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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-02-05 [長年日記]

_ プリズムへ

行ったあと、ダメな客4人と「ゑびす屋」へ。

串盛り、ニラお好み焼き、馬刺し、アロエ刺し、モツ煮、にしん味噌焼き、等々。 二階堂三杯。

けして不味くは無いのだけれど竜屋と比べると少々ナニですね。

終電を逃してタクシーで午前様。


2000-02-03 [長年日記]

_ 仙台から

突発的三連休で東京に来ていたひたひたと中野のPで待ち合わせて呑み。

ひたひたはPの親爺が厭な客をからかっている様を目のあたりにしてニヤニヤしていた。

_ とりあへず

中野の胡散臭い中華料理屋「郭林家」でラーメンセット(ラーメンと半炒飯)、豚耳、水餃子、ビール。

_ 荻窪の

「かみや」へ移動してアジフライ、納豆オムレツ、しらすおろし、モツ煮込み。 ひたひたはビール、私は電気ブラン。

_ 更に

移動して高円寺の竜屋長兵衛へ。 ここは前にも書いたのだけれど味の割に異様に安くて、しかも出て来た料理のだいたいの材料と作り方は判るのだけれど、最後の一手間二手間がどうしても判らないものが多くてなんとも凄い。

とりあへずお通しで牡蛎酢が出て来たのだけれど無脊椎動物アレルギーのひたひたは食べられないので、まぁ私が有り難く頂戴する訳なのだけれどそれを見た店員は「あぁすみません、食べられないんですか?最初にお聞きすればよかったですね。すみませんでした。お取り替えしましょうか?」と来た。 で牡蛎酢は私が美味しく頂いて(笑)注文。

山芋の千切り、灼熱のネパールそば、鬼平の魚飯、を頼むと「ネパそばと魚飯は両方とも穀物もので結構おなかに溜まると思うんですけど大丈夫ですか?」「両方とも結構時間がかかるのですぐ出来るもの・・、たとえば牛スジ煮込みとかならすぐ出来るんですけど。」とかバイト店員とは思えない完璧な客あしらい。 ネパールそばを運んで来た時も「油を多く使っているのですぐ食べないと油を吸って美味しく無くなっちゃうので出来るだけ急いで食べて下さい。」「下げる時は下げる時で「もう食べたんですか?このくらいで食べるのが一番美味しいんです、完璧です。」とか、過って器をぶつけてがちゃりと音を立ててしまえば間髪入れずに「失礼しました」とかで、兎に角店員の躾はしっかりしているのに店員はいかにも楽しそうに働いていて、酔っ払って無茶な注文をする女のグループ客にも厭な顔ひとつせず丁寧に受け答え。 いやはや恐ろしい店だ。

それより何より食い物が旨い。

_ 牡蛎酢

牡蛎は小振りながら兎に角新鮮で臭みも無く、もみじおろしもポン酢も自家製らしく非常に旨い。

_ 牛スジ煮込み

牛スジを大根と予め煮込んであって、注文を受けると豆腐と一緒に鍋に入れて強火で炊き上げてから器に盛って出される。 スジのにかわ臭さが見事に抜かれていてトロットした食感が心地よく、大根にはしっかり、豆腐にはほんのりと味が染みている。

私は基本的に煮た大根ってのは嫌いで、美味しいと思った事もあまり無いのだけれど、この大根はスジの味がしっかり染みているのにちゃんと大根の味もして矢鱈旨い。

不思議なのは冷めても煮こごらない事。 スジはゼラチン質の塊なので冷めれば当然煮こごるだろうと思っていたらこれが煮こごらない。 ただ下茹でしただけでは臭みはある程度とれてもゼラチン質を抜く事は出来ない筈なのでこれが兎に角謎だった。

_ 山芋の千切り

山芋を千切りにしたものに刻み海苔を振っておろし山葵を添えたもの。

1本1本が細くて、太さも均一。 海苔も山葵も旨いし芋自体の味も濃くて旨い。

ぬるぬるする物なので細く均一に刻むのは非常に難しいのだけれど、ここのは凄い。 包丁の手入れの良さと作る人の腕が良く判る。

_ 灼熱のネパールそば

茹で上げた蕎麦でつくったペペロンチーノと言うかアラビアータと言うかまぁそう言った感じのもの。 使っている油が非常に軽いのだけれどコレがなんだか判らない、ひとつ目の謎。 麺にどうやって味をつけたのかもわからない、ふたつ目の謎。 しかし謎に旨い。

_ 鬼平の魚飯

鯛と思しき白身の魚を炊き込んで大葉ときざみ海苔をふりかけた飯。 これは元ネタが判っているので大体の見当は付くのだけれどどうにも同じ物は作れない。

_ この店は

置いている酒の種類も多いのだけれど品揃えに無駄が無く、しかも安い。 他の店だとどこにでも有る二階堂一杯で350円取ったりするだけれど、ここは他の店ではついぞ見かけた事の無い土佐の栗焼酎「ダバダ火振り」が350円。 これもあまり見かけない薩摩の芋焼酎「無双」はなんと300円。 かくてるもちゃんと作っていて、この日呑んだジントニックは私の十年余の酒飲み人生に於て一番旨かった。 資生堂パーラ−より旨いかも知れない。 日本酒も勿論ツボを押さえた品揃え。

私の知っている中では、飲み食いする店としてはこの店が一番であり、金さえ有れば一年三百六十五日、毎日三食ここで喰いたい。


2000-01-30 [長年日記]

_ 高校の

生徒会の時の先輩の結婚式の撮影。 昼から式場へ。

今日の機材は、ミノルタα7000、35-80mm/f4.5-5.6ズーム、専用ストロボ。

フジカST605、マミヤ21mm/f4、ペンタックス・オートタクマー35mm/f2.3、ペトリ55mm/f1.8、ジュピター9 85mm/f2、ゼニットIR 100mm/f1.5。

ライカD−III、ズマール50mm/f2。 ローライコード トリオター75mm/f3.8。

使用フィルムは35mmがフジカラーAce800とアグファAPX400(モノクロ)、ブローニーがコニカセンチュリア400。

受付で暫く撮影し、披露宴の会場を下見。 ・・・とやっているうちに式が始まりモニターで見物。  新婦が角隠しで見事に角を隠して澄ましている反面、新郎はあからさまに挙動不審で目が泳いであらぬ所を見ている。 式が終わってから親類やら友人やら何やらと記念撮影、其の後披露宴へ。

入場だ、祝辞だ、経歴紹介だ、乾杯だ、余興だ、お色直し×2だ、きゃんどるさぁびすだ、なんだかんだを一人で撮るのはかなり辛い。 おまけに会場の雑感やら出席者のスナップやら・・・。 席も料理も無しにしてもらったので其の事だけが救いだった。 飲み食いしてるヒマなんざありゃしない。 先輩に寿司2個とウニの刺身を恵んでもらったいがい何も飲み食いせずひたすらお仕事に明け暮れた。

お色直しに消えたはずの新郎が素っ裸に紙おむつ一丁で登場してクラッカーを口の中でぶっ放したり、身体中に洗濯ばさみをつけて一気にむしり取ったり、爆竹を紙おむつの中で炸裂させたり。 其の後の余興の親戚が動揺してしどろもどろになったりしつつも滞りなく披露宴は終わり、私の仕事の半分が漸く終わった。

ここまでで36枚撮り8本。 其の後二次会で3本、3次会で2本。 モノクロ1本。 ブローニー1本。

計15本。

午後十一時半過ぎ、漸く3次会が終わってお役御免となった私はよれよれになって帰宅した。


2000-01-25 [長年日記]

_ 前の晩から

絶食して朝ふらふらしながら病院へ。 今日はエコー&胃カメラプレイ。

受付をしてから待たされる事一時間、先ずはエコー。 腹全体がぜりーでぬるぬるになったほかは何事もなく終了。

さらに待たされる事一時間、ついに胃カメラ。 クソ苦い痲酔液でうがいをした後、注射を一本打たれていよいよ本番。 なにやらマウスピースの様なものを銜えさせられ「つばを飲み込もうとすると絶対にむせますから、絶対につばは飲み込まないで下さい。」と念を押されつつ胃カメラを挿入。 猛烈な吐き気と唾をのみ見たい衝動にかられたか、なんとか耐えて終了。

脂肪肝と高脂血症が問題ではあったのだけれど、他は何も問題無く、昨年の暮れから続く下痢と脂肪肝の元となった過食はどちらもストレスから来るものであると言う結論に達した。 泰山鳴動して鼠一匹、結局すべてはストレスであった。

朝から飲まず喰わずだったので新宿に行って博多天神でラーメン、もやし、替え玉×2。

ツタヤで椎名林檎のマキシシングル2枚購入。 相変わらずの録でもないデザインのジャケットとやさぐれた歌声。 録音・アレンジ・ミックスも相変わらずの凝り方。 金を払うだけの価値は有るのだけれど、マキシシングル4枚出すならアルバムにしてくれれば金銭的にはかなり助かるのだが・・・。

それぞれ一曲づつカバー物が収録されていて、そのアレンジとか歌い方とかも良いのだけれど、印税収入を度外視して好きなものを歌っている姿勢は偉いと思う。

高田の馬場へ移動してス◯キカメラでオリンパスのレンズを物色。 そのあと爺ぃの家へお年始の挨拶。

いきなり「おまえは年賀状と言うものを出さないのか?。わしは今でも八十枚から出しているぞ、帰ってくるのは七十五枚くらいだけれど。」「年賀状一つでも世間は広がるんだ、ちゃんと出しなさい」とお説教。

流石に「世間を狭くする為に年賀状制度を廃止しました。」とは言えないので「はいはい、まったく其のとうりでございます。」と慎んで拝聴した。

ちなみに爺さんは1902年生まれ、ライト兄弟の初飛行が1903年だから飛行機よりも古い。

_ 夜中に

ひたひたに胃カメラの話をしたら「どうだった?」と聞かれたので「いやいや、これがとんだ『ディープ・スロート』で・・・」と言ったら

「なんであんたはそんな古いエロ映画を知ってるんだ!!」

・・・と言われてしまった。 原作迄持っている様な奴にそんな事を言われる筋合いはない。


2000-01-23 [長年日記]

_ 昼から

佃島へ。 プリズムの客(廃人数名)がT中C徳氏らのやっているカメラのクラブでロシア物についての講演をするので冷やかしに行った。 今、兎に角金が無いのでちゃりんこで移動。 すっ飛ばす事四十分、マンションには着いたが集会場が何処なんだか判らない。 スーパーの警備員に訪ねると逆に「いや、判りません。 さっきから何度も聞かれるんですが今日は何か有るんですか?」等と言われる始末。 某カメラ屋の親爺を見つけて後をつけて、漸く会場に潜り込むと、冷やかし仲間のプリズムの客は余りの場違い感に部屋の外で固まっていた。

会場内には浜松町のカメラ屋の親爺だの浅草の坊さんだの雑誌等で良く見る顔がちらほらどころではなくひしめいており、我々プロレタリアートはこそこと後ろの方に陣取って始まるのを待つことにした。

まず一人目の講師が出てロシアンフォーカスとは如何なる団体なのかを説明。 然し乍ら「C徳先生」であるとか「A英先生」とか矢鱈とへりくだった物言いをするのは頂けなかった。 有名・無名、著書の有る無しはあっても趣味人としては同等。 むしろそれをメシの種にしていないだけこちらの方が純粋であるとすら言えると思うのだが・・・。

次に出て来た講師がまた凄かった。 ロシアカメラのマウントの分類をホワイトホ−ドで説明するのだけれど、吶々と説明しつつキリル文字(ЖЫЙФМй←こういう奴)をスラスラと書いて行くさまは感動的ですらあった。

3番目はひげ面の巨人が戦前型フェドのマウントの特異性を資料と実測データを交えて説明。 某研究所の職員だけの事は合って有無を言わせぬ説得力であった。

しんがりに控えしは流しの理科教師、白衣を着て登場。 板書も抗議も流石に本物であった。 スターリンが敗戦ドイツから技術者と工作機械と原材料をぶん取ってきて、その遺産を食いつぶして来たロシアの光学産業の歴史が面白可笑しく語られた。

その後談笑しつつビールを呑みつつ、こそこそとC徳氏に接近して仙台に有った某カメラ屋の親爺の如何にも胡散臭い名刺を見せて「この爺ぃ知ってますか?」と聞いてみた。

すると「あぁ、知ってます知ってます。 何度か御馳走になりました。」・・・とのこと。

で、親爺が「俺の名刺を持って行けばT京カメラ倶楽部なんざ簡単に入れる」と豪語していたことを話すと「ああもう是非入って下さい。」と笑わずに言った。 何だか恐かった。

念のためT村A英氏にも聞いてみると「ああ、C徳さんに何度か連れて行ってもらいましたよ。」「お亡くなりになられたのですか?」・・・っておいおい、死んで欲しいのか。 「昔は代々木で店をやっていたらしいですね。」と言っていたことから見て昔の事は知らないらしい。

・・・こんな感じで何人かに謎のプレッシャーをかけて遊びつつ、こちらの正体は明かさずに会場を出た。

雨が降って来たのでちゃりんこは打っちゃらかして皆と一緒に東京駅へ。 他の人たちは東京駅の中で打ち上げをやったのだけれど、私は中野へ移動してパルテに顔を出した後友達の車で両国へ。 何でも両国駅の南口に旨い立ち喰いがあるってんてそこへ行こうとしたのだけれど、両国に近づくと道路が以上に混んでいる。 なぁんだろうと思ったら丁度初場所千秋楽結びの一番が終わった頃合。

「あぁ、こりゃダメだ」ってんで葛飾区は青砥へ移動。 ここの駅前には物凄いハンバーガー屋が有るとの事で、その「バーガーランド」なる店で晩飯。 話通りの物凄い店で、満腹になったところで自分の家の前を素通りして佃島へ。 雨もやんだのでちゃりんこに乗って帰っ来た。

久しぶりに有意義に休日を浪費する事が出来た。 ・・・って話を友達にしたら「おい、浪費して喜んでどうする。」と言われてしまったのだけれど、金が無いんだから時間くらい浪費したいじゃ無いか。


2000-01-21 [長年日記]

_ 書こう書こうと

思いつつも面倒でそのままにしておいたのを1つ。
元日に引いた(・・・と言うより引かされた)おみくじ。

小吉
なかなか思い通りに行かずあせればあせるほど、損をし、災難がくる運です。 何事も控え目にして神仏を信じ誠実な日常を送りながら時の来るのを待つことです。 必ず運気が開かれます。
「仏の教え」
人の運命は自ら作り、境遇は自ら招く。

◯願いごと
時間がかかって六分くらい叶うでしょう。

◯旅行
多少でも気が向かない時はひかえるべきです。

◯家庭
子供の事でのトラブルに注意しましょう。

◯恋愛
相性が合わないので別れるべきです。

◯出世
敵を作り勝ちなので気をつけることです。

◯学業
他人に頼り過ぎです。

◯商売
「損して得とれ」の方法とるべきです。

◯縁談
始めは気のりしないのが、後にはまとまります。

◯運転
自転車に注意することです。

◯病気
長びくかも知れません。

◯出産
少し動かないと難産になります。

◯試験
集中力が欠けています、あぶないです。

2000-01-16 [長年日記]

_ 流石に

朝は起きられず、十時半過ぎに起き出してなにはともあれ錦糸町駅へ。
 総武線で千葉迄出て、とりあへずビール2本とエビバーガーとチキングラタンバーガーとフリポテなるものを購入。 このフリポテなるものが曲者で、まぁそんなものはハナっから買う気は無かったのだけれど「フリポテ期間中はポテトLはお休みになっております」とかぬかしやがるので仕方なく無難そうなチーズ味を頼んだのだけれど、こいつがまた「大野まぁくんもびっくり」(謎)のトンだプリングルスであった。
 その「チャドクガの鱗粉をまぶしたぢごくポテトの様なもの」をビールでようやく流し込んだら眠くなって、気が付いたら

「蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ」

と言う九十九里浜はとっくのとうに通り過ぎて列車は勝浦の駅に。 さらにまたうとうとしているうちに終点の安房鴨川に到着。
 駅前から海へとぶらぶら。 町は中途半端に綺麗になっていて面白く無い。
 駅に戻って館山行に乗り館山へ。 この町は更に面白みの無い町で酒屋でビール2本、マクドナルドで猫の肉をパンに挟んだ食い物と揚げイモを購入。 呑んで喰ってうとうとしてる間に千葉に到着。 乗り換えてからまたうとうとしてる間に錦糸町着。
 結局、ただ無為に房総半島を一周しただけで私の日曜日は空しく終わる・・・かと思いきや友人某から「おい、温泉行くぞ。」と電話が入り、九時過ぎなのに江戸川区は船堀三丁目のあけぼの湯へ。 ここは¥380-で入れる銭湯なのに実は温泉でしかもサウナやらジャグジーやら露天風呂までありやがる凝りよう。
 都心でサウナなんて言うと「ドキッ!絵人間だらけの水泳大会」なんて事に成りかねないのだけれど、ここはそんな事も無い普通の客ばかりの銭湯で居心地も良かった。
 風呂上がりにアイスを喰おうとごそごそ物色すると「雪印オレンジシャーベット 果汁28%」と言うなんとも中途半端な物が有ったのでそいつを購入。 なかなか旨い。 まぁ風呂上がりだから当たり前なのだけれど。
 それからラーメンを喰う為に移動。 金太郎と言うその博多ラーメンの店はトンコツ臭くて麺も細くて硬くてなんとも旨い。 食いつけない人には臭くてたまらないのだろうと思うのだけれど慣れている人間にはまた別の意味で堪らない。
 更に旨かったのがここの辛子高菜で辛いの何のってもう大変であった。
 ともあれ最後の最後で報われた一日であった。 

2000-01-15 [長年日記]

_ 18キップの

残りで喜多方へ行こうと思っていたのだけれど先方に連絡するのをころっと忘れていて、夕方仕事が終わってから電話したら向こうもころっと忘れていてあえなく没。
 さらに「ムーンライトながら」も「ムーンライトえちご」も空席がなく、その日の移動は取り止め。
 と言う訳ですっぽかそうと思っていたロシア・ウクライナのカメラ及びレンズ愛好者団体「ロシアンフォーカス」の新年会へ行く事にした。
 いつもの様に早めにプリズムへ行くと既にダメな客が数人たむろしており、私の後からも陸続とやって来て次第に混んで来たので先発隊は会場である「トム・ソーヤの冒険」と言うらしからぬ名前の中華料理屋へ。
 参加者はいつもの様にダラダラ・バラバラと集まり、一定数揃ったところでとりあへず乾杯。
 普段から見なれた顔が1/3。 先日の撮影会で会った顔が1/3。 初回が1/3。
 じきに会長である所の天野氏(この人も初めて見た)が到着し乾杯のやり直し。 そして二月に撮影会をやる事、十一月を目処に写真展をやる事、写真集を作る事などがさくさくと決められ、新顔も多いと言う事で端から自己紹介をする事に。
 普通のカメラで喰い足りなくなってロシア物に流れた人が多いのだけれど、結構多かったのが「T中C徳先生の本でロシアものの事を知りまして・・。」とか「ア◯◯ィーのS崎さんのファンで・・。」言う人々で、不愉快とか嫌悪が顔に出易いタチの私はその度に顔がこわばって行くのがありありと判ったのだけれどまぁなんとか我慢した。
 で、当然私の順番も廻ってくる訳で、私が立ち上がると既に何人かがニヤニヤしている。 「えぇ、◯◯(戸籍名)と申します、職業は今の所瓦版屋で・・」とかその辺りを説明した後、「機材はロシア物の他は主にペトリを・・」とか「信頼性のないカメラを中心に・・」とか「レンズはちゃんと写らないもの、いはゆるダメ玉クズ玉を中心に。」などと言う度に会場の約半分、ダメ人間達のみがゲラゲラ笑い出し、残りの半分(C徳派・S崎派)はぽかぁんとしていた。
 狙い通りですね。 おいてけ堀です。
 わかんない人にはわからなくていいんです。
 たらふく呑んで、喰って、日付けが変わった頃帰宅。 そのまま朝迄起きていようと思っていたのだけれど、流石に無理で二時半頃寝た。


2000-01-12 [長年日記]

_ 今日も

料理。 自棄料理。

蕪は葉をとって半分に割ってから2〜3mm厚に。 セロリも葉をとって2〜3mm厚に。 赤ピーマンは半分に割って種を取ってから縦に5mm厚に。

セロリの葉を何枚かみじん切りにしてボールに。 無印の「イタリアンハーブミックス」も適当に。 これは楽なんだけど、なければバジル、オレガノなんぞを適当に。 そこにオリーブ油とワインビネガーと塩・胡椒を足して攪拌。 酢と油は通常2:1なのだけれど、今日は和えてから暫く味を馴染ませるので油の割合と塩は多めに。

全部をざくざく和えて冷蔵庫で馴染ませる。


鰹は1・くらい(一寸厚め)に切って皿に隙間無く並べる。

酒と醤油を適当に混ぜてそこにおろし生姜とにんにくを包丁の腹で潰してからみじん切りにした奴を混ぜる。

そいつを鰹の上にぶちまけて冷蔵庫で馴染ませる。

今日はビール。 軽井沢高原ビールとヨナヨナエール。

多少気が晴れた。


2000-01-11 [長年日記]

_ 図らずも

年末調整が出たのでうさ晴らしに料理。 牛スジを水から煮て、火が通ったら一旦上げて一口大に。 柔らかくなる迄ひたすら煮込んでカレーに。

マグロの切り落としはスジに沿って包丁を入れつつ刺身くらいの大きさに。 鍋にお湯を沸かして酒をたらぁ〜り、おろし生姜を少し。 そこにマグロと大量の葱を入れて暫く煮る。 生煮えも旨いんだけど今日はおかずなのできっちり火を通す。 醤油で味をととのえて出来上がり。

今日はビールではなく日本酒。 菊水の純米吟醸。


2000-01-10 [長年日記]

_

起きられず。

九時に目覚ましをセットしておいたのだけれど見事に二度寝。 気が付くと何故か部屋の中にインターナショナルが響き渡っていて、よくよく考えたら自分の電話器の着信音だった。

あたふたと着替えて、車で駅迄送ってもらって六条と待ち合わせ。

例によって例のごとく、日がな一日ぶらぶらして4時半の電車で東京へ。

いつもと違って本当にさようなら。

_ -今日のBGM-

Jane Birkin “je suis venu te dire que je men vais”(笑)


2000-01-09 [長年日記]

_ 例のごとく

昼頃起き出して昼飯。 冷蔵庫のクズ野菜とベーコンとチーズでリゾット・・・の様な物。 喰い終わってからつらつら時刻表を見ていたら17:06上野発黒磯行きに乗ればその日のうちに仙台に着ける事が判明。 時計を見ると15:46。 何だかめんどくさくなってひとっ風呂浴びてから適当に荷造りをして上野へ。 売店でチキンカツサンド、缶チューハイ、ジャワティ(瓶)締めて¥520-。

黒磯と福島で乗り換えだったのだけれど、それぞれ3分程しか時間が無く、宿泊場所の手配もへったくれも無いまま仙台着。 何とかナニやら取込み中のかみやんを捕まえて寝る場所は確保したものの、なにせ取込み中なので連絡が来る迄街の中をぶらぶらする事にした。

_ とりあへず

広瀬通りの吉野屋で並。 ¥400-。

住民の反対運動やら、一斉取り締まりやらでなくなるかとも思われたアーケードのギター小僧たちはどっこい生き残っていた。 一番町のフォーラスのあたりは国分町から流れてくる酔っ払いやヤンキーが多い所為かあまりいなくて、藤崎の前辺りから大町のアーケードに一番多いようだ。 しかしクリスロード→ハビナ名掛丁と駅に近づくにつれて人通りが減り、暗くなるにつれてギター弾きも減って行く。 やはり明るくて人通りも多い東二番丁から藤崎にかけての大町のアーケードが一番多く、50mおき位、つまりお互いの音が干渉しない程度の間隔を空けて陣取っている。

_ 多いのは

やはりゆずもどきのさわやか(風)青年で、オリジナルの物をやっていそうな奴はいなかった。 琵琶をかき鳴らして平家物語とか三上寛とかそこ迄は言わないから、せめて拓郎くらいやってほしいものだ。 同じ事を皆でやっていて楽しいのだろうか。 詰まらん。

客のいないやつらは淡々と、客・・・と言うかグルーピーみたいなのを抱えているやつらはそれをいじったりリクエストを聞いたりしながら、街灯の下で明るくさわやか(風)にやる者、暗がりで自分の世界に入る者、色々だった。 ・・・とここまで書いたところで道路向いにニット帽をかぶったにいちゃんがどっかと腰を下ろした。 何を始めるのかと思ったらブルースギター、歌無し。 なかなか上手いけど誰も立ち止まらない。 上手い下手と客の数は比例しない。

_ 日付けが

変わった頃から降り出した雨は段々強くなり、アーケードの屋根でパラパラ音を立てている。 気温も下がって来たようだ。 座っている奴より立ってギターを弾いている奴の方が多いのは寒いからなのかも知れない。 今日はいつもより厚着をして野宿対応で来ているのだけれど石の上に直に腰掛けていると流石にケツから冷えてくる。 寒いので少し動く事にして駅へ移動。

_ 東二番丁の

交差点で無気味なものを見た。 和服らしき物を身にまとい、紺色の風呂敷状のものを尼さんかぶりにした婆さんが、風呂敷包みを篭に満載した自転車をからころ押していた。 何故にからころ音がするのかと言えば後ろの車輪にはタイヤもチューブも何も無いからなのだけれど、これがまた夢野久作的でどうにも気味が悪かった。

_ 仙台駅の

構内は0:00〜4:00迄閉鎖。 西口地下自由通路は0:10〜5:25迄閉鎖。 只ひとつ解放されている駅からams西武への地下道には先住民の家屋が立ち並んでおり、香しい匂いが立ち篭めていて長時間そこにいるのはかなりきつい。 もと来た道を引き返して藤崎の前あたりで座っていたら漸く電話が入りかみやん邸へ。

_ 先ずは

ビールを呑み乍らリハビリ談義。

 「左手の親指の付け根の肉が欠落していてピント合わせがつらいんですよ」
 「だったら指立て伏せみたいに腕を立てて、人指し指と小指の間で円を描く様に親指を行ったり来たりさせるといですよ」
 「なるほろ」

 ・・・とそれから困ったちゃんの話から、写真展・写真の話だの音楽の話だのをぐたぐだと。
 このうちのCDラックはまた腐っていて、種ともこだの松岡英明だの岡村靖幸だの大江千里だの米米クラブだの千年コメッツ(一部笑、帝国陸軍の格好をして人魚の肉を喰らうと言う甘粕風味のプロモを作ったりしていた怪しいバンド)だの高校生のみぎりにはパチパチなんぞを買っていたのであろう事が良く判る偏り方で笑えた。 しかし私も「尾崎覚醒剤騒動」までパチパチを買っていたので人の事を笑ってばかりもいられない。
 そのあとは大学受験の話から高校の生徒会の話から遅刻の言い訳自慢とか大学祭の筋肉少女帯のコンサートでオーケンが例のごとく脱ぎ出した途端に来賓がなだれを打って帰って行った話とかダメな話をしつつ共産趣味だのなんだのネットの話になり、「二十一世紀まで江口◯史を愛せなかった水◯麻里」とか廃人しか判らない様な腐った話をしつつ私が出入りしてる怪しいサイトを色々と廻って・・・と言う事は掲示板の書き込みから私の裏稼業が思いきりバレて・・・ってな感じで盃を重ねつつビール2・、日本酒小瓶一本、うめ酒一本、ワイン小瓶一本が二人の胃袋に納まって行った。
 その間かみやんは「あぁ、この人だけは信用しちゃいけない・・・」とうわごとの様に繰り返していた。 何故だ(笑)
 しかしかみやんにはいきなり押し掛けた上にヤケ酒をつきあわせるような事になってしまって申し訳なかった。 自棄酒の原因は全く以て個人的な事であって、今年一発目の人生の破たんが翌日に迫っていたからであったのだけれど、そんな事をいちいち説明するのも野暮なので勝手に暴走して酔っ払って寝てしまって重ね重ね申し訳なかった。
 結局七時頃迄呑んでいたらしい。

 -今日のBGM-  ショパン 練習曲第3番ホ短調作品10の3(笑) 

2000-01-08 [長年日記]

_ 明日から

連休なのだけれど、先立つ物は無いしさしあたってやる事も無いので仙台へ行く事にした。 六条のアポを取って10日を無理くり空けてもらって寝た。


2000-01-07 [長年日記]

_ 朝から絶食

午后二時半頃から注腸検査。 ケツの穴からバリウムと空気を送り込んでCTで撮影。 一時間近くかかって解放された頃には腹一杯空気。 ふらふらのま出社して仕事。 帰ってから朝迄放屁三昧。


2000-01-06 [長年日記]

_ 明日

病院で検査をする為、今日一日食事制限。 朝、お粥、梅ふりかけ、田舎煮、味噌汁、プリン。 昼、ビスケット四つ、コーンスープ。 間食、飴2個。 その間、ジャスミン茶2リットル。

これだけで一日働いた。

帰宅してから夕食、粥、味噌汁。 その後、検便、そして下剤服用。

空腹は良いが便意がつらい。


2000-01-05 [長年日記]

_ 夕方から

新宿へ。  こういう、・・・と言うかその中のこれ目当てで、ロフトプラスワンのイベントへ行った。 物の性格上内容については触れられないのだけれど(知りたい人はリンクを貼った所で見て下さい。)、私のお目当ての部分は少々少なめで喰い足りなくは有ったがやはり面白かった。 明日から仕事なので早めに帰宅。


2000-01-04 [長年日記]

_ 明日

新宿のロフトプラスワンで行われる怪しいイベントに持って行く為、工事用ヘルメットと赤ペンキスプレーとグンゼのつや消し白と筆を買いに行った。 ペンキはオリンピックで、ヘルメットは押上駅前のうらぶれた帽子屋(店番のばぁさんは炬燵で居眠りをしていた。)で、プラカラーは道路向いの模型屋でそれぞれ購入。 しかし模型屋の店先の貼り紙には笑った。

元日から営業してます
みんなきてね
ワォーッ!!

 河原に移動してヘルメットを赤く塗装。 釣り人や河原の住民が胡散臭気に見ていて、通報されて巡査がやってきたら何と言い訳しようか考えつつ何度も重ね塗り。 家に帰ってから筆で文字入れ。
 何のイベントかは追って報告します。

2000-01-03 [長年日記]

_ 昼頃

起き出して出掛けたのは良いが荻窪も中野もカメラ屋はお休み。 仕方が無いので澁谷へ出てCDを買った。
 ボリス・ヴィアンとジェーン・バーキンのベスト盤、アナンダ・シャンカールの「リアルワールド」。 計三枚。
 ジェーン・バーキンのベスト盤は今売り出している奴は敢えて買わず、フィリップスの海外版を買った。 何にしてもそうなのだけれど流行ってしまうと買う気が失せる。 歌詞カードは折り畳みになっていて裏側は全部写真。 エロエロ。 「手切れ」と「フォードマスタング」は聴き物。
 ボリス・ヴィアンは無理矢理括るとまぁシャンソンと言う事になるのだろう。 ひねくれたやる気の無さが良い味。
 アナンダ・シャンカールは、私の敬愛するジョージ・ハリスン師のさらに師匠であらせられるラヴィ・シャンカール師とはとりあへず関係ないらしいシタール屋で、西洋の楽器と一緒にやる食べ易いインド音楽を作っている、と言うかいた人。 ・・・らしい。
「NHKのど自慢で若者向けの曲を一生懸命弾いている横森良造」と言った感じか。 こそばゆく心地よい。 「インド演歌の伴奏」みたいな。
 帰りがけに桂花で太肉麺(たーろーめん)を喰った。 私にはちょっと塩っぱい。 お釣も間違えやがったので多分二度と行かない。
 地球環境に優しいリサイクル企画「掲示板長屋」を始めた。


2000-01-02 [長年日記]

_ 一日中

パソコンの前に座ってああでもないこうでもない、と、いぢくりまわして日が暮れた。

その時々で読んでいる本に引きずられてしまうので自分の文体と呼べる様なものは無いのだけれど、それにしても最近キレの無い文章になっている様な気がしてならない。

脳味噌に考える力が無くなって来ている様な気がする。


2000-01-01 [長年日記]

_ 十時頃

起き出してぼーっとしていたら絣の着物に赤い手編みのショールを羽織った六条がお年始にいらした。 暫くすると仕事に行く途中のわたりょも顔を出して部屋を出る際の諸注意をレクチュアして行った。 その後、わたりょは仕事、わたしと六条は愛宕神社へ初詣。 天気が良くて風も弱く、人も少なめでのんびりと御参りする事が出来た。 初詣ででおみくじと言うと碌な思い出が無いのだけれど、六条の引いたおみくじは大吉、私は小吉。 初詣でで一緒に行った奴が大吉を引いたのにも碌な思い出が無く、さらに私の引いた小吉にも嫌な事ばかり書いて有ったので、腹いせに鐘を思いきりぶっ叩いて帰って来た。
 部屋を片付けてゴミを出し、荷物を纏めて仙台駅へ。 「ちょいとお茶でも」と入ったドトールで結局2時間以上居座り、気の滅入る様な話をたっぷりとして、新年早々煮詰まっている六条をのこして東京へ。 見事に罰が当たって宇都宮から大宮迄新幹線でワープしないと最終に間に合わない羽目になりつつ、日付けが変わった頃漸く我が家に辿り着いた。


1999-12-31 [長年日記]

_ 昼頃

ごそごそ起き出して散歩。五ッ橋からフォーラスの辺りをぶらぶらして本を買い込んで夕方迄部屋の中でごろごろしていた。

夕方からバクさんとことぶき氏がやって来て飲み会の準備。 肴は「海鮮チゲ」と「鶏だんごシチュー」。

鍋をつついているうちに六条、わた虜、ニッパーくんがやってきてだらだらとのんでいると「日付けが変わる迄に仕事が終わるかどうか微妙である」とひたひたから電話が入ったり「今仕事が終わりました、行かれません」とM田くんからも電話が入ったりして世の中の世知辛さもつまみに加わった。

悲劇は十二時過ぎに起こった。 漸く仕事を終えて会場の入り口に辿り着いたひたひたの前に暗証番号を入力しないと入れないオートロックの玄関が立ちはだかり、おりしも回線がパンクしかけていたPHSは繋がらず、結局リダイヤルしつづけること三十分。 やっと電話がつながって、中に入った頃には顔からは血の気が引き、目は血走って恐ろしい形相になっており、あわてエサを与えて御機嫌を伺った。

結局3時頃にお開き。 元朝参りもへったくれもなくとっとと寝た。


1999-12-30 [長年日記]

_ 目覚ましは

セットして置いたのだけれど見事に二度寝してしまって起きたのは6時過ぎ。 とりあへずトイレに入り、便座に腰掛けて一発放屁したらひたひたに渡すレンズを忘れていた事を思い出した。 危ない危ない。

そんなこんなで北千住駅から常磐線に乗車したのは七時頃。 北に行くに連れて車内が暖かくなって行くのが面白い。 寒い土地程、車内の暖房を強くするようだ。

_ 2時過ぎに

仙台着、とるものもとりあへず駅前アメ横ビルのウンノカメラを覗いて変なものが出ていないかどうか確認してから、ろうきんギャラリーでやっているバクさんの写真「彼岸」へ。 相変わらずな状況なのでリンクは張りませんがバクさんのホームページに詳細が載ってます。

写真の方は地下通路とか砂浜とかのいつも感じの物なのだけれど、印刷物やブラウン管で見るよりもオリジナルプリントを見た方が良いのは当たり前の事で、焼き付けやフレーミングの微妙さ・厳密さが物凄く、凝視し過ぎて目が疲れた。 「良かったのか、悪かったのか?」と聞かれれば「良かった」と答えるよりほか無いのだけれど、どうにも凄すぎてパクり様の無い写真ばかりで気分は陰々滅々としてきて正直疲れた。 久しぶりに濃い写真展を見た。

_ 気分転換に

わたりょ・六条・ことぶき氏と「アンチックカメラ・時計の店、珍味屋よっちゃん」へ。 この怪し気な店の話は前々から聞いてたのだけれど、私が行くといつも閉まっていて、実際に中に入るのは今回が初めてだ。
 掘建て小屋に毛が2〜3本生えたような店の中には客が3人入るともう一杯で、4人で行ったが為にK嬢と店のおばちゃんは店の外で延々立ち話をする羽目になった。 店内は缶コーヒー温め器や食器棚の中に胡散臭いカメラが文字どおり鮨詰めになっていて、事務机の上にもいじりかけのカメラがてんこ盛り。 首から下げて行ったペトリに敏感に反応した親爺はとっかえひっかえ色々な変なものを出してきて、しかもそれらがいちいち凄いので二時間近くダメなカメラの話をして、結局何も買わずに帰って来た。
 ・・・というか買おうにも値札なんざありゃしねぇし、ことぶき氏がペトリの値を聞くと「未だ決めて無い、来年になったら決まるんじゃ無いか」と言い出す始末。 私も色々な変な店には行ったし、普段行っている店も狭くて商売っ気の無い店だけれど、この店は私が今迄に見た中でも一番狭くて、胡散臭くて、商売っ気が無くて、居心地の良い店であった。
 普通の修理屋が嫌がるペトリとかの安いカメラでも修理してくれるとの事なので、今度調子の悪いペトリを大量に持ち込むつもり。
 場所は仙台市内、国分町の辺り、リンクを張れないのでひとん家から勝手に引用すると

「フォーラスのある交差点から、広瀬通りを西公園方面にてくてく歩こう。 吉野屋、ホテルリッチ(こないだツブれた)を過ぎて、北上京だんごで右に曲がる。 プロラボクリエイトの先。 公済病院の先の交差点を通過してすぐ左を見ると、ほらほら、オレンヂ色の看板が目に止まるハズ。 中のカーテンが閉まってたら・・・残念、また来よう。 もしも開いていたら、おじさんかおばさんがいるはずなので、気軽に挨拶でもして入ってみよう。」
(C)ひたひた

 平日の午后から営業。 日曜と祝祭日は休み。

_ 写真展の

撤収が終わってから借りたウィークリーマンションで打ち上げ。 鍋をやろうと思っていたのだけれど面倒になって買って来たお惣菜を肴にまったりと飲み会。 参加者は私、バク、ことぶき(自分の人生の墓場の穴掘りに出掛けていた為途中から参加)、星、わた虜、六条。 告知が遅れたので帰省しちゃったり、連絡が取れなかったりしてこじんまりしたのみ会になったが、部屋も狭かったので丁度良かった。


1999-12-29 [長年日記]

_ とっとと

寝ようと思っていたのにBSでやっていた映画を最後迄観てしまい、結局寝たのは二時半過ぎ。


1999-12-28 [長年日記]

_ 朝から

病院へ。 形成外科で手の具合を診て貰った後、消化器内科で診察と検査予約。

却って悪化して来ている様な感じだ。


1999-12-27 [長年日記]

_ 仕事納め。 午后から大掃除。 その後高田の馬場で忘年会。

店がどうのとか、味がどうのってのは言いっこ無しって事で。

飲みたく無かったのだけれど、結局飲まされた。 とほほ・・・。


1999-12-23 [長年日記]

_ 入社以来

初めてこの日が休みになった。 昼過ぎに起き出してとりあへずお茶の水・神田へ。

明大の新しい建物はなんだか大学らしさが無いと思ったらゲバ字の踊る立て看板が一つも無い。 これはいただけない。

明大脇の坂を下りて神保町へ。 予備校の頃から行っているカリスマとんかつ屋はいつのまにか代替わりしていて、若主人が元気に働いており、当分潰れない様子で安心した。

ここの先代の爺ぃの何がカリスマなのかと言うと、ふだんは風采の上がらない爺ぃなのに、混雑してくるとガラリ人が変わって気配で客の行動が読める様になり、椅子席に座ろうとした客を揚げ油を睨んだまま「今日はカウンターだけだよ」と脅しつけたり、菜箸を使うのがまどろっこしくなると素手でとんかつを揚げ始める始末。 引退しちまったのか、どうなのか、この日は店にいなかった。

肝心の味の方もなかなかの物で、値段はと言えば、丼めしにしじみ汁、山盛りの線キャベツとスパゲッティのケチャップ和えの上にとんかつが鎮座ましまして十年前から七百円ぽっきり、濃いお茶も一杯付く。 赤身とロースが選べる。 ちなみに海老フライ八百円、カキフライ八百五十円。

食欲を満たした後三省堂へ。

平賀源内捕物帳、久生十蘭、朝日文芸文庫

酒場漂流記、なぎら健壱、ちくま文庫

くわんおん、水原紫苑、河出書房新社

を購入。

_ このあと

荻窪のプリズムへ。 店でいつもの様にぐだぐたしたあと、良い人悪い人ダメな人取り混ぜ、総勢八人で駅前の呑み屋「かみや」へ。 鮟鱇鍋、鱈鍋、牡蛎鍋、キムチ鍋、その他各種つまみを餓鬼の様にぱくつきつつ、デンキブランを飲み、飲んだ。 開いたボトルは2本半。 残りはキープされた。

翌日は案の定宿酔。


1999-12-19 [長年日記]

_ 昨晩

と言うか明け方二時過ぎに寝たと言うのに6時半過ぎに起き出して出かける準備。
 大阪からわざわざお出でになるカボさんを連れ回して日がな一日東京散歩。 バスが四十分以上早く着いたり、当人は時計を持っておらずその事に全く気付かなかったり、待ち合わせた新幹線の出口が実は三つ有ったり、すったもんだはあったものの、とりあへず中央線で国分寺へ。 この駅のホームにはいつも焼き立てパンの香りが充満してるのだけれど未だにどこにパン屋があるのか知らない。
 それはさておき、国分寺で西武線に乗り換えて二駅、鷹の台へ出て、玉川上水っ縁の道をぶらぶら。 適度に踏みこなされたふかふかの落ち葉が心地よい。 どこからか落ち葉焚きの薫りも漂ってくる。 あれこれ話をしつつ、歩き疲れた頃に五日市街道にぶつかり、ここからバスで武蔵小金井へ、さらに駅前でバスを乗り換えて江戸東京たてもの園へ。 少々疲れたので高橋是清邸の日当たりの良い縁側であんみつを食しつつカメラと写真の話をひとしきり。 下町の建物をあれこれと見つつ写真を撮りつつぶらぶら。 饂飩を喰ったり、カメラの構え方をレクチュアしたりしつつ農村の方へ移動。
 実家が農家だとの事で、いたく藁葺き屋根の家3棟に興味を示され、丁寧に露出を計り、丁寧にピントを合わせ、丁寧にシャッターを押していた。
 ここの良い所は誰しもがそれぞれの懐かしい建物を見つけてぼーっと出来る事なのだけれど、この日は丁度客が少なく、天気が良く、風も弱かったので思う存分ぼーっと出来た。
 日暮れ前にもう一箇所。 赤羽の先、荒川の岩淵水門へ。
 この辺りは荒川と隅田川が分かれる所で、新河岸川を含めて3本の川が文字どおり「川」の字に流れていて兎に角だだっ広く河川敷が広がっている。 水門の脇の公園のベンチに腰掛けて陽が落ちる迄ぼーっとしていた。
 いい加減さむくなって来たし、時間も時間なので四ッ谷に移動して怪しいラーメン屋で巨大なワンタンがゴロゴロ入ったワンタンメンを食べてもらい、駅前でコーヒーを飲んでさようなら。 こんなんで良かったらまた来て下さい。
 そして私は怪しいイベントを観覧しつつビールを飲む為に歌舞伎町のロフトプラスワンへ。 終電近くに帰宅。 さすがに疲れたのでとっとと寝た。


1999-12-18 [長年日記]

_ 6時半に錦糸町駅南口で飛良泉先生と待ち合わせ。 

 「早く着いてしまっら、駅ビルの上に中古カメラ屋と本屋が有るから・・・。」と言っておいたら、お互い早く着いてしまってカメラ屋の前ではち合わせ。
 行こうと思っていた餃子屋は見事に閉まっていて、どこにはいろうかさんざうろうろした後で漸く入った炉端焼き屋は、酒は色々有るもののつまみが不味く、川えびの唐揚げならぬ川えびの生揚げが出て来たりして少々興醒め。
 話題は、と言えば、T北大院生Sと最近ついに決裂したとの事でそのあたりの胸くその悪くなる様な話と、大学の自治会・学友会時代の胸くその悪くなる様な話と、それに絡んだ代々木の黄色い人たちとか信濃町の赤・黄・青な人たちとか中◇とか◇◯とかの胸くその悪くなる様な話と、その他諸々の胸くその悪くなる様な話で盛り上がりつつ盃を重ねた。 飛良泉先生は今回も謎の連れを帯同しており、この人もなかなか変で面白く、我々の怪しく低俗な、例えば「ほりのぶゆきの最高傑作は『もののふの記』所収の“ぎやまん侍”である。」などと言う会話にも嫌な顔ひとつせず、かといって某ひたひたの様にそれを聞いてげらけら笑い出すでもなく、淡々と盃を重ねていた。
 一軒目を二時間で追い出された我々は村さ来の看板を見つけていざ入ろう・・・と思ったら店が二階に有る事が判明し面倒になったので一階の何だか良く判らない居酒屋に入った。 ここでひとしきり胸くその悪くなる様な話を続けているうちにふらっと厠に立った連れのYさんは文字どおり雪隠詰めになってしまい、先生が偵察に行ったら「動く気配がしたから」と戻って来て、暫くすると口の端に「お弁当」をつけたYさんも戻って来てとりあへずお開きに。 時々ふいに正気に戻るもののあとはクタクタになってしまったYさんを捕まえた宇宙人のごとくホーム迄引き摺って行って、お二人をお見送り。 帰ってメールチェックして寝た。


1999-12-17 [長年日記]

_ 仕事帰りに

新宿へ。 この間燃えてしまったしょんべん横丁は、焼けなかった南半分はしぶとく営業しているものの、北半分は焼跡が封鎖されたままになっている。 元通りに・・・って訳には行かないと思うが、余りきれいにしないでもらいたい。
 そんな光景を横目で見つつヨドバシへ。 行く度に棚割が変わっている為、目ざす商品が見つからない。 3回くらいうろうろ回って、漸くアイワの56キロモデムを購入。 ポイントが溜まったのでついでにフィルムを購入。 
 学研から中古カメラ買い方ガイドだかなんだかが出たけれど相変わらず酷い。 版形が大きくなってカラーページを増えているが中身はお粗末で、・・・って、何に怒っているかと言えば、まぁ、ペトリ絡みなのだけれど、ライターが手持ち機材を見せびらかしてるだけで操作感・写り・流通状況などは殆ど書かれていない。 中古カメラ店紹介も提灯記事の臭いがする。 パラパラめくっているうちに厭になってしまって中身を精読した訳では無いのであまり無責任に貶す事は出来ないのだけれどお薦め出来る本では無い。

 と言う訳で今日から56キロモデム生活です。 気分的にはかなり早くなった様に思える。


1999-12-16 [長年日記]

_ 午前中

病院へ行って来た。 消炎・鎮痛薬と神経のクスリと胃薬を処方してもらい、仕事の部署も多少楽な方に変えてもらった。 年内はなんとか乗り切れそうだ。

_ 残業のあと

プ◯ズムへ。 ゼニットIR 100mm/f1.5と付属ボディであるミノルタα-7000を購入。
 ついでにひたひたに頼まれていたゼニター16mm/f2.8も購入。 ゼニットの100mm/f1.5はノクトヴィジョン用の物を改造した物で・・・って、この間かいたとおもうけど、まぁ、そう言う物です。 メリットは兎に角明るい事とコ−ティングが怪しく青い事で、デメリットは最短撮影距離が5mと長い事、絞りリングに目盛りが無い事。 しかし5mは意外に近い事が判明、結婚式とか怪しいイベントの撮影には良さそうだ。

_ 帰りに

「春木屋」で初めてラーメンを喰った。 もっと威張った店だと思っていたのだけれど意外に客あしらいも丁寧で、ラーメンも旨かった。 非常にオーソドックスなラーメンなのだけれど非常にバランスが良く、似た味の他店のラーメンが如何にバランスが悪く尖った味であるかが判った。 けなす隙の無い味。

_ 潜在的な物が

顕在化したからと言って、状況が急に良くなったり急に悪くなったりはしない。

ただ、もう元には戻らない。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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