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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
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写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2018-03-13 俺アワード2017 写真集部門は若月祐美の「パレット」 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2018 14号

えなこ
表紙と巻頭8ページ、13カット、撮影は桑嶋智輝。
見慣れないうちはその作り込みの激しさに違和感も有ったのだけれど、「見せたい自分をとことん作り込んだ上で見せる」と言う点に於いて一貫しているのが清々しく感じられるくらいには慣れた。
連載漫画との、所謂「コラボグラビア」なのであるが、寄り過ぎず離れ過ぎず、作品との適度な距離感を取って登場人物の一人になりつつなりきらない。

撮る人、撮られる人、大道具小道具衣装などを用意する人etc...、一つのチームとして有機的に動いているからこそ出せる一貫性。
8ページ目が秀逸で、撮られる側はどうやったら映えるか考えて立ち、撮る側はどうやったら映えるか考えて構図を切る。 啐啄同時の呼吸。 眼福。

馬嘉伶
巻中4ページ8カット、撮影は佐藤裕之。
苦労が多い割に報いられるところ少ないが、倦まず腐らず健気にやっていて支持する人も多い馬嘉伶。
表情には硬さもあるが、無駄な負荷を掛けずにその柔らかさを引き出そうとしている営為は成功していると言える。
短い紙幅の中で衣装5パターン、髪も下ろしたりアップにしたりフィッシュボーンにしたり、時間と予算の中で出来ることはやっているのが解る。
4ページ目の後ろ姿、水着なのだけれど、サイズがきちんと合っている。
これが出来ていない、ただひん剥いて終わりみたいなのも多いだけに、裏方の仕事師ぶりに唸らされた。

若月祐美
こちらも巻中3ページ10カット。
昨年購った写真集の中でも出色だった「パレット」からのアザーカットなので撮影は桑嶋智輝。
売れた数で一番ではないが、内容に関しては堂々たるもの。
他を下げてこちらを上げるのは若月に対しても失礼だと思うので単純比較はしないが、この写真集で紡がれた物語の濃密さには、何度頁を繰っても心揺さぶられる。
一読をお薦めする。 強く、強く。

安藤咲桜
巻末5ページ12カット、撮影は佐藤佑一。
水着映えはするのでそちらが評価されがちであり、本人もそのあたり複雑な心境をSNSなどで吐露していたこともあったが、自分の中で或る程度折り合いは付けられたらしく、継続して水着主体のグラビア展開はされている。
このグラビアでも添え物のように小さく扱われている制服のカット。
安藤咲桜の本領はこちらだと、私は思う。


2018-03-01 少し更新 [長年日記]

_ 更新情報

コラム的な何か
受け継がれるもの
北原里英のAKB48劇場最終公演での戸島花のツイートから。
戸島の遺したものの根っこは、まだ生きていた。


2018-02-23 補佐職 [長年日記]

_ きゃわふるTORNADO 定期公演【ビッグオニオンつれてくよ〜❤】#9

発売時間ちょっと前には窓口に列。 列と言ってもまだ数人だが、開場時間が迫ると加速度的に人は集まり、待合スペースには収まらずに階段あたりまで溢れていた。

少々遅延して開場。 影アナは別所佳恋。
要点は押さえつつ、ざっくりした上にもざっくりとした諸注意が笑いを誘う。

結局12分押しで開演。
杏斉ゆかの低めのポニーテールが似合っている。 道地文子は焦げ茶に近い落ち着いた髪色になり、濃紺の衣装に映える。

一人だけホットパンツに目の粗い網タイツの道地文子。 細い脚がより細く見える。
元から細い神咲くるみと絞ったまま安定している石川野乃花はウエストの出る形状の衣装。
ターンしたときの裾の広がり方、遠心力で振り回されたのが慣性でまとわりついてほぐれる動き。 細部まで考えられている。

肌の出ている面積がこれ迄のものより広いので寒いのではないかと思っていたが、逆に暑いらしく序盤から汗だく。
表情には出ないが杏斉ゆかの顔色が尋常ではなく、発汗が激しいのはいつものことながら流石におかしい・・・と思ったら、MCで裏に捌けたまま暫く戻って来ず、戻ってきたら戻ってきたでやはり上気したどころではない面相。 歌って踊る部分には一切出なかったので、わからない人には全くわからなかったと思う。
今日の杏斉ゆかには、目を惹く何かがあった。

例によってマイクの調子が悪く、音が途切れたりハウったり。
ハウリングが起きたときに先ず自分のマイクを疑うのが染み付いていて反応が早い。
マイクが死んでも動揺せず、自分のパートは歌い切る。
この辺の「叩き上げ」感。 私は好きだ。

前述の通り集客は目に見えて良くなったし、楽しめるライブも出来ているが残念なことも無くはなかった。
仲間内で盛り上がる余り延々と喋っている手合が増えた。
舞台上でメンバーが喋っていても、仲間内のじゃれ合いに興じている。

楽しめるライブを見られる、その場に居られるのは舞台の上に演者あったればこそなのだけれど、それが分からない憐れむべき無知蒙昧な人々、「高まり無罪」みたいな手合はどうしても一定数出てくる。
一定数出てくると自制心も薄れ、つられる向きも出てくるので、客の分母が大きくなったことで顕在化しただけとも言える。

悪意を持って妨害する場合と、単なる無知無定見からそうなってしまう場合と二た通りあるが、幸いにして現状では後者であるようだった。
この先はそういう人々を黙らせる、聴かせるのも仕事の一つになってくると思う。

喋りに緩急強弱を付けるだけ、数秒の静寂を作るだけでも鎮静効果はある。
意図してかそうでないのかは分からないが、道地文子は出来ていた。

全体を揃える刈り込みはきっちりしているが、それぞれの個性は矯めずに生かされており、振り付けの中でも得意な動きを伸ばすようなところが見られる。
神咲くるみは止められずに勢い余って流れることもありつつ、速く大きな動きが華やかさを出している。
別所佳恋は思い切りの良さと力強さ、蹴りや踏み込みの小気味よさ。
宮瀬 しおりはスーっと動いてピタリと止まり、止まった状態を保ちながらスーッと動き出す。 素人目にも玄人目にも解りにく過ぎるが、振り付けに関しては高いレベルで安定。

歌も巧さの方向性も、それぞれに合わせて。
役者としての仕事もしてきた石川野乃花は語るが如く歌い、鼻濁音が美しく抜ける。
地力が付いた杏斉ゆかは、どんな場面でも安定した歌い出しで、張らずに聴かせることが出来ているし、食ったり外したりすることで生歌感も出せている。

最後に杏斉ゆかからお知らせ一つ。 リーダーは神咲くるみに交代、副リーダーに道地文子とのこと。
杏斉の負担を軽減したり、神咲に「役割」を与える意図もあるかもしれないが、「6人での活動」を安定的に継続させる狙いであるのは確からしく思われる。
道地文子を補佐職にするのは適材適所。 上手く廻して欲しい。

終演後に先日のワンマンライブのダイジェストムービーを放映。
リハーサルからクライマックスまで、要点を上手く繋いだ編集の妙。

体調不良や機材トラブル、不測の事態によるセットリストの変更、客の不規則発言etc...
色々有ったが、収支は大幅にプラス。 良いライブだった。


2018-02-11 にゃわふるとるにゃーど [長年日記]

_ きゃわふるTORNADO 1st Anniversary ONE-MAN LIVE TORNADO 02 〜2190″FUN”tasy〜(30.02.11)

仔細有って直前に買った(直前まで買えなかった)チケットは140番台。
かなり遅れての入場となったが、幸い行きたい(見たい)場所はなんとなく空いていた。

自由度高めに盛り上がろうとするなら、やはり動きやすい広さは有ったほうが良いのか、満遍なく分散。
開演10分前くらいにお膝送りのお願いのアナウンスなど。
スモークは焚いていないが、熱気で靄が掛かる。

後ろの方の客も話していたが、ギッチギチに詰め込まれたライブより、多少ゆとりが有る方がやはり見やすい。

家族や関係者、メンバーの御友達などは二階で座っての観覧。

前歴が有るメンバーの元居たグループの客は数えるほどで、殆どの客はきゃわふるTORANADOとして掴んでいる。
上を見ればキリがないが、一年でゼロに近いところからここ迄「金を払って見に来てくれる客」を増やせたのは、メンバーも送り手も褒められて良いと思う。

下手側には高めに組んだ三脚の固定カメラで、上手の袖には手持ち一眼で動画を撮影。 きちんとコンテンツにしようとしているのが見て取れる。

17:00丁度に影アナ。
全員でざっくりと諸注意。

客電が落ちてステージのスクリーンに映像が映るとともにクラウンが登場。
身振り手振りで客を煽りつつオーバーチュアへ。

メンバーが出てきたと思ったら既に宮瀬 しおりが泣いている。
この人は「坑道のカナリア」であり、良きにつけ悪しきにつけ環境の変化にいち早く反応する。
吉か凶か気をもみつつ見ていると、泣きじゃくっているのにきちんと踊れてはいる。
吉の方であると判断。

一曲目「撮可のうた」。
この曲だけは例外的に撮影して良いのだけれど、まわりでは誰一人カメラを(携帯すら)出さず、判断に迷ったが2コーラス目から撮影。
つまみ出されたらそこまでと肚を括る。(幸い何事もなく)

「今泣いた烏がもう笑う」を地で行く宮瀬しおりは、相変わらず泣いたり笑ったりしつつ歌い踊っている。
“The show must go on.”
感情を抑えきれなくても、勝手に身体が動いている訳で、これも叩き上げならでは。

息継ぎタイム。 自己紹介やら「2190プロジェクト」の進捗の報告やら。
更に間繋ぎ映像のあと、ユニットとコーナー。

杏斉、別所、宮瀬で「にゃわふるとるにゃーど」
石川、道地、神咲で「SRC CREW」

どちらも衣装から誂えたオリジナル楽曲。 ここに来ての演目の幅の拡げ方が心憎い。
特に「にゃわふるとるにゃーど」はネコ属性の三人を依り代に、致死量に近い萌えを詰め見込んだ魔曲。
斯くも危険な楽曲を無造作に投下するきゃわふるTORANADO運営は何を考えているのか(※もっとやれ)

2曲終わって放心状態の客に、間繋ぎ映像で「重大発表」。
定期公演の継続や本公演の円盤化、次のワンマンは「ツアー」。
このあたりは「ナルホド」であったが、次のシングルはビクターの流通に乗せて全国発売(※レーベルそのものはおそらく自前)。
タワレコインストアライブでサバイバルツアー。
これでサッと血の気が引く。

好むと好まざるとに関わらず、量的に計られてしまう方向に舵を切った訳である。
救いなのは「そうである」ことを知っていてそうしたこと。
インストアライブで辛酸を舐めたことの有る面子が二人居ること。
東京以外に届けるための選択肢であると、前向きに受け取りたい。

お色直しをして、新衣装で登場。
これまでは全員揃いでの色違いであったが、意匠は揃えつつもメンバーそれぞれにアレンジされたもの。
黒・濃紺・群青。 あしらわれた黒のスパンコールが鈍い輝きを放ち、襟と袖は白く。
石川と神咲はウエストの出る形状、道地のみホットパンツと網タイツ。 髪飾りもそれぞれの髪型に合わせて誂えてあり、石川の帽子も黒のボーラーハットに変わった。
メンバーそれぞれの個性が生かされた衣装。 勝負に出ている。

この衣装で歌う新曲「Never ending story」(※表記不明)
余程体感を鍛えていないと踊れない、難度の高い振り付けに唸る。
相変わらず送り手の負荷の掛け方が絶妙。 

アンコール。
一曲目で石川が居ないことに戸惑い、ざわつくも、残りの五人が動じておらず、笑みを絶やさないことからなんとなく収まり、盛り上がる。(アンコール2曲目で出てきた)。

一周年の所感をそれぞれが述べた中で、杏斉ゆかものが印象に残った。
仕事と学業の両立が厳しさを増し、母親に泣き言を言った際に帰ってきた言葉が
「幸せなことをしているのに、なぜ逃げ出そうとしているの?」
また
「『ありがとう』『ごめんね』この二つの言葉を大切にしなさい」
と言われたとも。

実際通っている学校以上に、良い人生勉強をしている。
きゃわふるTORANADOが杏斉ゆかにとっての"Мои университеты"なのだと思う。

考えながら言葉を紡ぐ石川、「泣かない、泣いてない」と言いつつ涙を溢す別所、喋りながら声を裏返させる道地、それぞれの積み重ねた一年が言葉になっている。

一年前のお披露目ライブは(主に送り手の不手際で)必ずしも褒められた出来ではなかったが、今日の一周年ライブは演者も送り手もきちんとした仕事ぶり。
二年目に向けて明るい兆しの感じられる素晴らしいライブであった。


2018-02-08 4人のnotallの2018年が始まる [長年日記]

_ notall定期ライブ『STEP by STEP』(30.02.02)

昨年の12月、ライブ中に負傷。 以来休養していた渡邊ちこの復帰ライブ。
予約サイトのクリック合戦は熾烈を極め、日本標準時と睨めっくらをしつつ勝負してみたが、敢え無く二十番台。
消防法上の定員は(記憶が確かならば)98人なので、そこまで必死にならなくても見るだけなら見られるのだけれど、撮ろうとするとそうは行かない。

受付開始時間からほんの数秒で入場総数の1/3くらいは埋まってしまっていると思う。
それくらい「ひとを狂わせる撮りたい魅力」がnotallのライブにはある。
四人四様で「映えかた」が異なり、撮りやすくはないが面白い光がある。

昨年までは21時開演で前物販だったが、今年から開演が早まり、20時開演で後物販に改められた。
仕事やっつけてカメラを取りに帰ってからでも間に合うし、終演して物販で(多少)散財しても終バスには間に合う。
私にとってはありがたいタイムテーブル。

開場したところで既に熱気が漲り、少々暑いくらい。
オーバーチュアから4人出てきて開演。

渡邊ちこは休養明け気合十分。
この人は舞台に立つ人としての自分を、常に整えて来るのだけれど、いつも以上に仕上げて来ていた。
肌も張りがあり、身体も絞れている。 休養期間を「見つめ直す期間」として糧に出来たのだと思う。 よくここ迄戻したと言うか、軽さとキレのある、より良い動きだった。
挫傷と言うのは私も経験したことがあるのだけれど、地味で分かりづらく後を引く。  似たような状況でやってしまった瞬間がフラッシュバックすることもあるだろうし、気圧の急激な高低が鈍痛を齎すことも有ると思う。 うまく付き合ってほしい。

途中、渡邊ちこから三人に宛てたお手紙の朗読。
待っている人々、帰ってこられる場所。 そこに戻れた喜びと感謝が溢れていた。
泣かせに掛かる渡邊ちこ、泣くまいとする顔三態。
目を見開く佐藤遥、端正な顔を歪める田崎礼奈、上を向く片瀬成美。

同じ時期にミュージカルの稽古と本番があった片瀬成美が、文字通り一と皮剥けていた。
「動かない状態で演技をし、自分の出せる音域の限界に近いところで歌う。」 難しい仕事を努め仰せた経験が生きている。
歌に説得力が増し、表情の諧調が格段に豊かになった。
これまでは口を開いた表情の写真は撰びにくかったのだけれど、その状態でも柔らかさを保てるようになっているのが良い方向での明らかな変化。 「撮られた自分たち」と日々向き合えるのがnotallの強みだと、私は思う。

撮った写真を整理していたら、佐藤遥の頬に安心と喜びの涙一と雫。
4人のnotallの2018年が始まる。


2018-02-06 天気晴朗ナレトモ浪高シ [長年日記]

_ 石川野乃花 生誕祭 〜TORNADO RED〜(2018.01.28)

受付開始時間に来る客はそう多くはない。
基本的に撮影禁止なので最前列に張り付く必然性が薄く、(まだ混み合っていないと言うのもあるが)二列目より後ろの方がパーソナルスペースを広く取れるからではないかと思われる。
然程ギスギスしていない。

楽屋か何かになっている上の階から聞こえてくる発声練習を聞くともなく。
しっかり腹から出ているのが解る。 きっちり基礎から仕込んでくれている。

開場時間が迫るにつれ、人が増えてくる。
古い客と新しい客が和やかに混在。 

影アナは石川、原稿そのものは従前からのものだが、石川なりに噛み砕いてざっくりと。

開場が20分遅延、開演も連動。

普段の定期ライブはMCも息を整える程度、みっちり詰め込んだ曲で押す構成だが、生誕祭と言う祝祭感も手伝ってか砕けた感じでお巫山戯多め。
脱線して戻ってきたり戻ってこなかったり、そこもまぁご愛嬌。
多少のトチりが有っても全体はブレない。 実に実に、強くなったものだと思う。

途中、道地文子の司会でバラエティ的に。
「石川野乃花のココが好き ベスト3」
「石川野乃花とのベストメモリー」
これを二回に分けて。
しっかり喋れるがグループ内では突っ込まれ役の道地が仕切ることで、各々自由すぎるくらい自由に喋る。

こうして司会を任される、歌い出しを任される、振り付けの見せ場を任される。
それぞれがそれぞれに軽くはない負荷を掛けられており、それを意地尽くでなんとか遣りこなすことで、文字通り「上にあがる」のが目に耳に解る伝わる。
きゃわふるTORANADOのライブの「見応え」の部分は送り手と演者が散らす火花で出来ているとも言える。

石川野乃花がアイドル稼業を始めてからは何度めかの、きゃわふるTORANADOとしては初めての生誕イベント。
これまでで一番、清々しい顔をしていたように感じられた。

次のライブはTSUTAYA O-WESTでの一周年。
「天気晴朗ナレトモ浪高シ」と言った感じで、行く手に立ちはだかるものは大きいが、自信を持って立ち向かえる状態にあると、私は思う。


2018-01-22 俺アワード2017(楽曲篇) [長年日記]

_ 俺アワード2017(楽曲篇)

いろいろ滞っておりますが、コラム的ななにかを更新。

俺アワード2017(楽曲篇)

楽曲大賞的な物が権威化されてしまうこと、それに対する危機感の無さに対する危惧と不快感を事ある毎に表明している手前、今年は落とし前を付けてみた。
順不同なれど文章の長短が熱量を示していなくもない。


2018-01-13 分かりにくい矜持 [長年日記]

_ 東京タワー Night View DJ(1/5 折井あゆみ 担当回)

折井あゆみが東京タワーイメージガールを勤めた年にレギュラーで担当し、その後も折に触れて出演してきた Night View DJ が大展望台の工事に伴い暫く休止との事。
残り3週のところで休止前最後の出演。
折井出演回は荒天と言うイメージも今は昔、低気圧はかすめつつも然程の影響も与えずに通り過ぎ、高気圧が張り出して冬晴れ。

チケット売り場でスカイツリー方向の北面は見えないこと、一部施設は既に営業を休止していることを告げられる。
展望台に上がるとなるほど北面は塞がれ、東面と北面の境には壁が作られて周回出来ないようになっていたが、これが幸いしてイベントスペースは袋小路になっており、いつもより滞留するお客さんは多目。

張らなくても通る声、聞き取りやすい速さと音量、掛け合いの間の良さ etc... 、声の仕事が軌道に乗っていることが振舞いからも窺い知れる。
折井は語尾を「っサイ!」と張る癖があるのだけれど、これの当たりが柔らかくなっていた。

Night View セレクションは折井の選曲。 洋楽を中心に年相応の洒落乙感。
歌詞で選んだと語りつつ、勘所を和訳して説明するなど流石に場慣れしている。
客からのリクエストは「聴いたことの有る好きな曲」、DJセレクトは「聴いたことの無い素敵な曲」このバランスが良い。
折井も毎度趣向を凝らしてくるが、DJミズノ氏の選曲がまたツボを衝いてくる。 これがもう一つの楽しみだった。
(帰ってから調べてCDを買ったこともある。)

折井の声の仕事は吹き替えが多いのだけれど、Netflix のドラマの告知をしたときに観客が静かに沸いたのが印象に残った。
放送されるテレビでもレンタルビデオでもなく、ネット配信のドラマに反応する人々。 娯楽の選択肢としての定着。

中盤にカフェ・ラトゥールから一品ずつ注文。
「東京タワーでコーヒー嫌いを克服した」と話す折井はキャラメルラテのホット、DJミズノ氏はカフェラテ。
克服したという割りに甘いのを頼むのはご愛嬌。
以前はホットミルクが定番だったが、折井は喋るのに差し障りがあるものは頼まない。 こうした「分かりにくい矜持」も好ましい。

最後に折井セレクトでもう一曲「勇敢な僕ら」。
AKB48を巣立つ大島麻衣に折井あゆみと星野みちるが贈った曲であるが、「大島麻衣ちゃんの卒業コンサートで」的なことは説明しつつ、自分と星野については端折る。
隠す訳ではなく、看板にも頼らない。 踏み台にして次の人生の土台を固められた事の表れなのだと思う。

大展望台の改装工事は北面から始まって順次進み、イベントの再開は来春とのこと。
暫しお別れ。


2018-01-04 読後感 [長年日記]

_ 渡辺梨加1st写真集「饒舌な眼差し」

ヤングジャンプに掲載された先行グラビアは芳しくない出来ではあったが、とりあへず発売日に購入。

危惧したギリシアの強い日差しは撮影する時間帯と撮り方の工夫で緩和されていた。
眩しそうにしても険しくなりにくい顔の作りも幸いしていたが、光と正対させる際に目を瞑らせてしまうことで眩しくなりようの無い状況を作り出す荒業。
一度なら使って効果の有る飛び道具も、二度三度となると陳腐化するのであるが、意に介しないのか他に方法を考え付かないのか繰り返されるのには興醒め。

渡辺梨加の表情は単調な上にも単調で、諧調にも乏しいのであるが、カメラとは自然に向き合えており、隔意の有る作為が表情に出ないのも良い。
造形美を愛でる為の写真と割り切って撮っており、被写体の能動的な動きや表情に期待していない。
出来ない無理はさせていないとも言えるが、私小説的な物語すらも無く、夏休みの絵日記的な構成。

阿部ちづるは「気を許して貰える」才はあるらしく、柔らかい表情は引き出せているが、AF任せでざっくり撮っているのでピントに厳密さを欠く憾みが有り、表情の良さを採ったのかアウトフォーカス気味のカットも散見。
オフショットなら未だしも、本篇で使うのは如何なものかと思われるような物すらある。

そして、今に始まった事ではないのだけれど、意図してやっているのではないかと思われる位「串刺し」「首切り」の構図が多い。
幾ら良い表情が撮れていても、被写体を呪詛するような撮り方に無頓着なカメラマンを肯定的には評価できない。

読後感は悪い。


2018-01-03 禍福は糾える縄の如く在り [長年日記]

_ 松村沙友理1st写真集「意外っていうか、前から可愛いと思ってた」

橋本奈々未の最後の写真集と同じく、小学館Cancamブランド室の企画。
デザイナーも同じで、写真集と言うよりファッションブック的な体裁。
奥付にも衣装協力のブランド名がズラリ並ぶ。

撮影は桑島智輝。
全篇妙に明るいトーン。 笑っているカットが多いだけでなく、空に太陽がある間だけに撮られている。
屋内で撮影されたものも、窓からの光はふんだんに。

そこで「明るく楽しく可愛い松村さん」を演じる松村沙友理。
賑やかに過ごすうちに、ふと静寂が訪れる。 そんな瞬間も挟み込まれるのだけれど、また笑いに紛らされてしまう。

絶対値としては明るい中で、相対的に明るくないカット。
松村沙友理の内面を深掘りするような撮り方はしていないが、表層に滲み出た内面はさっと掬い取り、明るく楽しいカットの中に挟み込まれる。

これは気が付く人だけが気付けば良い部分であり、明るく楽しく可愛い松村さんの写真集としては良く出来ている。
来し方に思いを巡らすと、女性向けファッション誌のファッションブックとして出すのが、(私の見たい物にはならないとしても)落としどころだったのだろう。

何の寓意か解らないが、部屋に白い鳩がやってきて向き合うカットがあり、そこからの数ページの松村沙友理が美しく儚く哀しい。

松村沙友理は幸せだろうか。
幸せであって欲しい。


2017-12-23 「秋葉原で見た」 [長年日記]

_ きゃわふるTORNADO定期公演【ビッグオニオンつれてくよ~】#6

撮影は原則禁止なので場所取りに血道を上げる必要もなく、現状では行けば確実に入れるので客の出足はのんびり。
開場前になると流石に混んでくる。

客の話を聞くともなく聞いていると「秋葉原で見た」と話している人が多く、制約も規制もあってままならない部分はあると思うが「路上」の効果は確実に出ている。

ほぼ定時に開場。 オールスタンディングだが後ろから全く見えないと言うこともなく、最前列に張り付くメリットも然程無いため、客はまんべんなく散る。
発散しに来ている向きは或る程度のパーソナルスペースを確保できる真ん中あたりの方が快適なのであろう。

開演前に客が円陣を組んでなにやら儀式が始まる。

「アイドルは仲間と楽しむもの」と考える人もいれば、「アイドルは一人で楽しむもの」と考える人もいる。
「ライブは参加するもの」と考える人もいれば、「ライブは享受するもの」と考える人もいる。
私は後者に属するのだけれど、人口比では前者が圧倒的に多い。
私の楽しみ方が絶対だとも正しいとも思わないけれど、周りに迷惑は掛けないようにしているので、とりあへずは放っておいて欲しくはあり、今のところそうして貰えている。(今後もそうであって欲しい。)
Negiccoのラインダンスのように、同調圧力が排除の方向に暴走しないことを祈る。

開演前に茶番の前振りのような、おどろおどろしい曲に乗せたアナウンス的な物もありつつ、幕が開けば何事もなくライブが始まる。

クリスマス間近と言うことでそれっぽい衣装。道地・別所がトナカイ、残りはサンタ。
クリスマスソングはビッグバンドアレンジっぽいもの。 振り付けも含めてその場しのぎではない物になっている。 この辺りの送り手の姿勢は評価できる。

別所佳恋が「かれんちゃん」と「佳恋さん」の間を行ったり来たり。
動くとまだまだ子供なのであるが、ぴたり止まった瞬間にドキリとさせられる。

他のメンバーのサンタ帽やトナカイのツノが脱落していく中、石川野乃花のサンタ帽だけは最後まで頭上に在り、帽子キャラクターとしての矜持を示した。

杏斉ゆかは任されたソロパートは歌いきり、客席全体も巨視的に見られている。 満遍なく目配りをするだけでなく、大掴みに見ることが出来ているのに感心した。

宮瀬しおりの「判りにくい質の高さ」が私は好きだ。 正確でぶれない動きと、止め撥ね払いの美しさの両立。
大変なこともあると思うのだけれど常に「楽しそう」に見えるようにしているところも評価したい。

道地文子は自虐キャラクターにされつつあるが、もっと自分の振舞いや趣味嗜好に自信を持って良いと思う。
自虐もやりすぎると「踏みつけにして良いもの」と勘違いする手合いが出てくる。

神咲くるみは髪型から振る舞いから「わかりやすさ」に徹しているのが面白い。 客もわかった上で填まっている。

開演前に前振りのあった件。 メンバーの声が出なくなっていると言う設定で、「客と一緒に発声練習をすると出るようになる」と言うオチだったのだけれど、ここが些か冗長でダレた。
録った客の発声練習の音を取り込んでおいて、最後に歌う「きよしこの夜」のコーラスに使うという凝った仕掛けではあったのだけれど、時間が掛かりすぎて中だるみ感は否めない。
毎回何かしら仕掛けてくる「より良い物にする」姿勢そのものは悪くないので、次回以降の巻き返しに期待したい。

最後にひとりひとりこの一年を振り返っての所感を述べていたが、それぞれしっかり考えて話せている。
普段から考える習慣をつけさせているのだと思う。


2017-12-19 décadent [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2018 01号

田中美久
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.。
カメラと向き合えており、おどけた表情も見せる。
目線を外したカットに作意がでてしまっているのはご愛嬌。
水着のカットでは、然程硬くはないものの「気を張った」ところはあるのだけれど、セーラー服やワンピースのカットは悪くない。

水着のカットはおとなしめの物以外カットになったと仄聞するが、ほのめかし程度のものでも伝わる部分は伝わる。
「そう言う売り方はしたくない」と言うことなのかもしれないが、それならば企画の段階で練らせれば良い訳であり、撮った後で縛りをきつくすると言うのが解せない。

その辺りを勘案すると、写真の選択も割付けも良く出来ているように思う。
AKBグループの退勢は、無駄に権力を持った大人が守りに回りすぎているというか、保身に汲々としている事に起因するように思われる。
ノーメンクラツーラ層が肥え太りすぎた。

鎌田菜月
巻中4ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
分母が増えすぎて中々光が当たらなくなっている現状にあって、「グラビア映えする」ことは矢張りアドバンテージになり易いのかもしれない。
水着にひん剥いて一丁上がり的なグラビアも多い中、どうやればより映えるかを考えてもらった鎌田菜月は幸運であったと思うし、その運を生かせる被写体としての力量・資質もある。
巻中の4ページ。 この中に衣装5パターン、髪のアレンジ3種。
きっちり物語を紡いでいる。 眼福。

小坂菜緒
巻末5ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分は、一寸白く飛ばしすぎのような気がしないでもないが、じっくり光を廻した屋内撮影分は見応えがある。
笑顔はぎこちなく、表情を作ろうとすると硬さも目立つのだけれど、カメラと素で向き合えているのは良い。
3ページ目に大きく使われている、コップを口元に近づけたアップのカットが良い。

_ 週刊ヤングジャンプ 2018 02号

松田るか
表紙と巻頭7ページ23カット、撮影は細居幸次郎。
曇天雨天に恵まれたのか、屋外でも眩しげなところは見せず、全体を通して穏和。 屋内で撮った暗めのカットでは ennui な表情も見せる。
そこはかとなく décadent。
寄って迫って撮っているのが新機軸。

せせこましい割付にしない時の池永亘は写真の選択も配置も良い。
控えめなキャプションが写真を生かし、ページ下部にコンタクトプリントのように散りばめたのもアクセントになっている。

岡田紗佳
巻中5ページ10カット。撮影は佐野円香。
背景から浮き上がる塗り絵のようなレタッチには生理的な嫌悪を感じるが、構図の切り方と表情の捉え方は良い。
衣装毎に肌の色味がバラバラなので、一本のグラビアとして組むとおかしなことになる。(そこを上手く纏めてはあるが)
媒体毎に求められる写真は異なると言うことが分からないまま仕事をしているのであろう。
手足の長さの生かし方、肉感の仄めかし方は上手いのであるが。

竹内愛紗
巻末4ページ14カット、撮影は藤本和典。
「制服コレクション」の頃を思い起こさせるヤングジャンプらしいグラビア。 最近はご無沙汰な構成だが、これはこれで良い。
演出としての、捏造された記憶のような、純粋培養された「青春」。


2017-12-10 Topと言うより寧ろBottomなミュージアム [長年日記]

_ アジェのインスピレーション ひきつがれる精神

東京都写真美術館へ。
纏まった数のアジェのオリジナルプリントが、見やすい環境で見られて入場料は600円。 これには感謝すべきだろう。
ここまでは良い。

鶏卵紙に焼き付けたアジェのオリジナルプリントは、古びてこそいるがアジェの意図を反映したプリントに成っている。
画面構成が巧みで、写したい建物や彫像・人物を一と目でそれと分かるように簡潔に配置している。
鶏卵紙の限界も有ると思うが、あっさりしたプリントで暗部を潰さないのも分かりやすさに貢献。

仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、三階の展示スペースを埋めるには如何せん数が少ない。

続いて、アジェを「発見」したベレニス・アボットがプリントし直した物が展示されるのだけれど、黒の締まった美麗なゼラチンシルバープリントになってしまっている。
プリント作業はネガに残された情報を解釈するものなので、アジェのネガでありつつアボットの意志が反映され、美しくはあるのだけれどアジェのプリントの特徴であった「わかりやすさ」は影を潜める。

アボットやマン・レイに「発見」された事で、最晩年のアジェは日の目を見る訳だが、それは誤解・曲解を多分に含んだ評価であり、シュルレアリスムの先駆としての評価には戸惑いも見せているのだけれど、そのあたりの説明は無い。
アジェがどんな写真をどう言う意図で撮ったかは横に置いて、アジェがどう評価され、解釈されたかのみが語られて行く。

マン・レイは「マン・レイ」以上でも以下でもなく、アジェの影響より独自性の方が目立つので、「ひきつがれる精神」の企画意図は先ずここで破綻する。

ベレニス・アボットからウォーカー・エバンズ、リー・フリードランダーへの流れまではなんとか「アジェの影響」を感じられるのだけれど、森山大道から先の本邦の写真家の作品群はこじつけも甚だしい。
アジェからの直の影響としては木村伊兵衛から桑原甲子雄への流れに触れるべきであり、そこから荒木経維に繋ぐならまだ分かるが、1920年代までのフランスの写真家の影響を1970年代以降の日本にいきなり繋げるのは乱暴に過ぎる。

そもそもの話、マン・レイらによるアジェの解釈には無理があり、その系譜に有るものが企画したからこその「こじつけ」であり、
(写真展の説明にシュルレアリスムの先駆として持て囃された「日食の間」を持ってきているのがそれを象徴している)
世に出た瞬間から解釈と曲解の歴史であってた事を象徴していると言う点に於いて、また「改めて踏み付けにして見せる」と言う点に於いて、アジェと言う写真家の不幸を分かりやすく見せてくれた写真展であった。

_ Topと言うより寧ろBottomなミュージアム

地下一階から地上の三階まで、四つの展覧会・上映会が、それぞれ別の料金で開催されているのだけれど、受付には展覧会一覧も料金表も無い。
受付の係員の一人が展覧会一覧の表をもって来場者の対応をしていてたが、現場に設備の劣悪さの尻拭いをさせる設えに成っているのが先ずいただけない。
一階の総合受付の横にあったミュージアムショップを二階に移した事も含め、改装して不便になると言うのが分からない。
何の為の改装だったのか。


2017-12-03 禁忌には、それなりの意味がある。 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 51号

逢田梨香子
巻頭8ページ13カット、うち見開き1箇所。 撮影は佐藤裕之。
襟刳りの広いロングTシャツの中に水着、チューブトップにホットパンツ、ノースリーブの白いブラウスに紺のスカート。
露出度は高めだが寧ろ隠す感じ。
仄めかすのみで実体は見せない。
こう言う「考えに考えた」グラビアが私は好きなのだけれど、血気盛んな向きには物足りないかもしれない。

ほのか
巻中5ページ10カット、撮影は唐木貴央。
表情は未だに諧調少な目だが柔らかさは出てきた。
ポーズには幅も出てきており、撮る側が試行錯誤しやすくなっている。

廣田あいか、柏木ひなた、中山莉子
巻末5ページ20カット、撮影はHIROKAZU。
この事務所はグラビアの構成に官僚的に容喙するので詰まらないものになりがちだが、今回は上手く纏めてある。
相変わらず猿芝居が山盛りなのには頭が痛いが、臭いカットは小さめにして薬味として使用し、一枚で語りきれる訴求力高めのカットを大きく使う構成が良い。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 52号

えなこ
巻頭(広告も入れると)9ページ9カット、見開き2箇所。 撮影は桑島智輝。
連載マンガのキャラクターに扮しつつ、衣装にひねりを加えて露出度を上げる手法。
カメラマンとモデルだけでなく、すべての裏方の「チーム」として上手く機能しているので、作り込みが緻密。
私の好みからは外れるが、質の高い仕事。

最後にゲームとのタイアップ広告で見開き3カット。

森田ワカナ
巻末5ページ9カット、撮影は佐藤佑一。
肉感的な部分を分かりやすく提示した中年男性向け週刊誌にありがちな構成。
劣情を刺激する目的は短絡的ながら果たせている。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 53号

渡辺梨加
6ページ16カット、うち見開き1箇所。写真集の広告1ページ。両面ピンナップとクリアファイルが付いてくる大盤振る舞い。 撮影は阿部ちづる。
ギリシャで撮影した写真集からのより抜き。

「ギリシャ」。
語感はよいが日差しは厳しい。 街も壁も白く、照り返しも強い。
案の定、光を背負わせたカットが多い。
結果的に口を引き結んで目を見開いた決め顔になってしまっている。

カメラとの向き合い方は肩の力が抜けていて悪くないが、表情の諧調は乏しい。 そこで更に決め顔過多になると単調さに拍車が掛かる悪循環。

阿部ちづるは背景を構成する線を使った構図の切り方は上手いのだけれど、「串刺し」「首切り」と言った禁忌を気にしないどころか、そう撮っているようにすら思えるのはいただけない。
絵になるように配置するとその罠に填まりがちだからこそ、気をつけなければならないと私は考える。
気を許した相手に見せる表情は捉えられているので、資質にも腕にも恵まれていると思う。 なので余計に被写体を軽んずるような粗忽さが目に付く。
写真集は購入する予定だが、暗澹たる気分ではある。

つぶら
巻末5ページ12カット、撮影はこちらも阿部ちづる。
後ろに何もなければ、画面構成は上手い。
着せ替え人形がテーマなので、表情は単調でも成り立つ。
巻頭と比べてみると粗だった部分が美点にも成り得る事が分かる。


2017-12-02 ノンストップ [長年日記]

_ notall定期ライブ(29.12.1)

予約クリック合戦の結果はまずまず。 物販でお賽銭を納めたあと、暫く時間を潰して開場待ち。
近くに居た夏の大規模アイドルフェスでnotallを知り、今日初めて定期ライブに足を運んだと話すお客さんと常連さんとの会話が興味深かった。

チケットは買ったものの、どう言う順番で入場するのか分からなかった様子。
楽しみにしている気分が言葉の端々から滲み出ており、常連の人もそれに応えてチケットを買う手順から入場の順番まで、丁寧に教えていた。

慣れて仕舞うと気にならなくなるが、初めての人には確かに分かりにくい。
物販のレギュレーションも含めて、訳知りの人が多くなってしまっている弊害を感じた。
同業他社と較べても分かり易くすべく簡略化されているが、何も知らずに来た人でも分かるようには整理はされていない。

私の理解としては

TIGETと言うチケット予約サイトで予約すると整理番号が貰える(TIGETそのものは無料)。
予約しなかった場合、予約者が入場した後に入れる。

チケット代は予約してもしなくても同額。
チケットは七時半から三階のスタジオ入り口で販売開始。
券売機でチケット代と同額の入場券を購入、予約していた場合は整理番号を告げて予約表と照合、半券の裏に番号を記入して貰う。

開場時、スタッフが番号を読み上げるので、順に入場。
基本的に立ち見、事情がある場合、事前に相談すれば椅子を用意してくれることもある。

だいたいこんな感じになっているのだけれど、初めての人には些か分かり等難いらしい。
(私の理解も違っているかもしれない)

終演後にも聞くともなく聞いていると、初めて来たと言うその人は、当日券で入ったため後ろの方になってしまい、「聞こえるが見えない」状態だったと語っていた。
常連の人は「一度前で見ると後ろでは見られない」と話していたが、それだけの落差は確かにある。 私にとっては「撮れる」「撮れない」が重要な問題であるが「見える」「見えない」もそれなりに切実であるようだった。

会場の STUDIO WAROS はそもそもがライブハウスではなく収録スタジオなので、舞台が低い。
そこへ持って来て立ち見なので、後方からだと先ず見えない。 人垣が厚すぎるので隙間からとも行かない。

思い立ったときに見に行きやすい価格設定と会場規模ではあるのだけれど、見えにくいのが疵。
客が考えるような事は既に検討済だとは思うが、前二列くらいを座りにしてしまった方が良いように思う。

今回は事前に告知されていたが「ノンストップ公演」。
合間に給水するくらいの間はありつつも、中休み無しで十曲ほど。
見せる曲乗せる曲聴かせる曲楽しませる曲取り混ぜて飽きさせない。

重馬場に強く、荒天でもアウェーでも海外でも動じない強さがあるので、「ノンストップ公演」も初めて演った気がしない。

例によって手抜き無しなのだけれど、notallの全力は「やるべき事」のみに傾注する愚直な「全力」ではなく、「やるべき事」「やったら面白い事」「やっちゃいけなそうだけれど、やっても怒られなさそうな事」を取り混ぜて、時に直感で、時に状況から判断してその場で出来る最良を最大でやる「全力」。

トンパチな田崎礼奈が単パネしても、浮き世離れした片瀬成美がボケても、本人も含めてなんとかしようとするし(※丸投げでなんとかしないこともある)、だいたいなんとかなる。

予定調和では決して終わらない、終わらせないところにnotallのライブの面白さがある。

開演が多少遅れたのは覚えているが、終演して会場を出る際に時計を見たら十時半になんなんとしている。
流石にこれには驚いたが、時間感覚が麻痺するくらい濃密で楽しい一と時であった。 終バスは逃して電車で帰る羽目にはなったが、細かいことはどうでも良くなる充実感。

来年からは開演時間を一時間早めて、終演後に物販を行う形式に変えるとのこと。
それでも開演は20:00なので、勤め人に優しい。
より充実した定期ライブを期待したい。


2017-11-25 問題外と論外の梯子 [長年日記]

_ 夏弥ファミリー写真展2017「夏弥の季節」

江戸川橋のギャラリー NIWへ。
モデル主催の写真サークルの写真展。

一寸厭な予感はあり、その正体を確かめに行ったようなところはあったが、厭な予感そのものが其処にはあった。

このギャラリーは手前から三部屋に分かれており、おおよその写真展は中央の部屋を受付とか物販に使い、関係者はここに居ることが多いのだけれど、そのようには使われていない。

一番奥の部屋に入ると、中央にテーブルを設えてお茶会の最中。
もはや写真を見て回れる状態ではなかった。

写真を広く見せる為ではなく、仲間内で見せ合う為の催し。
客が来ることを想定していないからこそ、動線を塞いでお茶会が出来る。

モノクロに特化した出品者の作品が気になったが、もはやじっくり見る気も失せたので早々に退散。

閉じた内輪のお祭りなら、閉鎖空間でやっていただきたい。

客観的に場をコントロール出来る、状況を引いてみられる人がいない写真展は、得てしてこうなる。

_ 写真展「私的写真集選手権」Vol.5

フォトテクニックデジタル主催の私家版写真集を募った公募展の入選者による写真展。
写真集の公募展なので、出品作のパネル展示の傍らには入選した写真集が置かれる。 規模の割に観覧者の滞留時間が長い、濃密な写真展。

午後にトークショーが入っており、それを外して見に行ったのだけれど、トークショーからそのまま残った人が多かったようで、写真を見るでもなく写真集のページを繰る訳でもない、「出品者と語らう」目的の人々で溢れていた。
こうなるとじっくり見られるような状況ではなく、目当てのカメラマンの最新作と目に付いたものを見ただけで退散。

滞留時間が長くなる事を考えて展示スペースを考えておらず、そもそもが手狭なところに写真を見るでもなく写真集を手に取るでもない人々が屯していれば写真を(写真集を)見るどころではなくなるのは目に見えている訳なのだけれど、主催者側にこの状況を客観的に見てコントロールしようとする者がおらず、見る環境としては最悪と言って良い。

見れば語りたくなる写真であり写真集であるのは判るし、自作について語りたくなるのも判る。 私も聞きたい。
然し乍ら、他の出品者の作品の前を塞いで自作を語る会を開いて仕舞うなどと言うのは論外。

広く見て貰う為にやっている写真展で「閉じた仲良しクラブ」「出品者の為のお祭り」みたいなことを始めたら邪魔にならない方法を考えたり交通整理したりするのが主催者の仕事。 それが全く出来ていない。
写真集ではなく、写真展が悪い意味で私的なものになってしまっていた。

ちなみに目当てで見に行ったのは錦織智の新作で、こちらの出来は素晴らしかった。

_ きゃわふるTORNADO定期公演【ビッグオニオンつれてくよ~】#4

七時過ぎに開場着。 もう少し時間を潰してからとも考えたが、如何せん寒い。

今回から各所で配布しているクリアファイルを持参するとそれがチケット代わりになるシステムが始まる為、受付担当者にも周知していた。

クリアファイル効果は目に見える形で出ており、開場する直前で50弱。
開演してからも増えていたようなので、実数としてはもっと行っていたのではなかろうか。
先ずは見て貰ってナンボなので、集客が多いのは喜ばしい。

前の番組が終わってから開場までに15分しかないので入れ替えやら音響の調整やらリハーサルやらでバタバタするのは仕方の無い事で、五分ほど遅延して開場。 開演は更に遅れた。

影アナは石川。
石川なりの味付けで硬い文面の諸注意や免責事項も柔らかく。

今回は人気投票で決まった順位でのセットリスト。
手持ち楽曲のすべてをやることにはなるが、投票の結果はメンバーも知らされておらず、スタッフがインチキDJ的に曲名を発表して初めてメンバーも客も次の曲がなんだか判る。
立ち位置でバタバタはするものの、振り付けと移動は頭にも身体にも染み着いており、目立ったトチリは無い。

途中で一曲新曲も披露。 まだ遣り慣れてはいない硬さはありつつも、既に人前で演って金の取れる出来にはなっていた。

神咲の振り付けに柔らかさが出てきた。 正確な動きの先にあるものを掴みつつある。

勢い余って一寸逸脱するところもある別所。 それもご愛敬。

石川は体調も精神状態も悪くはなさそうで安心した。 弱みを見せまいとする営為が完璧すぎて、煮詰まると atmosphere に出ることがある。

杏斉の歌が新境地。 心浮き立つような楽しさを聴く者に与える。

道地は情熱と冷静を同居させ、意識を半歩引いたところに置いたように客を煽ったり弄ったり。

煽ると甲高い声になりすぎて何を言っているのか判らなくなる宮瀬。
そのあたりを含め、宮瀬ファン某氏と話すと「楽しそうだからまぁ、いいんじゃないでしょうか。」と言うところに落ち着く。

上位に来るのは盛り上がる系統の楽曲。 聴かせる系統の楽曲の出来も良いのだけれど、現在の客の殆どが「ライブに来る客」なので、これは仕方がない。
私は一位になった「星空ディスティネーション」と七位の「メリーゴーランド」が好きなのだけれど、どちらもベースラインが変態的なまでに唸る。
良く出来ていて、且つよくよく聴くと「どうかしている」。
そう言う曲がもっと聴きたい。

只でさえ押し気味の進行のところへ持ってきてインチキDJ風のMCが長いのが結構なダレ場だったのだけれど、急に「これを遣れ」と言われて即応できる練度を目の当たりに出来たのは良かった。

次回はカバー公演とのこと。 二週間で何処まで煮詰めて自家薬籠中の物とするか楽しみである。


2017-11-19 どうかしている [長年日記]

_ Fotochrome展

祐天寺のギャラリーカフェ的なお店で開かれている写真展へ。
フォトクロームは話せば長くなるがペトリカメラが製造を請け負い、すったもんだの挙げ句販売はされずにお蔵入りになり、何かの切っ掛けで世に出てしまった謎のカメラ。
販売されなかった専用のフィルムを使う構造上、当初の仕様では撮影できず、物好きが魔改造して撮影できるようにしてある。

ペトリカメラ盲目的耽溺期(ロゴの入ったシリカゲルすら集めていた)に買うか買うまいか悩んで、結局買わなかった曰く因縁のあるカメラ。
私には「撮る工夫」が思いつかなかった。

それを使えるようにしてしまったという事は、少なくとも私より業の深い道楽者であり、出来上がった写真も、矢張りどうかしていた。
突き抜けた道楽は面白い。

元々は大名刺判くらいの専用印画紙に直接カラー印画するものだったようだが、前述の通りブローニーであったり35mmであったり、フィルムを使えるようにしてある。

レンズは100mm/f4.5。 三枚玉らしく、アウトフォーカス部分は結構暴れる。
ここまで暴れるなら買っておくべきだったかもしれないなどと後悔もしつつ、もう暗室は閉めてしまったので後の祭り。

写りは矢張りペトリ。 カラーだと、ペンキを塗った部分、ビニール、雑草など、庶民の身の回りにあるようなものがそれらしい色で写り、モノクロだと力弱く柔らかい写り。 締まった黒を出しているプリントも有ったが、焼きで苦労したのではないか。

ギャラリーカフェなのでコーヒーを一杯いただいていたら、旧知のカメラ仲間が入ってきた。 常連らしい。
どうかしているカメラを使ったどうかしている写真展だったが、常連もどうかしていたので安心した。
また伺いたい。

_ 衛藤美彩写真集「話を聞こうか?」

衛藤美彩の乃木坂46加入以前の活動がこの写真集で現在に繋がり、肯定された。
私の好みからは外れるが、衛藤美彩にとっては意味のある仕事であったと思う。

「写真集としての見せ場として水着もあります」的な乃木坂メンバーの写真集にありがちな取って付けたようなものではなく、水着やそれに類するものを纏ったカットふんだんに有り、「そこから先」も有るのだけれど、その前後にも紙幅を割いているので唐突さは無い。

ミスマガジン時代からの積み重ねもあり、衣装の布面積の多寡で表情がブレないのは流石。 美点を強調して粗は隠す身のこなしも見事。

ただそれはカメラに対して常に一寸構えているからでもあり、正体を現さないしたたかさには感嘆しつつも、演出の入った「見せるための表情」が多い物足りなさも感じる。

これは求められる自分を演じた衛藤美彩の責任ではなく、「講談社的、あまりに講談社的」な写真集としての構成上の問題ではあると思う。

次があるとしたら、予め作った物語に当て填めて作る「講談社的な文法」からは外れた、衛藤美彩そのものを撮った写真集が見たい。


2017-11-17 員数外 [長年日記]

_ notall定期ライブ『STEP by STEP』(29.11.17)

ポッカリ穴が開いてしまったタイミングでnotallの定期ライブが迫り、予約クリック合戦に参加したら何とか撮れそうな番号だったのでカメラ担いで押上へ。
「後半四曲は撮らないで見てね」との事だったが、一寸厭な予感がしたので念の為軽装備。

予め整理番号が判っているのと、訳知りが多いのとで、発券も入場もスムーズ。
撮る人見る人踊る人、趣味嗜好は様々ながら、自分が過ごしやすい場所に陣取るので、予約番号が若くても前には行かない人も居り、予約30番台でも何とか撮れる位置には就ける。

衣装はTシャツをリメイクしたもの。 同じTシャツからメンバーの個性に合わせて手を入れてある。 この辺りは渡邊ちこの仕事であろう。

前半は楽しかった、見せる聴かせるのバランスが良く(田崎礼奈のマイクが死にかけのままだったのはいただけないが)、見る人撮る人踊る人、それぞれがそれぞれの楽しみ方で過ごしていた。

後半四曲で状況は一変する。
「カメラは仕舞って、『見て』下さい。」と言うのを私は字義通りとって「真に受けた」訳であるが、「見て下さい」は「沸いて下さい」と言う意味であった。

舞台の上から拳を突き上げるように促されるまでは良かったが、客同士で肩を組んで大声を出すよう強要する客からの同調圧力が強いのには閉口。

身の危険(機材の危険でもある)を感じるくらいになってきたので後方へ退避すると、盛り上がった光景を撮ろうとPA席からスタッフが降りてきた。
そこから見ていたのでは、一生涯判らないだろう。

舞台の上からは、またPA席からは「盛り上がった」状態に見えたかもしれない。
しかし、その盛り上がりの渦の中では虎の子のカメラ抱えて怯える者、のんびり見るつもりが狂騒に巻き込まれて当惑する者、執拗に肩を組むことを迫られる者、楽しいだけではない様々な光景があった。
私は「逃げやすい場所」に「逃げやすい装備」で居たから逃げおおせることが出来たが、重装備で奥の方にいたら、それこそ軽い地獄。

「撮らないでね」と言う要請は守った。 しかし、のんびり見る自由まで取り上げられるとなると私は受け入れられない。
「肩組み同調圧力」の強い現場は「どんな楽しみ方も許容される現場」では既に無い。

アンコールの声が響く中、これ以上ここに留まっても楽しく過ごせないのは明らかなので退出。
おかげで終バスには間にあった。 塞翁が馬。

最前列仁王立ちで撮りっぱなしと言うのは私もどうかと思うし、撮影に制限を掛けたいのも理解は出来る。
然し乍ら、行きすぎたそれは気軽にのんびり見たい客も排除することに成ることは忘れないでいただきたい。

見かけ上の「盛り上がり」を重視して、そちらを好む客層に沿ったライブの構成にして行くのであれば、撮ること見ることを好む者は「招かれざる客」であるので、静かに引いて行く。
「みんなでプロデュース」の "みんな" からは員数外であるのであれば、まぁ仕方がない。


2017-11-12 秘すれば花 [長年日記]

_ 若月祐美1st写真集「パレット」

期待していなかった。
被写体としての若月祐美には、これまで取り立てて魅力を感じたことはなく、桑島智輝の写真を週刊ヤングジャンプの編集力で見られることを期待して購ったと言うのが正直なところ。
しかしこれが侮れない出来の、座右に置いて何度も見返したくなる写真集であった。

集英社だからこれで良しとしたのかもしれないが、水着は無し。 下着のカットはあるが、全体は見せない。
ベビードールとショートパンツでベッドの上に背を向けてぺたりと座り、脱ぎかけながらこちらを向いて微笑む。
そう、仄めかすだけで良いのだ。

「秘すれば花」である。
見せないから見せている、見えないから見えている。
隠してこそ見えてくるものがある。

若月佑美は見ることを促すような扇情的なポーズは取らないし、布面積の少ない衣装でも何処かしら隠して全貌を見せない。
然し乍らカメラを見つめる表情は無防備極まるもので、幾ら肌を見せたところで決して見えてこない、「商売用ではない若月祐美」の部分を出し惜しみせずにカメラの前に晒している。
甘美な毒である。

桑島智輝と言うフィルターを通してより純化した若月祐美が目の前に現れるような、畏れすら感じる生々しさ。
撮影者として透明なので、カメラの前で裸になる以上の「素」を晒していても、不思議と嫉妬の感情は起きない。

若月祐美は殊更表情を作らないのだけれど、暑ければ暑いなりの、疲れたなら疲れたなりの、眠たければ眠たいなりの顔を見せる。
それを桑島智輝は上から下から、左から右から、寄ったり離れたりしながら切り取る。

若月佑美の姿とともに、木立や彫像、食べかけの果物、お菓子の袋、脱いだパーカーetc...
撮影行の中で若月祐美が関わった様々なものが記録され、収集されている。
そしてそれらが若月祐美の過ごしたスペインの旅を、立体的に見せてくる。

若月佑美は遠からぬ未来に乃木坂46と言うグループからは離れて新たな人生への一歩を踏み出すだろう。
もしかしたら永遠に我々の前からは消えてしまうかもしれないし、そうはならないかもしれない。
未来は不確かであるが、2017年の一時期の若月佑美は、永遠を閉じ込めた一瞬として写真と言う形で固定され、見返すことが出来る。
この写真集を手に出来た人は、幸せである。


2017-11-11 2190 [長年日記]

_ きゃわふるTORNADO定期公演【ビッグオニオンつれてくよ~】#3

入場受付開始の少し前に開場へ。
来れば確実に入れる状況なのを分かっている人々はのんびりやってくるらしく、開場時間近くになって人が増えてくる。

影アナは神咲くるみ。 文言のテンプレートはそのままだが、神咲なりにかみ砕いて読もうとしており、印象は柔らかくなった。

三分ほど押して開演。
出囃子が鳴り終えて、一曲目の「きゃわふるTORNADO」で飛び出してくる。
そこから約一時間ノンストップで手持ち楽曲総棚浚え。
「きゃわふるTORNADO」で始めて「きゃわふるTORNADO」で〆る構成。

ファンデーションを塗ったところと塗っていないところと、上気した肌とのコントラストがくっきりとするくらいで、呼吸器循環器に掛かる負担はかなりの物だと思うが、最後まで目が活きており、流石に最後の最後はヤケクソ気味だったが、歌声も振り付けも特には乱れなかったのは見事だった。

道地文子は過渡期の髪色。 極端に走ると伸びたときの違和感が激しいので、上手いこと落としどころを見つけて欲しい。

宮瀬しおりの「突き詰め方」が面白い。
沈み込んでからせり上がる動きなど、支える筋肉に負荷が掛かり、ともすれば早くなりがちな部分を敢えてゆっくりと。
すぅーっと動いてピタリと止めて、止めた位置を保つ。
このあたりの動きをきれいに見せる手法は日舞の技術としてあるのだけれど、恐らく宮瀬は別方向からのアプローチでこの技術を会得。

被せが強いオケの曲でもマイクは生きており、手抜き無しで歌わせていることがハウリングで判る。
ハウリングが起きた際に「先ず自分のマイクを疑う」ことがきっちり仕込まれている。

レッスンでしっかり「合わせて」いるのだと思うが、自主練習多めのグループにありがちな振り付け解釈の独自進化が見られず、それぞれの味は殺しきらずに刈り込んで見せているのが良い。
ソロパートが各メンバーに割り振られ始めてしばらく経ったが、不得手な方に意識が行きすぎて得意な物が疎かになることもなく、歌と振り付けがぴったり合ってきた。

最後に挨拶だけして退場して行ったので退出しようと思ったら客電が点かず、なんだろうと訝しんでいるうちに何やら告知ビデオが始まった。

長野県まで行って何故か恵那山に登ろうとして道を間違えて別の山に行ってしまい、登り直して時間切れというよくわからない内容。
まぁメンバーの人間性が炙り出されて面白くはあったのだけれど、些か長がかった。
簡単に纏めると一周年のライブを満員で開催するために様々な仕掛けを行っていく告知。

六人のメンバーが迎える一周年と言うことで、365×6=2190。
そこで標高2191mの恵那山で決意表明のVTRを撮るという企画だったようだ。

この手の企画は、兎角メンバーに負荷を掛けて、失敗するとペナルティーを与えたりすることが多いが、2190社に手紙を書いてオファーの有ったところに出向いてライブをやるなど、裏方も下準備で汗をかく企画になっているのは良い。
上手く行きますように。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 42号

伊藤紗治子
表紙と巻頭7ページ12カット、見開き1箇所。 撮影は桑島智輝。
歯見せ笑顔一辺倒で表情に幅も階調もないのを、桑島智輝が寄ったり引いたりしつつ背景で絵を作って填め込む。
陳腐に成りすぎず、写真の邪魔もしない。 キャプションの入れ方も割付も良い。
裏方が寄って集って盛り立てて成立させた7ページ。

加藤ナナ
巻頭5ページ12カット、見開き1箇所。 撮影はTakeo Dec.
表情は些か単調だが、カメラと向き合えているのは良い。
水着的ななにかは纏いつつ、扇情的に見せない衣装とポーズ。
良く出来ている。

くるみ
巻末6ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
これが見たかった。
光を柔らかく回しつつもあまり明るくない屋内、絞りを開けて撮ってピントは浅く、コダクロームのような濃厚で暖かみのある色合い。
ファッションだけでなく広告のモデルもやっているからか、自分を見せることも出来るし、作られた絵の中に構成するパーツの一つとして填まることも出来ている。
モデルとカメラマンと仕事の幸せな出会い。
今年のヤングジャンプのグラビアの中でも最良のものの一つ。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 43号

Niki
巻頭9ページ24カット、撮影はTakeo Dec.
カメラを向けられることには慣れていて、カメラマンが切り取るに任せている。
しかし全ての表情に作り物っぽいところがあり、そつなく振る舞えてはいるもの、面白味もない。
私が日差しの強い時間帯の浜辺で撮った目の死んだ写真を好まないのもあるが、埋め草としては及第点だが実に詰まらない9ページだった。

斎藤みらい
巻末6ページ14カット、撮影は kishimari
後加工でソフトフォーカス感を出した安直な撮影手法。
表情も切り取り方も単調。
写真としては退屈窮まるが、並べ方が上手い。
どうしようもない写真だが、そのどうしようもない写真で6ページ持たせる編集の仕事には見るべきものがある。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 44号

Aqours
巻頭・巻末合わせて12ページ37カット、見開き1箇所。 撮影は唐木貴央と中山雅文。 但し、どれを誰が撮ったのかは不明。
顔の出る芝居もする人と、顔の出ない芝居を主にする人が混在しているので、写真映えと言う点でも落差が有りすぎる。
「誰を」「何を」基準にするか曖昧なまま束で撮らされる悲劇。
これで良い人が多いからこの座組でグラビアが何本も組まれるのであって、需給のバランスは取れているのだろう。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 45号

松川菜々花
巻頭6ページ15カット、撮影はTakeo Dec.
太陽を背負わせようが何しようが眩しいものは眩しい。
眩しいのを我慢したり、我慢しきれなかったりしたカットのみで構成した何かの嫌がらせのような15カット。

アンジェラ芽衣
巻末4ページ15カット、撮影は桑島智輝。
珍しく「人の悪い桑島さん」。
肉感的な部分をブツ撮り的に強調。
それでも下卑て来ないのは流石。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 46号

齋藤飛鳥
巻頭7ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
寄りでも引きでも絵を作れているのに驚く。

被写体が安心して撮られている。
商売用の部分ではない齋藤飛鳥まで含めて信託して撮り方をカメラマンに任せており、カメラマンの方もそれに応えている。

互いにとって幸福な仕事なのでは無かろうか。
このコンビの(出来れば今度は集英社で)纏まった写真が見たい。
被写体と撮影者(そして編集者が)上手く噛み合った仕事。

川崎あや
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
秋のアクティブハイレグ祭りとのことで、そちらに特化したグラビア。
下世話だが下品ではない程の良さ。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 47号

内田理央
巻頭8ページ18カット、撮影は桑島智輝。
連載マンガの人気キャラクターに扮してのグラビア。
そちらに寄せた部分と被写体本人を見せる部分と上手く分けて折り合いをつけており、内田理央も上手く演じ分けて地続きだが別のものになっている。

橋本梨菜
巻末4ページ8カット、撮影は藤本和典。
黒いのが売りなのは判るが、撮り方に作意が有りすぎて興醒め。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 48号

澤北るな
巻頭7ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
下駄を履かせられた感はあり、売り文句ほどの魅力は感じないのだけれど、確かに前回よりは良くなっている。
歯見せ笑顔以外の部分は悪くないが、指示がないと同じ笑顔しか手札が無いと言うのは、この仕事をするに当たって致命的な事なのではないか。

今田美桜
巻末5ページ10カット、撮影はTakeo Dec.
商店街で撮ったカットと水着では、やはり表情に硬軟が出てしまっているのだけれど、硬いは硬いが肚を括ったようにも見える。
羞じらいと覚悟のバランス。 悪くない。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 49号

若月祐美
巻頭7ページ15カット、見開き1箇所。 グラビアの後に写真集の広告12ページ、オマケピンナップ付き。 撮影は桑島智輝。
「初の下着云々」なネットニュースの煽りもあったのでどんなものかと思ったら、そこはそれ桑島智輝が上手く撮っていた。
若月祐美は表情の幅こそ狭いものの、その狭い中に微妙な階調がある。
齋藤飛鳥と細居幸次郎の場合もそうだったが、商売用ではない部分も含めての丸投げ。
さらけ出されたところからの取捨選択の妙。
ちなみに写真集も良い出来だった(こちらは別項にて)。

久保史緒里
巻末5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
この人はもっと凄いと思うのだけれど、追い込み切れていない。
作った表情ではなく、滲み出てくる表情に妙味があるのだけれど、どう撮ったら映えるかより、どう言う絵が欲しいかが優先されてしまった感じ。

_ 週刊ヤングジャンプ 2017 50号

山広美保子
巻頭8ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
課金競争企画の勝者に与えられる巻頭グラビア。
これまでは雑な扱いになることも多かったように思うが、今回はきっちりページを割いて、ロケもして、労力と知恵も注ぎ込んで撮って貰えている。
山広美保子は撮られ慣れていないので表情からポーズから万事硬く、痛々しい位なのだけれど、陰惨に成らないよう、湿り気を帯びすぎないように撮れている。
和室で撮ったカット。 室内の回す光は柔らかくしつつ、背後の障子の向こうを明るくすることで見た目の湿度を下げている。 同じような効果を狙ってか、庭をバックにしたカットも庭を明るく。
予想以上の出来。 眼福。

的場華鈴
巻末5ページ11カット、撮影は西村康。
「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」的なグラビア。
それにしては道具立てが中途半端。 金が掛けられないなら知恵を絞るべきであって、金の掛かる企画を立てておいてケチ臭い真似をするのはよろしくない。


2017-11-03 [長年日記]

_ 更新情報

写真纏めアップロード

Fight with Buddy ~バカって言うな!~ (29.10.28)
桐谷美帆(CURATIONS)生誕祭 ~やっぱ、可愛いだけじゃないんだなっ~(29.10.29 押上Wallop放送局)

カメラごとに分けるのを止めて、イベント毎に纏めてみたが、ちょっと違和感が有る。


2017-10-29 「史上最低の学力テスト王決定戦」と「史上最高の脳筋馬鹿決定戦」、合間にライブ [長年日記]

_ Fight with Buddy ~バカって言うな!~ (29.10.28)

予備知識無し、CURATIONSの春名あかりが出演と言うことで見に行ってきた。
「史上最低の学力テスト王決定戦」と「史上最高の脳筋馬鹿決定戦」、合間にライブと言う感じの、事前に説明を読んでもよく分からない組み合わせの催し。

前半は学力テストパート。
春名あかりが女教師的な格好、生徒役の柚希未結とみくるは制服的ななにか。
新卒教師に従わない百戦錬磨の女子高生的なバツを付けられた回答でもなんとか点を貰おうとゴネるさまが楽しい。
国語と英語は予め記入して貰った答案の答え合わせの形式、社会は早押しクイズ。 中学生レベルの問題ではあるのだけれど、生きていて正答を求められる局面も少ない類の知識、知らなくても死にはしない類のことなので、ほぼ正解が出ない。
分からない部分を気合いと根性とヤケクソで埋め、結果として生まれた珍答からさらにボケまくり、正解にはボヤキとツッコミ。
ここでも何とか点を貰おうとする駆け引きが笑いを誘う。

後半は体力テスト。
攻守交代して春名あかりが生徒役、柚希未結が先生役、みくるは引き続き生徒。
この体力テストが容赦ないもので、体力バカが自分基準でなんとなく考えているので過酷どころの騒ぎではなく、図らずも生徒役の二人の人間性が炙り出されていた。
やらされる側にはお気の毒だが、見ている分には実に面白い。

体力テストで負けた人はフラフープを回しながら歌うことに成っていたのだけれど、負けたみくるは全く回せない。
一曲歌入りオケが流れる間フラフープと格闘するみくるを、客と出演者がフラフープを回しながら見守りつつ歌ったり踊ったりする世紀末的な光景。 

「上に行くぜ!」的な立身出世感皆無で、その場を刹那的に楽しみ切る潔さが漲っていた。
人を撰ぶイベントだとは思うが、人をもてなすアイデア(思いつき、とも言う)と工夫に溢れた良企画。
機会が有ればまた足を運びたい。


2017-10-28 サイドキック [長年日記]

_ きゃわふるTORNADO 定期公演【ビッグオニオンつれてくよ~】#2

七時半受付開始と言うことで、少し前に受付へ。

「受付は七時半からですか。」
「はい」
「待機列とかは出来ますか。」
「このへんにできると思います」

いやまぁ、それを仕切るのも受付の仕事なのであるが、無能と言えば無能だし、怠惰と言えば怠惰だが、彼女は所詮「被傭者」に過ぎず、指示されていないので有れば仕方がない。
自動販売機でのチケット購入が必要だったり、現金での決済だったり、イベントによって異なるので、予め指示は出しておくか、客に判るように受付に明示しておいて然るべき。

客の側にも自律性は無く、何となく屯していて受付が始まると群がる「万人の万人に対する闘争」に何の疑問も持たない手合いなので致し方ない。 入場待機列は作るようになったので、送り手の側も入場時の混乱を改善する意志はあるようだ。
集客に影響する要素は演者以外にも多岐に亘り、送り手の仕事振りなども含まれる。 巨大な会場でのライブをグループの目標として掲げるので有れば、送り手の業務もそれに見合った物になっていかなければ成らない。
コンテンツの質に対しては誠実な仕事をしていると思うが、ライブの主催者としての仕事は感心しない部分が未だ散見される。

知己がカメラ持参だったので(斯く言う私もそうなのであるが)「撮影可になったんですか。」と訊くとそうではなく、とりあへず持ってきているとのこと。 来てみてから撮影可だと泣くに泣けない。
「常にじゃなくて『たまに』でも良いし、『一部』でも構わないんですけどね」など、意見が一致。
撮られることに集中する時間を設けると言うANNA☆Sの遣り方は最適解の一つだと、私は考えている。

そんなこんなで些か愉快ならざる状況から開場、そして開演。
ライブはきっちり作り込まれているので始まってしまえば楽しい。

何曲か終わって自己紹介と近況など。 口数の多寡はありつつも、一人ではなく常に何人かで話を転がすのが良い。

杏斉ゆか
他のメンバーのソロパートも増えてきたが、それは杏斉に掛かる負荷が減る事にも繋がり、より重要な「歌い上げる部分」への集中度は増しているように感じた。
良い循環。

神咲くるみ
大きく踊れている。 上手くはないが小さくまとめようとしないのは良い。
何か落ちても動きの中で自然に拾えるようになっていた。 これは周りが見えているからでもある。

別所佳恋
得意な動きや好きな振り付けはやる気が漲り、そうでもないところはそれなりに。 ムラはあるが、それが良い。
粗いところは粗いが、弾けている。
目を潤ませたり膨れたり笑ったり、今日も喜怒哀楽大盛りで天真爛漫。

宮瀬しおり
動きをピタリと止められるようになったので、そこからの動き出しも美しい。 考えずに動ける、頑張らなくても出来ることが増えてきたからか、歌の面でも新機軸。 ソロパートが増えた。
この辺り、よく考えられ見極められて負荷が掛けられている。
甲高すぎて何を言っているのか判然としない煽りも面白い。

道地文子
振り付けの枝葉を追わず、幹の部分で見せてくる。
一寸引いたサイドキックのような立ち位置に妙味。 膨らませたり、ツッコミを入れたり、収拾を付けたり。

石川野乃花
言いにくい事やらお詫びめいた事やら、年の功で任される。
このあたり「リーダーではない最年長」の重みが利いている。

左右の移動やサークルモッシュは客が学習したらしく、荷物を足下に置く仕事帰りの連中は左右壁際か後方に。
淘汰なのか棲み分けなのか。 私には前者であるように感じられるが、現在の想定顧客層からは外れているのであろう。

間奏部分を引っ張った編曲になったオケを作り、生バンドでやるような客との掛け合い。
定期ライブの作り込み加減には唸らされるし頭も下がる。
一寸延びたが、尺としてはほぼ一時間。 予定調和のアンコール無しで濃く纏めていて、費用対効果は高い。

入場時に待機列を作ったり、舞台と客席の間に1m程度緩衝地帯を作ったり、改善していく意思は見て取れるし、実際居心地自体は良くなっている。 更なる改善を期待したい。


2017-10-22 雨の土曜 [長年日記]

_ 新星堂presents iPop Monthly Fes vol.65≪3部≫

都内全域雨予報の中、サンシャイン噴水広場のイベントにnotall出演(と言う事は、撮れる)と言う事で、都バス乗り継いで池袋へ。
KissBee が終演の挨拶をしているところに到着。

Apricot Regulus(アプリコット・レグルス)
どこかで聞いた様な・・・と思ったら、(事実上の)富永美杜と二代目馬場なつみの所属する声優系と言うかゲーム系と言うか、その類のグループであった。
茅野しのぶインスパイア系制服衣装で、金は掛かっている感じ。

(事実上の)富永美杜が凄い。 モノが違う。
callmeと較べると、フォーメーションも振り付けも難易度低めなので、歌って踊っての部分は三味線弾いてる感じ。 バミリにも一人だけ忠実。
振り付けに余計なオカズなどは入れず、余力で全方位の客を目で殺しに掛かる。
地下一階からから三階まで、満遍なく目配りの三点バースト。

Dorothy Little Happy の高橋麻里のような、あざとさを解放して客全員殺す気のパフォーマンス。 「カッコイイ」寄りの立ち居振る舞いの多いcallmeとは全く逆の「カワイイ」に振り切った事をサラリとやってのけていた。

自己紹介とMCは声優口調の(事実上の)富永美杜。 完全に割り切って出稼ぎに出ているのが見て取れる。

退出時には、馴染みの古い客に表情で「見つけた」アピール。 確実に仕留める老練の技。

いやはや拾い物で凄いのを見た。 コアなファンだけでなく、好事家こそ見ておくべき類の職人仕事。 眼福。

notall
アイドルを含めた芸界の階層が未だに「テレビに出ている」と「それ以外」に分かれており、このイベントを目当てで来ている客以外のその場にいる大半は前者しか知らない。
この現実を現実として受け入れ、殆ど凡ての客が自分たちの事を知らない前提で舞台に上がっている。 なかなか出来る事ではない。
例によって例の如く、伸び伸びと明るく楽しく「何か楽しそうなことをやっている」雰囲気を作って買い物客の足を止める。
そもそもの話、CDを売ることを止めたグループがCD販売店主催のイベントに出られてしまう事(旧譜を売ったようであるが)が凄い。
通りすがった買い物客の記憶に「notall」と言う単語だけでも残ってくれると、私も嬉しい。


2017-10-15 the Live Formerly Known As ノルマ会 [長年日記]

_ CURATIONSの「例のアレ」(the Live Formerly Known As ノルマ会)(29.10.15)

前回から約二た月、今回は動員数が目標に達するとオリジナルグッズが作れる。
「ノルマ会」と言う名称が楽しそうな印象を与えず、集客には寧ろデメリットに成っていることはメンバーも送り手も自覚しており、そう言う決まりで動いているので今回もノルマ会はノルマ会なのであるが、告知の際には「動員目標のあるライブ」とか「例のアレ」とか、いろいろと誤魔化していた。
正式呼称も「例のアレ」で良いのではないか。

受付開始時間ちょっと前に着くと、既に十人凸凹。
開場までにどんどん増えて、古いお客さんも「開演前にこんなに人が居るのは初めて見た」と驚いていた。

開場して中に入る。 集客に或る程度の手応えがあったのか、上手下手の壁際が撮影できる席。
盛り上がって見たい向きは中央に。

目標動員数は50なのだけれど、埋まってはいるものの隙間も無いでもない。 安心なようなそうでもないような心理状態で開演。

今回はこれまでにカバーしてきた曲からのリクエストアワー形式とのことで、飛び抜けて得票の多かった上位四曲が撰ばれた。
どういう曲が好まれるのか、傾向を知り今後に生かすためにも、良いタイミングで行われた企画だったと思う。

私は専ら撮る側なので、盛り上がる派の人々の反応は良く判らないが、ライブの出来としては過去最高を更新していたと思う。

特筆すべきはステージに立ってライトが当たって映えるメイクと、歌って踊っても破綻しない表情。
「見せ方」が格段に上手くなった。

五人から四人に。 奇数から偶数になるとフォーメーションが組み難くなるそうだが、二対二になるところでの組み合わせでの掛け合いはなかなか面白かった。

終盤に結果発表。
有料入場者58名で目標達成。 前回が37名だったので20から積み増したことになる。
純粋にCURATIONSのお客さんはどれくらいなのかと言うのは別の問題してあるにしても、集められたのは良かった。
ただ、結果発表の後のコメントで場が重くなってしまうのは如何ともしがたく、改善の余地ありではなかろうか。

次回のノルマ会は「ノルマ会」の廃止を賭けて12月17日開催。
集客に関して目の色が変わって、結果が出始めたのが秋からだと考えると、達成は可能な日程と目標ではある。

ともあれ、良いライブだった。
何が自分たちの売りに成り得るのか、それをどう伸ばすのか。
身軽になり、足並みも揃えやすくなり、やりたいことをやれる(やりやすい)環境にもなった訳で、あと二た月で出来ることを考えて実行する準備は出来ていると思う。
早くなってきた成長と変化を見逃さないよう、客の方も気が抜けなくなってきた。

_ 更新情報

写真を纏めてアップロード。
CURATIONSの「例のアレ」(the Live Formerly Known As ノルマ会)


2017-10-14 解りやすい変化と解りにくい変化 [長年日記]

_ 【きゃわふるTORNADO 定期公演】#1(29.10.13)

19:30受付開始とのことで、少し前に到着。
既に十人凸凹発券待ち。 並ぶでもなく、なんとなく屯するような状態。
受付に二人居り、入場料金分のチケットを買って待つよう言われてその通りにして待っていると、送り手側の人が通し番号入りのピクチャーチケットを持って登場。
本来は現金と引き替えでこれを渡す予定だったらしい。
ピクチャーチケットの件は指示されていなかったようなので仕方がないにしても、受付を任されていて混乱の収拾をつけようともしないのには呆れた。

会場側は並ばせる気が無く、客の側は並ぶ気がない。
今のところ客がそう多くはないから揉めずに回っているが、いつまでもこの調子では困る。
お披露目公演の入場時の混乱から何も学んでいない。 混乱があったことすら覚えていないのかもしれない。

楽曲やパフォーマンス、CDやDVDなど「成果物の品質」については誠実だと思うが、こと生身の人間相手だとソツが多すぎる。
「成果物の品質」さえ水準に達していれば商売に成ると言うものでもない。

混乱の芽はありつつも大過なく入場。
舞台を広く使う為か、入り捌けの演出もないらしく衝立の類は全てスタジオ外に出されていた。
天井の照明は常設の物となったらしく、6機増設。 明るく、見やすくなった。

影アナは六人でワイワイと。 諸々のトラブルに対して「一切の責任を負わない」「撮影録音禁止、発覚した場合は相応のお咎め」など、ワイワイのオブラートにくるみきれない角のある表現。
アイドルのライブに来る客の民度を考えると、予防線の一つも張っておかざるを得ないのだとは思うが、些か強権的。
契約書の取り交わしなどでは当たり前に使われる文言でも、耳から入ってくるとまるで印象が異なる。
B to B の商売のやり方を、B to C の商売にそのまま持ち込んでしまっている危うさ。

BGMがフェードアウトして出囃子。 鳴り終わって開演。

20時開演と言うのは仕事帰りの勤め人でも来られるように設定しているのだと思うが、そうではない客も当然居り、自分の荷物の扱い方が異なる。
クロークやコインロッカーなどは無いので、仕事帰りの客は自分の荷物は持ったままか足下に置くか、自分で管理できる状態にする。
そうでない客は壁際などに放り出して積んでおく。
これがライブ中に左右に移動したりサークルモッシュを煽ったりするとどうなるか。
当然大切な物を身近に置いている客は逃げまどう羽目になる。
手荷物の紛失盗難や場内での怪我など一切の責任は負わない旨開演前の影アナで念を押されるのだけれど、煽りに煽っておいてのそれは無責任に過ぎるように私は思う。
手応えを感じないと不安であるのは判らないでもないが、「楽しみ方」と言うのは人それぞれであり、声出して動いていないと「盛り上がっていない」と言う固定観念が執拗な煽りに繋がっていて閉口した。

生歌なので巧拙や声量の大小で凹んだり出っ張ったりするところはあるのだけれど、客から金を取れるレベルにはある。
どんな体勢からでも動き出せて、情緒もあり、止めるべきところでピタリと止められる。 
レッスンで刈り込まれているらしく、振り付けの独自解釈は少なく、動きそのものは揃っていて、きっちり動いた上での余白みたいなところで遊ぶ人と遊ばない人、また遊び方で個性が出る。

杏斉ゆか
歌い上げるパートを任されることが多いのであるが、安定して上手い。 外さない。
歌い方が素直で、これ見よがしなところが無いのも良い。

石川 野乃花
きっちり作り込んでから舞台に立っている。
後天的な部分の積み上げ方が凄い。 歌唱は杏斉に次いで安定しているのだけれど、技術と鍛錬によって培われた種類の「巧さ」。

神咲くるみ
外連味が無いのが良い。 あざとく客に媚びるようなところが無く、至って普通にやるべき事をやっている。
自分の可愛らしさに対しての自覚が薄いようで、見せ方としては上手くないのだけれど。 押しつけがましさも無いので食いつきやすいのではないだろうか。

宮瀬しおり
細部を突き詰めることの積み重ねで全体が良くなっていた。
関節の可動域が拡がり、動かす筋肉も付いて振りが大きくり華やかに。
体幹も鍛えられたようで、動きに芯があり、ブレない。
基礎が固まったので多少ふざけたところで崩れないし、客席全体を見渡した振る舞いも出来ている。
喋る部分でもどんどん前に出られているし、非常によい循環で来ている。
このまま高いレベルで安定して欲しい。 いや、楽しくやれて居れば、安定しなくても良い。

別所佳恋
伸び代の固まり。 基礎が出来たので応用の幅も拡がりつつある。
きゃわふるTORNADOの良さはきっちり作り込まれた所ではあるのだけれど、それだけに表現が窮屈になりがちなところもある。
やるべき事はやりつつ、余白に色を塗るような自由な振る舞いが、舞台上の彩りに繋がっている。

道地文子
殻を破ることに自覚的。 「カワイイ」から「カッコイイ」までその時々に必要な手札を的確に切る判断力と、敢えての「逸脱」。
きっちり作り込まれた部分のデメリットである窮屈さを上手く壊している。
比較的自由に振る舞える立ち位置を与えられているのかもしれないが、それは固定化した役割分担であるとも言える。 自由であることから不自由であると言う、パラドキシカルな状態。
他のメンバーを巻き込むことで空気を変えられると、もう一と化けするのではないか。
白から青に変えた髪色はあっという間に抜けてしまい、紫がかった灰色に落ち着いたようだ。
極端な髪色を維持しようとすると、髪と頭皮の健康を損ない、財政も圧迫するのだけれど、中長期的に維持できるところに落ち着かせた方が、私は良いように思う。
瞠目したのがメイクの変化。 髪色と顔立ちにあわせて人形のよう。
これによって、より表情が映える。

道地、別所の解りやすい変化と、宮瀬の解りにくい変化。
どちらも明るい材料。

予定調和のアンコールなし、入り捌けの演出無し、15分ごとの小休止はありつつ、舞台上に立ちっぱなしでみっちり一時間。
汗はかいていたが息は最後まで上がらず。 基礎からきっちり積み上げているのが判る。
送り手側には不満もないではないが、ライブそのものは良く出来ていた。


2017-10-09 私そのものが閉じて行くような感覚 [長年日記]

_ ゼラチンシルバー東京(後期)

中藤・元田ゼミ修了展の後期日程の展示を見てきた。

「705」岡崎牧人(maki)
東京という街そのものではなく、街に暮らす人々と、さまざまな事情を抱えた人々がやってくる、居候していた部屋を撮ったもの。
長めのキャプションを付けることで、見ただけでは解りづらい部分を補完。
様々なもので酩酊することで辛うじて自我を保つような状況下の記録。

「化色」山野宏
街で見かけて興味を惹かれた人に声をかけ、承諾を得てから撮るスナップ。
懐に入ってから撮っているので強面の被写体でも表情は柔らかい。

「EUREKA!」道川峰久草
銀座、新宿、上野etc...
繁華街で声を掛けたり掛けなかったりして撮ったスナップ。
声を掛けないで撮ったものでも、あまり警戒されていない。
ピントを厳密に合わせていないこともあるが、その場にスルリと入り込んでいる。
撮れた物にブレと言うか揺らぎと言うか、本人も意識していないような手癖があるのが面白い。
ゆっくり撮って構図をきっちり切ったものと、急いで撮ったと見えて下が切れたものとが混在。
画面の中でどの辺りに意識が行っているのか、どうやって絵を作っているのかが解りやすい。
厳密に構図を切らなかった、どこか隙のある写真が、私には好ましく、面白かった。

「沈黙」今野聡
ピントを合わせることに必然性を感じていない撮り方。
目の前の物を漠然と捉え、大づかみにすることで写し取られた何か或る物。
なにがどうなっていたのか詳しく思い出せないが、重苦しい断片だけが記憶に残った夢のような写真。


全体的に生々しく、濃く、息苦しくなるような重めの写真が多かった後期日程。
見に来た知人に自作を語ったり、見た人が撮影者に感想を話したり、私が在廊していたそう長くはないあいだにも、其処此処で写真談義。
最早私には枯渇してしまった生のやる気が漲った空間。 疎外感ではなく、私そのものが閉じて行くような感覚。
私は私の写真を撮ろう、と、改めて思った。

_ ドラフト1位展

五人のカメラマンが五人のモデルを指名(重複した場合は籤引き)して作品を制作するグループ展。
ドラフト会議をネット中継するなど、遊び心もありつつ作品はしっかりと。

ドラフト会議が九月五日、十月五日からの会期に間に合わせるためには、丸一と月で撮影からプリントから額装までしなければならない。

レタッチが絵画的でありすぎたり、私が考える写真の枠の外にあるものもあったが、それは好悪の部分であり、質として劣る物は無かった。

まだ他の誰にも撮られていないモデルを選択した錦織智と、様々なカメラマンに撮影されてきており、自らも過去に何度も起用してきたモデルを選択した山本華漸。
初々しさはありつつ、そこに寄り掛からずにモデルそのものの魅力を引き出す錦織。
百戦錬磨のモデルにより、組み立てたイメージを形にする山本。
このあたりの対比の妙。

錦織の作品群は、生業としては成り立ちにくいライフワークに類する仕事だと思うが、それだけに諸々削ぎ落とされていた。

_ 小林修士写真展「密会」

玄光社から写真集が出るのに合わせた写真展を神保町画廊にて観覧。
妻の居ぬ間に自宅で繰り返された情事の後の記録という設定。

経年劣化で褪色・変色したような色合いの写真。 サービス版を模したプリントを額装せず、壁に直貼り。

プリントの縁に「フジカラー79」とか「サクラカラー」と入れられていたり、へりがヤレたような加工がされていたり細工は流々。

情事のさなかではなく、事後の記録なので、生々しさはありつつもどこか醒めている。

設定からプリントから凝りに凝っているのだけれど、髪色であったり眉の太さであったり、流行が写り込んでしまったのが見えてしまうと醒めてしまう。
ざっくりした撮り方に見えて細部に凝ったところを見つけたりすると後味も良いのであるが、凝りに凝ったものの細部に綻びを見つけてしまうと、そこに捕らわれてしまって、現実に引き戻される。

良く出来てはいたと思うし、発想も面白いのだけれど、画竜点睛を欠いた感があった。


2017-10-03 意欲が溢れて [長年日記]

_ ゼラチンシルバー東京(前半)

市ヶ谷にあるレンタル暗室「カロタイプ」のワークショップ、中藤毅彦・元田敬三ゼミの終了展を見に、四ッ谷のギャラリーニエプスへ。
広さと参加人数との兼ね合いで、前半後半で出展者入れ替え。
先ずは前半の三組。

菊田淳「トーキョーJACK」
距離感近めのストリートスナップ。
水平垂直はその時々の構え方次第。 撮られる人とのコミュニケーションはとらず、出会い頭にぶつかって行く撮影手法。
それ故の生々しさはあった。

松尾幸枝「WORM HOLE」
俯瞰や遠景なども取り混ぜて、今ある東京の姿を寄ったり引いたりして切り取る感じ。
俯瞰の写真に面白さを感じた。

多田洋「PHANTOM」
建設・解体現場を中心に、建物の描く縦横斜めの線で画面構成。
解体中の建物から露わになった、骨格の描く一寸崩れた縦横斜めが生々しかった。

橋本有史「NEW IDENTITY」
ガラスなどで、一枚隔てた東京。
映り込みを利用して奥行きを出した写真が良い。
一歩引いた、醒めた感じの視線。

ガラス越しではありつつ映り込みはないものもあったが、ここは揃えた方が良かったように思う。
写真としては一番面白かった。

デジタル全盛の世の中で暗室に入ってプリントをしよう、増してやワークショップに参加して修了展まで開こうというのは生なかのやる気では無いと思うが、それにしても熱気の溢れた写真展だった。
粒感もあり、黒も締まったプリント。
意欲が溢れて盛り込みすぎるところなきにしもあらずだったが、初めから枯れてしまっているよりは良い。


2017-10-02 秋祭り [長年日記]

_ WALLOP最強秋祭り2017【STARMARIEの誰かがやらねば】

一時間のトークバラエティと二十分のライブ。 司会は石橋哲也。
浮き世離れした人々の浮き世離れししたエピソードてんこ盛りの一時間。
まさに「ファンタジー」であった。
後半はライブ。 リップシンクかと思ったら、被せ強めだがきっちり歌っていた。
激しく動くので歌を安定させるためには被せは必要悪なのであろう。
見せ物としてきっちり組み上げられており、見事だった。

_ 「WALLOP最強秋祭り〜スマイルオータムジャンボDX〜 ワロップアイドル3組夢のコラボレーション

こちらも前半はトークバラエティ。 司会は佐藤遥(notall)(※訂正しました)
wallopを根城にするアイドル三組のメンバーから「直して欲しいところ」でアンケートを採り、くじ引き形式で箱から引いて話を膨らませる構成。
ソツなく進めてはいたが、引いたカード次第で話が膨らんだり膨らまなかったり安定しない。
CMの間にスタッフから助言があり、何枚かあらかじめ引いておいたカードで話を組み立てるように変えたら、より上手く転がりだした。
このあたりの飲み込みと切り替えの早さは流石。
自分が喋っている間にも、話を聞いている間にも、脳味噌の別の所で次の展開を考えていなければならないのだけれど、それが自然な形で出来ている。

後半はライブ。
椅子有りの形で行う予定だったようだが、片付けさせたい客の声の方が大きかったのでスタンディングに。
寿司詰めと言う程でも無かったので、AKB48劇場のように、前方座りの後方立ち見でも良かったのでは無かろうか。
ステージに高さのある立ち見前提のライブハウスと収録前提の低めのステージと着席観覧前提の収録スタジオでは箱の成り立ちから異なる訳であり、その場所に合わせた観覧スタイルが適用されるべきだと私は考える。
全員立ってしまうと、後ろの方は碌すっぽ見えない。
送り手各位には最大多数の最大幸福を目指していただきたい。

ここの難点として、収録前提のスタジオなので照明が完備されておらず、舞台前方と左右の端を照らすライトが無かったり、プロジェクターで投影する映像を照明代わりにしたりしていたが、今回限りなのか常設なのか天井吊り下げ式の照明が増えており、満遍なく明るくなった。

ライブは三組それぞれの時間の合いだに混成ユニットが挟まる構成。
夏祭りより関係性に深まりがあったようで、より自然に混ざっていた。

notall
大箱でのライブや海外遠征を成功させたこともあり、高いレベルで安定。
やるべき事をしっかりやれる下地があるからこその脱線や暴走もありつつ、しっかり本筋に戻ってくる。
兎に角、客を楽しませる術に長けている。

きゃわふるTORNADO
神咲くるみに或る程度周囲を見るゆとりが出てきており、一生懸命なところ以外も見せられるようになっていた。
目に見えての変化は道地文子で、表情に柔らかさが出て、カッコいいから可愛いまで必要に応じて出せるようになったのはグループとしても大きいのではないか。
宮瀬しおりは「わかりやすい可愛らしさ」を振りまきつつ、会場全体を巨視的に見てやるべき事を考える事が出来ている。
ふざけ合ってもふざけっぱなしにはせずに、まぁなんとか戻ってこられてもいる。
いつもの客だけはない現場を多くこなすことが、グループとしての成長にも繋がっているのだと思うが、苦労性の石川野乃花の肌の張りが良くなっていたので、上手く回っているのだと思う。

notallとCURATIONSが撮影自由なのに対してきゃわふるTORNADOは撮影規制が多いが、それは送り手の考える確固たるビジュアルイメージに反する画像の流布を防ぎたいからなのであろう。
指定ハッシュタグで検索しても石が多めの玉石混淆の感は確かにあり、致し方のない事ではあるが、そのあたりの大人の事情を全て無視しても撮りたくなるくらいの魅力はあるので、偶にで良いので撮れる機会も作っていただきたい。

CURATIONS
一抹の不安を抱かせる所はなきにしもあらずなのであるが、それでも初見の頃から比べると未来の明るさは確実に増していると思うし、ライブ運びも見せ方も良い方向に転がり始めているのは間違いない。
「目標動員のあるライブ」とか「例のヤツ」とか、マイナス要因を逆手にとって告知できるしたたかさも身に着けた。
悲壮感が無い方が客も楽だという事を踏まえたやり方に変えてくれたので気軽に現場に出られる。

どうやら冬祭りもあるようなので、期待して待ちたい。

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2017-09-24 橘が暴れたがってるんだ [長年日記]

_ 『橘まき生誕祭~橘が暴れたがってるんだ。~』(29.09.24)

ここ一と月二た月で目の色が変わり、変化と成長のスピードが上がったCURATIONS。
中途加入メンバーである橘まき、初めての生誕祭。

これまでは前に立つ場面も多くはなかったが、今回は生誕祭と言う事でほぼ出ずっぱり。
それどころか選曲から衣装のアイデアから、様々なところに関与したらしい。

CURATIONSはオリジナル曲が少なく、常に何かしらカバーの楽曲を織り込んでいる訳であるが、今回のライブは新たなカバー楽曲だけで構成。
10月15日の集客目標の有るワンマンライブはこれまでに演った曲の中からのリクエストアワー的な構成にするとの事だが、ここに来て切れる手札が一気に増えたことになる。

生誕祭の衣装は色違いのセーラー服。 リハーサルを終えたメンバーが客の前を通って楽屋に戻る際、毛布上のものでぐるぐる巻きになってまで見せまいとしていたので何かと思ったら、それであった。

薄手の生地でコスプレ感溢れるものではあったが、祭事用としてならアリだろう。
昔同人映画を撮る際に、監督の趣味でオリジナルのセーラー服を仕立てた(流石に自腹は切らせた)ことがあるが、ちゃんと作るとそれなりに高い。

閑話休題。
現役の高校生は一色真衣のみだが、桐谷・橘は黒髪なのと髪型をそれらしくしたので違和感は無い。
春名あかりがどうなるかと思ったが、突き抜けて虚構だったので却ってサマになっていた。

客の習性として「からかう」「ひやかす」と言うのはあって、言われた方はそれ相応に傷つく羽目になるが、洒落にならない程似合っていなければ根多にも出来ない訳であり、割り引いて考えていただきたい。

そのままな感じのセーラー服ではあるので、衣装然とした形に加工すれば、客前で着ても可笑しくはないと思う。

橘まきが考えた「アニソン縛り」と言うセットリスト

1.残酷な天使のテーゼ
2.お願い!シンデレラ
3.緋色のカケラ
4.Don’t say ”lazy”
5.ハレ晴レユカイ
6.それは僕たちの奇跡
7.今話したい誰かがいる

アンコール
もってけセーラーふく

もってけセーラーふく で使うポンポンは、一色真衣が所属するチア部から拝借してきた本物。
知恵と工夫とコネ。 今自分たちで出来る事を片っ端からやりつつ、大人に協力を求める良い循環で動き出していると思う。

終盤に客が用意したケーキや花束が出て来て橘まきを祝福。
悪目立ちしたり出し抜こうとしたりする客もおらず、生誕の仕切りも牧歌的。

橘まきがその成長ぶりを見せつけつつ、和やかに終演。

グループの変革と成長のスピードが急に速くなると、メンバーそれぞれの成長速度との誤差が出て来る。
月城凛花の休演に一抹の不安を感じないでもなかったが、実り多い生誕祭であったことに間違いはない。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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