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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2001-03-10 [長年日記]

_ 大分

良くなった、しかし咳と吐き気。 今日も昼飯はヨーグルト、二つにしてみた。
帰宅したらウィンドウズマシンが起動しない。 OSをリインストールしようとしたらなんだかよく判らないのだけれど、今までのデータが残ったまま何事もなかったかのように動いた。


2001-03-09 [長年日記]

_ 快方には

向かっているようだ。 何時間寝ても眠い。
今日から昼飯を食うことにした、ヨーグルト一つだけど。


2001-03-06 [長年日記]

_ 朝起きたら

なんだかだるい。 とりあへず出勤したものの、どんどん具合が悪くなって、頭も痛くなり、下半身には謎の筋肉・関節痛。 へろへろになって帰宅葛根湯を飲んで寝た。 2個買ったビッグマックは1個しか喰えず。


2001-03-04 [長年日記]

_ なんだか

眠れずに寝たり起きたりしているうちに、気がつくと11:00をまわっいてた。

急いで着替えて九段へ。 今月も例の撮影会。 今回は雨のため、北の丸公園ではなく曙橋のスタジオへ。 4階までカメラバッグを抱えて螺旋階段をひたすら昇る。

流石に計算してライトを当ててあるので露出は楽で、ASA400で1/125s、f4くらい。 ピントのみに集中できるのでかなり楽だけど、背景が只々白いだけで、小物もないので非常に短調。

_ 今回の機材は

フジカST605
テッサー(オプトン)50mm/f2.8
EBCフジノン55mm/f1.8
ペトリ55mm/f1.8
ジュピター9 85mm/f2

プラクチナIIa
フレクトゴン25mm/f4

ローライコードIa トリオター75m/f3.8

ライカD-III
ズマール50mm/f2

フィルムはリアラ100、イルフォードHP5、アグファAPX400

 広角目なレンズのついたローライがやはり撮りやすい、35mm用にも一本くらい広角を持ってくれば良かった。

_ 終了後

外に出たら晴れていたので歩いて四ツ谷へ。 我楽多屋でスタデラの白玉を購入。荻窪に移動して広東風で晩飯を食って帰宅。


2001-03-03 [長年日記]

_ 今日は

休み。 例によって例の如く朝起きない。

先週のトラブルの半分はなんとか解決。  残りの半分は、さて、どうなりますか…。

_ 夕方から

起き出してアメ横へ。 ひたひたが靴を買うってんで案内。 しかし、何軒回っても一向に決まる気配がない。 決まらないのは全然構わないのだけれど、どの店でもヒップホップだのラップだの、脳味噌が腐るような曲がガンガン掛かっていてそれが兎に角辛かった。

靴を買った後、「モツを喰おう」ってんで葛飾は立石へ移動。 しかし、無常にも店は片付けと掃除の真っ只中、飢餓不愉快相が顔に出ているひたひたの胃袋をなだめるために駅前の愛知屋で揚げたてのコロッケをあてがってご機嫌を伺いつつ、日暮里へ移動して餃子を…と思ったらこちらも隣の初音そばまで仕舞っている。 しょうがないので駅前のかわむらと言う蕎麦屋へしけこんた。

ここは旨い事は旨いんだけどどうにも高いので、例によって高円寺に移動。 最近はいつも行くたびに込んでいる。 余りに込みすぎるためか、今月から月に何日か休む事にしたそうだ。 豆腐がなくなったり、ジンを切らしたりしたのは、多分急に込みだして今までの仕入れ量では足りなくなってきたからだと思う。 しかし、なんだかんだ言っても旨い物は旨く、やはり定期的に旨い物を食っておかないとイカンなぁと、つくづく思った。

深夜帰宅。


2001-02-26 [長年日記]

_ イナダ氏が

出てきた。 秋葉原でデスクトップパソコン用のメモリと妖しいゲーム関連商品を購入。

谷中銀座のラッキーで餃子二枚とマーボー豆腐、焼きそばで昼飯、これだけ喰って\1400-余。 珍しく私が払った。

_ 飯を

食ったあと、アメ横の中田商店へ。 イナダ氏はあぁでもないこぅでもない、とさんざ悩んだ挙句にジャケットを2枚購入。 その間ひまを持て余していた私は、見なきゃ良いのに店ン中をぐるぐる見回っていたが為に、スヱーデン海軍のロングコートを購入。 \3800-+税。 普通の紺の奴と群青色がかった鼠色のと有ったのだけれど、より地味な鼠色の奴にしたのだけれど、これが裏目に出た。 地味は地味なのだけれど、変な色なので人ごみで悪目立ちするのだ。 まいった。

_ 更に

新宿に移動して、今日も模索舎へ。 イナダ氏は買うんだか買わないんだか相変わらず逡巡しているので、手持ち無沙汰な私は黒い本を立ち読みしていたのだけれど、やはり欲しくなってしまって一冊購入。

「獄窓から」和田久太郎、黒色戦線社。

結局、イナダ氏もいろいろ購入。 最後に中野へ。 パルテでカメラの修理代金の支払い。 これでとりあへず今日の予定は総て終了。

_ 帰りがけに

早稲田で油そば。 ここの並びのナイキ漫画館と言う古書店は、私設漫画図書館を運営している内記さんと言う奇特な方が、その収拾の過程で集まった本やら何やらを売っていて、少ないながらも常に変な物がある。 ついでだから寄ってみたのだけれど、やはりイナダ氏のツボを直撃する本が有った。
 「地球防衛少女イコちゃん」
もちろんお買い上げ。 秋葉原まで送って貰って帰宅。 イナダ氏は予想通り道に迷って外環の終点まで行ってしまい、関越を使って帰宅。

2001-02-25 [長年日記]

_ ノートパソコンを

買おうってんで、阿佐ヶ谷でひたひたと待ち合わせて秋葉原へ…行く予定が、いろいろこんがらがって駅前の喫茶店で馬鹿話をしたあと、新宿に移動して模索舎へ行った後清龍で呑んで解散。

ひたひたはただ安いだけの清龍がお気に召さなかった様子。 本とCDを買い込んでしまったのでノートパソコンは来月以降に持ち越し。

今日の買い物:CD 「ジンターナショナル」大工哲弘、本 「二人の革命家」大杉栄・伊藤野枝、黒色戦線社


2001-02-24 [長年日記]

_ まぁ、兎に角

とんでもない事が起きて、半ば徹夜。


2001-02-13 [長年日記]

_ 今日も

休みを取っておいたので3連休。 金も無いのでこうして書き物をしつつ家でぐだぐだしている。


2001-02-12 [長年日記]

_ 秋葉原で

ひたひたと中古ノートパソコンを物色。 1万円台から有って、私の懐でも何とかなりそう。 神田へ移動して昼飯。 へきへそば。

風邪気味のひたひたは帰宅、私は荻窪へ。

ノートパソコンへBeOSを入れるのは難しいらしい。

ビリーザキッドでハンバーグを食って帰宅。

チャット自粛中なので時間は有るのだけれど、さし当たって何もする気にならない。


2001-02-11 [長年日記]

_ 7時ころ

帰宅してメールチェックして掲示板巡回してから仮眠。 12時15分に九段下駅2番出口集合なのに11時半ころ起きた。 慌てて支度をして出発。

今日も1月7日と同じく撮影会へ。

_ 今日のカメラ・レンズ゛は

フジカST605
テッサー50mm/f2.8(ツァイス・オプトン)
ライカD-III
ズマール50mm/f2
プラクチナ
フレクトゴン25mm/f4
マミヤプレス・スーパー23
セコール100mm/f3.5
ローライコードIa トリオター75mm/f3.8
プラウベル・ロールOP アンチコマー75mm/f2.8

フィルムはアグファのAPX400とAPX25

_ 前回

撮影した分は、硬いレンズ中心の望遠系よりも柔らかいレンズの多い標準・広角系のものの方が上がりが良かった(ピントが厳しかった事もある)ので、長い物は全部置いていったのだけれどそれが裏目に出た。

前回よりも客の総数が多く、モデルに寄りたがり、拘束したがる客が多かった為、長い物を使ってアウトレンジ射撃に徹したほうが良かったのだけれど、持っていったレンズの都合上そうも行かなかった。

_ しかし、

今回は客の質が悪くて参った。 寄りたがる奴、矢鱈モデルを拘束する奴。ひとの写線を平気で切る奴、 去年久方ぶりに鉄の現場へ出たときも酷かったんですが、最近はどこへ行ってもこんな物なんでしょうか?。

_ 終了後、

新宿へ移動して松本さんがやっているもう一つの写真展へ。
ギャラリーの場所をうろ覚えで出てきてしまった為、交番で聞いたらウソを教えられて道に迷い、、104で訊いても
「その名前での登録はございません。」
結局、自宅に電話して家のものにコンピューターを立ち上げてカボさんのサイトを開いてもらい、トップページにあるギャラリーの電話番号を聞いて、漸く現場にたどり着いたころには4時を回っていた。
展示作品を見た後、ポートフォリオを見せていただき、お茶を飲みながらひとしきり写真の話をした。
松本さんは山口の人なのだけれど、4月から我々の仲間内でも札付きの腐れ外道が山口大学に講師で行くらしいので、なんだかよくわからないのだけれど、兎に角詫びておいた。
この日は会場で即興演奏のライブを行うことになっていて、その準備が始まってしまったので時間つぶしに外に出た。 まず、あおい書店で新谷かおるの新作「刀神妖緋伝」の1巻を購入。 そのあと模索舎へ行って本とCDを物色。 何処へ行っても無かった大工哲弘のCDがごっそりあったり、アナ関連の買いたい本が有ったりしたのだけれど、懐が寂しいので給料日まで我慢。
ドドールへ行ってカプチーノ(L)\260-。 今回の新谷の漫画は、今までと違って大手企業に(今のところ)喧嘩を売っていないので、なんとか続きそうな感じ。

_ コーヒーを

飲み終えた頃、カボさんから電話が入り、待ち合わせて再び模索舎へ。 買いたい物を全部買っていると破産してしまうので、慎重に40分くらい検討。 本とビデオを買っていかれた。 そんなさなかに私のPHSが鳴ってしまい、模索舎の店内にインターが響いた。 危なかった。
 ギャラリーに戻って即興演奏のライブを聴いた。 ・・・と言うか心地よく寝かせてもらった。 パイプ椅子で悪夢にうなされる事も無く眠れたのは初めてではなかろうか。
新宿西口のブート屋(あぁ、ジェスロ・タル欲しい・・・)を回った後、歌舞伎町の博多天神でラーメンを啜って東京駅へ。
3月に引越しをされるとの事。 今度会うときは滋賀県という事になりそう。


2001-02-10 [長年日記]

_ いまの仕事を

始めてから初めて定時で上がって初台へ。 新東京国立劇場小ホールで観劇、「ピカドンキジムナー」。

沖縄・原爆・在日と重い話三つを絡めた社会派のお芝居。 真面目な切り口で且つ、悪人が一人も出てこないので、私のような虚無・厭世主義に行ってしまった人間にはどうにも居心地が悪かった。

芝居そのものの出来は貶し様が無いくらい良くて、辻萬長の重厚な演技は流石だったし、生で益岡徹を見られたのも嬉しかった、一番驚いたのは寺島しのぶだった。

この人は母親より父親に顔が似てしまったため、あまり美人とは言えない、・・・と言うかむしろ(以下自粛)なのだけれど、挙措の一つ一つが柔らかくて、すぅーっと動いてぴたっと止まる。 席が舞台から遠かった所為もあろうが、非常に美しく見えた。 これには驚いたし納得もした。

休憩時間に外に出てみると、初日と言う事もってか客の面子が物凄い。 水野晴男、早坂暁、澤地久枝、etc.etc・・・。 妹尾河童もいるなー、と思ったら舞台美術を担当していた。 客がステレオタイプな代々木左翼的くすぐりで笑うたびに疎外感を覚えて引いてしまった部分はあって、そのたびに舞台美術・大道具・小道具・照明などに目が行ってしまったのだけれど、この辺は流石だった。 小ホールなので舞台の間口は狭いのだけれど、奥行きと高さはたっぷり有って、その空間を非常に上手く使っていた。 照明の当て方一つとっても角度と言いタイミングと言い絶妙で、非常に勉強になった。 もう二度と演劇には関わらないと思うけれど・・・。

終演後、新大久保で焼肉→新宿のディスコ(笑)で呑み。 焼肉屋は旨かったが高かった。

ディスコ(笑)は一緒に言った人曰く「10年ぶりに来たけど全然変わってなくて、多分30年前から変わってない」とのこと。 シュープリームスとかジャクソンファイブが掛かっていた。

阿佐ヶ谷で始発待ちをして帰宅。


2001-02-04 [長年日記]

_ 写真関連で

新たな企画をはじめる事になり、都内某所の築65年のアパートの住人から阿佐ヶ谷近辺の諸々について聞いた後、ひたひたと密談。

カボさんのサイトで告知されていた松本晃弘さんの写真展を見に行ってから中野の店に行き、夕食がてら高円寺で呑み。 金銭的には厳しいけれど何とかカタチにしたいものだ。

詳細が決まったら、・・・というか、軌道に乗ったら報告します。


2001-01-29 [長年日記]

_ 昨日

湯冷めして風邪を引きそうな気配だったので、一日家にいて大人しくしていた。


2001-01-28 [長年日記]

_ 昨晩降った雪は

大分融けたが、まだまだ残っていて寒い。 8:00に新宿駅で待ち合わせて、知り人と日帰りで温泉へ。 寝飛ばすのではないかと危惧されていた阿佐ヶ谷方面の人は、案の定寝飛ばし。 電車が終点に近づくにつれ、周りは雪景色に。 バスに乗り換えて山道を登っていくと、道路が白くなっていき、バスの速度もどんどん落ちていく。 しまいには前のバスに追いつく始末。 横方向にも傾斜のついた左カーブを登れなくなったらしい。 雪かき作業を待って発車、派手に尻を振りつつも漸く登りきって村営の温泉へ。 露天風呂で1時間、食堂で酒を飲みつつ2時間。 バスの時間なので帰ろう・・・と思ったらバスが運休になったと言う。 施設の車を出して貰い、山を降りてバス停へ。 帰りがけに阿佐ヶ谷に寄り、寝飛ばした人を連れ出して、高円寺の竜屋長兵衛で呑み。 今日はいつに無く込んでいて、料理が注文に追いつかず、店主も恐縮する事しきり。 でも、出てきたものはやはり旨かった。


2001-01-27 [長年日記]

_ 今週も雪

猛烈な吹雪の中、秋にやった写真展の集まりに参加するため荻窪の中華料理屋「広東風」へ。
おいしい中華を喰らい、酒を呑みつつ、写真展の今後を話し合う・・・筈だった。 しかし、私がよく行く中野の店の悪口を延々と垂れ流しつづける奴がいて、どうにも不味い飯になってしまった。
そいつとは1月15日に中野の店でかち合っているし、私がその店によく出入りしていることも知っている筈なので喧嘩を売っていやがる事は明らかだったのだけれど、こんな所で喧嘩を買うのも大人気ないので、放って置いた。
「良いものは常連にしか売らない」「汚い物を平気で売る」とか何とか、まぁ聞くに堪えない悪口をぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺら、そんなに厭な店なら行かなきゃ良いんだ。
「でもアイツ変なもの沢山持ってるから・・・。」って何なんだそりゃ?おならぷーだ。 確かにあの親爺さんは偏屈だし、嫌いな客には売らないし、誰にでも勧められるような店ではないけれど、奴の言っていた事は殆どウソだ。 こちらがウソをついたり、しつこく値切ったり、知ったかぶりをしたり、他の店で買ったものの自慢をしたり、べら棒な値段で自分の持ち物を委託に出したりしない限り、普通に対応してくれるし、変なものを売りつけられたこともない。
私が見る限りにおいて、この客はそう言うことをする奴なので、嫌われても仕方がないと思う。 少なくとも私はこいつが大嫌いだ。 こう言う飯の不味くなる要素がありつつも、いつも通りこの店の料理はとても美味しかった。


2001-01-21 [長年日記]

_ 昼過ぎに

起き出して駅前の喫茶店で遅い昼食。 そのあと喫茶店を2軒はごしつついろいろ話してから帰宅。


2001-01-20 [長年日記]

_ 雪の降る中

会社帰りに新宿へ。 阿佐ヶ谷北氏らと押井守の新作「AVALON」を観に行った。 映画好きの人々の評価は低かったのだけれど、私は良いと思った。
 これは多分、私が映画を映画として観ていない所為だと思う。 色使いとか、東欧の町並みの暗さとか、軍事的な諸々とかへの拘りかたはやはり凄かった。 あとは「ドグラマグラ」に通じるどれが現実なのか判らなくなるような入れ子方式の筋立てとか。
 飲み屋を2軒はしごした後、阿佐ヶ谷北氏の家へ。 「人狼」のDVDを観た。 判る人にしか判らないような昭和30年代初頭の東京の町並みがこれでもか、と、細かく描き込まれていて、面白かった。


2001-01-15 [長年日記]

_ 青春18きっぷの

余り券を消化するために、午后から横須賀線で南へ。
 北鎌倉でぶらぶらしようか、それとも鎌倉から江ノ電の乗ろうか、いっそ久里浜迄行ってしまおうか、と、考えているうちに電車は鎌倉駅を出発してしまった。 逗子の駅が近づいて来た頃、車窓に岩殿寺の看板が見えたので、逗子で降りる事にした。
 この寺は鏡花の「春昼」「春昼後刻」の舞台となったところで、駅からは離れているし、別に何があるわけでもないので人影も殆どなく、山門には100円ご報謝くださいとか何とか書かれた箱があるだけ。 鎌倉あたりの寺と違って商売っ気が無い。
 梅には未だ早かったが、寺内のそこここには水仙が咲いていて、良い香りが漂っていた。 坂東二番の札所になっているだけあって、石段も本堂も整備が行き届いており、小説にあるような寂れた破れ寺の雰囲気は既に無かったが、墓地へ続く細い石段は磨り減ったつま先上がりの石段が残っていて往時の面影を留めていた。
 寺のある山の周りはぐるり住宅地に取り巻かれているのに、山の上は非常に静かで、時折通過する電車の音が聞えるだけだった。
 帰りに石段を降りると、山門の脇に鏡花の文学碑があった。


2001-01-14 [長年日記]

_ 例によって

例の如く昼過ぎに起き出して銀座へ。 ミュンヘンで入れてもらっているカメラ関連のメーリングリストのオフ会。
 コシナから出るフォクトレンダーブランドの新製品についての話とか、オーディオの話。 それからクラシックのお勧めCDの話など。
 ロンドンレーベルで、モントリオール+デュトワが良いのではないか・・・との事。 うちに有る物の中で該当する組み合わせは「ボレロ」M・ラヴェル、「シェヘラザード」R・コルサコフ、の2枚。 どちらも気に入っている物なので、その線で探してみる事にする。

2001-01-07 [長年日記]

_ 今年のテーマは

「人をちゃんと撮る」なのだけれど、その一環としてモデル撮影会へ。
私は常々公言している通り「かわいいだけでは動かない」人間なので、ただのモデル撮影会だったら行かないのだけれど、今回のヤツは友達が見つけてきて入れ込んでいる飛び切り謎な娘が出るってので思い切って出かけてみた。
  今回の機材は次の通り ローライコードIa
ライカD-III+ズマール50mm/f2
ミノルタXE+MCロッコール55mm/f1.7

ミノルタα-7000+M42アダプター
フジカST605
プリモター50mm/f3.5
マミヤセコール21mm/f4
オートタクマー35mm/f2.3
ジュピター985mm/f2
ゼニット100mm/f1.5
ペトリ135mm/f2.8
フィルムはアグファAPX400とオリパン400。

_ 集合場所の

九段下駅前についてみると既にそれらしい人々がその辺にのたくっている。 勿論その中でもひときわ怪しい人々が私の友達であって、時間までしばし歓談。
受け付けを済ませて北の丸公園へ。 まず芝生の広場で池をバックに撮影、その後橋の上→木立ちの中と移動しつつ撮影。
大体の人はAF一眼かデジカメで、いつもながら手でピントを合わせている人は殆どいない。 一部例外がいて、D−1に望遠ズームつけてMFで撮っているおかしな人(これが友人(笑))がいたくらいで完全にマニュアルフォーカスなのは私だけだったようだ。
「手のひらを上にして両手を開いてみて」とか普通にポーズをつけている人が多い中、
「『先生グリンピースが食べられません!!』って顔をしてみて」
とか対応に困るような注文をつけて、その困った顔を撮るダメな人(これも友人(笑))の横で、私は正面から見ると真っ青なコーティングでしかも最短撮影距離5mなどと言うふざけたレンズを振り回したり、怪しげな二眼レフを回したり、首からカメラ五台ぶら下げてみたりしているうちにあっと言う間に1時間半が過ぎて、第一部は終了。
 撮影会そのものは4部まであるのだけれど、流石にそこまでの金は無いので私は一部で退散。 D−1な人はきっちり最後まで居たそうです。 その後4時まで対応に困る注文をつける人と錦町のジョナサンでこの日の総括を(笑)。 予想外の面白さだったので多分来月も行くと思う。


2001-01-06 [長年日記]

_ 土曜だというのに

大残業。 8時まで働いていた。


2001-01-05 [長年日記]

_ いきなり

残業、トホホホ・・・。


2001-01-04 [長年日記]

_ 5時ころ

起きてみると雪はやんでおらず、通行止区間は却って伸びており、白石でおろされて須賀川迄国道で下り、そこから東北道にまた乗った。 結局栃木県内に入るまで雪は止まなかった。 いつものように田島で降ろしてもらい東武線で帰宅。 なんだかんだで非常に疲れた。


2001-01-03 [長年日記]

_ 毎度の事ながら

昼頃ごそごそと・・・。
 青森市内で一仕事終えて帰ってきたイベント屋の後輩君とまたまた珍上海へ。 ここはメニューも多く、しかもハズレが無くて量が多くて安くて旨くて、店長の言動が奇妙で面白い。 今日は激辛ラーメンとライス。
 普段は配膳担当のおねぇさんが運んでくるのだけれど、なぜか店長が手ずから運んできた。 半年に一遍くらいしか来ないのにどうやら顔を覚えられているらしい。 まぁ、学生の時にはトラックの荷台に3人も4人も積んでやってきてそれぞれ1.5人前くらい平らげていた怪しい客だったから、まぁ覚えられていても不思議は無い。
 ミヤシタ総統邸にもどって帰り支度をしてとっとと出発。 天気予報も交通情報も見ずに出たのが仇となって、県境を越える頃から吹雪になり、何とか盛岡を過ぎたと思ったら大型トラックがチェーンでひっぱたいた圧雪路は鬼の洗濯板みたいになっているし、掘られたわだちは軽自動車には広すぎてふらつくしでいい加減厭になって花巻から高速へ。 乗ってみたら古川〜泉が吹雪で通行止。 古川で下ろされて、その吹雪とやらの中を泉まで。 泉で乗ってみたら今度は白石〜福島飯坂がまた吹雪で通行止。 馬鹿々々しくなって菅生で仮眠する事にした。


2001-01-02 [長年日記]

_ 昼頃起き出して

時刻表とにらめっこ。
 八戸までのルートは、国鉄だと3時半の電車に乗って青森経由で6時前には着けるのだけれど乗換えが2回、バスだと5時20分のに乗って八戸市内のバスセンターに8時5分着、こちらは乗り換えなしで街の中まで連れて行ってくれるのでバスを使う事にした。
 バスの時間まで市内のカメラ屋めぐり、キタムラには先生の後輩達の写真が展示してあった。 つまらないのも何点かは有ったのだけれど、それでも流石に仕上げは綺麗だったし水準以上の作品が多かった。
 バスに乗ったらバタンキューで寝ている間に八戸着。 迎えにきていたイナダ氏の車で市内旭が丘の珍上海と言うラーメン屋へ行き晩飯。 だいたい半年に一度の割で八戸に行っているのだけれど大抵ここで飯を食っている。 インドカレー大盛、800円也。 旨い。
 コンビニで茶など買った後、ミヤシタ総統邸でゲーム三昧。 今回はPS2の「剣豪」と言う人斬りゲームに嵌まって、夜中まで人を斬っていた。


2001-01-01 [長年日記]

_ どうやら

年が明けたらしい。 昼過ぎにごそごそ起き出して、することも無いのでビブレへ行ってCDを物色。
 マーラーの1番「巨人」(ニューヨークフィル)とFlder5の3rd「Believe」を購入。 書き忘れていたけれど、仙台でもHMVで2枚、R.コルサコフの1番・2番とハチャトゥリアンの「ガイーヌ」(共にサンクトペテルブルク国立交響楽団)。
 昨年の末に知り合いが「残業うっちゃらかしてブラームスを聴きに行く」なんて話をしていて、「そーいえばうちにもあったなぁ・・・」とCDを掘り出して聴いてみたところ、初めはなんだか退屈だったのが、耳が慣れてくるにつれて心地よくなってきて、しかも考え事や睡眠の邪魔にならないので、最近はクラシックばかり聴いている。 初めはブラームスだのショパンだのを聴いていたのだけれど、もっと灰汁の強い奴が聴きたくなってマーラーとかベルリオーズとかロシア・東欧ものとか、そう言うものに落ち着いた(笑)。
 CD屋を出てから食い物と酒を買い込み、本屋で立ち読みをして時間を潰した後、下宿に戻って呑んだり喰ったり。 結局朝の5時頃迄写真展とか写真サークルとか学内自治とか共通の厭な知人(痴人かな?)の厭な話もしつつ、主に写真の撮り方の話をしていた。
 私と飛良泉先生は写真の撮り方がまるで違っていて、私はどう撮るかなんて事は考えずに被写体との距離とかその場所の明るさとかに合わせて持っていくレンズとフィルムを選ぶくらいで現場に行ってその場の状況にあわせてシャッターを押したり押さなかったりするのだけれど、飛良泉先生はまずどう言う状況で撮るかを考える。 その為にモデルのテスト撮影をして、どう言う角度でどう言う表情を撮ると映えるのかを検討する。 そしていろいろとプロットを考えて、大道具・小道具・ライティング・フィルムの選択etc.を綿密に。 さらにモデル抜きのテスト撮影をして、「シャボン玉を止めて撮るには最低何分の一秒必要」「シャボン玉を流すには何分の一秒」なんて感じにノウハウとデータを収集。 で、本番になると構図を微妙に変えつつ実に多くのコマを撮る、しかもその間モデルとは常に会話しているから色々な表情が撮れる。 モデルを頼む場合も、過去の作品を見せてどう言う写真を撮っていてどう撮りたいかを説明して納得させた上でやっている。 しかも彼女をモデルにしたり、モデルを口説いたりもしないと言う。 「インフォームド・コンセント」「臨床データの蓄積」・・・なんかこう実に医学生らしい写真の撮り方だなぁ、と感心した。
 私の場合は「無作為の作為」」とか「1/30秒に1/30秒以上の時間を如何に写し込むか」とか「カメラを意識した上での素の表情」とか偶然性に頼ったまぐれ当たりの打率を如何に上げるかっていう事しか考えていないので、先生の話は非常に面白かった。 夜明け頃いい加減眠くなって寝た。

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2000-12-31 [長年日記]

_ 夕方までに

弘前に着かねばならないため、7時半に起きて、寝ているひたひたに後片付けを頼んで仙台駅へ。 何か忘れたような気がしたのだけれど、案の定マフラーを忘れていた。
東北本線で盛岡まで北上し、花輪線に乗り換えて大館へ。 さらに奥羽本線に乗り換えて弘前に着いたのは四時半ころ。 車中はずーっとマーラーの五番とベルリオーズの幻想交響曲を聴いていた、・・・って言うか聴きながら延々寝ていた(苦笑)。
買い物をしてから飛良泉先生の下宿へ行き、荷物を置いてから下町の衛生湯と言う銭湯へ。 ここはなにが凄いってロッカーが無い、丸い籠のみ。 非常に銭湯らしい銭湯だった。 下宿に戻ってはまちの刺身やら蕎麦やらを肴に豊盃倶楽部と菊水の五六八を飲んで寝た。

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2000-12-30 [長年日記]

_ 7時ころ起きて

仙台へ。 なんだか早く着きすぎてしまってHMVだのまんが喫茶だので時間を潰した後、北京餃子で朝飯。 餃子定食がまた安くなっていて驚いた。 餃子の数は3つ減ったのだけれど、餃子の具に占める肉の割合が大幅に増えた。 もちろん旨い。
借りたウィークリーマンションのチェックインには未だ時間があったのでその辺で時間を潰した後、とりあへず荷物を置いて中古カメラ屋をはしご。 帰りがけに多少買い物をしてマンションに戻り、暫くぼーっとしていた。
今回はことぶき氏に料理を任せて、私は私が食いたいものをちょろっと作っておしまい。 肉味噌を作って、油揚げを炙っただけ。 で、まぁ鳥鍋をつつきながら大いに飲んだ(私は途中で寝てしまったが)後、1時頃だったか?解散して、仙台の人々はそれぞれの家へ帰り、よそ者のわたしとひたひたはそのまま泊まった。


2000-12-29 [長年日記]

_ 漸く仕事納め

3時に仕事が終わってさぁ帰れるかと思ったらなにやら納会なる物が始まってしまい、酒なんざ飲みたかぁ無いんだけど役付きの人間がやってきて次から次へと注がれる。 迷惑な話だ。
なんだかんだで40分拘束。
なんとか逃げ出して中野へ。 支払いを済ませて、修理屋から帰ってきたカメラを受け取って一先ず帰宅。
掲示板を巡って暇乞いをしたり、メールを書いたりしているうちに時間が経ってしまい、碌に支度もせぬまま家を出た。
紆余曲折あって、八戸へ移動するイナダ氏の車にひたひたと共に便乗。 いつものように東武佐野線の田島で拾ってもらってちんたら北上。 白石で車中泊。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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