しくなったので、「文庫・新書」にその文章を挿入し、て・に・を・はを直して更新。
日記も六月分を別にした。
病院へ。 怪我をしてから初めて右手を洗った。 こびりついたインクはなかなか取れず、暫く看護婦さんがごしごしやっていたが、結局取れなかった。 湿布を交換してお仕舞い。
会社へ。 同僚に挨拶をしてから社長にその後の経過説明。 ぶった切ったシャフトを再生産しているので14日迄、機械は動かないとのこと。 怪我の功名とでも言うべきか、関係無い所で重大な故障が見つかり一緒に直していた。
とり肉屋で「こにく」(骨にこびりついていた部分や、肉を整形した時に出る細切れの肉)500グラムを買い、家に帰ってから鶏粥を片手で作る。 たんぱく質を採っておかなきゃいけないのである。
六条と長電話。 送ったカメラの使用説明をしたあとで、その他諸々の話をする。 こちらの言いたい事がどれだけ伝わったかは判らないが、まぁ、或程度は伝わったと思うので「良し」とする。
田中に電話。 「いやぁ、思ったより腫れの引くのがおそくて・・・」と言うと、「一時間近く挟まっていたんだから当たり前だ。」と言われた。 そりゃそうだ。
起こされた。 看護婦が見回りに来る度に「革命的警戒心(笑)」で、目が醒めてしまう為に、良く眠れなかった。
人参のピューレを錬り込んた小さなパン二つ
マーガリン一かけ
春雨のサラダ
ヨーグルト
牛乳200ml
箸も匙もついおらず、ヨーグルトはストローで吸って減らした後、牛乳で溶かして飲み、溶けかけていたマーガリンは冷凍庫で固め直し、春雨はストローでかき込んだ。
ひとっ風呂浴びてから諸方へ退院の挨拶へ。 その後ロフトプラスワンの知り合いのトークライブへ。
てめえで行っておいてこう言う書き方もナニですが、非常に胡散臭いイベントなのて詳細は秘密と言う事で。 でも何故か怪しいTシャツが一枚と怪しいミニコミが一冊手許に有ったりする。 イベント自体は朝迄やっているのだけれどけが人なので、家族の手前終電前に帰った。
東京女子医大病院へ、湿布を取り、触診そしてエコー。 予想通り血腫も無く、「浮腫」ということであった。 腫れが酷く、
「経過を見る為に二三日入院してください」
といわれ、部屋が空く迄処置室で寝ていた。 一時過ぎに空いた病室へ移動。 6階の南向きの非常に眺めの良い部屋。 用意されていた昼飯は、
白い御飯
豆腐とわかめのすまし汁
切り干し大根と人参ととり肉の酢の物
赤魚の煮付け
大根おろし
野沢菜
コーヒーババロア
ほうじ茶
左手で箸を使い、気合いで全部喰った。
ジャーマンドッグ
豆パン
を喰って、暫く寝た。 手を吊っておいた方が良いとのことで点滴台に吊られて、本格的にけが人らしくなって来た。
晩飯が6時過ぎにやって来た。
白い御飯
ビシソワーズ
とり肉のハンバーグ
えびとチンゲンサイのスープ煮
ブロッコリーのお浸し
左手で箸を使って喰うのは矢鱈時間がかかってイライラするがまぁ仕方が無い。 本を読もうと思ったが、左手でページを繰るのは思いのほか大変で、イライラしてすぐに止めた。
終わろうとしていた四時五十五分、洗浄中の機械に右手を巻き込まれた。 普通は肩口まて喰われて、ようやく止まるそうなのだが、奇跡的に手首の手前で止まった。
レスキューが機械をぶった切って救急車で病院へ行く頃には小一時間経過していて、手はパンパンに腫上がっていたが、幸い骨折も外傷も無く、患部の洗浄・消毒をして、レントゲン撮影、リバー湿布をしただけで
「明日、もう一度外来に来て下さい」
と、言う事で帰った。
私の家の電話番号が控えていなかったらしく、鞄と財布の中身を根こそぎ社長に見られた。 その日の鞄の中身は、カメラ2台とレンズ一本、レンズフード2個、現像屋から上がって来た写真、下書きノート等で、仕事に関係の有る物は弁当箱しかなく、財布の中には怪しい名刺がごちゃまんと入っており、非常に気まずかった。
下書きノートは私しか読めない様な文字が連なっているので多分ほとんど読めなかった思うが、「日光・鬼怒川」の下書きはほぼ会社の悪口なので冷や汗物だった。
家に帰ってとっとと寝た。
無事出たので中野へ。 Pへ行くと新品同様と言っても良い位の、程度の良いOM−1Nが出ていて、値段を聞いたら
「うーん、線路の向こうだとゴニョゴニョだけど2で割ってもウゴウゴだから、ウーン・・・ホニャララでいいや」
という訳でそのOM−1Nは六条が本当に買うかどうか確認してないのに、何故かここに有る。
買わないなら、まぁ、ね、へへへ、ざまぁみやがれ。
何とか五時半で切り上げた私は、一目散に家に帰り、荷造りをし、連絡をとったりなんだりをしているうちに七時半を回ってしまって、慌てて家を出て、タクシーを捕まえて上野へ。 新幹線と在来線を乗り継いで喜多方の友人宅へ。
飯を喰って翌日の予定を確認してとっと寝た。
仙台でやる写真展の為に、ひと月も前から申請してあった休みが没になった。 ひと月の間残業したり昼休みを削ったりして納期を前倒ししてきたのに、その分仕事を詰め込んだようだ。 にこにこしながら「金曜日はだめだねえ、土曜日に早上がりすることは可能だけど・・・」って、そんなことで済むならはなっから休みなんざ申請しやしねえってことが判らないらしい。
今後は仕事以外で会社の為に時間を使うのは止める事にした。 社員旅行には行かない、忘年会・新年会では酒を呑まずに中座する、必要以上に残業しない、納涼なんたらもトゥインクルレースも何もかもやめる。
人間関係がどうなろうと知ったこっちゃぁない。 正当な手続きを踏んでも休めないのなら、会社とは労働力を提供して賃金を貰うだけの関係に単純化して、それ以外の部分を切り捨てて自分の為に使える時間を確保するしかない。
許せないのはこの予定が以前から決まっていたにも関わらず、私が今週に入って確認しに行く迄黙っていた事だ。 面倒臭いことは判断を停止してなあなあで済まそうとする姑息さが厭だ。
とりあえず、金曜日に休みを貰えない事だけははっきりした。 明日、土曜日に休めるかどうかが決まる。
「本」に小説(戦後篇)を追加
Marcus Aurelius 「自省録」より