江戸川橋のギャラリー NIWへ。
モデル主催の写真サークルの写真展。
一寸厭な予感はあり、その正体を確かめに行ったようなところはあったが、厭な予感そのものが其処にはあった。
このギャラリーは手前から三部屋に分かれており、おおよその写真展は中央の部屋を受付とか物販に使い、関係者はここに居ることが多いのだけれど、そのようには使われていない。
一番奥の部屋に入ると、中央にテーブルを設えてお茶会の最中。
もはや写真を見て回れる状態ではなかった。
写真を広く見せる為ではなく、仲間内で見せ合う為の催し。
客が来ることを想定していないからこそ、動線を塞いでお茶会が出来る。
モノクロに特化した出品者の作品が気になったが、もはやじっくり見る気も失せたので早々に退散。
閉じた内輪のお祭りなら、閉鎖空間でやっていただきたい。
客観的に場をコントロール出来る、状況を引いてみられる人がいない写真展は、得てしてこうなる。
フォトテクニックデジタル主催の私家版写真集を募った公募展の入選者による写真展。
写真集の公募展なので、出品作のパネル展示の傍らには入選した写真集が置かれる。 規模の割に観覧者の滞留時間が長い、濃密な写真展。
午後にトークショーが入っており、それを外して見に行ったのだけれど、トークショーからそのまま残った人が多かったようで、写真を見るでもなく写真集のページを繰る訳でもない、「出品者と語らう」目的の人々で溢れていた。
こうなるとじっくり見られるような状況ではなく、目当てのカメラマンの最新作と目に付いたものを見ただけで退散。
滞留時間が長くなる事を考えて展示スペースを考えておらず、そもそもが手狭なところに写真を見るでもなく写真集を手に取るでもない人々が屯していれば写真を(写真集を)見るどころではなくなるのは目に見えている訳なのだけれど、主催者側にこの状況を客観的に見てコントロールしようとする者がおらず、見る環境としては最悪と言って良い。
見れば語りたくなる写真であり写真集であるのは判るし、自作について語りたくなるのも判る。 私も聞きたい。
然し乍ら、他の出品者の作品の前を塞いで自作を語る会を開いて仕舞うなどと言うのは論外。
広く見て貰う為にやっている写真展で「閉じた仲良しクラブ」「出品者の為のお祭り」みたいなことを始めたら邪魔にならない方法を考えたり交通整理したりするのが主催者の仕事。 それが全く出来ていない。
写真集ではなく、写真展が悪い意味で私的なものになってしまっていた。
ちなみに目当てで見に行ったのは錦織智の新作で、こちらの出来は素晴らしかった。
七時過ぎに開場着。 もう少し時間を潰してからとも考えたが、如何せん寒い。
今回から各所で配布しているクリアファイルを持参するとそれがチケット代わりになるシステムが始まる為、受付担当者にも周知していた。
クリアファイル効果は目に見える形で出ており、開場する直前で50弱。
開演してからも増えていたようなので、実数としてはもっと行っていたのではなかろうか。
先ずは見て貰ってナンボなので、集客が多いのは喜ばしい。
前の番組が終わってから開場までに15分しかないので入れ替えやら音響の調整やらリハーサルやらでバタバタするのは仕方の無い事で、五分ほど遅延して開場。 開演は更に遅れた。
影アナは石川。
石川なりの味付けで硬い文面の諸注意や免責事項も柔らかく。
今回は人気投票で決まった順位でのセットリスト。
手持ち楽曲のすべてをやることにはなるが、投票の結果はメンバーも知らされておらず、スタッフがインチキDJ的に曲名を発表して初めてメンバーも客も次の曲がなんだか判る。
立ち位置でバタバタはするものの、振り付けと移動は頭にも身体にも染み着いており、目立ったトチリは無い。
途中で一曲新曲も披露。 まだ遣り慣れてはいない硬さはありつつも、既に人前で演って金の取れる出来にはなっていた。
神咲の振り付けに柔らかさが出てきた。 正確な動きの先にあるものを掴みつつある。
勢い余って一寸逸脱するところもある別所。 それもご愛敬。
石川は体調も精神状態も悪くはなさそうで安心した。 弱みを見せまいとする営為が完璧すぎて、煮詰まると atmosphere に出ることがある。
杏斉の歌が新境地。 心浮き立つような楽しさを聴く者に与える。
道地は情熱と冷静を同居させ、意識を半歩引いたところに置いたように客を煽ったり弄ったり。
煽ると甲高い声になりすぎて何を言っているのか判らなくなる宮瀬。
そのあたりを含め、宮瀬ファン某氏と話すと「楽しそうだからまぁ、いいんじゃないでしょうか。」と言うところに落ち着く。
上位に来るのは盛り上がる系統の楽曲。 聴かせる系統の楽曲の出来も良いのだけれど、現在の客の殆どが「ライブに来る客」なので、これは仕方がない。
私は一位になった「星空ディスティネーション」と七位の「メリーゴーランド」が好きなのだけれど、どちらもベースラインが変態的なまでに唸る。
良く出来ていて、且つよくよく聴くと「どうかしている」。
そう言う曲がもっと聴きたい。
只でさえ押し気味の進行のところへ持ってきてインチキDJ風のMCが長いのが結構なダレ場だったのだけれど、急に「これを遣れ」と言われて即応できる練度を目の当たりに出来たのは良かった。
次回はカバー公演とのこと。
二週間で何処まで煮詰めて自家薬籠中の物とするか楽しみである。
祐天寺のギャラリーカフェ的なお店で開かれている写真展へ。
フォトクロームは話せば長くなるがペトリカメラが製造を請け負い、すったもんだの挙げ句販売はされずにお蔵入りになり、何かの切っ掛けで世に出てしまった謎のカメラ。
販売されなかった専用のフィルムを使う構造上、当初の仕様では撮影できず、物好きが魔改造して撮影できるようにしてある。
ペトリカメラ盲目的耽溺期(ロゴの入ったシリカゲルすら集めていた)に買うか買うまいか悩んで、結局買わなかった曰く因縁のあるカメラ。
私には「撮る工夫」が思いつかなかった。
それを使えるようにしてしまったという事は、少なくとも私より業の深い道楽者であり、出来上がった写真も、矢張りどうかしていた。
突き抜けた道楽は面白い。
元々は大名刺判くらいの専用印画紙に直接カラー印画するものだったようだが、前述の通りブローニーであったり35mmであったり、フィルムを使えるようにしてある。
レンズは100mm/f4.5。 三枚玉らしく、アウトフォーカス部分は結構暴れる。
ここまで暴れるなら買っておくべきだったかもしれないなどと後悔もしつつ、もう暗室は閉めてしまったので後の祭り。
写りは矢張りペトリ。 カラーだと、ペンキを塗った部分、ビニール、雑草など、庶民の身の回りにあるようなものがそれらしい色で写り、モノクロだと力弱く柔らかい写り。 締まった黒を出しているプリントも有ったが、焼きで苦労したのではないか。
ギャラリーカフェなのでコーヒーを一杯いただいていたら、旧知のカメラ仲間が入ってきた。 常連らしい。
どうかしているカメラを使ったどうかしている写真展だったが、常連もどうかしていたので安心した。
また伺いたい。
衛藤美彩の乃木坂46加入以前の活動がこの写真集で現在に繋がり、肯定された。
私の好みからは外れるが、衛藤美彩にとっては意味のある仕事であったと思う。
「写真集としての見せ場として水着もあります」的な乃木坂メンバーの写真集にありがちな取って付けたようなものではなく、水着やそれに類するものを纏ったカットふんだんに有り、「そこから先」も有るのだけれど、その前後にも紙幅を割いているので唐突さは無い。
ミスマガジン時代からの積み重ねもあり、衣装の布面積の多寡で表情がブレないのは流石。 美点を強調して粗は隠す身のこなしも見事。
ただそれはカメラに対して常に一寸構えているからでもあり、正体を現さないしたたかさには感嘆しつつも、演出の入った「見せるための表情」が多い物足りなさも感じる。
これは求められる自分を演じた衛藤美彩の責任ではなく、「講談社的、あまりに講談社的」な写真集としての構成上の問題ではあると思う。
次があるとしたら、予め作った物語に当て填めて作る「講談社的な文法」からは外れた、衛藤美彩そのものを撮った写真集が見たい。
ポッカリ穴が開いてしまったタイミングでnotallの定期ライブが迫り、予約クリック合戦に参加したら何とか撮れそうな番号だったのでカメラ担いで押上へ。
「後半四曲は撮らないで見てね」との事だったが、一寸厭な予感がしたので念の為軽装備。
予め整理番号が判っているのと、訳知りが多いのとで、発券も入場もスムーズ。
撮る人見る人踊る人、趣味嗜好は様々ながら、自分が過ごしやすい場所に陣取るので、予約番号が若くても前には行かない人も居り、予約30番台でも何とか撮れる位置には就ける。
衣装はTシャツをリメイクしたもの。 同じTシャツからメンバーの個性に合わせて手を入れてある。 この辺りは渡邊ちこの仕事であろう。
前半は楽しかった、見せる聴かせるのバランスが良く(田崎礼奈のマイクが死にかけのままだったのはいただけないが)、見る人撮る人踊る人、それぞれがそれぞれの楽しみ方で過ごしていた。
後半四曲で状況は一変する。
「カメラは仕舞って、『見て』下さい。」と言うのを私は字義通りとって「真に受けた」訳であるが、「見て下さい」は「沸いて下さい」と言う意味であった。
舞台の上から拳を突き上げるように促されるまでは良かったが、客同士で肩を組んで大声を出すよう強要する客からの同調圧力が強いのには閉口。
身の危険(機材の危険でもある)を感じるくらいになってきたので後方へ退避すると、盛り上がった光景を撮ろうとPA席からスタッフが降りてきた。
そこから見ていたのでは、一生涯判らないだろう。
舞台の上からは、またPA席からは「盛り上がった」状態に見えたかもしれない。
しかし、その盛り上がりの渦の中では虎の子のカメラ抱えて怯える者、のんびり見るつもりが狂騒に巻き込まれて当惑する者、執拗に肩を組むことを迫られる者、楽しいだけではない様々な光景があった。
私は「逃げやすい場所」に「逃げやすい装備」で居たから逃げおおせることが出来たが、重装備で奥の方にいたら、それこそ軽い地獄。
「撮らないでね」と言う要請は守った。 しかし、のんびり見る自由まで取り上げられるとなると私は受け入れられない。
「肩組み同調圧力」の強い現場は「どんな楽しみ方も許容される現場」では既に無い。
アンコールの声が響く中、これ以上ここに留まっても楽しく過ごせないのは明らかなので退出。
おかげで終バスには間にあった。 塞翁が馬。
最前列仁王立ちで撮りっぱなしと言うのは私もどうかと思うし、撮影に制限を掛けたいのも理解は出来る。
然し乍ら、行きすぎたそれは気軽にのんびり見たい客も排除することに成ることは忘れないでいただきたい。
見かけ上の「盛り上がり」を重視して、そちらを好む客層に沿ったライブの構成にして行くのであれば、撮ること見ることを好む者は「招かれざる客」であるので、静かに引いて行く。
「みんなでプロデュース」の "みんな" からは員数外であるのであれば、まぁ仕方がない。
期待していなかった。
被写体としての若月祐美には、これまで取り立てて魅力を感じたことはなく、桑島智輝の写真を週刊ヤングジャンプの編集力で見られることを期待して購ったと言うのが正直なところ。
しかしこれが侮れない出来の、座右に置いて何度も見返したくなる写真集であった。
集英社だからこれで良しとしたのかもしれないが、水着は無し。 下着のカットはあるが、全体は見せない。
ベビードールとショートパンツでベッドの上に背を向けてぺたりと座り、脱ぎかけながらこちらを向いて微笑む。
そう、仄めかすだけで良いのだ。
「秘すれば花」である。
見せないから見せている、見えないから見えている。
隠してこそ見えてくるものがある。
若月佑美は見ることを促すような扇情的なポーズは取らないし、布面積の少ない衣装でも何処かしら隠して全貌を見せない。
然し乍らカメラを見つめる表情は無防備極まるもので、幾ら肌を見せたところで決して見えてこない、「商売用ではない若月祐美」の部分を出し惜しみせずにカメラの前に晒している。
甘美な毒である。
桑島智輝と言うフィルターを通してより純化した若月祐美が目の前に現れるような、畏れすら感じる生々しさ。
撮影者として透明なので、カメラの前で裸になる以上の「素」を晒していても、不思議と嫉妬の感情は起きない。
若月祐美は殊更表情を作らないのだけれど、暑ければ暑いなりの、疲れたなら疲れたなりの、眠たければ眠たいなりの顔を見せる。
それを桑島智輝は上から下から、左から右から、寄ったり離れたりしながら切り取る。
若月佑美の姿とともに、木立や彫像、食べかけの果物、お菓子の袋、脱いだパーカーetc...
撮影行の中で若月祐美が関わった様々なものが記録され、収集されている。
そしてそれらが若月祐美の過ごしたスペインの旅を、立体的に見せてくる。
若月佑美は遠からぬ未来に乃木坂46と言うグループからは離れて新たな人生への一歩を踏み出すだろう。
もしかしたら永遠に我々の前からは消えてしまうかもしれないし、そうはならないかもしれない。
未来は不確かであるが、2017年の一時期の若月佑美は、永遠を閉じ込めた一瞬として写真と言う形で固定され、見返すことが出来る。
この写真集を手に出来た人は、幸せである。
入場受付開始の少し前に開場へ。
来れば確実に入れる状況なのを分かっている人々はのんびりやってくるらしく、開場時間近くになって人が増えてくる。
影アナは神咲くるみ。 文言のテンプレートはそのままだが、神咲なりにかみ砕いて読もうとしており、印象は柔らかくなった。
三分ほど押して開演。
出囃子が鳴り終えて、一曲目の「きゃわふるTORNADO」で飛び出してくる。
そこから約一時間ノンストップで手持ち楽曲総棚浚え。
「きゃわふるTORNADO」で始めて「きゃわふるTORNADO」で〆る構成。
ファンデーションを塗ったところと塗っていないところと、上気した肌とのコントラストがくっきりとするくらいで、呼吸器循環器に掛かる負担はかなりの物だと思うが、最後まで目が活きており、流石に最後の最後はヤケクソ気味だったが、歌声も振り付けも特には乱れなかったのは見事だった。
道地文子は過渡期の髪色。 極端に走ると伸びたときの違和感が激しいので、上手いこと落としどころを見つけて欲しい。
宮瀬しおりの「突き詰め方」が面白い。
沈み込んでからせり上がる動きなど、支える筋肉に負荷が掛かり、ともすれば早くなりがちな部分を敢えてゆっくりと。
すぅーっと動いてピタリと止めて、止めた位置を保つ。
このあたりの動きをきれいに見せる手法は日舞の技術としてあるのだけれど、恐らく宮瀬は別方向からのアプローチでこの技術を会得。
被せが強いオケの曲でもマイクは生きており、手抜き無しで歌わせていることがハウリングで判る。
ハウリングが起きた際に「先ず自分のマイクを疑う」ことがきっちり仕込まれている。
レッスンでしっかり「合わせて」いるのだと思うが、自主練習多めのグループにありがちな振り付け解釈の独自進化が見られず、それぞれの味は殺しきらずに刈り込んで見せているのが良い。
ソロパートが各メンバーに割り振られ始めてしばらく経ったが、不得手な方に意識が行きすぎて得意な物が疎かになることもなく、歌と振り付けがぴったり合ってきた。
最後に挨拶だけして退場して行ったので退出しようと思ったら客電が点かず、なんだろうと訝しんでいるうちに何やら告知ビデオが始まった。
長野県まで行って何故か恵那山に登ろうとして道を間違えて別の山に行ってしまい、登り直して時間切れというよくわからない内容。
まぁメンバーの人間性が炙り出されて面白くはあったのだけれど、些か長がかった。
簡単に纏めると一周年のライブを満員で開催するために様々な仕掛けを行っていく告知。
六人のメンバーが迎える一周年と言うことで、365×6=2190。
そこで標高2191mの恵那山で決意表明のVTRを撮るという企画だったようだ。
この手の企画は、兎角メンバーに負荷を掛けて、失敗するとペナルティーを与えたりすることが多いが、2190社に手紙を書いてオファーの有ったところに出向いてライブをやるなど、裏方も下準備で汗をかく企画になっているのは良い。
上手く行きますように。
む
伊藤紗治子
表紙と巻頭7ページ12カット、見開き1箇所。 撮影は桑島智輝。
歯見せ笑顔一辺倒で表情に幅も階調もないのを、桑島智輝が寄ったり引いたりしつつ背景で絵を作って填め込む。
陳腐に成りすぎず、写真の邪魔もしない。 キャプションの入れ方も割付も良い。
裏方が寄って集って盛り立てて成立させた7ページ。
加藤ナナ
巻頭5ページ12カット、見開き1箇所。 撮影はTakeo Dec.
表情は些か単調だが、カメラと向き合えているのは良い。
水着的ななにかは纏いつつ、扇情的に見せない衣装とポーズ。
良く出来ている。
くるみ
巻末6ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
これが見たかった。
光を柔らかく回しつつもあまり明るくない屋内、絞りを開けて撮ってピントは浅く、コダクロームのような濃厚で暖かみのある色合い。
ファッションだけでなく広告のモデルもやっているからか、自分を見せることも出来るし、作られた絵の中に構成するパーツの一つとして填まることも出来ている。
モデルとカメラマンと仕事の幸せな出会い。
今年のヤングジャンプのグラビアの中でも最良のものの一つ。
Niki
巻頭9ページ24カット、撮影はTakeo Dec.
カメラを向けられることには慣れていて、カメラマンが切り取るに任せている。
しかし全ての表情に作り物っぽいところがあり、そつなく振る舞えてはいるもの、面白味もない。
私が日差しの強い時間帯の浜辺で撮った目の死んだ写真を好まないのもあるが、埋め草としては及第点だが実に詰まらない9ページだった。
斎藤みらい
巻末6ページ14カット、撮影は kishimari
後加工でソフトフォーカス感を出した安直な撮影手法。
表情も切り取り方も単調。
写真としては退屈窮まるが、並べ方が上手い。
どうしようもない写真だが、そのどうしようもない写真で6ページ持たせる編集の仕事には見るべきものがある。
Aqours
巻頭・巻末合わせて12ページ37カット、見開き1箇所。 撮影は唐木貴央と中山雅文。 但し、どれを誰が撮ったのかは不明。
顔の出る芝居もする人と、顔の出ない芝居を主にする人が混在しているので、写真映えと言う点でも落差が有りすぎる。
「誰を」「何を」基準にするか曖昧なまま束で撮らされる悲劇。
これで良い人が多いからこの座組でグラビアが何本も組まれるのであって、需給のバランスは取れているのだろう。
松川菜々花
巻頭6ページ15カット、撮影はTakeo Dec.
太陽を背負わせようが何しようが眩しいものは眩しい。
眩しいのを我慢したり、我慢しきれなかったりしたカットのみで構成した何かの嫌がらせのような15カット。
アンジェラ芽衣
巻末4ページ15カット、撮影は桑島智輝。
珍しく「人の悪い桑島さん」。
肉感的な部分をブツ撮り的に強調。
それでも下卑て来ないのは流石。
齋藤飛鳥
巻頭7ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
寄りでも引きでも絵を作れているのに驚く。
被写体が安心して撮られている。
商売用の部分ではない齋藤飛鳥まで含めて信託して撮り方をカメラマンに任せており、カメラマンの方もそれに応えている。
互いにとって幸福な仕事なのでは無かろうか。
このコンビの(出来れば今度は集英社で)纏まった写真が見たい。
被写体と撮影者(そして編集者が)上手く噛み合った仕事。
川崎あや
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
秋のアクティブハイレグ祭りとのことで、そちらに特化したグラビア。
下世話だが下品ではない程の良さ。
内田理央
巻頭8ページ18カット、撮影は桑島智輝。
連載マンガの人気キャラクターに扮してのグラビア。
そちらに寄せた部分と被写体本人を見せる部分と上手く分けて折り合いをつけており、内田理央も上手く演じ分けて地続きだが別のものになっている。
橋本梨菜
巻末4ページ8カット、撮影は藤本和典。
黒いのが売りなのは判るが、撮り方に作意が有りすぎて興醒め。
澤北るな
巻頭7ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
下駄を履かせられた感はあり、売り文句ほどの魅力は感じないのだけれど、確かに前回よりは良くなっている。
歯見せ笑顔以外の部分は悪くないが、指示がないと同じ笑顔しか手札が無いと言うのは、この仕事をするに当たって致命的な事なのではないか。
今田美桜
巻末5ページ10カット、撮影はTakeo Dec.
商店街で撮ったカットと水着では、やはり表情に硬軟が出てしまっているのだけれど、硬いは硬いが肚を括ったようにも見える。
羞じらいと覚悟のバランス。 悪くない。
若月祐美
巻頭7ページ15カット、見開き1箇所。 グラビアの後に写真集の広告12ページ、オマケピンナップ付き。 撮影は桑島智輝。
「初の下着云々」なネットニュースの煽りもあったのでどんなものかと思ったら、そこはそれ桑島智輝が上手く撮っていた。
若月祐美は表情の幅こそ狭いものの、その狭い中に微妙な階調がある。
齋藤飛鳥と細居幸次郎の場合もそうだったが、商売用ではない部分も含めての丸投げ。
さらけ出されたところからの取捨選択の妙。
ちなみに写真集も良い出来だった(こちらは別項にて)。
久保史緒里
巻末5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
この人はもっと凄いと思うのだけれど、追い込み切れていない。
作った表情ではなく、滲み出てくる表情に妙味があるのだけれど、どう撮ったら映えるかより、どう言う絵が欲しいかが優先されてしまった感じ。
山広美保子
巻頭8ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
課金競争企画の勝者に与えられる巻頭グラビア。
これまでは雑な扱いになることも多かったように思うが、今回はきっちりページを割いて、ロケもして、労力と知恵も注ぎ込んで撮って貰えている。
山広美保子は撮られ慣れていないので表情からポーズから万事硬く、痛々しい位なのだけれど、陰惨に成らないよう、湿り気を帯びすぎないように撮れている。
和室で撮ったカット。 室内の回す光は柔らかくしつつ、背後の障子の向こうを明るくすることで見た目の湿度を下げている。 同じような効果を狙ってか、庭をバックにしたカットも庭を明るく。
予想以上の出来。 眼福。
的場華鈴
巻末5ページ11カット、撮影は西村康。
「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」的なグラビア。
それにしては道具立てが中途半端。 金が掛けられないなら知恵を絞るべきであって、金の掛かる企画を立てておいてケチ臭い真似をするのはよろしくない。
写真纏めアップロード
Fight with Buddy ~バカって言うな!~ (29.10.28)
桐谷美帆(CURATIONS)生誕祭 ~やっぱ、可愛いだけじゃないんだなっ~(29.10.29 押上Wallop放送局)
カメラごとに分けるのを止めて、イベント毎に纏めてみたが、ちょっと違和感が有る。
予備知識無し、CURATIONSの春名あかりが出演と言うことで見に行ってきた。
「史上最低の学力テスト王決定戦」と「史上最高の脳筋馬鹿決定戦」、合間にライブと言う感じの、事前に説明を読んでもよく分からない組み合わせの催し。
前半は学力テストパート。
春名あかりが女教師的な格好、生徒役の柚希未結とみくるは制服的ななにか。
新卒教師に従わない百戦錬磨の女子高生的なバツを付けられた回答でもなんとか点を貰おうとゴネるさまが楽しい。
国語と英語は予め記入して貰った答案の答え合わせの形式、社会は早押しクイズ。 中学生レベルの問題ではあるのだけれど、生きていて正答を求められる局面も少ない類の知識、知らなくても死にはしない類のことなので、ほぼ正解が出ない。
分からない部分を気合いと根性とヤケクソで埋め、結果として生まれた珍答からさらにボケまくり、正解にはボヤキとツッコミ。
ここでも何とか点を貰おうとする駆け引きが笑いを誘う。
後半は体力テスト。
攻守交代して春名あかりが生徒役、柚希未結が先生役、みくるは引き続き生徒。
この体力テストが容赦ないもので、体力バカが自分基準でなんとなく考えているので過酷どころの騒ぎではなく、図らずも生徒役の二人の人間性が炙り出されていた。
やらされる側にはお気の毒だが、見ている分には実に面白い。
体力テストで負けた人はフラフープを回しながら歌うことに成っていたのだけれど、負けたみくるは全く回せない。
一曲歌入りオケが流れる間フラフープと格闘するみくるを、客と出演者がフラフープを回しながら見守りつつ歌ったり踊ったりする世紀末的な光景。
「上に行くぜ!」的な立身出世感皆無で、その場を刹那的に楽しみ切る潔さが漲っていた。
人を撰ぶイベントだとは思うが、人をもてなすアイデア(思いつき、とも言う)と工夫に溢れた良企画。
機会が有ればまた足を運びたい。
七時半受付開始と言うことで、少し前に受付へ。
「受付は七時半からですか。」
「はい」
「待機列とかは出来ますか。」
「このへんにできると思います」
いやまぁ、それを仕切るのも受付の仕事なのであるが、無能と言えば無能だし、怠惰と言えば怠惰だが、彼女は所詮「被傭者」に過ぎず、指示されていないので有れば仕方がない。
自動販売機でのチケット購入が必要だったり、現金での決済だったり、イベントによって異なるので、予め指示は出しておくか、客に判るように受付に明示しておいて然るべき。
客の側にも自律性は無く、何となく屯していて受付が始まると群がる「万人の万人に対する闘争」に何の疑問も持たない手合いなので致し方ない。
入場待機列は作るようになったので、送り手の側も入場時の混乱を改善する意志はあるようだ。
集客に影響する要素は演者以外にも多岐に亘り、送り手の仕事振りなども含まれる。 巨大な会場でのライブをグループの目標として掲げるので有れば、送り手の業務もそれに見合った物になっていかなければ成らない。
コンテンツの質に対しては誠実な仕事をしていると思うが、ライブの主催者としての仕事は感心しない部分が未だ散見される。
知己がカメラ持参だったので(斯く言う私もそうなのであるが)「撮影可になったんですか。」と訊くとそうではなく、とりあへず持ってきているとのこと。 来てみてから撮影可だと泣くに泣けない。
「常にじゃなくて『たまに』でも良いし、『一部』でも構わないんですけどね」など、意見が一致。
撮られることに集中する時間を設けると言うANNA☆Sの遣り方は最適解の一つだと、私は考えている。
そんなこんなで些か愉快ならざる状況から開場、そして開演。
ライブはきっちり作り込まれているので始まってしまえば楽しい。
何曲か終わって自己紹介と近況など。 口数の多寡はありつつも、一人ではなく常に何人かで話を転がすのが良い。
杏斉ゆか
他のメンバーのソロパートも増えてきたが、それは杏斉に掛かる負荷が減る事にも繋がり、より重要な「歌い上げる部分」への集中度は増しているように感じた。
良い循環。
神咲くるみ
大きく踊れている。 上手くはないが小さくまとめようとしないのは良い。
何か落ちても動きの中で自然に拾えるようになっていた。 これは周りが見えているからでもある。
別所佳恋
得意な動きや好きな振り付けはやる気が漲り、そうでもないところはそれなりに。 ムラはあるが、それが良い。
粗いところは粗いが、弾けている。
目を潤ませたり膨れたり笑ったり、今日も喜怒哀楽大盛りで天真爛漫。
宮瀬しおり
動きをピタリと止められるようになったので、そこからの動き出しも美しい。 考えずに動ける、頑張らなくても出来ることが増えてきたからか、歌の面でも新機軸。 ソロパートが増えた。
この辺り、よく考えられ見極められて負荷が掛けられている。
甲高すぎて何を言っているのか判然としない煽りも面白い。
道地文子
振り付けの枝葉を追わず、幹の部分で見せてくる。
一寸引いたサイドキックのような立ち位置に妙味。 膨らませたり、ツッコミを入れたり、収拾を付けたり。
石川野乃花
言いにくい事やらお詫びめいた事やら、年の功で任される。
このあたり「リーダーではない最年長」の重みが利いている。
左右の移動やサークルモッシュは客が学習したらしく、荷物を足下に置く仕事帰りの連中は左右壁際か後方に。
淘汰なのか棲み分けなのか。 私には前者であるように感じられるが、現在の想定顧客層からは外れているのであろう。
間奏部分を引っ張った編曲になったオケを作り、生バンドでやるような客との掛け合い。
定期ライブの作り込み加減には唸らされるし頭も下がる。
一寸延びたが、尺としてはほぼ一時間。 予定調和のアンコール無しで濃く纏めていて、費用対効果は高い。
入場時に待機列を作ったり、舞台と客席の間に1m程度緩衝地帯を作ったり、改善していく意思は見て取れるし、実際居心地自体は良くなっている。 更なる改善を期待したい。
都内全域雨予報の中、サンシャイン噴水広場のイベントにnotall出演(と言う事は、撮れる)と言う事で、都バス乗り継いで池袋へ。
KissBee が終演の挨拶をしているところに到着。
Apricot Regulus(アプリコット・レグルス)
どこかで聞いた様な・・・と思ったら、(事実上の)富永美杜と二代目馬場なつみの所属する声優系と言うかゲーム系と言うか、その類のグループであった。
茅野しのぶインスパイア系制服衣装で、金は掛かっている感じ。
(事実上の)富永美杜が凄い。 モノが違う。
callmeと較べると、フォーメーションも振り付けも難易度低めなので、歌って踊っての部分は三味線弾いてる感じ。 バミリにも一人だけ忠実。
振り付けに余計なオカズなどは入れず、余力で全方位の客を目で殺しに掛かる。
地下一階からから三階まで、満遍なく目配りの三点バースト。
Dorothy Little Happy の高橋麻里のような、あざとさを解放して客全員殺す気のパフォーマンス。 「カッコイイ」寄りの立ち居振る舞いの多いcallmeとは全く逆の「カワイイ」に振り切った事をサラリとやってのけていた。
自己紹介とMCは声優口調の(事実上の)富永美杜。 完全に割り切って出稼ぎに出ているのが見て取れる。
退出時には、馴染みの古い客に表情で「見つけた」アピール。 確実に仕留める老練の技。
いやはや拾い物で凄いのを見た。 コアなファンだけでなく、好事家こそ見ておくべき類の職人仕事。 眼福。
notall
アイドルを含めた芸界の階層が未だに「テレビに出ている」と「それ以外」に分かれており、このイベントを目当てで来ている客以外のその場にいる大半は前者しか知らない。
この現実を現実として受け入れ、殆ど凡ての客が自分たちの事を知らない前提で舞台に上がっている。 なかなか出来る事ではない。
例によって例の如く、伸び伸びと明るく楽しく「何か楽しそうなことをやっている」雰囲気を作って買い物客の足を止める。
そもそもの話、CDを売ることを止めたグループがCD販売店主催のイベントに出られてしまう事(旧譜を売ったようであるが)が凄い。
通りすがった買い物客の記憶に「notall」と言う単語だけでも残ってくれると、私も嬉しい。
前回から約二た月、今回は動員数が目標に達するとオリジナルグッズが作れる。
「ノルマ会」と言う名称が楽しそうな印象を与えず、集客には寧ろデメリットに成っていることはメンバーも送り手も自覚しており、そう言う決まりで動いているので今回もノルマ会はノルマ会なのであるが、告知の際には「動員目標のあるライブ」とか「例のアレ」とか、いろいろと誤魔化していた。
正式呼称も「例のアレ」で良いのではないか。
受付開始時間ちょっと前に着くと、既に十人凸凹。
開場までにどんどん増えて、古いお客さんも「開演前にこんなに人が居るのは初めて見た」と驚いていた。
開場して中に入る。 集客に或る程度の手応えがあったのか、上手下手の壁際が撮影できる席。
盛り上がって見たい向きは中央に。
目標動員数は50なのだけれど、埋まってはいるものの隙間も無いでもない。 安心なようなそうでもないような心理状態で開演。
今回はこれまでにカバーしてきた曲からのリクエストアワー形式とのことで、飛び抜けて得票の多かった上位四曲が撰ばれた。
どういう曲が好まれるのか、傾向を知り今後に生かすためにも、良いタイミングで行われた企画だったと思う。
私は専ら撮る側なので、盛り上がる派の人々の反応は良く判らないが、ライブの出来としては過去最高を更新していたと思う。
特筆すべきはステージに立ってライトが当たって映えるメイクと、歌って踊っても破綻しない表情。
「見せ方」が格段に上手くなった。
五人から四人に。 奇数から偶数になるとフォーメーションが組み難くなるそうだが、二対二になるところでの組み合わせでの掛け合いはなかなか面白かった。
終盤に結果発表。
有料入場者58名で目標達成。 前回が37名だったので20から積み増したことになる。
純粋にCURATIONSのお客さんはどれくらいなのかと言うのは別の問題してあるにしても、集められたのは良かった。
ただ、結果発表の後のコメントで場が重くなってしまうのは如何ともしがたく、改善の余地ありではなかろうか。
次回のノルマ会は「ノルマ会」の廃止を賭けて12月17日開催。
集客に関して目の色が変わって、結果が出始めたのが秋からだと考えると、達成は可能な日程と目標ではある。
ともあれ、良いライブだった。
何が自分たちの売りに成り得るのか、それをどう伸ばすのか。
身軽になり、足並みも揃えやすくなり、やりたいことをやれる(やりやすい)環境にもなった訳で、あと二た月で出来ることを考えて実行する準備は出来ていると思う。
早くなってきた成長と変化を見逃さないよう、客の方も気が抜けなくなってきた。
写真を纏めてアップロード。
CURATIONSの「例のアレ」(the Live Formerly Known As ノルマ会)
19:30受付開始とのことで、少し前に到着。
既に十人凸凹発券待ち。 並ぶでもなく、なんとなく屯するような状態。
受付に二人居り、入場料金分のチケットを買って待つよう言われてその通りにして待っていると、送り手側の人が通し番号入りのピクチャーチケットを持って登場。
本来は現金と引き替えでこれを渡す予定だったらしい。
ピクチャーチケットの件は指示されていなかったようなので仕方がないにしても、受付を任されていて混乱の収拾をつけようともしないのには呆れた。
会場側は並ばせる気が無く、客の側は並ぶ気がない。
今のところ客がそう多くはないから揉めずに回っているが、いつまでもこの調子では困る。
お披露目公演の入場時の混乱から何も学んでいない。 混乱があったことすら覚えていないのかもしれない。
楽曲やパフォーマンス、CDやDVDなど「成果物の品質」については誠実だと思うが、こと生身の人間相手だとソツが多すぎる。
「成果物の品質」さえ水準に達していれば商売に成ると言うものでもない。
混乱の芽はありつつも大過なく入場。
舞台を広く使う為か、入り捌けの演出もないらしく衝立の類は全てスタジオ外に出されていた。
天井の照明は常設の物となったらしく、6機増設。 明るく、見やすくなった。
影アナは六人でワイワイと。 諸々のトラブルに対して「一切の責任を負わない」「撮影録音禁止、発覚した場合は相応のお咎め」など、ワイワイのオブラートにくるみきれない角のある表現。
アイドルのライブに来る客の民度を考えると、予防線の一つも張っておかざるを得ないのだとは思うが、些か強権的。
契約書の取り交わしなどでは当たり前に使われる文言でも、耳から入ってくるとまるで印象が異なる。
B to B の商売のやり方を、B to C の商売にそのまま持ち込んでしまっている危うさ。
BGMがフェードアウトして出囃子。 鳴り終わって開演。
20時開演と言うのは仕事帰りの勤め人でも来られるように設定しているのだと思うが、そうではない客も当然居り、自分の荷物の扱い方が異なる。
クロークやコインロッカーなどは無いので、仕事帰りの客は自分の荷物は持ったままか足下に置くか、自分で管理できる状態にする。
そうでない客は壁際などに放り出して積んでおく。
これがライブ中に左右に移動したりサークルモッシュを煽ったりするとどうなるか。
当然大切な物を身近に置いている客は逃げまどう羽目になる。
手荷物の紛失盗難や場内での怪我など一切の責任は負わない旨開演前の影アナで念を押されるのだけれど、煽りに煽っておいてのそれは無責任に過ぎるように私は思う。
手応えを感じないと不安であるのは判らないでもないが、「楽しみ方」と言うのは人それぞれであり、声出して動いていないと「盛り上がっていない」と言う固定観念が執拗な煽りに繋がっていて閉口した。
生歌なので巧拙や声量の大小で凹んだり出っ張ったりするところはあるのだけれど、客から金を取れるレベルにはある。
どんな体勢からでも動き出せて、情緒もあり、止めるべきところでピタリと止められる。
レッスンで刈り込まれているらしく、振り付けの独自解釈は少なく、動きそのものは揃っていて、きっちり動いた上での余白みたいなところで遊ぶ人と遊ばない人、また遊び方で個性が出る。
杏斉ゆか
歌い上げるパートを任されることが多いのであるが、安定して上手い。 外さない。
歌い方が素直で、これ見よがしなところが無いのも良い。
石川 野乃花
きっちり作り込んでから舞台に立っている。
後天的な部分の積み上げ方が凄い。 歌唱は杏斉に次いで安定しているのだけれど、技術と鍛錬によって培われた種類の「巧さ」。
神咲くるみ
外連味が無いのが良い。 あざとく客に媚びるようなところが無く、至って普通にやるべき事をやっている。
自分の可愛らしさに対しての自覚が薄いようで、見せ方としては上手くないのだけれど。 押しつけがましさも無いので食いつきやすいのではないだろうか。
宮瀬しおり
細部を突き詰めることの積み重ねで全体が良くなっていた。
関節の可動域が拡がり、動かす筋肉も付いて振りが大きくり華やかに。
体幹も鍛えられたようで、動きに芯があり、ブレない。
基礎が固まったので多少ふざけたところで崩れないし、客席全体を見渡した振る舞いも出来ている。
喋る部分でもどんどん前に出られているし、非常によい循環で来ている。
このまま高いレベルで安定して欲しい。 いや、楽しくやれて居れば、安定しなくても良い。
別所佳恋
伸び代の固まり。 基礎が出来たので応用の幅も拡がりつつある。
きゃわふるTORNADOの良さはきっちり作り込まれた所ではあるのだけれど、それだけに表現が窮屈になりがちなところもある。
やるべき事はやりつつ、余白に色を塗るような自由な振る舞いが、舞台上の彩りに繋がっている。
道地文子
殻を破ることに自覚的。 「カワイイ」から「カッコイイ」までその時々に必要な手札を的確に切る判断力と、敢えての「逸脱」。
きっちり作り込まれた部分のデメリットである窮屈さを上手く壊している。
比較的自由に振る舞える立ち位置を与えられているのかもしれないが、それは固定化した役割分担であるとも言える。 自由であることから不自由であると言う、パラドキシカルな状態。
他のメンバーを巻き込むことで空気を変えられると、もう一と化けするのではないか。
白から青に変えた髪色はあっという間に抜けてしまい、紫がかった灰色に落ち着いたようだ。
極端な髪色を維持しようとすると、髪と頭皮の健康を損ない、財政も圧迫するのだけれど、中長期的に維持できるところに落ち着かせた方が、私は良いように思う。
瞠目したのがメイクの変化。 髪色と顔立ちにあわせて人形のよう。
これによって、より表情が映える。
道地、別所の解りやすい変化と、宮瀬の解りにくい変化。
どちらも明るい材料。
予定調和のアンコールなし、入り捌けの演出無し、15分ごとの小休止はありつつ、舞台上に立ちっぱなしでみっちり一時間。
汗はかいていたが息は最後まで上がらず。 基礎からきっちり積み上げているのが判る。
送り手側には不満もないではないが、ライブそのものは良く出来ていた。
中藤・元田ゼミ修了展の後期日程の展示を見てきた。
「705」岡崎牧人(maki)
東京という街そのものではなく、街に暮らす人々と、さまざまな事情を抱えた人々がやってくる、居候していた部屋を撮ったもの。
長めのキャプションを付けることで、見ただけでは解りづらい部分を補完。
様々なもので酩酊することで辛うじて自我を保つような状況下の記録。
「化色」山野宏
街で見かけて興味を惹かれた人に声をかけ、承諾を得てから撮るスナップ。
懐に入ってから撮っているので強面の被写体でも表情は柔らかい。
「EUREKA!」道川峰久草
銀座、新宿、上野etc...
繁華街で声を掛けたり掛けなかったりして撮ったスナップ。
声を掛けないで撮ったものでも、あまり警戒されていない。
ピントを厳密に合わせていないこともあるが、その場にスルリと入り込んでいる。
撮れた物にブレと言うか揺らぎと言うか、本人も意識していないような手癖があるのが面白い。
ゆっくり撮って構図をきっちり切ったものと、急いで撮ったと見えて下が切れたものとが混在。
画面の中でどの辺りに意識が行っているのか、どうやって絵を作っているのかが解りやすい。
厳密に構図を切らなかった、どこか隙のある写真が、私には好ましく、面白かった。
「沈黙」今野聡
ピントを合わせることに必然性を感じていない撮り方。
目の前の物を漠然と捉え、大づかみにすることで写し取られた何か或る物。
なにがどうなっていたのか詳しく思い出せないが、重苦しい断片だけが記憶に残った夢のような写真。
全体的に生々しく、濃く、息苦しくなるような重めの写真が多かった後期日程。
見に来た知人に自作を語ったり、見た人が撮影者に感想を話したり、私が在廊していたそう長くはないあいだにも、其処此処で写真談義。
最早私には枯渇してしまった生のやる気が漲った空間。 疎外感ではなく、私そのものが閉じて行くような感覚。
私は私の写真を撮ろう、と、改めて思った。
五人のカメラマンが五人のモデルを指名(重複した場合は籤引き)して作品を制作するグループ展。
ドラフト会議をネット中継するなど、遊び心もありつつ作品はしっかりと。
ドラフト会議が九月五日、十月五日からの会期に間に合わせるためには、丸一と月で撮影からプリントから額装までしなければならない。
レタッチが絵画的でありすぎたり、私が考える写真の枠の外にあるものもあったが、それは好悪の部分であり、質として劣る物は無かった。
まだ他の誰にも撮られていないモデルを選択した錦織智と、様々なカメラマンに撮影されてきており、自らも過去に何度も起用してきたモデルを選択した山本華漸。
初々しさはありつつ、そこに寄り掛からずにモデルそのものの魅力を引き出す錦織。
百戦錬磨のモデルにより、組み立てたイメージを形にする山本。
このあたりの対比の妙。
錦織の作品群は、生業としては成り立ちにくいライフワークに類する仕事だと思うが、それだけに諸々削ぎ落とされていた。
玄光社から写真集が出るのに合わせた写真展を神保町画廊にて観覧。
妻の居ぬ間に自宅で繰り返された情事の後の記録という設定。
経年劣化で褪色・変色したような色合いの写真。 サービス版を模したプリントを額装せず、壁に直貼り。
プリントの縁に「フジカラー79」とか「サクラカラー」と入れられていたり、へりがヤレたような加工がされていたり細工は流々。
情事のさなかではなく、事後の記録なので、生々しさはありつつもどこか醒めている。
設定からプリントから凝りに凝っているのだけれど、髪色であったり眉の太さであったり、流行が写り込んでしまったのが見えてしまうと醒めてしまう。
ざっくりした撮り方に見えて細部に凝ったところを見つけたりすると後味も良いのであるが、凝りに凝ったものの細部に綻びを見つけてしまうと、そこに捕らわれてしまって、現実に引き戻される。
良く出来てはいたと思うし、発想も面白いのだけれど、画竜点睛を欠いた感があった。
市ヶ谷にあるレンタル暗室「カロタイプ」のワークショップ、中藤毅彦・元田敬三ゼミの終了展を見に、四ッ谷のギャラリーニエプスへ。
広さと参加人数との兼ね合いで、前半後半で出展者入れ替え。
先ずは前半の三組。
菊田淳「トーキョーJACK」
距離感近めのストリートスナップ。
水平垂直はその時々の構え方次第。 撮られる人とのコミュニケーションはとらず、出会い頭にぶつかって行く撮影手法。
それ故の生々しさはあった。
松尾幸枝「WORM HOLE」
俯瞰や遠景なども取り混ぜて、今ある東京の姿を寄ったり引いたりして切り取る感じ。
俯瞰の写真に面白さを感じた。
多田洋「PHANTOM」
建設・解体現場を中心に、建物の描く縦横斜めの線で画面構成。
解体中の建物から露わになった、骨格の描く一寸崩れた縦横斜めが生々しかった。
橋本有史「NEW IDENTITY」
ガラスなどで、一枚隔てた東京。
映り込みを利用して奥行きを出した写真が良い。
一歩引いた、醒めた感じの視線。
ガラス越しではありつつ映り込みはないものもあったが、ここは揃えた方が良かったように思う。
写真としては一番面白かった。
デジタル全盛の世の中で暗室に入ってプリントをしよう、増してやワークショップに参加して修了展まで開こうというのは生なかのやる気では無いと思うが、それにしても熱気の溢れた写真展だった。
粒感もあり、黒も締まったプリント。
意欲が溢れて盛り込みすぎるところなきにしもあらずだったが、初めから枯れてしまっているよりは良い。
一時間のトークバラエティと二十分のライブ。 司会は石橋哲也。
浮き世離れした人々の浮き世離れししたエピソードてんこ盛りの一時間。
まさに「ファンタジー」であった。
後半はライブ。 リップシンクかと思ったら、被せ強めだがきっちり歌っていた。
激しく動くので歌を安定させるためには被せは必要悪なのであろう。
見せ物としてきっちり組み上げられており、見事だった。
こちらも前半はトークバラエティ。 司会は佐藤遥(notall)(※訂正しました)
wallopを根城にするアイドル三組のメンバーから「直して欲しいところ」でアンケートを採り、くじ引き形式で箱から引いて話を膨らませる構成。
ソツなく進めてはいたが、引いたカード次第で話が膨らんだり膨らまなかったり安定しない。
CMの間にスタッフから助言があり、何枚かあらかじめ引いておいたカードで話を組み立てるように変えたら、より上手く転がりだした。
このあたりの飲み込みと切り替えの早さは流石。
自分が喋っている間にも、話を聞いている間にも、脳味噌の別の所で次の展開を考えていなければならないのだけれど、それが自然な形で出来ている。
後半はライブ。
椅子有りの形で行う予定だったようだが、片付けさせたい客の声の方が大きかったのでスタンディングに。
寿司詰めと言う程でも無かったので、AKB48劇場のように、前方座りの後方立ち見でも良かったのでは無かろうか。
ステージに高さのある立ち見前提のライブハウスと収録前提の低めのステージと着席観覧前提の収録スタジオでは箱の成り立ちから異なる訳であり、その場所に合わせた観覧スタイルが適用されるべきだと私は考える。
全員立ってしまうと、後ろの方は碌すっぽ見えない。
送り手各位には最大多数の最大幸福を目指していただきたい。
ここの難点として、収録前提のスタジオなので照明が完備されておらず、舞台前方と左右の端を照らすライトが無かったり、プロジェクターで投影する映像を照明代わりにしたりしていたが、今回限りなのか常設なのか天井吊り下げ式の照明が増えており、満遍なく明るくなった。
ライブは三組それぞれの時間の合いだに混成ユニットが挟まる構成。
夏祭りより関係性に深まりがあったようで、より自然に混ざっていた。
notall
大箱でのライブや海外遠征を成功させたこともあり、高いレベルで安定。
やるべき事をしっかりやれる下地があるからこその脱線や暴走もありつつ、しっかり本筋に戻ってくる。
兎に角、客を楽しませる術に長けている。
きゃわふるTORNADO
神咲くるみに或る程度周囲を見るゆとりが出てきており、一生懸命なところ以外も見せられるようになっていた。
目に見えての変化は道地文子で、表情に柔らかさが出て、カッコいいから可愛いまで必要に応じて出せるようになったのはグループとしても大きいのではないか。
宮瀬しおりは「わかりやすい可愛らしさ」を振りまきつつ、会場全体を巨視的に見てやるべき事を考える事が出来ている。
ふざけ合ってもふざけっぱなしにはせずに、まぁなんとか戻ってこられてもいる。
いつもの客だけはない現場を多くこなすことが、グループとしての成長にも繋がっているのだと思うが、苦労性の石川野乃花の肌の張りが良くなっていたので、上手く回っているのだと思う。
notallとCURATIONSが撮影自由なのに対してきゃわふるTORNADOは撮影規制が多いが、それは送り手の考える確固たるビジュアルイメージに反する画像の流布を防ぎたいからなのであろう。
指定ハッシュタグで検索しても石が多めの玉石混淆の感は確かにあり、致し方のない事ではあるが、そのあたりの大人の事情を全て無視しても撮りたくなるくらいの魅力はあるので、偶にで良いので撮れる機会も作っていただきたい。
CURATIONS
一抹の不安を抱かせる所はなきにしもあらずなのであるが、それでも初見の頃から比べると未来の明るさは確実に増していると思うし、ライブ運びも見せ方も良い方向に転がり始めているのは間違いない。
「目標動員のあるライブ」とか「例のヤツ」とか、マイナス要因を逆手にとって告知できるしたたかさも身に着けた。
悲壮感が無い方が客も楽だという事を踏まえたやり方に変えてくれたので気軽に現場に出られる。
どうやら冬祭りもあるようなので、期待して待ちたい。
ここ一と月二た月で目の色が変わり、変化と成長のスピードが上がったCURATIONS。
中途加入メンバーである橘まき、初めての生誕祭。
これまでは前に立つ場面も多くはなかったが、今回は生誕祭と言う事でほぼ出ずっぱり。
それどころか選曲から衣装のアイデアから、様々なところに関与したらしい。
CURATIONSはオリジナル曲が少なく、常に何かしらカバーの楽曲を織り込んでいる訳であるが、今回のライブは新たなカバー楽曲だけで構成。
10月15日の集客目標の有るワンマンライブはこれまでに演った曲の中からのリクエストアワー的な構成にするとの事だが、ここに来て切れる手札が一気に増えたことになる。
生誕祭の衣装は色違いのセーラー服。 リハーサルを終えたメンバーが客の前を通って楽屋に戻る際、毛布上のものでぐるぐる巻きになってまで見せまいとしていたので何かと思ったら、それであった。
薄手の生地でコスプレ感溢れるものではあったが、祭事用としてならアリだろう。
昔同人映画を撮る際に、監督の趣味でオリジナルのセーラー服を仕立てた(流石に自腹は切らせた)ことがあるが、ちゃんと作るとそれなりに高い。
閑話休題。
現役の高校生は一色真衣のみだが、桐谷・橘は黒髪なのと髪型をそれらしくしたので違和感は無い。
春名あかりがどうなるかと思ったが、突き抜けて虚構だったので却ってサマになっていた。
客の習性として「からかう」「ひやかす」と言うのはあって、言われた方はそれ相応に傷つく羽目になるが、洒落にならない程似合っていなければ根多にも出来ない訳であり、割り引いて考えていただきたい。
そのままな感じのセーラー服ではあるので、衣装然とした形に加工すれば、客前で着ても可笑しくはないと思う。
橘まきが考えた「アニソン縛り」と言うセットリスト
1.残酷な天使のテーゼ
2.お願い!シンデレラ
3.緋色のカケラ
4.Don’t say ”lazy”
5.ハレ晴レユカイ
6.それは僕たちの奇跡
7.今話したい誰かがいる
アンコール
もってけセーラーふく
もってけセーラーふく で使うポンポンは、一色真衣が所属するチア部から拝借してきた本物。
知恵と工夫とコネ。 今自分たちで出来る事を片っ端からやりつつ、大人に協力を求める良い循環で動き出していると思う。
終盤に客が用意したケーキや花束が出て来て橘まきを祝福。
悪目立ちしたり出し抜こうとしたりする客もおらず、生誕の仕切りも牧歌的。
橘まきがその成長ぶりを見せつけつつ、和やかに終演。
グループの変革と成長のスピードが急に速くなると、メンバーそれぞれの成長速度との誤差が出て来る。
月城凛花の休演に一抹の不安を感じないでもなかったが、実り多い生誕祭であったことに間違いはない。
泉里香
表紙と巻頭6ページ8カット、撮影は阿部ちづる。
ビキニトップにホットパンツ(その上に一枚着てみたり)、身体の線の出るノースリーブのニットなどで露出度をコントロール。
限りなく水着に近く、そうではない衣装。 水着の安売りはしないと言うことらしい。
私はこうした即物的でない見せ方の方を好むのでこれはこれで良いが、事務所の方針であるような気もする。
始めと終わりをノースリーブのニットのカットにするなど、流れを作ろうとする意図は感じられるが、間のページは些か散文的で物語を紡げていない。
写真そのものは悪くないが、全体としては阿部ちづるのポートフォリオの趣。
それもこれも事務所側の官僚的な仕切に起因しているように私には感じられる。
このまま行くと「仕事は繋がるが代表作と言える物が無い」と言う笑えない事態に成りかねない。
ジャスミンゆま
巻末4ページ10カット、撮影は桑島智輝。
天候が思わしくなかったと見えて、ハウススタジオの中での撮影。
美点としての手足の長さと言うのが写真で見せようとすると難しいのであるが、その辺り桑島智輝は上手い。
カラーコンタクトが然程気にならないのも、そう撮っているのかも知れない。
桑島智輝は工芸家と美術家の間を往ったり来たりして顧客の要望に添ったりその上を行ったりする仕事をするので、見ていても気が抜けない。
三城千咲
表紙と巻頭8ページ16カット、撮影は山口勝巳。
レースクイーンの仕事もしており、布面積の少ない衣装で人前に立つのも写真を撮られるのも慣れて居るであろうモデルに山口勝巳と言うのも解せなかったのであるが、撮られ慣れ方が雑誌向きではなく、紋切り型の表情で固まってしまっているので腑に落ちた。
下手に矯めると強ばる方に硬くなって表情が死んでしまうので、紋切り型に固まったのをポージングと撮る距離・角度で切り取って絵にしている。
こう言う「ブツ撮りポートレート」になると、矢張り山口勝巳は上手い。
美しいには美しいが退屈窮まる被写体を相手に、淡々と仕事をする。
松島菜々花
古民家的ハウススタジオでの巻末4ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
表情の階調に乏しいのを光とポーズで変化を付けて上手いこと誤魔化している。
巻頭も巻末も、カメラマンの技術で成り立ったグラビア。
これはこれで面白い。
その日見たいものがその日見たいかどうかはその日にならないと分からない。
ふらっと行って入れるのが、それでも客はある程度いるのが、そして混みすぎないのが理想。
演者からしてみれば予約が入ることで安心できると言うのはわかる。
しかし縛られたくはない。
朝練の常連客は、開場してから開演までの時間に三々五々やって来る。
それなりに埋まって開演。
「藤堂高虎 出世の白餅」田邊いちか
「紺屋高尾」一龍齋貞橘
いちかさんは良い意味で図太くなったと言うか、物に動じなくなった。
安心して聴ける。
貞橘先生、例によって脱線を繰り返すがなんとか戻ってくる。
盛り上がってきたところではぐらかす。 間合いを一寸外す。
で、締めるところは締める。
誰が良いですか、ひとに訊かれたら「貞橘先生」と答えている。
講談にしても浪曲にしても、朝練講談会は顔付けも敷居の低さも「入り口」として好適。
千円持ってふらりと行けば確実に楽しめる。
桑原みずき、桑原彩音姉妹率いるレビュー集団「ツルノヒトコエ」が何故か団地のお祭りに出ると言うので見に行ってきた。
豊島五丁目団地は豊島区も外れ。 江北橋を渡れば足立区。
環七の西新井大師付近から江北橋を渡って明治通りに出る古い参詣道路の途中にある。
鉄道駅は遠く、何路線か通っている都バスが主たる交通手段。
王子駅前からが一番早い。
急拵えの舞台では、吹奏楽やダンススクールの発表会などが行われ、その流れで「ツルノヒトコエ」。
何故このお祭りに出て来るのか分からなかったのだけれど、次回公演を日暮里辺りの劇場で打つかららしい。
直線距離としては遠くないのであるが、交通の便で考えると近くもない。 やはりよく分からない。
歌い手抜きのダンサーのみの編成。
桑原姉妹は喋りは達者なので間延びはしないし、踊る技術と練度に関してはケチのつけようがない。
ただ、如何せん曲が古い。
分かり易さを採ったのかもしれないが、「ダイヤモンド」と「年下の男の子」で耳目を集めることは出来ない。
やっている事自体のレベルは高いのに、見せ方が上手くないのは勿体無い。
「凄いもの」ではなくて「凄そうなもの」に人は集まる。
虚仮脅しみたいな事を好んでやる桑原ではないだろうし、今のやり方でも興行としては続けられているので、これはこれで良いのかもしれない。
斉藤朱夏
巻頭7ページ15カット、撮影は佐藤裕之。
服装やロケーションなどは当たり障りのない典型的声優グラビアなのだけれど、表情は生きたものが切り取れている。
生きた表情だけにクシャッとした笑顔などもあるのだけれど、それにNGを出さなかった斉藤朱夏も写真と言うものを分かっている。
最後のカットは海辺で撮ったものなのだけれど、ボーっとしてそのままページを繰ると、ゴールデンカムイのカラーページが同じような色味で男性キャラクターが褌一丁で浜辺に寝転ぶ絵から始まる。
バカバカしくも面白い。
こう言う手の込んだ悪戯も、斉藤朱夏が巻頭だからなんとかなったのだと思う。
Beauty Bust 7
水着映えする被写体を7人集めて、両面のオマケポスターと巻末ぐ゛ラビアページ、撮影は栗山秀作。
黄色人種の肌色をこってりと乗せた栗山秀作の撮り方が面白い。
コントラストを高める事でデッコマヒッコマを強調。
賛否あると思うが、私は採りたい。
巻頭巻末ひっくるめて面白い。
首を傾げざるを得ないような出来だったり、唾棄すべき企画が続いたりしていたが、ヤングジャンプ編集部の底力を感じた。
これならまだ暫くは指名買い出来る。
松田るか
巻頭7ページ23カット、撮影は唐木貴央。
編集者の審美眼の無さから来るモザイク的な割り付けで損をしているが、唸らされるカットはある。
カメラマンの側のディレクションなのか、編集者の指示なのか、はたまた事務所の意向なのか、光を強く当てたり無理に表情を作らぜ足りするとよろしくない。
1ページ目2ページ目は良いのだけれど、モデルを動かして撮った部分は冗長。
うつぶせに寝かせて窓からの光を横から当てた最後のカットは良い。
どう撮れば映えるかより、モデル不在の撮影プランが優先されたが故の不出来。
川崎あや
巻中5ページ13カット、撮影はTakeo Dec.
すらりと伸びた手足とくびれたウエストを強調して見せようとして、捻った挙句上手く行っていない。
普通のレオタードはまだ自由が利くが、取れるポーズが限られる変形水着などは、却って身体の線が生かしにくい。
Takeo Dec.の試行錯誤は買えるが、健闘虚しく一歩及ばず。
みうらうみ
巻末4ページ6カット、撮影はTakeo Dec.
撮られ慣れていない硬さが露骨に出ている。
曇天の屋内と言う事もあり、借金のカタに売られたような陰惨さまでは無いのが救いだが、愛住町時代の英知出版を思い起こさせる湿度高めの四畳半グラビア。
撮られ慣れて来れば、集英社っぽいグラビアにはなると思われる。
小林一三が城東地区の労働者向けの娯楽施設として作った江東楽天地の名残のビルの前の広場で不定期に開催されるアイドルとシンガーソングライターのライブイベント。
タイムテーブルは下記の通り。
11:30~12:00 LuI (ルイ)
12:10~12:40 月乃凛(ツキノリン)
12:50~13:20 akane
13:30~14:00 ANNA☆S(アンナッツ)
14:10~14:40 水森由奈withつるぴかりん
14:50~15:20 CURATIONS
15:30~16:00 神様アイドルプロジェクト
見たかった(撮りたかった)グループの出演時間に合わせて現地へ。
ANNA☆S
スイッチの入り切りが上手い。
にこにこと登場して立ち位置へ。 小池優奈が一曲目に何を演るかど忘れして「おいこら」的やり取りがありつつも、曲が始まると表情は一変。
歌って踊っての部分は実にしっかりしたもので、こともなげにやってのける全てが研ぎ澄まされている。
安定していて破綻しないので分かりにくいからやっている事の凄さが分かりにくい。
送り手の側は難易度の高いあれこれを難易度が高いようには見せないようにしているのだと思う。 そこがまた良いのだけれど、もどかしくもある。
一曲だけ撮影可なのを訝しく思っていたが、撮ってみて解った。 この一曲で、撮られる事に勝負を掛けている。
その曲だけ「撮られる事」を意識した動きになっている。
撮っているカメラを把握しており、その全てに視線を送って一寸止める。 それでも歌って踊っての部分は一切疎かになっていない。 なまなかのことでは出来ない芸当。
水森由奈withつるぴかりん
アイドルと言う括りでアイドルのライブに出てくると辛いところは有るが、コミックソング的なものを歌う人として地域のお祭りなどの営業に出た場合は強いと思う。
CURATIONS
このイベントの裏方に入っていたマネージャー氏が転換時間のBGMに CURATIONSの曲を流し、メンバーは出演時間直前までチラシを撒いて歩き、「知ってもらう事」に関して出来る事を片っ端から精力的にやっている。
オリジナル曲だけでセットリストを組めないのを逆手に取り、人口に膾炙した曲や盛り上がり易い曲を持ってきて通行するフリの客の足を止め、後半に自分たちの持ち歌を持ってきて聴いて帰らせるしたたかな構成。
大道芸や街頭広告の「聴いたことのあるメロディーで客を寄せ」「人だかりを作って足を止める」やり方を、知ってか知らずか踏襲しているのが面白い。
借り物の曲でも人前で演って金を取れるくらいの練度にはなっているから安心して見ていられる。
これでお客さんがドーンと増えてくれると良いのであるが、そうは問屋が卸してくれにくい。
良い循環にはなっていると思うので、倦まず腐らず続けて欲しい。
今田美桜
巻末4ページ10カット、撮影は長野博文。
人気連載漫画の映画化に伴う特別編成で、グラビアは巻末4ページのみ。
こうした撮影は初めてらしく、表情は単調で硬く、笑顔もぎこちないが、水着映えする体形ではある。
サキドルエースSURVIVAL SEASON 7 ~I scream of love~
グラビアが主目的で、掲載されている漫画も読んでいる私などは主客転倒している口であり、漫画を読むために買っているのが読者の多くを占めると思う。
然るに今般の「サキドルエース」なる企画では、漫画でもグラビアでもなく、投票葉書が欲しい層によって買い占められ、発売当日に街からヤングジャンプが消えた。
私も本屋とコンビニエンスストアを梯子したが、ついに買えずに終わった。
集英社にとっては空前の売り上げだったかもしれないが、連載漫画を一周読み損ねた人が次の号を素直に買ってくれるだろうか。
主たる客層を踏みつけにして目先の利益を採ったヤングジャンプ編集部には、必ずや報いが有るであろう。
そんな訳で、グラビアアーカイブを見ながら書いている。
掲載ページ順に
橘莉子(seeDream)
南口奈々(GEM)
吉井美優(26時のマスカレイド)
ましろ(CY8ER)
真中芽衣(それでも時代はまわってます。)
小泉明音(ヲルタナティブ)
瀬戸真凛(じぇるの!)
山中美保子(2o Love to Sweet Bullet)
的場華鈴(虹のコンキスタドール)
沖口優奈(マジカル・パンチライン)
基本的に一人1ページ1カット、集合で3ページ2カット、うち見開き1か所。
撮影は細居幸次郎と西村康。 どちらがどれを撮ったのかは不明。
まぁ良くも悪くも流れ作業の顔見世グラビア。
ひどい上りが無いのは不幸中の幸いだが、企画としてのヤッツケ感は否めない。
「これは」と思うカットは無い。
被写体の魅力ではなく、所属するグループの客の数と資金力。 割った話が「太い客をどれだけ囲ってるか」に掛かった勝負なので、被写体の魅力と結果の間に相関は無い。
結果が出るのはまだ先であるが、選に漏れたとしても気に病まずとも良い。
連載漫画を読者に届けると言う本義を閑却した企画は、漫画を読みたくて買っている顧客を敵に回しかねない。
課金させて小金を儲けたいなら、それなりの工夫をすべきであろう。
仕事やっつけて室町へ。
思ったより早く着いたので小諸そばで冷やしたぬきを手繰ってから行ったらほぼ埋まっていたが、知己のとなりに空席を発見して潜り込む。
開演前に掛かっていた曲を聴かれたので「あぁ、東京女子流ですね。」と即答したら、周りが引いていた。
「狸の札」らくぼ
「蛙茶番」志ら玉
「青菜」志らく
<中入り>
「江島屋」志ら玉
ドット欠けみたいな空席がいくつかあったが大入り。
二席ともハメコミ入りで、江島屋には前座さん扮する幽霊も出す趣向の凝らしかたが志ら玉師らしかった。
夏も終わりと言う事で夏の噺を、と「青菜」。
暑さでおかしくなって行く人の話として描かれた爆笑篇。
志らく師らしい一席。
親子会と言うものは、師匠に提出するレポートみたいなもので、なにを演るかで「どうなって」「どうやって」行きたいのかを見せる。
二席ともハメモノ入りの面倒な演目を持ってきたところに矜持を感じた。
ただ、客は選ぶ。 特に江島屋は笑いに来た人には向かない。
そんなところも含めて、これで良かったと思う。
唸る人は唸り、解る人は解っている。
寄席を含めて現場で観る芸能の愉しみは無為だが有意義な人生の浪費、それが分かる人には志ら玉師、お薦めである。
アウェーの対バンでも、目当てで来ていない不特定多数をどれだけ巻き込めるかが勝負のオープンスペースのイベントでも、ノルマの達成が掛かっている訳でもない。
「目当てで来ている」お客さんの前で安心して出来る CURATIONS 主催興行。
ワロップ放送局のある押上と言う立地は、鉄道が2路線通り、バスの便もある。
来るには便利なのだけれど、他のアイドル現場「から」「へ」移動するには少々便が悪い。
開催時間にもよるが、他と重なる場合は厳しい集客になる事がある。
逆に考えると、その時来ているお客さんが「最優先で来てくれている人」と言う事になり、集客力を計る目安にはなる。
15:00受付開始と言う事で、間に合うように現場へ。 生誕祭と言う事もあり、やる気のあるお客さんが既に並んでいた。
前の枠が遅延したらしく、受付開始が遅れて冷房の効かぬ階段で待つこと10分少々。
大汗を搔く羽目にはなったが、その埋め合わせか開場は早くなり、涼しいスタジオ内で一と息つく事が出来た。 こうした配慮は有り難い。
生誕祭と言う事で、一色真衣本人が組んだセットリスト。
全員で2曲歌った後、一色はお色直し。
4人で間繋ぎをしてから生誕祭のソロコーナーへ。
普段のライブだと撰び難い曲をしっとりと丁寧に。
一色の何と言うか、アイドルには珍しい「楷書の芸」の基礎になっているものが何なのか不思議に思っていたのだけれど、ソロコーナー後の間繋ぎに流された秘蔵映像で合点が行った。
バレエの発表会らしき動画だったのだけれど、衣装からメイクから本寸法のもの。
ここまで突き詰めてやっていれば、情緒はありつつも正確で綺麗な動きが自然に出て来るのも頷ける。
後半は一色のメンバーカラーである「赤」を基調とした私服コーディネイト。
「よそ行きの服」の桐谷と月城、、本日の主役感を漂わせる一色。 急に御呼ばれしたパーティーに来て行く服に悩んだ風な春名、夏休みの子供的な橘。
それぞれの性格めいたものが服に出ていて面白い。
今出来る事の精一杯を詰め込んだ生誕祭。
慎ましくはあったが、程よい祝祭感。
来年はより多くの人と祝いたい。
晴れた日曜の午後とあって、ごった返すと言う程ではないが、なかなかの集客。
作者在廊中となると更に混むので、早めに行っておいて良かった。
画廊での写真展なので当然販売もしているのだけれど、「被写体が誰某である」と言うのと売れ行きには特に相関が無さそうなのが面白い。
良いと思われた、手元に置きたいと思われた作品が買われて行く。
売約済の作品の横には赤いシールが貼られるのだけれど、私が見ても面白いと感じる写真が売れていた。
結果としてどうなるかは見る人夫々の嗜好に係るので措くとして、撮影者としては性的興奮を惹起せしめることは意図しておらず、美しいと思ったものを美しく切り取って写真として形にしている。
私が気に入ったのは美しいものに隠し味として悪戯心と諧謔を一滴垂らしたもの。
この一滴が効いている。
中央線に乗ったところで洒落のきつい土砂降りになり、駅で遣り過ごしてからギャラリーニエプスへ。
「66から」とタイトルにあるように、当初はリコーフレックスで撮影した写真を中心に展示する予定だったが、選んでいるうちにそれ以外の物が増えてしまったとの事。
左側の壁、パリはローキーに柔らかく。
右側の壁、ヨルダンはハイキーにかっちりと。
ローキーなプリントは「黒」と「黒と灰色の間の色」の間の色。
ハイキーなプリントは、白く飛んでしまうところは飛んでしまうに任せて、残ったところの黒と灰色で絵を作る感じ。
ヨルダンとパリ、土地々々の光と空気、撮影者の心情や気分などが写真に出ているように感じられた。
ヨルダンで撮影した作品のテストプリントを見せた戴いたのだけれと、テストプリントの常で色味を確認した後の処理が雑になり、定着不足で変色してしまったプリントが幾つか有った。
出そうとして出せるものでは無く、変色も進行してしまってこのままの色では保存出来ないのだけれど、その変色ぶりがまた味わい深かった。
バライタ紙の手触り、定着不足のプリントの匂い。
撮ってフィルム現像してプリントしたくなる、物狂おしい後味の写真展。
「オープニングアクトに数千円」などと悪態をついていたら、きゃわふるTORNADOが仕事帰りに行っても間に合って懐にも優しいライブをつっこんできた突っこんで来た。
これは行かずばなるまい。
渋谷に着いた頃には七時を回っていたのでそのまま会場へ向かったが、一向に開く気配がない。
チケット予約サイトの情報は
開場: 19:00/開演: 19:15
予約
前売券1,500円
当日券1,500円 (+1D)
となっていたが、ハコの方の告知は
OPEN 19:30 / START 19:45
前売¥1,500+D
当日¥-,---+D
となっている。
今回はハコの方の告知が正しかった。
このあたりは何とかしていただきたい。
明らかに「お目当て」が居ない感じの海外からのお客さんが多く、開演の時点で7割程度の入り。
ここをどう攻略するかが鍵になる。
ユメオイ少女
吉祥寺を本拠に活動する三人組。
歌って踊っての部分はしっかりしており、特に歌が良い。
仕事帰りに駆け付けた事がありありと分かるサラリーマン然としたお客さんが頑張って盛り上げているのが目を惹く。
現代の便衣隊。
S☆UTHERN CROSS
鹿児島発のアイドルグループ。 噂には聞いていたが初見。
メンバー6人で6色のツナギが衣装。
海外からのお客さんに何処から来たのか訊いていたが、「UK!」との答えを聞くとそのままパングリッシュ感溢れる英語でぐいぐい押していた。
薩摩おごじょの強さを目の当たりに。
客の中心になって盛り上がっていた人が物販の準備を始めて驚く。
きゃわふるTORNADO
出囃子の「威風堂々」が掛かると、海外から来たお客さんがざわつく。 我々が海外に行ったときに「君が代」が出囃子になっているようなものなので、ざわざわするのは仕方がない。
曲が始まればいつも通り。
どのタイミングで決めたのかは分からないが、盛り上がる曲で押して行き、最後の最後にキラーチューンを持ってきて聴かせて〆る構成。
持ち歌に幅が有る強みを生かしている。
石川が全体を煽り、道地が個別に挑発する役割分担。
適材適所。
別所と神咲は危なっかしいところも無くなり、常に訴求力のある表情で舞台に立てている。
目当てで来ていたのではないらしい若者が、別所の指差しの直撃を受け、仲間の手前表情には出さぬもののクネクネと悶絶していたのが可笑しかった。
人生には、至る所に陥穽がある。 甘美な地獄へようこそ。
杏斉のソロパート、磨きがかかってきた。
上手さをこれ見よがしにせず、素直に歌い上げるところが良い。
宮瀬はやるべきことをこなしつつ、会場の隅々にまで目配り出来ている。
どうしても盛り上がっている「自分たちの客」に目が行きがちであり、前方に集中している場合はそれも無理からぬことなのであるが、会場全体を大掴みに出来ないと「自分たちの客」以外には届かない。
こうした「意識」に関しては、グループ全体で共有できているように感じられた。
200枚からのチケットを売り切り、箱を一杯にしたワンマンライブを成功させたとは言え、日々のライブに来てくれるお客さんがドーンと増えてはくれないのが辛いところではあるが、アウェイの現場でも目当てで来ていない客を巻き込む力はある。
グループとしての強さを感じたライブだった。
バスを降りたところで車軸を流すような雨、駿河台下の交差点は機動隊に封鎖され、九段下方面に侵入しようとするエセ右翼の怒号が聞こえる中、神保町画廊へ。
先客は一人だけ。 静かに見ることが出来た。
撮影者としての七菜乃の写真展は三回目、自分以外の被写体を撮ったものとしては二回目になると思う。
表現の幅が拡がったと言うか、無限にあるイメージを写真として具現化する手札が殖えたと言うか。
加工はされているのだけれど、塗り絵にはならず、寧ろ抜ける物を抜いて素描に近づけたような感じ。
モデルはすべて女性の体をもつ人々。 うすものを羽織る程度で、ほぼ裸体。
群像は顔の判然としない写真、一人もしくは二人で写っているものは顔まで判る。
群像の写真が良い。
囁きは聞こえるが何を話しているのかは分からないような、静かな賑やかさ。
凝視せずに全体を見ると、構成する個々が浮き上がってくる。
カメラにしても技法にしても、イメージを形にする手段であり、手段が目的に忠実なので使う機材が何であっても、七菜乃の写真は七菜乃の写真で在り続ける。
柔らかいが芯は強い。
写真で出来る事は、まだまだある。
例によってCURATIONS出演部分のみ短評。
ハロープロジェクトは守備範囲外と言うか御宗旨が違うと言うか食い付けないと言うか、まぁむそんな感じで回避しようと考えていたのであるが、行こうと思っていた19日のライブが飛んでしまったのでそちらの予算を転用することにした。
一寸早めには並んだのであるが、大手のところのお客さんが輪を掛けて必死だったので三列目。
このあたりの箱のライブでは通常みられる出演者毎の客の入れ替わりとは別の文化の人々。
M1.チュッ!夏パ~ティ(橘 桐谷 春名
M2.ね?ぇ?(桐谷
M3.kiss me 愛してる(桐谷 春名
MC
M4.cha cha sing(全員
どうやったら盛り上がれるかに特化した選曲。
このあたりはハロープロジェクトに親炙と言うか惑溺と言うか、一家言ある桐谷の仕事だと思う。
2曲目の桐谷ソロ。
表情が最初から最後まで柔らかく、一心不乱になった時の凶相が出ない。
趣味とは言え歌詞も振り付けも身体に染み付いており、考えなくても動けるから、表情を作るゆとりもあったものと思われる。
持ち歌でもこれは出来る筈なので、今後に期待したい。
「kiss me 愛してる」は春名あかりが流石の安定感で桐谷を支えていた。
橘まきはトチりもあったが、可憐さと愛くるしさで帳消しに出来ている。
一色と月城は全体曲のみの出演だったが、この手のライブは頑張れる人が頑張ればよい。
それぞれの負担と役割と盛り上がりを勘案しての4曲だったと思う。
今やれることをやって、目の前の客を掴みに行く。
普段は5人でやっていますと言う印象も残せた。
チケット二百枚売り切ると宣言し、百枚捌けたところで百枚売れた事より「まだ百枚残っている事」への悔しさが生で出てきてしまったのには正直申し上げて一寸醒めてしまった。
悔しく思うのは当然であり、それは自然な感情であるから抱くこと自体は悪くない。 しかしそれを客前で出してしまうのはいただけない。
既に買ってくれている人がいるから「あと百枚」である事が分かっていないと言うか、数字でしか物を見ていないと言うか。
その辺りは直接苦言を呈する向きもあったようで、悔しさを表には出さなくなり、情に訴えずに「売り切る努力」を始めてからの残数の減り方は早かった。
初期から一貫して「大き目の対バン形式ライブのオープニングアクト」「馴染みの客には告知しない路上ライブ」、道場破りと野試合で客を増やしてきたからこそ、二百枚からのチケットを売り切ることが出来た訳で、プロ意識を持たせる為の指導と言うか躾と言うか、薬が効きすぎて出たのが「悔しい」であったのかもしれない。
チケットは、売り切れ御免になってから手を尽くして入手したものの、よくよく考えたら盆前最後の出勤日で、今更有給など取れる筈もなく、定時で退勤してからに渋谷へ。
着いた頃には七時を回っていた。 バースペースとの境の扉のガラスの向こうには背中。 つまりそこまでギッチリ入っていると言う事。
扉を開けると「前の方は空いています」との事で奥へ。 PAの横合いから観覧。
前の方三分の二が盛り上がる系の客。 今のところ上手く行っている「他流試合で客を掴むやり方」これでどこまで行けるのか。
休日で開演が早かったこともあり、既にアンコール。
宮瀬しおりが考えていた挨拶が飛んでモジモジしているあたりで入場。
それぞれの挨拶はそれぞれらしく、感極まりつつも決壊させることなく〆ていた。
結局2曲しか聴けなかったが、現時点でのきゃわふるTORNADOの到達点を確認できたので足を運べてよかった。
前の方はわいわい騒いで楽しむ客。 他流試合で他所から引っ張ってきた人々と、PIP: Platonics Idol Platformの頃からの「諦めの悪い連中」。
後ろの方に大人しく見る系の男女、家族など関係者、友人知人。 そこに身をひそめるPIP: Platonics Idol Platformの頃からの「諦めの悪い連中」。
今のところ「おとなしく見られる環境」も担保されているのは有り難い。
メンバーの顔つきは締まったものになってきており、良い方向に向いているとは思う。
宮瀬しおりは洗練を増して「わかりやすく可愛く」なっていた。 看板として堂々と振る舞える風格を手に入れつつある。
きゃわふるTORNADOの伏龍と鳳雛であるところの神咲くるみと別所佳恋。 舞台の上の人としての 顔を保てる時間が長くなっており、振り付けも身体に染み込んで考えなくても動けるようになっている。
道地文子は醒めた仮面の下の煮えたぎるような熱さを程よく出せている。 これが救いになることもあるのではないか。
杏斉ゆかはリーダーとしての自負を強く出し続けてきたが、それがアイドルとしての人生を振り出しから始めたメンバーには自覚を持たせると言う点に於いてプラスに働いたように思う。
石川野乃花の「統率しない最年長」と言う立ち位置。 リーダーではないが故の難しさは有ったと思うが、だからこそ生かせた年の功もあった。
虚勢というか大風呂敷と言うか、もはや使い古されてしまった感のある「目標は武道館」を敢えて掲げる辛さ(見ている側の)はあるし、オープニングアクトに数千円突っ込むと言うのは今の私には過ぎた贅沢でもあるが、節目節目での定点観測は続けようと思う。
雨の予報であったが、昼前にはすっきり晴れた。
イースト21は、位置付けとしてはショッピングモールなのであるか、どの駅からも近くはなく、車でやってきて余暇を過ごす程のハレの場ではない。
平日はオフィスビルに勤める人々の、休日は近隣住民の憩いの場として機能しているようだった。
タイムテーブルの前半が終わりSiAM&POPTUNeの物販が粛々と行われているところに到着。
丁度休憩に入ったところらしく、場所取りの荷物がちらほらある以外は人影もまばら。
出演者によって撮影禁止だったり、一部指定曲のみ可だったり、静止画のみ可だったりしたのだけれど、会場内の至る所に「撮影録音禁止」の札が掲げられていたのがSNSで流布され、忌避されたのかもしれない。
中入り明けのクイツキはシンガーソングライターのsuzuから。
静かに始まり徐々に盛り上がったところでCURATIONS。
出番前にチラシを配って回ったりしたのも功を奏したのか、音を出して賑やかにやっているとそれなりに人は集まってくる。
チラシを配る対象がみつからないような状態から、気付けば設えられたベンチは埋まり、遠巻きにではあったが人垣も出来ていた。
良い具合に場を温めて次の Needs に繋げたのではないかと思う。
チラシを配るのもなかなかどうしてメンタルを削られるものなのだけれど、これを出番前にやって、今いる客だけではなく「未来の潜在顧客」を耕す。そのイベントの客の想定顧客層、イベントスペースに集まるアイドル目当てではない客層。 自分たちの何が売りで何が強みなのか、そして今何をすべきなのか。
今出来る事を探し、出来る事から実行する。
しっかり考えられているし、肚は括れているけれど悲壮感はない。
セットリストは
M1.大声ダイヤモンド
M2.ロッタラロッタラ
MC
M3.ひとりごと。
M4.ぱぴぷぺぱ!
M5.ここから!
「大声ダイヤモンド」は人口に膾炙し過ぎて借り物感は否めないが、その分客は盛り上がり易く、客との掛け合いも含めて何か賑やかにやっている雰囲気を出すのには成功していたと思う。 先ず耳目を惹いて客を寄せなければならないところでの選曲としては悪くない。
「ロッタラロッタラ」は知られていない分借り物感は薄く、演り慣れてはいるので見応え聴き応えはある。
客が増えてきたところで自己紹介、後半はオリジナル曲で押す構成。
客を誘い集めた上で楽しませる。 春名あかりはグループの特質を「ガチャガチャしているところ」と語っていたが、賑やかで明るいから通りすがりの人も足を止めやすい。 良い組み立てだったと思う。
終演後も物販の準備が出来るまでチラシを配りに出掛けていたが、蒔いた種が一粒でも多く目を出すことを祈りたい。
デックス東京ビーチの海側開放通路に簡素ながら舞台を設えての屋外ライブ。
雨が降っても大丈夫なようにか、建物の張り出し部分が庇状になった部分に舞台が設えられているので少々暗かったが、西日が差してくるとそれなりに明るく。
近隣で開かれている大規模アイドルイベントとは些か異なる客層。
そちらに行く層はそちらに行きっぱなしで、こちらに来る客とは棲む世界から違う感じ。
黒山とは行かない人だかりではあったが、広く売れるためのロケットの一段目の燃料となるのはこの種の人々なので、先ずはこの辺りに届く事を願いたい。
17:00開演予定で進めていたが、出演可能なアイドルが増えたとの事で、前倒しして15:45開演とのこと。
ザ・うれぴーナッツ
ミラクルキャンディーベリーの派生ユニットがオープニングアクト。
香具師のような風体のおじさんと注意事項などの告知をした後、「恋のバカンス」。
それで「うれぴーナッツ」か、と遅まきながら気付く。
ミラクルキャンディーベリー+
法被を加工したような衣装で夏らしい。
歌って踊る以外の部分が子供然としていて気まずかったのであるが、自己紹介を聞くと中学生。
元気に動くので時折表情が破綻するのだけれど、それもご愛嬌。
CURATIONS
舞台上の演者に気を遣いつつ、袖でそっと気合い入れの儀式的なものを執り行う姿が微笑ましい。
ワイヤレスマイクの調子がスコブル悪く、ハウリングともつかぬ異音に悩まされつつも、慌てず騒がず勤めおおせたのは良かった。
オリジナル曲だけでセットリストを組めるだけの手札がまだ無い為、前半はカバーで2曲。
人口に膾炙した曲は諸刃の剣であり、訳知りが多くを占める場所では「ノリやすさ」としてプラスに働くが、ライブハウスにアイドルを見には来ない層には「偽物」「紛い物」として見られてしまう辛さが有る。
演っていることの質ではなく、印象で、もしくは「自分が知っているか否か」で判断するのが一般大衆なので、今回のような「そうした人々」が多めの出演機会には、カバーでも借り物で有る事が分かりにくい曲を持ってきた方が良いように思う。
歌って踊れて煽りを入れるゆとりもある。 質的には客前で演れるレベルであるだけに、曲が知られている分余計借り物に見えてしまう。
後半はオリジナル2曲。 これが手札に加わったのは大きい。
見ている側が手応えを感じるくらいだから、演っている側は尚更だと思う。
自前の曲が有ると、演者としての説得力が違う。
オリジナル曲でないと(カバーを演るにしても必然性が無いと)呼んで貰えないイベントもあるので、手札は多い方が良い。
しかしオリジナル曲が「CD」と言う形になって未だ一と月。 まさに『ここから』。
並行物販なので、まだまだライブは続くがここで失礼して特典会へ。
会場は一寸離れたところにあり、知っていて見に来た人以外には何をやっているのか分かりにくい。
それでも衣装然としたものを着た女子が握手したり写真を撮ったりしていれば「アイドルが何かやっている」くらいの事は分かるようで、目当てで来ている人の周りに人だかり。
人だかりが出来ると更に人は寄ってくる。
目当ての客相手の特典会の前に、フリの客に 向けての「フリー写メ会」を持ってきた判断は良かったと思う。
送り手の意図通りハッシュタグを付けて拡散してくれたかどうかは分からないが、通りすがりの若者たちが盛んに写真を撮ってはいた。
知らない物には興味を持ちえないので、「知ってもらう」事で興味を持ってくれる可能性の種は蒔ける。
その種が目を出してくれると、私も嬉しい。
集客ノルマのある定期ライブと言う趣の催し。
長くアイドルを見ていると「人質商法」的なものは厭と言うほど目にしてきており、当事者として体験するする虚しさも身に染みているので、「ノルマ」の文言を目にしただけで忌避感情が湧くのは避けられない。
それでこれまで足を運ばなかったのだけれど、実際にライブを目にしてノルマ云々の部分を抜きにして考えれば費用対効果は高いと判断し、足を運ぶことにした次第。
会場は押上WALLOP放送局3階のスタジオ。
消防法の規定による定員98名に対し、集客ノルマは50名。
ほぼ半分埋めれば達成と言う事になるが、「1500円払って入った有料入場者で50名」なので、これが中々に難しい。
先に結果を書いてしまえば、有料入場者は36名でノルマ達成ならず。
達成のご褒美であるところの「オリジナルグッズの作成」は叶わなかったが、達成出来なかった事に対する懲罰も課されなかったので、後味は悪いなりに良かった。
notallは名古屋、きゃわふるTORNADOは渋谷でそれぞれライブ。 相互乗り入れではないCURATIONSのみの集客としての36名である事には留意されたい。
「首都圏アイドルファン300人説」と言うのが有って、誤差は有っても狭い商圏で客の奪い合いになっているのは事実だと思う。
その中でオリジナル曲や販売するCDなど「使える武器」が限られている中で潜在顧客を掘り起こすのは難しく、昨今の集客にも現実として出てしまっていたのだけれど、オリジナル曲が増え、それがCDと言う形になった事で打てる手も増える。
そしてCD発売から3週目。 漸く手応えを感じ始めた頃合いの7月30日。
ノルマ云々について語るにはまだ早いと私は思うのだけれど、出てしまった数字は受け止める他ない。
メンバーが一人々々所感を述べる中、感情が涙として嗚咽として溢れてしまう場面もあったが、これを見ている遣る瀬無さは筆舌に尽くし難い。
客はメンバーの責任ではないと思い、メンバーは客の責任ではないと言う。
どちらも或る程度正しいが、抜けているものがある。
送り手側の営業戦略の齟齬と言うか蹉跌と言うか、どうにもならなかったことに関してのどうにもならなかった原因は直視されるべきだと、私は考える。
この辺りの愁嘆場を除けば、楽しみ愉しませる良いライブが出来ていたと思う。
発券開始時間にリハーサルが行われており、漏れてくる音を聴くともなしに聴いていたのだけれど、時間が無い中でも要点を押さえた確認と指示。
見えるところも見えないところもしっかりしている。
感情を解放すべきところでは解放できていたし、歌い上げるところは歌い上げ、動きで見せるところは見せられている。
これを呼ばれたライブでも実践できれば、風向きは必ず変わると思う。
連れて行った知己も、ノルマに係る愁嘆場以外は楽しめたようだった。
武田あやな
表紙と巻頭7ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
カメラに対しても布面積の少ない水着に対しても耐性が出来ているので、構えずにカメラと向き合えているのは良い。
ただ一寸笑顔が単調で、表情の諧調に乏しいのが瑕と言えば瑕。
1ページ目や6ページ目の、笑顔ではない写真に、私は惹かれる。
撮る側は撮られる側の引き出しを開けている訳で、それを選ばない者が居ると言う事であろう。
一寸勿体ない。
鈴木陽菜
巻中4ページ13カット、撮影は栗山秀作。
東宝シンデレラオーディションのヤングジャンプ賞。
初々しさと美少女感が良いバランス、この味は今しか出ない。
かつての制服コレクションを思わせるヤングジャンプらしいグラビア。
背景を縦横の線が横切り、微妙に首切り串刺しになってしまっているカットもあるのだけれど、そこはぼかして回避。
危険を冒しつつ敢えて背景に盛り込むことの画面効果の方を採った感じ。
解り難いけれどよくよく見ると凝っている、栗山秀作らしい13カット。
最後の河川敷に立つカットが特に良い。
背景と被写体との距離、カーブする道に対する被写体の配置、撮影者と被写体と背景との距離のバランス、レンズの選択。 全て噛み合っている一枚。
眼福。
ジャスミンゆま
巻末4ページ10カット、撮影は桑島智輝。
髪の量が多いのかあしらいに苦労が見られるように、少ないものを多く見せたり、その逆だったり、さまざまな細かい工夫の積み重ねで組み上げた4ページだが、少々無理があるように思える。
素材としては悪くないが、カメラマンの更に向こう側にあるもの、良く見せようとする意志が見えすぎる。
柏木由紀
表紙と巻頭7ページ15ページ、うち見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
肌や髪には年相応以上の綻びも見られるのだけれど、それを補って余りある撮られ方の巧さ。 今が一番良いのではないか。
全カット殺しに来ていて「素の柏木由紀」なんてものは何処にも無いのだけれど、酸いも甘いも嚙み分けた柏木の手練手管に翻弄されるのも悪くないし、ただの狐ではない柏木をそうと分かった上で撮るTakeo Dec.も上手い。 そしてそうなるように仕組んだ担当編集も人が悪くて良い。
倉持由香
巻中2ページ9カット、撮影はHIROKAZU。
広告としての扱いなので表紙にも目次にも載らないが、グラビア的に見開きでの掲載。 独立独歩でここまでやれている倉持には敬意を表したい。
渡辺梨加
巻末4ページ8カット、撮影は阿部ちづる。
表情はほぼ一種類、ポーズと髪型と服だけが異なる8カット。
顔のパーツが正面を向いているので、美しく見える角度もそう広くはない。
これで押し切る渡辺梨加の素材としての強さも驚きであるが、小道具などを使いつつも全てを当たりカットにした阿部ちづるが上手い。
武田玲奈
頑なにカラーコンタクトの装着を続けてカメラの前に立っていた武田玲奈が、それを外したと言うのが第一の驚きであった。
全カットそうなのかは分からないが、それと分かる1ページ目のカットは訴求力が高い。
その辺りもあってか、人としての感情が宿ったような写り方に変わっていて、私は良い傾向であると感じた。
阿部ちづるは寄りでの画面構成が巧い。
きっちり構図を切りつつ、表情は生きているのが良い。
梅澤美波
巻末5ページ8カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
表情は諧調に乏しいが、カメラとの向き合い方は自然で、一寸硬いが悪くない。
ハイキーに飛ばし気味の撮り方は好みでは無いが、撮り方としては上手い。
脚の長いのを強調するポージングと構図、それを生かす割り付けも良い。
発売日に書店に行けば買えるだろうと多寡を括っていたらまさかの売り切れ。 区内から秋葉原、神保町まで足を延ばしたが全滅。 一と月待って漸く手に入れた。
撮影は中村和孝。 ページを繰って行くと、写真は悪くない。
同じ服、同じ水着でも、綺麗と艶で撮り分けているから、男性女性どちらが見ても満足できる。 それぞれが見たい泉里香が其処には居る。
ただ、衣装ごとに短い物語が展開され、終わる。 それぞれの物語に繋がりは無く始まりも終わりも唐突。 写真集としての通底した物語は存在しない。
泉里香と中村和孝の仕事を纏めたポートフォリオとしては及第点だが、写真集としては落第。
中村和孝にその力量が無かったのか、そこまでの仕事は任せなかったのかは分からない。
しかしSDPが出版社として無能であることは明らかである。
写真集全体の物語を紡ぐことの出来なかったのは編集者の力量不足であり、写真集とは写真の繋がりによって物語を作り紡いで出来上がるものであると言うことを知らなかった出版社としての無知に起因する。
芸能事務所が収益率を上げるために多角化し、出版に手を染める事例が散見されるが、大抵プロの仕事と言うものを舐めている。
発売当初の品薄も、需要を読み切れなかった事によるものであり、機会損失は小さくない。
餅は餅屋に任せるか、餅を搗ける体制を整えるか、何れにしても肚を括るべきであろう。
澤北るな
表紙と巻頭、撮影はTakeo Dec.
「夏だ海だ水着グラビアだ」と言う感じの、良く言えば古典的、悪く言えば退屈極まる8ページ12カット。
ほぼニコパチの、眩しくて目の開かない歯見せ笑顔。 身体を見せるものと考えればこれで良いのであろう。
仲村美海
巻末6ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
こちらも良く言えば初々しく、一寸硬いが、光が柔らかく廻る環境で撮っているので表情は辛うじて生きている。
粗を隠して美点を見せるポージングも相俟って見られる出来。
中井りか
表紙と巻頭8ページ14カット、撮影はHIROKAZU。
或る程度自由に振る舞える媒体では水を得た魚の中井りかであるが、静止画との相性がよろしくない。
謎の拘りがあったりして撮る側も大変だとは思うが、宥めたり賺したり試行錯誤を重ねて撮ればそれなりに当たりカットは出来て来る。
これがコンスタントに出て呉れれば楽なのだけれど、当たればデカいがホームランか三振。 打率2割1分8厘でホームラン39本のような感じ。表紙をめくると現れる扉の写真なぞは、まさに先頭打者ホームランの趣だが、打棒爆発とは行っていない。
丸くなったら詰まらなくなってしまうのかもしれないが、撮られる事には慣れて欲しい。
倉野尾成美
巻末6ページ11カット、撮影はHIROKAZU。
トヨタらしいと言えばらしい、アイドル界の都市対抗・・・の、ようなもの、AKB48チーム8熊本県代表の倉野尾成美。
目まぐるしく変わる表情を見せたかと思えば、カメラと素で向き合うことも出来る。
撮る側撮られる側撮らせる側、息の合った佳品。
えなこ
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影は桑島智輝。
この手の限られた材料で組み上げて行くグラビアは矢張り巧い。
元になる漫画に寄せ過ぎると窮屈で退屈なものになりがちなのだけれど、換骨奪胎して被写体を生かしている。
コスプレ方面のモデルは「見せたい自分」しか見せたがらないのだけれど、八割満足させて二割やりたくない事もやらせるような人の悪い撮り方。
小日向結衣
巻中4ページ12カット、撮影はHIROKAZU。
こちらは「コラボグラビア」を言い訳に、最低限の部分でやるべきことをやったら、あとは野となれ式のもの。
モデルの特質は生かして撮れている。
加藤里保菜
巻末5ページ13カット、撮影は西村康。
眼鏡ありきでの人選だったのか、全篇眼鏡。
同じデザインでレンズ入りのものとレンズ無しのものを使い分けるなど、芸は細かい。
眼鏡が同じだと、視点が引っ張られてしまって表情に変化が付きにくいのだけれど、口の開け閉めを大袈裟にしてアクセントにしている。
この辺り、伊達に長くやっていない。
竹内愛紗
6ページ18カット、撮影は藤本和典。
「あの事務所が好きそうな顔だ。」と言う友人の評に唸る。 よくもまぁ見つけてくるものである。
表情は単調なのだけれど、動かすことで引き出しを開けている。
顔見世としては充分以上の出来。
松下玲緒菜
巻末6ページ9カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分をアクセントに、屋内でじっくり撮る細居幸次郎の横綱相撲。
撮り手が古谷完ではこうは行かない。 引き合いに出して上げたり下げたりするのは好まないが、マネジメントをしたいのか手活けの花にした上で見せびらかしたいのか判然としない遣り口には毎度辟易していたので、腕っこきのカメラマンにきちんと撮らせたグラビアになっていたのは喜ばしい。
ウエストを細く見せようとするあれやこれやにが苦笑を誘うが、写真としての出来は悪くない。
# さとはる(概念) [遙じゃなくて遥だよ〜]