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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


1999-08-05 [長年日記]

_ 生理的嫌悪感を

感じつつも、しがらみで上辺だけの付き合いをしていた人が、私を無視して呉れる様に成った。 非常に有り難い事だ。 こっちも切り時を探していたので手間が省けた。

喧嘩をするにもそれなりのエネルギーを必要とするので疲れている時には不愉快では有るけれどこういう展開も悪くは無い。


1999-08-01 [長年日記]

_ 先週の頭から

出社しているが矢張り疲れる。 未だ軽作業程度しか出来ないのだけれど、体を動かしたり指を使ったりすればその分腫れてくるので、その都度水で冷やして暫く休憩する、でまた動く、で冷やして休憩。 延々このくり返し。 夜は夜で良く眠れないから一日中眠い。
 そんなこんなで先週は碌に更新をしなかったし、日記も書かなかった。 仕事に関する事は余程厭な事が無い限り書か無い事に決めているので、仕事をするだけで手一杯になってしまうと何も書きようが無くなる。
 昨日、父方のおばさんが亡くなった。 父方の親類とは疎遠なので生前に会った事は無いのだけれど、お通夜と告別式に行ってきた。 複雑な人間関係を目の当たりにしてげんなり。 来週は「メール強化週間」。 会社から寄り道せずに帰って質素倹約、休みに備える事にした。


1999-07-25 [長年日記]

_

起きない。 昼頃起き出してハナマサと言う業務用の食料品も置いているスーパーへ買い出しに出掛けた。 とり肉2キロ、スパゲッティ2キロ、豚肩ロース400グラム、冷凍いんげん500グラム、冷凍さといも500グラム、マカロニ1キロ、野菜ジュース1リットル、とりレバー400グラム等々を買う。 4000円弱。  家に帰って「とりレバーのトマト風味煮」を作った。 レバー400グラムを茹でて、火が通ってきたら適当にガラスープの素をぱらぱらと。 野菜ジュース500ccとバジル、オレガノを加えて2/3くらいに煮詰めて、煮詰まってきたらマカロニを叩き込み、マカロニが食える程度にふやけたらオリーブオイルをひとったらしして出来上がり。
 これを晩飯のおかずにしようと思っていたのだけれど、晩飯を喰う時間には親爺と妹によってあらかた喰い尽くされており、豚肉と茄子で同じ様な物を作っていたらバチコン氏から電話がかかってきた。

 「あぁどうもは◯◯まですゥ」「今ライブ終わりましたんでェ、カボにかわりますゥ」と勢い良くしゃべったあとすぐカボさんにかわった。 仄聞したところによると、バチコン氏は初対面の相手であったり緊張したりすると大阪弁で「ばぁーっと」しゃべるらしいのだけれど、私相手でも緊張するのかと思ったら一寸可笑しくなった。 
 で、御夫妻、昨晩は飲み会を早めに切り上げて「そのへん」に泊まったそうなのだが、オンエアーの近所で「そのへん」と言うとまぁ円山町になるのだけれど(謎笑)夫婦連れはこういう時手っ取り早くていいなぁと思った。
「今日は(私の予想通り)昼頃から活動を始めたので西新宿をうろうろした程度でなにも出来なかった」と言っていたが、まぁ帰りの足も確保出来た様なのでよかったよかった。
 このへん迄話したところで、鍋が焦げる寸前の厭な音を出し始めたので電話を切った。
 今年の夏は私も大阪方面に言ってみようと思っている。
 明日から出社。 気が重い。

1999-07-24 [長年日記]

_

謎の電話で起された。 家では私の名前を正しく読めない人は押し売りか何かだと判断する事になっているので、「ひろつぐ」と読んでしまったその人は母親に自分が何者であるかを事細かに説明する羽目になったようだ。
 漸く取次がれたその電話の相手は人間椅子のライブの為に夫婦で東京に来ていたカボさんで、11:30に澁谷のハチ公前で待ち合わせる事になった。 ネタを仕込んでいる暇は無かったのでとりあへず写真を貼り付けたノートとカメラを鞄に詰めて澁谷へ向かった。
 なんでだか良く判らないが何故かハチ公前に居たべにをさんとセンター街のマクドナルドへ移動して朝飯。 写真を見せつつぐだぐだ話をした後「ひるオフ」の有るべにをさんと別れて中野に移動。
 南口のPのウインドウを冷やかしてからブロードウェーへ行き、中古CD屋を覗いたらビーチボーイズの「テンイヤーズオブハーモニー」と言うアルバムを見つけた。 買おうと思ったらなんと¥9800-、プレミアが付いて元値の三倍になっている。 一寸二の足を踏む様な価格だったので、出資しそうなひたひたに電話を入れておいた。 ブロードウェーの中をひと回りしたカボさんが足を止めたのは「中古CD屋」「ねこぢるグッズ」「ねじ式Tシャツ」「サトちゃんグッズ」など。 涼みに入ったのにクーラーが全然効いていないミスタードーナッツの中で、写真やらカメラやらネット上にはびこるバカやらについて話をしていたら時間になってしまい、ライブの会場である渋谷のオンエアー前に移動。 旦那様であらせられるバチコン氏に挨拶をして帰ってきた。
 カボさんは思いのほか可愛らしい見た目の人で、この外見でころっと参ってしまった人はホームページで公開されている詩とか文章から見て取れる内面とのギャップにさぞかし困惑するのだろうなぁ、と思った。 そして外見を見て、且つ内面も垣間見てしまった私は「あぁ、この人は人妻なのだなぁ・・・」と密かに嘆息するのであった(笑)。 これで旦那がどうでも良い様な人だと「くそっ!勿体無ぇ」と、また.面倒な事に成るのだけれど、バチコン氏も切れた凄い人で有ったので非常に助かった、と言うか安心した。
 夜、ひたひたから電話。 ビーチボーイズの件は高すぎるので却下、と言う事になり、話のついでで7/15の日記に書いたダメページのURLを教えて感想を聞いた。 結論は
「自分と言う人間に自信が持てる様になる、と言う点では良いホームページである」

と言う事、それ以上は言わぬが花と言うものだろう。
 けだるい気分で電話を切って寝た。

1999-07-23 [長年日記]

_ 朝から

病院へ。 相変わらずの混みようで、おまけに急患が入ったりなんだりして、病院を出る頃には2時半を回っていた。 もう風呂に入ろうが何を喰おうが好きにして良いようだ。 会社に顔を出し、四ッ谷に出て久しぶりにラーメンを喰らい、モールで写真展を見て帰った。

来週の頭から出社。

_ -今日の言葉-

賞罰不信
故士民不死也

 

「韓非子」より


1999-07-20 [長年日記]

_ 後輩の

M田君が来た。 昼に浅草で待ち合わせて六区の辺りのうらぶれた露地ををうろうろしたあと、上野へ。 公園の中を抜け、芸大の横を通って谷中へ。 墓地を抜け、商店街をひやかして、日暮里から京成で町屋へ。 町屋から都電にのったりおりたりしつつ、王子のマクドナルドで飯。 チーズバーガー2個LLセット、550円+5%。

街の中で写真が撮りたいと言うので、観光客の行かない東京の街を日がな一日歩き続け、写真を撮り続けた。 

マミヤの21mm/f4を貸したらハマッテしまい、「20mmが欲しい」と言うので、荻窪のプリズムへ。 丁度ウクライナ製ミール20mm/f2.5があったので、カメラにつけて覗かせてみたら気に入った様で、カードで買っていた。 中野のPに寄り、浅草でM田君を見送って帰宅。 疲れたが楽しい一日だった。 これで酒が飲めれば言う事は無いのだが・・・。 

昨日書き忘れていたが、「ペトリ研究会」と「スクリューマウントの部屋」を更新。 「ペトリ研究会」の方には最末期のペトリのカタログから、へなちょこさ加減が何とも言えない文章を、誤字・送り仮名の間違い・文章表記上の間違いもふくめて原文通り掲載。 カメラに興味の無い方も読んでみて下さい。 

_ -今日の言葉-

百年三萬六千日
一日須傾三百杯

 

李太白「襄陽歌」より


1999-07-19 [長年日記]

_ 右手を

怪我して以来初めて立ち喰いそばに入った。 秋葉原駅総武線ホームの「田毎」、たぬきそば、370円。 まぁ食べるのに時間がかかるので立ち喰いと言っても椅子の有る所なのだけれど、とにかくそこでたぬきそばを食べた。 左手で箸を使うのにも大分慣れてきたので、それほど時間をかけずに食べ終える事が出来た。

昨日の十一時半頃、いきなり接続が切れて、そのあと全く繋がらなくなって抑えのプロバイダに切り替えたのだけれど朝になったらちゃんと繋がる様になっていた。 サーバーがどうにかなっていたようだ。

明日後輩のM田君と一緒に写真を撮りに行くので右手でシャッターを押せるかどうか試してみる。 一番軽いペトリならなんとかなりそうだ。

嗚呼、酒が呑みたい。 暫くは、と言うか、当分の間禁酒生活を続けなければならない。

_ -今日の言葉-

南海先生是言を聞き、微笑して曰く、公等年壮に、気鋭なり。

各々其楽を以て楽と為す可し。

余の楽む所は唯比れ有るのみ、と。

因て又一二杯を連飲し、胸を撫て曰く、快なる哉。

 

中江兆民「三酔人経綸問答」より


1999-07-16 [長年日記]

_ 今日は

朝起きたら既に10時になっていて、慌てて病院へ。 受付が11時迄なので、駅迄タクシー、駅からタクシー。 ようやく間に合ったが矢鱈と混んでいて、診察は12時過ぎに成ってしまった。 傷口の消毒と軟膏の塗布だけですまされそうになったので、指の腫れが引かない事、皮膚感覚が怪しい事、痺れが弱くなった分鈍痛がする事、等を説明して指を延ばす為のギブスを造ってもらい、神経を伸ばす薬の処方箋を書いて貰い、労災の申請書類の書き方を聞いた。

その足で会社へ、機械は昨日になってようやく直ったのだそうだ。 こっちは当分治らないが。

労災の書類に必要事項を記入して貰い、私がいない分負担がかかる同僚に詫びをいれて退社。 来週末迄とりあへず休む事になった。 そして、ボーナスも出た。 とりあへず出た。

帰りに四ッ谷のモールへ行き、木村伊兵衛や桑原甲子雄が影響を受けたと言うフランスの写真家ウジェーヌ・アジェの写真集を買う。 3140円、佳し。 二階のギャラリーでやっている「平岡三和写真展-ワレ、ナニモンジャ-」を三たび見る。 同じ写真展に三度も足を運んだのは初めてだが、それだけの価値は有る面白い写真展だった。 曼陀羅の様に重層的且つ幾何学的に並べられた写真は、見る度事に新しい発見が有る・・・様に私には思われたのだけれど、「見づらい」「判りにくい」と言うような感想が少なからずあったのだそうだ。 作者の意図は私の感想と合致していたそうで、他の客をうっちゃらかしてその辺りを(私には珍しく)熱く語り合った後、名刺を貰って帰って来た。

帰りのバス停で、孫と思しき子供を二人連れた50がらみのおばさんが列の先頭に・・・と言っても二人しかいなかったが、に、なし崩しで割り込もうとしたので「奥さん、お並びになったら如何ですか、列が有るんですから。」と言ってしまってから、自分が山の手言葉を喋っているのに気がついた。 我ながら器用な奴だ。 こういう時に下町風の巻舌になると絡んでいる様にしか見えない。

本のページの「小説(戦後篇)」を更新。

昨日掲示板に書いた内容がそのま流れて行くのは惜しくなったので、「文庫・新書」にその文章を挿入し、て・に・を・はを直して更新。

日記も六月分を別にした。


1999-07-15 [長年日記]

_ 手の傷は

だんだん良くなっているようだ。 ただ、痺れが取れて来た分痛覚が復活して来ている為に鈍痛がしていらいらする。
 その所為か何だか非常に自虐的な気分になって、いまネット上で一番嫌いな人のホームページを端から端迄見てみる事にした。
 その人は理解に苦しむ程の自信家で、しかも其の自信の根拠が人からの評価に立脚してる割に、差し当たって自分の創作を公開している訳でもなく、ホームページの内容も「コア」だの「サブカル」だの「レア」だのと威張っている割にはパクリの嵐で、その言い訳として「マニアが集まると厭だから」自分が強い分野の事は小出しにしているとか半可臭いことを書いている。
 不愉快な気分を押さえて通読してみたが不思議とスッキリした。 何故スッキリしたのか考えてみたら、「自分より明らかに程度が低いのに自信過剰なバカ」を見た事に因る優越感に起因する様だ。 自分が自信過剰に成ってしまってはまずいので、今後はそこへは行かない事にした。 掲示板に間違いの指摘を書き残してやろうかと思ったが、なんだか住んでいる所が近そうだし、立ち回り場所も似通っているし、理不尽に暴力を振るう人らしいので止めておいた。

 手持ちのカメラの中で一番軽いペトリにマクロレンズを付けて右手を撮ってみた。 

1999-07-12 [長年日記]

_

病院へ。 怪我をしてから初めて右手を洗った。 こびりついたインクはなかなか取れず、暫く看護婦さんがごしごしやっていたが、結局取れなかった。 湿布を交換してお仕舞い。

_ そのあと

会社へ。 同僚に挨拶をしてから社長にその後の経過説明。 ぶった切ったシャフトを再生産しているので14日迄、機械は動かないとのこと。 怪我の功名とでも言うべきか、関係無い所で重大な故障が見つかり一緒に直していた。

_ 駅前の

とり肉屋で「こにく」(骨にこびりついていた部分や、肉を整形した時に出る細切れの肉)500グラムを買い、家に帰ってから鶏粥を片手で作る。 たんぱく質を採っておかなきゃいけないのである。


1999-07-11 [長年日記]

_

六条と長電話。 送ったカメラの使用説明をしたあとで、その他諸々の話をする。 こちらの言いたい事がどれだけ伝わったかは判らないが、まぁ、或程度は伝わったと思うので「良し」とする。

_ そのあと

田中に電話。 「いやぁ、思ったより腫れの引くのがおそくて・・・」と言うと、「一時間近く挟まっていたんだから当たり前だ。」と言われた。 そりゃそうだ。


1999-07-10 [長年日記]

_ 朝6時に

起こされた。 看護婦が見回りに来る度に「革命的警戒心(笑)」で、目が醒めてしまう為に、良く眠れなかった。

_ 朝飯は

人参のピューレを錬り込んた小さなパン二つ

マーガリン一かけ

春雨のサラダ

ヨーグルト

牛乳200ml

箸も匙もついおらず、ヨーグルトはストローで吸って減らした後、牛乳で溶かして飲み、溶けかけていたマーガリンは冷凍庫で固め直し、春雨はストローでかき込んだ。

_ 食事中に

医者が回診に来て、患部をこねくりまわしたあと

「いいようですね、じゃあ、今日退院ってことで・・・」

といきなり言われたが家には誰もおらず、一人で荷物をまとめ、退院手続きをして退院した。

_ 家に帰って

ひとっ風呂浴びてから諸方へ退院の挨拶へ。 その後ロフトプラスワンの知り合いのトークライブへ。

てめえで行っておいてこう言う書き方もナニですが、非常に胡散臭いイベントなのて詳細は秘密と言う事で。 でも何故か怪しいTシャツが一枚と怪しいミニコミが一冊手許に有ったりする。 イベント自体は朝迄やっているのだけれどけが人なので、家族の手前終電前に帰った。


1999-07-09 [長年日記]

_ 朝から

東京女子医大病院へ、湿布を取り、触診そしてエコー。 予想通り血腫も無く、「浮腫」ということであった。 腫れが酷く、

「経過を見る為に二三日入院してください」

といわれ、部屋が空く迄処置室で寝ていた。 一時過ぎに空いた病室へ移動。 6階の南向きの非常に眺めの良い部屋。 用意されていた昼飯は、

白い御飯

豆腐とわかめのすまし汁

切り干し大根と人参ととり肉の酢の物

赤魚の煮付け

大根おろし

野沢菜

コーヒーババロア

ほうじ茶

左手で箸を使い、気合いで全部喰った。

_ 母と姉が

着替えその他を持ってやってきた。 この南向きの眺めの良い部屋は一日二万三千円もするそうで、
「労災は効かないそうだから覚悟しろ」
と言われて肝を冷やしたが、結局「効く」ということで安心した。
 連中が持って来たパン

ジャーマンドッグ
豆パン

を喰って、暫く寝た。 手を吊っておいた方が良いとのことで点滴台に吊られて、本格的にけが人らしくなって来た。 
 晩飯が6時過ぎにやって来た。

白い御飯
ビシソワーズ
とり肉のハンバーグ
えびとチンゲンサイのスープ煮
ブロッコリーのお浸し

左手で箸を使って喰うのは矢鱈時間がかかってイライラするがまぁ仕方が無い。 本を読もうと思ったが、左手でページを繰るのは思いのほか大変で、イライラしてすぐに止めた。

_ 暫く

寝ていたら、医者がやって来て、生まれて初めて点滴をした。 正味30分くらいだったが、けが人気分を満喫する事が出来た。 夜景を写真に撮って寝た。


1999-07-08 [長年日記]

_ 仕事が

終わろうとしていた四時五十五分、洗浄中の機械に右手を巻き込まれた。 普通は肩口まて喰われて、ようやく止まるそうなのだが、奇跡的に手首の手前で止まった。

レスキューが機械をぶった切って救急車で病院へ行く頃には小一時間経過していて、手はパンパンに腫上がっていたが、幸い骨折も外傷も無く、患部の洗浄・消毒をして、レントゲン撮影、リバー湿布をしただけで

「明日、もう一度外来に来て下さい」

と、言う事で帰った。

_ 会社に

私の家の電話番号が控えていなかったらしく、鞄と財布の中身を根こそぎ社長に見られた。 その日の鞄の中身は、カメラ2台とレンズ一本、レンズフード2個、現像屋から上がって来た写真、下書きノート等で、仕事に関係の有る物は弁当箱しかなく、財布の中には怪しい名刺がごちゃまんと入っており、非常に気まずかった。

下書きノートは私しか読めない様な文字が連なっているので多分ほとんど読めなかった思うが、「日光・鬼怒川」の下書きはほぼ会社の悪口なので冷や汗物だった。

家に帰ってとっとと寝た。


1999-07-05 [長年日記]

_ 給料が

無事出たので中野へ。 Pへ行くと新品同様と言っても良い位の、程度の良いOM−1Nが出ていて、値段を聞いたら

「うーん、線路の向こうだとゴニョゴニョだけど2で割ってもウゴウゴだから、ウーン・・・ホニャララでいいや」

という訳でそのOM−1Nは六条が本当に買うかどうか確認してないのに、何故かここに有る。

買わないなら、まぁ、ね、へへへ、ざまぁみやがれ。


1999-07-02 [長年日記]

_ 仙台から

わたりょと六条が来た。 6時に中野のPで待ち合わせ。 予想通り六条はおやじに持っていたカメラを貶され、わたりょはヤシカの50mm/f4マクロを買わされた。 六条は持っていたOM-40を貶されたついでにOM−1を買う事になり、金が出来次第私が押さえる事になった。

 最近ブローカー化が進行している。 まぁ、友達から利益は上げないことにしているので、人間関係を損なう事もないし、いろいろと面白い物を見られるのでまぁいかな、と思っている。

_ そのあと

「南国亭」と言う古汚い台湾料理屋へ。 
「炒めビーフン二つと焼そば一つ、チンタオ三本に青菜炒め。」
これで3000円ちょい。 うまい。
 最終の新幹線で帰ると言うので上野へ移動。 金曜日の八時過ぎに呑み屋が空いている訳もなく、駅構内のサブウェイでやっと席を見つけて、多少話をしたと思ったら時間切れで、あっと言う間に帰って行った。
 六条は即答できない様な質問をよくする人なのだが、この日も「何故、本を読むのか」と言う問いを投げ掛けて帰って行った。 これが引っ掛かっていて、今、一寸煮詰まっている。 
「何故、本を読むのか」なんて事は普段考えても居ないし、とりあへず「惰性ですね、活字中毒だし」と答えておいたけどそれだけが理由ではないし、小説と詩集、哲学書では読む理由も異なる・・・とかいろいろ考えてみたが馬鹿馬鹿しくなって止めた。 


1999-06-27 [長年日記]

_ あさ七時半頃

目が醒めて、そのまま二時間程ぐだぐだしたあと会場へ。
 外は雨も風も物凄いことになっていて、客なんざ来やしねぇだろうとタカを括っていたら、青大OBの須藤夫妻、川村くん、石井などがやって来た。
   本来なら搬出迄居なければならないのだけれど、連れの仕事の関係で早めに帰る事になった。 東北道は天候の影響でおっかなびっくり走っていて且つ周りを全く見ない下手糞野郎共で溢れ返っており、混むは危ないわで大変だった。 会津若松に着いたの四時半過ぎで、私鉄の鈍行で帰るのは無理になり、国鉄の鈍行も黒磯で一時間待ちで上野着が十時半過ぎと遅すぎるので、思い切って郡山から新幹線を使う事にした。 新幹線は思いのほか空いており、宇都宮迄は椅子を三つ使って寝ている事すら出来た。 結局九時半過ぎに帰宅。 さすがに疲れていたのでとっとと寝た。


1999-06-26 [長年日記]

_ 朝6時に

起きて仙台へ。 高速は結構空いていて、八時半頃には現地に到着。 とりあへず委員長のわたりょに電話を入れたら「守衛室で開く時間をきいてくれ」という。 結局十時に開く事がわかってもう一度連絡をしたが十時半を回っても奴は現れない。 不安になって電話を入れたら「搬入はあらかた終わりました。 飾って無いのはあなた達の写真だけです。 とっとと飾って下さい。」ときた。
 おいおい。
 急いで飾り付けをやっつけて写真展は始まった。 (写真展の感想につてはOB展ページで)
 折しもやってきたヤクルトのおばちゃんからジョアやらソフールやらを買い込んでいた輩がいたが、それらのうちの幾つかは翌日まで放置されていた。

「買ったら飲め、そして喰え」

放置されて喜ぶのはかみやんくらいです。

 昼時になって中食がてら山形大OGのO嬢、六条と駅前のうんのカメラと言う中古屋へ。
 仕事写真用にストロボが欲しいと言っていたO嬢は、最初は
「よ◯ばしに新品があれば新品でもいい。
と言っていたが、このあとだんだん風向きが変わってくる。
 店に入るとストロボメーカーのものとオリンパス純正品が並んでおりGN20の物が¥7000-、GN30の物が¥11000-だつた。 ここでまず
「うーん、純正のを買っちゃおうかなぁ、どうしようかなぁ」
とぐらつきだした。
 そこへ二人連れの客がやってきて、片方の客がもう一人の客を
「おい、お前オリンパスユーザーだろう?このGN30の¥11000-は買いだぞ」
とかなんとか盛んに煽りだした。 すすめられた客は「うーむ」と迷っていたが、O嬢の決断は早かった。

「すいません、これください。」

 人が欲しがると自分も欲しくなってしまう、しかも必ず手に入れる。 まさに「魔性の女」(笑)
 まぁ、相手はストロボですが。

 そのあと会場の裏手に有るカレー屋で中食。 チキンカレー大辛。
 カレーが来るまでにストロボの発光テストをしよう・・・と思ったらO嬢は「重いから」と日和ってOM−4を持って来ておらず、六条のOM−40を使おう・・・と思ったらこちらはシャッターが落ちない。 只単に電池が抜いてあっただけなのだが普段電池が無いと動かないカメラなんざ持っちゃいないので一寸焦った。 
 出て来たカレーはちゃんと作ってある上品な物だったが、お口で甘く胃で辛い種類の物で、主食が甘いと機嫌が悪くなる私は平常心を保つのが大変だった。 
 会場に戻ると「日本のエド・ウッド」山本夫妻の作品(・・・のような物)がようやく到着して飾り付けが始まった。 見ただけで怖気が走る様な寒い写真だからなのかどうだか判らないが、何故かクール宅急便で届いた。 なにがどうしたらこうなるのか判らないがヤマト運輸も余程扱いに困ったのだろう。
 三時過ぎに件の山本夫妻がやってきたが、私が余計な事を言ったばかりに犬も喰わないと言われる夫婦喧嘩が始まってしまい、嫁は怒って帰ってしまった。 山本曰く
「おーい、どーしてくれんだよ、怒って帰っちまったらぁ−。 便所で腹に良いの一発貰っちまったよ。あぁーあ、一週間コースだよ、とほほほ。」
だそうだが俺の知ったこっちゃぁない。
そのあと会場に現れたカッパ君とひとしきりダメなカメラの話をしたりなんだりしているうちに五時になり、警備員に追い出されて呑み会に突入した。呑み会レポートはOB展ページに。
 明け方四時頃寝た。

1999-06-25 [長年日記]

_ 仕事を

何とか五時半で切り上げた私は、一目散に家に帰り、荷造りをし、連絡をとったりなんだりをしているうちに七時半を回ってしまって、慌てて家を出て、タクシーを捕まえて上野へ。 新幹線と在来線を乗り継いで喜多方の友人宅へ。

飯を喰って翌日の予定を確認してとっと寝た。


1999-06-23 [長年日記]

_ 今週末に

仙台でやる写真展の為に、ひと月も前から申請してあった休みが没になった。 ひと月の間残業したり昼休みを削ったりして納期を前倒ししてきたのに、その分仕事を詰め込んだようだ。 にこにこしながら「金曜日はだめだねえ、土曜日に早上がりすることは可能だけど・・・」って、そんなことで済むならはなっから休みなんざ申請しやしねえってことが判らないらしい。

今後は仕事以外で会社の為に時間を使うのは止める事にした。 社員旅行には行かない、忘年会・新年会では酒を呑まずに中座する、必要以上に残業しない、納涼なんたらもトゥインクルレースも何もかもやめる。

人間関係がどうなろうと知ったこっちゃぁない。 正当な手続きを踏んでも休めないのなら、会社とは労働力を提供して賃金を貰うだけの関係に単純化して、それ以外の部分を切り捨てて自分の為に使える時間を確保するしかない。

_ 何より

許せないのはこの予定が以前から決まっていたにも関わらず、私が今週に入って確認しに行く迄黙っていた事だ。 面倒臭いことは判断を停止してなあなあで済まそうとする姑息さが厭だ。

とりあえず、金曜日に休みを貰えない事だけははっきりした。 明日、土曜日に休めるかどうかが決まる。

「本」に小説(戦後篇)を追加

_ -今日の言葉-

或ることをなしたために不正である場合のみならず、
或るこをなさないために不正である場合も少なくない。

Marcus Aurelius 「自省録」より


1999-06-22 [長年日記]

_ 写真展の

開催が今週末に迫っているのに未だに休みがとれるのかどうか確定していない。 一月前から言ってあるのだけれど、休ませる気が有るのかどうなのかはっきりしない。 これで休めないとなると会社とのつき合い方を考え直さねばならない。

非常に気分も機嫌も天気も世の中も腹具合すらもわるい。 今日は馬鹿馬鹿しくなって夕方からふて寝をしていた。
 

_ -今日の言葉-

おお、おまえたち、わたしの青春の夢とまぼろしよ!

おお、おまえたち、すべての愛のまなざし、お前たち、神的な瞬間たちよ!

どうしておまえたちは、そんなにも早く死んでしまったのか!

きょう、わたしはおまえたちを、亡き人々を偲ぶように、偲ぶ。
 

Friedrich Nietzsche 「ツァラトゥストラはこう言った」より


1999-06-20 [長年日記]

_ 写真展に出す

写真を焼いていた。 一本のネガから五枚も当たりカットがあって吃驚した。

そのあと中野のPに引き伸し機を取りに行く。 これは友達に頼まれていた分で、フジのSS690と言う

6×9迄焼ける奴で、これにELニッコールの50mm/f2.8と105mm/f5.6とラッキーの引き伸ばし用露出計とネガキャリア三枚、そしてパピトールとミクロファインとフジフィックスが付いて壱福沢也。

安すぎ。

_ ここ迄書いたが

眠い、寝る。


1999-06-17 [長年日記]

_ 最近

自分しか食べられないように奇矯な味付けの料理を作っても、家族に喰われてしまう事が多い。 この間もセロリとキュウリとトマトのレモン風味炒めってのを夜のうちに作っておいて、朝食べようと思ったら親父に全部喰われていた。 慣れてきたのだろうか。

_ この間

高校の時に一緒に生徒会をやっていた女が結婚した。 どんな相手なのか聞いたら
「○○(わたしのこと)みたいに私が何を考えているのかとか、どう言う人間であるのかとか、そう言う事は判らないみたいだし、テレビをみながら踊り出せば困惑しているし、切れれば戸惑っていたり怒り出したりするけど、一緒にいて楽だし安心出来る」
とかなんとか言っていた。 
 「何を考えているのかとか、どう言う人間であるのかとかは(わたしが)一番良く判ってくれているけれど恋愛感情は持てない」とも言われた。
 まぁ、そいつをとって喰おうとは思わないし、私も同じような気持ちなのであまり文句も言えないのだけれど、この先もずっとこのように、このような問題に関して傍観者として蚊屋の外に置かれ続けるのかと 思うと、少々暗胆たる気分になった。 別に結婚したい訳では無くて、むしろ結婚と言う行為そのものには嫌悪すらおぼえるのだけれど、「嫌われないけど好かれもしない」というのは悲しい物だ。

「日光・鬼怒川」完結。

_ -今日の言葉-

未だかつて、現在の中で、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった、
・・・もしそんなのがいたとしたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。
 

Arthur Schopenhauer 「自殺について」より


1999-06-16 [長年日記]

_ 最近

良く行っているホームページがあって、そこはうちと同じくジオシティなのだけれど、うちと決定的に違う所がある。 

うちは広告があると気が散るので、トップページ以外は広告の表示をオフにしてあるのだけれど、そこはすべてのページに広告が表示されているのだ。 それでも中身が濃くて見た目のインパクトも強いので広告があってもぜんせん気にならない。 しかも更新の頻度も更新の中身の質も高い。 偉いです。

・・・と珍しくひとを誉めてみた(笑)。

「裏」に「日光・鬼怒川」を追加。


1999-06-13 [長年日記]

_ 午前二時頃

友達に拉致されて名古屋に連れていかれ、味噌煮込みうどんを喰って帰ってきた。

うどんを喰っただけでかえってきた。 

表から行ける裏ページを作り、北京をアップ。 そんなこんなで未だ途中ですがとりあへず。


1999-06-11 [長年日記]

_ 一昨日の

昼間、仕事中に背中から鳩尾にかけて刺し貫かれる様な激痛が走って、暫く息が出来なかった。

昨晩は、地下鉄の駅のホームから突き落とされる夢を見た。

理由はなんとなく判る様な、判らない様な。 まぁ、多分そう言う事なのだろう。

なんでいつもこうなのだろう、とも、どうせだめなんだろうなぁ、とも思える。

気分がどんよりしてきて、仕事場の螢光燈すら、心なしか暗くなったように思える。

何かに追い掛けられている夢を見ている時は、いつも必ず長靴を履いている様に、

こう言う漠然とした物事を説明しようとしても、いつもどうにも上手くいかない。

書かないと決めている事もあるし、使わないことにしている単語や表現もある。

まぁ、とりあへずは、自虐的に煮詰まっておこう。 

爪を噛む癖があるのを思い出した。 気がついたら爪を噛んでいた。


1999-06-10 [長年日記]

_ 眠い

なんとか「文庫・新書」に写真を追加。 今日はもう寝る。

_ -今日の言葉-

山岸外史氏来訪。 四面そ歌だね、と私が言うと、
いや、二面そ歌くらいだ、と訂正した。
美しく笑っていた。
 

太宰治 「悶悶日記」より


1999-06-09 [長年日記]

_ 「青い花」を

読み直す。 先に何が来るのか判っている分、落ち着いて読む事ができるので、きりの良い所で切って、ちびちび読むことにした。 この本について澁澤が何か書いていたのを思い出して、いろいろとひっくり返してみたが、何に出ていたのか良く判らなかった。

会社からの帰り道に有る最近出来た空き地で、生え始めたセイタカアワダチソウに混じってさらに頭一つ分高い草を発見。 もしや、と思って近付くと、やはりアレであった。 伊勢神宮のお札と同じ名前の、繊維原料と成る、ぎざぎざの葉っぱの、むしり取って持っているだけで手が後ろに回る、あのアレであった。
 

大学の時によく写真を撮りに行っていた崩壊した橋の辺りに生えていた野生種とは葉の形が違っていたので、たぶん小鳥の餌から発芽したものであろう。 しばらく観察を続けるつもり。

_ -今日の言葉-

にっき【日記】
死後、発表される事を予期して、私憤を書きつらねること。  

筒井康隆 「乱調文学大辞典」より


1999-06-08 [長年日記]

_ 漸く

「青い花」を読み終えた。 これはとても一回読んで理解出来得る代物では無い、これは凄い。

「ツァラトゥストラ」もそうだったが、この本も使える表現に満ちていて、しかも言葉を抜き出そうとすると忽ち陳腐になってしまって、どうにも書きようがない。 困った、が、はまった。

_ ひとの

サイトと日記の表題が同じだと言う事が判り、変える事にしたのだが、なかなか良い物が思い浮かばない。
 日記物の名作と言えば、古くは「土佐日記」(日本初の性別詐称読み物)から「腹立ち半分日記」筒井康隆迄いろいろあるが。 パクるとまたひとと同じに成りかねないので、「困った時の諸橋轍次」(※大修館の大漢和辞典をほぼ一人で作った偉いひと。)と言う事で、「中国古典名言事典」のお世話になる事にした。

 ・・・が、これでは偉そうだ、止めよう。  というわけで適当に「二面楚歌」

1999-06-07 [長年日記]

_ 今日は

仕事中延々と下らない事を考えていた。
 それは「世界地名尻取り必勝法」と言うもので、「ソヴィエットを制した者の上にのみ栄冠は輝く!!」と言う素晴らしい理論である。
 先ず、人を面喰らわせる変に長い地名と「ク」で終わる地名が多い事に着目し、それらを駆使して相手の「く」から始まる地名の在庫を減らし行くのだ。 たとえば。
「ネルチンスク」「イルクーツク」「ヤクーツク」「ウラジオストーク」「ユジノサハリンスク」「クラスノゴルスク」「サンクトペテルブルク」「ニコライエフスク」「スベルドロフスク」
とどめに「ドニエプルペトロフスク!」なんてのを持ち出せば相手は混乱の極みに達するであろう。
 苦し紛れに「く」で切り返してきたらこう言ってやるのだ「クルスク」と。
「ど」も使える。
「レニングラード」「スターリングラード」「カリーニングラード」「ボルゴグラード」「ボロシーロフグラード」など。
「スターリングラード」と「ボルゴグラード」は同じ町だったりするのだが、多分誰も気付かないだろう。

・・・ってな事を考えていた訳である。

_ 仕事が

終わってから、新宿のヨドバシでフィルムと定着液を買い、紀ノ国屋でノヴァーリスの本を探した。
外国文学のハードカバーの棚には見当たらず、「困った時の岩波頼み」で文庫(赤)の棚を見たら、「青い花」と言う本があっさり見つかった。 ついでに「自省録」マルクス・アウレリウス・アントニヌス、岩波文庫(青)と「月島物語」四方田犬彦、集英社文庫も買った。
 「青い花」は困った本だった。 内容は説明できる程頭では理解できていないが、感覚的には良く判る・・・と言うか、震えが来る程何か引き込む様な所が有るのだが、それが何なのかは良く判らない。 漸く半分くらい読み終えたところで疲れ切ってしまって、何もしないでとっとと寝た。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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