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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-01-05 [長年日記]

_ 夕方から

新宿へ。  こういう、・・・と言うかその中のこれ目当てで、ロフトプラスワンのイベントへ行った。 物の性格上内容については触れられないのだけれど(知りたい人はリンクを貼った所で見て下さい。)、私のお目当ての部分は少々少なめで喰い足りなくは有ったがやはり面白かった。 明日から仕事なので早めに帰宅。


2000-01-04 [長年日記]

_ 明日

新宿のロフトプラスワンで行われる怪しいイベントに持って行く為、工事用ヘルメットと赤ペンキスプレーとグンゼのつや消し白と筆を買いに行った。 ペンキはオリンピックで、ヘルメットは押上駅前のうらぶれた帽子屋(店番のばぁさんは炬燵で居眠りをしていた。)で、プラカラーは道路向いの模型屋でそれぞれ購入。 しかし模型屋の店先の貼り紙には笑った。

元日から営業してます
みんなきてね
ワォーッ!!

 河原に移動してヘルメットを赤く塗装。 釣り人や河原の住民が胡散臭気に見ていて、通報されて巡査がやってきたら何と言い訳しようか考えつつ何度も重ね塗り。 家に帰ってから筆で文字入れ。
 何のイベントかは追って報告します。

2000-01-03 [長年日記]

_ 昼頃

起き出して出掛けたのは良いが荻窪も中野もカメラ屋はお休み。 仕方が無いので澁谷へ出てCDを買った。
 ボリス・ヴィアンとジェーン・バーキンのベスト盤、アナンダ・シャンカールの「リアルワールド」。 計三枚。
 ジェーン・バーキンのベスト盤は今売り出している奴は敢えて買わず、フィリップスの海外版を買った。 何にしてもそうなのだけれど流行ってしまうと買う気が失せる。 歌詞カードは折り畳みになっていて裏側は全部写真。 エロエロ。 「手切れ」と「フォードマスタング」は聴き物。
 ボリス・ヴィアンは無理矢理括るとまぁシャンソンと言う事になるのだろう。 ひねくれたやる気の無さが良い味。
 アナンダ・シャンカールは、私の敬愛するジョージ・ハリスン師のさらに師匠であらせられるラヴィ・シャンカール師とはとりあへず関係ないらしいシタール屋で、西洋の楽器と一緒にやる食べ易いインド音楽を作っている、と言うかいた人。 ・・・らしい。
「NHKのど自慢で若者向けの曲を一生懸命弾いている横森良造」と言った感じか。 こそばゆく心地よい。 「インド演歌の伴奏」みたいな。
 帰りがけに桂花で太肉麺(たーろーめん)を喰った。 私にはちょっと塩っぱい。 お釣も間違えやがったので多分二度と行かない。
 地球環境に優しいリサイクル企画「掲示板長屋」を始めた。


2000-01-02 [長年日記]

_ 一日中

パソコンの前に座ってああでもないこうでもない、と、いぢくりまわして日が暮れた。

その時々で読んでいる本に引きずられてしまうので自分の文体と呼べる様なものは無いのだけれど、それにしても最近キレの無い文章になっている様な気がしてならない。

脳味噌に考える力が無くなって来ている様な気がする。


2000-01-01 [長年日記]

_ 十時頃

起き出してぼーっとしていたら絣の着物に赤い手編みのショールを羽織った六条がお年始にいらした。 暫くすると仕事に行く途中のわたりょも顔を出して部屋を出る際の諸注意をレクチュアして行った。 その後、わたりょは仕事、わたしと六条は愛宕神社へ初詣。 天気が良くて風も弱く、人も少なめでのんびりと御参りする事が出来た。 初詣ででおみくじと言うと碌な思い出が無いのだけれど、六条の引いたおみくじは大吉、私は小吉。 初詣でで一緒に行った奴が大吉を引いたのにも碌な思い出が無く、さらに私の引いた小吉にも嫌な事ばかり書いて有ったので、腹いせに鐘を思いきりぶっ叩いて帰って来た。
 部屋を片付けてゴミを出し、荷物を纏めて仙台駅へ。 「ちょいとお茶でも」と入ったドトールで結局2時間以上居座り、気の滅入る様な話をたっぷりとして、新年早々煮詰まっている六条をのこして東京へ。 見事に罰が当たって宇都宮から大宮迄新幹線でワープしないと最終に間に合わない羽目になりつつ、日付けが変わった頃漸く我が家に辿り着いた。


1999-12-31 [長年日記]

_ 昼頃

ごそごそ起き出して散歩。五ッ橋からフォーラスの辺りをぶらぶらして本を買い込んで夕方迄部屋の中でごろごろしていた。

夕方からバクさんとことぶき氏がやって来て飲み会の準備。 肴は「海鮮チゲ」と「鶏だんごシチュー」。

鍋をつついているうちに六条、わた虜、ニッパーくんがやってきてだらだらとのんでいると「日付けが変わる迄に仕事が終わるかどうか微妙である」とひたひたから電話が入ったり「今仕事が終わりました、行かれません」とM田くんからも電話が入ったりして世の中の世知辛さもつまみに加わった。

悲劇は十二時過ぎに起こった。 漸く仕事を終えて会場の入り口に辿り着いたひたひたの前に暗証番号を入力しないと入れないオートロックの玄関が立ちはだかり、おりしも回線がパンクしかけていたPHSは繋がらず、結局リダイヤルしつづけること三十分。 やっと電話がつながって、中に入った頃には顔からは血の気が引き、目は血走って恐ろしい形相になっており、あわてエサを与えて御機嫌を伺った。

結局3時頃にお開き。 元朝参りもへったくれもなくとっとと寝た。


1999-12-30 [長年日記]

_ 目覚ましは

セットして置いたのだけれど見事に二度寝してしまって起きたのは6時過ぎ。 とりあへずトイレに入り、便座に腰掛けて一発放屁したらひたひたに渡すレンズを忘れていた事を思い出した。 危ない危ない。

そんなこんなで北千住駅から常磐線に乗車したのは七時頃。 北に行くに連れて車内が暖かくなって行くのが面白い。 寒い土地程、車内の暖房を強くするようだ。

_ 2時過ぎに

仙台着、とるものもとりあへず駅前アメ横ビルのウンノカメラを覗いて変なものが出ていないかどうか確認してから、ろうきんギャラリーでやっているバクさんの写真「彼岸」へ。 相変わらずな状況なのでリンクは張りませんがバクさんのホームページに詳細が載ってます。

写真の方は地下通路とか砂浜とかのいつも感じの物なのだけれど、印刷物やブラウン管で見るよりもオリジナルプリントを見た方が良いのは当たり前の事で、焼き付けやフレーミングの微妙さ・厳密さが物凄く、凝視し過ぎて目が疲れた。 「良かったのか、悪かったのか?」と聞かれれば「良かった」と答えるよりほか無いのだけれど、どうにも凄すぎてパクり様の無い写真ばかりで気分は陰々滅々としてきて正直疲れた。 久しぶりに濃い写真展を見た。

_ 気分転換に

わたりょ・六条・ことぶき氏と「アンチックカメラ・時計の店、珍味屋よっちゃん」へ。 この怪し気な店の話は前々から聞いてたのだけれど、私が行くといつも閉まっていて、実際に中に入るのは今回が初めてだ。
 掘建て小屋に毛が2〜3本生えたような店の中には客が3人入るともう一杯で、4人で行ったが為にK嬢と店のおばちゃんは店の外で延々立ち話をする羽目になった。 店内は缶コーヒー温め器や食器棚の中に胡散臭いカメラが文字どおり鮨詰めになっていて、事務机の上にもいじりかけのカメラがてんこ盛り。 首から下げて行ったペトリに敏感に反応した親爺はとっかえひっかえ色々な変なものを出してきて、しかもそれらがいちいち凄いので二時間近くダメなカメラの話をして、結局何も買わずに帰って来た。
 ・・・というか買おうにも値札なんざありゃしねぇし、ことぶき氏がペトリの値を聞くと「未だ決めて無い、来年になったら決まるんじゃ無いか」と言い出す始末。 私も色々な変な店には行ったし、普段行っている店も狭くて商売っ気の無い店だけれど、この店は私が今迄に見た中でも一番狭くて、胡散臭くて、商売っ気が無くて、居心地の良い店であった。
 普通の修理屋が嫌がるペトリとかの安いカメラでも修理してくれるとの事なので、今度調子の悪いペトリを大量に持ち込むつもり。
 場所は仙台市内、国分町の辺り、リンクを張れないのでひとん家から勝手に引用すると

「フォーラスのある交差点から、広瀬通りを西公園方面にてくてく歩こう。 吉野屋、ホテルリッチ(こないだツブれた)を過ぎて、北上京だんごで右に曲がる。 プロラボクリエイトの先。 公済病院の先の交差点を通過してすぐ左を見ると、ほらほら、オレンヂ色の看板が目に止まるハズ。 中のカーテンが閉まってたら・・・残念、また来よう。 もしも開いていたら、おじさんかおばさんがいるはずなので、気軽に挨拶でもして入ってみよう。」
(C)ひたひた

 平日の午后から営業。 日曜と祝祭日は休み。

_ 写真展の

撤収が終わってから借りたウィークリーマンションで打ち上げ。 鍋をやろうと思っていたのだけれど面倒になって買って来たお惣菜を肴にまったりと飲み会。 参加者は私、バク、ことぶき(自分の人生の墓場の穴掘りに出掛けていた為途中から参加)、星、わた虜、六条。 告知が遅れたので帰省しちゃったり、連絡が取れなかったりしてこじんまりしたのみ会になったが、部屋も狭かったので丁度良かった。


1999-12-29 [長年日記]

_ とっとと

寝ようと思っていたのにBSでやっていた映画を最後迄観てしまい、結局寝たのは二時半過ぎ。


1999-12-28 [長年日記]

_ 朝から

病院へ。 形成外科で手の具合を診て貰った後、消化器内科で診察と検査予約。

却って悪化して来ている様な感じだ。


1999-12-27 [長年日記]

_ 仕事納め。 午后から大掃除。 その後高田の馬場で忘年会。

店がどうのとか、味がどうのってのは言いっこ無しって事で。

飲みたく無かったのだけれど、結局飲まされた。 とほほ・・・。


1999-12-23 [長年日記]

_ 入社以来

初めてこの日が休みになった。 昼過ぎに起き出してとりあへずお茶の水・神田へ。

明大の新しい建物はなんだか大学らしさが無いと思ったらゲバ字の踊る立て看板が一つも無い。 これはいただけない。

明大脇の坂を下りて神保町へ。 予備校の頃から行っているカリスマとんかつ屋はいつのまにか代替わりしていて、若主人が元気に働いており、当分潰れない様子で安心した。

ここの先代の爺ぃの何がカリスマなのかと言うと、ふだんは風采の上がらない爺ぃなのに、混雑してくるとガラリ人が変わって気配で客の行動が読める様になり、椅子席に座ろうとした客を揚げ油を睨んだまま「今日はカウンターだけだよ」と脅しつけたり、菜箸を使うのがまどろっこしくなると素手でとんかつを揚げ始める始末。 引退しちまったのか、どうなのか、この日は店にいなかった。

肝心の味の方もなかなかの物で、値段はと言えば、丼めしにしじみ汁、山盛りの線キャベツとスパゲッティのケチャップ和えの上にとんかつが鎮座ましまして十年前から七百円ぽっきり、濃いお茶も一杯付く。 赤身とロースが選べる。 ちなみに海老フライ八百円、カキフライ八百五十円。

食欲を満たした後三省堂へ。

平賀源内捕物帳、久生十蘭、朝日文芸文庫

酒場漂流記、なぎら健壱、ちくま文庫

くわんおん、水原紫苑、河出書房新社

を購入。

_ このあと

荻窪のプリズムへ。 店でいつもの様にぐだぐたしたあと、良い人悪い人ダメな人取り混ぜ、総勢八人で駅前の呑み屋「かみや」へ。 鮟鱇鍋、鱈鍋、牡蛎鍋、キムチ鍋、その他各種つまみを餓鬼の様にぱくつきつつ、デンキブランを飲み、飲んだ。 開いたボトルは2本半。 残りはキープされた。

翌日は案の定宿酔。


1999-12-19 [長年日記]

_ 昨晩

と言うか明け方二時過ぎに寝たと言うのに6時半過ぎに起き出して出かける準備。
 大阪からわざわざお出でになるカボさんを連れ回して日がな一日東京散歩。 バスが四十分以上早く着いたり、当人は時計を持っておらずその事に全く気付かなかったり、待ち合わせた新幹線の出口が実は三つ有ったり、すったもんだはあったものの、とりあへず中央線で国分寺へ。 この駅のホームにはいつも焼き立てパンの香りが充満してるのだけれど未だにどこにパン屋があるのか知らない。
 それはさておき、国分寺で西武線に乗り換えて二駅、鷹の台へ出て、玉川上水っ縁の道をぶらぶら。 適度に踏みこなされたふかふかの落ち葉が心地よい。 どこからか落ち葉焚きの薫りも漂ってくる。 あれこれ話をしつつ、歩き疲れた頃に五日市街道にぶつかり、ここからバスで武蔵小金井へ、さらに駅前でバスを乗り換えて江戸東京たてもの園へ。 少々疲れたので高橋是清邸の日当たりの良い縁側であんみつを食しつつカメラと写真の話をひとしきり。 下町の建物をあれこれと見つつ写真を撮りつつぶらぶら。 饂飩を喰ったり、カメラの構え方をレクチュアしたりしつつ農村の方へ移動。
 実家が農家だとの事で、いたく藁葺き屋根の家3棟に興味を示され、丁寧に露出を計り、丁寧にピントを合わせ、丁寧にシャッターを押していた。
 ここの良い所は誰しもがそれぞれの懐かしい建物を見つけてぼーっと出来る事なのだけれど、この日は丁度客が少なく、天気が良く、風も弱かったので思う存分ぼーっと出来た。
 日暮れ前にもう一箇所。 赤羽の先、荒川の岩淵水門へ。
 この辺りは荒川と隅田川が分かれる所で、新河岸川を含めて3本の川が文字どおり「川」の字に流れていて兎に角だだっ広く河川敷が広がっている。 水門の脇の公園のベンチに腰掛けて陽が落ちる迄ぼーっとしていた。
 いい加減さむくなって来たし、時間も時間なので四ッ谷に移動して怪しいラーメン屋で巨大なワンタンがゴロゴロ入ったワンタンメンを食べてもらい、駅前でコーヒーを飲んでさようなら。 こんなんで良かったらまた来て下さい。
 そして私は怪しいイベントを観覧しつつビールを飲む為に歌舞伎町のロフトプラスワンへ。 終電近くに帰宅。 さすがに疲れたのでとっとと寝た。


1999-12-18 [長年日記]

_ 6時半に錦糸町駅南口で飛良泉先生と待ち合わせ。 

 「早く着いてしまっら、駅ビルの上に中古カメラ屋と本屋が有るから・・・。」と言っておいたら、お互い早く着いてしまってカメラ屋の前ではち合わせ。
 行こうと思っていた餃子屋は見事に閉まっていて、どこにはいろうかさんざうろうろした後で漸く入った炉端焼き屋は、酒は色々有るもののつまみが不味く、川えびの唐揚げならぬ川えびの生揚げが出て来たりして少々興醒め。
 話題は、と言えば、T北大院生Sと最近ついに決裂したとの事でそのあたりの胸くその悪くなる様な話と、大学の自治会・学友会時代の胸くその悪くなる様な話と、それに絡んだ代々木の黄色い人たちとか信濃町の赤・黄・青な人たちとか中◇とか◇◯とかの胸くその悪くなる様な話と、その他諸々の胸くその悪くなる様な話で盛り上がりつつ盃を重ねた。 飛良泉先生は今回も謎の連れを帯同しており、この人もなかなか変で面白く、我々の怪しく低俗な、例えば「ほりのぶゆきの最高傑作は『もののふの記』所収の“ぎやまん侍”である。」などと言う会話にも嫌な顔ひとつせず、かといって某ひたひたの様にそれを聞いてげらけら笑い出すでもなく、淡々と盃を重ねていた。
 一軒目を二時間で追い出された我々は村さ来の看板を見つけていざ入ろう・・・と思ったら店が二階に有る事が判明し面倒になったので一階の何だか良く判らない居酒屋に入った。 ここでひとしきり胸くその悪くなる様な話を続けているうちにふらっと厠に立った連れのYさんは文字どおり雪隠詰めになってしまい、先生が偵察に行ったら「動く気配がしたから」と戻って来て、暫くすると口の端に「お弁当」をつけたYさんも戻って来てとりあへずお開きに。 時々ふいに正気に戻るもののあとはクタクタになってしまったYさんを捕まえた宇宙人のごとくホーム迄引き摺って行って、お二人をお見送り。 帰ってメールチェックして寝た。


1999-12-17 [長年日記]

_ 仕事帰りに

新宿へ。 この間燃えてしまったしょんべん横丁は、焼けなかった南半分はしぶとく営業しているものの、北半分は焼跡が封鎖されたままになっている。 元通りに・・・って訳には行かないと思うが、余りきれいにしないでもらいたい。
 そんな光景を横目で見つつヨドバシへ。 行く度に棚割が変わっている為、目ざす商品が見つからない。 3回くらいうろうろ回って、漸くアイワの56キロモデムを購入。 ポイントが溜まったのでついでにフィルムを購入。 
 学研から中古カメラ買い方ガイドだかなんだかが出たけれど相変わらず酷い。 版形が大きくなってカラーページを増えているが中身はお粗末で、・・・って、何に怒っているかと言えば、まぁ、ペトリ絡みなのだけれど、ライターが手持ち機材を見せびらかしてるだけで操作感・写り・流通状況などは殆ど書かれていない。 中古カメラ店紹介も提灯記事の臭いがする。 パラパラめくっているうちに厭になってしまって中身を精読した訳では無いのであまり無責任に貶す事は出来ないのだけれどお薦め出来る本では無い。

 と言う訳で今日から56キロモデム生活です。 気分的にはかなり早くなった様に思える。


1999-12-16 [長年日記]

_ 午前中

病院へ行って来た。 消炎・鎮痛薬と神経のクスリと胃薬を処方してもらい、仕事の部署も多少楽な方に変えてもらった。 年内はなんとか乗り切れそうだ。

_ 残業のあと

プ◯ズムへ。 ゼニットIR 100mm/f1.5と付属ボディであるミノルタα-7000を購入。
 ついでにひたひたに頼まれていたゼニター16mm/f2.8も購入。 ゼニットの100mm/f1.5はノクトヴィジョン用の物を改造した物で・・・って、この間かいたとおもうけど、まぁ、そう言う物です。 メリットは兎に角明るい事とコ−ティングが怪しく青い事で、デメリットは最短撮影距離が5mと長い事、絞りリングに目盛りが無い事。 しかし5mは意外に近い事が判明、結婚式とか怪しいイベントの撮影には良さそうだ。

_ 帰りに

「春木屋」で初めてラーメンを喰った。 もっと威張った店だと思っていたのだけれど意外に客あしらいも丁寧で、ラーメンも旨かった。 非常にオーソドックスなラーメンなのだけれど非常にバランスが良く、似た味の他店のラーメンが如何にバランスが悪く尖った味であるかが判った。 けなす隙の無い味。

_ 潜在的な物が

顕在化したからと言って、状況が急に良くなったり急に悪くなったりはしない。

ただ、もう元には戻らない。


1999-12-14 [長年日記]

_ 「めそめそである。」

としか表現できないくらいめそめそな毎日をのんべんだらりと過ごしている私では有るが、今日、年末ジャンボ宝くじを買って来た。 たまには悪夢以外の夢も見たい。

 自分の人生に於いてすら脇役である。

1999-12-11 [長年日記]

_ プリズムの

忘年会に行った。 来れば買う客、来ても買わない客取り混ぜて二十八人。 なにかしらの景品を持ち寄って交換会をやると言う事でヤシカにフジノン55/2.2を付けて出したらペンタコンの50/1.8が来た。 マイヤーの物(オレストンあたり)だと思っていたらツァイス(パンカラー)らしい。 出した人曰く「非常に力弱い写りをする」とのこと。 早速使ってみる事にした。 ついでに店主が当たったペトリフレックスVも身請けして来た。 これはペトリマウントになった最初のペトリで探してもそうそう見つかる代物ではないので調子は悪かったがまぁしかたがない。 十二時半頃帰宅。

_ 文章が

ぶつ切りなのは思考能力が低下している為で、右手の調子もスコブルつきで悪く、握力が突然無くなったり痺れたり激痛が走ったりしている。


1999-12-09 [長年日記]

_ 先月の頭に

怪我をする前の部署に戻ってから、尾篭な話になるけれどずーっと下痢が続いている。 夜も碌に寝られない。 精神的にもおかしい。 夢と現実の境目が曖昧になって来た。 忙しいから病院にも行っていない。

仕事もしくじり続きでそれが更に問題を深刻化させている。

そして今日、怪我をした方の手に鈍痛がした、と思ったら、急に手が重くなって動かせなくなった。

動かなくなったと言うよりは「動かし方が判らなくなった」という感じだった。 すぐに動く様になったのだけれど、「もう一回やったら、次はこの程度では済まないだろうなぁ・・・」と思ったら物凄く憂鬱になってやっている仕事をうっちゃらかしてどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られた。 そろそろ潮時かな、とも思う。

帰りの地下鉄のホームで一瞬自分が今何をしているのか判らなくなった。

_ 人の人生を

肯定してばかりいるのは、自分の人生を肯定できないからだ。


1999-12-07 [長年日記]

_ 昨日

日曜日に撮影した分のフィルムをラボ屋に出しに行ったら、お気に入りの怪しい中華料理屋「ハルビン料理」が閉店していた。 この店は向こうから帰って来たと思しきおばちゃんが一人でやっていて、怪しくて安くて旨くて、理想的な店だったのだけれど矢張り怪しすぎたようだ。

あぁ、ニラ入りとニラ抜きを選べた水餃子。 「ぴーるならつめたいの、ごはんならあたたかいのがあうね」と言っていた豚蹄。 ごはんなら3杯は軽くいけるにんにく入りの肉味噌、セロリの入った浅漬け。 あんなに旨いと思わなかったトマトと玉子炒め、キュウリと玉子いため。 豚頭、豚耳。 「辛くして下さい」と言ったらホントに辛かったマーボー豆腐。 食べていないメニューも沢山有ったのに・・・。 地震以来店を閉めたままの中野の台湾料理屋と言いここと言い、汚くて居心地の良い店が無くなって行くのは辛い。

_ 日曜日に

撮影したフィルムの打率は、腰を据えて撮った分いつもより高く、半分くらいは当たっていた。 とりあへず夕方迄に撮り終えたカラーフィルム2本のみだけれど、いろいろ使ったレンズの中ではペトリの55mm/f1.8が一番良かった。 次がオートタクマ−の35mm/f2.3。 フジノンの55mm/f1.8は写り過ぎてあまりポォトレヱト向きではないようだ。 傾向としては、特定の人物の話題になると途端に表情がよくなるので、その辺りが面白くも有り、また、痛くもあった。

_ 購入した

「高村光太郎詩集」には、P98に栞が挟まっていて、棚から引っ張り出して、手に取って開くと丁度「米久の晩餐」と言う詩であった。 米久というのは、今でも浅草の観音様の裏手、ひさご通りにある老舗の牛鍋屋で、空襲でその頃の建物は燃えちまったと思うが、今も木造の二階家で商売をしている。 まぁ、この詩が心地よくて「これなら大丈夫だろう」と多寡を括ってレジに持って行ったのだけれど、「智恵子抄」から収録されたお仕舞いの方は恐れていた通りの凄まじさで自虐的な気分になっていた私に取っては丁度良い買い物であった。 「智恵子抄」からの収録が少ない為、「智恵子抄」そのものも購入。 ついでに「滞欧日記」澁澤龍彦、と、月刊東京人1月号を購入。

_ 中途半端な思いやりと

自分本位の善意は、食物連鎖ピラミッドの上層から下層へ受け渡されて行き、再下層で行き場の無くなったそれらは、内攻する。


1999-12-06 [長年日記]

_ 昼休みに

握り飯をパクつきつつ、昨日買った「高村光太郎詩集」を開いたが、感情が暴走しそうになり、恐くなってすぐ寝た。 恐い本だ。


1999-12-05 [長年日記]

_ 夜行バス

で仙台へ。 駅のロビーでK嬢と待ち合わせて、喫茶店→散歩→喫茶店→散歩→喫茶店→散歩、を繰り返して帰って来た。 1日に紅茶とコーヒーを何杯飲んだかわからない。 持って行ったカメラはペトリMF−10とフジカST605とライカD−III。 レンズはフジノン55mm/f1.8とペトリ55mm/f1.8とズマール50mm/f2、オートタクマー35mm/f2.3とサン28mm/f2.8。 日がな一日写真を撮り続け、歩き続け、心理テストをやらされてどつぼにはまり、勾当台公園で年甲斐もなくシャボン玉を吹き、カメラを一台売り付け、丸善で「高村光太郎詩集」を買い、晩飯用の駅弁といつもより多めのビールを買い込み、新幹線の中で更にビールを買い足し、やけ酒をかっ喰らいつつ酩酊状態で帰宅。

_ 客観性なんて

所詮はまやかしに過ぎない。 ひとは主観のフィルターを通してしか客観的に物を見る事ができない。


1999-12-04 [長年日記]

_ 早速

プリズムに色々持ち込む。 夜、仙台に移動。 あすは撮影三昧。


1999-12-03 [長年日記]

_ プリズムへ行った

委託の商品が大増殖しており、何人も居た先客は皆、頭を抱えていたのだけれど、私も久しぶりに訳が判らなくなって貧血を起こし、椅子にへたりこんで暫く耄けていた。   結局、カメラを何台か委託に出してα-7000/ゼニット100mm/f1.5付(スターライトスコープ用レンズ^_^;;;)を身請けすることになった。 先輩の結婚式の撮影を頼まれており、オートで撮れるカメラを探していたのでまぁ丁度良いかな・・・と。  この100mm/f1.5と言うレンズはスターライトスコープから外した奴をスクリューマウントに仕立て直してあって、レンズのコーティングは腐った沼の様な怪しい工場排液の様な明るい水色で、しかも覗くとまっ黄色。 ピントは5m〜∞、絞り値の表示も無し。 怪しさに負けた。


1999-11-23 [長年日記]

_ 夕方から

有楽町でカメラ関係のメーリングリストの怪しいオフ会。 久々に自分よりタチの悪い(良い意味で)趣味人と話が出来て非常に面白かった。 カメラよりオーディオ方面の話が主だったのだけれど、「m/4〜5千円のコードよりもm/四百五十円の電力ケーブルを使った方がむしろ音が良い話」とか「トップガンのF−14の着艦シーンの音はオーディオでも再現出来る話」とか「生のオーケストラを聴いた事も無い奴の語る音の再現性評価が如何にナンセンスであるか」とか「◯原一式はとても工業製品と呼べる代物では無いけれど、おもちゃカメラとしてみれば結構おもしろい」とか「コシナの社長の密かな野望の話」とかそれはもう録でも無い(良い意味で)ばかりで有意義な呑みであった。


1999-11-21 [長年日記]

_ ソヴェト・ロシア製の

カメラ・レンズを愛好するダメ人間集団「ロシアンフォーカス」の撮影会が小金井の江戸東京たてもの園で行われた。
 武蔵小金井の立ち喰いそばは何時の間にか酷い味になっていた。 ひさびさに「揚げ玉がつゆに溶けてゲル状になるたぬきそば」を食べた。 味の素の味。
 早く着き過ぎたので駅から徒歩で会場へ。 玉川上水沿いの道には色々な思い出があって、どんよりした気分で集合場所に着いてみればなんだか私が一番乗りで、人々が集まってくる様をずーっと見ていた訳なのだけれど、目印になる様な物は首から下げたカメラしか無いのに、怪し気なカメラを首から下げた人々が吸い寄せられる様に集まってくる図は如何にも珍奇であった。
 江戸東京たてもの園は読んで字のごとく江戸時代から近現代迄の東京の建物(主に住宅と商店)が、農村・郊外・山の手・下町から満遍なく集められていて、調度品の類いも最大限そのまま持って来ているので生活の匂いがそのまま残っていて、誰が行ってもそれぞれの懐かしい建物をみつけられるようになっている。
 問題は食いものが異様に高い事位か、お子さまサイズのカレーが六百五十円、そのかわり缶ジュースは園内一律百円だ。
 そろそろ色付き始めた武蔵野の広葉樹林・・・がどうのこうの、と、きれいごとを書いて締めようかと思ったけど馬鹿馬鹿しいのでやめた。


1999-11-20 [長年日記]

_ 二十二日に

法政市ヶ谷キャンパスで行われる怪しいイベントにて、ゲームショーでとった写真を写っている人たちに渡してもらう為、新宿駅小田急線改札口で伝令と待ち合わせ。 しかし、改札が少なくとも四つ以上有る事が駅に着いてから判明。 お互い戸籍名を知らない為、放送で呼び出す訳にも行かず、候補を二つに絞り、行ったり来たり二往復半したところでようやく相手を見つけてネガの受け渡しに成功。 そのイベントを撮影したいと言う伝令氏に、撮影する状況に合わせたフィルム撰びとか、必要なレンズとかをレクチャーして、中古屋を案内して別れた。 なんだかいつもこんな事をしている様な気がする。
 しかし、当日。 彼はフィルムの装填に失敗して一齣も写らないと言う悲劇に見舞われた。 私も流石にそこ迄は考えていなかった。

 今日から当分の間、日記に於ける「(笑)」の使用を自粛する事にした。 オチをつけたいときには便利なのだけれど濫用し過ぎている様な気がして来たので。


1999-11-15 [長年日記]

_ 昨日書いた店の

「梅安冬の闇」と言う品書きの由来は、池波正太郎の連作時代物で仕掛人藤枝梅安シリーズってのが有って、それの「冬の闇」と言う章で梅安氏が喰っていたのを作ってみたとのこと。
 皮を剥いて輪切りにして、面取りをして隠し包丁を入れた大根を浅蜊のだしで下煮しておいて、出す時には小鍋にだしを張って大根を二つ、そのまわりには浅蜊を並べて、大根の上には1:2:√3の直角三角形型のあぶらげを四枚(つまり一枚分)並べて火に掛けて一煮立ち、浅蜊に軽く火が通ったところで出される。
 実の所、煮た大根を喰って旨いと思ったのは生まれて初めてだ。

 あと吃驚したのは山芋の千切り。 これは文字通り山芋を千切りにして、刻み海苔を振って山葵を添えただけのものなのだけれど、上手い人が良い包丁で刻むとぬめりが少なく、太さも揃っていて角もしっかり立っているので非常に旨い。 その分下手糞が切れない包丁で作ると、角がぐすぐずのぬめぬめになって、手が滑るから太さもまちまちになってとんでもない物が出来上がる。 家で作る時にはこのぬめり(どうしても普通の人が作ると出てしまう)を取る為に軽く酢水で洗ってやってから薪の束みたいに向きを揃えて小鉢に盛って、上から鰹の塩辛を一匙かけてレモンかスダチを軽く絞ってやると誤摩化せるし、これはこれで旨い。

 で、「冬の闇」なのだけれど、池波正太郎の本に出てくる食いものがらみの部分を抜き書きして解説を付けた本が何冊か出ているので、それなら時代物に興味の無い人でも涎を垂らし乍ら読める。
 ・・・と言う訳で本のコーナーに「食いものの本」をアップ。

1999-11-14 [長年日記]

_ ヤマモトダメ映画の

撮影の手伝いに来ていたイナダくん四ッ谷で待ち合わせて胡散臭い店巡り。 先ずは澁谷に有る洋書とCDと軍装の店「アルバン」へ。 イナダ君はドイツものを、私はソヴェトものを物色。 ロシア民謡のCDは沢山有るのに、私の欲しい「ソヴェト労働歌集」みたいなものは無くて、結局イナダ君が「ドイツ第三帝国名曲撰」を買っただけで、HMVへ移動。 私は酔い覚ましに外の風にあたっていたが、イナダ君は二万円以上の大散財をやらかしていた。 そして御徒町の珍満と言う中華料理屋で饂飩くらいの太さのやきそば(これが謎に旨い)を喰った後、東京で(たぶん)一番の品ぞろえを誇る軍装品の店、中田商店へ。 時間が無かったのでざっと見てカタログをせしめて出て来たが、八路軍、夏服薄、上・下組、帽子、弾帯、袖章付、¥7000-、なんて物が有ってびっくり、欲しい。
 更に新宿に移動してヤマモトらとお茶。 眠くなったので皆と別れてとっとと帰った。


1999-11-13 [長年日記]

_ 学生写真展

がらみの友達(ひたひた、ばく、アユム、気分は形而上(仮))と高円寺で呑み。 まず、抱瓶(だちびん)と言う沖縄料理居酒屋へ。 オリオンビール中ジョッキ2杯。 泡盛(請福、三十度。どなん、四十三度。)ストレートで一杯づつ。 壁に来店した有名人の写真が貼ってあって、友達はソウルフラワーの中川敬とか喜納昌吉とかの顔を見つけて喜んでいたが、私が秋山祐徳太子を見つけてもひたひたしか反応してくれなかった、つまらん。 ゴーヤ以外はおいしかったが、音楽がうるさい。

_ 二軒目は

ガード下の「竜屋長兵衛」と言う店、ここは当たりだった。 ペルツォフカ(ウオッカ、35度)一杯、ダバダ火振(栗焼酎)ストレートで二杯、立山(日本酒)二杯。 里芋ととり肉の煮付、牡蛎酢、山芋の千切り、梅安冬の闇(大根と油揚げと浅蜊の小鍋立て)、刺身盛り合わせ。
 兎に角つまみはどれを取っても旨いし、酒の保管状態も非常に良く、大当たりの店だった。 特に旨かったのは大根と油揚げと浅蜊の小鍋立てと山芋の千切りと刺身だったのだけれど、いちいち説明するのも野暮なので省略、ただ何より驚いたのは刺身のつまの大根おろしが、きめ細かくて、辛くて、それだけでも十分なくらい旨かったのには心底驚いた。
 ばく、アユム、気分は形而上(仮)の職業カメラマン(・・・とアシスタント)3人は仕事の話で暑くるしく盛り上がってしまったので、私とひたひたは隅の方でひそひそ今後の悪巧みをしつつ、適当に茶々を入れつつ、今度何時食えるか判らない旨過ぎるつまみと酒を胃袋に詰め込んでいた。
 帰るのが面倒になったのでアユムくんに泊めてもらった。


1999-11-12 [長年日記]

_ 昨日の分は

日記と言うよりも愚痴なのだけれど、そのままだとお利口自慢になってしまうので、まず補足と説明から。 漢詩・漢文の引用にあたっては講談社学術文庫の「中国古典名言辞典」諸橋轍次著 ¥1800-を使用しています。 ひとの文章をうろ覚えで引用するのは嫌なので、引用する際にはなるべく原典を使用する様に心掛けていますが、この手の物はそうもいかないのでこの本を使っています。 ちなみに著者の諸橋さんは大修館の大漢和辞典を一人で編纂した人です。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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