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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


1999-12-14 [長年日記]

_ 「めそめそである。」

としか表現できないくらいめそめそな毎日をのんべんだらりと過ごしている私では有るが、今日、年末ジャンボ宝くじを買って来た。 たまには悪夢以外の夢も見たい。

 自分の人生に於いてすら脇役である。

1999-12-11 [長年日記]

_ プリズムの

忘年会に行った。 来れば買う客、来ても買わない客取り混ぜて二十八人。 なにかしらの景品を持ち寄って交換会をやると言う事でヤシカにフジノン55/2.2を付けて出したらペンタコンの50/1.8が来た。 マイヤーの物(オレストンあたり)だと思っていたらツァイス(パンカラー)らしい。 出した人曰く「非常に力弱い写りをする」とのこと。 早速使ってみる事にした。 ついでに店主が当たったペトリフレックスVも身請けして来た。 これはペトリマウントになった最初のペトリで探してもそうそう見つかる代物ではないので調子は悪かったがまぁしかたがない。 十二時半頃帰宅。

_ 文章が

ぶつ切りなのは思考能力が低下している為で、右手の調子もスコブルつきで悪く、握力が突然無くなったり痺れたり激痛が走ったりしている。


1999-12-09 [長年日記]

_ 先月の頭に

怪我をする前の部署に戻ってから、尾篭な話になるけれどずーっと下痢が続いている。 夜も碌に寝られない。 精神的にもおかしい。 夢と現実の境目が曖昧になって来た。 忙しいから病院にも行っていない。

仕事もしくじり続きでそれが更に問題を深刻化させている。

そして今日、怪我をした方の手に鈍痛がした、と思ったら、急に手が重くなって動かせなくなった。

動かなくなったと言うよりは「動かし方が判らなくなった」という感じだった。 すぐに動く様になったのだけれど、「もう一回やったら、次はこの程度では済まないだろうなぁ・・・」と思ったら物凄く憂鬱になってやっている仕事をうっちゃらかしてどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られた。 そろそろ潮時かな、とも思う。

帰りの地下鉄のホームで一瞬自分が今何をしているのか判らなくなった。

_ 人の人生を

肯定してばかりいるのは、自分の人生を肯定できないからだ。


1999-12-07 [長年日記]

_ 昨日

日曜日に撮影した分のフィルムをラボ屋に出しに行ったら、お気に入りの怪しい中華料理屋「ハルビン料理」が閉店していた。 この店は向こうから帰って来たと思しきおばちゃんが一人でやっていて、怪しくて安くて旨くて、理想的な店だったのだけれど矢張り怪しすぎたようだ。

あぁ、ニラ入りとニラ抜きを選べた水餃子。 「ぴーるならつめたいの、ごはんならあたたかいのがあうね」と言っていた豚蹄。 ごはんなら3杯は軽くいけるにんにく入りの肉味噌、セロリの入った浅漬け。 あんなに旨いと思わなかったトマトと玉子炒め、キュウリと玉子いため。 豚頭、豚耳。 「辛くして下さい」と言ったらホントに辛かったマーボー豆腐。 食べていないメニューも沢山有ったのに・・・。 地震以来店を閉めたままの中野の台湾料理屋と言いここと言い、汚くて居心地の良い店が無くなって行くのは辛い。

_ 日曜日に

撮影したフィルムの打率は、腰を据えて撮った分いつもより高く、半分くらいは当たっていた。 とりあへず夕方迄に撮り終えたカラーフィルム2本のみだけれど、いろいろ使ったレンズの中ではペトリの55mm/f1.8が一番良かった。 次がオートタクマ−の35mm/f2.3。 フジノンの55mm/f1.8は写り過ぎてあまりポォトレヱト向きではないようだ。 傾向としては、特定の人物の話題になると途端に表情がよくなるので、その辺りが面白くも有り、また、痛くもあった。

_ 購入した

「高村光太郎詩集」には、P98に栞が挟まっていて、棚から引っ張り出して、手に取って開くと丁度「米久の晩餐」と言う詩であった。 米久というのは、今でも浅草の観音様の裏手、ひさご通りにある老舗の牛鍋屋で、空襲でその頃の建物は燃えちまったと思うが、今も木造の二階家で商売をしている。 まぁ、この詩が心地よくて「これなら大丈夫だろう」と多寡を括ってレジに持って行ったのだけれど、「智恵子抄」から収録されたお仕舞いの方は恐れていた通りの凄まじさで自虐的な気分になっていた私に取っては丁度良い買い物であった。 「智恵子抄」からの収録が少ない為、「智恵子抄」そのものも購入。 ついでに「滞欧日記」澁澤龍彦、と、月刊東京人1月号を購入。

_ 中途半端な思いやりと

自分本位の善意は、食物連鎖ピラミッドの上層から下層へ受け渡されて行き、再下層で行き場の無くなったそれらは、内攻する。


1999-12-06 [長年日記]

_ 昼休みに

握り飯をパクつきつつ、昨日買った「高村光太郎詩集」を開いたが、感情が暴走しそうになり、恐くなってすぐ寝た。 恐い本だ。


1999-12-05 [長年日記]

_ 夜行バス

で仙台へ。 駅のロビーでK嬢と待ち合わせて、喫茶店→散歩→喫茶店→散歩→喫茶店→散歩、を繰り返して帰って来た。 1日に紅茶とコーヒーを何杯飲んだかわからない。 持って行ったカメラはペトリMF−10とフジカST605とライカD−III。 レンズはフジノン55mm/f1.8とペトリ55mm/f1.8とズマール50mm/f2、オートタクマー35mm/f2.3とサン28mm/f2.8。 日がな一日写真を撮り続け、歩き続け、心理テストをやらされてどつぼにはまり、勾当台公園で年甲斐もなくシャボン玉を吹き、カメラを一台売り付け、丸善で「高村光太郎詩集」を買い、晩飯用の駅弁といつもより多めのビールを買い込み、新幹線の中で更にビールを買い足し、やけ酒をかっ喰らいつつ酩酊状態で帰宅。

_ 客観性なんて

所詮はまやかしに過ぎない。 ひとは主観のフィルターを通してしか客観的に物を見る事ができない。


1999-12-04 [長年日記]

_ 早速

プリズムに色々持ち込む。 夜、仙台に移動。 あすは撮影三昧。


1999-12-03 [長年日記]

_ プリズムへ行った

委託の商品が大増殖しており、何人も居た先客は皆、頭を抱えていたのだけれど、私も久しぶりに訳が判らなくなって貧血を起こし、椅子にへたりこんで暫く耄けていた。   結局、カメラを何台か委託に出してα-7000/ゼニット100mm/f1.5付(スターライトスコープ用レンズ^_^;;;)を身請けすることになった。 先輩の結婚式の撮影を頼まれており、オートで撮れるカメラを探していたのでまぁ丁度良いかな・・・と。  この100mm/f1.5と言うレンズはスターライトスコープから外した奴をスクリューマウントに仕立て直してあって、レンズのコーティングは腐った沼の様な怪しい工場排液の様な明るい水色で、しかも覗くとまっ黄色。 ピントは5m〜∞、絞り値の表示も無し。 怪しさに負けた。


1999-11-23 [長年日記]

_ 夕方から

有楽町でカメラ関係のメーリングリストの怪しいオフ会。 久々に自分よりタチの悪い(良い意味で)趣味人と話が出来て非常に面白かった。 カメラよりオーディオ方面の話が主だったのだけれど、「m/4〜5千円のコードよりもm/四百五十円の電力ケーブルを使った方がむしろ音が良い話」とか「トップガンのF−14の着艦シーンの音はオーディオでも再現出来る話」とか「生のオーケストラを聴いた事も無い奴の語る音の再現性評価が如何にナンセンスであるか」とか「◯原一式はとても工業製品と呼べる代物では無いけれど、おもちゃカメラとしてみれば結構おもしろい」とか「コシナの社長の密かな野望の話」とかそれはもう録でも無い(良い意味で)ばかりで有意義な呑みであった。


1999-11-21 [長年日記]

_ ソヴェト・ロシア製の

カメラ・レンズを愛好するダメ人間集団「ロシアンフォーカス」の撮影会が小金井の江戸東京たてもの園で行われた。
 武蔵小金井の立ち喰いそばは何時の間にか酷い味になっていた。 ひさびさに「揚げ玉がつゆに溶けてゲル状になるたぬきそば」を食べた。 味の素の味。
 早く着き過ぎたので駅から徒歩で会場へ。 玉川上水沿いの道には色々な思い出があって、どんよりした気分で集合場所に着いてみればなんだか私が一番乗りで、人々が集まってくる様をずーっと見ていた訳なのだけれど、目印になる様な物は首から下げたカメラしか無いのに、怪し気なカメラを首から下げた人々が吸い寄せられる様に集まってくる図は如何にも珍奇であった。
 江戸東京たてもの園は読んで字のごとく江戸時代から近現代迄の東京の建物(主に住宅と商店)が、農村・郊外・山の手・下町から満遍なく集められていて、調度品の類いも最大限そのまま持って来ているので生活の匂いがそのまま残っていて、誰が行ってもそれぞれの懐かしい建物をみつけられるようになっている。
 問題は食いものが異様に高い事位か、お子さまサイズのカレーが六百五十円、そのかわり缶ジュースは園内一律百円だ。
 そろそろ色付き始めた武蔵野の広葉樹林・・・がどうのこうの、と、きれいごとを書いて締めようかと思ったけど馬鹿馬鹿しいのでやめた。


1999-11-20 [長年日記]

_ 二十二日に

法政市ヶ谷キャンパスで行われる怪しいイベントにて、ゲームショーでとった写真を写っている人たちに渡してもらう為、新宿駅小田急線改札口で伝令と待ち合わせ。 しかし、改札が少なくとも四つ以上有る事が駅に着いてから判明。 お互い戸籍名を知らない為、放送で呼び出す訳にも行かず、候補を二つに絞り、行ったり来たり二往復半したところでようやく相手を見つけてネガの受け渡しに成功。 そのイベントを撮影したいと言う伝令氏に、撮影する状況に合わせたフィルム撰びとか、必要なレンズとかをレクチャーして、中古屋を案内して別れた。 なんだかいつもこんな事をしている様な気がする。
 しかし、当日。 彼はフィルムの装填に失敗して一齣も写らないと言う悲劇に見舞われた。 私も流石にそこ迄は考えていなかった。

 今日から当分の間、日記に於ける「(笑)」の使用を自粛する事にした。 オチをつけたいときには便利なのだけれど濫用し過ぎている様な気がして来たので。


1999-11-15 [長年日記]

_ 昨日書いた店の

「梅安冬の闇」と言う品書きの由来は、池波正太郎の連作時代物で仕掛人藤枝梅安シリーズってのが有って、それの「冬の闇」と言う章で梅安氏が喰っていたのを作ってみたとのこと。
 皮を剥いて輪切りにして、面取りをして隠し包丁を入れた大根を浅蜊のだしで下煮しておいて、出す時には小鍋にだしを張って大根を二つ、そのまわりには浅蜊を並べて、大根の上には1:2:√3の直角三角形型のあぶらげを四枚(つまり一枚分)並べて火に掛けて一煮立ち、浅蜊に軽く火が通ったところで出される。
 実の所、煮た大根を喰って旨いと思ったのは生まれて初めてだ。

 あと吃驚したのは山芋の千切り。 これは文字通り山芋を千切りにして、刻み海苔を振って山葵を添えただけのものなのだけれど、上手い人が良い包丁で刻むとぬめりが少なく、太さも揃っていて角もしっかり立っているので非常に旨い。 その分下手糞が切れない包丁で作ると、角がぐすぐずのぬめぬめになって、手が滑るから太さもまちまちになってとんでもない物が出来上がる。 家で作る時にはこのぬめり(どうしても普通の人が作ると出てしまう)を取る為に軽く酢水で洗ってやってから薪の束みたいに向きを揃えて小鉢に盛って、上から鰹の塩辛を一匙かけてレモンかスダチを軽く絞ってやると誤摩化せるし、これはこれで旨い。

 で、「冬の闇」なのだけれど、池波正太郎の本に出てくる食いものがらみの部分を抜き書きして解説を付けた本が何冊か出ているので、それなら時代物に興味の無い人でも涎を垂らし乍ら読める。
 ・・・と言う訳で本のコーナーに「食いものの本」をアップ。

1999-11-14 [長年日記]

_ ヤマモトダメ映画の

撮影の手伝いに来ていたイナダくん四ッ谷で待ち合わせて胡散臭い店巡り。 先ずは澁谷に有る洋書とCDと軍装の店「アルバン」へ。 イナダ君はドイツものを、私はソヴェトものを物色。 ロシア民謡のCDは沢山有るのに、私の欲しい「ソヴェト労働歌集」みたいなものは無くて、結局イナダ君が「ドイツ第三帝国名曲撰」を買っただけで、HMVへ移動。 私は酔い覚ましに外の風にあたっていたが、イナダ君は二万円以上の大散財をやらかしていた。 そして御徒町の珍満と言う中華料理屋で饂飩くらいの太さのやきそば(これが謎に旨い)を喰った後、東京で(たぶん)一番の品ぞろえを誇る軍装品の店、中田商店へ。 時間が無かったのでざっと見てカタログをせしめて出て来たが、八路軍、夏服薄、上・下組、帽子、弾帯、袖章付、¥7000-、なんて物が有ってびっくり、欲しい。
 更に新宿に移動してヤマモトらとお茶。 眠くなったので皆と別れてとっとと帰った。


1999-11-13 [長年日記]

_ 学生写真展

がらみの友達(ひたひた、ばく、アユム、気分は形而上(仮))と高円寺で呑み。 まず、抱瓶(だちびん)と言う沖縄料理居酒屋へ。 オリオンビール中ジョッキ2杯。 泡盛(請福、三十度。どなん、四十三度。)ストレートで一杯づつ。 壁に来店した有名人の写真が貼ってあって、友達はソウルフラワーの中川敬とか喜納昌吉とかの顔を見つけて喜んでいたが、私が秋山祐徳太子を見つけてもひたひたしか反応してくれなかった、つまらん。 ゴーヤ以外はおいしかったが、音楽がうるさい。

_ 二軒目は

ガード下の「竜屋長兵衛」と言う店、ここは当たりだった。 ペルツォフカ(ウオッカ、35度)一杯、ダバダ火振(栗焼酎)ストレートで二杯、立山(日本酒)二杯。 里芋ととり肉の煮付、牡蛎酢、山芋の千切り、梅安冬の闇(大根と油揚げと浅蜊の小鍋立て)、刺身盛り合わせ。
 兎に角つまみはどれを取っても旨いし、酒の保管状態も非常に良く、大当たりの店だった。 特に旨かったのは大根と油揚げと浅蜊の小鍋立てと山芋の千切りと刺身だったのだけれど、いちいち説明するのも野暮なので省略、ただ何より驚いたのは刺身のつまの大根おろしが、きめ細かくて、辛くて、それだけでも十分なくらい旨かったのには心底驚いた。
 ばく、アユム、気分は形而上(仮)の職業カメラマン(・・・とアシスタント)3人は仕事の話で暑くるしく盛り上がってしまったので、私とひたひたは隅の方でひそひそ今後の悪巧みをしつつ、適当に茶々を入れつつ、今度何時食えるか判らない旨過ぎるつまみと酒を胃袋に詰め込んでいた。
 帰るのが面倒になったのでアユムくんに泊めてもらった。


1999-11-12 [長年日記]

_ 昨日の分は

日記と言うよりも愚痴なのだけれど、そのままだとお利口自慢になってしまうので、まず補足と説明から。 漢詩・漢文の引用にあたっては講談社学術文庫の「中国古典名言辞典」諸橋轍次著 ¥1800-を使用しています。 ひとの文章をうろ覚えで引用するのは嫌なので、引用する際にはなるべく原典を使用する様に心掛けていますが、この手の物はそうもいかないのでこの本を使っています。 ちなみに著者の諸橋さんは大修館の大漢和辞典を一人で編纂した人です。


1999-11-11 [長年日記]

_ ネット上でも

それ以外でも、私は判る人にしか判らない様にものを言ったり書いたりする事が多いので、ネタを振っても反応が無い事が少なく無い。 判り難い例を挙げると、高校の修学旅行で新幹線に乗ってる最中に悪仲間がマージャンをしていたので、「こんなトコでそんな事をしていると関東軍に爆殺されちまうぞ」ってなことを言って、判る奴だけげらげら笑った事が有るのだけれど。 判らない人には何が面白いんだかぜんぜん判らないし、なにが面白いんだか説明したらそれこそ野暮だ。 (判らない人は「張作霖爆殺事件」を調べよう)
 さらに頓智が効く奴だと「鉄橋の上が危ないらしいぞ。」とか「前の方の車両に乗っていれば助かるらしい。」ってな感じで切り返してくるのだけれど、そんな奴はそうはいない。 

 で、判り難すぎて誰も突っ込んでこなかった奴をひとつネタばらし。
 OB展の感想の中のこのくだり。

>O海
>年年歳歳で植物もの二点とコラージュ一点。コラージュ物は新しい動きがあった。 歳歳年年です。


 これは「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」(来る年ごとに咲く花の姿は常に同じようだが、それを眺める人々の姿はそのたびに変わっている。)、劉廷芝の「代悲白頭翁」と言う七言古詩を踏まえて、ぶっちゃけた話が、その、新しい彼氏が出来た様で有るなぁ(詠嘆)・・・と婉曲に表現してみたのだけれど、判り難すぎたようで誰も突っ込まなかった。


1999-11-09 [長年日記]

_ プリズムに

行ってみた。 「海外出張」とは上海にカニを喰いに行くことだった様だ。 ついでに仕入れて来たと言うカメラはかなり凄い物で、江西光学で作っている鳳凰(PHENIX)ブランドの新型なのだけれど、色も形もペンタックスのMZシリ−ズにそっくりなのに、中身はシーガルでマウントはミノルタMD。 しかもなんと、あの、ルイジ・コラーニ氏のデザイン。 効果の怪しいチューリップ型のフードとエルゴノミクスデザイン(笑)な素人モデラーが手捻りで作った様ないびつで且つ指がかりの悪い巻き上げレバーが可愛い。 危うく買うところだつた、あぶないあぶない。 ちなみに現地価格999元(約一万五千円相当)。


1999-11-07 [長年日記]

_ 昼頃

起き出して荻窪へ。 プリズムでトグロを巻こうとおもったら「海外出張の為八日まで休みます」の貼り紙が・・・。 仕方なく東中野から新宿迄散歩。 大久保駅前から職安の辺りの裏通りの再開発途上の空家を撮影、地上げ臭い臭いがして厭になり直ぐ止めて新宿へ。 ダックビルで胡散臭いカメラをためつすがめつした後、焼き鳥横丁の岐阜屋でラーメンとビール。 マクドナルドで時間を潰した後、コマ劇場横のトークライブハウス「ロフトプラスワン」で「お茶の間コマーシャルEXPO’99」と言うイベントを観覧。 久方ぶりに日本船舶振興会の火の用心CMを見た。 すっきりした。
 このイベントの首謀者の一人であるところの「めもる」師が経営するスタジオ・キューブのホームページは凝っていて格好よくてしかも軽い。 真似をしたくても多分無理だろうと思うのだけれど凄い。 ちなみにこの会社は「デザイン・レイアウト・モデリング・ビデオ撮影・ビデオ編集・マルチメディアコンテンツ制作・コンピュータシステム開発・ライブイベント企画・司会・演奏・専門学校講師派遣・Tシャツ製造販売(爆)、その他もろもろ、手広くこなすマルチクリエータ集団です(笑) 」と言う感じ。 たぶん日本国政府より有能です。


1999-11-04 [長年日記]

_ おかげさまで

このサイトも今日で一周年です。 思えばOSが飛んだり、怪我をしたり、荒らされたり、置き引きに遭ったり、楽しい事てんこ盛りの一年でした。 怪我はほぼ治りまして、今月の頭から怪我をする前の部署に復帰しました。 ネタ涸れなので古い奴を掘り起こして来て「八木山の一夜」をアップしました。 自分で読んでもあんまり面白くないですね、すいません。 またちょこちょこ変えて行きますので今後とも宜しく。


1999-11-01 [長年日記]

_ 昨日

高校の時の生徒会執行部の先輩から電話が有って、来年の一月三十一日に結婚式を挙げるので写真屋になれとの事。 快く承諾してはみたものの、良く考えたらまともなカメラが無い(笑)。 いらない変な物を整理してまともなカメラを調達しなければ成らなくなった。
 と言う訳で蛇腹売ります。
 セミパール(戦前型) ヘキサー75mm/f4.5 デュラックスB・1〜100s
 ウエスターシックス  ウエスター 75mm/f3.5 B・1〜200s
価格についてはお問い合わせ下さい・・・って、こんなの欲しがる人いるのか?(笑)


1999-10-31 [長年日記]

_ 兎に角

本を読まないとまずい。 純粋理性批判は全然進まない。 然し乍ら思わぬ効能が有った。 純粋理性批判を読んだ後は何を読んでも簡単に見えるんですね、これがまた(笑)。 だから他の本ならすいすい読めてしまって、読書が楽しくて仕方が無い。


1999-10-26 [長年日記]

_ 神楽坂を

下って飯田橋へ、飯田橋そばの跡は激安はんこ屋になっていた。 げんなり。 最近、金が無いなりに本やCDを買っている。
 先ずクーラシェイカーと言うバンドの二枚目を買った。 このクーラシェイカーと言うバンドは、ビートルズの中でも特にジョージ・ハリソン師を信奉する奇特な方々であり、一枚目はピンと来なかったのだけれど、八月に大阪で聴かされた二枚目はなかなかの物で、少々辛く無くもなかったのだけれど思い切って買ってしまった。
 私の音楽に対する欲は、カメラ→写真→本→食い物→酒の次にくるので、酒すら満足に呑んでいない現状ではなかなかCD迄は金が回らない。 (・・・と言いつつもこの日椎名林檎を買ってしまったりしている、残金千円(笑))
 あとは本を何冊か。

 「日和下駄」永井荷風
 荷風が東京を散策して感じたたことを記したもので、「貧民」とか「愚民」とか「汚い」とか、もろに閑な金持ちの視点で書かれており少々鼻に付かなくもないが、嘘では無いのでまぁ仕方が無い。
 表通りよりも路地を好んだり、古地図を持ち歩いたり、古寺名刹よりも路地を歩いていてふいと出くわす名も無い寺に心を惹かれたり、と、流石に散歩のつぼを心得ている。

 「純粋理性批判」I.カント
 置き引きに遭った日に買った。 ここ迄堅い本になると街の本屋には置いておらず、新宿の丸善で買った。 何故、今カントなのかと言うと、ノヴァーリスにしろ埴谷雄高にしろニーチェにしろショーペンハウエルにしろ下敷きにはカントがあって、カントを読んでおかないとこれらの本の表層を舐めているに過ぎない様な気がしたのと、置き引きの後の自虐的な気分も有った。 歯ごたえあり過ぎ、知恵熱。

 「私の東京万華鏡」川本三郎
 「私の東京町歩き」「雑踏の社会学」などに続く街歩き本。 歩く→ラーメン屋に入って餃子で一杯→さらに歩く→居酒屋に入ってひと休み、と言う感じなのだけれど、これがまた面白い。

1999-10-25 [長年日記]

_ 上野アメ横の

みのり屋と言う山の店へ靴を買いに行った。 グランドキングと言うトレッキングシューズで¥7980-。 十年くらいこの靴しか買っていない。


1999-10-24 [長年日記]

_ 金も無いので

都バスの一日乗車券を買って散歩に出掛けた。 三ノ輪に出て浄閑寺のあたりをぶらぶらしてから都電に乗ろうかとも思っていたが、今回は三河島方面へ行ってみる事にした。

_ オリンピック〔安売屋〕の前では

複数の何だか判らない言語が飛び交っており、そこを過ぎて閑散とした工場街に差し掛かると、押し売り然とした初老の男が婦人靴・時計・バッグなど来歴の怪しそうな品物を並べて露店をおっ始めていた。 その初老の男は、時折通り掛かる人に誰彼構わず「どれでも千円、どれでも・・・」と声を掛けていたが、私が見ていた五分程の間には誰も何も買わなかった。

_ 暫く行くと

道は急に細くなり、小さな商店街が始まった。 今日一杯で店を仕舞うと言う傘屋とシャッターを半分締めた豆腐屋とかうらぶれ過ぎてカメラを構える事すら憚られる様な店ばかり並ぶその商店街を抜けると漸く三河島の駅前。 なにをこう、ぐだぐだ書き連ねているかと言うと、要するにまぁ「つまらなかった」と言う事であって、その後は意地で日暮里・谷中・根津と歩いて、疲れ切って帰宅した。


1999-10-23 [長年日記]

_ Volkischな

Beobachterは矢張り出入りしており、掲示板の些細な言辞に過敏に反応して恫喝めいた書き込みを残して行った。 NaziのEpigonenとしての彼等の言動はまさに教科書通りで非常に判りやすいのだけれど、素朴且つ情緒的で有り過ぎて現代社会に於ては大きな広がりを持ち得ない為現代に於けるファシズムの実践例とはなり得ず、従って私の好奇心をも刺激し得ない。

来る者は拒まない主義なので書き込まれた雑言に対してもそれなりに応対はするけれど、もはや積極的に関わる気になれないのはその為でも有る。

※なんだか判らない単語が有ると思いますが独和辞典でも調べて下さい。


1999-10-15 [長年日記]

_ 先日

置き引きに遭った際に露出計も取られたのだけれど、無いと不便なので上野のヨドバシに買いに行った。 七千円位だったと思っていたらヨドバシでも九千円するので近所の中古屋を回ったら六千円のが有ってそれを購入。

_ 家に

帰る道すがら突発的にマーボー豆腐が喰いたくなり、材料を買い込んで大量に作った。

先ずにんにく一ヶと生姜一欠けと葱二本をみじん切りにして多めの油で炒めて一味を小匙二杯、胡椒、山椒を多めに加える。 ひき肉100グラムを加え火が通ったらえのき一ヶと椎茸10個を細切りにした物を加えて炒める。 ガラスープの素とオイスターソースを適当に振り入れ、お湯を注いで一煮立ち。 賽の目に切った豆腐二丁を加えて更に一煮立ち。

塩と醤油で味を見てから水溶き片栗粉を加えて、最後にごま油をひとっ垂らし。

_ 蕎麦が喰いたい

蕎麦屋で酒が呑みたい。 このところ立ち喰い以外で蕎麦を喰っていない。 独りで昼間から酒を呑むなら矢張り蕎麦屋だ。

焼き海苔、蕎麦味噌、板わさ。 安直なつまみで一合か二合ヤって盛りで締めて出てくるとまぁ二千円位であがる。

しかし金が無い。 家で呑もうにも酒を買う金も無い。


1999-10-13 [長年日記]

_ 十一日は

六条と半日東京をぶらぶらした訳だが、これが以外と〔と言っては何だけど〕面白かった。 浅草にしろ谷中にしろ、大体このあたりが面白かろうと思って連れて行くとそれなりに面白がってくれて、「あっちへ行きたい」「こっちへ行きたい」「何々が見たい」「何がしたい」と能動的に動いてくれるし、幾ら歩いても文句を言わないし、私が普段入らない店や見落としていた露地に入って行ってくれるので、十年以上前から暇さえ有ればぶらぶらしてきた谷中の露地にも色々な発見が有り、かといって「そこはマズイだろう」と言う露地や店には何故か入って行かないので気分的にも非常に楽であり、置き引きの一件を差し引いても大変楽しい1日ではあった。 道端の草花に目を留めて「あれは何」「これは何」と一々反応するのも面白かった。 吾亦紅なんて字は書けるけれど現物にお目にかかったのは初めてだ。

独りで歩いていると得てして点間移動に成りがちなのだけれど、久々に散歩らしい散歩、そぞろ歩きをした。

しかしながら上野公園の治安の悪さは、リトルテヘランと化していた数年前の比では無く、よくよく考えてみればこれだけの数の人間が堂々と定住しているのは終戦直後以来であり、254の仕事がそう有る訳でも無くシケモク拾いや雑誌拾い、地見屋なんぞで生活が成り立つ訳も無い訳であって、ラジカセやら自転車やらを持っているのは当たり前、中には犬を飼っている者すらいる現状を見るにつけ、盗み・かっぱらいが横行するのも無理からぬ事であると思はざるを得ない。

なんだか達観したようなことを書いているけれど、やられた直後はそれなりに憎悪が渦巻いてて、実の所「モロトフカクテルでそこら中火の海に・・・」とか「ホスゲン、イペリット、ルイサイト、チクロン・ベー」「マスタード臭よりアーモンド臭のほうが足がつき難いか・・・」とかいけない考えが頭の中をぐるぐるまわっていた。

_ 多分

レンズは出て来ないと思う。 質屋、道具屋、中古カメラ屋。 CかKかAか、もしくはNか・・・。 向こうはプロだからそれがどう言う品物かは持って来たヤツを見れば判る。 判ればそれなりの値段で買い叩く。 持って来たヤツも後ろ暗いからあまりごねる訳にもいかない。

払ったとしても2。 3までは出していないのではないだろうか。 そうだとすると普通に売れば10位にはなるから、店にしてみれば旨いはなしなわけだ。 これ以上具体的な話は書けないし、書いたところで楽しくもなんともない。 読まされるほうも不愉快だろう。

 関係無い話になるけれど、「ウラの世界は楽しいぜ」とかなんとか言っているオタンコ野郎を見るにつけ、物事の表層しか舐めいない奴、守秘義務とかややこしい事と無縁な奴はお気楽脳天気でいいや、と思う。
 ただ「気楽でいいねぇ」とは思うけれど決してそうなりたいとは思わない。
 筆が滑ったついでにもう一つ。 モラトリアムだ何だかんだと言い訳をしつつ、そこら中でクソを垂れ流している奴が居るのだけれど、社会に対する責任を猶予されているとしても、自分の言動についての結果責任は取ってしかるべきでは無いだろうか。 誰とは言わないけれど言われた人は判るでしょう。 君です。

 しかし何で不忍池っ端でパンを喰っていたかと言えば、普段立ち喰いでしかモノを喰っていないのでとっさに食事をする場所を思い付かなかったからだ。 良く考えればまともな食い物屋は幾らでもあった。 レストランならナガフジの他にも風月堂、黒船亭、ローターオクセン。 とんかつなら双葉、蕎麦なら蓮玉庵や池之端のやぶ。 後悔先に立たず、喰えない物を聞いてから考えれば良かった。

_ 「喰えない」と言えば

T大の院生Sがまたぞろ蠢動しているらしい。 自分勝手且つ冗長で、ろくに改行もしない、文字だけなのに25KBも有るメールが送られてくるとのこと。 学生写真展関係者で高見の見物を決め込んでハナクソをほじっていられるのは恐らく私とひたひただけだと思う。 皆様おきをつけて。
 彼のいつもの遣り口は、
〔1〕先ず相手を怒らせる
〔2〕自分の私見を述べる際に「われわれ」とか「みんな」とか「〜と言っている人がいる」とか二人称・三人称を平気で使う。
〔3〕自分のした事を自分がされた事であるかの様に書く。
これらを踏まえて、腹が立ってもジッと堪えて読書百遍。 冷静に繰り返し読んでみれば矛盾やほころびはどんどん出てくるからそれを判りやすく箇条書きにでもして質問してみたりすると、逃げるか詫びを入れるかどうなるかは判らないけれど、少なくともナメタ真似はしなくなると思う。

 なんだか悪口だらけになってしまった。 自分ではあまり怒っていないつもりだったのだけれど、確実にストレスは溜まってたようだ。


1999-10-12 [長年日記]

_ 先ずは

昨日何をしていたかから。

九時半に上野駅パンダ前で山大OBのわたりょ、OGの六条と待ち合わせ。 わたりょは国会図書館へ、私は六条を連れて東京観光。 とりあへず銀座線で浅草へ。 多分東京で一番臭くて汚くてうらぶれた地下街を通って仲見世へ。 「雷門が見たい」と言うので雷門から仲見世を通って観音様に挨拶をし、影向堂から三社さま、二天門とまわって、西参道から六区あたりをぶらぶら。 「お土産が買いたい」と言うので知り合いの組み紐屋だの手ぬぐい屋だのをまわり、辺りをぶらぶらした後、松屋の前から日暮里行きのバスに乗り日暮里駅へ。 駅前のドトールてひと休みしてから谷中界隈をぶらぶら、五重塔跡の公園でひとしきり猫と戯れた後、またぶらぶらとべっ甲屋やら仏具屋やらを冷やかしつつ上野方面へ。 途中「夜中の谷中」なる写真展にぶらっと入ってみたらこれがなかなか良くてポストカードを買った。 少々くたびれたので愛玉子〔おーぎょーちい〕と言う店の構えも出てくる食い物も胡散臭い店で小休止。 この「愛玉子」と言う物は、台湾原産の寒天とぜりーを足して二で割った様な透明な食い物で、六条は「チーアンミツ」を、私は「チーワイン」を頼んだ。 これが結構旨い。 上野桜木から芸大の前を通り、噴水を横目で見つつ上野公園を抜けて公園山下へ。 ナガフジと言うパン屋の上のレストランで中食を、・・・と思ったら無茶な混みようで、買ったパンを池っ端で喰うことにした〔これが間違いの元だった〕。 蓮池とボート池の間の小道のベンチに腰掛けて、色々と話をしながらパンをパクついて、さてそろそろ移動するか・・・と腰をあげるとカメラバッグが無い。 間抜けな事に置き引きを喰らってしまったのだ。

まぁ見目麗しからざる貧乏臭い男が決して醜くはない若い娘とベンチに並んで腰掛けてクリームパンを半分づっこなんてぇ図を見たスネクレ根性のバカボンドがカメラバッグの一つもかすめ取ってやろうと思うのは当然至極であって、時と場合てぇ物をわきまえずにぼーっとしていた私がお間抜け野郎だってと言う事だ。

六条は「私がもっと気を付けていれば・・・」などと言っていたが、「人を見たら泥棒と思え」式の考えを持たずに暮らせればそれに超した事は無い訳であって、さほど物騒では無い仙台で静かに暮らしている分には不必要な考え方だから気にしない様には言っておいたのだけれど、そうもいかないだろう。

何が悲しいってレンズをかっぱらわれた事よりも、十年来ぼーっとするために使って来たベンチにもはやぼーっと腰掛けてはいられない世の中になってしまったと言う事だ。

で、まぁ出て来ゃしないとは思ったのだけれど気休めに被害届を出してからタクシーをすっ飛ばしてお茶の水駅へ出て、中央線で新宿へ。 ヨドバシの印画紙売り場でわたりょ及びO嬢と落ち合ってしばらくぐだぐだしたあと、一寸早かったのだけれど上野に移動して一杯やって、とっとと帰ってクソして寝た。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

# 北小路康美 [はじめまして。北小路と申します。 今日、たまたま、わたしが主催した個展「夜中の谷中」で検索をかけたら、こちらをヒット..]


1999-10-11 [長年日記]

_ 上野不忍池で

置き引きに遭った。 持って行かれた物はつぎのとおり。

カメラバッグ。
露出系〔BEWI社製〕
カールツァイス フレクトゴン 35mm/f2.4
ペンタックス スーパータクマー 35mm/f2
ライツ エルマ− 35mm/f3.5
ペトリ 50mm/f1.7
ストロボ 〔viviter〕
とアグファのフイルム3本。

大ヘコミ大会。
最大の原因は私が鼻の下を伸ばして腑抜けになっていた間抜けさ加減に尽きる。
東京の治安がここまで悪化しているとは思わなかった。 中古カメラ・レンズの流通の実態に鑑みて十中八九出て来ないと思うが、授業料だと思って甘受するしかない。

1999-10-10 [長年日記]

_ 色恋、仕事の愚痴、家庭内の揉め事

などは日記のネタとして使わない事にしているので、この三つで、・・・と言うか後者二つで脳味噌のかなりの部分が喰われている昨今はコンテンツの充実を計るどころか日記すら滞りがちだ。
 日記すらつけられなかったもう一つの理由は、質・量ともに物凄い日記を一年分纏めて1日で読んでしまった為に暫くフヌケになっていたからだ。 その日記と言うのはルカさんと言う人の日記であって、この人はゲームの宣伝企画の仕事をしており、基本的に物凄く忙しくて、「寝てない」「眠れない」「家に帰れない」「リタリン」と言った表記が矢鱈と多かったりするのだけれど、ほぼ365日分の日記を毎日、その日に書けない時には後日纏めてアップロードしており、しかも面白い。 翻って自分の日記を読み直してすると薄いの薄く無いの・・・。
 以前ミニコミの様な個人雑誌を出していた頃は、自分の生活に自分で波風を立てたり、休みの度に無理矢理どこかへ出掛けたりしていたが、最近はそうもいかずにのんべんだらりと暮らしている。 一度旅に出るとどうやっても二万からかかってしまうからせいぜい月に一度が良い所だし、あまりバカな事も出来ない。 まぁ破産しない程度にぼちぼちやっていこうと思っている。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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