新宿へ。 馬券売り場の近くの立ち喰い「かのや」でたぬきうどん。
ここは饂飩は手打ちだしつゆも混ぜ物なしなのでさっぱり旨い。
とりあへず腹をふさいだあと、御苑前のミニコミ書店「模索舎」へ。
ここは市場に流通し難い雑誌・書籍を数多く取り揃えていてチラシから分厚い本までそれこそ数限り無くおもしろそうな活字が並んでいる。
「ユリイカ 1993.9月号 特集:宮武外骨」青土社
「悪戯」大杉栄、黒色戦線社(大正10年のアルス版の復刻)
を購入、大当たり。
抱え込んでいたもめごとも漸く目鼻がついた。
バスで日暮里へ。 駅前の坂を上って下って谷中銀座商店街に入ってすぐ左側の中華惣菜屋「ハッピー」の食堂で餃子(¥250-)、麻婆豆腐(¥380-)、ビール(¥450-)安い(笑)。
居合わせた神田うまれの小父さんと何故か空襲と疎開の話(苦笑)、と食い物の話をしながら喰い且つ飲んだ。
谷中、上野桜木と抜けて芸大界隈へ。 何やら物々しいと思ったら芸大の試験の日だった。
上野公園の中は、愛も変わらずの人口爆発が続いている。 ブルーシート掛けの小屋に混じって本式のテントをぶっ建てている人がいて、外を見ながら蜜柑箱の机で何やらものを書いていた。 こういうのなら良いな・・・と思った。
桜の気の早いものは蕾がほころび始めており、いよいよ春らしくなってきた。 桜並木を抜けて公園山下に出るとヨドバシの前に何やら列が出来ている。近くに言ってみるとプレステ2だった。 御苦労な事だ、売る方も買う方も。
国鉄で荻窪へ。 暫くとぐろを巻いた後、上野駅のパンダででわたりょと落ち合って一杯。
連休になったので遠出をしようと思っていたのだけれど金も無いので止めにした。
夕方迄家でぐだぐだしていたのだけれど、神田に本を買いに行く事にした。
三省堂にて
「ドグラ・マグラ」夢野久作、現代教養文庫
「日本共産党の研究(1)(2)(3)」立花隆、講談社文庫
「陰陽師」岡野令子・夢枕獏、白泉社
を購入。 そのあと新宿に移動してヨドバシでフィルムを購入。
寄って肉野菜炒め、餃子、煮込み、ピータン、ビール2本、で、二千四百余円。 端数は忘れた。
とりあへず退職する事だけは決まっているのだけれど、その先は何も決まっていない。
将来の夢なんざありゃしないし、この先世の中が良くなるとも、良くできるとも、良くしようとも思わないし・・・。
隠居くらいか、この先したい事は。
赤城神社門前の追分そばへ。
ここは最近増えて来た自家製麺茹でたてを出す店の草分けである小諸そばの系列店。
オフィス街に多く広い店が多い小諸そばに比べて追分そばは辺鄙な所に多く店も狭いが、その分のんびり食べられる。 かけそば¥210-。
きざみ葱は自分で好きなだけ入れられるし小梅も食べ放題。まぁがりがりぼりぼり食べている馬鹿はいないが。
麺は細麺、つゆはこれに合わせて甘味の少ないさっぱりした物。 この店だけのサービスなのかも知れないか柚子がひと欠け乗っていて仕舞いまでさっぱりいただける。 無愛想な店だけれど仕事は細かく丁寧だ。
神楽坂上交差点へ。 旨いが何時も好いている餃子とラーメンの店かどやが休みだった。 潰れていなければ良いのだが・・・。
過ぎると神楽坂の商店街。 いつも通り賑わっているようないないような・・・。毘沙門天の前には花屋の露店。 寒そうだ。
ここでもう一軒、青山へ。
この店は昼時はどうだか知らないが、夕方行くと何時もがらんとていて他の客が居た記憶が無い。 かけそば¥230-。 たぬきにすると揚げ玉と菜っ葉と蒲鉾が入って¥330-。
麺は紀州屋製麺なるところから仕入れている茹で麺、つゆは醤油っ辛い甘口。
かけだと一寸甘いように感じるが、天ぷらをいれれば丁度良くなるだろう。 店内にはいつもラジオが大き目の音でかかっているか、NHKなのでさほど耳障りではない。 相撲の本場所中などは却って心地よいくらいだ。
こ綺麗なチェーン店よりもこういう店の方が私は好きだ。
おりると知らぬ間に不二家の改装が終わって、すっかり綺麗になっていた。
交差点を渡るとお壕にかかる橋の上ではギターとウッドベースとドラムの三人編成の辻楽隊がジャズをずんちゃかやっていて、其の横に立っていた法政の応援団の旗が大して風も無いのにやけに揺れていると思ったら旗持ちの若いのはにやけながらおねぇちゃんとくっ喋っていた。 いやはや応援団も柔らかくなったものだ。
部活動〈スポーツ〉と学業は両立するか 部活動と学業は両立するかについて、私の経験に基いて結論を言えば、両立は難しい。
確かに、厳しい練習をしているにも関わらず良い成績を取る生徒も居る事は居る。 しかしそれらの生徒も大概授業中は眠っているし、中には弁当を喰っている者も居るのである。
この事からも解る通り、彼等は授業よりも部活動を優先させているのだ。 それに他の多くの生徒の成績は芳しく無い。 部活動に入り、人並みの練習をこなしながら平均的レベルの勉強をすると言う事は、相当な努力をしない限り不可能である、・・・と言う事を彼等は身をもって教えてくれている。
それは何故か、考えればすぐ解る。 部活動が厳しすぎるのだ。
部活動と言う物は趣味の延長であると私は考えているが、一所懸命やっている・・・と言うよりも目を血走らせていると言った方が良い様な部が多い。 例を挙げれば野球部である。
私から見れば、彼等は趣味で野球をやっていると言うより、仕事として野球をやっている様に見える。
一年生は昼休みに校庭の整備をしなければならないので食事をする暇が無い。 いつ食事をするのかと言うと、授業中、あるいは十分間の休み時間に食事をする。
また、部活動は五時で終了する筈だが、何故か八時頃迄やっている。
食事をする暇も無く、八時頃迄練習らしき物をやっている・・・と言えば、殆どサラリーマンの世界である。 違うのは彼等のやっている事が仕事では無い所と、一杯呑んで帰る事が無い所位の物である。
これでは学業と部活動の両立は限り無く不可能に近い。
練習時間を守らせれば両立の可能性も無くは無い、まぁ彼等が容易に納得するとは思えないが。
これで私が両立は難しいと言った意味がある程度は理解して頂けたと思う。
部活動が趣味の範囲を越えている限り学業と部活動の両立は難しい、・・・と私は考えているのである。
暇は有っても金は無い。 昼過ぎからちゃりんこ転がして葛飾区内へ。
四ツ木から立石へ。 隅田川の東側〈つまり私が住んでいるあたり〉は「川向こう」なんて言って、西側と比べると一寸品下がったようなイメージが有るのだけれど、荒川放水路を越えるともうそこは郊外であって街の雰囲気は全然違う。
立石の駅前でひとしきり写真を撮ってから青砥へ。
なんてこんな所迄来たかと言うと、駅前に謎のハンバーガーショップ「バーガーランド」かあるからで、ここは商品も謎なら親爺はもっと謎。
エッグバーガーとポテトLで締めて380円、これで腹一杯になってしまうのだから恐ろしい。
インキが切れたので仕事帰りに新宿へ。 カメラのキムラを冷やかしてからしょんべん横丁の岐阜屋へ。
店内は可笑しいくらいに焼ける前に似ていて、値段も元のまま。 味も元のまま。 店員さんも元のまま。
ラーメン350円也。 今どき、ちゃんと食べられる美味しさのラーメンが350円。 ヨドバシでプリンタのインキが3280円。 どうも納得が行かない。
暮れに焼けた、新宿西口しょんべん横丁のラーメン屋「岐阜屋」が、再建成って昨日新装オープンしたらしい。 場所が場所だけに、これ幸いとドでかいビルでもおっ建てられてしまうのではないかと危惧していたのだけれど、元通りの二階家らしく一寸安心した。
首を自然に曲げた角度で空が見える、三階建て以下の建物が並ぶ街が私は好きだ。 路地も狭い程良い。
起き出して市内のラーメン屋「G」へ。 いつもはお冷やが出てくるだけなのに今回はお茶と沢庵が出て来る地元民向けの接客。 ついに顔を覚えられた様だ。
ワンタンメンと餃子。 閑な時間に行った為か、いつもより丁寧に作ってあってやはり旨かった。
生協で酒とワインを買って会津若松へ。
今回は東武で帰った。
カメラ・レンズを愛好するダメ人間集団「ロシアンフォーカス」の撮影会、北鎌倉へ。
駅前で集合した後、円覚寺、明月院、浄智寺、東慶寺へ。
他の寺は観光地臭くて好きにれなかったのだけれど浄智寺はうらぶれていてなかなか良かった。
参道に入ると甘露の井という井戸と池が有るのだけれど、その池に架かっている石造りの太鼓橋はぶっ壊れかかって竹垣でとおせんぼうをしてある。 其の脇を抜けてゆるゆると参道を登って行くと拝観料を徴集する小屋とひょろっとした貧相な楼門があらわれる。 めぼしい建物はこれだけなのだれどここの見どころは建物では無く、鬱蒼とした樹木(林の中では椎茸まで作っている)と無駄に多い草花。 そして石仏とトンネル、洞くつ、矢倉。 渋沢龍彦の墓も有るのだけれど如何にも澁澤好みの胡散臭い寺だった。
ちなみに澁澤の墓は見つからなかった、余程奥の方に有るらしい。
プリズムに寄ってから帰宅。
行ったあと、ダメな客4人と「ゑびす屋」へ。
串盛り、ニラお好み焼き、馬刺し、アロエ刺し、モツ煮、にしん味噌焼き、等々。 二階堂三杯。
けして不味くは無いのだけれど竜屋と比べると少々ナニですね。
終電を逃してタクシーで午前様。
中野の胡散臭い中華料理屋「郭林家」でラーメンセット(ラーメンと半炒飯)、豚耳、水餃子、ビール。
「かみや」へ移動してアジフライ、納豆オムレツ、しらすおろし、モツ煮込み。 ひたひたはビール、私は電気ブラン。
移動して高円寺の竜屋長兵衛へ。 ここは前にも書いたのだけれど味の割に異様に安くて、しかも出て来た料理のだいたいの材料と作り方は判るのだけれど、最後の一手間二手間がどうしても判らないものが多くてなんとも凄い。
とりあへずお通しで牡蛎酢が出て来たのだけれど無脊椎動物アレルギーのひたひたは食べられないので、まぁ私が有り難く頂戴する訳なのだけれどそれを見た店員は「あぁすみません、食べられないんですか?最初にお聞きすればよかったですね。すみませんでした。お取り替えしましょうか?」と来た。 で牡蛎酢は私が美味しく頂いて(笑)注文。
山芋の千切り、灼熱のネパールそば、鬼平の魚飯、を頼むと「ネパそばと魚飯は両方とも穀物もので結構おなかに溜まると思うんですけど大丈夫ですか?」「両方とも結構時間がかかるのですぐ出来るもの・・、たとえば牛スジ煮込みとかならすぐ出来るんですけど。」とかバイト店員とは思えない完璧な客あしらい。 ネパールそばを運んで来た時も「油を多く使っているのですぐ食べないと油を吸って美味しく無くなっちゃうので出来るだけ急いで食べて下さい。」「下げる時は下げる時で「もう食べたんですか?このくらいで食べるのが一番美味しいんです、完璧です。」とか、過って器をぶつけてがちゃりと音を立ててしまえば間髪入れずに「失礼しました」とかで、兎に角店員の躾はしっかりしているのに店員はいかにも楽しそうに働いていて、酔っ払って無茶な注文をする女のグループ客にも厭な顔ひとつせず丁寧に受け答え。 いやはや恐ろしい店だ。
それより何より食い物が旨い。
牡蛎は小振りながら兎に角新鮮で臭みも無く、もみじおろしもポン酢も自家製らしく非常に旨い。
牛スジを大根と予め煮込んであって、注文を受けると豆腐と一緒に鍋に入れて強火で炊き上げてから器に盛って出される。 スジのにかわ臭さが見事に抜かれていてトロットした食感が心地よく、大根にはしっかり、豆腐にはほんのりと味が染みている。
私は基本的に煮た大根ってのは嫌いで、美味しいと思った事もあまり無いのだけれど、この大根はスジの味がしっかり染みているのにちゃんと大根の味もして矢鱈旨い。
不思議なのは冷めても煮こごらない事。 スジはゼラチン質の塊なので冷めれば当然煮こごるだろうと思っていたらこれが煮こごらない。 ただ下茹でしただけでは臭みはある程度とれてもゼラチン質を抜く事は出来ない筈なのでこれが兎に角謎だった。
山芋を千切りにしたものに刻み海苔を振っておろし山葵を添えたもの。
1本1本が細くて、太さも均一。 海苔も山葵も旨いし芋自体の味も濃くて旨い。
ぬるぬるする物なので細く均一に刻むのは非常に難しいのだけれど、ここのは凄い。 包丁の手入れの良さと作る人の腕が良く判る。
茹で上げた蕎麦でつくったペペロンチーノと言うかアラビアータと言うかまぁそう言った感じのもの。 使っている油が非常に軽いのだけれどコレがなんだか判らない、ひとつ目の謎。 麺にどうやって味をつけたのかもわからない、ふたつ目の謎。 しかし謎に旨い。
鯛と思しき白身の魚を炊き込んで大葉ときざみ海苔をふりかけた飯。 これは元ネタが判っているので大体の見当は付くのだけれどどうにも同じ物は作れない。
置いている酒の種類も多いのだけれど品揃えに無駄が無く、しかも安い。 他の店だとどこにでも有る二階堂一杯で350円取ったりするだけれど、ここは他の店ではついぞ見かけた事の無い土佐の栗焼酎「ダバダ火振り」が350円。 これもあまり見かけない薩摩の芋焼酎「無双」はなんと300円。 かくてるもちゃんと作っていて、この日呑んだジントニックは私の十年余の酒飲み人生に於て一番旨かった。 資生堂パーラ−より旨いかも知れない。 日本酒も勿論ツボを押さえた品揃え。
私の知っている中では、飲み食いする店としてはこの店が一番であり、金さえ有れば一年三百六十五日、毎日三食ここで喰いたい。
生徒会の時の先輩の結婚式の撮影。 昼から式場へ。
今日の機材は、ミノルタα7000、35-80mm/f4.5-5.6ズーム、専用ストロボ。
フジカST605、マミヤ21mm/f4、ペンタックス・オートタクマー35mm/f2.3、ペトリ55mm/f1.8、ジュピター9 85mm/f2、ゼニットIR 100mm/f1.5。
ライカD−III、ズマール50mm/f2。 ローライコード トリオター75mm/f3.8。
使用フィルムは35mmがフジカラーAce800とアグファAPX400(モノクロ)、ブローニーがコニカセンチュリア400。
受付で暫く撮影し、披露宴の会場を下見。 ・・・とやっているうちに式が始まりモニターで見物。 新婦が角隠しで見事に角を隠して澄ましている反面、新郎はあからさまに挙動不審で目が泳いであらぬ所を見ている。 式が終わってから親類やら友人やら何やらと記念撮影、其の後披露宴へ。
入場だ、祝辞だ、経歴紹介だ、乾杯だ、余興だ、お色直し×2だ、きゃんどるさぁびすだ、なんだかんだを一人で撮るのはかなり辛い。 おまけに会場の雑感やら出席者のスナップやら・・・。 席も料理も無しにしてもらったので其の事だけが救いだった。 飲み食いしてるヒマなんざありゃしない。 先輩に寿司2個とウニの刺身を恵んでもらったいがい何も飲み食いせずひたすらお仕事に明け暮れた。
お色直しに消えたはずの新郎が素っ裸に紙おむつ一丁で登場してクラッカーを口の中でぶっ放したり、身体中に洗濯ばさみをつけて一気にむしり取ったり、爆竹を紙おむつの中で炸裂させたり。 其の後の余興の親戚が動揺してしどろもどろになったりしつつも滞りなく披露宴は終わり、私の仕事の半分が漸く終わった。
ここまでで36枚撮り8本。 其の後二次会で3本、3次会で2本。 モノクロ1本。 ブローニー1本。
計15本。
午後十一時半過ぎ、漸く3次会が終わってお役御免となった私はよれよれになって帰宅した。
絶食して朝ふらふらしながら病院へ。 今日はエコー&胃カメラプレイ。
受付をしてから待たされる事一時間、先ずはエコー。 腹全体がぜりーでぬるぬるになったほかは何事もなく終了。
さらに待たされる事一時間、ついに胃カメラ。 クソ苦い痲酔液でうがいをした後、注射を一本打たれていよいよ本番。 なにやらマウスピースの様なものを銜えさせられ「つばを飲み込もうとすると絶対にむせますから、絶対につばは飲み込まないで下さい。」と念を押されつつ胃カメラを挿入。 猛烈な吐き気と唾をのみ見たい衝動にかられたか、なんとか耐えて終了。
脂肪肝と高脂血症が問題ではあったのだけれど、他は何も問題無く、昨年の暮れから続く下痢と脂肪肝の元となった過食はどちらもストレスから来るものであると言う結論に達した。 泰山鳴動して鼠一匹、結局すべてはストレスであった。
朝から飲まず喰わずだったので新宿に行って博多天神でラーメン、もやし、替え玉×2。
ツタヤで椎名林檎のマキシシングル2枚購入。 相変わらずの録でもないデザインのジャケットとやさぐれた歌声。 録音・アレンジ・ミックスも相変わらずの凝り方。 金を払うだけの価値は有るのだけれど、マキシシングル4枚出すならアルバムにしてくれれば金銭的にはかなり助かるのだが・・・。
それぞれ一曲づつカバー物が収録されていて、そのアレンジとか歌い方とかも良いのだけれど、印税収入を度外視して好きなものを歌っている姿勢は偉いと思う。
高田の馬場へ移動してス◯キカメラでオリンパスのレンズを物色。 そのあと爺ぃの家へお年始の挨拶。
いきなり「おまえは年賀状と言うものを出さないのか?。わしは今でも八十枚から出しているぞ、帰ってくるのは七十五枚くらいだけれど。」「年賀状一つでも世間は広がるんだ、ちゃんと出しなさい」とお説教。
流石に「世間を狭くする為に年賀状制度を廃止しました。」とは言えないので「はいはい、まったく其のとうりでございます。」と慎んで拝聴した。
ちなみに爺さんは1902年生まれ、ライト兄弟の初飛行が1903年だから飛行機よりも古い。
ひたひたに胃カメラの話をしたら「どうだった?」と聞かれたので「いやいや、これがとんだ『ディープ・スロート』で・・・」と言ったら
「なんであんたはそんな古いエロ映画を知ってるんだ!!」
・・・と言われてしまった。 原作迄持っている様な奴にそんな事を言われる筋合いはない。
佃島へ。 プリズムの客(廃人数名)がT中C徳氏らのやっているカメラのクラブでロシア物についての講演をするので冷やかしに行った。 今、兎に角金が無いのでちゃりんこで移動。 すっ飛ばす事四十分、マンションには着いたが集会場が何処なんだか判らない。 スーパーの警備員に訪ねると逆に「いや、判りません。 さっきから何度も聞かれるんですが今日は何か有るんですか?」等と言われる始末。 某カメラ屋の親爺を見つけて後をつけて、漸く会場に潜り込むと、冷やかし仲間のプリズムの客は余りの場違い感に部屋の外で固まっていた。
会場内には浜松町のカメラ屋の親爺だの浅草の坊さんだの雑誌等で良く見る顔がちらほらどころではなくひしめいており、我々プロレタリアートはこそこと後ろの方に陣取って始まるのを待つことにした。
まず一人目の講師が出てロシアンフォーカスとは如何なる団体なのかを説明。 然し乍ら「C徳先生」であるとか「A英先生」とか矢鱈とへりくだった物言いをするのは頂けなかった。 有名・無名、著書の有る無しはあっても趣味人としては同等。 むしろそれをメシの種にしていないだけこちらの方が純粋であるとすら言えると思うのだが・・・。
次に出て来た講師がまた凄かった。 ロシアカメラのマウントの分類をホワイトホ−ドで説明するのだけれど、吶々と説明しつつキリル文字(ЖЫЙФМй←こういう奴)をスラスラと書いて行くさまは感動的ですらあった。
3番目はひげ面の巨人が戦前型フェドのマウントの特異性を資料と実測データを交えて説明。 某研究所の職員だけの事は合って有無を言わせぬ説得力であった。
しんがりに控えしは流しの理科教師、白衣を着て登場。 板書も抗議も流石に本物であった。 スターリンが敗戦ドイツから技術者と工作機械と原材料をぶん取ってきて、その遺産を食いつぶして来たロシアの光学産業の歴史が面白可笑しく語られた。
その後談笑しつつビールを呑みつつ、こそこそとC徳氏に接近して仙台に有った某カメラ屋の親爺の如何にも胡散臭い名刺を見せて「この爺ぃ知ってますか?」と聞いてみた。
すると「あぁ、知ってます知ってます。 何度か御馳走になりました。」・・・とのこと。
で、親爺が「俺の名刺を持って行けばT京カメラ倶楽部なんざ簡単に入れる」と豪語していたことを話すと「ああもう是非入って下さい。」と笑わずに言った。 何だか恐かった。
念のためT村A英氏にも聞いてみると「ああ、C徳さんに何度か連れて行ってもらいましたよ。」「お亡くなりになられたのですか?」・・・っておいおい、死んで欲しいのか。 「昔は代々木で店をやっていたらしいですね。」と言っていたことから見て昔の事は知らないらしい。
・・・こんな感じで何人かに謎のプレッシャーをかけて遊びつつ、こちらの正体は明かさずに会場を出た。
雨が降って来たのでちゃりんこは打っちゃらかして皆と一緒に東京駅へ。 他の人たちは東京駅の中で打ち上げをやったのだけれど、私は中野へ移動してパルテに顔を出した後友達の車で両国へ。 何でも両国駅の南口に旨い立ち喰いがあるってんてそこへ行こうとしたのだけれど、両国に近づくと道路が以上に混んでいる。 なぁんだろうと思ったら丁度初場所千秋楽結びの一番が終わった頃合。
「あぁ、こりゃダメだ」ってんで葛飾区は青砥へ移動。 ここの駅前には物凄いハンバーガー屋が有るとの事で、その「バーガーランド」なる店で晩飯。 話通りの物凄い店で、満腹になったところで自分の家の前を素通りして佃島へ。 雨もやんだのでちゃりんこに乗って帰っ来た。
久しぶりに有意義に休日を浪費する事が出来た。 ・・・って話を友達にしたら「おい、浪費して喜んでどうする。」と言われてしまったのだけれど、金が無いんだから時間くらい浪費したいじゃ無いか。
料理。 自棄料理。
蕪は葉をとって半分に割ってから2〜3mm厚に。 セロリも葉をとって2〜3mm厚に。 赤ピーマンは半分に割って種を取ってから縦に5mm厚に。
セロリの葉を何枚かみじん切りにしてボールに。 無印の「イタリアンハーブミックス」も適当に。 これは楽なんだけど、なければバジル、オレガノなんぞを適当に。 そこにオリーブ油とワインビネガーと塩・胡椒を足して攪拌。 酢と油は通常2:1なのだけれど、今日は和えてから暫く味を馴染ませるので油の割合と塩は多めに。
全部をざくざく和えて冷蔵庫で馴染ませる。
鰹は1・くらい(一寸厚め)に切って皿に隙間無く並べる。
酒と醤油を適当に混ぜてそこにおろし生姜とにんにくを包丁の腹で潰してからみじん切りにした奴を混ぜる。
そいつを鰹の上にぶちまけて冷蔵庫で馴染ませる。
今日はビール。 軽井沢高原ビールとヨナヨナエール。
多少気が晴れた。
年末調整が出たのでうさ晴らしに料理。 牛スジを水から煮て、火が通ったら一旦上げて一口大に。 柔らかくなる迄ひたすら煮込んでカレーに。
マグロの切り落としはスジに沿って包丁を入れつつ刺身くらいの大きさに。 鍋にお湯を沸かして酒をたらぁ〜り、おろし生姜を少し。 そこにマグロと大量の葱を入れて暫く煮る。 生煮えも旨いんだけど今日はおかずなのできっちり火を通す。 醤油で味をととのえて出来上がり。
今日はビールではなく日本酒。 菊水の純米吟醸。
起きられず。
九時に目覚ましをセットしておいたのだけれど見事に二度寝。 気が付くと何故か部屋の中にインターナショナルが響き渡っていて、よくよく考えたら自分の電話器の着信音だった。
あたふたと着替えて、車で駅迄送ってもらって六条と待ち合わせ。
例によって例のごとく、日がな一日ぶらぶらして4時半の電車で東京へ。
いつもと違って本当にさようなら。
Jane Birkin “je suis venu te dire que je men vais”(笑)
昼頃起き出して昼飯。 冷蔵庫のクズ野菜とベーコンとチーズでリゾット・・・の様な物。 喰い終わってからつらつら時刻表を見ていたら17:06上野発黒磯行きに乗ればその日のうちに仙台に着ける事が判明。 時計を見ると15:46。 何だかめんどくさくなってひとっ風呂浴びてから適当に荷造りをして上野へ。 売店でチキンカツサンド、缶チューハイ、ジャワティ(瓶)締めて¥520-。
黒磯と福島で乗り換えだったのだけれど、それぞれ3分程しか時間が無く、宿泊場所の手配もへったくれも無いまま仙台着。 何とかナニやら取込み中のかみやんを捕まえて寝る場所は確保したものの、なにせ取込み中なので連絡が来る迄街の中をぶらぶらする事にした。
広瀬通りの吉野屋で並。 ¥400-。
住民の反対運動やら、一斉取り締まりやらでなくなるかとも思われたアーケードのギター小僧たちはどっこい生き残っていた。 一番町のフォーラスのあたりは国分町から流れてくる酔っ払いやヤンキーが多い所為かあまりいなくて、藤崎の前辺りから大町のアーケードに一番多いようだ。 しかしクリスロード→ハビナ名掛丁と駅に近づくにつれて人通りが減り、暗くなるにつれてギター弾きも減って行く。 やはり明るくて人通りも多い東二番丁から藤崎にかけての大町のアーケードが一番多く、50mおき位、つまりお互いの音が干渉しない程度の間隔を空けて陣取っている。
やはりゆずもどきのさわやか(風)青年で、オリジナルの物をやっていそうな奴はいなかった。 琵琶をかき鳴らして平家物語とか三上寛とかそこ迄は言わないから、せめて拓郎くらいやってほしいものだ。 同じ事を皆でやっていて楽しいのだろうか。 詰まらん。
客のいないやつらは淡々と、客・・・と言うかグルーピーみたいなのを抱えているやつらはそれをいじったりリクエストを聞いたりしながら、街灯の下で明るくさわやか(風)にやる者、暗がりで自分の世界に入る者、色々だった。 ・・・とここまで書いたところで道路向いにニット帽をかぶったにいちゃんがどっかと腰を下ろした。 何を始めるのかと思ったらブルースギター、歌無し。 なかなか上手いけど誰も立ち止まらない。 上手い下手と客の数は比例しない。
変わった頃から降り出した雨は段々強くなり、アーケードの屋根でパラパラ音を立てている。 気温も下がって来たようだ。 座っている奴より立ってギターを弾いている奴の方が多いのは寒いからなのかも知れない。 今日はいつもより厚着をして野宿対応で来ているのだけれど石の上に直に腰掛けていると流石にケツから冷えてくる。 寒いので少し動く事にして駅へ移動。
交差点で無気味なものを見た。 和服らしき物を身にまとい、紺色の風呂敷状のものを尼さんかぶりにした婆さんが、風呂敷包みを篭に満載した自転車をからころ押していた。 何故にからころ音がするのかと言えば後ろの車輪にはタイヤもチューブも何も無いからなのだけれど、これがまた夢野久作的でどうにも気味が悪かった。
構内は0:00〜4:00迄閉鎖。 西口地下自由通路は0:10〜5:25迄閉鎖。 只ひとつ解放されている駅からams西武への地下道には先住民の家屋が立ち並んでおり、香しい匂いが立ち篭めていて長時間そこにいるのはかなりきつい。 もと来た道を引き返して藤崎の前あたりで座っていたら漸く電話が入りかみやん邸へ。
病院で検査をする為、今日一日食事制限。 朝、お粥、梅ふりかけ、田舎煮、味噌汁、プリン。 昼、ビスケット四つ、コーンスープ。 間食、飴2個。 その間、ジャスミン茶2リットル。
これだけで一日働いた。
帰宅してから夕食、粥、味噌汁。 その後、検便、そして下剤服用。
空腹は良いが便意がつらい。