トップ 最新 追記

墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-04-24 [長年日記]

_ アルバイトの

不採用通知が来た。まぁそんなもんだろう。


「私はこんなに素晴らしい人間なのにどうして世の中に受け入れられないのだろう?」


 ・・・ってな感じの根拠の無い自信とかが有れば腹も立つのかも知れないけれど、生憎・・・と言うか、幸い・・・と言うかそう言う物は無いので、明日からまた淡々と新規蒔き直し。

誰か仕事下さい(笑)。

2000-04-23 [長年日記]

_ 家に辿り着いてから

メールチェックだの掲示板巡回だのメールのお返事書きなどをしていたら猛烈な眠気に襲われてキーボードに手をおいたまま寝てしまった。 テレホ終了前に回線を切ったのは覚えていルだけれど、気が付いたら三時半。 たった一晩の夜明かしで生活サイクルはとんでもない事になりつつ有る。


2000-04-22 [長年日記]

_ 今夜は

怪しいイベントで夜明かしをするので昼まで寝だめをした。
 昼頃起き出してメールチェック。 最近ペトリに関してのメールが増えて来た。 ちゃんとせにゃならんなぁと思い、久しぶりに纏まった更新をした。
 表の直し等をしていたら以外と時間を喰ってしまい、気が付いたら4時半過ぎ。 出かける準備をしていたら電話が入ってふと時計を見るともう五時。 今日は土曜、時間は五時、財布には2000円。
 家捜しをしても金など有るはずも無く、開いている銀行で金を下ろす事にした。
 然し乍ら、私の使っている旧財閥系の銀行は非常にサービスが悪く、土曜でも開いている窓口が碌に無い。 結局新宿へ出てから探しても何処に有るやら影かたちで、公僕にきいたら「伊勢丹の向いだ」と言う。 地下鉄で一駅分あるじゃないか。 そんなこんなで現場に付いたのは七時一寸前。 開演には間に合ったのだけれど結構混んでいる。 イベントの詳細はこことか、こことか、ここ(笑)とか、ここ(笑)とか、それとここ(笑)とかも見て下さい。
 本日のカメラとレンズは、フジカST605にペトリ50mm/f1.7と135mm/f2.8、ペンタックスオートタクマー35mm/f2.3。 フィルムはフジの800。 なかなかどうしてピントを合わせづらい状況なので、うちで一番ピントのヤマの掴み易いペトリの50mmをメインにした。

 で、このいずみさんと言う人。 本業はプログラマーで、徹夜したりなんだりで今回は碌に準備が出なかった様なのだけれど、時間が足りない様に感じられる程内容の濃いイベントであった。
 いずみさんに関しては私がくどくど説明するより、御本人のページを見た方がてっとりばやいのでそんな感じでお願いします。
 物販コーナーでは北朝鮮萌え萌え軍楽CDとか、萌え萌え赤ヘルグッズ(復刻機関紙、ヘルメット用ステッカー、宣伝用教本など)を購入。 実りの多いイベントであった。
 終わる頃には既に始発が動いており、家に帰って昼過ぎまで寝た。

2000-04-21 [長年日記]

_ バイトの面接の日

朝、7:30に起きて風呂に入って支度して麹町へ。

当初は夜のバイト(荷物の仕分け等)をして、ひとまず免許費用を貯めようと思っていたのだけれど、「夜のバイトは止めてくれ」と親に泣かれて、まぁその理由も判らんでは無いので、とりあへず昼間のバイトをする事にした訳だ。

然し乍らコンピューター関連はブラインドタッチが出来ない、右手のみ・左手のみ(しかもカナ入力)でしか打てない・・・とかいろいろ考えてボツ。

力仕事は手に負担がかかり過ぎるし、印刷関連は御免蒙りたい。

写真やカメラと関わっては生きたいのだけれど、カメラマンとして喰って行く自信は無いし、カメラ屋は嫌いなカメラも売らないと成り立たない・・・。

・・・と、いささかわがままな理由ではあるのだけれど、まぁ色々考えてラボ屋を選択した。

ダメだったらまた考えよう。 一週間以内に返事が来るそうな。

_ 帰りがけに

四ッ谷のモールへ寄って写真展を見て来た。

 大西基写真展「眼のなかの鏡」
4/10〜4/22
8×10のピンホールカメラによる多重露光写真、異なる風景が重なる時に、写るもの。

 電車や車、人どころか、雲までが流れて写ってるのが面白かった。
 ただ、多重露光で雲海とビル街を重ねた様なものには少々あざとさを感じた。

 我楽多屋を覗いた後、十日町そばで昼飯。 ここのなす天は長さ20センチ余、でかくて柔らかくて旨い。

 退職金が出た。 ¥79000-。 出ただけマシか・・・。

2000-04-18 [長年日記]

_ 午后一時に

浅草駅でM田くんと待ち合わせ。 MZ-5を売る為に相場を調べてまわった。 先ず浅草で早田と真美堂とカワマスをチェック。 谷中へ移動して例の店で昼飯。 私はニラレバ炒めと御飯、まっつう君はエビチリと御飯、それから餃子を一人前づつ。

おばちゃんは相変わらず何言ってるんだか少なくとも半分は判らないのだけれどそれはそれで面白いからいい。

ビールの一つも飲みたい気分では有ったが、金も無いので止めておいた。

そのあと、秋葉原に移動してマップカメラ、ニッシン。 新宿へ移動してドイ、マップカメラ、ドロボウ市場。 何処へ行ってもMZ-5は無い。 売れているのだろうか?。

荻窪へ移動してぐだぐだと管を巻いたあと中野へ。 パルテでひとしきり唸って(私が)からフジヤと日東を冷やかす。 結局まとまった数のMZ-5を置いていたのはフジヤのみ。

日東から駅へ戻る途中のラーメン屋で晩飯。 威張る程旨く無い。

つぎの休みが何時になるか判らないまっつぅくんはフジヤにMZ-5を置いていく事を決断。 委託の手続きをして駅への道すがら「手数料を引くと買い取りの方が高くなっちゃうので委託の値段を上げて来ました。」・・・って、ねえ・・・。

金を作るのが目的であって委託に出すってのはあくまでも手段に過ぎないわけで、委託より買い取りの方が実入りが良いならそれに越した事は無いんで、それなら買い取りに変えっちまいましょう。

・・・って事で、一ン日歩き回って市場調査して委託に出した挙げ句に買い取りと言う、ナンとも締まらない結末の一日ではあった。


2000-04-16 [長年日記]

_ 珍しく〈←いいのか?〉午前中に起きて秋葉原へ

怪しいプロモーションビデオの撮影を見に行く。
 電気街口でダメな人たちと待ち合わせて歩行者天国へ出てみると、既に撮影は始まっていたのだけれど、スタッフは予想していた会社ではなく一寸拍子抜け。
 ゲリラ撮影をするって言うんで、集合した段階で捕まえないと1日足を棒にしても見つからないと思って心配していたのだけれど、ゲリラって割にはかなり大っぴらにやっていてびっくり・がっかり。
 仲間うちで「ゲリラ撮影」って言うと、迎賓館の前に風の様に集まって一発撮りして、警官が来たら速攻で逃げる・・とか、見張りと謝り要員を配置しておいて東京駅のホームで撮り逃げ・・・とか、少人数でさっと準備してさっと撮ってさっと逃げる(笑)ってのが当たり前だと思っていたのであまりの大っぴらさ加減と機動力の無さと、ついでに下準備と段取りの悪さにびっくりした。 ついでにギャラリー(笑)の仕切りもしねぇし。
 だってV二台、三脚二つ、スチルカメラ一台を3〜4人で回して、しかも衣装とかの鞄も持って歩くからもう大変。 ゲリラ撮影って言うより「ゲリラ風味」の撮影だった。
 監督がどう言う画を撮りたいのか横で見ていてもさっぱり判らなかったのでそのへんは置いておくとしても、タイムキーパーはいないし、いくらカリスマ美容師だか何だかにメイクして貰ったにしても、朝っぱらからまる一日直しもしないでそのままってのは一寸どうかしている。 ・・・っていうかファンデーションは何も顔だけに塗るものではないので(ごにょごにょ)
 口パク用のCDプレイヤーは音飛びしまくり、しかも代替用カセットのトラッキングも合って無い。
 秋葉原でやってるんだから現地調達なんか簡単に出来る筈なのに音飛びするCDで無理矢理続けるし・・・。 口の動きのずれはどう誤摩化して編集するんだろう?

 馬鹿馬鹿しくなりつつも結局夕方まで見て、その後A一郎くんと谷中へ餃子を喰いに行き、更に荻窪へ寄って帰った。

 最近、自分が常識だと思っていた事が次から次へと覆されている。 イベントの仕切りにしろ屋外での無許可撮影にしろ・・・。 ってな話を仲間うちでしたら、さらに酷いのがいるらしく、「世の中そんなのばっかりだぞ、こっちはもっと酷い」と逆に嘆かれた。
 某コンサートの裏方用のケータリングは折詰の弁当だったそうな(笑)。 そんなもの悠長に喰ってる暇なん有る訳無いんで、サンドイッチとかハンバーガーとかおにぎりとか腐りにくくて手で一寸つまめるものを大量に並べて置くものだ、・・・って叩き込まれたんだけど(笑)
 で、おまけに飲み物はでっかいペットボトルのジュース、しかも冷えて無い(笑)。 紙コップも無い。 どうやって飲むんだ?(笑) 。
 照明の暑さをしらねぇのか?脱水症状やら熱射病やらで人死にが出るぞ(笑)。 冷えたスポーツドリンクとかお茶の類いの500mlペットボトル、一番良いのはミネラルウォーター。 ペットボトルが無ければ紙コップに注いだのを並べておく・・・って、こんなの考えれば判るとおもうんだけど判らない。 で、指摘すると怒る(嗤)。
 こっちはたかが大学イベントの呼び屋とか同人映画の裏方なのに、金取ってやってるヤツがこれじゃぁねぇ。 いいんでしょうか?。


2000-04-15 [長年日記]

_ 朝も

六時半をまわってから漸く寝付いたのだけれど、やる事も有るので昼前には起きた。

昨晩のうちに航空便で本が届いていた。

これはアメリカの知り合いに頼んで送ってもらった cocollector guide to KURIBAYASHI-PETRI cameras って本で、辞書と首っ引きになるのではないかと思っていたら、カメラ絡みの専門用語さえ判れば中・高・浪・大と英語嫌いで赤点つづきだった私の様な人間にもなんとか読みこなす事が出来た。

文字ものの資料がなくて今まで判らなかった事も大体判って来た。

ただ、資料を集めて書いたような感じで、現物と照らし合わせると納得の行かない部分も多少有るので、その辺りは自分で調べるしかない様だ。

ざっと目を通してからプリズムへ見せびらかしに行く。 帰りに北口でラーメン。

_ 帰って

寝るだけだと思っていたら昨日の二人に拉致されて蒲田温泉へ。 ここは380円で入れる銭湯なのに温泉で、しかも12時までやっている。
 しかしなんとも凄いのがここの電気風呂で、感電して死ぬのではないかと思う程びりびりくる。 面白がって入っていたら筋肉痛になった。
 帰りがけに北上野の「油うどん」なるあやしい店へ。 油うどんの「油」とは「ホルモンについている上質の脂身を野菜スープで煮込み、旨味を閉じ込める為に油で揚げたもの」だそうで、どんなモノ凄ぇものが出て来るのかと思ったら存外まともな食い物で拍子抜けした。 うどんとしては美味しいのだけれど、茹で麺のうどんで580円はちと高いかな。


2000-04-14 [長年日記]

_

小学校以来の悪仲間petaから電話が有り、拉致られて車で東東京をぶらぶら。
 先ずは深川、森下の月〜土の11:30〜15:00までしか営業しないカレー屋へ。 ほうれん草と目玉焼きの乗った「ポパイカレー」とアイスコーヒーを注文。 カレーはルーには具の入っていないさらさらしたものが御飯と別盛りになって出て来る。
 野菜も全てすり下ろされていて肉なんぞは影かたち。 2センチくらいの肉の繊維が入っていた事から見て、牛スネでスープを取っているものと思われるが、その先は皆目見当がつかない。
 口に甘くて咽と胃に辛いタイプのカレーで、私の好みではなかったのだけれど、それでも旨いと思った。
 ここで秀逸だったのがアイスコーヒーで、挽きたていれてたのアイスコーヒーが250円。 クリームもガムシロップもいらない旨さ。
 その後、小名木川貨物駅ちかくの酒屋へ。
 見た目はただの街の酒屋なのだけれど、店内は三面が冷蔵庫で日本酒がズラリ。 洋酒・ワイン・焼酎は勿論、砂糖・塩・酢・醤油・味噌などの品揃えも物凄く、正直驚いた。 ここでpetaは何やら日本酒を一升と「爆弾ハナタレ」なる芋焼酎を2本買い、それを置く為にとりあへずpetaの家へ。
 で、さらに移動して金町駅前の立ち喰いそば「そばっ子」へ。
 ここは自家茹で麺なのにかけ200円、もり230円、大盛り〈1.5倍〉60円増、特盛り(2倍)100円増。 我々はかき揚げもりの特盛りをたのんだのだけれど、これでも400円。 麺は自家茹でにしては太めで、歯ごたえの良いかなりのもの。 かき揚げも自家製でちゃんと作ってるし、つゆもまともで思いのほか旨かった。
 そのあと更に新京成八柱駅前に移動して酒と輸入食料品の安売り店へ。
 入った途端ワインが300円台で並んでいてびつくり。 二階の食品コーナーを見てさらにびつくり。
 何もかも安い。 パスタ、オリーブ油、グレープシードオイル、ブルックボンドのアールグレイ、ポンパドゥールのカモミールティーなどなど・・・を買い込んだ。 金なんざ無いんだけど、この手の物は家で精算出来るのでまぁいいかな・・・と。
 買った物を置きに再びpetaの家へ。 先ほど買って冷蔵庫に入れてあった爆弾ハナタレとダバダ火振を一杯づつ飲ませてもらった。
 爆弾ハナタレは芋焼酎を蒸留したときに最初に出て来る部分を瓶詰めしたもの。 芋臭さはまるでなく、吟醸香のような良い香りと香りそのままの味がする。 これは凄かった。
 ダバダ火振は私の好きな栗焼酎でこちらも味・香りともに甘い。
 しかしながら私は旨すぎる酒・自己主張の強い酒ってのはどうも苦手で、「どちらがより旨いか・凄いか」って事になると爆弾ハナタレなのだけれど、「どちらが好きか」ってことになると、やはりダバダ火振だ。
 私の買ったものを家に置きに行ってから、「晩飯を喰う時に酒が飲めないと寂しい」ってんで車を置きにまたもやpetaの家へ戻り、バスでひとまず亀有へ。
 駅前のヨ−カド−でチェリーコ−クを買ったりパチ屋を覗いたりした後、松戸で焼肉。
 ここはオヤジが胡散臭いもののべらぼうに安くて、キムチ150円、ワカメスープ100円、トンソク・センマイ250円。 一番高いものは骨付きカルビ900円で、その次がロースとカルビの480円。
 なんだかんだとたらふく喰って店もそろそろ看板・・・って頃になって、もう一人の悪仲間、歳はキムタク顔はコムテツなきむてつが合流。 焼肉目当てにわざわざやって来たのに見事に喰いっぱぐれた彼の胃袋を塞ぐ為に八潮のものすごくクドイラーメン屋へ。 一人で食わすわけにもいかず、仕方なく喰ったみそホルモンラーメンのくどいのくどくないの・・・。 漸く家に帰ったものの、胃もたれが酷くて朝まで寝られなかった。


2000-04-10 [長年日記]

_ 昼までに

学校へ行かねばならないと言っていたかみやんは何個もかけた目覚まし時計をことごとく無視して昼まで寝続けた。 ・・・と言うとかなり自堕落な人間であるかの様だが原因は私が持って行った酒にある。
 Less than 30days old.
 と誇らし気にラベルに書かれたそのコーンウイスキーは、無色透明なのにコーンと言うよりは何故かコーンスターチの様な粉っぽい味がして、けして不味くはないのだけれどとりたてて美味しくはなく、しかも後を引くという厄介な代物で。 加えて抜けが悪いと言う録でもなさ(笑)
 昼過ぎにようやく起き出した我々はとりあへずかみやんの車で街の中に降ろしてもらい、その後日本一売る気のないカメラ屋「よっちゃん」へ。
 一緒に居た飛良泉先生はさぞ呆れていたと思うが、私とオヤジは売るとか売らないとか、これは幾らかとか、そう言う世俗的な話は全くせず、始めから終わりまでレアもの・ダメなもの談義に明け暮れて、何も買わずに店を出た。
 北京餃子で昼飯を喰って駅まで歩く道すがら六条とはち合わせ。

「なんでこんな所にいるんですか!!!!」

って大きなお世話だ(笑)
 駅で北上する飛良泉先生と別れて、私は延々上野まで寝続けた。

2000-04-09 [長年日記]

_ 折角

指定を取って乗り継ぎを気にせずに東京まで寝られると思ったのにそうは問屋が卸さず、指定を取らずに確信犯的に乗り込んで来たアニヲタくんたちがうるさくて朝まで碌に寝られなかった。

_ 一旦

家に帰ってひとっ風呂浴びてから上野へ。 つまみと酒を買い込んでから飛良泉先生と待ち合わせて仙台へ。
飲んだくれつつ十一時前にようやく仙台についた我々はかみやん宅へ。 面子はわたし、かみやん、ひたひた、お散歩子猫、飛良泉先生。 六条は何だか良く判らない理由で途中で帰った。
こういう集めようにもこうまで腐った面子が揃わない様な飲み会は、文字どおり掃きだめの様なかみやん宅で三時過ぎまで続いた。


2000-04-08 [長年日記]

_ またもや

十時半過ぎに起きだして近所を散歩。
だらだら歩いては写真を撮り、お好み焼きを喰い、コーヒーを飲み、タコ焼きを喰い、コーヒーを飲み、そのあまりの不味さに別の店でコーヒーを飲み直し、そろそろ東京へ戻らなければならない不快感から自棄になってタコ焼きと焼そばを喰い溜めした。
そうこうしているうちに夕方になり、いろいろと世の不条理を感じつつも大阪駅へ。
近鉄で名古屋まで出てしまえば安くついたのにそれに気がついた時には時間切れ。 私の旅なんざいつもこんな物だ。


2000-04-07 [長年日記]

_ 十時半頃

起き出してあみだくじで行き先を決めたら奈良になったのだけれど、何故か琵琶湖方面へ。
京阪で京都へ出て中古カメラ屋を冷やかした後、蕎麦屋で昼飯。
地下鉄に乗っていると何時の間にか路面電車になってしまう京津線から石山坂本線に乗り換えて終点の石山寺へ。
下って行くと淀川になってしまうとは思えない底の見える瀬田川、薪で沸かす風呂屋、幅1メートルの踏切、ハンドパワーで脳味噌をいじると言う整体屋。 京都とも大阪とも違うのんびりしたうらぶれ方が良かった。
石山駅前でパンを買い、浜大津まで戻って、湖を見ながらぼーっとした。
陽も暮れて来たので再び怪しい電車に揺られて大阪へ。 翌日のムーンライトながらの切符を押さえられてので、浮かれ気分で酒とつまみを大量に買い込み、今日は早く帰れたバチコン旦那と三人で飲んだくれた。


2000-04-06 [長年日記]

_ 朝、

起きない。

十時半頃ぬらくら起き出してごそごそやっていると、バチコン旦那を仕事に送り出してから二度寝していたカボ妻が起きて来て散歩。

_ 淀川の

あたりを夕方迄断続的にぶらぶら。 大阪は棟割り長屋が矢鱈と多いのだけれど、東京のそれとは建て方がまるで違っていて面白い。 高くても二階家、多くは平屋なので、建て込んでいる割に空がひろびろとしていて気持ちが良かった。

もう一つ東京とは違うのは路地で育てられている草花・植木・盆栽に外来種の植物が多い事で、確かに綺麗では有るのだけれどなんとなく落ち着かなかった。

ちゃんとした紅茶を出すのに定食も充実した「塩鯖定食、しっぽの方」などと言う注文がまかり通るメルヘンな内装の喫茶店を出る頃には陽が傾きつつあり、東京で食べるそれとは全く次元の異なるタコ焼きを買って家路についた。

_ 晩飯に

謎のカレーを食べた後、巷で話題の鳥肌実なる芸人のビデオを見た・・・。
あまりのつまらなさとつめの甘さ、ニセモノ臭ふんぷんたる芸風に激怒。
貶す為にはちゃんと見なければならないので怒りのあまり一度消したビデオを最初から見直したのだけれど途中で何度消そうと思ったことか。
こんなのはクソだ。 こんなのが「毒のある笑い」なんだったら私が普段見ている物はなんなんだ?。
口直しに三上寛を聴いていたら殺伐とした気分になって来て、ビーチボーイズやらラヴィ・シャンカールやらをカボさんに聴かせてやる気を吸い取って遊んだ。
会社の付き合いでゴルフの打ちっぱなしに連れて行かれていたバチコン旦那が十一時過ぎにようやく御帰宅。
三時頃迄鳥肌実やら最近の大槻ケンヂやらそれらのファンの中に多く含まれるニセ不思議ちゃんのもたらす害悪について語り合って寝た。


2000-04-05 [長年日記]

_ 18きっぷの

余り券を個人売買で手に入れて、その足で大阪へ。

15:03発伊東行普通列車。 混んでいる。

その日のうちには名古屋辺り迄行ければ御の字だと思っていたら最終で大阪迄行ける事が判明。 新快速って物があるのをすっかり忘れて普通列車ばかり見ていたのがいけなかった。

_ で、

まぁ「今日は名古屋泊まりで翌朝大阪に着きます」って言ってしまっていたカボさんに電話をして詫びをいれて軒先きを借りる算段。

_ 豊橋で

接続に余裕が出来たので立ち喰いできしめんをすすりこむ。 てんぷらきしめん¥390-。 ただのきしめんじゃ物足りなかろうと思っててんぷらをのせてみたのだけれど、これは全くの蛇足だった。

小振りのどんぶりにゆがいた麺を盛り、その上にこれでもか!!と油揚の煮付けと青葱の刻んだのがほうり込まれ、その上にさらにかき揚げ。 思ったよりもしっかりした味付けでなかなか旨かった。

売店でビール2本と練り物。 「一口きんぴら」と「タコソフト」。 不味くはないのだけれど、練り物は少々甘過ぎるきらいがあってしかもグルタミン酸過多な上に揚げ油が良くないらしく、盛大に悪酔いして暫く雪隠詰め。

_ 23:39に

大阪着。 地下鉄の最終の乗ってカボ・バチコン邸へ。 夜中迄語って寝た。


2000-04-04 [長年日記]

_ 会社から

餞別に貰った図書券を消費するために錦糸町へ。
駅ビルの本屋の改装が終わっておらず、仕方なく入ったデパートの本屋には女子供むけの下らない本ばかり並んでいて厭な感じ。


2000-04-03 [長年日記]

_ 労災の

後始末で河田町の薬局へ。

書類の不備で出直しになり、その足で会社へ行ってなんかならなくもなかったのだけれど、なんだか馬鹿々々しくなって抜弁天からゴールデン街へと散歩。

西口しょんべん横丁の岐阜屋でタンメン。 不味くはないがただのラーメンを喰った方が良いようだ。

プリズムへ寄り内職仕事の手伝いをしつつくっ喋って帰宅。


2000-04-02 [長年日記]

_ 金がないので

カメラを持って自転車で向島界隈へ。
土手っ縁から桜橋を渡って今戸から南千住の再開発地区へ。
築堤工事は水神大橋の辺り迄すすんで来ているのに、土手沿いに並ぶ小屋はますます立派になっており、耕作も行われている。


2000-04-01 [長年日記]

_ 今日から

いよいよプ−太郎である。

何もする気にならず家でぼーっとしていた。

出掛けようにも旅にでようにも先立つものがない。


2000-03-31 [長年日記]

_ 日がな一日

淡々と働き、機械を掃除してから私物を処分して終業。 これで本当にお仕舞い。
月曜日以降の予定がしっちゃかめっちゃかになりつつ合ったけど、もう知らない。
近所のお好み焼き屋で送別会。 ひとと話をする様な気分ではないので鉄板焼からお好み焼きからもんじゃにいたる迄延々焼いていた。
もう一軒行く様な雰囲気だったのだけれど、金もないし飲んで楽しい面子じゃないのでとっとと帰って来た。

これで私の会社員稼業もひとまずお仕舞いである。

2000-03-30 [長年日記]

_ 昼休みに

会社のボロチャリをすっ飛ばして飯田橋へ。 椎名林檎の新譜を購入。

飯田橋迄は山一つ越える感じ(これは誇張では無くて、神楽坂上には戦国時代の山城の跡がある)なのだけれど、気合いで往復で約20分。

_ 弁当を

喰った後、おとつい発狂したCDプレーヤーのほこりを払い、接点を削って磨き恐る恐る電源を入れてみた。 なんとか動いたので買ったCDを昼休み中聴いていた。

好き嫌いはかなり有ろうかと思うが耳に心地良いよく出来たアルバムだと思う。 1曲1曲が有機的に繋がっていて通して聴くと一時間近く気持ち良く過ごせる。

音がかなり厚く作ってあるので低音強調とかの機能は切って普通に聴くと丁度良いと思う。

買って損は無い。


2000-03-29 [長年日記]

_ 病院へ

行って来た。 労災が効くのは今月一杯なのでこれで最後。

午后から出社。 定時に帰ろうとしていたら突然残業、八時に退社。


2000-03-27 [長年日記]

_

寒さで目が覚めたら6:47。 カメラとレンズは

α-7000
フジカST605
ライカD-III

スーパータクマ−35mm/f2.3
ズマール50mm/f2
EBCフジノン55mm/f1.8
ペトリ55mm/f1.8
ジュピター9 85mm/f2
ゼニット1R 100mm/f1.5

フィルムはフジの800が2本、コダックの800が1本、カラーの400とモノクロの400を押さえに持って行く事にした。

_ 残業を

うやむやにして会社から逃げ出して四ッ谷へ。 坂の上に取引先が有る為、物陰に身を潜めて開場を待った。

中はこぢんまりしていてゼニット1R 100mm/f1.5の最短撮影距離が5メートルなので敢えて4〜5列目あたりに陣取った。

始めのうちは取り易かったのだけれど途中から前の奴がちょこまかと席を移動するので往生した。

結局フィルム三本は撮り切れなかったがまぁ仕方が無い。 撮影したフィルムはその場で上納した。

_ 然し乍ら

ライブの仕切りは最悪に近かった。 「仕切るのは好きだど無能なヤツ」がやっていそうな感じで、某ハンズ(笑)の某(去年部屋を掃除したら名刺が出て来たので破いて捨てた)のツラを思い出した。

司会のお笑い芸人も出演者の名前と経歴、近況と今後の予定くらいは暗記しておいてしかるべきなのに、アンチョコどころかA4の進行表をめくりながらやっている。 全部覚えられなくても合間々々に覚えられる筈だし、その時はアンチョコを見れば良い。

_ それに輪をかけて

主催者がおたんこで、「巻け」とか「引っ張れ」とかは客席から見え難い所からさりげなく合図すれば良いのにわざわざ伝令を立てたり、てめぇでのこのこ出て来たり、なっちゃいねぇったらなかった。

私の目についたおたんこぶりは氷山の一角だったようで、内実はそれに輪をかけてひでぇもんだったらしい、難儀な事だ。

そんなおたんこなライブだったのだけれど、私が撮りに行った娘は悪条件にも扱いの悪さにもめげずかなり頑張っていた。

露出計をひねくったり、手でピントを合わせていたのは相変わらず私だけ。 悪条件にもめげずかなり頑張っていた(笑)

一枚でも二枚でも当たりが出ていれば良いのだけれど・・・。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

# Dwightsa [levitra original <a href=http://dstvmediasales.com/sitema..]


2000-03-26 [長年日記]

_ 浮き世のしがらみで

知り合い筋のもちつきへ。 肉体労働ではてんで役に立たないので周りのこまごまとした事を手伝った。 からみ餅用の大根おろしをこむすめ共がちんたらやっていて埒が明かないので大根を2本半くらい一気におろしたら後で右手がとんでもない事になって泡を喰った。

終了後荻窪へ。 プリズムで餅を配る。

新宿へまわってフィルムを買い、2眼レフを見てまわった。

_ 明日は

四ッ谷のライブハウスで撮影。 持って行くカメラとレンズを撰ぼうと思ったのだけれど、箱の大きさが判らないので諦めて寝た。


2000-03-20 [長年日記]

_ 気がついたら

東京駅、5:27。

とりあへず山手線を一周半、代々木で総武線に乗り換えて小岩迄ひたすら寝てから出勤。

この間見知らぬ人に2回起こされた、いびきがうるさかったようだ。

普段は横にならないと眠れないタチなのだけれど、今回は行きも帰りも延々寝ていた。

一日労働に勤しんで家に帰ったら親は呆れていた。


2000-03-19 [長年日記]

_ 4時半に

起きて、もう一度巡回してから荷造りをして仙台へ。

水戸迄はひたすら寝ていた。 水戸駅で朝食、てんぷらそば¥320-。 喰った後はまたひたすら寝ていわきへ。 いわきからはまたひたすら寝て原ノ町へ。 原ノ町からはまたひたすら寝て仙台へ。 1時40分着

_ そのまま

ウィークリーマンションへ直行し、荷物を置いてわたりょ、六条とダイエーへ買い出し。

前回利用した十字屋にくらべると当たり前の物しか置いていなくて一寸がっかり。

ひと休みしてから仕込みに入った。 

_ 当日作ったものは

以下の通り。

餃子
コンビーフとチーズのラビオリ
ミラノ風(笑)ポークカツレツ
牛キムチ炒め
牛トマトキュウリ炒め
雪菜と油揚げの煮びたし
餃子のあまり具のオムレツ
うな玉煮
肉野菜炒め

 まだ何か作った様な気もしますが覚えていません。
 先ずは餃子の具から。
 白菜1/4の硬い所と柔らかい所を切り分けて、硬い所のみをみじん切りにし、塩をして揉み、水気を切っておく。
 ニラ1/2わもみじん切りにする。
 これらと豚ひき肉(中パック)を手で揉み込むように良くまぜる。
 鶏ガラスープをお湯で溶いたもの茶わん半分くらいと五香粉とごま油適量を入れて更にまぜる。
 暫く冷蔵庫で寝かせる。

 寝かせている間に牛肉とキムチと白菜の柔らかい所を炒めた。

 コンビーフ一缶を器に空けてほぐし、5ミリ角くらいにちぎったチーズを混ぜておく。

 油揚げは一口大に切り、空炒りしてかるく焦げ目をつける。
 スープを注ぎ塩で味を整えたらいったん油揚げを引き上げておく。
 雪菜(小松菜、山東菜でも良い)は一口大に切り、煮汁に入れて軽く火を通す。
 油揚げを鍋に戻して味を整える。

 餃子の具とラビオリの具を餃子の皮に包んておく(人数が揃ってから焼く)

 パン粉にバジル・オレガノなどのハーブ(今回は無印良品の「イタリアンハーブミックス」を使用)とすり下ろしたパルミジャーノチーズを混ぜておく。
 豚ロースに塩・胡椒をしておく。
 フライパンにオリーブ油を多め(肉が半分つかるくらい)に入れて熱する。
 肉に小麦粉、卵、パン粉の順で付けて、フライパンへ。
 表面がきつね色になって来たら裏返して弱火で火を通す。
 箸で押してみて弾力が出て来たらだいたい火が通っている。
本当はチーズやら生ハムやらを挟むのだけれど、さすがにそこ迄はしなかった。

 余った餃子の具をフライパンで炒め、卵を三つ割り入れてオムレツを作った。
 フライパンを左手で保持しつつ向こう側へ倒し右手でフライパンの柄をとんとんと。
 向こう側に寄ったらひっくり返して出来上がり。

 餃子はフライパンを熱したら八つくらい(少なめに)並べて暫く焼いたら茶わん半分くらいの水を差してふたをして弱火に。 2〜3分立ったら水を捨て余計な水分を飛ばして出来上がり。

 当日気合いを入れて作ったのはこれくらい。
 作っている合間々々に飲み食いをして、毒づきクダを巻いて、十時半に退散。
 夜行バスに揺られて帰った。

2000-03-18 [長年日記]

_ 仕事帰りに

新宿へ。 先ず、模索舎で頼まれ物を含めて本を4冊購入。

「戦後の先行者たち」埴谷雄高、影書房
「ぼくは本屋のおやじさん」早川義夫、晶文社
「大杉栄」(For Beginersシリーズ)文・竹中労、絵・貝原浩、現代書館
「無政府主義者は答える」岩佐作太郎、黒色戦線社

 西口に出てM42マウントのテレコンバーターを探す。 ドイにもマップカメラにも良いものが無く、結局泥棒市場で購入。
 疲れたのでとっとと寝ようと思ったのだけれど「大杉栄〜」が思いの他読みごたえの有る本で、読了して時計を見たら11時30分。 メールチェックしで巡回して4時半まで仮眠。


2000-03-12 [長年日記]

_ 例に因って

例のごとく昼過ぎから浅草方面へ。

バスの接続が悪く、業平橋のうらぶれた商店街を歩きつつ写真を2〜3枚。 浅草には寄らず、次のバス停から直で日暮里へ。

_ また

例のごとく谷中銀座の「ハッピー」で餃子と御飯、400円、旨い。 そのあといつもと違う角を曲がって、いつもと違う路地をうろうろ、三崎町から初音町、根津片町から池之端、さらに広小路へ。 戦争で焼けていない町は路地も狭く、歩いていて落ち着く。

_ バスに乗って

寝たまま高田の馬場へ。 駅の手前、二丁目で降りて駅迄歩いてみたら一度見たっきりどこで見たのか忘れていた古汚く傾いた喫茶店「ランブル」を発見。 駅前では「ファンタさわやかりんご」を発見、林檎味のファンタを飲むのは何年ぶりだろう。

_ そのあとは

またまた例のごとく荻窪に寄って馬鹿話しをして帰って来た。


2000-03-11 [長年日記]

_ 仕事が

早仕舞いになったので都バスの一日乗車券を買ってぶらぶらする事にした。

先ずは矢来町から細工町、納戸町へ。 納戸町の和菓子屋で母親の誕生祝いを購入。 どら焼き(インドラ、カボチャ、カスタード)三つづつ、桜餅三つ、何やら新製品三つ。 帰ってから喰ってみたらこの新製品が矢鱈旨かった。 あんこと苺をパイ皮で包んで焼いたもの。

_ 四ッ谷の

モールに寄ってみたら宮下マキ写真展「寝食共存」をやっていたためか店内には写真好きの若者風の客がわらわらいた。 二階のギャラリーに行ってみたらさらにごちゃごちゃしていて写真そのものも私の大嫌いな種類の如何にもイマドキな厚かましく生々しい写真で見るに堪えないのでとっとと退散して我楽多屋へ。 ヤシカDS50mm/f1.9が2000円で出ていたのだけれど、絞り羽根がねばっていてしかもリアキャップが取れない代物だったので止めておいた。 博打を打てる経済状況でも無いし。

_ 千駄ヶ谷の

ホープ軒で「もやしそば」750円。 ラジオからは蹴鞠の中継。 道路向いの国立競技場でもやっている筈なのに思いのほか静かだった。

銀座へ移動してカメラ屋を冷やかしたあと、前から気になっていた「改造社書店」を覗いてみた。

名前からそのスジの本を期待していたのに何の事は無い普通の本屋でがっかりした。


2000-03-09 [長年日記]

_ 入っている

・・・と言うか入れてもらっているメーリングリストのオフ会へ。

会場である「ミュンヘン」は酒も食い物も旨かったので、普段ならその辺を書くのだけれど今回はそんなのはどーでもいい。 出て来たカメラが凄すぎた。

_ その時

聞いた笑い話、◯サカメに載っていたらしい。

Q、読者「◯ーライのレンズはト◯ナーが造っていると言うのは本当ですか?」

A、◯キナー広報「ロー◯イ社との契約上お答えできません。」

_ それはさておき

カメラの話。
先ずはコシナのフォクトレンダー・ベッサRと安原一式。 同じシャシーから作ったとは思えないあまりの違いに泣く。
ベッサRのファインダーはさすがの造りで二重像も見易い。 軽いし使い易い。 手にも馴染む。
安原のファインダ−はアイポイントがあからさまにずれていて普通に覗くと露出計がぼやけてちゃんと見えない。 しかもシャッターを切る度にセルフタイマーのレバーがひょこひょこ動く。
シャッターを押そうとするとシャッターダイヤルに指が引っ掛かって非常に押し難い。
ダイキャストの仕上げも木型そのままで、良いとか悪いとかしゃなくて酷い。 うちにも仕上げの酷いカメラは何台も有るけれど、ロシア人が酒飲みながら作ったような奴でもここ迄凄いのは無い。 ペトリが占領中に作っていたスプリングカメラ「カロロン」のダイキャストも丁度こんな感じなのだけれど、カロロンの方がデザインに於いて上なのでまったくもって「なんだかなぁ」である。
質感は

 フェド・ゾルキー>安原>上海

・・・といった感じなのでフェド・ゾルキーが一万円台から、上海も二万円台で買える事を考えると、いくら露出計がついていると言ってもコレで五万ナンボは高い。

_ 口直しに

キャノレックスT90、キャノンのT90にコンタレックス用のべローズからマウントを移植したもの。 レンズの脱着に少しお作法が要るものの操作は簡便で使い易い。

レックス用レンズをとりあへず使ってみたい人にはお薦め。 但し自分で作らなければなりません。

_ で、

ついに触ってしまったのがコンタレックスSE・・・。

ディスタゴン35mm/f4とSプラナー50mm/f4を付けて覗いてみる。

Sプラナー50mm/f4は最遠撮影距離が60センチと言う難物で、凄いには凄いんだけどマクロ屋で無い私にはピンと来なかった。

しかしまぁ何とも驚いたのがディスタゴン35mm/f4。 これは凄かった。

ヘリコイドを回してピントを合わせて行くと、空気中に分散していた分子が寄り集まって像を作って行くような感じで完全に合うと像がピッと立ち上がり、逆にピントを外して行くと像はふわぁーっと分解して行く。

35mm/f4などと言う暗いレンズなのに薄暗い店内でも楽にピントが合うし、結構マクロ寄りの造りなのに普通に使っても違和感が無く、ヘリコイドの「ぬる感」も非常に心地よくて、いつまでも手の中で弄んでいたいくらいだった。

ボディのコンタレックスSEも素晴らしかった。

今迄は聞きっ齧りの半可通で「人間工学を無視した傲慢な作りで、でかくて重くておまけに使い難い」と勝手に思い込んでいたのだけれど、これは少なくともSEに関しては間違いだった。

ファインダーは明るくて見え味もスコブル良く、露出計も正確で且つ合わせ易い。

これは右手の人指し指で絞りを、親指でシャッタースピードを替えられる様にダイヤルが配置されている為で、左手はピントに集中出来る。 私が慣れ親しんで来た右手がシャッターに集中出来るオリンパスと逆の発想なのだけれど、右利きの場合どちらが楽か考えると流石はツァイスでした。

大きくて重いのは確かなんだけれど、その重みにも意味はあって手ブレがかなり押さえられるようだ。 1/8秒迄なら確実に止められると思う。

なんともマズイ物に触ってしまった。 コレ一台あれば後は何にも要らないかもしれない・・・。

_ あ、

ペトリは別です。


2000-03-08 [長年日記]

_ そろそろ

自分の所も何かしないと不味い。 とりあへず食い物関係の記事を追加。

「食べ物に関する部屋」に「謎の店」バーガーランドを、「東京で食べる関西風のうどん」に新宿東口かのやをそれぞれ追加。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
1998|11|12|
1999|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|11|
2002|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|07|08|11|
2019|09|11|
2021|07|
トップ 最新 追記