馬場ふみか
巻頭8ページ9カット見開き1か所、巻中4ページ9カット。撮影は藤本和典。
緩く結んだポニーテール、白の半袖ポロシャツにグレーの膝上丈のプリーツスカート、短めのソックス。 靴はアディダスの SS 80s だろうか、青のラインの入った古風な白いスニーカー。
制服っぽいようなそうでないような出で立ち。 身体の線を描き出し過ぎないブラウスのサイズと、スカートへの裾の入れ具合も程よく。
衣装などは伊井田礼子。
グラビアのモデルもやるが、服を見せるモデルも芝居もやっている。 これらの相乗効果で見応えの有る18カット。
服に「着せられた感」がなく、服だけを見せるグラビアにも自分だけを見せる写真にもなっていないのが良い。
水着はどうしても肉感的なところを強調したなるのであるが、服を着たカットでは露出は抑えて仕草や表情で見せる。
巻頭2ページ目上段のヘアゴムを加えて髪を束ねようとするカット、巻中の扉のワンピースの裾を少したくし上げるようなカットが、撮りも撮ったり撮られも撮られたり、頭抜けて良い。
水着も肉感的なところを生かしたものが選択され、煽情的ではありつつもあからさまなポーズはとらせず、程の良い色気。
そして小さめの活字のキャプションポエム。 これが珍しく琴線に触れた。
ロケーションや衣装まで含めて、ヤングジャンプらしい抒情的で質の高いグラビア。
藤本和典の仕事の中でも出色。
片山萌美
巻中3ページ6カット、撮影は唐木貴央。
写真集の広告のような感じであるが、悪くは無い。
早乙女ゆう
巻末5ページ10カット、撮影は細居幸次郎。
曇天の屋上が一枚ある他は屋内。
ワイシャツっぽい白のセーラーブラウスに臙脂のリボンタイ、ミニ丈のライトグレーのプリーツスカート、白のミニハイソックスに黒のペニーローファー。
合皮のスクールバッグを提げたり抱えたり。
一寸面白いデザインのブラウスなのだけれど、大きく使われたのは最初のページのみで、あとは小さく3カット。
リボンタイの結び方が雑なのだけれど、これが現実的な形なのかもしれない。
水着を見せなければならないので仕方がないと言えば仕方がないのであるが、道具立てが面白い。
「スタイリング:森千鶴子」これは記憶しておきたい。
薄いピンクと濃紺の三角ビキニ。
水着になると隠したり切り取ったりぼかしたりして粗を隠す戦略。
そこまでするのであれば服を着ているカットをもう少し増やしても良かったように思うが、まぁ色々あるのだろう。
柿崎芽美
欅坂46のメンバーが週替わりで12人プレゼントページに登場との事で、不覚にも見落としていて、これが3週目。
モノクロ1ページ1カット、カラー1ページ1カット、撮影は細居幸次郎。
一寸白く飛ばし過ぎなような気もしないでもないが、表情の切り取り方は良い。
「PIP思想の良質な部分を継承した、都市とメディアとアイドルを横断する意欲的なプロジェクト。」と言う感じの戯言が流れて来たので、確認するために足を運んでみた。
開場5分前くらいに現地へ。 既に開場を待つ行列が出来ていたが、主催者による整列などは行われず。
ライブハウスの告知ページに予約フォームが有ったのでとりあへず予約を入れたら確認メールが来たのだけれど、入場時にそのあたりの確認は無し。
PIP: Platonics Idol Platform のノウハウはこの時点で既に生かされていないことが分かる。
見たところ PIP: Platonics Idol Platform からの客は少なめ。 開場と同時に入った客は4~50と言ったところであったが、徐々に増えて開演までに二回ほど影アナでお膝送りのお願い。
お披露目から大入りと言うのは幸先が良いが、入れなかった客への対応は満員で入れない旨の貼り紙一枚。
木で鼻を括ったような対応に、入れなかった知己は憤慨していた。
舞台の奥の壁に白い衣装が掛け並べてあって、無言で出て来たメンバーがそれを身に纏い、整列したところでライブが始まった。
全員サングラスを掛け、動いて落ちるのを防ぐためか黒いレースのリボンを巻いてあるから表情どころか面相もはっきり見えない。
自己紹介もしないので誰が誰なのかも知り得ないし、そもそも何人出て来たのかすらだにも分からない。
メンバーは楽し気に喋ったり歌ったり踊ったりしているが(スタッフも楽しそうであった)、何の説明もなく手前勝手な世界観を押し付けられ続ける我々は良い迷惑であり、最前列に張り付いた客と後方でオダを上げている連中がワイワイやっている他はおいてけ堀を喰らって困惑の体。
グループ名の表記は ・・・・・・・・・ なのだけれど、
「読み方は決まっていません」「皆さんで決めてください」
マークになってしまった時のプリンスですら、読み方についてのルールはあったが、それすらも無い。
図に示した通り、検索エンジンからも拒否されてしまう。
読めない上に検索すら出来ないグループ名を付けてしまうと言うのは、全く理解できない。
面倒なので以下「ナカグロ(仮)」と表記することにする。
メンバーの心拍が感じられると言う小道具も回ってきたが、そもそもどのメンバーのものかも分からないし、そのメンバーについての情報も提示されていない。
何の思い入れも無い状態でそんなものを渡されても気味が悪いだけであり、客席を盥回し。
演る曲はと言えば、別にアイドルがやる必要も無さそうな当世風のロック。
振り付けや歌は、お世辞にも上手いとは言えないが、上手くなくても良いと思ってやっていそうな捻りの無いもの。
前述の通りサングラスを掛けっぱなしで表情も面相も窺い知れないのだけれど、その奥にあるものに興味を持たせるような演出も無い。
これは中の人が誰でも良いと言う事なのかもしれないが、メンバオーディションに落ちたと話している女子が見に来ていた。
コンセプトも杜撰に過ぎるが、何も考えないで考えたふりをしているのだろう。
ボーカロイドが歌っている間に踊っていたり、直立不動で立っていたりするのまでは我慢して見ていられたが、最後が酷かった。
ひとり一冊文庫本を持って並び、インストゥルメンタルの曲に合わせて朗読を始めるんだが全く聞き取れない。
そのうちに文庫本のページを破り捨て始めた。
書物は人類の叡智を象徴するものであり、それを破り捨てるのは文化文明の否定である。
何らかの寓意が込められていたのかもしれないが、実に不快だった。
そして曲の終わりとともに全員が倒れ込み、開演時に着込んだ白い衣装を脱ぎ捨てて楽屋へ引っ込んで行く。
全員が引っ込んだ頃合いに楽屋から「ありがとうございました!!」と叫び声。
客電が灯って終演。
コンセプト倒れと言うかコンセプト負けと言うか、小一時間拙い自慰を見せられたような後味の悪さ。
本を破いて捨てるのは文化文明の否定であり、顔を見せない名前も明かさないのは個の人格の否定である。 それをインテリ崩れの大人が指示して、良く分かってない子供を使嗾してやらせる。
さながらクメール・ルージュ。 醜悪以外の何物でも無い。
「ナカグロ(仮)」は PIP: Platonics Idol Platform の遺伝子など欠片も無い、天一坊みたような食わせものだった。
映像記録スタッフとして元PIP: Platonics Idol Platformの瑞野が入っていたが、元演者として演者の人格を否定するようなもの、PIP: Platonics Idol Platformの後継者を僭称するような紛い物に関わることについてどう考えているのであろうか。
PIP: Platonics Idol Platform のお披露目は、駄目なりに良かったと言うか、その後の展開に希望を持てるところがあったが、「ナカグロ(仮)」のお披露目は、其の底に希望すらだにも残らない、絶望のみが詰まったパンドラの匣であった。
高橋朱里
巻頭8ページ10カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
・表情は諧調に乏しく
・仕草に意味を持たせる事も出来ない上に
・カラーコンタクトで目が死んでいる
と言う三重苦。 苦し紛れの作り笑いが無いのが救いではあるが、それだけ。 何もない。
表情の単調なのは切り取り方で変化を付け、能動的に動けないところは指示を出し、体形の粗は衣装とポージングで補正。
高橋朱里を盛り立てている人々で営為で何とか間を持たせた8ページ。
当たりカットを選って大き目に使った割り付けも良い。
「佐藤裕之のブツ撮り」と言う、滅多なことでは見られないものが載っていると捉えると、これはこれで良いような気もして来る。
横からの光による陰翳で身体の線を描き出したカットは美しい。
モデルとしての高橋朱里には何もない事は露呈してしまったが、それを補って余りある裏方の仕事振りは堪能出来た。
ほのか
巻末5ページ9カット、撮影は唐木貴央。
前半は夏の晴天の浜辺やプールサイドで水着、後半は薄暗い屋内で水着。
太陽を背負わせようが何をしようが眩しいものは眩しい訳であり、前半はほぼ固まった笑顔。
後半はどう振る舞えば良いのか分からなくなっているような表情。
カメラマンの腕以前に、編集者の発想の貧困によって予め失敗が運命付けられている悲劇。
廃れてしまった技法でも、やり残したことは必ずある、と私は考えているのだけれど、神保町画廊で開催されている七菜乃の写真展で感じたピクトリアリズムの可能性についてのヒントになるかもしれないと思い、足を運んでみた。
絞り込んでパンフォーカスにせず、ピントを薄くして前後をぼかす手法の嚆矢ではあるのだけれど、意図したところには焦点を合わせられていない隔靴掻痒感と、長時間の露光が必要であったために仕方がない事なのであるが硬直した表情とポーズがどうにも好みに合わない。
良し悪しではなく、好悪に係る部分の問題。
ただ、人物の配置で有ったり、小道具大道具衣装に込められた寓意には唸らされる。
その作り込みが鼻に付いたりもするのであるが。
ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品はさておき、親交のあった同時代人としてチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)の作品が一点、影響を受けた写真家としてアルフレッド・スティーグリッツの作品が数点展示されていたのが、私にとっては有り難かった。
丸の内の三菱一号館美術館で開催される本格的な写真展は初めてとの事であったが、見やすい配置と照明でストレスなく鑑賞。
写真を見るための必要最低限の照明を高い位置からのLEDライトで柔らかく当てており、目にも作品にも優しい。
説明文は重要度によってパネルの大きさもフォントも変えられており、多くの人が立ち止まることが想定される位置にあるものは大きく、スポットライトを当てて明るく見やすくしていた。
こうした心配りは写真専門のギャラリーでも出来ていない事が多く、私の中の三菱の企業イメージは向上した。
もう一つ良かったのは、ミュージアムショップの品揃え。
開催されている写真展に合わせて関連作家の写真集やオリジナルプリントなどが丸の内ならではのブルジョア価格でずらり。
想定顧客層の財布の厚さと紐の固さ緩さを勘案した絶妙の値付けと品揃え。
私には手が出ないが眺めるだけでも心が豊かになる。
懐に年中秋風が吹いている私のような者にも優しく、ポストカードも何種類か置かれているのだけれど、見本が額装されているのも良い。
ポストに投函する葉書としてではなく、手元に置いて眺める写真として購うと言う選択肢をさりげなく提示。
館内様々なところに心が配られた、快適な美術館であった。
うっかり寝過ごしたが、バスの接続が良く、なんとか開場する頃合いに到着。
講釈師でも噺家でも、その芸風によって付く客筋は異なるのだけれど、今日はは「楽しい時間を過ごしに来ている客」が多かったように思う。
私も久しぶりに声を出して笑った。
「円山応挙の幽霊画」 一龍齋貞寿
貞寿さんは「サザエさん」の花沢さんのような、「洒落小町」のガチャ松っつぁんのような、ざっかけない感じなのだけれど、狙っていない色気があるのが面白い。
召し物も清潔感は有りつつ華美ではなく、読み物の邪魔にならないような物を選っている。
南左衛門先生のに教わった「円山応挙の幽霊画」を掛けたのだけれど、稽古風景や酒席での様子など、師の人柄を伝える楽しいマクラをたっぷり振ってから。
他所で聴いたものと設定が異なっており、応挙が描くことになる花魁が臥せっているのが行燈部屋(あんどべや)。 髪をおどろに振り乱し、饐えたような臭いすらする惨状。
生きているうちに幽霊として下絵に描かれた姿と、息を引き取ってから全盛の姿で夢枕に立った本当の幽霊としての姿の対比の妙。
為にする演出無しにゾクリと背筋を寒からしめる話術。
良いものを聴いた。
「幸助餅」旭堂南左衛門
貞寿さんのマクラを受けて、講談界の東西交流や稽古会が始まる以前から稽古に来ていたことなど、たっぷり枕を振ってから「幸助餅」。
かっちりした講釈の口調で有りつつ、上方ことばの柔らかさもあり、聴きやすい。
気前は良いが優柔不断で見栄っ張りな幸助にやきもきさせられたが、最後の最後でハッピーエンド。
時計を見たら一時間以上経っており、まさに「たっぷり」。
心地よい疲れを感じつつ外へ出た。
平手友梨奈
週刊ヤングジャンプ 2016 39号との連動グラビアで、巻頭4ページ7カット、巻末4ページ5カットのブチ抜き。 A3になるオマケピンナップが付く。撮影は細居幸次郎。
流通は少ないようで、コンビニエンスストアと書店を何軒か回り、漫画専門の売り場を作っている書店に残っていた最後の一冊を入手。
買うまでに一と苦労。
アザーカット程度だろうと多寡を括って買ったのでけれど、ところがどっこい質が高い。 見慣れた決め顔以外の多彩な表情。
平手友梨奈のグラビアを抑えるなら、むしろこちらを買うべきかもしれない。
前半はノースリーブだがダボッとしたワンピース、大き目のサイズの半袖ワイシャツなど、身体の線は出ない衣装なのだけれど、喜怒哀楽のどれにも当て嵌まらないような、どれにも当て嵌まるような表情は、それだけで煽情的であり、引き込まれる。
後半は吊った蚊帳の中で午睡から目覚めて、起き上がりしなに振り向いたカットから。
こちらは蚊帳越しのソフトフォーカスで幻想的に。
ページを繰ると、半袖ワイシャツにグレーのプリーツスカートを合わせた夏の制服のような衣装(前半でも使われたもの)で「世界には愛しかない」の歌衣装を持ち、身体に宛がって姿見を見るような3カットで見開きに。
右端にライカ判的な縦横比で縦に二枚、左側は正方形フォーマットで大きく使っているのだけれど、この正方形の構図が実に良い。
ワンピースを持つ指、抱きしめる腕、畳を掴む様に立つ足の指。 それぞれに表情が有る。
最後に蚊帳の中のカットで使われた衣装で縁側に立ち、引き戸に寄り掛かるようにして小首を傾げたポーズ。
今回のヤングジャンプ・ミラクルジャンプの連動グラビアの中で唯一身体の線が出ている。
そう「この1カットのみ」なのだけれど、それ以外のところで勝負をし、あまり日の当たらない「平手友梨奈の年相応の可愛らしさ」を引き出すことに成功した一連の写真は評価に値すると私は考える。
ピンナップの裏面、「世界には愛しかない」の歌衣装を身体に宛がったまま踊るようなカット。
縁側からの日差し、揺れるスカートの裾、少し上気したような頬。
全てが美しい。 眼福。
平手友梨奈
銀河英雄伝説が盛り上がってきたタイミングに当たった所為か表紙での扱いは小さいが、巻頭6ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
夏休みがテーマになっており、服装も夏らしくあるのだけれど肌の露出は少なく、身体の線も殆ど出ない。
夏の日差しの下でにっこり微笑めば15歳なりのあどけなさ、それが次のページでは一転、目で殺しに来る。
上瞼に少し力が入ると、眼光に鋭さが増す。
3ページ目右上の扇風機を前に爪先立ちしたカット。 大きく使えば映えるのだけれど、大きく使う訳にも行かなかったであろう透過光で身体の線が描き出されたカットに唸る。
顔の輪郭を囲うような髪型であり、正面から睨め付けるような表情を切り取った写真の印象が強かったので気付かなかったが、顔が顔として認識できる角度が広く、6ページ目のように髪を後ろでまとめると別趣の平手友梨奈。
加藤ナナ
巻末5ページ7カット、撮影は桑島智輝。
スタイリストが上手い。 整った顔立ちであり、細身で脚が長いのだけれど、量感には乏しい。
美点となる「脚の長さ」と言うのが写真として見せるのは中々に難しいのだけれど、視覚的に分かりやすくする衣装。
それを桑島智輝が上手く組み立てて構図を作っている。
見せ方も隠し方も上手く、2ページ目3ページ目が実に良い。
カメラマンとモデルだけでは成立し得ないグラビアの難しさと面白さを垣間見る。
先日、アイドル方面の古い知己との飲み会に出た際に「最近どの辺に」的な話になり、意外な人と神保町画廊の話で盛り上がった。
コスプレとかAVとかその両方とかに行っていると言う話だったのだけれど、その辺りが被写体になっている事があって神保町画廊に行くようになった由。
曰く「ぎりぎりアウトなことまでやるのが面白い」
好みに合ったり合わなかったり様々であるが、一度ならず観に行きたくなる企画は多い。
今回は観覧者に対する年齢制限は無く、「強い表現が有ります」的な注意喚起も無い。
「強い表現」のある写真が良いとか悪いとかではなく、見たら見たで面白くはあるのだけれど、私は今回の写真展のような写真が好きだ。
昔話に喩えるなら血が沸き立つような光景は無いが誰も不幸にならない 「おむすびころりん」、季節に例えるなら春から初夏。 熱くも寒くも無く、穏やかでゆったりとした時間の流れ。
昨日見た際には目にしなかった作品があったような気がするが、増えたのか差し替えになったのか、変わっていないのか判然としない。
ただ配置は少し変わっていたようだった。
「ピクトリアリズム」「フォト・セセッション」「光大派」などの言葉が脳裏に浮かぶが、帰宅して調べてみると(アン・ブリグマンの作風が近いような気もするが)どれとも異なる。 古いようで新しく、懐かしいようでいて新鮮でもある。
これ迄に有ったものを否定・破壊するだけで新しいと思っている人がまぁどの業界でも多くて、既に使われた技法などはそれだけの理由で否定されがちなのだけれど、手法については撮影者のセンス次第だと、私は思う。
(まぁ私なども Neue Sachlichkeit の落穂拾いをしている訳なのであるが。)
晴れた日曜の午后とあって少々込み合っており、譲り合い体を交わしながら見て回ると、女性客が多かったと見えて室内の空気にはさまざまな化粧品・香水の匂いが入り混じって漂い、写真も心なしか華やいで見える。
制約済の赤い印が増える事を祈念しつつ帰宅。
荒天の日曜。 空いているうちにじっくり見たかったので、開廊した頃合いに観覧。
七菜乃が在廊していると場は華やぐのだけれど、じっくり見られる状況にはなり難い。 そもそも私が落ち着かない。
今回、七菜乃は撮影者であり、被写体はこの撮影のために募られて集まった18人の「女体をもった人」。
A4サイズの紙の真ん中にキャビネくらいのサイズでプリントしたものが中心で30数点。
飾りやすい大きさで落ち着いたデザインの ガラス張りの白い箱のような額装が、写真と良く合っていた。
奥の方でチェキやポラロイドも同様に額装。
心理的なハードルも低い、総じて納得すれば手の出せる値付け。
正面奥の壁に巨大なプリントが一枚。
クリップで挟み、そのクリップを画鋲で壁に留めていたのだけれど、作品を挟むクリップにも緩衝材として畳んだ紙を噛ませているなど、細やかな心配り。
森の中で撮った裸婦像。 七菜乃は「女体」と言う表現をすることが多いが、今回の写真展は「私の女神たち」。
柔らかく写る効果を用いて撮ったものが多いのだけれど、カットごとに効果の出方が変わっているので、スカイライト系のフィルターに脂をつけたのだと思われる。
モデルの配置やポーズに押しつけがましいところは無く、指示ではなく啓示と言うか、何かに導かれるようにして自ずとそうなっているような感じ。
実家の所有する森なので安心して撮り撮られていたであろう事もあり、表情も柔らかい。
膝を抱えて組んだ手の甲、透き通るような白い肌に浮かぶ静脈に目を見張る。
戯れる女神たちを覗き見るような、厳かで美しい写真たちだった。
仕事を片付けて神保町へ。 19:00の開演にはなんとか間に合った。
前座で神田こなぎさんが入っていたが、楽屋仕事のみで前講は無し。
(まぁ文字通り「たっぷり」な会なので。)
「隅田川乗っ切り」琴調
「忠治の娘」愛山
<中入り>
「若山牧水酒の歌」愛山
「五貫裁き」琴調
「若山牧水酒の歌」は、牧水が酒で身を持ち崩していく過程を酒について詠んだ歌を通して追って行く。 このあたりの実体験に基づく考察は愛山先生ならでは。
言葉でむ心地よく酔える、岩波の牧水歌集を読み返したくなる一席。
「隅田川乗っ切り」は大久保彦左衛門が狂言回しの武芸もの。
寛永三馬術に絡めた訳知り向けのクスグリが愉しい。
武芸もの、侠客もの、新作、取り交ぜてたっぷり。
心地よい言葉が耳に流れ込むに任せるひととき。
昨秋の真打昇進から間が開いたが、両国亭での独演会が再開。
「真田小僧」立川笑坊
「試し酒」立川志ら玉
「目黒のさんま」快楽亭ブラ坊
<中入り>
「鏡ヶ池操松影」立川志ら玉
開口一番は談笑門下の三番目(今のところ)の弟子の笑坊さん。 だいぶこなれては来ている。
ゲストは紆余曲折ありつつも二つ目昇進を果たしたブラック門下のブラ坊さん。
季節には一寸早いが、二つ目昇進の際の課題となっていた「目黒のさんま」。
志ら玉師と続けて聴くと癖のない口調がどことなく似ていて、快楽亭の血筋のようなものを感じた。
志ら玉師は根多おろし二席。「試し酒」と「鏡ヶ池操松影」(※所謂「江島屋騒動」)から古着の買い付けに鎌ヶ谷へ向かった江島屋の番頭金兵衛が吹雪の夜に怪しげな老婆に巡り会うくだり。 残暑厳しい折、怪談で涼を採る趣向。
江島屋は圓朝作の怪談なのだけれど、クライマックスに多少あるくらいで陰惨な場面は少なく、怖さより気味の悪さがじわじわと沁み出すような噺。
(この噺については、正岡容の「我が圓朝研究 -「怪談牡丹燈籠」「江島屋騒動」「怪談乳房榎」「文七元結」「真景累ヶ淵」について-」に詳しい。)
演目の選択も「らしく」在り、立場が人を作るとはよく言われるが、真打としての格を感じる納得の二席。
久しぶりの朝練講談会。 うっかり寝坊をしたがなんとか開場直前に到着。
「鹿島アントラーズ誕生」神田真紅
知っている話なのだけれど、焦らされるとやきもきもし、「川淵テメェ!!」となったり「川淵、いいぞ!!」となったり。
言い淀んだり詰まったりするところもあったが、マクラから本編への入り方や話の構成は巧いので、さほど気にならずに聴けた。
「四谷怪談 恨みの南瓜」神田春陽
入れ替わりで客電が落とされて演目が怪談であることを察する。
何を演るかによっては逃げっちまおうとも考えていたが、語りはじめで大丈夫な奴だと分かったのでそのまま聴く。
春陽先生は怖がらせるところは怖がらせるが適度に空気を入れてくれるので、陰惨なのがダメな私のような者でも安心して聴ける。
下手打つと話がぐっちゃぐちゃになってしまうような乱暴な混ぜっ返し方をしても、なんだかんだで本筋に戻って来られるのが凄い。
根本凪
巻頭6ページ9カット、うち1カットは所属グループであるところの虹のコンキスタドール全員での集合。 撮影は細居幸次郎。
グループアイドルの代表による投票企画で目出度く一位となった根本凪が巻頭グラビアを得た訳であるが、そう言うややこしい手順を踏まずとも巻頭でグラビアをやれるだけの素材ではある。
水着は三角ビキニと肩紐無しのバンドゥビキニを併用、肩紐の日焼け跡がどうにも煽情的なのではあるが、敢えてそこに視線を誘導して見せることで、ポーズや構図は当たり障りないものにしている。
捻ったり隠したり切ったり、粗になりそうなところも上手く誤魔化して美点のみを引き出しており、表情も単調と言えば単調だが、カメラとの向き合い方は素直で、妙にひね媚びた笑顔を作ったりしないのは良い。 特に4ページ目の横顔などは味わい深い。
水着仕事の取っ掛かりとしては良い巡り合わせ。 肉感的な部分を無暗に強調する媒体でなくて良かった。
横井ほなみ
投票企画で3位の横井ほなみ(FES☆TIVE) が巻中3ページ6カット、撮影は細居幸次郎。
表情もポーズも硬いのだけれど、そこが初々しくはある。
細居幸次郎をして撮りあぐねた感はあるが、悪い出来ではない。
荒川優那
巻末4ページ5カット、撮影は細居幸次郎。
少々味付けが濃いような気がしないでも無いが、グラビア3本撮り分けとなると開けにくい引き出しも開けねばならないのであろう。
目が死んでいるのは撮影者ではなく被写体の責任。 その辺りを判り難くするためのソフトフォーカスなのかもしれない。
撮られる側の気構え次第ではもう少し良くなったと思われるが、そこはそれ、致し方ない。
武田玲奈
巻頭7ページ、広告3ページ、巻末6ページ、ずらりと武田玲奈。
Leslie Kee 3ページ3カット。
MARCO 2ページ1カット(見開き)
Takeo Dec. 2ページ2カット+広告2か所。
笠井爾示 3ページ3カット。
ホンマタカシ 3ページ2カット、うち見開き1か所。
5人のカメラマンを向こうに回して堂々と撮られているのは流石。
青年マンガ誌でここまで思い切った企画が出来るのも、それだけのモデルだと言うことなのであろう。
拍子や広告の担当がTakeo Dec.と言うのが象徴的で、想定読者層に対して訴求力のある写真を撮れているからこその人選。
プレゼントページの写真までTakeo Dec.と言うのも贅沢な話ではある。
好みの写真ではないが、企画としては面白い。
全国美少女 mini Book
フリーペーパー「美少女図鑑」の協力を得て、北から南から選りすぐった原石を紹介する体のオマケ冊子。
撮影は細居幸次郎と北条俊正。 どちらが誰を撮ったのかまでは明記されていないが、加藤真美と山田愛奈は細居の撮影であろうと思われる。
仕方のない事ではあるのだけれど、昆虫採集的に手あたり次第撮った写真が多く、統一感が無いのが疵。
第1部と第2部で入れ替えは無しだが、終演後に一旦椅子を片付けてゆるゆると第1部の物販。
終電で帰る人々を見送り、ゆったり目に椅子が並べ直され、日付けが変わった頃合いから第2部スタート。
辻林美穂
i-podに用意し来たオケと重ねたりしつつピアノ弾き語り。
オケのデータが1曲分クラッシュしていたとかで、予定にない曲を2曲ほど。
明けて月曜はアルバイトだそうで、「なんとかなるでしょう」と笑っていた。
そんな感じの肩の凝らない歌唱とピアノ。 次は眠くない時間に聴きたい。
澤部渡 (スカート)
紙の束を携えて登場。 京阪の各駅停車の上半分みたいな色のリッケンバッカーをアンプに繋いで弾き語り。
紙の束は歌詞を印刷したもので、次の曲をやる前にバサバサと探す。
何を歌っても(弾いても)澤部渡の歌になっており、無造作に弾いているように見えるギターだが、時折とんでもない技巧を挟み込んでありえない音を出すので、心地よさに眠気を催してもその度に「なんだコリャ!?」と目が覚める。
心臓によろしくない。
プラスチック米
木造アパートの自室でラップの練習をしていたら通報されて国家権力が来たとかで、その模様を録音したものを流したり、それをサンプリングした曲を演ったり。
静かな狂気。 攻撃的で無いのが良い。
関美彦のピアノ伴奏でプラスチック米が一曲歌った後、「僕も歌って良いですか?」と関。 そのままピアノを弾きつつ「HAWAI」。
何故か正座して謹聴するプラスチック米。
最初から最後までどうかしていた。 面白い。
浦郷えりか
ラケットを持ち、テニスルックで登場。
テニスに因んだ曲の後に無用の長物と化したラケットは、その辺に立て掛けられ、いつしか忘れられ、ふとした拍子に蹴り飛ばされたりしていたが、この「なんだかよくわからない感じ」が通奏低音としてあって、上手くは無いが下手ではない歌、能弁では無いが訥弁でもなく、さして面白くも無いがつまらなくは無いとりとめのない話をニコニコと続ける様を眺めているうちに持ち時間が終わって去って行った。
これはこれで有りだと、私は思う。 寝物語に聞く「おむすびころりん」のような時間。
柴田聡子
眠さが極まった頃に始まり、心地よい歌声とギターの音色に、遂に眠気が限界を超える。
しかし澤部渡の時と同じく時折耳の奥に響くギターの音と、脳みそに引っ掛かる独特な言葉遣いが現実に引き戻し寝たり起きたり。
混乱しているうちに終演。
いつの間にか総武線緩行線にも始発が走る時間となっており、表に出ると既に空は白んでいた。
熱帯夜の明けた朝の、冷めきらぬ都市の火照りと湿り気を感じつつ帰宅。
長丁場で眠くはあったが、楽しい時間を過ごせたのは間違いのない事実。
次回は眠くない時間帯にお願いしたい。
神保町試聴室で開催される不可思議なライブへ。
前回お誘いいただいた Vol.2 が楽しかったので、予約フォームが出来たところで予約。
予約してからタイムテーブルを確認したら二部制になっていて、二部の開始は日付が変わってから。 終演は月曜の朝、始発が走る頃。 完全にどうかしている。
仕事はまぁ、何とかなるだろう。(※何とかした。)
日曜の夕方の水道橋駅界隈にはタバコの煙に悩まされずに時間を潰せるところが無く、少々早かったが会場へ。 蚊の餌になりながら開場待ち。
中ではリハーサル。 K&Mミュージックの面々と中村綾が「あぁ、あなたが」的な感じで挨拶をするさまが微笑ましい。
15分遅れて開場。 席を確保して一と息ついている裡に開演。
越智灯子
「SUNDAY GIRLSの妖精」から「SUNDAY GIRLSの座敷童」に肩書が変わっていた。
長崎発のアイドルであるところのMilkShake(ミルクセーキ)の東京遠征の手伝いで準備が出来なかったとのことで、松任谷由実の初期楽曲から。
ピアノ伴奏はMilkShakeの楽曲提供者でもある唐川真。
時間が盛大に余っていることからミルクセーキの話にもなり、唐川真の来歴と楽曲を提供することになったいきさつなどが語られる流れ。
そうした側面から語られることは多くなく、送り手の側にもそこを売りにはしていないので仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、ミルクセーキの売りに成り得る部分として「唐川真の手掛ける楽曲の良さ」は確実にあり、もう少し押し出しても良い。
中村綾
以前在籍していたグループがファンの総称などを作って客席が息苦しくなり、足が遠のいているうちに色々あってグループそのものが無くなってしまい、仕切り直してソロで活動を始めて一年になるとのこと。
Chelipにしても鈴木花純(ex.テレジア)にしても中村綾にしても、世渡りが上手くないことから回り道を強いられたりもしているが、難局に当たって互いに助け合い、倦まず僻まず歩を進めることで客の信頼を勝ち得ているように思う。
客筋は良い。
普段はアイドルが複数出演するライブへの出演が多く、今回のように座って聴く形式のものに出る機会は少ない。 いつも演っている曲の他にバラード調の曲も用意したとの事で、レゲエ風のアレンジになっているバラードを挟んだ構成。
このバラード調の曲のオケと普段演っている曲のオケの造りに乖離が有り過ぎて、一寸勿体なかった。
バラード調の曲のオケはシンプルで歌声が聞き取りやすいのだけれど、普段の曲のオケはコーラスが厚く重ねられており、大音量で浴びせるには良いが歌声を聞き取りにくく、静かな環境で聞かせるには不向き。
出演するライブの環境に合わせてオケを準備できれば良いのだけれど、そうも行かないのであろう。
ユメトコスメ
女性ボーカルとピアノ、サポートでヴァイオリンが入るスリーピース。
心が浮き立つようなピアノ伴奏、脇を支えるヴァイオリン、落ち着いた歌声。
耳にして「そうそう、丁度こう言うのが聴きたかった。」と腑に落ちる音楽。
ヴァイオリンのピチカート奏法が至近距離で見られた(聴けた)のも嬉しかった。
K&Mミュージック(小林清美、飛弾せりな、森田さき)
それぞれ浴衣で登場。 先ず森田さきがギター弾き語りで一曲。 今後K&Mミュージックの所属になるとのこと。
「何か面白い事が出来たら良いな、と思っています。」と小林清美。
この人の思い付く「何か面白い事」は常人の想像を超えるようなものなので期待したい。
飛弾せりなは持ち歌の「カード戦士飛弾せりな」を。
この曲も割とどうかしているのだけれど、楽曲としてはちゃんとしている。
小林清美は目を見開くと岡本太郎のようになることが有るのだけれど、その辺りもあの「謎のひらめき」に繋がっているのかもしれない。
姫乃たま
初見がPIP: Platonics Idol Platformのイベントのゲストでの「濱野智史が連れて来た『地下アイドル』に詳しい人」としてであり、知識の蓄積を自らの周囲に起こることに頼る探求心の無い人と言う印象を持ったのだけれど、実際にライブを見ると、見世物としてちゃんとしている。
まぁ「『地下アイドル』と言う言葉の成り立ち」を知らなくても、そもそも資料が皆無なので仕方がないと言えば仕方がないのであるが。
ライブの進行にもじわじわと客を巻き込む大道芸的なしたたかさがあり、巻き込まれさえしなければ、見ている分には楽しい。
深田恭子
巻頭7ページ11カット、撮影はND CHOW。
2016年に深田恭子が青年漫画誌の巻頭で水着になっているとは、徐々に肌の露出を減らしていったあの頃には思いもしなかったが、然程の違和感はなく溶け込んでいる。
3ページ目など、笑うと目尻に烏の足跡が見え隠れすることもあるが、体形や肌の張りからは一体何歳なのか見当が付かない。
正面から撮ると頑健さが際立ちすぎるが、そのあたりを誤魔化すと言う発想そのものが無い撮り方。
悪くは無いが、些か逞しさを引き出し過ぎているように感じられる。
江野沢愛美
巻中7ページ18カット、コラージュ的に見開き1か所。 撮影はMARCO。
相変わらずざっくりしたピントの合わせ方で、引きの構図になると些か散漫なのだけれど、割り付けで何とかした7ページ。
モデルとカメラマンだけでなく、様々な裏方の仕事が噛み合って初めて良いものが出来る。 編集が良い仕事。
江野沢愛美は表情は些か単調なのは瑕だが着ている服を見せる仕事が多い割に自分を見せる撮られ方も出来ており、表情を生かす撮り方をして貰えていないのが惜しまれる。
唐田えりか
巻末5ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
上手く撮り、撮られている。 表情に作為が出過ぎているような気がしないでもないが、カメラに意識だけを向ける撮られ方は巧い。 きちんと芝居が出来ている。
その隙の無さは面白味の無さと紙一重なのであるが、Takeo Dec.の切り取り方が良い。
4ページ目、シャッタースピード遅めで動きを出したカットに唸る。 眼福。
西野七瀬
巻頭8ページ17カット、撮影は細居幸次郎。
どきりとさせられる瞬間だけを切り取って作ったような17カット。
ページを繰るたびに寿命が縮んで行く。
ヴェニスではないが海辺の町で「美そのもの」と出会ってしまい、対象の生活を覘き込むことにのめり込んで行くグスタフ・フォン・アッシェンバッハのような視点。
細居幸次郎がそう撮ったと言う事ではなく、西野七瀬も何も企んでいない。 その写真を目にした者(例えば私)が精神をコレラに侵されて病膏肓。
ここまで心臓に悪いグラビアもなかなか無い。
渡辺梨加
巻末5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
撮られ慣れていない硬さもあるが、そこは状況設定と道具立てでほぐしている。
美形感とお茶目さの程良いバランス。
前の晩に行った両国亭にチラシが有ったので、仕事帰りに神保町へ。
前講無し、前座さんと頼まずに愛山先生が一人で、たっぷり二席。
「徳川天一坊 越前切腹」
続き物を読むときには、それまでの粗筋を簡潔に纏めて初めて聞くお客さんにも分かるようにすべき、ここには自信を持っておられるようで、実際粗筋だけで一席成立するのではないかと思うほど。
春陽先生と松之丞さんを引き合いに出し、「あいつらに後を託すことになるとは・・・。」と慨嘆しつつ、嬉しそうでもある。
粗筋から始まり、何故大岡が切腹せざるを得ない状況まで追い込まれているのかが示されてから、緊迫した場面が始まるのだけれど、愛山先生が化ける。
「骨の音」
結城昌治の短篇を講談に仕立てたもの。 冒頭に説明方々多少有るくらいで地の文は少なく、温泉地の盲目のマッサージ師と客となった初老の紳士会話で進む。
始めは勇ましかった紳士が怖気を発し、下手に出ていたマッサージ師が次第に雄弁になって行くさまに引き込まれる。
不気味だが腑に落ちる、恐ろしくはあるが後味は悪くない結末。
楽しいより愉しい。 心地よい言葉の海に揺蕩う一と時。
愛山先生の会に行って翌日が貞橘会であることを知る。
午前中に用足しをして午後から神保町へ。
「渋川伴五郎」田辺いちか
「黒田節の由来 呑み取りの槍」一龍斎貞橘
「情けの仮名書き」宝井琴柑
「小猿七之助 永代橋網打因果噺」一龍斎貞橘
仲入り
「一心太助一代記 彦左と太助の出会い」一龍斎貞橘
いちかさんは見るたびに確実に良くなっている。 口調の骨格がしっかりしてきたと言うか。
渋川は確か二度目だが、こなれて来ている。
琴柑さんは久しぶりに。
学生時代を山形で過ごした縁からか、米沢藩を題材にした「情けの仮名書き」。
藩校であった興譲館が県立一の進学校となっている話なども織り込みつつ。
嫋やかさもありつつ、講釈の口調は崩さない。 程が良い。
貞橘先生は例によって緊迫し過ぎると安全弁を開けて客の肩の力を抜いていくのだけれど、見せ場では畳みかけて引き込むし、聴かせるべきはしっかり聴かせる。
気楽に聞けて肩が凝らず、楽しく過ごせて充実感もある。
余暇の過ごし方としては理想に近い会。
八月は休みで次回は九月。
四谷四丁目のギャラリーニエプスへ。
2013年から2015年にかけてのパリを撮った、厳密に構図を切ったりピントを合わせたりする工程の無い種類の、構えたら撮る写真。
出合頭に撮られた被写体は怪訝そうな顔をしたり、不快感を顕わにしたりしていて、私には撮れない(撮ろうとも思っていない)種類の写真なのだけれど、生々しく瑞々しい、パリと言う都市の現代が切り取られている。
プジョーやルノーが走り、石造りの建物も並ぶ、紛うことなきパリなのだけれど、肌の色や服装からそれと分かる中東やアジア・アフリカの人々が当たり前のように暮らす街。
今のパリを今のパリとして切り取るには、この激しい撮り方が適しているのだと思う。
ひりひりした感覚を醒ますために、何時もより少し先のバス停まで歩いて帰宅。
佐藤麗奈
巻頭7ページ、「宇宙にいちばん近い島」種子島で撮った18カット、撮影は細居幸次郎。
撮られ慣れているのが良い方に出ており、カメラの前に気負わずに立てており、直視することも出来るし、意識しつつ視線を外すことも出来る。
屋外撮影分も悪くないが、屋内で弱く柔らかい光を廻したカットが巧い。
6ページ目の2枚に唸る。
佐藤優樹
巻中3ページ6カット、撮影は佐藤裕之。
モデルを泳がせて撮った、動物写真的なカットのみ、表情が良い。
「超速緊急アンコール」と銘打たれているが、そこまでのものでもなく、政治的な臭いのする煽りには興醒め。
煮ても焼いても食えない素材をとりあへずグラビアとして形にした佐藤裕之の苦心惨憺のみ、評価に値する。
るぅ
巻末5ページ8カット、撮影はTakeo Dec.。
写真としては可もなく不可もなく無難な出来。
構成の妙で見せている。
齋藤飛鳥
巻頭8ページ22カット、撮影は細居幸次郎。
晴れた屋外で撮ったカットは少々塗り絵が過ぎるようなものもあるが、旧公会堂やハリストス教会の辺りから港を見下ろす坂でハイキーに撮ったカットは白昼夢の如く。
屋内で撮ったカットは高いレベルで安定。
終点に着いたと思しき、乗客が降りて行く市電車内で撮ったカットから、夕暮れの浜辺で焚き火。
谷地頭で降りて浜に出たのだろうかなどと足取りを考えつつ見る。
そして函館山の展望台からの夜景をバックにしたカットで〆。
このロケだけで写真集一冊作れるくらいの濃密な8ページ。 眼福。
長澤茉里奈
巻中3ページ21カット、撮影は山口勝己。
1ページ目は4分割、2ページ目をコラージュ的に詰め込んで3ページ目をウエストアップで大きめに。
セーラー服の下に横縞のビキニ、ファストフード店員的な縦縞の制服の下に白のビキニ。
メイクそのものは変えていないと思うのだけれど、頭頂部でサイドポニーっぽく一つ縛りにするのと、サンバイザーの上あたりで高めのハーフツインにするのとでは、受ける印象が異なり、成熟した身体と童顔とのバランスも変わってくる。
紙幅は短いが面白いグラビア。
福原遥
巻末6ページ16カット、撮影はTakeo Dec.。
連載漫画に連動したコスプレグラビア。
原作の世界観の縛りが有るので面白味は薄いが、表情は良い。
子役から上手く大人に成れつつある。
武田あやな
巻頭6ページ15カット、巻中3ページ17カット、撮影はTakeo Dec.。
夏らしく、ほぼ全篇南国の晴れた浜辺で水着。 どう撮っても眩しい状況とあってか、作ったような笑顔にならざるを得ないこともあって
表情は些か単調。
物怖じせずにカメラと向き合えているのは良い。
生田佳那
巻中4ページ12カット、撮影はTakeo Dec.。
美点に成り得るが強調し過ぎる瑕にもなり兼ねない量感のある部分をうまい具合に切り取って見せている。
高橋胡桃
巻末5ページ7カット、うち見開き1か所。 撮影は渡辺達生。
新鮮味は無いがスタジオで撮らせると矢張り巧い。 少々無茶な道具立てからライティングから、中高年向け週刊誌的な味付けではあるが、写真としての質は高い。
南国の浜辺で撮ったような渡辺達生の写真は全く評価に値しない(それは渡辺達生の側ではなく、依頼する側の安直で怠惰な思考に起因するものであるがそれはさておき)と考えているのであるが、こうしたスタジオ撮影となると、必ずしも私の好みではないけれども、払われた代価に見合った以上の写真は出して来ていて毎度唸らされる。
柏木由紀
巻頭8ページ13カット、撮影は渡辺達生。
薹が立って来つつはあり、色々有り過ぎたあれこれが髪の傷みや塗りの厚さに出てしまっても居るのだけれど、それ故に、またこの年頃だからこそ出せる匂い立つ色気と言うものもあり、渡辺達生が巧く掬い取って写真に収めている。
そこそこ上背があって手足も長く、色が白くて皮膚が薄い。 見せたい自分しか客前で出さない頑なさのようなものは疵だが、金の取れないものはお見せしないと言う矜持でもある。
それ故の紋切り型の表情が、今も昔も私は嫌いなのであるが。
面白いのは6ページ目。 ソファに寝転ばせて膝を畳むことにより、体形に於いて唯一の瑕であるところの胴の長さを隠しつつ足の長いのと白いのを効果的に見せている。
最後の最後で胴の長いところも見せているが、吸い付くような皮膚の薄さを感じさせるのはこの部分であるので、これはこれで良いのだと思う。
長い事見て来た柏木のグラビアであるが、褒めるに値するものは初めて目にしたかもしれない。
熊江流唯
巻末5ページ9カット、撮影はTakeo Dec.。
身の丈170cm余、ヒールを履かなくても身体の半分が脚と言う体形を効果的に見せるために腐心。
表情の面白味は薄いがカメラとの向き合い方は素直で良い。
全身が写るカットは水着の上に一枚羽織っており、水着のみのカットはバストアップであったりウエストアップであったり、謎の縛りが垣間見られて後味としてはあまり宜しくない。
「四万六千日、お暑い盛りでございます」でお馴染み、ほおずき市の日に、浅草を通り越して日本橋室町へ。
今週も朝練講談会。 そこそこの入りではあるが、講釈を聴きに来ている客の比率は高め、反応で判る。
私には居心地の良い客層。
「関東七人男 溝呂木新太郎 潟沢屋の強請り」宝井梅湯
人気と言うものについて語るマクラ、多数派ではないからここに居る客としては、どうして反応してよいか分からない。
侠客物の演目としては次郎長や国定忠治、天保水滸伝があるが、天保より少し前の文化文政年間の関東(と言っても武州上州のごく狭い地域らしい)の侠客の興亡を描いた「関東七人男」と言う演目。
御一新で侠客稼業に見切りを付けて講釈師になった人の作った、謂わば小悪党の実録物なのだけれど、実録だけにカタルシスが無いのが疵とのこと。
名の知れた登場人物は出て来ないが、話は練れており、盛り上がりは無いが腑には落ちる展開。 じわじわ盛り上がってこれから・・・と言うところで惜しい切れ場。
これもまた講釈の愉しみ。
「朝顔日記 宇治の蛍狩り」一龍斎貞弥
出自が声優である所為か芝居をし過ぎるところがあり、老爺などは少々臭く感じることもあるが、登場人物が増えて話が込み入ってくると演じ分けが利いてくる。
そして女性が出てくると衒わない抑えた色気が漂う。 程が良い。
続き物の発端なのでじわりじわりと物語は進んで行き、ロマンティックに盛り上がり始めたところで「続きはまた」。
思い立ってふらりと行っても入れて、じっくり聴ける。 実に有り難い会。
四ツ谷のギャラリー・ニエプスへ。
先週は折悪しくトークショーの時間にぶつかってしまい、早めに行ったつもりだったが、すでに大入りで写真を見られる状況ではなく、体を交わして出直し。
私は長徳氏そのものより、長徳氏のカメラ趣味評論を好む人々とあまり相性が良くないので、トークショー目当ての人が居ない頃合いを見計らって写真だけを落ち着いて見られそうな時間帯に四ツ谷へ。
1966年、高校3年から大学1年くらいの頃に撮影したネガをプリントし直した写真。 確かすべてノートリミングだったと思う。
ネガキャリアに細工がしてあって、1齣分よりほんの1mmほど鑢を掛けて拡げてあるので、それと判る。
プリントは瑞々しいのだけれど、ネガは60年代の色調。 黒が潔く潰れている。
その塗り潰された黒が締まっているのに驚く。 銀の使用が制限された最近の印画紙では、なかなかこうは行かない。
前述の通り黒が黒々と潰れているので、説明的になりがちなこの種の写真にしては情報量が少ないが、それが写真としては面白い。
切り取り方に出る外連の部分と硬く黒を潰す焼き方に好みは分かれると思うが、見応えのあるプリントではあった。
締めてしまったのでそれは叶わぬ夢ではあるが、「そうじゃないんだよなぁ」と自分好みの写真を焼くために暗室に入りたくなる、罪な写真展だった。
猛暑日の予報が出ていたが、朝から既に暑い。
暑い中並ぶのも物憂いので開演前に着くよう、蕎麦を手繰ってからゆるゆると。
今日も太鼓の音が聞こえてくる。
ゲストで鶴遊先生と言うのもあってか、なかなかの入り。
「渋川伴五郎」田辺いちか
世話人からの前説が無いのでどうしたのかと思ったら、前座の仕事の一環でもあり、演者の口から。
発声と口調は悪くないのであるが、一度蹴躓くと後を引くきらいがある、考えなくても出来ることが増えてくれば、何食わぬ顔で読めるようになっていくと思う。
「寛永宮本武蔵伝 偽巌流」神田みのり
寛永年間、武芸もの、根多は被ってしまっているがそこはまぁ前座勉強会。
灰汁が抜けたと言うか、きっちり読めるようになってきた所為か癖が気にならなくなってきた。
はたり、はたはた、ぱん、バン、バンバン。 張り扇で句点読点段落分け場面転換、使い方に幅が出てきた。
二人とも未だ前座。 瑕疵もあるが伸び代も感じるので、今後も足を運びたい。
「山田長政遠征記 シャム王国」田辺鶴遊
若手真打が出演すると自分達の頃の前座勉強会の話になる。
私が講釈の会に行くようになったのは黒門町の路地裏の料理屋になっていた本牧亭が無くなる少し前からで、鶴遊先生が出ていたころには間に合っていない。 興味深く拝聴。
九時過ぎから始まる会とあって、眠たげに目をしょぼしょぼさせながら昔語りをしているうちにシャッキリしてきて、山田長政を生い立ちからシャム渡航までみつちり。
織田信忠のご落胤と言う設定に先ず驚いたが、立川文庫的な荒唐無稽な話も楽しい。
時折挟み込まれる一鶴先生のエピソードも懐かしく聴いた。
早稲田(住所としては文京区関口になる)の YUKAI HANDS Gallery (ユカイハンズ・ギャラリー) で開かれている写真展を見てきた。
最寄駅は有楽町線の江戸川橋か東西線の早稲田、もしくは都電荒川線の早稲田電停になるが、どこからも等しく遠い。
都バスなら鶴巻町と関口一丁目の間になり、さほど歩かずに済む。
大きなガラスの引き戸を開けて中に入る。 傘立てがあるので辛うじて入り口であることが分かるが、引き戸には見えないデザインであり、入り口としての表示もない不親切な設計。
モデル一人辺り三枚ずつ、壁二面半くらいにズラリ。 動画をプロジェクターで壁に投影しているので室内は暗くて、写真を見やすい環境ではない。 見やすい見やすくない以前に、見せるための工夫が無い。
中央の机に写真集が山積み。 写真を見せることより、写真集を売ることに重きが置かれているのが視覚的に判る。
長澤茉里奈などは撮られるのも上手く、素材そのものも良いので可愛らしく写っているが、それだけ。
敢えて日の丸構図で撮りました系の写真で、青山の撮る写真にありがちな被写体を踏み付けにするような底意とか、女性そのものへの呪詛みたいな臭気は無いのだけれど、写真としての面白味もまた、無い。
凌雲閣の「東京百美人」を百年遅れでやっているような顔見世写真。
ギャラリーの造りから展示方法から撮り方まで、すべてが独りよがり。
ここまで不愉快な写真展もなかなか無い。
珍しく複数の選択肢があり、一日中講談漬け・・・と言う事も出来うる日ではあったが、手元不如意につき一番聴きたい会のみ。
開場前から並んで待つ客は多くなかったが、開演迄にはほぼ満席。
「仙台の豪傑 熊田甚五兵衛」田辺いちか
講談の口調に気を付けているのが見て取れた。
大分こなれて来ており、厭味が無いのは良い。
「大岡政談 小間物屋騒動 万両婚」宝井琴調
鈴本に上がった時の話から落語と講談の協会としての組織の大きさの違い、出来ることと出来ないことの話から「三方一両損」の絵本を出すに至った経緯など。 そこから張り扇を一と叩きして大岡政談へ。 落としどころのあるマクラ。
こうした込み入った話になると、講談の特色でもある地の文の多さが整理する機能として働く。
「小夜衣草紙 蛤の吸物」神田春陽
亡くなった陽司先生の思い出から「化けて出てきてくれないかなぁ」と言う話になり怪談めいた話へ。
大阪が舞台なので登場人物は上方言葉なのだけれど、地の文はそうでは無く、進んでいくうちに曖昧に。
このぞろっぺえなのが怪談で在りつつドタバタ喜劇でもある話には合っていて、ゾッとしたり笑ったり。
<仲入り>
「太平記 楠泣男」神田春陽
軍記ものでありつつ、胡散臭い舌先三寸で身を立てようとする男の悪戦苦闘。
琴調先生と被らない方向に振ったのだと思われるが、面白いものか聴けた。
「国定忠治 忠治山形屋」宝井琴調
私もポスターを見て気にはなっていた六月の新派特別公演「深川の鈴」と「国定忠治」の二本立てを三越劇場に観に行った話から。
悟道軒円玉の書生をしていた頃の川口松太郎の自伝的な演目である「深川の鈴」と前進座から移った市川月乃助が主役を張る「国定忠治」。
(悟道軒円玉は講釈師ではあるが読むより書く方が主の人。 国立国会図書館のオンラインサービスで結構な量の著作が読める。)
良く出来た芝居ながら艶っぽすぎる「深川の鈴」とやくざの話、どちらも三越友の会の奥様方には響いていないようであった、興行と言うのは難しいですね・・・と張り扇一と叩きして「国定忠治」。
代官叩き斬って赤城山に篭って降りて、それからの話。
勧善懲悪だが切った張ったは無く、腕っぷしより機智で山形屋をやり込める忠治。
最後の最後で切る啖呵に溜飲を下げる。
神保町講談会の主催興行は、この会に限らずみっちり聴けて外れが少ない。
心地よい余韻に浸りつつ帰宅。
長崎発のアイドル MilkShake(ミルクセーキ) の定期裏公演の東京出張版。
曲もオケもしっかりしてて、きっちり歌えて、刈り込みすぎず盛り込みすぎず適度な振り付けと頃合いの独自解釈。
緩すぎずきつすぎず良い塩梅の運営。 江戸期以来の国際港湾都市の文化的懐の深さなのか、東京出張公演と言っても変に肩肘張ることもなく、楽しく見ていられるのは良い。
会場の東京アイドル劇場はカラオケボックスのビルの二階に仮住まいしており、音響も証明もソコソコながら安価にさまざなアイドルが見られる(撮れる)興行を打っている。
見たいメンバーが学業多忙につき活動を制限しており、次は何時見られる(撮れる)か判らないので今回は見る聴くより撮るに重きを置いて観覧。
撮ったものはこちらに。
MilkShake@東京アイドル劇場(16.06.26)(その1)
MilkShake@東京アイドル劇場(16.06.26)(その2)
早めに日本橋へ。 野良猫の毛繕いを眺め乍ら開場待ち。
バス停と違って割り込まないだけマシなのだけれど、並ぶの厭さにその辺に屯していて、開場するや入り口に寄ってくる手合いが居る。 たいていは老人。
「赤穂義士銘々伝 中山安兵衛 婿入り」宝井梅湯
高田馬場の後、留守居役らしい堀部弥兵衛の巧妙な罠に掛かった安兵衛が婿入りするまでのドタバタ。
すっとぼけた弥兵衛の食えない爺ィっぷりが楽しい。
こう言うほのぼのした話は実に良い。
「澤村淀五郎」一龍斎貞寿
暫く長野で学校寄席だったとか。 一と口に学校寄席と言っても、小学校、中学校、高校では求められるものが違うので演り方も演目も異なる。 それに対処する日常から、久しぶりに「講釈を聴きに来た客」向き合う事になり、そうなると演目にも悩むとの事。
「村越茂助なんか演ったら怒られますよねぇ」と軽口。 居住まいを正し、張り扇を一と叩きして「淀五郎」。
講談らしい地の文を読む口調と、情感の籠る会話のバランスが良く、臭くなり過ぎないのが良い。
義士伝と忠臣蔵では登場人物の名前が異なるので、読む方も聞く方もこんがらがりがちになるのだけれど、上手く丸め込んでいた。
団蔵がただの食えない爺ィではなく、茶目っ気もあるところが描き出されていて、仲蔵とは別のやり方で淀五郎を育てようとしていたと言う解釈。 後味良く、読み終わり。
指原莉乃
巻頭7ページ13カット、撮影は桑島智輝。
表紙は笑顔であり、珍しい。
体形や面相については何処からどう切り取れば映えるか、撮る方も撮られる方も分かっており、「今回はこうしたい」と言う方向が定まっていて、編集者や事務所も含めて合意形成が為されていれば、良いものは出来る。
無から(零ではないがそれはさておき)有を作り出す錬金術的な部分は苦笑するほか無いが、美点である部分を線で描き出した絵には唸らされる。
生娘感の無さを糊塗するでもなく、安売りするでもなく、居る訳ゃ無いんだが近所に住んでいそうな現実感のある色気として提示。
4分割が2ページ、あとは1ページに1枚。 選った上で適切な大きさに配置。
今年も良いタイミングで良いものを出して来た。 眼福。
井上由莉耶
巻中4ページ7カット、撮影はTakeo Dec.
インタビューはオマケの冊子に収録して、こちらは写真を見せる構成。
右側から撮ったアップが3カット。 引きのカットも右側からのものが多く、些か単調。
冊子のインタビューを読むとセルフプロデュースで自らの道を切り拓いてきた来たことが解り、腑に落ちる。
セルフポートレートで映える角度、それが「井上由莉耶にとっての『井上由莉耶の貌』」と言う事なのかもしれない。
良し悪しではなく好悪と言うか嗜好の部分で私には受け入れがたいところも無いではないが、生き方としては面白い。
込山榛香
巻末6ページ11カット、見開き1か所。 撮影は岡本武志。
硬くて色が濃くて白っぽい、好みではない仕上げ方だが表情は良く汲み取れている。
光の当て方は強めだが、クシャッと笑うと目を細めるので、眩しさからくる緊張も然程感じられず、目を細めると大仰なカラーコンタクトも気にならなくなる。
6ページ目がそれ。 上手く纏めてある。
カメラをバッグに詰めたりレンズを選んだりしているうちにバスは行ってしまい、いつもより遅れて日本橋へ。
程なく開場。
開演時間に近付くと、曲師が調子を合わせる音が聞こえてくる。
「清水次郎長伝 次郎長出立」玉川太福・玉川みね子(曲師)
大型連休の十日間連続読みの話などから、スッと眼鏡を外して畳み、次郎長伝へ。
この所作が良い。 顔つきも変わる。
拍手をするタイミングであるとか、浪曲の客の作法みたいなものには未だ馴染めないが、耳は慣れてきた。
「紺屋高尾」一龍斎貞橘
何かしくじった訳ではないと思うが、頭を丸めていて驚く。
学校寄席の季節らしく、長野で何公演かした話など。
会話で脱線したり入れ事が挟み込まれたりする事も多いのだけれど、地の文はきっちり読み、締めるべきところは締める。
貞橘先生の講談は、常にそれなりに満足感はありつつ、聴いていて草臥れないのが良い。
むさしのFMの音楽番組「吉祥寺ロックレディオ」の公開収録を兼ねたライブイベント。
ゆるキャラ3組、アイドル2組が出演。
はちきんガールズが現体制での最後のライブと言う事で足を運んでみた。
はちきんガールズ
梶原妃菜子は療養中でお休み。 川村あやのと石川彩楓の二人での出演。
現体制での最後のライブに欠員が出てしまったのは残念だが、出番の最後に司会者が川村あやのが今日限りであることに触れるまでは明るく楽しいいつものはちきんガールズ。
イベント終了後に「卒業式」ファンからの色紙と花束が手渡され、客が二列になって作った花道を潜って退場。
ライブ中の振る舞いには一寸野暮なのではないかと思うところもあるが、温かさと節度はあり、過度にべたべたしに行かないのははちきんガールズならではの良さであったと思う。
写真はこちらに。
藤田恵名
「シンガーソンググラドル」と言う事で、見せる衣装で聴かせる曲。
付いている客はインディーズアイドルにありがちな定型に縛られた観覧方法に縛られた人々が主で、届いた方が良い層とは微妙にずれているのが気になった。
リハーサルではオケとギターとマイクの音量バランスやオケを流すタイミングなど、マメに調整。 歌うたいとしての矜持が見て取れた。
写真はこちらに。
いち狼&ひよこ豆
八王子市のご当地キャラクター「松姫マッピー」に関連した楽曲制作をしている男女二人組。
曲を聴いた司会の宮口文裕が「間奏でメロトロン使ってますよね?」と良い指摘をして作曲者と盛り上がったり、これからも楽曲制作をするのかとと問われた作曲者が「『お呼びとあらば即参上!』と言う感じです」と答えていたのが面白かった。
川村あやの(はちきんガールズ)
ペンタックスK10D ノフレクサー240mm/f4.5
川村あやの・石川彩楓(はちきんガールズ)
ペンタックスK10D ノフレクサー240mm/f4.5
佐藤優樹
巻頭7ページ24カット、ほぼ見開きになっているところが1か所。 撮影は佐藤裕之。
北海道出身の被写体を北海道で撮影と言う企画。
流石に詰め込み過ぎで、貶すほど悪くは無いのであるが良くも無い。
要点が絞れておらず、些か冗長。 表情も単調。
構えずにカメラと向き合えているカットが少なく、カメラの方すら向いていないカットは写真として良質。
編集が悪いのではなく(良くは無い)、そもそも被写体に原因のある外れカットが多過ぎる。
稲場愛香
巻中7ページ16カット、撮影は佐藤裕之。
作為の出過ぎた笑顔は興醒めだが、無理に表情を作らず、カメラを見ずに意識だけを向けているカットは良い。 撮影の苦労が偲ばれる。
取り繕った笑顔をカメラに向ける癖はよろしくないが、「そうしている」のか「そう躾けられている」のか。
加藤葵
巻末5ページ、ほぼ水着で10カット、撮影は岡本武志。
可もなく不可もないのだけれど、巻頭と巻中がカメラと向き合えていないので相対的に良く見える。
恥じらうような硬さのある表情もあるが、これはこれで良い。
好みに有ったり合わなかったり振れ幅は有るが、気になる写真展をやっている神保町画廊。
先週末にも見に行ったのだけれど、もう一度。
調色とカラーと、ほぼ同じ状況で撮ったものを並べて展示。
この調色した写真が判り難く凄い。
調色と同時に陰翳も付けているので、カラーよりも立体感があるのだけれど、色を付ける必要のない部分はそのままなので、画面内で立体感が有る部分と無い部分と混在。
私は自分の撮る写真では色を邪魔に感じることが多く、だいたいモノクロなのだけれど、村田兼一の調色写真は、必要な部分にしか色を乗せないので邪魔になっていない。
色が乗った部分に魂が吹き込まれ、視覚が混乱する。
乱歩の「押絵と旅する男」の押絵のような妖しさ。
tokyoarts galleryにて、舞山秀一による動物園での連作の写真展。
小体なギャラリーに巨大なプリントを展示しているため、点数は少なめながら見やすい環境で落ち着いて見られたのは良かった。
私が言った時間帯は丁度在廊中で、撮影手法や苦労した点などを話しているところに出くわしたので、図らずも気になっていた点を知ることが出来た。
会場の中央に置かれたジッツォと思しき三脚にリンホフ・テヒニカ。 ニッコールの180mmが付けられていたが、4×5にレンズ二本のみで全国の動物園を撮って回ったとのこと。
写っているのは動物と飼育施設のみ。 客や飼育員は写り込まないタイミングでシャッターが切られている。
私が心惹かれたのはハシビロコウを撮ったもの。
飼育施設の網の前後数十センチに被写界深度が設定されていて、網と言う境界の向こうにハシビロコウが立ってこちらを向いている。
網の哀しみ。
購入した図録にも入ってはいるのだけれど、やはりあの大きなプリントで見なければ判らない。
クリエイションギャラリー日本橋箱崎で開かれている写真展へ。 熊本地震へのチャリティーと言う事で、入場料が500円。 但し、入場券を持っていれば当日に限り再入場可とのこと。
入場料だけでなく、物販の売り上げもすべて寄付との事で、受付の横に物販コーナー。
写真展への出品は初めてと言う人も居るそうで、作風も様々。 「復興」と言うお題についての解釈も様々。
九州で撮影した写真であったり、復興支援のイメージを写真にしたり、ライフワークで撮っている中からの出品であったり。
私が見たかったカメラマンの作品はライフワークとして撮っているものの延長線上にあるもので、趣旨に合わせて控えめな表現にはなっていたが、質は保たれていたので安心した。
復興と言うテーマが生で出ているものも多く、それが気恥ずかしくもあり、面白くもある。
構図の切り方、色の出し方から感じる若さ。
意図はしていないと思うが、種々雑多な写真がサラダボウルの如くに集まることによって文化祭的な祝祭感が醸され、重くなりがちなテーマを幾分軽くしていた。
雨そぼ降る中、日本橋へ。 着いた頃には小降りに。
出足は悪かったが、開演までにはそれなりに埋まった。
開演待ちの間、今日も太鼓の稽古をする音が漏れ聞こえてくる。
心なしか上手くなったような。
「源平盛衰記 五條橋主従の出逢い」田辺いちか
「寛永宮本武蔵伝 吉岡又三郎」神田みのり
「お掃除ホームレス」田辺凌鶴
いちかさんは多少アワアワするところもありつつ。 言い間違いに関しては前座なのでまだ目くじらを立てる必要は無いが、講談特有の音便(「ん」の省略)がまだ身についていないのが一寸気になった。
みのりさんは前回の前座勉強会で不測の事態の中二席読むと言う修羅場を潜ったのであるが、あれで肚が出来たのかもしれない。
サマになってきた。
前座と言う芸人未満の状態で芸を腐すと言うのも野暮なものであり、また見たい・聴きたいと思える水準にあるのは間違いなく、今後も足を運ぼうと思う。
凌鶴先生は、自身の前座修業時代の思い出話、前座勉強会事始めをひとしきり。
そこから、前座の会にも是非足を運んでほしいと温かい言葉。
「お掃除ホームレス」は自作の新作で、講談の文法に則った地の文と会話のバランスが前者よりのもの。 途中で歌が入るのが一鶴門下らしい。
しみじみ聴く。
外に出ると、雨は上がっていた。
神田神保町のすずらん通り東京堂の近くにある画廊での写真展。
なぎら健壱は路地やアーケードの薄暗がり。 立石仲見世あたりの猥雑な空気。
飯田鉄は70年代の浅草。 私が物心付くか付かないかくらいの時期。
桑原甲子雄や木村伊兵衛でお馴染みの建物などもありつつ。
石川栄二は薄く霞んだような、乾いた感じの色合い。
炎天下の散歩の陽炎のような、眩暈のような揺らぎ。
森田剛一はローキーで濃く。 同じ正方形フォーマット乍ら、石川栄二と好対照のみっしりとした、情報量の多いプリント。
中藤毅彦はコントラスト高めで粒感のあるカッチリしたプリント。
雪の残る上野駅不忍口ガード下から建て替え前の聚楽を撮った写真が懐かしかった。
鮮明であったりおぼろげであったり、晴れた夏の日のような眩しいような明るさから、路地裏の呑み屋の暗がりまで、様々な記憶を呼び起こし掘り起こすような写真展であった。
入山杏奈
巻頭8ページ13カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
築百年以上と言う箱根の温泉旅館での撮影。
強羅駅前で饅頭を食べるカットから始まり、浴衣を羽織って脱衣所に腰掛けるカットで終わるのであるが、時系列で並べるようなことはせず、湯船に浸かったり、浴衣で涼んだり。
短篇でもなく、かいつまんだ粗筋でもなく、長い物語のところどころ抜き読みをしたような。 8ページで収まらなかった部分を見たくなる佳品。
何を着てもサマになると言うか、着て映えない衣装が無いのだけれど、デザインとしてだけでなく、体形に合わせて選び調整されているのは良い。
入山の写真を見るときには、未だにどこか身構えてしまうところが有り、そうさせる何か(恐らく有るであろうポーズや構図の制約)を探してしまったりもするのだけれど、入山の表情は飽くまで柔らかく、カメラとの向き合い方も悪くない。
最後のカットを見終えて最初のページに戻ると、饅頭をかじっている。 このカットかあとから効いてくるのであつた。
江籠裕奈
巻末6ページ11カット、撮影は門嶋淳矢。
SKE48に11歳で入った江籠裕奈、16歳である。 上手く年を取っている。
全体的に、水着になると更に表情は硬めなのであるが、カメラと正面から向き合おうとしているのは良い。
じっとこちらを見つめるようなカットが多用されているのだけれど、これが実に厄介で、引き込まれてしまう。
策を弄さずに正面から撮ることで、カメラと正面から向き合おうとする江籠裕奈を余すところなく捉えている。 眼福。
吉﨑綾
巻頭9ページ16カット、見開き1か所。 巻末5ページ8カット。 撮影は桑島智輝。
沖縄ロケで巻頭巻末ぶち抜きである。
ハイキーに撮って漆喰で塗り固めた左官屋みたいな写真になっているのが幾つか有り、全部が全部良い訳ではないが、衒わずにカメラと向き合えてはおり、粗を無理に隠すような撮り方もしていない。
ハイキーに撮る理由を考えながらページを繰っていたら、なんとなく判ってきた。
良くも悪くも生成りと言うか露地物と言うか、粗と言えなくもないところが見え隠れしており、それを整えて出したら作為的になり過ぎてしまったのだと思う。
髪型一つ、撮る角度一つでガラリ印象が変わる。 これだけの紙幅を割くだけの事はある素材ではあった。