tdiaryの記法がマークダウン寄りになり、html手書きでやって来た私には一寸使いにくくなってしまったのと、仕様の変更で「本日のリンク元」が表示されなく成り、只でさえ誰が読んでいるのか分かりにくくなっていたのに拍車がかかってしまい、書くのが億劫になっていました。
ネット事始め依頼断続的に書き続けてきた「ここ」はシステムが残る限り続けようと思っていますが、日々の書物は別な形で進めています。
こちらに、コラム的に投下することが多くなっています。
AKB48最初期からの客で、頻度こそ減ったものの継続して劇場に足を運び、書き続けていたカギさん。 21日にお亡くなりになったとのこと。
最後のエントリがこちら
ここで言及している高橋朱里の評価にしても、劇場で目にして或る程度評価していたカギさんと、専らグラビアに於ける高橋朱里を目にしてゼロ査定だった私とでは評価が分かれており、もう少し突っ込んだ話をしておきたかったのだけれど、それも叶わぬこととなってしまった。
「『最近の』柏木、良いですよね。 枯れてきていて。」なんて話をしながら飲んだのが、直接会った最後になってしまった。
あれから益々良いじゃないですか、柏木。
ご存知の方はご存知の通り、私は些か狷介なところがあり、アイドルの現場でも自分から世間を拡げることは先ず無いのだけれど、カギさんとの付き合いも、先方からの食いつきから。
興味を持った対象には、無邪気に突進していく、大人と子供が同居した、明るい酒飲みだった。
秋元康を「秋元”先生”」と呼ぶカギさんと、「秋元康は所詮ペテン師。 巧く騙してくれれば許す。」私とでは、意見が合ったり合わなかったりしたが、異なる立場や角度から意見でも、自分で見て考えたことには寛容と言うか、面白がってくれた。
篠本634の「AKB48ヒストリー ~研究生公式教本~」を始めとする「見てきたような嘘」を散りばめた偽史が刊行されても、それに異議を唱えるより、実際に現場で観てきた客の生の声が反映されるような機会を作ることに心を砕いていたし、それすらも面白がっていたように思う。
困窮の極みにあって馴染みの店にも行かれないので、ありあわせの肴と料理用にとっておいた酒で献杯した。
煩悩がありすぎて当分成仏は出来ないと思うので、劇場に行けば、また逢えるかもしれない。
書物をいろいろと。
Sato Konno photo exhibition 「reminiscence」
teruma × matsuda tadao「 teruma – mono – chrome 」
きゃわふるTORNADO「トビキリナミダ」発売記念無料ライブ(30.9.23)
劇団平成商品 第13回公演 「私にとっての、愛しい宇宙人~これでお終い~」
クロダミサト写真展「裸婦明媚(らふ めいび)」
きゃわふるTORNADO 定期公演【ビッグオニオンつれてくよ〜】#22
第21回 よさこい かみいた 特別高座
ともあれ、アイドル楽曲大賞は滅ぼされるべきであると考える次第である。
西日本豪雨 復興支援チャリティ囲碁イベント
浜田翔子×福島裕二写真展
をアップロード。
逢田梨香子
表紙と巻頭7ページ11カット、撮影は佐藤裕之。
かつては声優グラビアと言えば退屈を絵に描いたような代物で、信仰対象として崇め奉る向き以外には何の意味も価値も無い様なものばかりではあったが、変われば変わるもので写真として見るに堪え得るものも増えて来た。
このグラビアも出来としては悪くない。
声に特化した芝居が生業で、且つ「役ではない自分」としてカメラの前に立たねばならぬ訳で、こと笑顔に関しては階調の乏しさが目に付くが、それ以外はカメラの前で気負わずに振る舞えている。
水着ではないがそれに近い衣装もあり、そこから先の展開も見据えての出し惜しみだと思われる。
富永美杜
巻末5ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
富永美杜としては初めての、事実上の富永美杜としてのものも含めると2回めの水着グラビア。
潜った修羅場の数が違うので、服を着ていても水着になっても表情に変化はなく、カメラと向き合って動じるところはないが、素で向き合えているかと言うとそうとも言い難い。
隔意が有ると言うか、正体を現さないようなところがあり、まぁそれが悪いかと言うと、その食えなさ加減がまた良かったりするのであるが。
菜乃花
表紙と巻頭8ページ17カット、うち見開き1箇所。 撮影は栗山秀作。
賛否分かれそうなメイク(特に眉)と肌の質感描写であるが、栗山らしいと言えば「らしい」。
キャプションで「グラビア冬の時代と言われて久しい」など、シレッと書いてあるが、肉感的な被写体を載せなかったのは媒体の側であり、何を今更感はある。
どんな被写体をどう載せれば部数に結びつくのか、仕切り直して試行錯誤しているのであろう。
撮られ慣れていて何処をどう見せれば映えるかを心得ているので、あざとさ無きにしも非ずだが、流石に画にはなっている。
熊澤風花
巻末6ページ16カット、撮影は細居幸次郎。
グラビア映えする素材を抜擢。 腰を据えて撮らせて紙幅を割く。
実にヤングジャンプらしいグラビア。
安易に扇情的なポーズは取らせず、どう切り取れば美点を活かせるかを考え、見せるより隠すこと、遮ることで視点を誘導している。
セーラー服で3カット、あとは水着とその上に何か着たカットで構成されているのだけれど、一枚着ているか着ていないかで表情に硬軟があり、それを活かすことで水着になったカットの表情の硬さを「初々しさ」や「羞じらい」に昇華。
撮られ慣れていない事を逆手に取った構成の妙。
瀬踏みとしての巻末グラビアだったのかも知れないが、巻頭で勝負できる素材。
思い切っても良かったのではないか。
生牡蠣いもこ
表紙と巻頭6ページ14カット、うち見開き1箇所。
撮影は細居幸次郎。
課金投票企画のご褒美でのグラビア。 国内だが屋外ロケで撮って貰えている。
一枚羽織るくらいで、ほぼ水着。 表情の階調は少ないが、物怖じせずにカメラの前には立てている。
小此木流花
巻末4ページ4カット、撮影は西村康。
課金投票企画二着入線でのご褒美グラビアだが、こちらは簡便な都内ロケ。
顔見世としては及第点。
「サキドルエース」と言う企画
最近はこの企画が載る号の出荷を増やしているらしく、売り切れで手に入らないと言う事も無くなったが、以前は発売日に何軒回っても手に入らず諦めたことすら有る。
毎度各陣営の課金競争は凄まじく(載ることに意義を見出して熱くならないところも有るが)、運営側の大人が百人斬り自慢の軍人見たような自慢をネットに晒すことも屡々。
表に示したのが今年度の顔付けである。
課金競争に勝ったからと言って、次が有るというわけではなく、安藤咲桜然り、沖口優奈然り、素材そのものに価値が有ると判断された場合に声が掛かっているように思う。
課金競争に奔走する前に、如何に撮られるかについての準備をしておくべき。
発掘企画として無意味ではないが、勝つことの意味は、あまり無い。
齋藤飛鳥
表紙と巻頭8ページ20カット、撮影は細居幸次郎。
道後温泉でのロケ。 湯船に浸かる齋藤飛鳥のアッブで始まり、アップで終わる。
頬ののっぺり感など、レタッチの度が過ぎるような気がしないでも無いが、造形美として許せる。
肌を見せる写真は無いに等しいが、始めと終わりの仄めかすカットでそれに代えている。
ほぼ首から上しか写っていないのに、着ているものが見えないと言うだけでかくも心乱されるものなのか。
表紙で着ているブラウスは本編で使われておらず、衣装は2パターン。
白地に七宝柄を紺で染めた浴衣に紺の茶羽織(屋内では浴衣のみ)。
グレーのレース地の膝丈ワンピースに赤い七部丈のコート、マドラスチェックのマフラー(屋内ではワンピースのみ)。
撮る場所と時間で変化を付けているので、衣装の少なさが小旅行の雰囲気を醸す方に働いている。
齋藤飛鳥×細居幸次郎+温泉のグラビアは外れがないが、これ迄でも一番の出来。 この号は捨てられない。
保存用にもう一冊買っておくべきだった。
斎藤みらい
巻末6ページ11カット、撮影はkisimari。
表情は階調に乏しく、ポーズは冗長。
靄が掛かったような疑似ソフト効果と暖色に振った可怪しな色味。
人が撮れていない。
ここでは「服」ではなく「人」を撮るのがカメラマンの仕事なのだけれど、それが分かっていない。
しかし、これまでどんな仕事をしていたか位は分かる訳で、頼む方が悪い。 被写体と抱合せで事務所に押し付けられたとか、そう言う事情があるのかもしれないが、カメラマンは選ぶべきだと思う。
担当編集に妹尾真理子の名前が有るが、首を傾げざるを得ない出来。 らしくない仕事。
最上もが
表紙と巻頭8ページ16カット、撮影は桑島智輝。
2冊めの写真集発売記念と言う事で、モロッコロケの写真から。
日差しが強すぎると写真になりにくいので、そこはそれ朝夕の柔らかく回る時間帯を狙ったり屋内で撮ったりはしているのだけれど、モロッコで撮った意味は有る写真にはなっている。
見た目の部分はきっちり作り込んで来るが、撮る人との向き合い方は自然で、構え過ぎない。
裏方も含めたチームとして、上手く機能しているのだと思う。
伊藤万理華
巻中4ページ7カット、撮影は大江麻貴。
こちらも写真集からのアザーカット。
こちらもチームで動いて撮ったのだと思うが、伊藤万理華が強すぎてバランスはよろしく無い。
どう撮っても伊藤万理華であると言う事を面白がれる人向け。
沖口優奈
巻末5ページ7カット、撮影は西村康。
身体のどの部分を売りにするか考えて、衣装からポーズから練り上げてある。
そしてそれ「だけ」を見せるのではなく、印象的な一枚が映えるように前後を組み立てた構成。
この部分は担当編集の池永亘の仕事だと思う。
川崎あや
表紙と巻頭6ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
股上が浅かったり切れ込みが深かったりする水着でウエストの括れと臀部の張りを見せるグラビア。
身に付けている物が際どいのでポーズは限定されざるを得ず、表情も些か紋切り型ではあるのだけれど、造形美を見せると言う点に特化しているので、目的は達している。
伊織もえ
巻中3ページ5ページ、撮影はHIROKAZU。
成熟した大人のグラビアが載るのも珍しい事のように思う。
体型は大人だが、水着は然程攻めておらず、ポーズに自由度がある分写真としては面白い。
あやにゃん(川崎あや)
巻中にオマケグラビアとして3ページ5カット、うち見開き1箇所。
撮影はこちらもTakeo Dec.。
前から見ると切れ込みも深くはなく、布面積も多そうに見えるが、後ろから見ると臀部以外は紐しか無い構造の水着に猫耳と尻尾を付けて猫らしさを演出。
こうなると矢張りポーズは限られてしまい、写真としての面白みは薄い。
つぶら
巻末5ページ11カット、撮影は阿部ちづる。
「美しい昆虫図鑑」をテーマに衣装5パターン。
紙幅の割に凝った構成。
表情の階調が乏しいのは瑕だが、構図は悪くない。
阿部つちづるはこうしてカッチリ組み上げて撮らせた方が良いのかもしれない。
ライブレポート的な何か
きゃわふるTORNADO ONE MAN LIVE T-03 TOUR 〜夏のきゃわ騒ぎ・東京編〜(30.8.11 )
を更新。
華村あすか
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.
北国育ちの華村あすかを、北国ではないが雪の温泉宿で。
季節感を出しつつつも、水着になって違和感が薄くい(無くはない)。
雪原を背に、紺のセーラー服にタータンチェックのマフラーを巻いて立つカットを扉に使い、文庫本を手にした部屋着の写真をコラージュ的に使っている以外は水着。
その水着はビキニのみを4パターン。 ランチェスターの2次法則。
勝ちに来ている。
表情の種類も少なく、階調にも乏しいのだけれど、切り取る角度で工夫して補っている。
巧く組んだ6ページ。
みうらうみ
巻末5ページ12カット、撮影は田中智久。
現役音大生であることを印象付ける顔見世的な扉から始まり、「好きな楽曲をモチーフにしたアートグラビア」で3ページ。
その曲を知っていればそれ前提で、曲から受ける自分印象と照らし合わせて見られるし、知らなくてもみうらうみの感じるその曲の印象が一文添えられているので、そこから想像しても良い。
試みとしては面白いと思う。
斉藤朱夏
表紙と巻頭6ページ8カット、うち見開き1箇所、巻中3ページ4カット、更に両面オマケピンナップが付く。 撮影は唐木貴央。
ユニットとしてグラビア展開していることもあってか撮られ慣れており、表情にもポーズにも硬さはない。
水着などにはならないが、普段着や部屋着にしては扇情的なものを取り入れている。
撮られたい見せたい自分しか出さないタイプの偏狭な写真になっていないのは評価できる。
夢咲はゆ
巻末5ページ7カット、撮影は細居幸次郎。
「史上最強の"素人"現る。」の煽りは伊達ではなく、初々しくも目は正面からカメラを見据えており、並の「玄人」は鎧袖一触にするくらいグラビア適性は高い。
もっとも事務所所属ではない事を以て「素人」と括っているけれど、只の鼠ではない。
これでお仕舞いになるには惜しい素材だが、さてどうなりますか。
伊織もえ
表紙と巻頭6ページ21カット、撮影はHIROKAZU。
水着やランジェリー、上に着るもの羽織らせるもので変化をつけているのは面白いが、短い紙幅に些か詰め込み過ぎており、散漫。
過度に露出を上げずに「隠す」「仄めかす」事で扇情的にしたカットは良いのだけれど、そうしたカットは扱いが小さく、分かりやすいカットが大きく使われているのは残念。
購買層が求めるのはそちらなのだろう。
小宮有紗
巻末6ページ6カット、うち見開き1箇所。 撮影は栗山秀作。
こってりした、栗山の撮る肌の色。 背後に光源を背負わせる撮り方。
声優としての仕事が増えたが、元々はこちらの人なので、ポーズも表情も堂に入っており、上手く撮られている。
手足が長いのは小宮有紗の美点なのだけれど、これも上手く生かされている。
泉里香
巻頭8ページ14カット、撮影は阿部ちづる。
この号のグラビアのあまりの詰まらなさに筆が進まず、投げてしまっているうちに春も終わり。 気を取り直してみる。
衣装の種類は多いが、表情もポーズも単調。
泉里香を薄着にするだけで間が持ってしまうので、これでも商売になるのかもしれないが、ページ間に繋がりが希薄で退屈。
不出来だった写真集と通ずるところがあり、編集の力量より事務所の不見識と怠惰が原因であるように私には思われる。
斎藤朱夏
巻末5ページ7カット、うち見開き1箇所。 撮影はYOROKOBI。
声優雑誌の声優グラビアはマルベル堂的な予定調和と言うか大本営発表と言うか、上っ面をなぞっただけのようなものが多いが、ヤングジャンプは割と攻めた撮り方をさせ、見応えのある組み方をしてくる。
巻末の限られた紙幅で見開きにするなど、今号も一驚を喫した。
あいみ
袋綴しオマケ写真集、8ページ16カット、撮影はTakeo Dec.
ヤングジャンプにしては珍しい煽情的なグラビア。 だから袋綴じなのかもしれない。
表紙をめくると巻頭グラビアの前にこれがあるのだけれど、「見せる為の工夫」の凝らされ方が段違い。
ポーズではなく、状況設定を詰めて攻めてくる。 こう言うグラビアが、(煽情的かどうかではなく、頭を使ったか否かの部分)私は見たいのである。
サキドルエース
恒例行事となった課金イベントである。
巻頭と巻末でそれぞれ1ページ1カット、撮影は細居幸次郎と西村康。 だれがどこを撮ったのかは記載なし。
ただの白ホリではなく、それぞれの所属グループのロゴがあしらわれていたり、ヤッツケ仕事の流れ作業で撮った訳ではないように見せたい苦心の跡は見られるが、光をバッチリ当てて粗を消したもののビックリ顔になってしまっていて、結局のところ流れ作業。
写真映りの良さでも素材としての良さでもなく、所属グループの如何に太い客が付いているかの勝負になってしまっており、売上が上がったとしても一過性のものでしかない。
夢乃
オマケ写真集、8ページ16カット、撮影は佐藤裕之。
グラビア映えする原石を見つけてきて、磨きながら見せる。
これが本来の・・・と言うか、私の好きだったヤングジャンプのグラビア。
西野七瀬
表紙と巻頭7ページ13カット、撮影は加藤アラタ
テレビドラマ化される電影少女の主演ということで、「あの格好」と制服的ブレザー。
髪型から佇まいから、「あの格好」の再現度の高さに唸る。
西野七瀬は芝居が上手いかと言えばそうでもないのだけれど、役が憑くと言うか得体の知れない力が働いて説得力を持たせる。
それが写真にも現れた13カット。
あやしうこそものぐるほしけれ。
小道具として持たせた本の背表紙を光で飛ばして文字情報に頼らない撮り方がまた面白い。
本であることに意味があり、何の本であるかと言う情報は必要ない。 この場合却って邪魔になる。
篠宮明佳里(富永美杜)
Apricot Regulus で声優業に進出した富永美杜による「篠宮明佳里」としての、富永美杜ならぬ富永美杜のグラビア。
役柄の設定に則り、スクールアイドルと言う体で振る舞う(事実上の)富永美杜。
水着もあるグラビアは恐らく初めてでは無いかと思われるが、修羅場の潜り方が違うのできっちり肚を括ってカメラと向き合っている。
声の芝居だけではない、(事実上の)富永美杜の役者としての片鱗を垣間見られたのは思わぬ僥倖であった。
武田玲奈
表紙と巻頭7ページ12カット、うち見開き1箇所。 撮影はROTTA。
カメラとの向き合い方は相変わらず上手く、柔らかい表情。
表紙と扉は作り込んだように撮っているが、それ以降は生々しく。 好みは分かれそうな構成。
三田寺円
巻末5ページ9カット、撮影は藤本和典。
タイル張りの浴室、濡らしたり生乾きだったりする髪のあしらい。 湿り気と温もりの演出。
水着や下着の上に薄物一枚羽織らせて、見せたいところは見せて見せたくないところは隠して想像力に委ねる。
被写体の表情が単調なのも切り取る角度でなんとかしている。
カメラマンと編集者の仕事で見せるグラビア。 眼福。
根本凪
巻頭6ページ8カット、撮影は中山雅文。
カットごとに肌の質感や描写のされ方に差が有り過ぎたり、不満も無くは無いが、悪くない。
表情の作り方にはぎこちなさもあるが、カメラとは素直に向き合えており、妙に媚びたり巧んだところが無いのは良い。
こう言う撮り方の中山雅文なら買える。 掲載誌の編集能力や審美眼によって損をしてきたのでは無かろうか。
池上紗理依
表紙と巻頭6ページ12カット、撮影は阿部ちづる。
「ここでこの画角のレンズ?」と言う疑問が浮かぶカットなども相変わらずあるが、切り取った表情は悪くない。
口元でしか変化が付けられておらず、諧調としては乏しいのであるが、それをカメラと向き合う角度を変えることで何とかしている。
右側から撮ったカットが妙に多い。 そちらから撮った方が映えるのだとしても、それ一辺倒というのはいただけない。
事務所側の縛りだとしたら愚かしいことだし、撮る側の判断だとしたら工夫が足りない。
北原里英
巻末6ページ9カット、撮影は山口勝己。
山口勝己の撮った北原のグラビアで思い出すのが2010 40号の巻頭。
あの頃から相性は悪くない。
私もAKB48劇場から足が遠のいて久しいが、思えば初演を観た最後のメンバーが北原であった。
アンダーながらそつなくこなしていたが、同日に初演だった石田晴香が美味しいところも美味しくないところも(本人としては不本意だったかもしれないが)全部持っていってしまった。
初演の日が象徴するように、浮上の取っ掛かりは掴みつつも、その度に何かしら障害が有ったり、奇禍に見舞われたり、運営の気まぐれに振り回されたりしてきたが、AKB48としてのキャリアの最後の数年で新潟に縁を得て、一と廉の者として送り出して貰える。
差し引きではプラスになったのでは無かろうか。
そんな北原への餞とも言えるグラビア。
衣装はビキニ、ワンピース水着、ワンショルダーのミニワンピース、ウェディングドレスと4パターン、すべて白。
決して白くはない北原を白く飛ばす為に光多め。 なので下瞼が上がってしまっているが、伊達や酔狂で修羅場を潜って来た訳ではなく、表情がを強張らせずに求められる表情で収まっている。 色々有りすぎるくらい色々有ったが、強くなったものだと思う。
北原の「魅惑の唇」を際立たせずに美しく見せるメイク、白で揃えた衣装、荒天でも光のふんだんに入るハウススタジオ、目には確実に入るのに写真を見る邪魔にはならない文字の配置etc...、カメラマンと被写体以外の部分まで噛み合った、良いグラビアだった。
最後のウェディングドレスのカット、北原の可愛くなくて可愛い笑顔がまた良い。
こうしてまた、私のAKB48が少しずつ終わって行く。
コラム的な何か
寺嶋由芙2ndアルバム『きみが散る』リリースイベント(ららぽーと豊洲)
アイドルの入り口としての寺嶋由芙
をアップロード。
えなこ
表紙と巻頭8ページ、13カット、撮影は桑嶋智輝。
見慣れないうちはその作り込みの激しさに違和感も有ったのだけれど、「見せたい自分をとことん作り込んだ上で見せる」と言う点に於いて一貫しているのが清々しく感じられるくらいには慣れた。
連載漫画との、所謂「コラボグラビア」なのであるが、寄り過ぎず離れ過ぎず、作品との適度な距離感を取って登場人物の一人になりつつなりきらない。
撮る人、撮られる人、大道具小道具衣装などを用意する人etc...、一つのチームとして有機的に動いているからこそ出せる一貫性。
8ページ目が秀逸で、撮られる側はどうやったら映えるか考えて立ち、撮る側はどうやったら映えるか考えて構図を切る。
啐啄同時の呼吸。 眼福。
馬嘉伶
巻中4ページ8カット、撮影は佐藤裕之。
苦労が多い割に報いられるところ少ないが、倦まず腐らず健気にやっていて支持する人も多い馬嘉伶。
表情には硬さもあるが、無駄な負荷を掛けずにその柔らかさを引き出そうとしている営為は成功していると言える。
短い紙幅の中で衣装5パターン、髪も下ろしたりアップにしたりフィッシュボーンにしたり、時間と予算の中で出来ることはやっているのが解る。
4ページ目の後ろ姿、水着なのだけれど、サイズがきちんと合っている。
これが出来ていない、ただひん剥いて終わりみたいなのも多いだけに、裏方の仕事師ぶりに唸らされた。
若月祐美
こちらも巻中3ページ10カット。
昨年購った写真集の中でも出色だった「パレット」からのアザーカットなので撮影は桑嶋智輝。
売れた数で一番ではないが、内容に関しては堂々たるもの。
他を下げてこちらを上げるのは若月に対しても失礼だと思うので単純比較はしないが、この写真集で紡がれた物語の濃密さには、何度頁を繰っても心揺さぶられる。
一読をお薦めする。 強く、強く。
安藤咲桜
巻末5ページ12カット、撮影は佐藤佑一。
水着映えはするのでそちらが評価されがちであり、本人もそのあたり複雑な心境をSNSなどで吐露していたこともあったが、自分の中で或る程度折り合いは付けられたらしく、継続して水着主体のグラビア展開はされている。
このグラビアでも添え物のように小さく扱われている制服のカット。
安藤咲桜の本領はこちらだと、私は思う。
発売時間ちょっと前には窓口に列。 列と言ってもまだ数人だが、開場時間が迫ると加速度的に人は集まり、待合スペースには収まらずに階段あたりまで溢れていた。
少々遅延して開場。 影アナは別所佳恋。
要点は押さえつつ、ざっくりした上にもざっくりとした諸注意が笑いを誘う。
結局12分押しで開演。
杏斉ゆかの低めのポニーテールが似合っている。 道地文子は焦げ茶に近い落ち着いた髪色になり、濃紺の衣装に映える。
一人だけホットパンツに目の粗い網タイツの道地文子。 細い脚がより細く見える。
元から細い神咲くるみと絞ったまま安定している石川野乃花はウエストの出る形状の衣装。
ターンしたときの裾の広がり方、遠心力で振り回されたのが慣性でまとわりついてほぐれる動き。 細部まで考えられている。
肌の出ている面積がこれ迄のものより広いので寒いのではないかと思っていたが、逆に暑いらしく序盤から汗だく。
表情には出ないが杏斉ゆかの顔色が尋常ではなく、発汗が激しいのはいつものことながら流石におかしい・・・と思ったら、MCで裏に捌けたまま暫く戻って来ず、戻ってきたら戻ってきたでやはり上気したどころではない面相。 歌って踊る部分には一切出なかったので、わからない人には全くわからなかったと思う。
今日の杏斉ゆかには、目を惹く何かがあった。
例によってマイクの調子が悪く、音が途切れたりハウったり。
ハウリングが起きたときに先ず自分のマイクを疑うのが染み付いていて反応が早い。
マイクが死んでも動揺せず、自分のパートは歌い切る。
この辺の「叩き上げ」感。 私は好きだ。
前述の通り集客は目に見えて良くなったし、楽しめるライブも出来ているが残念なことも無くはなかった。
仲間内で盛り上がる余り延々と喋っている手合が増えた。
舞台上でメンバーが喋っていても、仲間内のじゃれ合いに興じている。
楽しめるライブを見られる、その場に居られるのは舞台の上に演者あったればこそなのだけれど、それが分からない憐れむべき無知蒙昧な人々、「高まり無罪」みたいな手合はどうしても一定数出てくる。
一定数出てくると自制心も薄れ、つられる向きも出てくるので、客の分母が大きくなったことで顕在化しただけとも言える。
悪意を持って妨害する場合と、単なる無知無定見からそうなってしまう場合と二た通りあるが、幸いにして現状では後者であるようだった。
この先はそういう人々を黙らせる、聴かせるのも仕事の一つになってくると思う。
喋りに緩急強弱を付けるだけ、数秒の静寂を作るだけでも鎮静効果はある。
意図してかそうでないのかは分からないが、道地文子は出来ていた。
全体を揃える刈り込みはきっちりしているが、それぞれの個性は矯めずに生かされており、振り付けの中でも得意な動きを伸ばすようなところが見られる。
神咲くるみは止められずに勢い余って流れることもありつつ、速く大きな動きが華やかさを出している。
別所佳恋は思い切りの良さと力強さ、蹴りや踏み込みの小気味よさ。
宮瀬 しおりはスーっと動いてピタリと止まり、止まった状態を保ちながらスーッと動き出す。 素人目にも玄人目にも解りにく過ぎるが、振り付けに関しては高いレベルで安定。
歌も巧さの方向性も、それぞれに合わせて。
役者としての仕事もしてきた石川野乃花は語るが如く歌い、鼻濁音が美しく抜ける。
地力が付いた杏斉ゆかは、どんな場面でも安定した歌い出しで、張らずに聴かせることが出来ているし、食ったり外したりすることで生歌感も出せている。
最後に杏斉ゆかからお知らせ一つ。 リーダーは神咲くるみに交代、副リーダーに道地文子とのこと。
杏斉の負担を軽減したり、神咲に「役割」を与える意図もあるかもしれないが、「6人での活動」を安定的に継続させる狙いであるのは確からしく思われる。
道地文子を補佐職にするのは適材適所。 上手く廻して欲しい。
終演後に先日のワンマンライブのダイジェストムービーを放映。
リハーサルからクライマックスまで、要点を上手く繋いだ編集の妙。
体調不良や機材トラブル、不測の事態によるセットリストの変更、客の不規則発言etc...
色々有ったが、収支は大幅にプラス。 良いライブだった。
仔細有って直前に買った(直前まで買えなかった)チケットは140番台。
かなり遅れての入場となったが、幸い行きたい(見たい)場所はなんとなく空いていた。
自由度高めに盛り上がろうとするなら、やはり動きやすい広さは有ったほうが良いのか、満遍なく分散。
開演10分前くらいにお膝送りのお願いのアナウンスなど。
スモークは焚いていないが、熱気で靄が掛かる。
後ろの方の客も話していたが、ギッチギチに詰め込まれたライブより、多少ゆとりが有る方がやはり見やすい。
家族や関係者、メンバーの御友達などは二階で座っての観覧。
前歴が有るメンバーの元居たグループの客は数えるほどで、殆どの客はきゃわふるTORANADOとして掴んでいる。
上を見ればキリがないが、一年でゼロに近いところからここ迄「金を払って見に来てくれる客」を増やせたのは、メンバーも送り手も褒められて良いと思う。
下手側には高めに組んだ三脚の固定カメラで、上手の袖には手持ち一眼で動画を撮影。 きちんとコンテンツにしようとしているのが見て取れる。
17:00丁度に影アナ。
全員でざっくりと諸注意。
客電が落ちてステージのスクリーンに映像が映るとともにクラウンが登場。
身振り手振りで客を煽りつつオーバーチュアへ。
メンバーが出てきたと思ったら既に宮瀬 しおりが泣いている。
この人は「坑道のカナリア」であり、良きにつけ悪しきにつけ環境の変化にいち早く反応する。
吉か凶か気をもみつつ見ていると、泣きじゃくっているのにきちんと踊れてはいる。
吉の方であると判断。
一曲目「撮可のうた」。
この曲だけは例外的に撮影して良いのだけれど、まわりでは誰一人カメラを(携帯すら)出さず、判断に迷ったが2コーラス目から撮影。
つまみ出されたらそこまでと肚を括る。(幸い何事もなく)
「今泣いた烏がもう笑う」を地で行く宮瀬しおりは、相変わらず泣いたり笑ったりしつつ歌い踊っている。
“The show must go on.”
感情を抑えきれなくても、勝手に身体が動いている訳で、これも叩き上げならでは。
息継ぎタイム。 自己紹介やら「2190プロジェクト」の進捗の報告やら。
更に間繋ぎ映像のあと、ユニットとコーナー。
杏斉、別所、宮瀬で「にゃわふるとるにゃーど」
石川、道地、神咲で「SRC CREW」
どちらも衣装から誂えたオリジナル楽曲。 ここに来ての演目の幅の拡げ方が心憎い。
特に「にゃわふるとるにゃーど」はネコ属性の三人を依り代に、致死量に近い萌えを詰め見込んだ魔曲。
斯くも危険な楽曲を無造作に投下するきゃわふるTORANADO運営は何を考えているのか(※もっとやれ)
2曲終わって放心状態の客に、間繋ぎ映像で「重大発表」。
定期公演の継続や本公演の円盤化、次のワンマンは「ツアー」。
このあたりは「ナルホド」であったが、次のシングルはビクターの流通に乗せて全国発売(※レーベルそのものはおそらく自前)。
タワレコインストアライブでサバイバルツアー。
これでサッと血の気が引く。
好むと好まざるとに関わらず、量的に計られてしまう方向に舵を切った訳である。
救いなのは「そうである」ことを知っていてそうしたこと。
インストアライブで辛酸を舐めたことの有る面子が二人居ること。
東京以外に届けるための選択肢であると、前向きに受け取りたい。
お色直しをして、新衣装で登場。
これまでは全員揃いでの色違いであったが、意匠は揃えつつもメンバーそれぞれにアレンジされたもの。
黒・濃紺・群青。 あしらわれた黒のスパンコールが鈍い輝きを放ち、襟と袖は白く。
石川と神咲はウエストの出る形状、道地のみホットパンツと網タイツ。 髪飾りもそれぞれの髪型に合わせて誂えてあり、石川の帽子も黒のボーラーハットに変わった。
メンバーそれぞれの個性が生かされた衣装。 勝負に出ている。
この衣装で歌う新曲「Never ending story」(※表記不明)
余程体感を鍛えていないと踊れない、難度の高い振り付けに唸る。
相変わらず送り手の負荷の掛け方が絶妙。
アンコール。
一曲目で石川が居ないことに戸惑い、ざわつくも、残りの五人が動じておらず、笑みを絶やさないことからなんとなく収まり、盛り上がる。(アンコール2曲目で出てきた)。
一周年の所感をそれぞれが述べた中で、杏斉ゆかものが印象に残った。
仕事と学業の両立が厳しさを増し、母親に泣き言を言った際に帰ってきた言葉が
「幸せなことをしているのに、なぜ逃げ出そうとしているの?」
また
「『ありがとう』『ごめんね』この二つの言葉を大切にしなさい」
と言われたとも。
実際通っている学校以上に、良い人生勉強をしている。
きゃわふるTORANADOが杏斉ゆかにとっての"Мои университеты"なのだと思う。
考えながら言葉を紡ぐ石川、「泣かない、泣いてない」と言いつつ涙を溢す別所、喋りながら声を裏返させる道地、それぞれの積み重ねた一年が言葉になっている。
一年前のお披露目ライブは(主に送り手の不手際で)必ずしも褒められた出来ではなかったが、今日の一周年ライブは演者も送り手もきちんとした仕事ぶり。
二年目に向けて明るい兆しの感じられる素晴らしいライブであった。
昨年の12月、ライブ中に負傷。 以来休養していた渡邊ちこの復帰ライブ。
予約サイトのクリック合戦は熾烈を極め、日本標準時と睨めっくらをしつつ勝負してみたが、敢え無く二十番台。
消防法上の定員は(記憶が確かならば)98人なので、そこまで必死にならなくても見るだけなら見られるのだけれど、撮ろうとするとそうは行かない。
受付開始時間からほんの数秒で入場総数の1/3くらいは埋まってしまっていると思う。
それくらい「ひとを狂わせる撮りたい魅力」がnotallのライブにはある。
四人四様で「映えかた」が異なり、撮りやすくはないが面白い光がある。
昨年までは21時開演で前物販だったが、今年から開演が早まり、20時開演で後物販に改められた。
仕事やっつけてカメラを取りに帰ってからでも間に合うし、終演して物販で(多少)散財しても終バスには間に合う。
私にとってはありがたいタイムテーブル。
開場したところで既に熱気が漲り、少々暑いくらい。
オーバーチュアから4人出てきて開演。
渡邊ちこは休養明け気合十分。
この人は舞台に立つ人としての自分を、常に整えて来るのだけれど、いつも以上に仕上げて来ていた。
肌も張りがあり、身体も絞れている。 休養期間を「見つめ直す期間」として糧に出来たのだと思う。 よくここ迄戻したと言うか、軽さとキレのある、より良い動きだった。
挫傷と言うのは私も経験したことがあるのだけれど、地味で分かりづらく後を引く。 似たような状況でやってしまった瞬間がフラッシュバックすることもあるだろうし、気圧の急激な高低が鈍痛を齎すことも有ると思う。 うまく付き合ってほしい。
途中、渡邊ちこから三人に宛てたお手紙の朗読。
待っている人々、帰ってこられる場所。 そこに戻れた喜びと感謝が溢れていた。
泣かせに掛かる渡邊ちこ、泣くまいとする顔三態。
目を見開く佐藤遥、端正な顔を歪める田崎礼奈、上を向く片瀬成美。
同じ時期にミュージカルの稽古と本番があった片瀬成美が、文字通り一と皮剥けていた。
「動かない状態で演技をし、自分の出せる音域の限界に近いところで歌う。」 難しい仕事を努め仰せた経験が生きている。
歌に説得力が増し、表情の諧調が格段に豊かになった。
これまでは口を開いた表情の写真は撰びにくかったのだけれど、その状態でも柔らかさを保てるようになっているのが良い方向での明らかな変化。
「撮られた自分たち」と日々向き合えるのがnotallの強みだと、私は思う。
撮った写真を整理していたら、佐藤遥の頬に安心と喜びの涙一と雫。
4人のnotallの2018年が始まる。
受付開始時間に来る客はそう多くはない。
基本的に撮影禁止なので最前列に張り付く必然性が薄く、(まだ混み合っていないと言うのもあるが)二列目より後ろの方がパーソナルスペースを広く取れるからではないかと思われる。
然程ギスギスしていない。
楽屋か何かになっている上の階から聞こえてくる発声練習を聞くともなく。
しっかり腹から出ているのが解る。 きっちり基礎から仕込んでくれている。
開場時間が迫るにつれ、人が増えてくる。
古い客と新しい客が和やかに混在。
影アナは石川、原稿そのものは従前からのものだが、石川なりに噛み砕いてざっくりと。
開場が20分遅延、開演も連動。
普段の定期ライブはMCも息を整える程度、みっちり詰め込んだ曲で押す構成だが、生誕祭と言う祝祭感も手伝ってか砕けた感じでお巫山戯多め。
脱線して戻ってきたり戻ってこなかったり、そこもまぁご愛嬌。
多少のトチりが有っても全体はブレない。 実に実に、強くなったものだと思う。
途中、道地文子の司会でバラエティ的に。
「石川野乃花のココが好き ベスト3」
「石川野乃花とのベストメモリー」
これを二回に分けて。
しっかり喋れるがグループ内では突っ込まれ役の道地が仕切ることで、各々自由すぎるくらい自由に喋る。
こうして司会を任される、歌い出しを任される、振り付けの見せ場を任される。
それぞれがそれぞれに軽くはない負荷を掛けられており、それを意地尽くでなんとか遣りこなすことで、文字通り「上にあがる」のが目に耳に解る伝わる。
きゃわふるTORANADOのライブの「見応え」の部分は送り手と演者が散らす火花で出来ているとも言える。
石川野乃花がアイドル稼業を始めてからは何度めかの、きゃわふるTORANADOとしては初めての生誕イベント。
これまでで一番、清々しい顔をしていたように感じられた。
次のライブはTSUTAYA O-WESTでの一周年。
「天気晴朗ナレトモ浪高シ」と言った感じで、行く手に立ちはだかるものは大きいが、自信を持って立ち向かえる状態にあると、私は思う。
いろいろ滞っておりますが、コラム的ななにかを更新。
俺アワード2017(楽曲篇)
楽曲大賞的な物が権威化されてしまうこと、それに対する危機感の無さに対する危惧と不快感を事ある毎に表明している手前、今年は落とし前を付けてみた。
順不同なれど文章の長短が熱量を示していなくもない。
折井あゆみが東京タワーイメージガールを勤めた年にレギュラーで担当し、その後も折に触れて出演してきた Night View DJ が大展望台の工事に伴い暫く休止との事。
残り3週のところで休止前最後の出演。
折井出演回は荒天と言うイメージも今は昔、低気圧はかすめつつも然程の影響も与えずに通り過ぎ、高気圧が張り出して冬晴れ。
チケット売り場でスカイツリー方向の北面は見えないこと、一部施設は既に営業を休止していることを告げられる。
展望台に上がるとなるほど北面は塞がれ、東面と北面の境には壁が作られて周回出来ないようになっていたが、これが幸いしてイベントスペースは袋小路になっており、いつもより滞留するお客さんは多目。
張らなくても通る声、聞き取りやすい速さと音量、掛け合いの間の良さ etc... 、声の仕事が軌道に乗っていることが振舞いからも窺い知れる。
折井は語尾を「っサイ!」と張る癖があるのだけれど、これの当たりが柔らかくなっていた。
Night View セレクションは折井の選曲。 洋楽を中心に年相応の洒落乙感。
歌詞で選んだと語りつつ、勘所を和訳して説明するなど流石に場慣れしている。
客からのリクエストは「聴いたことの有る好きな曲」、DJセレクトは「聴いたことの無い素敵な曲」このバランスが良い。
折井も毎度趣向を凝らしてくるが、DJミズノ氏の選曲がまたツボを衝いてくる。 これがもう一つの楽しみだった。
(帰ってから調べてCDを買ったこともある。)
折井の声の仕事は吹き替えが多いのだけれど、Netflix のドラマの告知をしたときに観客が静かに沸いたのが印象に残った。
放送されるテレビでもレンタルビデオでもなく、ネット配信のドラマに反応する人々。 娯楽の選択肢としての定着。
中盤にカフェ・ラトゥールから一品ずつ注文。
「東京タワーでコーヒー嫌いを克服した」と話す折井はキャラメルラテのホット、DJミズノ氏はカフェラテ。
克服したという割りに甘いのを頼むのはご愛嬌。
以前はホットミルクが定番だったが、折井は喋るのに差し障りがあるものは頼まない。 こうした「分かりにくい矜持」も好ましい。
最後に折井セレクトでもう一曲「勇敢な僕ら」。
AKB48を巣立つ大島麻衣に折井あゆみと星野みちるが贈った曲であるが、「大島麻衣ちゃんの卒業コンサートで」的なことは説明しつつ、自分と星野については端折る。
隠す訳ではなく、看板にも頼らない。 踏み台にして次の人生の土台を固められた事の表れなのだと思う。
大展望台の改装工事は北面から始まって順次進み、イベントの再開は来春とのこと。
暫しお別れ。
ヤングジャンプに掲載された先行グラビアは芳しくない出来ではあったが、とりあへず発売日に購入。
危惧したギリシアの強い日差しは撮影する時間帯と撮り方の工夫で緩和されていた。
眩しそうにしても険しくなりにくい顔の作りも幸いしていたが、光と正対させる際に目を瞑らせてしまうことで眩しくなりようの無い状況を作り出す荒業。
一度なら使って効果の有る飛び道具も、二度三度となると陳腐化するのであるが、意に介しないのか他に方法を考え付かないのか繰り返されるのには興醒め。
渡辺梨加の表情は単調な上にも単調で、諧調にも乏しいのであるが、カメラとは自然に向き合えており、隔意の有る作為が表情に出ないのも良い。
造形美を愛でる為の写真と割り切って撮っており、被写体の能動的な動きや表情に期待していない。
出来ない無理はさせていないとも言えるが、私小説的な物語すらも無く、夏休みの絵日記的な構成。
阿部ちづるは「気を許して貰える」才はあるらしく、柔らかい表情は引き出せているが、AF任せでざっくり撮っているのでピントに厳密さを欠く憾みが有り、表情の良さを採ったのかアウトフォーカス気味のカットも散見。
オフショットなら未だしも、本篇で使うのは如何なものかと思われるような物すらある。
そして、今に始まった事ではないのだけれど、意図してやっているのではないかと思われる位「串刺し」「首切り」の構図が多い。
幾ら良い表情が撮れていても、被写体を呪詛するような撮り方に無頓着なカメラマンを肯定的には評価できない。
読後感は悪い。
橋本奈々未の最後の写真集と同じく、小学館Cancamブランド室の企画。
デザイナーも同じで、写真集と言うよりファッションブック的な体裁。
奥付にも衣装協力のブランド名がズラリ並ぶ。
撮影は桑島智輝。
全篇妙に明るいトーン。 笑っているカットが多いだけでなく、空に太陽がある間だけに撮られている。
屋内で撮影されたものも、窓からの光はふんだんに。
そこで「明るく楽しく可愛い松村さん」を演じる松村沙友理。
賑やかに過ごすうちに、ふと静寂が訪れる。 そんな瞬間も挟み込まれるのだけれど、また笑いに紛らされてしまう。
絶対値としては明るい中で、相対的に明るくないカット。
松村沙友理の内面を深掘りするような撮り方はしていないが、表層に滲み出た内面はさっと掬い取り、明るく楽しいカットの中に挟み込まれる。
これは気が付く人だけが気付けば良い部分であり、明るく楽しく可愛い松村さんの写真集としては良く出来ている。
来し方に思いを巡らすと、女性向けファッション誌のファッションブックとして出すのが、(私の見たい物にはならないとしても)落としどころだったのだろう。
何の寓意か解らないが、部屋に白い鳩がやってきて向き合うカットがあり、そこからの数ページの松村沙友理が美しく儚く哀しい。
松村沙友理は幸せだろうか。
幸せであって欲しい。
撮影は原則禁止なので場所取りに血道を上げる必要もなく、現状では行けば確実に入れるので客の出足はのんびり。
開場前になると流石に混んでくる。
客の話を聞くともなく聞いていると「秋葉原で見た」と話している人が多く、制約も規制もあってままならない部分はあると思うが「路上」の効果は確実に出ている。
ほぼ定時に開場。 オールスタンディングだが後ろから全く見えないと言うこともなく、最前列に張り付くメリットも然程無いため、客はまんべんなく散る。
発散しに来ている向きは或る程度のパーソナルスペースを確保できる真ん中あたりの方が快適なのであろう。
開演前に客が円陣を組んでなにやら儀式が始まる。
「アイドルは仲間と楽しむもの」と考える人もいれば、「アイドルは一人で楽しむもの」と考える人もいる。
「ライブは参加するもの」と考える人もいれば、「ライブは享受するもの」と考える人もいる。
私は後者に属するのだけれど、人口比では前者が圧倒的に多い。
私の楽しみ方が絶対だとも正しいとも思わないけれど、周りに迷惑は掛けないようにしているので、とりあへずは放っておいて欲しくはあり、今のところそうして貰えている。(今後もそうであって欲しい。)
Negiccoのラインダンスのように、同調圧力が排除の方向に暴走しないことを祈る。
開演前に茶番の前振りのような、おどろおどろしい曲に乗せたアナウンス的な物もありつつ、幕が開けば何事もなくライブが始まる。
クリスマス間近と言うことでそれっぽい衣装。道地・別所がトナカイ、残りはサンタ。
クリスマスソングはビッグバンドアレンジっぽいもの。 振り付けも含めてその場しのぎではない物になっている。 この辺りの送り手の姿勢は評価できる。
別所佳恋が「かれんちゃん」と「佳恋さん」の間を行ったり来たり。
動くとまだまだ子供なのであるが、ぴたり止まった瞬間にドキリとさせられる。
他のメンバーのサンタ帽やトナカイのツノが脱落していく中、石川野乃花のサンタ帽だけは最後まで頭上に在り、帽子キャラクターとしての矜持を示した。
杏斉ゆかは任されたソロパートは歌いきり、客席全体も巨視的に見られている。 満遍なく目配りをするだけでなく、大掴みに見ることが出来ているのに感心した。
宮瀬しおりの「判りにくい質の高さ」が私は好きだ。 正確でぶれない動きと、止め撥ね払いの美しさの両立。
大変なこともあると思うのだけれど常に「楽しそう」に見えるようにしているところも評価したい。
道地文子は自虐キャラクターにされつつあるが、もっと自分の振舞いや趣味嗜好に自信を持って良いと思う。
自虐もやりすぎると「踏みつけにして良いもの」と勘違いする手合いが出てくる。
神咲くるみは髪型から振る舞いから「わかりやすさ」に徹しているのが面白い。 客もわかった上で填まっている。
開演前に前振りのあった件。 メンバーの声が出なくなっていると言う設定で、「客と一緒に発声練習をすると出るようになる」と言うオチだったのだけれど、ここが些か冗長でダレた。
録った客の発声練習の音を取り込んでおいて、最後に歌う「きよしこの夜」のコーラスに使うという凝った仕掛けではあったのだけれど、時間が掛かりすぎて中だるみ感は否めない。
毎回何かしら仕掛けてくる「より良い物にする」姿勢そのものは悪くないので、次回以降の巻き返しに期待したい。
最後にひとりひとりこの一年を振り返っての所感を述べていたが、それぞれしっかり考えて話せている。
普段から考える習慣をつけさせているのだと思う。
田中美久
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.。
カメラと向き合えており、おどけた表情も見せる。
目線を外したカットに作意がでてしまっているのはご愛嬌。
水着のカットでは、然程硬くはないものの「気を張った」ところはあるのだけれど、セーラー服やワンピースのカットは悪くない。
水着のカットはおとなしめの物以外カットになったと仄聞するが、ほのめかし程度のものでも伝わる部分は伝わる。
「そう言う売り方はしたくない」と言うことなのかもしれないが、それならば企画の段階で練らせれば良い訳であり、撮った後で縛りをきつくすると言うのが解せない。
その辺りを勘案すると、写真の選択も割付けも良く出来ているように思う。
AKBグループの退勢は、無駄に権力を持った大人が守りに回りすぎているというか、保身に汲々としている事に起因するように思われる。
ノーメンクラツーラ層が肥え太りすぎた。
鎌田菜月
巻中4ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
分母が増えすぎて中々光が当たらなくなっている現状にあって、「グラビア映えする」ことは矢張りアドバンテージになり易いのかもしれない。
水着にひん剥いて一丁上がり的なグラビアも多い中、どうやればより映えるかを考えてもらった鎌田菜月は幸運であったと思うし、その運を生かせる被写体としての力量・資質もある。
巻中の4ページ。 この中に衣装5パターン、髪のアレンジ3種。
きっちり物語を紡いでいる。 眼福。
小坂菜緒
巻末5ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分は、一寸白く飛ばしすぎのような気がしないでもないが、じっくり光を廻した屋内撮影分は見応えがある。
笑顔はぎこちなく、表情を作ろうとすると硬さも目立つのだけれど、カメラと素で向き合えているのは良い。
3ページ目に大きく使われている、コップを口元に近づけたアップのカットが良い。
松田るか
表紙と巻頭7ページ23カット、撮影は細居幸次郎。
曇天雨天に恵まれたのか、屋外でも眩しげなところは見せず、全体を通して穏和。 屋内で撮った暗めのカットでは ennui な表情も見せる。
そこはかとなく décadent。
寄って迫って撮っているのが新機軸。
せせこましい割付にしない時の池永亘は写真の選択も配置も良い。
控えめなキャプションが写真を生かし、ページ下部にコンタクトプリントのように散りばめたのもアクセントになっている。
岡田紗佳
巻中5ページ10カット。撮影は佐野円香。
背景から浮き上がる塗り絵のようなレタッチには生理的な嫌悪を感じるが、構図の切り方と表情の捉え方は良い。
衣装毎に肌の色味がバラバラなので、一本のグラビアとして組むとおかしなことになる。(そこを上手く纏めてはあるが)
媒体毎に求められる写真は異なると言うことが分からないまま仕事をしているのであろう。
手足の長さの生かし方、肉感の仄めかし方は上手いのであるが。
竹内愛紗
巻末4ページ14カット、撮影は藤本和典。
「制服コレクション」の頃を思い起こさせるヤングジャンプらしいグラビア。 最近はご無沙汰な構成だが、これはこれで良い。
演出としての、捏造された記憶のような、純粋培養された「青春」。
東京都写真美術館へ。
纏まった数のアジェのオリジナルプリントが、見やすい環境で見られて入場料は600円。 これには感謝すべきだろう。
ここまでは良い。
鶏卵紙に焼き付けたアジェのオリジナルプリントは、古びてこそいるがアジェの意図を反映したプリントに成っている。
画面構成が巧みで、写したい建物や彫像・人物を一と目でそれと分かるように簡潔に配置している。
鶏卵紙の限界も有ると思うが、あっさりしたプリントで暗部を潰さないのも分かりやすさに貢献。
仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、三階の展示スペースを埋めるには如何せん数が少ない。
続いて、アジェを「発見」したベレニス・アボットがプリントし直した物が展示されるのだけれど、黒の締まった美麗なゼラチンシルバープリントになってしまっている。
プリント作業はネガに残された情報を解釈するものなので、アジェのネガでありつつアボットの意志が反映され、美しくはあるのだけれどアジェのプリントの特徴であった「わかりやすさ」は影を潜める。
アボットやマン・レイに「発見」された事で、最晩年のアジェは日の目を見る訳だが、それは誤解・曲解を多分に含んだ評価であり、シュルレアリスムの先駆としての評価には戸惑いも見せているのだけれど、そのあたりの説明は無い。
アジェがどんな写真をどう言う意図で撮ったかは横に置いて、アジェがどう評価され、解釈されたかのみが語られて行く。
マン・レイは「マン・レイ」以上でも以下でもなく、アジェの影響より独自性の方が目立つので、「ひきつがれる精神」の企画意図は先ずここで破綻する。
ベレニス・アボットからウォーカー・エバンズ、リー・フリードランダーへの流れまではなんとか「アジェの影響」を感じられるのだけれど、森山大道から先の本邦の写真家の作品群はこじつけも甚だしい。
アジェからの直の影響としては木村伊兵衛から桑原甲子雄への流れに触れるべきであり、そこから荒木経維に繋ぐならまだ分かるが、1920年代までのフランスの写真家の影響を1970年代以降の日本にいきなり繋げるのは乱暴に過ぎる。
そもそもの話、マン・レイらによるアジェの解釈には無理があり、その系譜に有るものが企画したからこその「こじつけ」であり、
(写真展の説明にシュルレアリスムの先駆として持て囃された「日食の間」を持ってきているのがそれを象徴している)
世に出た瞬間から解釈と曲解の歴史であってた事を象徴していると言う点に於いて、また「改めて踏み付けにして見せる」と言う点に於いて、アジェと言う写真家の不幸を分かりやすく見せてくれた写真展であった。
地下一階から地上の三階まで、四つの展覧会・上映会が、それぞれ別の料金で開催されているのだけれど、受付には展覧会一覧も料金表も無い。
受付の係員の一人が展覧会一覧の表をもって来場者の対応をしていてたが、現場に設備の劣悪さの尻拭いをさせる設えに成っているのが先ずいただけない。
一階の総合受付の横にあったミュージアムショップを二階に移した事も含め、改装して不便になると言うのが分からない。
何の為の改装だったのか。
逢田梨香子
巻頭8ページ13カット、うち見開き1箇所。 撮影は佐藤裕之。
襟刳りの広いロングTシャツの中に水着、チューブトップにホットパンツ、ノースリーブの白いブラウスに紺のスカート。
露出度は高めだが寧ろ隠す感じ。
仄めかすのみで実体は見せない。
こう言う「考えに考えた」グラビアが私は好きなのだけれど、血気盛んな向きには物足りないかもしれない。
ほのか
巻中5ページ10カット、撮影は唐木貴央。
表情は未だに諧調少な目だが柔らかさは出てきた。
ポーズには幅も出てきており、撮る側が試行錯誤しやすくなっている。
廣田あいか、柏木ひなた、中山莉子
巻末5ページ20カット、撮影はHIROKAZU。
この事務所はグラビアの構成に官僚的に容喙するので詰まらないものになりがちだが、今回は上手く纏めてある。
相変わらず猿芝居が山盛りなのには頭が痛いが、臭いカットは小さめにして薬味として使用し、一枚で語りきれる訴求力高めのカットを大きく使う構成が良い。
えなこ
巻頭(広告も入れると)9ページ9カット、見開き2箇所。 撮影は桑島智輝。
連載マンガのキャラクターに扮しつつ、衣装にひねりを加えて露出度を上げる手法。
カメラマンとモデルだけでなく、すべての裏方の「チーム」として上手く機能しているので、作り込みが緻密。
私の好みからは外れるが、質の高い仕事。
最後にゲームとのタイアップ広告で見開き3カット。
森田ワカナ
巻末5ページ9カット、撮影は佐藤佑一。
肉感的な部分を分かりやすく提示した中年男性向け週刊誌にありがちな構成。
劣情を刺激する目的は短絡的ながら果たせている。
渡辺梨加
6ページ16カット、うち見開き1箇所。写真集の広告1ページ。両面ピンナップとクリアファイルが付いてくる大盤振る舞い。 撮影は阿部ちづる。
ギリシャで撮影した写真集からのより抜き。
「ギリシャ」。
語感はよいが日差しは厳しい。 街も壁も白く、照り返しも強い。
案の定、光を背負わせたカットが多い。
結果的に口を引き結んで目を見開いた決め顔になってしまっている。
カメラとの向き合い方は肩の力が抜けていて悪くないが、表情の諧調は乏しい。 そこで更に決め顔過多になると単調さに拍車が掛かる悪循環。
阿部ちづるは背景を構成する線を使った構図の切り方は上手いのだけれど、「串刺し」「首切り」と言った禁忌を気にしないどころか、そう撮っているようにすら思えるのはいただけない。
絵になるように配置するとその罠に填まりがちだからこそ、気をつけなければならないと私は考える。
気を許した相手に見せる表情は捉えられているので、資質にも腕にも恵まれていると思う。 なので余計に被写体を軽んずるような粗忽さが目に付く。
写真集は購入する予定だが、暗澹たる気分ではある。
つぶら
巻末5ページ12カット、撮影はこちらも阿部ちづる。
後ろに何もなければ、画面構成は上手い。
着せ替え人形がテーマなので、表情は単調でも成り立つ。
巻頭と比べてみると粗だった部分が美点にも成り得る事が分かる。
予約クリック合戦の結果はまずまず。 物販でお賽銭を納めたあと、暫く時間を潰して開場待ち。
近くに居た夏の大規模アイドルフェスでnotallを知り、今日初めて定期ライブに足を運んだと話すお客さんと常連さんとの会話が興味深かった。
チケットは買ったものの、どう言う順番で入場するのか分からなかった様子。
楽しみにしている気分が言葉の端々から滲み出ており、常連の人もそれに応えてチケットを買う手順から入場の順番まで、丁寧に教えていた。
慣れて仕舞うと気にならなくなるが、初めての人には確かに分かりにくい。
物販のレギュレーションも含めて、訳知りの人が多くなってしまっている弊害を感じた。
同業他社と較べても分かり易くすべく簡略化されているが、何も知らずに来た人でも分かるようには整理はされていない。
私の理解としては
TIGETと言うチケット予約サイトで予約すると整理番号が貰える(TIGETそのものは無料)。
予約しなかった場合、予約者が入場した後に入れる。
チケット代は予約してもしなくても同額。
チケットは七時半から三階のスタジオ入り口で販売開始。
券売機でチケット代と同額の入場券を購入、予約していた場合は整理番号を告げて予約表と照合、半券の裏に番号を記入して貰う。
開場時、スタッフが番号を読み上げるので、順に入場。
基本的に立ち見、事情がある場合、事前に相談すれば椅子を用意してくれることもある。
だいたいこんな感じになっているのだけれど、初めての人には些か分かり等難いらしい。
(私の理解も違っているかもしれない)
終演後にも聞くともなく聞いていると、初めて来たと言うその人は、当日券で入ったため後ろの方になってしまい、「聞こえるが見えない」状態だったと語っていた。
常連の人は「一度前で見ると後ろでは見られない」と話していたが、それだけの落差は確かにある。 私にとっては「撮れる」「撮れない」が重要な問題であるが「見える」「見えない」もそれなりに切実であるようだった。
会場の STUDIO WAROS はそもそもがライブハウスではなく収録スタジオなので、舞台が低い。
そこへ持って来て立ち見なので、後方からだと先ず見えない。 人垣が厚すぎるので隙間からとも行かない。
思い立ったときに見に行きやすい価格設定と会場規模ではあるのだけれど、見えにくいのが疵。
客が考えるような事は既に検討済だとは思うが、前二列くらいを座りにしてしまった方が良いように思う。
今回は事前に告知されていたが「ノンストップ公演」。
合間に給水するくらいの間はありつつも、中休み無しで十曲ほど。
見せる曲乗せる曲聴かせる曲楽しませる曲取り混ぜて飽きさせない。
重馬場に強く、荒天でもアウェーでも海外でも動じない強さがあるので、「ノンストップ公演」も初めて演った気がしない。
例によって手抜き無しなのだけれど、notallの全力は「やるべき事」のみに傾注する愚直な「全力」ではなく、「やるべき事」「やったら面白い事」「やっちゃいけなそうだけれど、やっても怒られなさそうな事」を取り混ぜて、時に直感で、時に状況から判断してその場で出来る最良を最大でやる「全力」。
トンパチな田崎礼奈が単パネしても、浮き世離れした片瀬成美がボケても、本人も含めてなんとかしようとするし(※丸投げでなんとかしないこともある)、だいたいなんとかなる。
予定調和では決して終わらない、終わらせないところにnotallのライブの面白さがある。
開演が多少遅れたのは覚えているが、終演して会場を出る際に時計を見たら十時半になんなんとしている。
流石にこれには驚いたが、時間感覚が麻痺するくらい濃密で楽しい一と時であった。 終バスは逃して電車で帰る羽目にはなったが、細かいことはどうでも良くなる充実感。
来年からは開演時間を一時間早めて、終演後に物販を行う形式に変えるとのこと。
それでも開演は20:00なので、勤め人に優しい。
より充実した定期ライブを期待したい。
# 匿名 [今更ながら人って生まれてきた以上何れ死ぬって事に気付かされました。正直しんどいですね・・・合掌]