今回の副題は「猛暑に負けず、新富町の会議室で鈴木伶奈生誕!今回は久しぶりのチーム曲も披露!もちろん二時間を超える大ボリューム公演!!」。
2時間どころの騒ぎではない長丁場だったが、ダレ場も無く、気が付いたら終わっていた。
今回から入場が整列ではなく呼び出しに変わり、客の側でスマートフォンの画面に整理番号を表示し、番号順に入場。
確かに酷暑の中、短時間とは言え密集して並んでいなければならない必然性は無いし、客の自律性を信頼するところはPIPらしさなのかも知れない。
これまでで最もスムーズな入場。
大規模屋外イベントと日程が重なったので、集客はいつもより少なめ。 特に沸ければ良い系の客にその傾向が顕著。
これはPIPに何を求めてきているのか、その層の優先順位が何処にあるのかが、その選択と行動に影響しているのではないかと思う。
少なくとも私がアイドルに求めるものは、件の大規模イベントには無かった。
入場が一段落し、影アナは空井。 元気がありすぎるくらい元気だが、それだけ充実しているということだろう。
開演時間になり、暗転して出囃子。 曲が終わる頃合で並び終えて一曲目。 入り捌けについても考えられ、練習も重ねられているのが見て取れた。
例によってDreamin' girls から RUN RUN RUN。 狭い所で歌い踊りながら移動するのと、まだ不慣れなのでぶつかりそうになることがあるのだけれど、お見合いになってしまうのはいただけない。 ぶつかってもよいくらいに躊躇無く動き、見切って交わすのが理想。
曲が終わってからの自己紹介は簡潔にして、お披露目の際にざっくり分けた3グループ対抗ので歌とMCの対決。 それぞれ工夫が凝らされていたが、空井がパワーポイントと言う飛び道具を駆使し、自らは脇に回ってメンバーの個性を引き出すのに専念したのは実に良かった。 一歩引く事で空井自身の個性も浮き出ていた。
石川は髪型から衣装から妙に気合が入っており、MCも主導していたのだけれど、漲るやる気は空回りするところもあり、いつも通りのメンバーの中で独り一寸硬いのが気になった。 この理由は最後の最後で氷解するのだけれど、リーダーとしての責任感が石川を育てているのが見ているだけでも判る。
プロデューサーの濱野智史は洗濯し過ぎて透け掛かったパタゴニアのティーシャツに七分丈のパンツと言ういつもの出で立ち。
照明を購入した事を前日の別のイベントで話していたが、早速3つ買い足したとのこと。
ユニットコーナーは入り捌けにしてもマイクやマイクスタンドの扱いにしても、かなりこなれて来た。
セーラー服など、衣装然とした衣装では畳み皺が目立ったが、小道具を含めて充実させようとしているのは評価できる。
リーダーの石川はユニットでもピリピリする気合と、細部まで神経の通った動き。 これがさり気なく出来るようになれば本物。
羽月・濱野(舞)で新カバー曲「ライオン」。
只の鼠ではない二人による金の取れる芸。
小林希望はソロ・ユニット含めて大車輪。 押し付けがましさが無く、丁寧で味のある歌声。 オケはガイドメロディー付きのショボさでも、小林の歌声に説得力が増した所為か気にならなくってきた。
ユニットコーナーのあとは、鈴木の生誕企画。 ソロで一曲歌い終えたところで、本人から辞める旨発表。
石川のピリピリしていたのも、牛島の冴えない顔をしていたのも、鈴木の噛み締めるように歌っていたのも、全てはこの事に起因していた。
知らなかったメンバーの方が多かったと見えて動揺が走り、そこかしこで嗚咽、そして号泣。
本業のイラストの仕事が多忙を極めての決断とのことで、今後はイラストレーターとしてPIPに関わって行きたい、と鈴木。
読み上げられた濱野からの手紙は、まさに担当教官からの惜別の辞であり、文字通りの「卒業」であった。
La Dernière Classe...
このタイミングで新メンバー加入の発表。 新メンバーと言うか「PIP京都」立ち上げのお知らせ。 世界同時革命さながらの無茶な展開。
アンコールの「初恋サイダー」は、派手に泣いた後なので歌い出しが安定せず、悔しそうに声を整えつつ持ち直していく羽月が良かった。
何故斯界で歌われすぎているこの曲なのかと訝しく思っていたが、濱野智史曰く「地下の定番曲ですが、その中でも一番を目指します。」 確信犯だった。
見る度に何かしら変わっているPIP、その多くは良い変化であり、悪い変化も無くは無いが、着実に前に進んではいる。
回を重ねるごとに(まぁ、前回はヒド過ぎたが)ダレ場も減っており、3時間からの長丁場であったが楽しく過ごすことが出来た。
木戸御免でそこにしか金を落とす場所が無いと言うのもあるが、アイドルの接客業としての側面には惹かれない私ですら物販に行くくらいには楽しい。
「ついにゲストを呼んでPIP初対バン!かかってこいや、あヴぁんだんど!そして姫乃たまのアイドル卒論をみんなで手伝うしか!」とのサブタイトル付き。
その所為か予約の椅子取りゲームも熾烈なものとなり、80からの枠が早々に埋まっていた。
私は何とか若い番号が取れたので開場時間少し前に現地へ。 スマートフォンを利用した本人確認システムには、客のほうも慣れて来たようだ。 暑い中然程長い時間並ばずに入れるのは有り難い。
整列入場の仕切りは大分こなれて来ており、スムーズに進行。
スタッフごとの習熟に差があるようなので、積み上げたノウハウの共有が次の課題。
ゲストに鑑みてか立ち見に「沸きたい人ゾーン」を設定。 濱野曰く「様々な嗜好のお客さんを共存させたい」との事であったが、客の理性とモラルに頼った施策なので、自己中心的な客が大挙して押し寄せた場合には簡単に破綻してしまう危うさがある。 今回は完全に破綻、企画倒れに終わった。
ライブの流れを止めてまで制動は掛けないと言う事だったのかもしれないし、止める気がそもそも無かったのかもしれないが、スピーカーに体当たりし、ケーブル踏み荒らし、床にお茶をぶちまけ、椅子を蹴飛ばし、機材が壊れようが会場が使えなくなろうがお構い無しの手合いを招き入れてしまった以上、予め最悪の事態迄想定しつつ、そうならないように手を打つべき。 それが送り手としての責務。
マイクは、前回使った中古品が使い物にならなかったので、新品を買ってシステムから組みなおしたとの事。 音響方面に関しては会議室で出来ることを突き詰めてやっており、音量的にはスピーカーの性能的にも近隣への配慮からもこれ以上は難しいくらい上げていたし、ハウリングもごく初期で収束させており、耳障りな所はなかった。
ただ、客が騒ぐとオケの音が演者も客も取れなくなり、それぞれがそれぞれにずれていると言う笑えない事態も。
打てる手としてはモニタースピーカーだが、ハウリングの問題もある。 さてどうなりますか。
全体的に良くなると、手を付けられていない部分が粗として見えてきてしまう。 マイクスタンドの高低・角度の調整しにくさが入り捌けを遅滞させてしまっていたし、調整をあきらめた結果歌声を拾わなかったり(返しが弱いので「拾っていない」事にも気づかない)、一寸勿体無かった。
今回は借り物の劇場 overture ではなく、インストゥルメンタルな出囃子を長めに流していた。 口開けは Dreamin' girls から RUN RUN RUN。 立ち位置や移動の間違いはまだ有るが、表情は大分柔らかくなってきた。
ゲストに時間を割くためか、全体曲はこれだけ。 自己紹介のお題トークも割愛で、ユニットコーナーに出ない連中は碌に出番も無く。 これでゲストが良ければ救われるるのだけれど、残念ながらそうでは無かった。
ゲスト一と組目は、濱野が同時進行で手がけている「あヴぁんだんど」
AKB48の「制服が邪魔をする」から始まったのだけれど、これがまた酷い。
歌えてもいないし踊れてもいない。 そもそも音程からして怪しい。
原曲レイプをやるなら、それ相応の覚悟を持ってやっていただきたい。
ついている客も酷いもので、「別の現場にまでBiSのティーシャツを着て来るのはそれを免罪符にして無法を働く連中」と聞いてはいたものの、いざ目の当たりにすると予想を超えた駄目っぷりに驚く。 群れないと暴れられない蝗のような連中と言うのは実にタチが悪い。 バカの受け皿としてのアジールであるアイドルが成立し得ることが判ったのは収穫であった。
続いて登場した姫乃たま。 ヌルいとは聞いていたのだけれど、こちらも想像以上。
「みんな盛り上がってください」だの「声が聞きたい」だの、しつこく煽るのが鬱陶しい。 「北風と太陽」の例を挙げるまでも無く、盛り上がる環境を作るのが演者の仕事であり、それを客に強いるのは筋が違う。
地下アイドルについての卒論を書きたいとの事であったが、所謂「地下アイドル」と言うものの成り立ちも定義も知らないし、身の回りに教えてくれる人も居ないようだった。
「地下アイドル」を業者として自称した嚆矢がアルテミスプロモーションの野間真(現在は撮影会業者「いちごはうす」代表)ではなかったかと思うが、その地下アイドルの定義は「売れることを志向せず、小規模なライブや自前のイベントでの少数の客からの収奪で生計を立てる」ビジネスモデルであったと記憶している。 だから「地上に出よう」「売れよう」とする意欲のあるものは、現在いる階層が地下であったとしても、本来的な意味に於いては「地下アイドル」ではない。
姫乃たまは今すぐスタイルキューブの門を敲いて野口社長に教えを請うべき。 いちごはうすの野間は、おそらく自分に都合の良い話しかしない。
「ソロは嫌いなんですか?」と自虐的に問い掛けていたが、ソロが嫌いなのではなく、腐った魚は食べられないという事。
ここ迄、長すぎる弁当幕。
姫乃たまが残って、濱野が卒論の構成を考えて差し上げるコーナー。
面白いと思った事については損得抜きで関わる濱野らしさが出ており、賑やかしのメンバー2人と姫乃から色々聞き出しつつ、勝手に論文の構成を進めて行く、そしてそれはホワイトボード上で完結し、見ているこちらは楽しいがメモも採っていない姫乃には殆ど得るところが無いと言う、よく出来た喜劇。 まぁ、その辺りは個人的に聞き出していくのであろう。
姫乃たまには、現場経験以外のアイドル知識が殆ど無い、そんな「なんにもない机の引き出し」の状態で論文を書こうとしているのが空恐ろしい。
漸くユニットコーナーに移ったが、盛り込みすぎた所為か濱野の進行も端折り気味。
演出、道具立て、歌唱も練れてきており、総合的に良くなりつつある中、改善されていない部分の粗が目立つ。。
前述の通りモニタースピーカーが無く、返りが弱いからか歌いながら音が取れなくなる場面が見られたし、マイクスタンドの使い勝手の悪さ、メンテナンスの不備も目に付いた。
面白かったのは同じユニットでも濱野舞衣香はスタンドマイクの扱いが上手く、羽月あずさは手持ちマイクの扱いが上手い。 補い合えれば更に良くなると思う。
小林希望のソロ。 今日も客の手拍子が裏になったり表になったり。
予定調和で姫乃たまにアンコールをやらせて「初恋サイダー」。 振る舞いも含めて羽月が上手い。
今回はゲストコーナーが蛇足な上にも蛇足で、特に「あヴぁんだんど」は客も含めて二度とお目に掛かりたくない。
姫乃たまも浅薄で且つヌルく、本人の言動もライブも退屈極まるものでありつつ、その隙の多さが濱野の研究者気質を刺激しており、灰色の脳細胞を働かせる為の触媒としては上手く機能していた。
仕事を遣り繰りしてサンストリートへ。 18:20過ぎに着くとベンチは既に埋まり、立ち見で二重三重の人垣。 早く来てベンチに座っている連中は比較的自由な服装。 立ち見はサラリーマン風の出で立ちが多い。
18:30頃からリハーサル。 一曲だけ浚う感じ。
結果が付いて来ているからだと思うが、ステップワンも漸く"東京"と言う場に対して肩の力が抜けてきた。
スタッフからの諸注意のあと、ライブスタート。 短めの自己紹介と告知を挟みつつ、既存曲から3曲、新しいシングルから3曲。 みっちり30分。
新曲の衣装はまた形容しがたい形状で、前から見るとコートのようでありつつセーラーカラーの付いた淡いピンクのワンピース。 立っていると身体の線にぴたりと合っているが、プリーツは深く取ってあって、クルリと回るとフワリと広がる。
カチューシャなのかカチュームなのかヘアバンドなのか、遠目からは判然としないが、同じ素材でそれぞれ違うデザインの髪飾り。
5人それぞれに見せ場があり、聴かせどころもあるのだけれど、早坂香美が目を惹いた。 すーっと動いてぴたりと止まる、激しく動いても決して流れず、柔らかく静かに収束。
今度のシングルはタイトルチューンの "sky traveler" 、白戸佳奈が作詞を担当した "keep on tryin' " 、そして"恋の花火"。
昨秋に出た "ASIAN STONE" の頃から売り方が変わり、私は非常に好きなのだけれど、これで売れるのか些か不安でもある。 その極みが"恋の花火"。
バックバンドがバックバンドに徹しつつ、とても楽しそうに演奏しているオケも素晴らしいし、歌がそれに乗っかって更に楽しそうに伸び伸びと。
「渋谷系」のレッテルを貼られて怒った川勝正幸が「渋谷系じゃない、媚薬系だ」とライナーに書きそうな洒落乙なポップス。
こう言う曲を聴きたい層に上手く届いて、広く売れて欲しい。
BeeHiveは、六本木の路地裏、住宅地の中にある。
この街は路地が入り組み、高低差もあるので地図を見ながらでないと辿り着けない。
開場15分前に着いたのだけれど、既に数名。 三々五々集まってくる客に対してライブハウス側からの整列の指示などはなく、なんとなく屯して時間を潰す。
駄目だこりゃと思ったのは客の質の低劣なこと。
ライブハウスの敷地内ではなく、その前の、住宅地の中一方通行の路地に並ぶともなく屯して、携帯灰皿を使うでもなくところ構わず煙草を吹かし、音を出したまま動画を見る。 他者への想像力とモラルの欠如した客層。
ライブハウス側も当たり前のように15分遅れで開場する目糞鼻糞感。
列が出来ていた訳でもないので、なし崩し的に入場。
峰尾こずえ
「トップバッターで出ることは良くあるんですけど、こんなに人が居るのは初めてです」と腰を低く始まったものの、「はいみんな声出して行こう!」と居丈高になったり、歌が終わればまた神妙になったり忙しい。
ほぼ親の年であろう客を相手に声優系お兄ちゃん小芝居など。
歌はそれなりに歌えているが、振る舞いが素人。
MilkShake
曲が良いのは知っていたが、歌って踊っての部分もしっかりしていた。
振りの独自解釈が進み過ぎているきらいは無きにしも非ずだが、止め撥ね払いはしっかりしており、敢えて刈り込まないようにしているようにも見える。
分かりやすく可愛らしいのと、噛んで味の出るのが混在。 牧歌的なようでいて、背筋はピンと伸びている。
ミルクセーキで驚いたのは、九州の同種のモノより都会的だったこと。 土着性の薄さ。肩肘張らない古くから開けた国際港湾都市のゆとりと言うか、城下町にはない「都市の空気は自由にする」おおらかさのようなもの。
長崎で、街の空気を吸いながら観てみたい。
KOTO
頭を両手で掴んでクイッと動かすような振り付けが目を惹く。
「三倍速の操り三番叟を踊る、捨てても捨てても帰ってきちゃうカラクリ人形」みたいな上質な不気味さ。
亜利美里
元々は声優を目指していたそうで、出自を感じさせる歌い方。
オリジナル曲の出来は悪くないが、オケの出来がチャチなのが気になった。
本人作詞の曲は言葉が直截的で含みがない。
シブヤDOMINION
「今日は○○と××の卒業セレモニーにお集まりいただき、ありがとうございます」で始まり、腰を抜かす。 湿っぽいまま進行。
片手にマイク、片手に光る棒。 これを暗転中も消さないのが、このグループが負の連鎖の中に居るのを象徴しているように思われた。
やってはいけないこと、やらないほうが良いことに気付けない。 見ているのが自分たちの客だけだと思ってしまっていて、まぁそれはそうなのだけれど、より多くの客に知らしめよう届けようとする気概が感じられぬ縮小再生産。
動きも良く、歌割りも複雑だしハーモニーも綺麗なのに、何故かうらぶれた感じが痛々しい。
「PIP3回目イベント「PIPの拠点は新富町!会議室で毎週日曜定期でやるよ!そしてメンバー羽月さん(あずにゃん)生誕もやるしPIP初のチェキ解禁もやるぜ!」公演」と題されていたものを観覧。
入場予約分はあっと言う間に埋まってしまい、当日券で入るために開場15分前に現地へ。 看板やポスター・貼紙の類は無く、客もどうして良いやら思案に暮れてなんとなく屯しているところにスタッフ登場。 相変わらず段取りは悪く、予約者50人を10人ずつ並ばせたいにしても、番号札を用意するなどの工夫は見られず。
列を整理しようとする姿勢が見られるようになっただけでも進歩と考えるべきか。
濱野がPIPについて設計した部分は、地面から上に出ている部分のみ。 モデルハウスではなくモデルルームに近いもので、アイドルグループを支える「基礎にあたる部分」がすっぽり抜けており、水周りや電気ガスなどについても考えられていない。 ここが危うい。
ロハの気軽さからか予約するだけして来ない客も多く、実際に入場した予約者はざっと見て2/3くらい。 昨今の情勢に鑑みてなのか、荷物は別室に置いてから入場して欲しい旨、主催者側からお願い。
番号札を荷物に付けて預けるでもなく、机の上に荷物を置くだけ。 荷物番は付けていたが、テーブルの上に鞄を置くだけの、客の善意に頼ったやり方。
板の間稼ぎをしようと思えば出来る状況で荷物を置かせるのは如何なものか。
オフィスビルの会議室でやる意図が分からなかったのだけれど、濱野の勤め先だそうで。 土日は休みなので気軽に借りられて、大きな音を出しても苦情が来ない。 先週の公演のあとも怒られなかったそうで「もっと沸きましょう」(濱野)
備え付けのプロジェクターに、濱野の私物パソコンから背景画像的なものを壁に投影。 左右にスピーカーを配して上手側にPA。 ワイヤレスマイクはそれなりの数揃えつつ、ハウリングが起きないのは良い。
ただ、無闇にレベルを下げてしまう傾向があったのは気になった。
その所為か、スイッチが入っていてもマイクが死んでいることがままあり、マイクを叩いて確認するメンバーが居た。 マイクの扱いに関してはきちんと教育すべき。
スピーカーは仕方ないにしても、舞台を客席と明確に区切らない、高さを付けないのはいただけない。 教壇程度のものでも舞台としてのスペースを意識して演らなければ、お遊戯会意識は抜けない。
開場前の客の扱いであったり、クローク未満のクロークであったり、音響担当者の拙さであったり、何度も書いているが濱野はアイドルグループそのものの設計はしているかもしれないが、それを支える部分が実に杜撰。 イベントの運営について拙さは自覚しているようには見受けられるが、改善しようとする意思はありつつも意志ではないような、やりたいけれど重要度は低い事とやりたくないけれど重要度は高い事だと前者を優先してしまうような、送り手としての甘さも気になる。
例によって3チームに分かれて、それぞれの持ち歌を1曲ずつ披露。 衣装は揃いのポロシャツにチームごとの小物(リボンやスカーフなど)を身に付けていたが、キャプテンマークを付ける事にしたようだ。
お披露目から較べれば硬さは取れてきたものの、未だ金の取れる見世物にはなっていない。 なってはいないが「そうなろう」「そう在ろう」としているのは見て取れる。
全体曲の「タンポポの決心」のオケがガイドメロディー付きだったのに象徴されるのだけれど、どの曲をやるかについての拘りはあるものの、それをどう見せる・聴かせるかについてについては拘りが感じられない。
曲によってオケの録音レベルもバラバラ、それを使うに当たって調整もしない。
マイク音量とオケの音量のバランスは取っている形跡はあるが、客が入ったときにどう聞えるかは考えていないし、ライブ中にそれをチェックすることも無い。 客が騒ぐとオケも歌も掻き消されてしまって、それに音響担当者が疑問を持たない。 これでは「物販・接触重視」「ライブ軽視」ととられても文句は言えまい。
ソロコーナーは濱野がそれぞれの人となりを熱く語ってから歌わせる「ドキュメント女ののど自慢」方式。
特設MCコーナーとして山本緑の思考について3次審査で書かせたアイドルについての文章を叩き台にして詳らかにして行ったのも含めて、容姿のみならず思考についても精査した上で採用し、それを客に伝えるためにどうするか考えている所は濱野の美点であると思う。
送り手としての拙さ至らなさは大いにありつつも、濱野の人としての面白さで相殺されてしまって、イベントの後には不快より愉快が多く残る。
羽月あずさの生誕コーナーも、グループ加入前からの友人である濱野舞衣香の手紙、羽月による生い立ちなども絡めた重めの挨拶など、考えるアイドルとしての側面を強く押し出していた。
現状では沸ければ良い層、触れ合えれば良い層が客の中心になっているが、上手くアウトプットすればそこに重きを置かない客層にも届くのではないかと思う。
濱野智史プロデュースのアイドルグループ「PIP: Platonics Idol Platform」を観察するサイト「日本革命的濱野主義者同盟 革命的ハマノ主義者派(革濱同・革ハマ派)」は、Yahoo!ジオシティーズによる不当な弾圧により、正常な表示がなされない状態になっております。
フレームの切り分けと自動挿入される広告表示用のスクリプトが喧嘩しているようなのですが、自動挿入である以上こちらからソースを弄ることも不可能であり、スタイルシートを使うことも考えましたが、そんな知識は既に脳内で腐敗しており、面倒になったのでサーバーを借りて移転しました。
日本革命的濱野主義者同盟 革命的ハマノ主義者派(革濱同・革ハマ派)
ffftp を再び使う日が来るとは。
先日来、書きかけで放置していたものの続き。
つりビット「つりの恩返しvol.1~まずは表参道を釣り上げます♪~」(2014.6.14 表参道GROUND)(2)
聞間彩の一歩引いたセンターぶりが面白かった。 機関としてのセンター。 センター機関説。
表参道に待機列が出来ており、先ずはそこに並んで入場待ち。 並んでいる間に金属探知機などを使って軽くボディチェックなど。
やる側もやられる側も空しい。 これで何かやらかす奴が捕まるとは誰も思っていないが、世間様に対してのアピールとしてやっておかねばならない。
入場時には荷物チェック。 入場開始は少し遅かったが、スタッフの動きが的確で、開演は遅れなかった。
スポンサーの生コマーシャルなどもあった後、ほぼ定時に開演。
昼夜2回公演の両方を観たのだけれど、一本のライブをこなせる持ち歌が漸く揃い、メンバーの技倆や体力が追いついた頃合を見計らってのワンマンライブであるのが伝わる作り。
楽曲にしても衣装にしても、手持ちのものを丁寧に組み立てて見せる工夫がなされていた。
暴れたい盛りの客は居らず、昨今の風潮で発光持続時間を気にせずに済む書類の光る棒を常に手にしているので、手拍子も静か。
煽るような曲が少ないこともあり、落ち着いて見ていられる。
縦に長い箱なのだけれど、舞台が高いので後ろからでもメンバーの首から上くらいは辛うじて見える。 天井が高いので音の回りがよく、空調もそれなりに効くし、二酸化炭素濃度が上がり過ぎないのもあり難い。
それなりに歴史のあるところなので、照明は LED ではなく、普通のライト。 発熱量は大きいと思うが、明滅が緩やかで目には優しい。
トベタ・バジュンの手がける楽曲は、中田ヤスタカが作るものがカルピスだとすると、コーラスとかミルトンとかそういう物であるような印象を持っていたのだけれど、つりビットの曲はあまり歌声が加工されていないので、危惧していた「まがい物感」は無かった。
但し、曲によってオケの出来不出来の差が激しく、シンセサイザーでは再現しにくい種類の楽器の音を、その楽器を使っているようにして作った楽曲の安っぽさはいただけない。
オケに被せた感じは無く、ほぼ生声だったと思うのだけれど、マイクの持ち方はかなり荒っぽく、口と正対しておらず、口からの距離も変動するのに何故か拾っているのが不思議だった。
青ショートボブ、赤ボブ、緑ツーテール、ピンクポニーテール、黄色ゆる巻きロング。 それぞれ顔立ちに合った髪のあしらい。
イメージカラー赤の聞間彩が真ん中に立つ曲が多く、その際は周りが中心を守り立てる様な形になるのだけれど、そうではない曲もあり、そんな時は聞間彩が守り立てる側に廻ることになる。
面白かったのはこの聞間の「曲ごとの振る舞いの違い」。 守り立てるときは大きく、守り立てられるときは控えめに。
真ん中に立ったときは我を張らず、象徴としての振る舞いになる。 機関としてのセンター。
2曲~3曲やって、間繋ぎの喋りで小休止と言う構成は、メンバーの体力を図った上で練られており、喋っている間にも代わる代わる捌けて行って暫く帰って来られなかったりもする状態ながら、歌って踊っての部分では疲れを見せることも無く、金の取れる出し物としての質は最後まで保たれていた。
聞間彩はダンスも歌も飛びぬけて上手くは無いが目立って下手でもなく、それでいて立っているだけでも目を惹く。
自然に目を惹くので殊更張り切って踊る必要も無く、そうすることで守り立てる側の見せ場も作っている。
驚いたのはマイクと口との距離と角度がほぼ一定に保たれていること。 顔を隠さず、きちんと音を拾う位置にマイクがある持ち方が崩れない。
仕込まれてそうなっているのか、個人の資質としてそうしているのかは分からないが、やっていることの質が高い。 質は高いのだけれど、その質の高さが実に分かりにくいところにあり、それが実に面白かった。
次のシングルは山下達郎のカバーで「踊ろよ、フィッシュ」。
山達が許したからシングルとして出せる訳で、許したからには及第点は付けているのだと思うが、さてこの曲がサンデー・ソングブックで掛かるかどうか。
とりあへずリクエスト葉書を書いてみようと思う。
※周辺に迷惑がかかりますので、入場開始前に並ばれる場合は14:00頃からでお願いいたします。・・・と注意書きがあったので 13:50 頃に様子見がてら現地へ出向いたのだけれど、その時点で既に建物の端くらいまで列が出来ており、時間の経過とともに伸びて行く。
濱野智史プロデュースのアイドルグループ「PIP: Platonics Idol Platform」を観察するサイトを作りました。
とりあへずはカキワリ的に玄関のみ。
日本革命的濱野主義者同盟 革命的ハマノ主義者派(革濱同・革ハマ派)
興が乗れば随時更新予定。
特集が「アイドルを守れ!」と言う事で購入。 図書館で済ませようかとも思ったが、買わないで貶すのもセコいなと思った次第。
特集を読む前に記事をざっと斜め読みしたのだけれど、或る程度金も地位もあり、勉強はしなかったがとりあへず大学までは出た、意識の高さについては自負のある中高年向け雑誌であることはわかった。 あらゆる揉め事が「ひとごと」に終始し、当事者意識のカケラも無い。 この雑誌の読者層が我が国を破滅に導いてきたことは明らかであるのだけれど、それについても全く無反省。
この雑誌の立ち位置を象徴しているのが「舞の海氏の「排外発言」記事についての見解」と言う編集長による署名記事。
「最大の差別・排外行為は戦争という殺人行為です。 日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などで、多くの日本人や外国人が昭和天皇のために亡くなりました。 それを正当化する集会そのものが排外的な意味を帯びています。」
濱野智史の「アイドル共産党宣言」。
「アイドル共産党宣言」と言いつつ共産主義的では全く無く、マルクス以前のフーリエやサン・シモンの性善説に基づく空想社会主義に近いし、引用も比喩も無いことから見て、共産党宣言でマルクスが何を語ったのか、おそらく濱野は知らないし、興味も無いのであろう。
因みにこの号の裏表紙広告は「経済と国家 宇野経済学を通して『資本論』を21世紀にどう生かすか」。
講師は向坂逸郎と宇野弘蔵の弟子である鎌倉孝夫と元外務官僚の佐藤優、講義2時間×3回で金弐万円也。 全ての講義が終了するまでに2年間と言うディアゴスティーニ商法。これに食い付く読者層に向けたアイキャッチとしての「共産党宣言」と考えれば得心が行く。
労農派の末裔が日本資本主義発達史講座みたいな事を始める21世紀に我々は生きている。
運営側による中間搾取をなるべくゼロに近付けた、搾取されないアイドルグループを実現したいとのことであるが、堅気ではない既得権益受益層との利害の対立も想定しているように見えないし、それらと向き合うことなく、摺り合わせる努力も無しに実行に移してしまおうとする厄介さはナロードニキ運動に通ずる。
結局のところインテリが主導する "上からの革命" であり、そうした地に足の着かない運動が繰り返してきた失敗の歴史からは何も学んでいないように見える。
濱野が痛い目に遭うだけなら未だ自業自得で済むが、巻き込まれた女の子たちの人生への落とし前はどう付ける心算なのであろうか。
開催前から物議を醸したイベントではあったが、実際現場で見ない事には何とも言えないのでとりあへず足を運んでみた。
会場の STAR RISE TOWER はかつての東京タワースタジオであり、ライブ会場としてはあまり使われていないのではないかと思う。
入り口に受付があり、そこで当日券を購入。 開演10分前に到着して整理番号が11と言う惨憺たる集客に驚く。
入場料+ドリンク代とのことであったが、ドリンクは無し。 開場時間になり、整理番号順に整列したのち、階下のスタジオへ移動。
大道具然としたものながらステージが設えられており、その両脇にスピーカーが重ねられて小規模ライブハウス的な空間をセットで再現した感じ。
積み重ねられたスピーカーの上にモニタースピーカーが置かれいてる。
約10分遅延して開演。 収録前提のイベントと言うことなのか、司会で吉本所属と思しき芸人さんが司会で登場。 イベント観覧に於ける諸注意と勝ち抜きのルールなどを説明。 この頃になるとそれなりに増えたのだけれど客の入りは悪く、主催者への不信感もあってか反応も悪い。 どうやっても盛り上がらないので苦労していたが、これは仕方が無い。
モエカワガールズ
原宿と秋葉原のメイドカフェが母体で、普段は「お給仕をしている」とのこと。
浴衣風ワンピースにローファー、帯の色がメンバーカラーになっている。
4人で一曲、もう一人出てきてその人がもう一曲(他のメンバーはマイクも置いてバックダンサーに)。
ここでグループ内ヒエラルキーが厭な形で見えてしまう訳であるが、その「特別なひとり」が衒いなのか照れ隠しなのか、告知をするにしても何にしてもテキトーな事を言っては横に居るメンバーがマイク引っ手繰ってフォローすると言う修羅場。
「かわいい」を鼻に掛けてしまった瞬間に全てが終わってしまうことを知らないで生きて来られたのであろう。
PLC
友人が入れ込んでおり、なるほど可愛らしく、曲もしっかり作りこまれている。
七色パニエを中に着たワンピースで、足元はローファー。 動きやすさと見栄えと価格を天秤に掛けると、落としどころとしてローファーなのだろうか。
6人中5人がセミロングのストレート。 見せ方としては美しい。
ただ、認知度を上げるために出てきた筈の投票系イベントで既存の客との馴れ合い前提の自己紹介を長々やるなど、ブロック経済的小規模収奪の構造に嵌っている悪循環が見られた。
メグリアイ
他が一曲演って自己紹介してもう一曲と言う流れなのに対して、二曲演ってから自己紹介と告知を纏めてやる構成。イベントの趣旨に合わせて練られているのは良い。 告知も直近のものに絞り、「詳しくは片仮名の『メ グ リ ア イ』で検索してください」と簡潔に。
惜しむらくは、このイベントが不特定多数のアイドルを見に来る祝祭空間としては機能しておらず、目当てのアイドルが出るので仕方なく見に来た客だらけであった事。
方向性としては正しい。
パステル☆ジョーカー
太陽系の端っこ系の色味のセーラー服衣装で、足元は矢張りローファー。 付け襟なのか踊っているうちに外れかけたりずれたりしてしまっていたが、目立つ所なので気になった。
歌の上手い下手はさておき、声の量と圧は4組の中で一番であったように思う。
総評
4組終わってほぼ一時間で終演。 一と組あたり二曲と非常に短い。番組で流すために「ライブやってました」と言う絵さえ撮れれば構わないと言う事なのであろう。 持ち時間の終わりに司会者との冗長なやり取りの時間を設けていたのも、その為であったと思われる。
呆れたのは物販。 千円のタオルと二千円のティーシャツが公式グッズとなっており、これの売上高が審査に反映されるとあって、それぞれそのグッズに接触権を付けて販売。 入場券には握手券が一枚付いてきて、それも投票権として扱われるとの事であったが、それ単体で行使できるような状況ではなかった。
小規模ライブハウスで行われているアイドル対バンライブの収益構造を明確化し、約款で呑めるか呑めないかギリギリの線を定める作業に血道を上げた結果、イベントとしての魅力を演出としてすら示せず、アイドルの送り手にも客にもソッポを向かれて鳴いた閑古鳥なのであるが、見捨てられても仕方が無い、淘汰されて然るべきイベントあることは間違いない。
別項にて述べるが、ムービーカメラは常に客席にも向けられており、司会者の客弄りは例によって「ヲタ晒し」。
まあ、予想通りではあるのだけれど、送り手も客もあるある甲子園は無かったことにした方が良い。 ライブは2曲、空調も音響も悪いスタジオでヲタ晒しに遭うために千円払っても良い鷹揚な人にのみ、お薦めできる。
企画そのものについては別項にて。
コラム置き場に
あるある甲子園雑感
をアップロード。
出演者以外の、イベントそのものについての纏め。
うまく行っていない事への危機感を持っているスタッフと持っていないスタッフの温度差もあり、何故上手く行かないかについては結局誰も理解していないような、絶望的なお祭りであった。
押上ワロップ放送局の「戦国アイドル無双」と言う番組を勝ち抜いたということで、ご褒美の特番。 椎名七海を除く全員が出演。 メグリアイの出演者変動の仕組みが、今もって分からない。
前半はアンケートやお題トークでメグリアイのメンバーの実像に迫る趣向。 進行役としてワタナベエンターテインメントのパイナップリンと言うコンビが入っていたのだけれど、これが良かった。
アイドルイベントの司会などでアイドルに興味も関心も無い芸人が入ると、その場しのぎの進行に終始することが多いのだけれど、事前に取られたアンケートも読み込んでいたし、それぞれが名札を付けていたというのもあるが、ちゃんと名前で呼んでいたり。 何処まで乱暴に扱って良いかと言うところでの戸惑いは多少あったが、媚びもせず粗暴に過ぎることも無く、上手く扱っていたと思う。
加入当初は仕切り癖が強くて如何なものかと思った野月まいだが、押し引きが上手くなっていた。 混ぜっ返しておいて他のメンバーに振ると、そのメンバーも生きるし、野月の印象も悪くは無くなる。
これまで誰もコントロール出来なかった山田渚を或る程度制御できているのも良い。
最後の30分はライブ。 進行表には無かったようだが、パイナップリンの二人はライブの呼び込みまでやってから捌けて行った。
8人中5人でライブに出ることが多いからか、5人以上出演する日でもステージの上には5人と言う事が多い。 今回もそれで、メンバーが入れ替わりつつ30分。
まだポカは多いし、動きにも情緒は無いのだけれど、白鳥愛花の振りが大きく早くなってきたので、大分見栄えは良くなった。 踵重心でドタドタ動いていた頃とは違い、爪先で立って踵を飛ばして動けるようになったのが大きい。 岡崎に次いで足が長く重心が高いので、自信を持って踊れば華がある。
驚いたのは佐々木澪で、暫く見ないうちに長足の進歩。 歌はまだ不安定な所も有るが、振り付けの、こと表現力と情緒については岡崎に次ぐところまで来ている。
メグリアイは新規加入のメンバーが何とかなってきた頃合でまた誰かが辞めて、次に入ったメンバーがどうにもならないうちにまた誰か辞めるという悪循環の中にあり、坂本寿里が辞めた頃が負の連鎖のピークであったように思うが、漸く上向いて来た。
― ところで、お使いのツァイスはマニュアルレンズですけど不便なところはないですか?
松田「個人的には、オートフォーカスの測距点でピントを合わせてから、再フレーミングをするというのが大嫌いで、マニュアルしか使いたくないんだよ。だからそういった面では全然。鏡筒の"鉄"という感じとか、リングの感触もいいしね。
(フォトテクニックデジタル 2014 2月号、54ページ)
フォトテクニックデジタル 2014 5月号としておりましたが、正しくは4月号でしたので訂正いたしました。
例によって本人からのSNS等での告知は無く、私を含めて目当てで来ているのは片手ほど。 ラジオ経由のお客さんらしく、所謂「宇佐美難民」は私くらいか。
宇佐美は7:3に分けたようなボブ、青系統の色のワンピース。 寒色の服の所為か、痩せた印象。
ラジオの仕事が増えたことで変化があったのか、以前担当したときより声のトーンは抑え目。 イベントよりラジオ寄りの語り口。
普段はラジオのDJとかリポーター、イベントの司会などをやっていますと自己紹介。
「今年で30になります」で、私だけ驚く。
宇佐美セレクトの曲を掛けるコーナーで「アナと雪の女王」のサントラについて妙に掘り下げた話をするのを見て、この人のキャリアの振り出しが千葉テレビでのディズニーレポーターだったのを思い出す。
クリス・ハートや徳永英明を掛けた後、最後に乃木坂46の「気づいたら片想い」。
アイドル好きとして(我々には)知られている宇佐美が現在入れ込んでいるのが乃木坂46だそうで、「正統派の美人が多い」「普通はサビの部分を聞いて良いなと思ったり好きになったりすると思うけれど、この曲はむしろサビの部分以外の歌詞が素晴らしい」などその特質を熱く(また暑く)語り、飽和しているアイドル界ですが、いっぱいアイドルが居てセレクトに困ったら乃木坂46。
「飽和している」と言うのは実に的確で、言って良い事とあまり宜しくない事の境目にある言葉をスパッといってしまうのが宇佐美らしくあった。
不特定多数に向けたラジオ的な語りで進行しつつ、目の前で見ている女子四人組が誕生日を祝うために来ていると知るやそちらに話を振って盛り上げるなど、ラジオの仕事もイベントの司会もこなしているからこその仕事振り。
終了間際、直近のイベントとして翌日のトークショーの話など。
出演者が宇佐美友紀、星野みちる、浦野一美と言うパ・リーグ東西対抗戦みたいな豪華メンバー。 そんな事もあってか「私もAKB48のメンバーだったんですよ」的な根多もブチ込んでいて、客の反応は薄かったが私が驚いた。
(※このトークショー見に行った古い小嶋陽菜ファンの友人曰く「ヒドかった(良い意味で)」とのこと)
仕事が割と早く片付き、間に合いそうだったので足を運んでみた。 乗り継ぎに手間取り、ぎりぎりにはなってしまったが、とりあへず開演前には到着。
既に前のほうはギッシリ、脇に回って平和そうで且つ近くで見られるところを見繕ってしばし開演待ち。
乳呑み児抱えた若い母親なども居て、おとなしく抱きかかえられつつ、ケチャなどに勤しむ我が母を怪訝そうに見上げる様が微笑ましい。
元気に飛び跳ねる兄ちゃんが横に居てはらはらしたが、最低限の距離はとってぶつからないようにしていた。
例によってああしろこうしろと煩わしく言われることも無く、しつこく煽ったりもしないが、「こうしたら楽しい」のヒントは判りやすく散りばめられていて、その流れに身を委ねていれば楽しめる。
そうしたワイワイ楽しむ方面が、一寸引いてのんびり見ている客をほっといてくれるのが有り難い。
マルイシティは声出し禁止なので「その分手拍子で」と言うのが唯一の指示らしい指示。 リリカルスクールの客の盛り上がり方は巷間よく見られるアイドル客のそれとは違って奇異なものではないので、通りすがりの客に嘲笑されることも眉を顰められることも無く、足を止めて見て行く人・CDを買って行く人も見られた。
客の中にはヲタヲタしい「応援」手法でしか動けないようなのも散見されたが、そうした手合いはリズム感も無いので盛り上がる集団の中でも遊離してしまい、滑稽さに拍車が掛かっていた。
ベースラインがしっかりしているのでリズムは取りやすいと思うのだけれど、何故かずれている悲喜劇。
「マルイシティさんには tengal6 の頃からイベントをやらせていただいていて・・・」と、集客が少なかった頃の話しもしつつ、過去最高の売り上げとのことでマルイシティがクス玉を用意。
これが落ちたり割れなかったりもしたのだけれど、そんなことも含めて微笑ましく、楽しいリリースイベントであった。
リリカルスクールの何が良いかと言うと「ほっといてくれる」と言う事。
ワイワイやりたければ前のほうに行けば良いし、のんびり見たければ後ろに居ればよい。 盛り上がりを強制されることも無く、ありもしない一体感を演出し確認しあうための奇異な儀式に巻き込まれることも無い。
群衆の中でも孤独を楽しめるのが都会と言うものの妙味だと思うのだけれど、そうも行かない局面があまりにも多い。
18:00少し前に現地着。 例によって前方にCD購入者優先観覧エリア。 買い物客の動線として通路を確保して、後方階段部分も観覧エリアに。
18:00を少し回ったところで開演。 先ずは lyrical school から。
前のほうはヘッズ(リリスクのファン)で埋まっていて、その中で見ようとすればそれなりに揉まれる事になるが、揉みくちゃになったりすることはないし、その外側に居さえいれば、まだまだのんびり観ることは出来る。
客の分母が大きくなったときにどうなるかは判らないが、客席の環境に関しては楽観している。
気合入れのような儀式からわらわらと出てきて一曲目。 リリカルスクールのライブは、曲の繋ぎが実に上手い。 トラックが良くできているのもあるが、特段煽るようなことをせずとも、ゆるやかに盛り上がっていく。
「好きなように楽しんでください。 ただし、周りの迷惑にはならないように。」 マルイシティは声出しNGなので、そのあたりの注意も喚起しつつ、煽ったりはしない。
曲から「こうして欲しい」「こうしたら楽しい」というのが伝わる作りになっているので、客は思い思いにそれに乗ったり乗らなかったり、やはり乗ったり。
観覧マナーに関しては「皆さんホント優秀でした」と及第点。
変な同調圧力が無くて、それぞれが思い思いに楽しんでいつつ、協調したほうが楽しいところでは協調。 それに乗っても良いし、乗らずにのんびり観ていることも許容される。
lyrical school は、昨今のアイドルの現場の中では最も敷居が低く、気負わずに楽しめる現場の一つなのではないかと思う。
続いてバニラビーンズが例の出囃子に乗って登場。 口開けは(七時にはちと早いが)「東京は夜の七時」
自己紹介がてらひとしきり喋ってから新曲の振り付け講座をマクラに新曲へ。
「ワタシ・・・不幸グセ」と言うタイトルから漂う地雷臭にどうも気が乗らず、仕事が繁忙期だったりもしてリリースイベントも最終日になって漸く足を運んだのだけれど、曲の出来は素晴らしく、ここ数枚のシングルの中でも出色なフィル・スペクター風味の佳曲。
カップリングも良く出来ているのだけれど、譜割りが細かく且つ難解で客がリズムを取るのに四苦八苦、それを傍から見ているのもまた楽しい。
CD即売会もありますよと告知しつつ「お手に取ってみてください。」と婉曲な表現をするところがバニラビーンズらしさ。
どうも歯車が上手く噛み合ってくれない歯痒さはあるが、良い曲に恵まれたのは幸甚。
逃げ場の無い狭い店内でラインダンスに巻き込まれることを想像するだに恐ろしく、回避しようかと思いつつも現場に行ってみたら、なんとか巻き込まれずにやり過ごせそうな場所を見つけたので見て行く事にした。
ラインダンス厭さに端で見ようとする客は私だけではないらしく、沸きたい方面からちょっと距離を取って立つ人もちらほら。 その間に容赦なく後から来た客が割り込んで行く。
簡易ステージは階段付き。 ワイヤレス受信機からPA機材からスピーカーまで、結構な量を持ち込んでいたのだけれど、頻繁にハウリングが発生。 収束は割と早かったのだけれど、これはPAの腕よりハウるや否や咄嗟にマイクの向きを変えるメンバーの練度によるものだと思われる。
機材が増えれば関わる人も増える。 関わる人が増えれば Negicco の当人たちが食っていくだけでなく、関わる人々の食い扶持も稼ぎ出さなければならない。
売れなきゃ 続かない
食えなきゃ 続けられない
それは重々承知しているのだけれど、引っ掛かる何か。 「この売れ方で良いのか。」
出囃子は完全に小西風味。 風味と言うかカルピスとコーラスの関係のようなピチカート的な何か。
いろいろ思うところはあったが、メンバーが楽しそうだったのは良かった。
幸いラインダンスに巻き込まれることも無く、然程不快な思いもせずにすんだが、一般客も買い物をしている店内イベントで小規模とは言えサークルモッシュが起こっていたのには呆れた。 そう言う客が増えたという事。
それが厭な客は、静かに去って行った。
ラクーアでのイベントの二回目を観覧。 開演前に延々流されていたPVの茅野しのぶインスパイア系制服崩し衣装ではなく、独自色のある衣装で登場。
CDの売り方で下手を打って反感を買った所為か、優先観覧スペースには空席もあったが、その周りを家族連れの民間人を含めた人々が何重にも取り囲む。
橋本環奈の知名度もあり「Rev.fromDVL? 何それ、シラネー」的な冷笑は見る限りに於いては無く、「これがアレか!」的に情報としてある程度浸透している感じ。
歌って踊ってに関してはかなりのレベル。 何と言うかテーマパークのアトラクションのような、健全で練り上げられたステージ。 タップダンスやアイリッシュダンスを取り入れたような振りもあり、見せ場も多い。
冗長に過ぎる仕込み過多な自己紹介さえ簡潔に纏められれば、何処へ出しても務まると思う。
橋本環奈を効果的に中央に据えつつ、「が率いる」ではなく「を擁する」に見える演出も良く出来ている。 金のニオイのする現場を取り巻く壮大な悪意が見え隠れするのは舞台の下だけで、歌い踊る様だけを見ている分には素晴らしい。
観覧スペース後方で怒号が飛び交い、何かと思ったら盗撮だか痴漢だか置き引きだか、男が警備スタッフに3人がかりで取り押さえられていた。 取り押さえられた男は執拗に逃走を試みるので警備スタッフは暫くそちらに掛かりきりになり、見張りが居なくなった隙に職業盗撮カメラマンが湧いて出ていやまぁ撮る事撮る事。
1人はカメラに黒いトレーナーか何かを巻き付けて、警備スタッフを気にしながら撮っていたが、もう1人の爺いの方はもう大っぴらにキヤノンの白レンズ持ち出して撮り捲くっていた。 それだけ金になるのであろう。
もしかすると、捕まった男も同じ穴の狢かもしれない。
面白かったのは媒体への出演告知の中に、地方AM局の番組が含まれていたこと。 これまでは合法的手段では聴きにくかった番組も、有料サービスではあるがネット環境さえあれば聴くことが出来るようになったので、告知する事に意味が出てきた。
吉本興業のお家芸であるところの殿様商売が災いしたところは大いにあったが、舞台の上で起こっていることを見ている分には実に楽しい。
広告塔となった(された)メンバーだけでなく、グループとして売れて欲しい。
MEGA WEB はゆりかもめの青海駅に隣接し、都バスのバス停も至近。 実にトヨタらしい無駄の無い立地。
Negicco 目当てで来ている客以外は、車を見に来た家族連れと海外からの旅行者。
例によって撮影・録音は禁止なのだけれど、旅行者向けの掲示などは無く、そちらはほぼ取り放題。
彼らの目には果たしてどう映ったであろうか。
公式グッズとして売られているにしても、明るいところで光モノを振っている連中の精神構造が私には判らないし、その中に混じって観たいとも思わないのだけれど、心に斜眼帯とシャドーロールを付けて視野を狭搾して対象だけを見て・聴いていると、やはりNegicco は楽しい。
本編が終わってアンコールの声が掛かり「圧倒的なスタイル」。
目当てで来ていない一般客がいる場所でそれなりに知られた持ち歌があると言うのは強い。
ここ一週間のキャンペーンでの手応えもあったと思うのだけれど、実に楽しそうに歌い踊りつつ、観覧エリアの外周を廻って客を煽る。
このあたりは Negicco の真骨頂。 ここまでは良かった。
間奏部分で舞台に駆け戻り、例のラインダンス。
私はこれが厭さにいつも遠目から見ているのだけれど、年々ラインダンス参加への同調圧力は強くなっているように感じる。
混み合う前方観覧エリアは仕方ないにしても、比較的空いていた後方観覧エリアでラインダンスから逃れ得たのは最後方で柵ギリギリまで下がって体をかわしたほんの数人だけであった。
前は圧縮、後ろはサークルモッシュ、どこに逃げても巻き込まれるラインダンス地獄。 もはやのんびり楽しめる Negicco は地球上の何処にも存在しない。 「チケットが売れていない」とボヤいていたが、それもむべなる哉。 のんびり楽しみたい客を排除してしまったのだから仕方が無い。
私は全体主義の息苦しさは為政者から齎されるものではなく、大衆が自ら求め、追い立てていくものだと考えているのだけれど、Negicco の目に見える形での盛り上がりを安易に求めすぎた結果のラインダンス同調圧力も、そうしたい客が導いた結果であり、(意図したかどうかはさておき)ラインダンスをやりたくない客を排除して、現在の状況がある。
客に気持ちの悪い儀式(ラインダンス、肩組み、大移動など)への参加を強いるアイドルの現場で「そうしない自由」が "客によって" 否定される気味の悪さ。
来なくなる客は大抵何も言わず語らず去って行く。
Negicco は(客も送り手も)文革期に突入した印象。 何処かで釦を掛け違ってしまったのではないか、そんな気がしている。
常磐線か、遠いなぁ・・・と思っていたが、バスを乗り継げば金町までは出られることを思い出したので足を運んでみた。
更地にはせず、壊せるところを壊して再開発をした柏駅前は面白い感じに入り組んでおり、古い喫茶店が其処此処に残っているのが良い。
タワーレコードの入っているビルは妙な場所にあり、タワーレコードに用事のある人しか来ないような立地。
イベントスペースは猫の額で、例によって仮設ステージなどは無し。 なんで作らないのか訝しく思っていたが、なんとなく腑に落ちてきた。
最年少の星野くるみがお休みで5人体制。 激しいフォーメーションチェンジが無いので、ひとり二人欠員が出ても目立たない。
これは振り付けがしっかり染み付いているからでもあると思う。 それぞれの解釈の違いや動きの癖はありつつ、揃っているべきところは揃っている。 人前で歌って踊ることを生業にする上できちんとしておくべきところで手を抜いていない。
「ネコになったら」は星野パートを千葉が担当。 二宮と二人で歌っている間、他のメンバーは客席を回って百万人握手作戦的接触営業。 これも舞台と客席の境目が曖昧だからこそスーっと客席へ入って戻って来られる訳で、そこまで考えてやっているのかどうかは判然としないが、やり方として面白い。
冷やかし半分で見ていた地元の若者が居たのだけれど、握手をする際にアタリを付けた槻島もも、終演後に出身校から趣味から聞き出して、それこそ「あっと言う間」に落としていた。
冷やかしで見ていた人を「客」にしてしまう保険屋のおばちゃん的豪腕。 これが千葉と言う土地柄にあったやり方なのかもしれない。
最後に新曲を披露したのだけれど、「振り付けを憶えていない」と言うよくわからない理由で川原結衣がほとんど踊らずに賑やかしに回るという展開。
私はMIXなるものを唾棄しているのだけれど、それを賑やかし役の川原がやっていると、これはこれで良いような気がして来る。 実に馬鹿馬鹿しく、楽しい。
帰りがけに寄った四国大名の美味しいような美味しくないようなかき揚げうどんもも含めて、なんとなく充実した一日。
BOSO娘が撮れそうなイベントと言う事で、カメラ担いで千葉駅へ。
千葉都市モノレール千葉駅の2階コンコースが会場。仮設ステージなどは無く、そもそも仕切り線もバミリも無い。 こう言う蜜柑箱に毛を生やして舞台を設えるのが送り手の仕事だと思うのだけれど、非営利の甘えと言うか、手を掛けていない。 金が無いなら無いなりに考えるのが送り手の責務。
客がしゃがんで見ている訳でもないので、遠くからは何をやっているのか分からない状態。
BOSO娘は13:15からの出演と告知されていたが、何故か15分早まって13:00頃に始まってしまった。
とるものもとりあへず撮影の準備をし、人垣の隙間から撮ってはみたが、背後に東向きの窓、高い天井からは水銀灯と言う厭な感じのミックス光源。 AEも安定しないのでざっくり露出を計って1/200sに固定して撮影。
川原結衣(BOSO娘) posted by (C)2petri2
曲ごとに微妙に並び方が変わるのだけれど、曲中のフォーメーションはあまり変わらないので、位置取りを誤ると撮りたいメンバーがまるで撮れないという事になる(なった)。
その辺りは割り切って、他のメンバーも抑えてみる。
千葉あずさ(BOSO娘) posted by (C)2petri2
今日はフルメンバーの6人。 振り付けに比してフォーメーションは軽めなので、欠席メンバーがいても然程目立たないが、矢張り全員揃った方が見栄えは良い。
イベントとして辛かったので、BOSO娘のみ見て撤収。
その他の写真はこのへんに。
前日の柏の葉を見に行った友人が面白がっていたので尻馬に乗ってみた。
開演15分前に出てきてリハーサル。 当たり前と言えば当たり前なのだけれど、立ち位置や振り付けの確認をするなど、客寄せではなくリハーサルがリハーサルとして機能していて驚く。
ショッピングモールの渡り廊下の一角を潰して作った会場はズラリ椅子が並べられ、「座って観て欲しい」と言う送り手の意思が明確に。
椅子席は「目当て」で来た層でほぼ埋まっていたが、閉じた生態系にしたい訳ではなく、通路として確保していた椅子席脇のスペースを買い物に来た家族連れに開放するなど、目当てで来た客が一定数居る事による「人気」を演出の一部として買い物客にも売り込もうとしていた。
目当てで来ている客は、一般客に対する「これだけ人気があるんですよ」と言うのを見せるための仕掛けの一部であり、且つ運転資金を提供する燃料であると言うことは踏まえておくべきだと思う。 買い物客には、チラシも配っていた。
スタッフの前説の後、ほぼ定時に開演。 出囃子程度で音を鳴らして出てくるかと思いきや、曲に合わせたソロダンスを見せながら一人ずつ入ってくる。 六代目圓生が正札附をたっぷり聞かせてから出てくるような、長い導入部。 これをぶっ壊す頭の悪い客の胴間声。
演者に対する大向うからの掛け声と言うものは、短くやって然るべき物で(これは古典芸能のみならず、寺山のアングラ劇に於ける「名乗り」でもそうだ。)あるのだけれど、八文字だかなんだか知らないが冗長で五月蝿い。 そこには wit も esprit も無い。
騒ぐやつは後ろと言う原則が生きているのが救いではあった。
ダンスや歌に関しては、平均点以上ではありつつ飛び抜けたものは無く、未だ凄みとか情念の炎とかそう言ったものは感じられず、良く訓練はされているが、驚きは無い。
然しながら送り手の演出によって、それ程でもないものが何か凄いもののように見えるようになって行く。 被せがきついように感じられたオケも、ここぞと言う聞かせどころでは生歌で押して来るし、ずらり並ぶと揃っていない振りも、ソロダンスなら上手いように見える。 兎に角、見世物として良く考えられているし、練られてもいる。
ただこれは「凄いものを涼しい顔してさり気なく見せる」本来のTPDのやり方からは乖離しているように思われた。
私の嫌いだったTPDは、実力を(演者ではなく送り手や客が)鼻に掛けつつ、文句を言わせないだけの説得力はあったが、現状での新生TDPは書割りと言うか虚仮脅しと言うか、実力以上に見せようとする演出が鼻につく。
過去の音源資産の活用は上手く行っているように感じられたが、新曲の出来は宜しくない。
キメラ的と言うか鵺的と言うか、80年代90年代のヒット曲を切り貼りして作ったような、インチキ臭さ。
守りに入ってしまったらTPDはTPDでは無いのではなかろうか。
WEEKEND PARADISE で見られた客に対する煽りと誘導から見て、送り手の希求する「客の盛り上がり」は通行人・買い物客から見て奇異に映らない形のものであるように思われたし、第1期TPDの客もそうであったと思うのだけれど、他のアイドルから流入した人々は旧来型の奇矯な振る舞いを墨守しており、そのあたりの乖離と言うか断絶と言うか、カタストロフの萌芽のようなものが外野としては興味深かった。 これを乗り越えるのか、送り手が長いものに巻かれるのか、フーリガン層が斬られるのか。
私は好んで見に行こうと思わない類のものだが、見世物としての作り込みはしっかりしており、やり方として首を傾げざるを得ない部分もあるが、アイドルと言うものの多様性を保つためにも、成功して欲しいプロジェクトではある。
都バスで行ける現場の中から選択。 講談社ミスiD2014 アマテラス特別賞の余禄として始まったコミュニティFMでの公開放送の一回目。
木場にある商業施設「深川ギャザリア」の一角にあるレインボータウンFM 木場スタジオは、スタジオの正面、天ぷら屋とカフェの間のスペースが観覧エリアとなっており、いくつかあるテーブルと椅子以外は立ち見となる。
テーブルは早々に埋まってしまっていたので仕方が無いと言えば仕方が無いのだけれど、立ち見の客の民度が低いのには閉口した。 酒盛りを始めたり、カフェの禁煙席の横でタバコを吹かしたり。 接触前提のアイドル全盛でいろいろと麻痺しているのは分かるが、対象への認知欲求が高まり過ぎて座って見ている女子の前に立ち塞がったり、見苦しい振る舞いも散見。
コミュニティFMは時間の縛りが緩いらしく、二時を少し回ってから番組スタート。
良く聞き取れなかったし、レインボータウンFMサイトにも言及が無いので正確なところは分からないが、ミスiD2014がらみとあって「講談社の新書やコミック、映画などの情報をお届けしていく」とのこと。
自己紹介や番組の紹介などを済ませた後、ゲストの寺嶋由芙を呼び込み。 寺嶋の1stシングルが掛かると、スタジオを飛び出したご本人様が曲に合わせて舞い踊るという趣向。 盛り上がったところで巨大クラッカーの祝砲2発。 横で賑やかす加藤一華の振りコピーが完璧だったのが可笑しかった。
続いて昨晩から始まったアニメの紹介に絡めて、細川唯を迎えての朗読劇。
緊張していたであろうし、効果音も何も無く3人の語りだけで間を持たせるのも大変であったろうとは思うが、台詞が走ってしまっていて出来としては芳しくない。
加藤と新垣は仕方が無いとして、細川までつられて走ってしまっていたのが残念だった。 噛んでも言い淀んでも何とかならないことは無いが、台詞が走ってしまってはどうにもならない。 読み込みと読み合わせが足りない印象。
新垣こづ枝は上手くないなりにも破綻なく喋れていたが、加藤一華は些かやる気が空回りした印象。 意余って言葉足らず。
自分の言葉を紡ぎ出さねばならない部分以外の定型文は伝えることに重きを置いて読むべきなのであるが、感情を込めようとする分空回り。
月に二回、コミュニティFMとは言え、メインパーソナリティーの仕事を持ってきたミスiD事務局のお膳立ては良いと思うのだけれど、このオーディションの功罪の罪の部分である「内輪受け」が随所に見られたのはいただけなかった。
ミスiD2014 と言うオーディションの世間的認知度は薄いと言わざるを得ず、公共の放送としての体裁を取っている以上はそれを踏まえて語るべきなのであるが、身内で固めたゲストを「知ってて当たり前」な体で語られて何が伝わると言うのか。
伏龍鳳雛から鶏鳴狗盗の類まで個性豊かな女子が集まってわいわいやっている楽しさは前述の通り「内輪受け」と言う陥穽を内包しているのであるが、送り手の側にその危機感が無い。 チラシ配り要員も居たようだが、「いつもの客」にばかり渡していたのでは何の意味も無い。
「そう思わない客」の方が多そうなので、今後もこの調子で公開放送は続くのであろう。
或る程度覚悟はしていたが、とんだ地雷であった。
錦糸町店のインストアイベントは、南側入り口前のコンコースで行われることが多かったが、周辺店舗とのあれこれで音量規制が厳しかったり、客の振る舞いに規制が多かったのだけれど、最近は店舗内に設けたイベントスペースを使うことが増えた。
今回のイベントも店内のイベントスペースで行われたのだけれど、同店舗で行われた別のイベントでは使われていなかった簡易ステージが設えられていたのには驚いた。 これにプラスしてANNA☆Sの客が自主的にしゃがんで観ていたので、通りすがりの客でも良好な視界で観る事が出来ていた。
客の側の論理として「盛り上がっているところを民間人に見せる」と称してバカ騒ぎをすることがまま有るが、客ではなくステージの上のアイドルを見て貰った方が良いのは自明の理。
これから先、客の分母が増えたときにどう転ぶかは分からないが、送り手とアイドル本人と客の意思の疎通と目的の共有がなされているから、私のようなたまにしか見に行かない者でも疎外感はないし、不快な思いをした事も無い。
今日から新衣装とのことだったが、蛍光色のジャケットは見るからに暑そうで、実際「ものすごく暑い」とのこと。
ANNA☆Sで惜しいのは衣装が垢抜けない事だったのだけれど、これは及第点。
ライブ中は「曲を聴いて欲しい」との事で基本的に撮影禁止。 新曲のみ撮影可(動画は不可)になっていた。
全面撮影可にしてしまうと撮る為だけに来る層が来過ぎるので、良いバランスだと思う。
優奈(ANNA☆S)
その新曲は本人たちの作詞によるもの。 「しがないアイドル」が主人公になっており、言葉の紡ぎ方に拙さはあるが、その分生々しく面白い試み。 それを生かしてしっかり作りこんだ曲になっている。
ANNA☆Sは基礎がしっかりしている上に場数も踏んでいて肚も座っているので安心して観ていられるし、通りすがりの人まで含めて客の総体を巨視的に捉えることが出来ていて、目の前の「目当て」で来ている客だけに向けた近視眼的な振る舞いをしない。
(このあたり、メジャーレーベルやそれに準ずるところからCDを出してもブロック経済による縮小再生産でジリ貧になってしまうことも多い。)
杏奈(ANNA☆S)
首都圏のタワーレコード店舗を巡るツアーは暫く続くようなので、行ける範囲で追いかけてみようと思う。
涼花(ANNA☆S)
その他の写真はこのあたりに。
都内とは言え平日の18:30からと言うのは、宮仕えの身には厳しいのだけれど、近場だったので足を運んでみた。
流石に勤め人の風体は少ないが、それなりの集客。 簡易ステージなどはなく、最前列に陣取る客も立ちっぱなしなので、後ろからは何をやっているか見えない状態。 それでも後述する理由で見えないながらもそれなりに楽しめる。
メンバーは1人休みで1人遅刻。 初見だったこともあるし、視界も悪かったのもあったとは思うが、欠落を感じさせるようなところは無く、なかなか良く仕込まれている。
気になったのは送り手側の大人の数、規模に比して4人は多い。
始まって10分ほど経過した頃、客が一寸ざわつき、なんだろうと思ったら遅れてきた川原結衣が店の奥で衣装のリボンを結んでいる。 なにやらムスッとしているので何かと思ったら、泣いていた。 電車が遅れたり転んだりし道中いろいろあったらしいが、泣いてやがるのには驚いた。 客の中に広がる温かい苦笑。
結局、川原はリーダーをはじめとしたメンバー(中学生を含む)にあやされ、宥められて落ち着いたところで最後の曲のみ参加。
どのあたり演ったかは失念したが、「ネコになったら」と言う曲。歌うメンバー2人を残して他の連中は客の中を経巡って声を掛け、挨拶をし、握手をして回る。 これが曲のさなかに行われることで醸し出される学級崩壊感。
この「客の中を経巡って逆ガッツキ」と言うのが開演前や終演後にもそこかしこで起こっており、BOSO娘の営業活動として一定の意味を持っているようだった。
昭和の営業戦略にあった「ローラー作戦」を思い起こさせる、局地的飛込み営業。 これがあるので、見えなくてもそれなりに楽しめる。
川原結衣は「コミュ障」を自称しているが、それは半分正しくて半分間違っている。
客に声を掛け、握手を求める事が苦になっているようには見えず、むしろ楽しんでやっているように見えるのだけれど、客との(これは客のみならず家族を含めた全ての人類に対してだと思うが)、対象との距離のとり方が下手であるように見受けられた。
そんな川原を見ているだけでも面白いのだけれど、カバー曲を選ぶ謎のセンスであったり、逆ガッツキ営業であったり苦手な部分もあり、今後も継続して見に行くかどうかは思案のしどころであるが、川原が面白かったのは間違いない。
総武線で一本だから・・・と多寡を括って千葉駅へ。 ところがタワーレコードは駅から遠く離れたパルコの中にあり、思いのほか歩く羽目に。
タワーレコード千葉店はイベントスペースとしては手狭で、5人で歌って踊るのは一寸厳しいが、そこはそれなりに。 狭くて客のほうも逃げ場が無い分、例のローラー作戦が効いていた。
ただ「オレ様(あたくし)の事を憶えろ」と理不尽な要求をする莫迦もちらほら居り、接触営業の難しさが垣間見られた。
衣装やら靴やらを忘れたりする失態が裏ではあったようだが、客前での川原は機嫌よく歌い踊っており、まぁナニである。 面白く見られた。
深入りしにくい要因は幾つも有るが、足を運べる際にはまた。
松田忠雄にとってのホームグラウンドとなりつつある Tokyo Arts Gallery で開かれている写真展を見てきた。
コラージュ物が4点ある他は、表題通りモノクローム作品。 巷間溢れる色抜きカラーの擬似モノクロームではなく、白と黒の濃淡で描き出されたもの。
入り口を含めて広くガラス張りになっている東側から入る光が柔らかく回り、概ね見やすいが、天井からのLEDライトが上から当てられているものは一寸見づらかった。
スペースの問題もあり、仕方の無いところではあるが、斜めから当てられれば反射したライトが目に飛び込むこともなくなるのではなかろうか。
全て売り物になっているのだけれど、大きさに比例した価格設定。 相対的には安いと思うが、絶対的価格としてはそれなりになってしまうのだけれど、大キャビネくらいの大きさのプリントをアクリル板に貼り付けたものは価格も手ごろで、年末調整やらボーナスやらが懐にあったらコロっと行きたくなるものが何枚も。
Acrylic photos と題されたその小品群は15種類。 サイズは小さいが、その分情報がぎゅっと詰まったような濃密さ。
印刷物になったもの、モニター越しにみるものとは、一枚に込められた情報量が桁違いなので、小さいものでも一枚購って矯めつ眇めつされることをお奨めする。
良い写真には、見るたびに発見がある。
懐都合でプリントは諦めて、部数限定の冊子写真集を購入。
手にしたもので既に51/100. 会期中に無くなるのは目に見えているので、早めの購入をお奨めしておく。
私が良いと思った写真は生憎収録されていなかったが、紙も印刷も良く、プリントそのものと較べれば矢張り落ちるのだけれど払った代価以上の満足は得られた。
杉本有美は撮られ慣れてはいるが狎れたようなような厭味は無く、過不足無く商売用の自分をカメラの前に晒し、カメラマンに委ねている。
正体を表さない食えなさのようなものは有りつつも、隔意がある訳ではなく、只々美しい。
松田忠雄の撮り方も、底の底まで暴くような事はせず、上っ面を撫でてお仕舞いにするような事もしない、程の良い掘り下げ。 生々しく有りつつ、下卑ない。
黒バックにシンプルな照明で撮った "Put on roses" と題された連作の 04 と 06、Acrylic photos の 4 と5 が実に良かった。
墓参を済ませて都内へ戻る車中で時計とスケジュールと見比べて、なんとか間に合いそうな亀戸へ。
日曜の田舎の電車の事ゆえ接続が悪く、サンストリートに辿り着いた頃には一時を回ってしまっていたが、開演が遅れたらしく一曲目の途中に間に合った。
風は冷たいが、南中高度が上がった所為か陽射しは強くなっており、日なたに居る分には暖かい。 晴れた土曜とあって買い物客も多く、目当てで来た客以外にも足を止める人は多く居た。
リーダーの白戸が「今日から10日連続のリリースイベントです。」と話すと、客も演者も苦笑。 リリースイベントもフルアルバムとなると連日それなりの曲数を披露することになり内容も変えなければならない、客の側も枚単価が上がることによる可処分所得への食い込みが厳しくなる。
見終えてから友人とも話したのだけれど、このアルバムの少し前から、音作りが変わってきたような気がする。 音数が減ってシンプルになった分、聴きやすくなった。
振り付けもこれ見よがしに激しく難度の高さを見せ付けるようなくどさは無くなり、高度な表現技術を事も無げにこなしてみせる方向に舵を切られており、スーフィーのスカートのように回転することで美しく広がるスカートを生かした貯めの有るターンも増えた。
これまでの盛り込み・詰め込み過ぎてくどく野暮ったかった部分が整理されて、よりシンプルに。 この方向性は間違っていないと私は思う。
スケジュールの都合とかで早坂がお休み。 全篇被せオケ無しの生歌でやっているので、歌割りに関しては変更があったようだが、フォーメーションに関してはそのまま。 この辺りの判断も良い。
今日は全員ストレート。 髪の長さや髪質、振り付けの解釈が異なるので髪の躍らせ方にも微妙な違いがあって面白い。
高橋麻里は湿度が低いのと激しく踊る曲の後に歌い上げる曲が続くセットリストに手古摺っているところもあったが、今日も安定した歌唱。
秋元瑠海は定型から少しはみ出すくらいの大きな動き。 それを悠々とこなすので見ていて飽きない。
どのメンバーについても言えることなのだけれど、動きの激しさから凶相になることが無くなり、声を張り過ぎなくなった事により悲壮感も消えた。 これは大きな、良い変化だと思う。
メグリアイの坂本寿里が本日限りとの事で、万障繰り合わせてみた。
出演は坂本のほか、山田・山中・佐々木・大塚・野月の6名、受験期間でお休みの岡崎みさとと、体調不良らしい白鳥愛花がお休み。
今回は企画コーナー無しで全篇ライブ。 坂本が考えたセットリストが上手く出来ていて、最近あまりやっていなかった曲も含めて盛り上がれるものを中心にしつつ、聞かせる曲も挟み、最後に代表曲中の代表曲で〆る趣向。
構成の良さもあってライブそのものは楽しかったが、今日で辞めて行く坂本がアイドルとしての振る舞いに飛びぬけて長けており、今後に不安は残った。
坂本はキャリアが長いこともあって持ち歌の全てを自家薬籠中のものとしており、振り付けも動きの持つ意味を解して踊れているし、客の総体を大掴みに捉えていて、その場に居るすべての人を殺しに行っているのだけれど、4期以降になるとこれが出来ていない。
4期5期の連中が、そうした表現技術以前に振り付けやフォーメーションを憶えるのに汲々としているのを見るにつけ、メンバー個人の資質ではなく送り手の矜持に係る部分の欠落が状況を沈滞させているように思う。
<時間切れ、この項続く>
大雪の余波で諸方交通機関が乱れる中、安定して動いている都バスで両国へ。
前夜にテレビで両国の町が取り上げられたらしく、焚き付けられて町をうろつく輩も多かったようだ。
「生兵法」立川寸志
「動物園」立川らく里
「時そば」立川らく里
<中入り>
「血煙高田馬場」「敵違い」「月世界旅行」片岡一郎
「熊野の牛王」立川らく里
開口一番は談四楼門下の寸志さん。
「生兵法」立川寸志
以前見た時に感じた天狗連臭がなくなり、口調のよさだけでは無くなっていた。 間が良い。
片岡一郎さんの活弁は流石に真っ暗な中で撮ったものはどうにもならず、写真は無し。
メリエスの「月世界旅行」は四方田犬彦の著作の中で紹介されていて知ってはいたが、実際に見たのは初めて。 思ったより雑なつくりで、その粗雑な筋立てをあの手この手で補完する弁士の語りが楽しい。
らく里さんは根多おろしも含めて三席。
「熊野の牛王」は「権助魚」の続きと言うかサゲの違うものと言うか。 誰もやらない物と言うのには、大抵合理的な(つまらないとかわかりにくいとか)理由があるものなのだけれど、蛇足と言えば蛇足ではあるのだけれど、これはこれで良いかなと思えるもの。
らく里さんの落語の面白さは、先代可楽にも似た「吐き捨てるような科白」と、謎の信念に凝り固まった困った人の描写にあると思うのだけれど、新作を演る際に色濃く出ていたそれらが、聞き慣れた古典にも出るようになっていて驚きつつ楽しんだ。
「動物園」立川らく里
コラム置き場に
自己実現に失敗した大人達の失われた人生を押っ被せられるアイドルの不幸についての一論考
をアップロード。
書いたり消したり直したりしているうちに年を越し、春になってしまった。
福井の荒ぶるアイドル せのしすたぁ が上京とのことで、見に行ってきた。
数十年に一回の大雪とあって、郊外在住の知己の中には都内へ出てくるのを断念したのも居たくらいで、前評判の高さからすると多くは無い集客。 それでも観覧エリアは埋まっていた。
大体時間通りに開演。 黒いキャミソール的なものの上から白いワイシャツに黒いネクタイを締め、下は黒のパンツと言うかスラックスと言うか。 ジャケットとボルサリーノを脱いで、サングラスを外したブルースブラザースと言った感じのいでたち。 のっけから紙袋を被って登場し、しばらくそのまま歌う。
IRAごっこ由来かと思ったら、そう言う事ではないようだ。
喋りは達者と言うほど達者ではなく、内容も詰めて来てはいないのだけれど、その分 "その日" "その時" の客の状態に合わせて臨機応変に。 横から最低限の指示は出るので、ぐだぐだになり過ぎる事も無く、喋ってダレると見るや次の曲に行く潔さもあるので間延びし過ぎる事も無い。
紙袋をぶん投げたあと、しばらくはステージの上だけでおとなしく(おとなしくも無いが)歌い踊っていたが、エンジンが掛かって来るとかわるがわる客席に下りてきて煽ったり叫んだり、オーイングサークルに参加したり、最前列でガッツいたり。 仕舞いには柵を乗り越えてステージに戻ったり、その柵を客が支えたり。
客席に下りてきても怪我人が出るような騒ぎ方ではなく、割と牧歌的。
客の側の自己顕示の為の悪ふざけも突出した形では現れず、ステージの上から盛り上がることを強要することも無い(なぜなら、そう言うときは下に下りてくるから)
コアな客は所謂「ピンチケ層」と「クラブ系(いろんな意味で)」に分かれているのだけれど、それなりに上手くやっていていがみ合うことも牽制し合うこともない。
客の規模と質のバランスの上に成立した幸せな祝祭空間。
オケのベースラインがしっかりしているからか、アイドル現場にしては珍しく手拍子が走ることも遅れることも無い。 これは曲作り音作りの上手さを象徴しているように思った、
歌詞に感謝するくだりがあるところでは「土下座しまーす」と明るく土下座。 客も一斉に土下座。 まったくどうかしている。
歌声は ゆうほ が主で、まお が従と言った感じ。 声量と声の質で引っ張っている。
振り付けは ゆうほ が担当していて、動きもエモーショナル。
喋ったり煽ったりする部分は まお が、歌って踊る部分は ゆうほ が主導、役割分担をざっくり纏めると別表の通り。
ひとしきり暴れた終演後、店の人に「すいませんでした!」と土下座していたのが面白かった。
参考:せのしすたぁオフィシャルサイト
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