オリンパスプラザ東京に併設されているオリンパスギャラリーへ。
パリで撮った、モノクロームの写真展。
街の風景や建物の一部、市井の人々の肖像。 これまで様々な写真家が撮ってきたものの延長線上にあるパリなのだけれど、距離感とか切り取り方は中藤流。 礼節のある距離の詰め方。
遠くにエッフェル塔を望んでパリ市街を俯瞰した写真が象徴的。
地平線は斜めなのだけれど視覚的な揺らぎは感じない。
他の写真でも水平垂直に関してはざっくりしているのだけけど、見ていて平衡感覚がおかしくなる写真は無かった。
画面の中の水平垂直に囚われていないのが、却って良いのだと思う。 そう見えているであろう角度から切られた構図。
プリントが実に美しい。 デジタルでのモノクロームなのだけれど、銀塩でも此処迄の物には中々お目に掛かれない。
粒感は適度にあり、諧調も豊か。 「黒」と「黒と灰色の間の色」にある暗部に幅と深みがあり、黒もきっちり締まった「黒より黒い黒」。
自らも暗室に入って、試行錯誤しつつプリントをしているからこそ辿り着けた高みだと私は思う。
写真展の概要や写っている人物の説明で貼られた紙の書体が活字調のもので、これも写真に良く合っていた。
入り口に近いものから順に見ていくと、最後の最後でひっくり返る。 夢のようなノスタルジーの中のパリから、現在の現実のパリへ。 生まれ育った人々のパリから、やってきた人々のパリへ。
行きつ戻りつして見返す。 それもパリであり、これもパリである。
以下は展示内容ではなく、ギャラリーそのものに係る部分の話。
オリンパスプラザが入っているビルの構造上仕方がないのであるが天井が低く、低い天井から更に吊り下げられたライトを直接当てているので眩しい。
一寸離れて見ると気にならなくなる位置を見つけられるのであるが、寄って細部を見ようとすると一寸煩い。
直接は当てないとか、もっと高い位置から当てるとか、やりようはあると思うのだけれど、照明機材の選定にあたって「どう見えるか」について検討したとは思えない。
念の為書いておくと、機材選定に当たっての誤りであり、そこに在る機材での最善を目指してはいたと思う。
床や壁の色調や部屋の明るさ、空調の設定などは良かっただけに、画竜点睛を欠いた感があった。
ともあれ、写真展としては非常に見応えの有るもの。 会期中にもう一度見に行きたい。
宮脇咲良
表紙と巻頭8ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
2012年の暮から、年末発売の号はTakeo Dec.の撮った篠田麻里子か続いていたが、今年はTakeo Dec.で宮脇咲良。
大人びたところを見せたいのだと思うが、目元のメイクが強すぎて些か凶相。
解釈に幅を持たせられる表情、仕草、ポーズ。 この場で求められる宮脇咲良にはなれていて、且つ押しつけがましくないのは良い。
えなこ
巻末5ページ10カット、撮影は桑島智輝。
コスプレの人は「見られたい自分」しかカメラの前で晒さない傾向にあり、その偏狭さに辟易すること暫しであつたりするが、やはりその傾向。
桑島智輝が物撮り的に造形美を切り取って間を持たせている。
PINK! PINK!! PINK!!!
ファッション誌レギュラーモデル10人による巻頭巻末ぶち抜きグラビア。巻頭9ページ、巻末6ページ、撮影はkisimari。
備忘録的に記しておくと、撮られているのは以下の通り。
斎藤みらい(LARME)
日向カリーナ(S Cawaii!)
平尾優美花(Popteen)
遠山茜子(JELLY)
加藤雛V(S Cawaii!)
山崎あみ(with)
杉本美穂(S Cawaii!)
レイニー(LARME)
阿部菜渚美(Cancam)
松元英里花(Ray)
媒体によって求められる写真が異なることが分からないか、撮り分ける事が出来ないか、青年誌のグラビアを見下しているか、その何れか若しくは全てであると思うが、一貫して着ている物を見せる写真。 写真と言うか、塗り絵とコラージュ。
人物が撮れないカメラマンを巻頭グラビアに使う意味が解らない。
体制が変わったのだか何だか分からないが、ヤングジャンプ編集部の迷走ぶりには頭が痛い。
神保町試聴室で年に何回か開催される関美彦主催のライブ。
関美彦セレクトのガールポップ祭りと言った趣。 誰が出るのか気にしなくても外れないので、安心して指名買い出来る。
演者が十分に持ち時間を与えられてたっぷり歌う。
客が熱心な演者が何組か居た所為か、出足は早め。 一寸早めに出てみたが5番目くらい。
受け付けで出演者の誰で予約したか訊かれたが記憶になく、帳面を見たら店舗予約になっていた。 実質的には関美彦予約である。
しずくだうみ
「闇ポップシンガーソングライター」を自称し、「暗い歌ばかり」と語っていたが、暗いと言うより静かと言った方がより適切ではないかと思う。 静かで意志の強さを感じさせる歌声。
DSC_6582 posted by (C)2petri2
曲の合間に譜面を捲りつつ、間繋ぎに訥々と喋るのだけれど、話にしっかり起承転結がある。
撮影した写真の手元を見ると、この人だけ「キーボード的な弾き方」なのが分かる。 ピアノの鍵を押すように弾くので音に角が無い。
DSC_6590 posted by (C)2petri2
歌と喧嘩しないので、私はこう言うのも好きだ。
Chelip
療養中の中村綾に代わっての出演。 喉が本調子では無いこともあってか、緊張の面持ち。
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暖房が石油ストーブだったこともあってか、空気が乾燥して少々埃っぽくもあったので、その辺りも影響していたかもしれない。
何時ものように藤井美音が曲間に喋りに喋って客席を温める。 或る程度お膳立てが出来た頃には井次麻友の表情も柔らかくなり、茶々を入れ始めるとほぼ本調子。
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少々歌い難そうではあったが、本領に近いところは出せていたのではないかと思う。
井次麻友が楽し気に歌い踊れている現場のChelipは、見ている側も実に愉しい。
姫野たま
客を手なずけて巻き込むのが上手い。 前の方に座る自分以外を目当てにしている客を上げたり下げたり。
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地下アイドルを自称し、実際の活動もそこから大きく外れてはいないのだけれど、曲の質が高く、オケもしっかり作り込まれている。
しっかりし過ぎていて、オケに耳が持って行かれる。
ユメトコスメ
華やかで聴く者の気分まで明るくする長谷泰宏のピアノと、ユミの柔らかく優しい歌声。 ちょうどこんな曲が聴きたかったことに、聴きながら思い至る。
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サポートで入ったヴァイオリンも利いていた。
杏奈(ANNA☆S)
姉妹ユニットで出る予定が、色々有ってソロでの出演となったこともあってか、ピリッとした空気で撮りにくい。
撮るのが難しいのではなく、撮るのが憚られる雰囲気。
ソロアルバムのボーナストラックに入っていると言う「ひこうき雲」に息を呑む。
抑えた歌い出し。 ブレスまで含め、発する音全てでの表現。
ギターの東田亮との息もあっており、練りに練って臨んだライブだった事が窺い知れる。
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小林清美 with 山口サララ
Peach sugar snow 新体制準備中の山口サララとK&Mミュージックスクール代表の小林清美。
オケが流れるや、客にライブアイドル的な盛り上がりを要求する小林先生。
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その流れで緊張もほぐれたのか、終始笑顔の山口サララ。
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肩の力が抜けて来ていた。 上手くないのを糊塗しない歌い方も良かった。
小林清美はピアノで一曲弾き語り。 この人の弾き方は指をしっかり立てて、打楽器的と言うか、きっぱりした音。
DSC_6838 posted by (C)2petri2
アイドルとして活動する人、アイドルではないけれどアイドルと共演することもある人、アイドルに楽曲を提供する人、アイドルをプロデュースする人。
様々な出演者が「音楽」で緩やかに繋がっている。 客も自律的で、夫々の流儀で楽しみつつ、聴くべきは聴く。
非常に居心地の良いライブだった。
その他の写真は下記に。
しずくだうみ
Chelip
姫野たま
ユメトコスメ
杏奈(ANNA☆S)
小林清美 with 山口サララ
クリエイションギャラリー箱崎で開催されている写真展へ。
休日は混む(落ち着いて見られない)と踏んで成人の日だった初日は外して二日目に行ってみたのだけれど、中々の盛況。
基本的に一人3点(ゲスト枠的な上野勇と常盤響は多め)。
技術とセンスが有って洒落の解る大人が本気で遊ぶとこうなる。
伊達と酔狂。
惹かれたものから幾つか。
Koujiro KANAZAWA
ピントとかブレとか、そう言ったことがどうでも良くなる写真。
ピントは来ていない乍ら立体感はあり、寄ったり離れたりしながら見ると、眩暈がするような揺らぎも感じる。
こうでなければならない必然を感じるブレボケ。
有末剛
縛る人の縛らない写真。
上気した桜色の肌の湿り気と温もり。
Micchii
寒々とした枯野の真ん中であったり、シャワーを浴びながらであったり、絡み合う男女の熱が伝わる。
生々しくありつつも、さらりとした質感。
錦織智
さっと撮ったようでいて、よくよく見ると厳しい構図。
ピントの置きどころ、深度、露出。 じっくり見ると腑に落ちる、噛むほどに味の出る写真。
ちゃちゃ@佐々木薫
レタッチ過多ではないかと思いつつ、なにか惹かれるものがあり、寄ったり引いたりして眺めているうちに、塗り篭め方の執拗さから描き出されたものが見えて来る。
鏝絵のような、生気の無い美しさ。
末光美幸
常盤響にむしゃぶりつくような体のセルフポートレート。
慌てているようでいて、まんざらでもなさそうであり、躰は冷静。
常盤響の色悪っぷりが愉しい。
ムーニーカネトシ
車の助手席に女性を乗せて、それを運転席から撮った連作をコラージュ的にまとめたもの。
助手席で靴と靴下だけを脱ぐことでエロティックな何かを暗示してしまう発想力にはシャッポを脱ぐ。
Eros は遍在するが、見つけたものの目にのみ映る。
Jelly
特別な人にしか見せない特別な表情。
特別であるからこその抑制。 撮る側も、撮られる側も。
甘く切なく、ほろ苦いもどかしさ。
常盤響
満ち足りているからか、ガツガツしない、枝葉を追わずざっくりと撮った女体。
質感は伝わるけれどカラリとした湿り気の無い写真。
上野勇
キャンバス調の紙に、油彩のようなこってりと濃厚な色乗りのプリント。
「同棲」がテーマになっていて、最終的に目指すところは一つでありつつ、焦らし焦らされる仄めかしとはぐらかし。
殆ど脱いでいないのに匂い立つ色気。
眼福。
R18指定ではあるが、見ていて嫌になる様な表現は(少なくとも私には)無かった。
今年も面白いもの詰まらないもの、唸らされるもの首を捻らざるを得ないもの、息を呑むもの唾棄すべきもの、様々な写真展を見た。
それぞれの感想などは「2016 写真展まとめ」に。
見た後で「写真を撮ろう」と前向きに思えた写真展としては。
石川栄二写真展 「みずとか はなとか はっぱとか」
檜画廊写真展「街の記憶・建物の記憶」
写真展「私的写真集選手権」Vol.4
舞山秀一写真展 [progress]
写真展 『’Inhabitants’ 居住者』
ササガワ ヨウイチ写真展「ヨコハマ モダン スタイルズ」
人そのものより「人の気配」を感じられる写真が私は好きなのだけれど、それをどう切り取るかについて自分とは違う視点で撮られたものを見た後、どう写るのか試してみたり、考えたり。
女性を撮ったものとしては
村田タマ写真展「いまは、まだ見えない彗星」
村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展
七菜乃写真展 私の女神たち -My Venuses-
it’s me 桑島智輝 × 杉本有美
村田兼一「魔女の系譜」出版記念展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
私には撮れない種類の写真なので、感嘆するほかない。
村田兼一の写真展は、二度とも財政がカツカツの状態で観に行き、熱に浮かされるように写真集を購ってしまって大変なことになった。
七菜乃の撮る女性の躰は、現実でありつつもそうでない何かのように見える不思議なものだった。
写真展と言うものの企画の仕方、運営の仕方について考えさせられたものとしては
声かけ写真展
『シースルー写真展』1・2
月刊槙田紗子×魚住誠一写真展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」
Photo Infinity Tokyo 2016
声かけ写真展は、主催者の趣味嗜好を肯定し喧伝するために、故人を含めた撮影者を利用主義的に扱うところからして不快だった。
被写体がアイドル(もしくはそれに準ずるもの)である写真展でありがちだったのが、写真には用が無くて被写体と接近遭遇を目的とした来場者が多く、写真の前を塞いで屯してしまうこと。
そう言う人がが寧ろ写真の購入者であったりはするので、無碍にも出来ないのであるが。
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」は、ミスiDと言う出鱈目な企画の派生イベントらしいいい加減さで、写真を見せると言う事について殆ど何も考えていないに等しい見辛さだった。
Photo Infinity Tokyo 2016は写真そのものの質は悪く無いのだけれど、飲食店街と仕切りなしで接しているので見る環境としては最悪に近かった。
小林幹幸はもっともらしい発言の割に、やっている事は雑なのがいただけない。
圧倒されて帰ってきたものとしては
ZOO 舞山秀一 写真展
東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13
刺激を受けるとかそう言うレベルのものでは無く、頭を抱えて帰宅。
今年は神保町画廊、ギャラリー・ニエプス、 tokyoarts gallery などに足を運ぶ機会が多かったが、秋口に東京都写真美術館が(多少問題はありつつも)再開され、年明けにはルーニィが広くなって小伝馬町に移転。
来年はアンテナをより高くして、写真を見て行きたい。
小伝馬町へ移転してしまうと言う、四ッ谷四丁目のルーニィへ。
地下鉄駅の高い天井、ショーウインドウのチャイナドレスの裾のスリットからちらりと覗くマネキンの脚。
欄干であったり敷石であったりタイルであったり、街の中の様々な意匠。 そしてそこに佇んだり、通り過ぎたり、腰掛けて寛いだりする人々から滲み出る「モダン」。
何処で撮られたのかよく分からない風景の中に切り取られた、横浜ならではの「モダン」が写し取られたものが、実に良かった。
横浜税関や赤レンガ倉庫などの良く知られた建物や、どこで撮られたか類推できる文字情報の入った写真も悪くはなかったが、そうしたものが入り込まない方が、街そのものに通底する「モダン」が分かり易く出ていたように思う。
目を惹く物が画面内にあると、どうしても幻惑されてしまう。
ともあれ、見応えの有る写真展ではあった。
「良く知られた建物」「文字情報」この二つを省いて或る特定の街(今日見た写真展では横浜)の特性を感じさせる写真を撮る試み。
これは一寸面白いのではないか。
そんなことを考えた。
サキドルエース サバイバル
巻頭から巻末まで、16ページ。 撮影は細居幸次郎。
アイドルグループの代表が読者の投票で巻頭ソログラビア登場権を争う企画。
・プレゼントページに付いている読者アンケート葉書による投票
・投票項目以外のアンケートに対して無回答だと無効
・掲載順は籤引き
・ミューラーンと三愛水着楽園の衣装協力で、水着はより取り見取り
発売日から各陣営の買い占め合戦が始まり、素材がどうこう、グラビアとしての出来がどうこうではなく、現金での殴り合いになっている。
郡司英里沙 (pimm’s)
侑杏 (PREDIANNA)
涼本奈緒 (atME)
加藤桃花 (バクステ外神田一丁目)
安藤笑 (愛乙女☆DOLL)
鹿目凛 (ベボガ!(虹のコンキスタドール黄組))
黒宮れい (The Idol Formerly Known As LADYBABY)
キャン・マイカ (GANG PRADE)
八木ひなた (ぷちぱすぽ)
甘夏ゆず (バンドじゃないもん!)
(※掲載順)
それぞれが選んだ水着とステージ衣装。
スタジオでの流れ作業の撮影なので、細居幸次郎が撮っているとは言えヤッツケ感は否めない。 破綻はしていないが質的なものは望むべくもない。
メイクもよろしく無い。 引き出すメイクではないので、メイクとの相性で印象がガラリと変わってしまう。
相性が悪かった者はとんだ貧乏籤。
多少の波はありつつも、指名買い出来る安心感はあったヤングジャンプであったが、2017年は3号続けて冴えないグラビアが続く。
挙句、こうした課金収奪企画。 突発的に売り上げが上がっても、中身が伴わないと先は無いのではないか。
ほのか
巻頭6ページ14カット見開き1か所、巻中3ページ4カット、撮影は唐木貴央。
投票企画優勝のご褒美で巻頭・巻中ブチ抜きグラビア。
撮る側も気を付けてはいるのだけれど、強い光に弱い。
眩しがるのを誤魔化すと歯見せ笑顔になり、表情が固まってしまう。
表情として評価できるのは巻中2ページ目上段くらい。
しかし煽情的なところを狙ったのかポーズで無理をさせ過ぎている。
唐木貴央も、こう言う撮り方は講談社だけにして欲しいし、編集する側もそうならないようなお膳立てをすべき。
大園桃子
巻末4ページ14カット、撮影は藤本和典。
とりあへず笑っておきました的な表情が殆どだが、それ以外の表情は良い。
しかし、その「良い表情」は小さく使われており、素材を生かし切れていない。
年が変わって最初の号で編集者の力量不足が出ると言うのも幸先が悪い。
桜井日奈子
表紙と巻頭8ページ18カット、撮影は藤本和典。
ああそうですかとしか言いようの無い8ページ。
何かしら作り込まないとカメラと向き合えないところに、闇を感じる。
良し悪しではなく、生理的に受け付けず、目が見ることを拒否する。
石塚汐花
巻末5ページ6カット、見開き1か所、撮影は細居幸次郎。
「はにかみ温泉旅行」と題して浴衣やら水着やら。
5ページながら見開きで2ページ使う思い切った構成。
笑顔は一種類なのだけれど、カメラとしっかり向き合えているのは良い。
上手く撮り、撮られている。
夕方から tokyoarts gallery へ。
先日、大和田良ゼミ第6期修了制作展を見に行った際に教えていただいた写真展。
最終日の終了間際だったがとりあへず寄ってみたら、思った以上に良かった。
空いている時間帯に来て、じっくり見るべきだった。
大和田良によって撮影された、酒井法子の30周年コンサートの模様。
上から降り注ぐ照明の光、場内の熱気。 演者だけでなく、観客やスタッフを含めたコンサート全体の雰囲気、空気を写真に閉じ込めている。
演者に寄って撮ったものもあるが、引いた構図が実に良い。
酒井法子も、薹は立ってきているものの節目のコンサートとあって流石に仕上げては来ており、きっちり「舞台の上に立つ人」としての威厳が現れていた。
大和田良の上手さはその「薹が立った」部分を糊塗せず、年相応の美しさとして写真にしているところ。 客席も写ってはいるのだけれど晒す感じではなく、コンサートの一部として扱っている。
移動の自由、撮影の自由を与えられていたからこその写真だとは思うが、唸らされた。
下北沢のバロンデッセギャラリーで開かれている、クラウドファウンディングで資金を調達して行われたもの。
昭和の雑居ビルの三階部分。 天井が低いので照明に俯角を付けられず、一寸見づらいのだけれど、そこは建物自体の雰囲気と相殺。
良くも悪くも魚住誠一と言う感じ。 構図も角度も突き詰めない撮り方。
緊張を強いないので表情そのものは柔らかく、諧調も豊かだが、どの角度から撮れば映えるかについての試行錯誤はないので写真そのものは単調。
単調な写真をズラリ並べた、弾幕を張ったような写真展。 それでも良い人は多いようで、私以外の皆さんは楽しそうに見ていた。
クラウドファウンディングで資金を募って沖縄ロケをしつつ、水着の上にTシャツ一枚着る以上の露出はしない槙田紗子の筋の通し方には感心した。
下北沢から神保町へ移動。 閉廊間際に神保町画廊に駆け込む。
阿部定事件と津山事件をモチーフにした連作。 カメラマンやらモデルやら、身の回りの友人知人を集めてそれらしい恰好をさせ、それらしい場面を組み立てて絵を作り込む。
衣装から小道具からロケーションまで、凝る部分は凝っているのだけれど、それ以上どうしようもない部分への割り切りもさっぱりしており、程が良い。
髪型や化粧は現代人のだけれど、「それらしく」見えてしまう匙加減の妙。
猥雑であり、陰惨でもあるのだけれど、思わず笑ってしまうような滑稽味。
今月も書評イベント的なものに混ぜていただいた。
日の暮れ方に東神奈川へ。 諸式高騰の煽りで、日栄軒は11日から値上げ、ネギ大盛りも有料になるとの事。
世知辛さを噛み締め乍ら会場へ。
私以外の十冊はこちら
丸岡巧
久世光彦「卑弥呼」(2000/新潮文庫) ※親本・1997/読売新聞社
サイプレス上野「ジャポニカヒップホップ練習帳」(2016/双葉社)
大槻ケンヂ「おまけのいちにち(その連続)」(2015/PARCO出版)
とり・みき「メカ豆腐の復讐」(2016/イースト・プレス)
大塚幸代「初恋と座間のヒマワリ」(2013/リイド社) ※電子書籍のみ
小林銅蟲「めしにしましょう」1巻(2016/講談社イブニングKC )
山名沢湖「結んで放して」(2016/双葉社 ACTION COMICS )
施川ユウキ「バーナード嬢曰く。」3巻(2016/一迅社 REX COMICS )
小原愼司「青猫について」1巻(2016/小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル)
太宰治「人間失格 グッド・バイ 他一篇」(1988/岩波文庫)
倉庫の二階・村田席亭
大西信行「正岡容 -このふしぎな人-」(1977/文藝春秋)
マイウェイ昌彦「人気独占! 拍手のあらし ザ・一人芸」(1989/高橋書店)
マイウェイ昌彦「みんなで楽しめる ザ・宴会芸」(1989/高橋書店)
種村季弘「徘徊老人の夏」(2008/ちくま文庫) ※親本・1997
「月刊シナリオ教室」2016年12月号(シナリオ・センター)
「短歌」2016年12月号(KADOKAWA)
「幸縁会会報」平成28年12月1日号(談幸幸縁会事務局)
小島なお「歌集 サリンジャーは死んでしまった」(2011/角川書店)
川上ゆう「ソノ先が、知りたくて」 (2016/双葉文庫)
亜衣まい「【朗報】ソープ部の顧問になったんだけど研修といってエロいことするの楽しすぎwww」(2014/ぷちぱら文庫 Creative)
ドジブックス・佐藤晋
夏目漱石「吾輩は猫である」(1990/岩波文庫) ※改版
吉本隆明「読書の方法 なにを、どう読むか」(2006/光文社知恵の森文庫)
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」(2007/廣済堂)
猪又孝・編「ラップのことば」(2010/ブルース・インターアクションズ)
クリス松村「「誰にも書けない」アイドル論」(2014/小学館新書)
井上二郎(チャーミング)「芸人生活」(2015/彩図社)
爆笑問題 町山智浩「自由にものが言える時代、言えない時代」(2015/太田出版)
MELODY KOGA 「やさい」(2016/ MARUTENN BOOKS )
「漫画アクション」2016年12月20日号 ※こうの史代×のん スペシャル対談 (双葉社)
「悲劇喜劇」2017年1月号 ※特集・落語と演劇 (早川書房)
私の十冊は、こんな感じ。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
久世光彦「卑弥呼」は、読売新聞の夕刊に連載されていたもの。
「吾輩は猫である」の手法を取り入れて書かれており、時代の風俗を鏤めたり、文学小ネタを織り込んだりしてあるとのこと。
後書きの先にある新潮社の出版物紹介のページ。 久世光彦の著作の後に作品の中で触れられた著作がズラリ並んでいるのも面白い。
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」は、ですます調の淡々とした文章で血生臭いあれこれがサラリと書かれているのが却って恐ろしい。
そんなこんなで「何が」「どう」琴線に触れたか話しているうちに、他の人の選んだ別の本との関りが出てきたりする。
面白かったのは、著作に接している人とツイートでしか知らない人とでは所謂「サブカル蛇おじさん」の評価が異なっていたこと。
私なんぞは、あのプライドの高い人特有の、自分の好きなアイドルを肯定するためにそれ以外を否定するような振る舞いが嫌いなのだけれど、著作に親しんで来た人は同情的。
逆に松谷創一郎については、ツイートと書いた記事でしか知らない人は否定的、私は多少付き合いがあり「数字には強くて理詰めの文章は書けるが、人情の機微にとことん疎いしょうがない人」と言うのがあるので「まぁまぁ」となる。
そう言うものなのである。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
AKB48の正式名称が"Akihabara48"だった頃、劇場で販売されていた冊子。
2006年の2月19日発売。 (1stシングルの「桜の花びらたち」は2/1発売)
AKB48のシステムの紹介(実際にはそうならなかった1軍2軍システム)、公演楽曲とメンバーの紹介、コラム、客が撮ったお台場イベントの写真コンテスト。
このコラムを書いているのが、後述する岡田隆志。
奥付のSpecial Thanks に電通から12人、電通テックから1人。
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
今年の春に日刊スポーツから出た、公式10年史。
かなり綿密に、運営側には都合の悪そうな事も含めて取材されている良書。
初期の客を集めて昔話をさせる座談会に呼ばれて行ったが、相当マズそうな事以外はだいたい反映されていて驚いた。
これの編集にも岡田隆志。
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
岡田隆志が編集長を務めていたアイドルと芸能スクールのミニコミ誌。
表紙と巻頭にアイドル時代の浜崎あゆみ、「お芝居がやりたい。歌はそれからでいい」
エッセイに、後に椎名林檎になる人。
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
草創期のAKB48の活動は、劇場公演と呼ばれて出た外部イベント(電通が絡んでいるのでCMなどのタイアップは当初からあった)のみ、後ろ盾はあったものの知名度は低く、マキタスポーツの言うところの「第二芸能界」にあるグループだった。
それが売れ出すとテレビに出られる連中と出られない連中に分かれて来る。 出られる連中は知名度が上がり、外部の仕事も増える、出られない連中は劇場公演に出続けて、そこで見つけてもらうしかない。
(当時はまだ「握手会」が仕事の殆どと言うバカバカしい状況にはなかった)
劇場公演に外部仕事で穴をあける連中の代演に如何に出られるようにするかに特化して努力を重ねて一定の成功をみたのが仲谷明香。
その後AKB48を辞め、事務所も辞める際にはきな臭い話も有ったが、新しい事務所に移り、とりあへずは声優として飯を食えている。
現在は劇場公演での出来不出来より、握手会での社交性がのし上がる為には必要になってしまい、また握手会対応で相対的に客がついても、絶対的な人気の量には繋がらない八方塞がりの状況にある。
なので第二芸能界の住人であるメンバーが立つ瀬も浮かぶ瀬も無く、それに絶望してか辞めて行く連中が近年になく多い年となったが、それはまた、別の話。
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
萩原朔太郎の短篇小説3本と散文詩13篇、随筆2篇が集められたもの。 紙幅の1/3くらいが解説に充てられている。
表題作の「猫町」は道に迷った際に既知の街並みが未知の街並みに感じられるさまを幻想的且つ何かに酩酊したかのような筆致で描いたもの。
それを絵本に仕立てたのが金井田英津子の「猫町」。
絵だけでなく、書体やレイアウトも含めて物語の怪しげな感じを視覚的に伝える為に組み上げられている。
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
レーシングカーデザイナーとしてインスタントコーヒーのCMに出て「違いの判る男」になっていた人がカーグラフィックに連載していた落書き随筆をまとめたもの。
宮崎駿の雑想ノートと並ぶ良書。 車だけでなく、飛行機や船まで、動くかっこいいものについて描いているのだけれど、線画だけの雑なイラストが三次元的に生き生きと描かれている。
P107からの「オタクについて」の項。 オタクというものの由良拓也なりの解釈は「没入する深度」にあるような文章。
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
「正岡容を浅草で語る」の会で触れられた、安藤鶴夫的な演芸との向き合い方と正岡容的な演芸との向き合い方、本寸法ではないけれど愛おしい芸をどう評価するかについて考えつつ、本棚を整理していたらこの号が出てきた。
アンツル的な落語の対極にあるもの。
快楽亭ブラック師の除名と大病、立川談笑師の真打昇進がトピック。 談笑師の弟子は、トンデモ落語会から離れて以降の高座を見た人々なので、この頃の芸風は知らない。
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
フォトテクニックデジタルの連載を纏めたもの。
カラーで撮ったものと、モノクロで撮って彩色したものとあるのだけれど、彩色したものが私の好みに合う。
必要なところにしか色を乗せていないので、色が五月蠅くない、邪魔にならない。
カラーで撮った物にも通底していて、余計な色が無い。
この写真集に絡めて神保町画廊の話など。 この写真集も出版記念写真展の際に購ったものであり、年間を通して面白い写真展を開催している。
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
現在開催中の写真展。 こちらについては別項にて。
仕事帰りに両国へ。 六時半開演と一寸早いので開演した頃合いに到着。
「猫の皿」小柳
「ポンコツラーメン」(仮)可風
「犬の目」鯉太
「代書屋」笑好
中入り
「皿屋敷」桃之助
「バッタもん歌謡ショー」鯉太
「竹の水仙」和光
よく笑うお客さんが二人いたので、人数以上に笑い声が多い。
この会の良いところは、寄席が本来持つ美点であったものでありつつ、諸式高騰した昨今ではなかなか分かりにくい部分である「金のかからない、くたびれない暇潰し」が常にあること。 木戸千円で二時間半だらだらして、へらへらと、解釈せず考えずに只々笑って過ごせる。
仕事帰りに神保町へ。 本屋で買い物を済ませ、開場時間を少し過ぎたころに会場着。
開演五分前くらいには出してあった椅子は埋まり、追加の椅子も出て、〆て30人くらいの入り。
静かに開演を待つ。
白湯の入った蓋つきの湯飲みが茶托とともに置かれ、捲りがめくられて神田愛山になったところで開演。
足元を確かめるようにゆっくりと高座に上がり、座布団を直し、釈台を直してから、確かめるようにバン、、バンッと張り扇で釈台を二回叩く。
これか愛山先生の形。 静かに近況などから語り始める。
先輩である立川談四楼師匠の新刊が二冊出て、そこに愛山先生に関する記述があり、良く書かれていることなど。
自虐的でありつつ誇らしげでもある。
「徳川天一坊 龍の夢」
大阪城代から京都所司代、老中幕閣から大岡越前まで、ここまで巧みに言い包めてきた山内伊賀亮。 自らの弁舌・知識以外の部分から出た綻びを、ちょっとした「兆し」から観て取り、事破れたと察してからの独酌。 酒の苦みまで伝わる。
潔く負けを認め、自らの美学に則って恬淡と身を処す決断をするところまで。
召し取りの手前のダレ場になりそうなところでありつつ、得意の絶頂にある伊賀亮が、ふとしたことから事露見と覚るに至るまでの心理描写が細やかで、引き込まれたまま最後まで。
中入り無しで、続けてもう一席。
「講談私小説 真剣師」
一つの躓きから酒に溺れる講釈師が行きつけのスナックで一人の真剣師(賭け将棋を生業とする人)と出会い、郷里でアルコール依存症治療の療養中に週刊誌に載った訃報に接する迄の、暗くやるせない日々を綴った私小説仕立ての講談。
酒に溺れ、酒に苦しみ、酒を絶てたからこそ描ける、どうしようもない酒飲みの姿。
時折混ぜっ返して空気を入れつつも、終始どんよりと。 それでも最後までダレずに聴けてしまう。
愛山先生の酒にまつわる話の厄介なのは、不味い酒が飲みたくなってしまう事。
調子を上げたり声を荒げたりすることは殆どなく、そうであることを仄めかしつつ、低く淡々と読み進める。
だから聴いていて草臥れ過ぎない。 心地よい疲れの中、帰宅。
次回の開催は一月。 天一坊もいよいよ最終回。
写真美術館へ向かう前に tokyoarts gallery へ。
面白かったものを幾つか。
小林直樹
モノクロームで6点。
建物の描く縦と横の線で画面を構成。 組み写真として巧い。
飯田夏生実
モノクロームで9点。 あっさりしたプリント。
団地を、一歩引いて撮ったような、ふわりと鼻をかすめるような生活感。
稲村泉
ラルティーグのポートレート作品を再現したような小品が面白かった。
黒の濃い、濃密なプリント。
写真もまだまだ撮りようはあるのだなぁ、と、視野の広がる写真展だった。
改装成った東京都写真美術館へ。
3階で開催中の「TOPコレクション 東京・TOKYO」も気になったが、脳味噌が飽和しそうだったのでこちらだけ。
中藤毅彦
今回はデジタルカメラで撮影したものであるとのことだが、フィルムで撮ったような風合いの、粒感のあるザラついた硬めのプリント。
ストリートスナップが中心。 撮ろうと思ってから撮るまでが早い写真。
たなびく無数の日の丸の小旗、雪の九段上など、特定の因子を含んだ写真を並べることで見る者に何かを感じさせるようなものもあり、見上げた夜空に浮かび上がる聖橋であったり、上野と思しきガード下のラーメン屋の横で抱擁し接吻をする中年男女であったり、一枚で語り切るものもある。
高い建物の上から東京を俯瞰した写真の中央を横切る烏の写真。
地平線は斜めに切り取られているが、烏は右から左へ真っ直ぐ飛んでいるように見え、水平の感覚が揺らいでくる不思議な感覚に捉われた。
佐藤信太郎
デジタルカメラで撮影された何枚かの写真を繋ぎ合わせる事によって作られたパノラマ写真。
富嶽三十六景のように、どこかしらにスカイツリーが写り込んでいる。
建設中の頃のものもあり、今年撮った物もあるので、震災前後の記録のようにも見える。
雷門を西側のビルの上から見下ろして撮った三社祭の宮入りであったり、荒川土手の北側から撮った足立の花火であったり、東京の四季を切り取った絵巻物のようでもあり、パノラマでしか遺せない種類の写真。
離れて愉しく、寄って面白い。
京島の長屋越しに撮った二点に、特に惹かれた。
小島康敬
普通の風景の中に、何か引っ掛かるものが潜んでいる。
そこに在って当たり前だと思っていたもの。 例えば東急東横線渋谷駅ホームであったり、今はもう走っていない型の都バスであったり。
古びていない色のカラー写真なので、その異物に気付きにくい。
元田敬三
街で出会った悪そうな子、悪そうな大人に声を掛け、話をして撮った写真。
私の苦手な部分の「東京」だが、こう言う形で見ると面白い。
添えられたキャプションが利いている。 一行の文章で写真が動き出す。
野村恵子
この一角だけ照明が落とされ、暗がりの中で写真だけにスポットが当たっている。
周辺光量が落ちた写真であるのも相俟って、文字通り「浮かび上がる」よう。
この光景まで含めての作品であり、仕方のない事ではあるが、図録では感じられないのが残念。
人物と風景、人物と静物を組にしていたのは何らかの寓意が有ったのか無かったのか。
田代一倫
街で出会った人に声を掛け、許可を得て撮ったポートレート。
屋内は横位置で上半身、屋外は縦位置で全身、被写体は中央に配して、ほぼ決まった構図で撮ったものの集積としての面白さ。
訝しむ人、戸惑う人、照れる人、気を呑まれる人、微笑む人etc...
撮られた人の反応が写っている。
改装後の写真美術館は、脳味噌のむず痒くなるような「トップミュージアム」なる愛称であったり、整理され過ぎて却って分かり辛いチケット売り場であったり、入りやすくはなったが場所が辺鄙になったミュージアムショップであったり、軽くお茶でもとは到底思えない飲食施設の敷居の高さであったり、少なく硬いベンチであったり、改悪に等しいところもあるが、展示室の見易さについては及第点。
ライトが高い位置から当たる為、必要な光量で照らされていつつ、眩しくはないのは良い。
図録は同じもの乍ら、出展者六人それぞれの表紙カバーが掛けられたものが用意されていた。 面白い試み。
私は中藤毅彦のものを購入。
恵比寿からバスを3本乗り継いで四谷四丁目へ。
ギャラリーニエプスで、Jiye Kim(キム・ジエ)、Venelina Preininger(プライニンガー・ベネリナ)、Gueorgui Tcherednitchenko(チェレドニチェンコ・ゲオルギ)による三人展を見て来た。
英語を話さない(話せない)日本人と思しきお客さんが居た所為か、共通語として日本語が話されていたのが面白かった。
キム・ジエはモノクロ作品の黒と白の使い方に、チェレドニチェンコ・ゲオルギ は被写体との向き合い方に、プライニンガー・ベネリナは被写体の切り取り方にそれぞれ特色があり、特にプライニンガー・ベネリナは色遣いから構図の切り方から、「丁度見たかった写真」。
バスの中、椅子に座った女性のスカートから靴までであったり、人の身体のうち顔以外の一部を切り取っていて、見えない部分への想像が膨らむ。
静かに興奮した。
朝飯代わりに蕎麦を手繰ってゆるゆると、九時過ぎに到着。
出足は悪かったがまずまずの入り。
「義士銘々伝 前原伊助」一龍斎貞橘
今聴きたい講釈師を三人挙げろと言われたら、若手では貞橘先生を入れる。
硬すぎず柔らかすぎず、程が良い。 脱線が過ぎてとっちらかりそうになることもあるが、踏み外さずに最後まで持って行く。
暮れなので義士伝。 銘々伝でもあまり掛からない前原伊助。 荒唐無稽、史実とはだいぶ異なるようではあるが、物語としては面白いところ。
昨日の貞橘会では本伝の「二度目の清書」を演ったそうで、聴いてきた知己の評によると「昨日の清書は良かったけど、今日ははあんまり」との事であったが、悪いなりに良い今日のようなのも私には愉しい。
「 難波戦記 長門守木村重成の最期」旭堂南海
嫁となる青柳との馴れ初めと今生の別れ、重成の討ち死にから首実検まで。
柔らかく始まり、引き締まって終わる。 兜に香を焚きしめた逸話など、しみじみ聴く。
上方講談ならではの読み物。
泉里香
表紙と巻頭8ページ11カット、巻中前半4ページ7カット、撮影は阿部ちづる。
遅れてきた大型新人的扱いで計12ページ。 どこかで見たような・・・と思ったら、元の浜千咲であった。
モデルとしての仕事歴が長く、自分を見せる仕事も服を見せる仕事もしてきているので、「青年誌初水着」と煽るものの初々しさは無く、良く言えば堅実、悪く言えば手慣れた感じ。
とは言え過不足なく商売用の自分をカメラの前に提示して見せる仕事ぶりは流石としか言いようもなく、阿部ちづるは据え膳を食った感じ。
煽情的ではありつつ、品はある。
馬場ふみか
巻中後半3ページ4カット、撮影は熊谷貫。
期待していたのだけれど、晴天の海辺と言うどうにも撮りようのない状況で3枚。 木陰で撮った一枚はなんとか見られる出来。
こういう形で事務所に殺されるとは思わなかった。
実に勿体無い。
南りほ
巻末4ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
「ウエスト48cm」と言うカタログスペックを煽り文句にしているが、それをことさら強調するような不自然な格好はさせていないのは良い。
左右ではなく、前後方向に細いので絵にし難い。
水着での撮影は初めてとの事なので、無理はさせなかったのだと思う。
そんな訳で表情は硬く単調なのだけれど、映える角度とタイミングを探して何とか使えるカットを揃えている。
こなれて来れば、また違った撮られ方になると思う。
先月見に行った好事家が集まってその月に読んだ本十冊について語り合うイベント。
今月は出る方に混ぜていただいた。
喋る人は丸岡巧(漫画家/イラストレーター)、倉庫の二階 村田席亭(演芸コンサルタント)、墨田ペトリ堂(好事家)。
司会はドジブックス 佐藤晋(古本屋)
それぞれのリストは以下の通り。
丸岡巧
ロマン優光「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」(2016/コア新書)
町山智浩「さらば白人国家アメリカ」(2016/講談社)
畑中純「愚か者の楽園」(2000/新潮社)
いましろたかし「新釣れんボーイ」(2016/エンターブレイン)
彩瀬まる「神様のケーキを頬ばるまで」(2016/光文社文庫) ※親本・2014
村上春樹「職業としての小説家」(2016/新潮文庫) ※親本・2015/スイッチパブリッシング
広瀬和生「僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集」(2016/淡交新書)
立川志らく「雨ン中の、らくだ」(2012/新潮文庫) ※親本・2009/太田出版
「落語とメディア」展パンフレット(2016/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館)
「この世界の片隅に」劇場パンフレット(2016)
倉庫の二階 村田席亭
スペンサー・ジョンソン「チーズはどこへ消えた?」(2000/扶桑社)
吉行淳之介「夕暮まで」(1982/新潮文庫) ※親本・1978
天津木村「天津 木村のエロ詩吟、まだまだ吟じます。」(2009/河出書房新社)
朝井リョウ「少女は卒業しない」 (2015/集英社文庫) ※親本・2012
加藤千恵「卒業するわたしたち」(2016/小学館文庫) ※親本・2013
川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」(2006/新潮文庫) ※親本・2003
春日太一「鬼才 五社英雄の生涯」(2016/文春新書)
ロマン優光「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」(2016/コア新書)
市川しんす アダム徳永・監修「スローセックス相談所」(2010/講談社)
愛内なの「どんな時でも巨乳女子と子作りOK!! ~目が覚めたら全ての女が俺に惚れていた!?~」(2016/ぷちぱら文庫 Creative)
ドジブックス 佐藤晋
外山滋比古「思考の整理学」(1986/ちくま文庫)
内村光良「アキオが走る」(1996/角川書店)
村田席亭「業務日報」1~5巻(2006~2008/倉庫の二階)
矢野誠一「落語とはなにか」(2008/河出文庫)
南原清隆「僕の「日本人の笑い」再発見 狂言でござる」(2010/祥伝社)
丸山健二「田舎暮らしに殺されない法」(2011/朝日文庫)
前田敦子「前田敦子の映画手帖」(2015/朝日新聞出版)
「ユリイカ」2016年6月号 ※特集・日本語ラップ (青土社)
「BRUTUS」2016年11月15日号 ※特集・漫才ブルータス (マガジンハウス)
「ヒトハコ」創刊号(2016/書肆ヒトハコ)
墨田ペトリ堂
成島柳北「柳橋新誌」(1987/岩波文庫)※1刷1940
齋藤緑雨「かくれんぼ 他二篇」(1991/岩波文庫)※1刷1939
大杉榮・伊藤野枝「二人の革命家」(1985/黒色戦線社)
子母澤寛「味覚極楽」(昭和63年/中公文庫)
青木正児「華国風味」(1984/岩波文庫)
平井正「ゲッベルス」(1991/中公新書)
太宰治「もの思う葦」(昭和54年/新潮文庫)
立川談志「談志楽屋噺」(1990/文春文庫)
東京都写真美術館「ドキュメンタリーの時代 名取洋之助・木村伊兵衛・土門拳・三木淳の写真から」(2001/財団法人東京都歴史文化財団)
JOHN R.BAIRD「collecters guid to KURIBAYASHI-PETRI cameras」(1991/CENTENNIAL PHOTO SERVICE)
全ての本について語り切れるはずもなく、それぞれが選んだ十冊について簡単に説明した後、旬な話題にまつわる本などから。
ロマンポルシェが「浅草おにいさん会」にどの時期からどういった経緯で出演していたのかの検証から騒動の経緯を考えたり、広瀬和生「僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集」から落語家同士の対談があまりない理由を考えたり、縦糸と横糸が意外な形で織られて行って、思いもつかなかった図柄が現れたり、有意義な3時間だった。
日本語ラップのルーツが企画もののノベルティーソングにあり、新しいジャンルの音楽が持ち込まれる際にはえてしてそうなってしまうと言う話。
日本語をリズムに乗せようとすると、どうしても阿呆陀羅経のような音頭のような感じになってしまい、その実例とそこから抜け出す苦労を実際の音源から辿れたのも有意義だった。
予想通り聞いているだけより話の輪に入った方が愉しい。
私が興味を引かれたのは丸山健二の「田舎暮らしに殺されない法」。
一文の長さが異常で噛んで含んで回りくどく、ねちねちと読者を殺して行く理想の文章。
これは探して買いたい。
混むであろうと踏んで早めに出て、九時前には着いたのだけれど既に蕎麦屋の先まで列が伸びていた。
こうなると椅子席は選びようがないので久しぶりに桟敷へ。
百人から入ったとの事。
「中村仲蔵」神田松之丞
門閥の無い役者が努力と機転で這い上がっていく様に焦点を当てた演出。
仲蔵を押し上げていくものが「四世団十郎の引き立て」「己の力」「客の後押し」に絞られていて、女房のお岸も師匠の伝九郎も出て来ない。
蕎麦屋で見本になる侍と出くわす時も観察するのみで会話は無し。
主題を「大部屋の役者がのし上がっていく様」に絞って枝葉を削り、幹を太らせて力技で押して行く。
話をぬるくする要素は徹底して省かれ、仲蔵は苦悩を通り越して苦悶の体。
役の工夫は成功するのだけれど、これで安泰とは到底思えない。
よかったよかったにはならない重い一席。
「名人小團次」一龍斎貞寿
善意を善意として受け取れなかった若き日の過ちのエピソードから、時が経って初めて判る人の心について語り、熱せられた客席を常温まで戻してから読み始める。
モールス信号のように細かく刻むリズム、丸いが角はある発声、芝居掛かった科白廻し。 しみじみ聴く。
貞心先生の口調を消化しつつ、貞寿さんなりの講談を読めるようになって来ているタイミングでの真打昇進。
大入りになるのも納得の二席。
私の好みに合うか合わないかと言う話になると、まぁ合ったり合わなかったりなのだけれど、凄いものを見たのは間違いない。
石川恋
表紙と巻頭7ページ21カット、撮影はLUCKMAN
連載漫画連動グラビア、スカジャンやら特攻服やらを着せてストーリー仕立てにしてあるのだけれど、些か説明的に過ぎる。
更にいただけないのはメイクが濃く、表情がきつく見える事。
マンガの方に引っ張られ過ぎて被写体を殺している。
石川恋は編集者の意図に則った小芝居。 煽情的に撮られるコツは弁えていて、なんとか間を持たせている。
内田理央
巻中3ページ6カット、撮影は今村敏彦。
2冊同時に出す写真集の片方から。
今村敏彦らしい、生きた表情。
鈴木絢音
巻末5ページ15カット、撮影はTakeo Dec.
こちらも連載漫画連動。 秋田出身の鈴木絢音を秋田で撮影。
鄙には稀な美形を都会の絵の具で染めずに撮った、80年代の英知出版のようなグラビア。
衣装に野暮ったさが無く、浴衣の裾をたくし上げるくらいで(例によって)露出度は抑えめなので、騙されたような、借金のカタにされたような、じめじめした陰惨さが無いのは良い。
兒玉遥
表紙と巻頭13ページ17カット、見開き1か所、撮影はTakeo Dec.
写真集の other cut で構成。
明るく楽しい部分が中心だが、カメラと真っ直ぐ向き合うカットまで、諧調は豊か。
悪くはないのであるが、そうせざるを得ない立場が作った人格と言うか、カメラの前では一枚壁があり、正体を現さないようなところがあり、今一つ没入できない。
岡田奈々
10ページ13カット、撮影は山口勝己。
一番切羽詰まった時期の撮影なのではなかったかと思われる。
面窶れしていて、肌の状態もよろしくなく、痩せているのに浮腫みがある。
そこを何とかしているのが裏方の腕と頭脳であり、男装に仕立ててみたり、映える角度を探りつつ光を強めに当てて、粗が目立たぬようにしている。
グラビアとしてはぎりぎり及第点と言う感じで、出来としては良くも悪くもないのだけれど、岡田奈々の「撮られ方」「カメラとの向き合い方」については以前より格段に良くなっており、体調や精神状態が本復した状態でどう撮られてくれるか、希望の持てる10ページだった。
須田亜香里
10ページ12カット、見開き1か所、撮影は桑島智輝。
この号の撮影時期にはAKB関連グループのメンバーにとっては精神状態が穏やかならざるのも仕方のないあれこれがあり、須田亜香里も硬い。
そこを撮る側が上手く誤魔化して洒落乙に仕上げている。
樋口日奈
10ページ10カット、撮影は唐木貴央。
屋内撮影分は薄着にするためと思われる、ミニ丈の白いキャミソールワンピース。
それ以外はアクセサリーや小物も含め、昭和40年代風の出で立ち。
これがよく似合っている。
構図もマルベル堂チックと言うか何と言うか紋切り型のものだが、それらしく纏まってはいる。
北野日奈子
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
熊谷貫にしては珍しい距離感。 寄らず離れず。
歯応えの無い被写体では守りに入ると言うか、あまり寄らずに絵作りに専念して纏めてしまう事があるが、今回はそうではなく、正面から寄らずに、迂回して側面から。
横からの角度に美しさを見出したと言う事なのか、側面から。
特に右側に回り込んで撮ったカットが良い。
ぐいと迫るのではなく、じわじわ寄って最適な距離まで詰めている。
9ページ目の横から撮ったカット。 これが実に良い。
守屋茜
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西村康。
眩しいと眩しそうに、どうして良いか判断が付きかねている時は所在なく、素直に感情がでてしまっているので撮り難そうではあるが、本人が与えられた役割を咀嚼できているカットは、上手く撮られている。
石田亜佑美
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
水着ありの写真集からのグラビア。 水着部分の多くは例によって晴天の浜辺での撮影なので守りに入って「使えるカット」を確保するための写真になってしまっているが、それ以外の部分では熊谷貫の「らしさ」が随所に出ている。
どう撮っても動じない石田亜佑美に思い切って寄ったカットが、撮る側も撮られる側も巧い。
吉岡里帆
7ページ10カット、撮影はサトウノブタカ。
正面から撮っても、心持ち左右に振っても絵になる。
絵にし易いとどうしても単調な構図になりがちなのだけれど、そこは変化を付けて飽きさせない。
ヨガマットに座って背筋を伸ばすカット。
伸ばした指先から下がってくる身体の線が美しく描き出されている。
長濱ねる
10ページ17カット、撮影は藤本和典。
このグラビアの後にけやき坂46の新規メンバーお披露目があるので、長濱ねるの顔見世グラビアの意味合いも強い。
まだ一寸肩に力が入り過ぎているような、表情を強く作り過ぎているようなところは有るが、カメラと素で向き合う事も出来ており、悪い出来ではない。
ギャラリーE&M西麻布はどの駅からも均等に遠く、渋谷から新橋行き01系統のバスに乗り南青山七丁目で降りててくてくと。
Googleマップに騙されて見当違いの方向に歩かされたりしつつ、辿り着いてみたら以前も来たことのあるギャラリーであった。
2002年にフランスからイタリアにかけて撮り歩いたスナップからの作品。
プリントはトリミングなしのネガサイズのものが、大キャビくらいの大きさに焼かれている。
ネガサイズと言うか、ネガキャリアを少し削って四辺が黒く縁どられたような焼き方。
これを見てしまうとフィルムで撮りたくなるし、現像したくなるし、プリント作業をしたくなる。
ピントも構図もざっくりしていて、レンジファインダーのカメラで撮ったおおらかさがあるが、シャッターを押したことの必然性は感じられる写真。
お気に入りの手に馴染んだカメラに、画角もピントの合う範囲もだいたい把握しているお気に入りのレンズを付けて、好きなフィルム5~6本鞄に詰めて旅に出たくなる、そんな写真たち。
いろいろあってデジタル化してしまい、それはそれで面白くはあるのだけれど、フィルムで撮っていた頃の愉しさを思い出させてくれる写真展だった。
写真集を購って帰宅。
西麻布から神保町へ、どう移動したら効率が良いか思案しながら新橋行きのバスに揺られ、新橋駅北口まで来たところで内幸町から三田線に乗ることを思いつく。
日の暮れたすずらん通りを歩いて神保町画廊へ。
フォトテクニックデジタルの連載が一冊の写真集に纏まったのを記念しての写真展。
カラーと調色と二本立て。
服を完全には着ていない、一部をはだけていたり、一部だけまとっていたりする女性が何らかの寓意を持たせた大道具・小道具に囲まれ、手に取り、時に縛られたり。
強めの表現もあり、観覧に当たっては年齢制限もあるのだけれど、厭な感じのする表現は無く、背徳的ではあるが猥雑ではない。
被写体としての七菜乃が、畏怖すら感じるほど「人と物」の境目を超えてしまっていて、見てはいけないものを見ているような冷や汗をかいた。
肌は飽くまで薄く白く、その下の脂肪と肉と骨は感じられるのだけれど、それは一般的な人間とは違う構成比で成り立っていて、美しいのであるが、おっかない。 目が潰れるのではないか。
「魔女の系譜」を購入するも、展示作品の中でも一と際目を惹き、はっと息を呑んだ一枚は掲載されておらず悲嘆に暮れる。
これは作品そのものを購えと言う啓示であろうか、いやいやそれは・・・。
武田玲奈
表紙と巻頭8ページ27カット、撮影は阿部ちづる。
変則的な構成で、表2(表紙をめくった内側)から見開きで巻頭グラビアページが始まる。
オマケのシールが邪魔なのであるが、人気連載漫画のものなので仕方がない。
感情の宿らないビー玉のような瞳、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔。
ポーズや仕草も含めて、諧調に乏しい。
そう言う資質のモデルを工夫して撮って変化を付けるのがカメラマンの仕事であると私は考えるのだけれど、どうにもなっていない。
グラビア映えは確かにするのだけれど、衣装は変われど似たような写真が並ぶ。
踏み付けにするような撮り方も見たくはないが、それにしても退屈。
見るべきものがあるとすれば、それは割り付け。
表2から始まるコラージュ的な見開きから、ページを繰ると1/2→1/4→1/8と視点を誘導するように並べ、更にページを繰ると心持ち左側から撮ったものと心持ち右側から撮ったものが並ぶ。
最後は9カットを曼荼羅のように配置したのを右側に、一番煽情的なカットを左に1ページ使って〆。
見開きで4つで絵を作ったと考えると、表2から始まる特異な構成にも合点が行く。
惜しむらくは、写真の質が伴わなかった事。 画竜点睛を欠いた。
荒川優那
巻末4ページ5カット、撮影は細居幸次郎。
細居幸次郎にしては思い切って煽情的な方向に舵を切った5カット。
半ばブツ撮りであるが、どこをどう撮れば映えるかについては十二分に考えられている。
西野七瀬
表紙と巻頭19ページ23カット、見開き3か所。 撮影は長野博文。
冴えない。
悪くはないのだけれど目が死んでいて、表情も諧調に乏しい。
撮り方も一本調子で紙幅の割に中身は薄く、衣装と大道具小道具でついた変化のみで間を持たせている。
西野七瀬と長野博文の相性の問題なのかもしれないが、とことん息が合わない。 それを諦めたところで撮られた感じもする最後のカットのみ、良い。
寺田蘭世
10ページ10カット、撮影は佐藤裕之。
雨に恵まれてしっとりと湿り気のあるグラビア。
肱枕でベンチに横たわったのを縦に使った2ページ目が面白い。
どう切り取れば映えるか、探りながら撮っているが、器用では無いながら能くそれに応えている。
5ページ目、右に振り向いたアップが良い。
唇の縦の線から手前の肩先あたり迄が深度に収まっていて、見開いた目が、睨むでも射竦めるでもなく、大掴みにこちらを見据えている。
表情でも仕草でも、小細工をしないのが良い。
柿崎芽美
10ページ11カット、撮影は西田幸樹。
衣装は三態。 オーソドックスなセーラー服、白のタンクトップとホットパンツの部屋着的なもの、白いスリップドレス。
7ページ目の上下。 目を見開いてカメラを直視した上段、目と口元で微笑んだ下段。 ほぼ同じ構図でほぼ同じ表情ながら、見事に変わっている。
湿度の高そうな空の色であり、癖っ毛が暴れてしまったりもしているのだけれど、それを逆手に取って、うねった前髪を鬢の辺りに。
実に絵になる。
坂口渚沙
8ページ8カット、撮影は山口勝己。
2ページ目、背後の窓の描く線がフランク・ロイド・ライトっぽいので「もしや」と思ったら 撮影協力=自由学園明日館 とあった。
あの建物を判り難く使うのが心憎い。
写真の方は山口勝己のブツ撮り職人としての匠の技。
建物の力も借りつつ、坂口渚沙の造形美を引き出している。
表情は一本調子なのだけれど、それは織り込み済で絵を作っている。
高橋朱里
10ページ15カット、撮影は門嶋淳矢。
構図の切り方、人物の配置、色使い。
下手な職人の作った金太郎飴のような、多少の揺らぎは有りつつも似たような表情が並ぶ高橋朱里の被写体としての詰まらなさ加減は相変わらずだが、門嶋淳矢ならではの写真には仕上がっている。
緑地に薔薇の柄のワンピースで撮った前半の3カットが特に良い。
高橋朱里の欠点は、自分が在り過ぎる事だと思う。
良かった3カットは、撮る側の工夫で存在が薄まっている。
吉岡里帆
7ページ8カット、撮影は岡田佳那子。
ファッション誌的な撮影手法、ここで服を見せられても困る。
吉岡里帆は自分を見せる撮られ方をしているので、撮影する側のしくじり。
媒体に合わせて求められる写真を撮らない、自分の撮り方を変えないのであれば、せめて質の伴ったものにしていただきたい。
佐々木莉佳子
8ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
見られる人としての人生が始まった街での撮影。
顎を上げて撮ると少々頑健さが目に付くが、上手く大人になりかけていると思う。
海風に髪を靡かせる横顔を下から撮った見開きが良い。
宮本佳林
10ページ12カット、撮影はLUCKMAN
南の島、海、水着。 短絡的発想で作られたハロプロらしいと言えば実に「らしい」面白くなりようのない陳腐なお膳立ての中、宮本佳林の表情が死なぬよう工夫が凝らされている。
誰が撮っても同じになると思われがちな状況下での撮影だが、悲惨な状況での退却戦にこそ巧拙が出る。
駄目なりに良い。
衛藤美彩
10ページ11カット、撮影はサトウノブタカ。
デコトラ、ツナギ、スポーツ新聞。 前半は奇を衒った企画グラビア。
後半は普通の服で相対的にしっとりと。
衣装や設定に合わせて求められる振る舞いや表情を過不足なく出せるのは流石。
星名美怜
表紙と巻頭6ページ18カット、撮影は細居幸次郎。
「初水着を収録した1st写真集」なる売り文句での巻頭グラビアなのであるが、水着部分は晴れた日の浜辺で開かない目を無理にこじ開けて取り繕うような笑顔、凡百の詰まらない上にも詰まらない写真。
余程の事が無い限り露出面積の多い衣装は着せない事務所がなにを間違ったのかやらせた水着グラビアと言うのが珍しいだけで、笑顔一辺倒で諧調に乏しく、退屈なカットが多い。
事務所の描いた絵図通り撮らされた海辺の水着は箸にも棒にもかからないが、屋内で服を着せて撮ったカットは細居幸次郎の本領。
被写体はさておき、撮り方として面白い。
長濱ねる
巻中3ページ6カット、プレゼントページにも2カット。 撮影は細居幸次郎。
そこで自分に何が求められているか汲み取り、振る舞える長濱ねるの被写体としての魅力に唸る。
紙幅が限られた中でも質の高い、濃度の高いグラビア。 眼福。
私の購ったものはインクをこってり盛ったところにくっつき防止のスターチを吹きすぎて白っ茶けてしまっているのだけれど、薄い紙でよく刷ったと思う。
水上京香
巻末5ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
ワイシャツを羽織ったカットもあるが、ほぼ全篇水着。
硬いっちゃ硬いのであるが、上手く纏めてソツなく。
ピント薄めにしつつ、過不足なく深度内に必要なものを収めた最後のカットが良い。
生田絵梨花
表紙と巻頭8ページ22カット、オマケピンナップ付き。 撮影は細居幸次郎。
更にモノクロでインタビューが8ページ。
売れに売れた写真集と同じスタッフでの沖縄ロケ。 晴れた日の海辺では目の開き切らないカットも散見される。
そう言うカットも使わないと沖縄で撮った意味は無いし、表情としては悪くないので、これはこれで良い。
柔らかく光を廻したり、強い光源は背負わせたりしたカットは、より変化に富んだ表情。
オマケピンナップの表面など、カメラを見ずに意識だけを向けたカットが実に良い。
見開きで大小さまざまに写真を鏤めた中にもハズレカットは無い事にも驚く。
カラーページぶち抜きでも良いくらいの質と量。
優希美青
巻末4ページ5カット、撮影は細野晋司。
アップになったカットは塗り絵レタッチが過ぎて出来の悪い鏝絵のようになってしまっているが、表情そのものは良い。
ほぼ見開きになっている2~3ページ目。スクエアフォーマットに近い形で配置された3齣。 全て目が生きている。
特に左上の弓を構えたアップ。 目は的を見据えていて視線どころか意識も来ていないのに、見る者を気圧する力がある。
神保町ブックフェスティバルと神田古本まつりの同時開催で自棄な人込み。
飲食店は軒並み満員、空きっ腹を抱えたまま落語カフェへ。
「阿倍善四郎 隅田川乗っ切り」田辺いちか
「三方ヶ原軍記 酒井の太鼓」一龍斎貞橘
「寛永御前試合 仙台の鬼夫婦」神田すず
「青砥藤綱 裸川由来」一龍斎貞橘
<中入り>
「左甚五郎伝 水呑みの龍」一龍斎貞橘
他の演者目当てで行った朝練講談会で文字通り「出くわした」のが、貞橘先生を選って聴きに行くようになった発端。
ゴリッとした口調と腹から出る声で惹きつけておいたところで、すっと逸らす。
脱線が過ぎてトチることもあるが、誤魔化し方がまた良い。
色々と見聞きするうちに、落語も講釈も演者の好みがはっきりしてきた。
「面倒臭い人」
「心地よい日本語」
「緩急自在だが『緩』多め」
「脱線多めで時に事故」
「掘り起こす人」
総じて言えるのは「ケチケチしないしガツガツもしない人」
貞橘先生は今後も聞きに行きたい。
いちかさんは張らなくても声が通るようになってきた。
松之丞さんの出る回は相対的にも絶対的にも混むので、早めに室町へ。
今日も結構な入り。
「薩長同盟と坂本龍馬とお龍」 一龍斎貞弥貞弥
司馬遼太郎的な視点からの幕末譚。
地の文少なめの、科白劇のような講談。 声による演じ分けは流石に上手い。
講釈の音便や読み下しから自由なのは良いのか悪いのか。
新作なのでこれはこれで良いのかもしれない。
「和田平助 鉄砲斬り」「寛永宮本武蔵伝 狼退治」「播髓院長兵衛 芝居の喧嘩」神田松之丞
先代山陽の命日で且つ自分の入門記念日と言うことで、入門の日の思い出から当代山陽の三席短目に畳み掛ける手法で先代山陽の得意根多を。
それぞれ短く刈り込んだり、半ばまでで切ったりしつつ、美味しいところを摘まんで盛ったワンプレートランチ的に。 みっしり詰まった時間。
中井りか
表紙と巻頭7ページ13カット、撮影は桑島智輝。
気は強いが脆いのが凶と出て、撮られ慣れていない事もあってか表情は硬く単調、目も虚ろなのであるが、そこを上手く誤魔化して巻頭グラビアとして成立させている。
何とか拾い集めた使えるカットからより良いものを選って大き目に使い、1ページ目は猫を被った感じに、3ページ目はあざとく。
この2カットで或る程度は伝わるであろう。
身の回りに(斯く言う私も、であるが)嬉々として振り回されている向きも多く、素材としては良いので何とかなっていただきたい。
佐々木希
巻中2ページ見開きで5カット、撮影は川島小鳥。
写真集の宣伝も兼ねてのグラビアなのであるが、上手く撮り・撮られている。
川島小鳥の撮る女性は安心して撮られているのが表情から窺えることが多いが、気を許していると言う事はそれを裏切れないと言う事でもあり、明るい中にも哀しみがある。
遠山茜子
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
グラビア映えする体形と綺麗に見える角度が上下左右に広い。
作った笑顔が不自然なのが瑕だが、カメラと素で向き合えているので当たりカットは多い。
光が強く当たると上瞼に力が入って表情が厳しくなる傾向があり、晴れた日の屋外でどうなるか不安はあるが、素材としては上々。
武田あやな
巻頭9ページ14カット、見開き1か所。 巻末6ページ5カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.
口の開け方閉じ方で表情に変化が出ているのだけれど、まだ上手くコントロール出来ていない。
どのくらいどうするとどう映るのか把握して、意識はしつつも不自然にならぬよう振る舞えるようになれば化けると思う。
唇の閉じ方、引き結び方でここまで表情に諧調が出せるのも珍しい。
八木莉可子
表紙と巻頭8ページ17カット、撮影はTakeo Dec.
表紙は塗り絵のようなレタッチで、あまり好みではない写真なのではあるが、今回は連載漫画の主人公に扮してのグラビアなので、これはこれで良い。
若さ故の肌の瑞々しさと言うか湿り気や光沢が出てしまうと、現実に寄り過ぎてしまう。
その辺りの現実を光を強く当てることで飛ばしているカットと、そうも行かなかったカットでブレが出てしまっているが、糊塗しきれない現実の方に、私はより惹かれる。
松本愛
巻末6ページ9カット、撮影は藤本和典。
珍しく全体を通して煽情的なグラビア。
部分的に見せたり隠したりしているカットの、悪戯っぽい表情が良い。
最上もが
表紙と巻頭6ページ10カット、巻中3ページ6カット。 撮影は桑島智輝。
例によって銀髪のショートボブなのだけれど、纏めたり濡らしたりして変化を付けている。
作り込むのも此処まで突き抜ければ寧ろ自然なように見えて来る不思議。
鈴木茜音
巻末4ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
セミロングの髪の揃わない毛先とうねり、薄めのメイク、硬めの表情が生々しい。
生成りのグラビア。
飯田橋駅前から都バスで俎橋へ。 駿河台下まで歩いて神保町画廊。
好みに合う合わないはあるが、とりあへず見ておきたくなる写真展をやってくれるのは有り難い。
海辺の岩場や石切場、洞窟などで4×5で撮ったモノクロプリント。
現像時にネガについてしまったゴミや埃の黒い跡、プリントに付いてしまったホコリの白い跡を無理に消さないのが生々しくて良かった。
光沢の印画紙なのでより目立つし、消しようもないのだけれど、このあたりを含めた味わい。
プリントは硬めで、潰れぬよう飛ばぬよういろいろ手が入った感じ。
暗室の匂いのする写真だった。
飯田橋の ii-BRIDGE で開催中の写真集を見せる写真展へ。
フォトテクニックデジタル主催の「私的写真集選手権」の入賞作品と応募作の全てを展示。
ii-BRIDGE の入り口はガラス面積が大きくで開放的。
扉は常に開け放たれており、中で楽しそう何かが行われている事は伝わってきて、入らないまでも足を止めてゆく通行人も見られた。
入賞した出品者は写真集からの選り抜き的にパネルで1枚から2枚展示し、その下に写真集が置かれている。
観覧者はそれを順繰りに手に取って見る。
大き目の机に椅子が4脚設えられており、そこに座って見ることも出来る。
入賞作品以外は、入り口に近いところの机の上に纏めて並べられていた。
しっかりと製本したものから冊子状のもの、果てはリングで纏めただけのものまで装丁は様々。
応募作品の全てを見られると言うのは面白い。
写真だけで押して行くものと、キャプションを入れるものとあったが、文字が目に引っ掛かると言うか、流れて行かずに文字が言葉として残る写真集は、フォント選びにも心を砕いていた。
入賞作品には流石に無かったが創英角ポップ体を安易に使っている写真集は、総じて陳腐なものだった。
どこまで凝った装丁にするかと言う事と、写真集として心を動かされるかどうかは別なのだけれど、入賞したものは少なくとも人に見せることを前提とした体裁にはなっていた。
入賞していない作品の中では、前述のリングで纏めただけのものであったり、悪い意味で「なんだこりゃ」なものも無くはなかったが、とりあへず自分の撮った写真を写真集と言う形にして人に見せようとする強い意志のようなものは篭められていた。
それに中てられてしまって思いの外消耗したのだけれど、良い意味で「これは!!!」と思うものと悪い意味で「これは…」と思うものと両方見ることによって、自分にとって良い写真集とはどんなものか、朧気乍ら掴めて来た。
・ページが繰りやすいこと
・判型と割り付けに意味があり、変化が有ること
・写真の順序や配置に意味があり、物語が感じられること
この辺りを満たしていると、写真そのものの好悪はさておき、写真集には入って行ける。
印象に残った物をいくつか。
「未完成組曲」
A4を横に使っており、見開きで使うとパノラマ的な構図になる。
それを要所々々で生かしつつ、変化に富んだ割り付けで飽きさせない。
カラーで始まり、モノクロが挟まってカラーに戻る構成も良かった。
「きみ と ぼく」
A5くらいの冊子に、写真は敢えて小さく手札判程度に小さく入れて、余白を多くしてある。
頁の下半分が余白。 この余白が利いている。
「fragile」
B5くらいの冊子なのだけれど、こちらもスクエアフォーマットの写真をページ中央に置いて、上下に余白を取っている。
「泡沫えれじい」
河川敷に暮らす猫の暮らしの記録。
街の野良よりも生活環境は厳しいらしく、痩せていて尖った顔付き。
蛇や鼠、昆虫などを狩る姿から塒で寛ぐ姿までを腰を据えて撮っていて、切なくも美しく、愛らしくて力強い。
「メッセージ」
卒業式の一日を追った冊子。
ピントが甘かったり、写真としては粗も多いのだけれど、上手過ぎないところに生々しさが有る。
この技巧に頼らない写真として強さが、入賞に繋がったのだと思う。
「カヤメンタリー 4」
展示されている写真集には撮影者が被写体の一人として 写り込んでいるものから影も見せないものまで様々あったが、この写真集は撮影者と被写体の関係性の上に成り立っていつつも、撮影者が透明であるのが良い。
時間を掛けて撮る事の出来る状況では無い事が分かる繁華街や店の中でのカットも、仕草や表情だけでなく、背景も含めてきっちり切り取れているおり、流してページを繰っても面白いが、一枚々々をつぶさに見ていくと、見る度に発見がある。
「鳥の歌」
入賞作以外では、これが印象に残った。
モデルの女性が雨の降りしきる中、濡れ鼠になって行く様を追った連作が面白い。
写真集を見る写真展とあって、私を含め長逗留してじっくり見ていく向きが多かったように思う。
二時過ぎに見始めて、気が付いたら夕方。
こってりと濃い写真展であった。
フォトテクニックデジタルのサイトを見たところ、編集部からのお知らせの中に写真展「私的写真集選手権」Vol.4開催 パネル展示・参加者募集と言うものがあり、これを読むとパネルとともに展示されていたのは入賞作品と言う訳ではなく、有料でこの展示方法も選択できたと言う事らしい。
入賞作品との違いは、どうなっているのか分からなかった。
写真の配置が文法に則ったもので固まってしたまっているものが散見されて、そこは惜しかった。
印刷の都合もあるとは思うが、判型と割り付けまで含めて考えていない写真集は、アルバムの域を出ていなかった。
知己からお知らせがあり、二回目には間に合いそうだったのでソラマチへ。
業平橋側の入り口から延々エスカレーターを登っていくと、館内に入ってすぐのところがイベントスペースになっている。
青年期の懊悩を無軌道に騒ぎ散らかすことで解消しようとする傍迷惑な単細胞生物はおらず、青年期を通り過ぎつつある世代が中心の客層。
声を出してステロタイプな「アイドルファン的な振る舞い」をする向きは少なく、静かに激しく振りコピーをする人々が多数派。
callmeは振り付けの難易度が高く、早くて細かいので客も必死に喰らい付いていく。
振り付けの追従度は高いのだけれど、ハンドクラップは壊滅的にダメで、食ったり遅れたりするのが良く分からない。
アイドルの現場としては珍しく、非常に静かなのだけれど、静かなりの盛り上がりは感じられる。
昨今、煩く騒いでいるのが「盛り上がり」であるように捉えて客に強いるアイドルが多く、客もそれに馴れてしまっているが、愉しむことと騒ぐことは=ではない。
十人居れば気は十色、客の数だけ楽しみかたはあり、それが振りコピーをする方向に偏っているだけの話。
舞台上で起こっていることを味わいたい私のような者には、割と居心地の良い現場。
ユニット発足当初にあった「無理をして背伸びをするような息苦しさ」も無くなり、同い年で長い事同じ釜の飯を食って来た三人の風通しの良さから来る息の合った動き、難しい事をさも簡単であるかのように涼しい顔でやってのける技量と体力、激しい動きの中でもぶれなくなった歌唱力。
さまざまなものが上手く噛み合って来つつあり、安心して楽しく見ていられる。
「主役然とした主役、皮肉屋、よく食べる人」と言うゲッターロボ的なバランスの妙。
秋元瑠海がサモエドとかピレネー犬とかそういう感じの「大型犬の圧迫感のある愛嬌」を振りまいていて実に良い。
callmeは判り難い曲しかないので広く売れにくい、訳知り以外入り込みにくいのが難点ではあるのだけれど、判り難い曲だけで30分間を持たせているのは瞠目に値する。
これをどう商売にするのか、という点に於いての危惧は相変わらずあるが、見世物としては良く出来ている。
キラーチューン一曲あれば変わると思うのだが、今のところ変化球しか投げて来ていないのでそこは期待薄。
上手く商売にしてほしい。
土曜の夕方から四ツ谷のギャラリーニエプスへ。
入っては見たが、良否・好悪ではなく、苦手な写真。
見せたい、写真に残したい自分のある人のセルフポートレート。
見せたい何かが写真から押し寄せて来るような圧迫感に耐えられず、逃げ出してきた。
私が好きな写真は「引き込まれる」ようなものであるのだけれど、この写真展は一枚に盛り込まれたものが向こうから「押し寄せて」くる。
「見せたいものが有る」と「見て欲しいものがある」の、「刈り込む」と「盛り込む」の違い。
饒舌で、解釈する隙を与えず、受容させようとするような、そう言う写真が好きな人にはお勧めできる。
好事家が集まってその月に読んだ本十冊について語り合うイベント。
それぞれが撰んだ十冊には、どこかしら繋がるところがあり、それを司会のドジブックス・佐藤が上手く拾って結び付けて行く。
倉庫の二階・村田席亭
アンソニー・ロビンス「あなたの「最高」をひきだす方法 こころの習慣365日」(2005/PHP文庫)
橘真児「シートベルトをゆるめたら」(2014/双葉文庫)
石原慎太郎「太陽の季節」(1957/新潮文庫)
渋谷勲・編「なぞなぞ」(1984/講談社文庫)
志摩阿木夫「甲州の地口 くらしの中から生まれた洒落言葉」(2001/山日ライブラリー)
天津木村「天津木村のエロ詩吟、吟じます」(2008/河出書房新社)
小島なお「歌集 乱反射」(2007/角川書店)
堂島昌彦「やがて秋茄子へと到る」(2013/港の人)
小池純代「梅園」(2002/思潮社)
「実用ことわざ小辞典」(1995/永岡書店)
中山涙
三宅隆太「スクリプトドクターの脚本教室・初級編/中級編」(2015・2016/新書館)
羽海野チカ「三月のライオン」12巻(2016/白泉社)
吉田修一「横道世之介」(2012/文春文庫)※親本・2009
吉田修一「パレード」(2004/幻冬舎文庫)※親本・2002
光原百合「十八の夏 新装版」(2016/双葉文庫)※親本・2002→文庫・2004→新装版
梶本レイカ「コオリオニ」上・下(2016/ふゅーじょんぷろだくと BABYコミックス)
羽海野チカ「三月のライオン おさらい読本 中級編」(2016/白泉社)
司馬遼太郎「酔って候」(2003/文春文庫) ※新装版
門井慶喜「家康、江戸を建てる」(2016/祥伝社)
李龍徳「死にたくなったら電話して」(2014/河出書房新社)
丸岡巧
「Weekry SCOOP!」 ※「SPA!」臨時増刊(2016/扶桑社)
「大東京ポッド許可局2016in中野サンプラザ 公式パンフレット」(2016/TBSラジオ「東京ポッド許可局」)
林真理子 見城徹「過剰な二人」(2016/講談社)
野坂昭如「俺はNOSAKAだ ほか傑作選」(2016/新潮社)
嵐山光三郎「桃仙人 小説深沢七郎」(1997/ちくま文庫) ※ちくま文庫 → 中公文庫
篠原勝之「骨風」(2015/文藝春秋)
村瀬秀信「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」(2016/双葉文庫)
田中啓文「地獄八景」(2016/河出文庫)
平山夢明「ヤギより下、猿より上」(2016/文藝春秋)
吾妻ひでお「産直あづまマガジン5」(2016/アズママガジン社)
書肆ヘルニア・池田
山中恒「ボクラ少国民と戦争応援歌」(1989/朝日文庫)
保坂正康「敗戦前後の日本人」(1989/朝日文庫)
岡崎武志「女子の古本屋」(2011/ちくま文庫)
田中美穂「わたしの小さな古本屋」(2016/ちくま文庫)
津田大介 牧村憲一「未来型サバイバル音楽論 USTREAM、twitterは何を変えたのか」(2010/中公新書ラクレ)
さやわか「僕たちとアイドルの時代」(2015/星海社新書)
くるり 宇野維正「くるりのこと」(2016/新潮社)
春日太一「鬼才 五社英雄の生涯」(2016/文春新書)
中川一徳「メディアの支配者」上下巻(2009/講談社文庫)
「このマンガがすごい!」編集部・編「『この世界の片隅に』公式アートブック」(2016/宝島社)
ドジブックス・佐藤
桑原茂一2・監修 構成執筆・吉村栄一「これ、なんですか? スネークマンショー」(2003/新潮社)
大場ひろみ 矢田等「チンドン 聞き書きちんどん屋物語」(2009/バジリコ)
外山滋比古「異本論」(2010/ちくま文庫) ※親本・1978
佐藤義和「バラエティ番組がなくなる日」(2011/主婦の友新書)
みうらじゅん「マイ仏教」(2011/新潮新書)
堺すすむ「「な~んでか」誕生三十周年 堺すすむの爆笑!な~んでか888連発」(2014/メディアクラフト牡牛座)
橋本治「大不況には本を読む」(2015/河出文庫) ※中公新書ラクレ・2009→河出文庫
立川吉笑「現在落語論」(2015/毎日新聞出版)
吉野嘉高「フジテレビはなぜ凋落したのか」(2016/新潮新書)
「いとうせいこうを探せ! デビュー30周年ハイブリッドブック」(2016/講談社)
丸岡巧は「大東京ポッド許可局2016in中野サンプラザ」、ドジブックス・佐藤は「いとうせいこうフェス」、書肆ヘルニア・池田は「この世界の片隅に」と、大きなイベントや関心事に関わる本を読み、その話題を中心に。
それぞれの関心事に絡めて話が進むうち、別の人の読んだ本の話題に近付いたり、思わぬ接点があったり、個人的な読書の楽しみの一つである「読んだ本がいつの間にか有機的なつながりを持ち、仕入れた情報が知識となって定着していく心地よさ」がより早く強い形で起こる。
堺すすむの「なんでかフラメンコ」といとうせいこうのデビューが同じ1984年であり、「なぞなぞ」の発行年も同じであったり、関係なさそうなものに同時代性があったり、影響を与えていたり受けていたり。
捕れるか捕れないか瀬踏みしつつも危ない球を投げ合って言葉と話題のキャッチボールをするドジブックス・佐藤と村田席亭。
気を抜いていると牽制球が来て、いちいち刺されて凹む中山涙。
このあたりの遣り取りも楽しい。
次回は 11月19日(土) 神奈川公会堂和室にて開催との事。
浅草橋西口近く Gallery Drain で開かれている写真展。
鎌田紘子のプロデュースで撮影は全て黒澤奨平。
カラーコンタクト常備、しっかりメイク、決め顔・決めポーズ。
どう撮るかよりどう撮られるかに重きが置かれており、女性客がうっとり見蕩れていたのには納得が行った。 好悪は別として、これはこれで有って良いかたちだとは思う。
撮られて映えると思うがグループを束ねる立場にあって一人仕事の少ない佐野友里子の写真が見られたのは良かったが、表情が諧調に乏しく、美点であるところの長い手足が生かされたカットが少ないのは残念。
ライブなどでは肉感的な部分を強調した衣装が多い藤田恵名も、珍しく隠した衣装。
これが男性からの見方の排除と言う事なのかもしれないが、些か偏狭なものの見方・切り取り方であるように感じられた。
隠したからこその良さは感じられず、カラーコンタクトで目の表情は死んでおり、ポーズも硬い。
撮る側が掘り出した被写体の魅力は出ていないが、被写体の側が撮られたい自分には近いのかもしれず、それが観覧する女性の恍惚に近い表情に現れていたのだと思う。
高野寛の「甘いだけのラブソングがあっても良いじゃないか」
佐藤春夫の「アイスクリームを 誰が噛むか」
ひたすら甘いだけの、解釈の必要のない、そんな感じの写真。
書割でも綺麗なものを見たい向きにはお勧めできる。
上野、谷中、根津、千駄木界隈で開催中の芸工展2016に併せて、谷中の個性的な店舗4か所で同時開催される写真展へ。
かつて色々なものを放り出して徘徊した思い出の地である谷中も、昨今は観光開発が盛んで、今日も漫ろ歩く人の群れが路地の奥まで。
もはや独りになりに行く街では無くなってしまっていた。
comSOkoya
マンション建設計画が頓挫して広大な原っぱとなり、今は防災広場となっている初音の森近くの路地の奥にある尺八道場。
引き戸を開けて敷居を跨ぐと、三和土の左右の壁に味わい深いおじさんたちの写真が数葉。 焚かれたお香の匂いに迎えられ、中の人に挨拶をして拝見、お礼を述べて退出。
nido
谷中銀座から突き当りを右に折れて、よみせ通りを少し北へ行ったところの路地の奥、右にマキシマ研究所、左にステンドグラス工房nidoと言う濃密な空間。
パリの街を撮ったスナップがステンドグラスの額に納めて展示してある。
小品ばかりなのだけれど、それ自体で意味を持つ額が小窓のように機能しており、そこから覗く世界のような趣。
薄暗い店内の雰囲気も相俟って、妖しくも美しく。
tokyobike Rentals Yanaka
三崎坂を登り切った交差点を右に折れたところにある、東京の街を走ることに特化して考えられ、設計された自転車を貸しだすお店。
常に開かれている入り口から左の壁にニューヨークで撮られた大きなプリント。
借りる人、返す人、お茶を飲んで待つ人、活気もあり落ち着きもある店内に合った写真。
丁度返しに来る人で賑わう時間帯に行った為、落ち着いて見られる状況ではなかったが、その雰囲気が写真には相応しくあった。
もう一か所、千駄木の Rainbow Kitchen と言うハンバーガーショップでも展示されているとの事。
説明すると長くなるが、私はハンバーガーなどの「綺麗に食べられないもの」が苦手なので、こちらは回避した。
向井地美音
表紙と巻頭13ページ14カット、見開き1か所、撮影は山口勝己。
全篇スタジオ撮影だが、魔法少女がテーマになっており、ベロア地のワンピースは真紅。 バックルがリボンになっている、ワンピースより少し明るめの赤のベルト。 黒いレースの縁取りのある猩々緋のケープ付きマント。
足元は白のロークルーソックスに黒のアンクルストラップ付きパンプス。
これが1パターン目の基本の出で立ちで、徐々に薄着になり、ベロア地のビキニは矢張り真紅。
ビキニのみになると、足元は赤いオーバーニーのタイツに。 厚手のものだが、ここはこれが良い。
2パターン目は森の中で動物と戯れるような場景で白のキャミソールとショートパンツ。
髪は湿らせて、ざっくりとお団子に。
3パターン目はお団子をほどいたような髪型で白ビキニ。
床に描かれた魔法陣の上に寝そべる形。
状況ごとに表情の出し方も変えており、大道具小道具の扱いも上手い。
ただ手に持ったり掴んだりするのではなく、その行為に何かしらの意味を持たせている。
モデルと言うより役者なのだと思う。
その時々でやるべき事のヒントを与えると、「役」として消化して出してくる。
それを写真として固定する役割を担うのが山口勝己と言うのも、実に任に合った人選。
子役上がりの喰えない仕事師としては大島優子に通ずるところがあるが、大島ほどの過剰さはなく、胃もたれするような写真にはならないのは良い事なのか悪い事なのか、未だ一寸判断が付きかねる。
ただ、大きな役を振ればそれだけの仕事はする。 これだけは間違いないと思う。
朝長美桜
10ページ14カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
固まった笑顔が自棄に多いが、レンズを見ると硬直する傾向があるのでその中でも見られる表情と言う事で笑ってもらっているのだと思われる。
6ページ目のカメラを見ないカット。 これのみ例外的に柔らかい表情。
ポーズの面でも苦心惨憺は偲ばれる。
村山彩希
9ページ14カット、撮影はHIROKAZU。
表情は諧調に乏しいが、カメラと素で向き合えているのは良い。
ウエストの位置が高く、スラリと細いのにデッコマヒッコマは合って水着映えしており、水着になっても表情が強張らないので使えるカットも多かったのではないかと思われる。
思わぬ拾い物。
佐藤七海
7ページ9カット、見開き1か所、撮影は門嶋淳矢。
AKB48でも、チーム8は乃木坂同様、いやそれ以上の縛りがあるようで、グラビアでも水着になることは無い。
そこが使い難さに繋がっているのか、素材の割に引き合いが無い。
ここが頭の使いどころであって、工夫次第で訴求力のあるグラビアを組み立て得ると言う絵解きの9カット。
藍色で白い丸襟の付いた古風な七分袖のワンピース。 袖口とウエストも白で纏めてある。
ウエストは緩めなのだけれど高い位置にあり、細かい襞のプリーツスカートの部分は長めなのだけれど、丈としては膝上10cmくらいと短い。
足元は白のソックスに黒のアンクルストラップ付きパンプス。
肩まである髪は真っ直ぐに下ろし、夏蜜柑の木陰に佇む姿から。
一寸斜に構えて立っているだけなのだけれど、身体の脇に添えた手は力を抜いて握るでもなく開くでもなく、所在無げな感じも良い。
撮られ慣れていない被写体を扱う門嶋淳矢の丁寧な仕事。
白のタンクトップとホットパンツの部屋着的なものは規制を守った上で肌と身体の線を見せる為の工夫なのであるが、佐藤七海の表情が硬くないのは撮影現場の空気の良さのお陰だと思う。
一と昔前のアイドルの歌衣装のような物を着ても微笑みを湛えてはいるが表情としては単調で、物足りなさは感じなくもないが、それでもカメラの前で作った表情で固まってしまっていないのは良い。
佐藤七海の魅力は充分引き出され、伝わっていると思う。
志田愛佳
10ページ9カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
青藤色のブレザーに緑のタータンチェックのスカート、リボンタイは太めの緑。
シャツの第一ボタンは留めていないのだけれど、これがブレザーを脱いだりタイを緩めたりすると効いてくる。
キリッとしていたのが、徐々に気だるげに。
制服ではカメラを見据えるような表情だったのが、部屋着になると一転して柔らかさを見せたり、ページを繰るとカメラを見つめていたりする編集の妙。
最後は淡いピンクのワンピースで動と静。 翻弄されるのを楽しむ9カット。
廣田あいか
8ページ11カット、撮影は西村康。
昭和40年代から50年代にかけての調度に囲まれ、衣装を纏い、時が止まったような、薄気味悪さすら漂う空気の中で、あまり表情を作らずに立つ様に廣田あいか。
意図したとおりのグラビアにはなっていると思うが、見ていて気持ちの良いものでは無い。
カントリー・ガールズ
8ページ13カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
濃い目のアイラインに大げさなカラーコンタクト。
素材の力が強い嗣永桃子以外、個性が殺されてしまっている。
「素材を矯めて殺す」
ハロープロジェクトの悪弊が色濃く出た13カット。
浅倉樹々・山岸理子
7ページ8カット、撮影は西條彰仁。
屋外で撮った分は少々眩しげではあるが、それでも光を弱める工夫はしてあって、表情に破綻は無い。
屋内撮影分は非常に上手く光を廻してあって、顔の立体感も出しつつ、良いところを切り取っている。
浅倉樹々は振れ幅が狭く、安定しているが、山岸理子は光の当て方や切り取る角度によって当たり外れが大きい。
今回の山岸理子は大当り。
中元日芽香
10ページ13カット、撮影は長野博文。
出来として悪くは無いのだけれど、これだけしか引き出せなかったのかと言う不満はある。
長野の光の廻し方で長野の色、長野の写真特有の被写体を動かしてかっちり決めない構図。 最低限の仕事はしているのだけれどルーティンワーク以上のものは無く、やはり物足りない。
松村沙友理
10ページ12カット、撮影は熊谷貫。
細くて長くて昔ながらの店も残る、キラキラ橘商店街である。
肉屋の店先でコロッケ(と思しきもの)を齧り、キラキラ会館の向かいの花屋で鉢植えを眺め、ハトヤのコッペパンを頬張る。
塗ってもらったのはジャムだろうか、ピーナツバターだろうか。
カットソーにペナペナのスカート、パーカーを羽織ってバスケットシューズで買い物。
靴がコンバースのキャンバス オールスターであったり、パーカーのフードがチェックの裏地付きであったり、細かいお洒落が鄙には稀な感じを醸していて良い。
中盤は暗めの屋内で、熊谷貫らしい寄った構図でぐいぐいと。
虚ろな眼差しと閉じきらない唇。 吸い込まれるような負圧を感じる表情。
迫る熊谷貫を押し返すでもなく受け流すでもなく、ぴたりと止めて或る程度以上に距離を詰めさせない。
ビルの屋上を歩く2ページは蛇足なのではないかと思いながら眺めると、松村沙友理の陰と陽の振れ幅の大きさが現れていて、これはこれで良く見えて来る。
松村沙友理の魅力は「負圧」と「柔らかな拒絶」にあるのではないかと、ふと思った。
折れ口
想定読者のひとりであった旧友のR君が亡くなった。
長らく有難う。
手に取ってみると、厚さの割に重い。 カラーページの紙に薄い(安い)ものを使って頁数を稼いでいる。
印刷は頑張っていると思うが、色校が甘く追い込みが足りないと言うか、写真集品質には程遠いのであるが、価格を考えれば妥当なところか。
写真とインタビュー中心の読み物と、どちらも充実させようとしているのは面白い。
商業ミニコミ誌としては良く出来ている。
然し乍ら白夜書房からいかがわしさの欠片も無い出版物が出ている事に驚く。
白石麻衣
表紙と巻頭18ページ14カット、見開き4か所、撮影は桑島智輝。
ページ毎の色味がばらばらで、白く飛ばし過ぎたところは見るに堪えないのだけれど、これはカメラマンではなく編集者に係る部分であろう。
8ページ目の肩越しに軽く振り向くようなカット。 写真そのものは良いだけに勿体ない。
暗い部屋で撮ったカットは、まぁなんとか見られる出来。
写真を生かすも殺すも編集次第。
衛藤美彩
10ページ9カット、撮影はLUCKMAN( 樂満直城 )。
スタジオでの撮影風景のオフショットのような体。
身体の線を出そうとする衣装の選択があからさまに過ぎるのは興醒め。
ル・コルビュジエのグラン・コンフォールに寝そべらせたカット。 取らせたポーズは下衆なのであるが、衛藤美彩と言う素材が中和。
乃木坂46
16ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
齋藤飛鳥、若月佑美、生駒里奈、中元日芽香、秋元真夏、高山一実、白石麻衣、星野みなみ、北野日奈子、堀美央奈、衛藤美彩、生田絵梨花、松村沙友里、西野七瀬が、夏に因んだテーマで1ページ1カット(齋藤飛鳥と西野七瀬のみ2ページ)ずつ 。
衣装は伊勢丹とのタイアップとなっているが、Tシャツに紺のプリーツスカート。
細居幸次郎の無駄遣いでさして面白くもない企画グラビアだが、蚊取り線香を親指に嵌めて謎のポーズをとる堀未央奈は、妙に可笑しい。
向井地美音
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
スリップドレスであったり、上はビキニで下はスカートだつたりとか、多少は工夫をしているものの、ほぼ水着。
仕草も表情も悪くないし、水着にして映える体形ではあるのだけれど、その上で不自然に寄せて底上げしたところを見せられても蛇足以外の何物でもない。
向井地美音はきっちり仕事をしているが、編集者の下衆な魂胆が透けて見えて不快。
平手友理奈
7ページ17カット、撮影は松田忠雄。
新極真会に入門の巻。
練習風景では和やかな場面も見せつつ、突きや蹴りでは真剣な表情。
後ろ廻し蹴りの打点も高いのだけれど、楽し気な表情ながら目だけ笑っていない。
付録のポスターの裏面が黒バックの前で半身に構える平手友梨奈なのだけれど、目に気圧される素晴らしい出来。 眼福。
長濱ねる
6ページ13カット、撮影はこちらも松田忠雄。
着付けがしっかりしている。
詰めたアンコが多すぎるのは疵だが、襟の合わせ方、帯の高さなど、「らしく」着せている。
髪も編み込んで纏めつつ、鬢だけ残して垂らし、アクセントに。
少し斜め下から見上げるように撮ったところに、流し目。
思わず背筋が伸びる。
柳ゆり菜
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は小塚毅之。
白夜書房らしい、湿り気のある猥雑なグラビア。
被写体貶める様な衣装やポーズ、下卑た構図などはなく、肉感的なところを切り取りつつ、綺麗に纏めてある。
中綴じから平綴じになったのを「創刊」と銘打つ羊頭狗肉ぶりは白夜書房らしいし、巻頭は写真の出来を台無しにするようなところもあり、指名買いをするほど信用は出来ないのだけれど、巻末の松田忠雄の撮影によるグラビア2本は実に良く出来ていた
新井愛瞳
6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.
間違えて講談社の青年マンガ誌を買ってしまったかと思うほど塗り絵補整が激しい。
身の丈に合わない箱でワンマンライブを打つ羽目になって集客に苦労しているにしても、グラビアにそれを絡めて来るのも判らない。
送り手の独りよがりの物語をメンバーに背負わせて悦に入るいつもの遣り口。
新井愛瞳そのものは悪くないのであるが、寄ってたかって駄目にしてしまっている。
小細工なしに撮っても、十分絵に成り得る被写体だと私は思う。
アップアップガールズ(仮)の送り手は小細工以外にすることは無いのだろうか。 武道館が埋まらなければ例によってメンバーに責めを負わせるのだとは思うが。 毎度そう言う儀式を見せられるのは気分が悪い。
西野七瀬
巻中6ページ7カット、撮影は川島小鳥。
イタリアとマルタで撮った写真集からのグラビア。 フジではなく、コダックとかアグファのような色合いが撮影地の町の建物や調度、光の強さや回り方に合っている。
5ページ目、ベッドに横たわり蒲団を抱きすくめるカット。 潤ませた目と、蒲団を抓むような掴むような指の動き。
写真集への期待を高める7カット。
黒田真友香
5ページ8カット、撮影は藤本和典。
一枚羽織ったり穿いていたりはするが、ほぼビキニと言う割り切った構成。
ティーン向けファッション誌とは勝手が違うようで、笑顔が硬直。
4ページ目だけは、硬いなりに訴求力のある表情。 体形上の美点も捉えられていると思う。
深川麻衣・堀未央奈
表紙と巻頭15ページ12カット、見開き3か所、撮影は西田幸樹。
二人組のグラビアは、時として 1+1 が 3 にも 4 にもなることがあるが、そうした稀有な例の一つ。
深川はいつもの諦観と言うか、出さずに引き込むと言うか、受容する柔らかな表情。
堀は対照的に感情の揺らぎのような物を見せるのだけれど、その悲しさや寂しさを湛えたまま微笑んだを見せられるのも、棒組になったのが深川であったればこそであろう。
それでも徳俵で堪えて土俵を割らないのは堀らしい。
深川麻衣は身体が横を向いたカットが多く、9ページ目はこちらを振り返るような形。
乃木坂46からの退場を象徴するような、印象的な写真。
こうした暗喩に敏感に反応出来る堀未央奈の感情の揺らぎが、良いアクセントになっている。 眼福。
秋元真夏
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は長野博文。
長野らしさが出過ぎて単に露出オーバーになって収拾がつかないだけのようにすら見える白っ茶けた写真はいただけないが、光を柔らかく回すことによって表情は切り取れている。
岡田奈々
10ページ14カット、見開き1か所、撮影は桑島智輝。
表情に険と疲れがあるのだけれど、それは(遅きに失した観はあるが)カメラの前に素で立てるようになったと言う事でもある。
水着になると痛々しさが勝ってしまうが、服を着たカットは辛うじて「儚げ」くらいで踏みとどまっている。
復調後に期待したい。
太田夢莉
9ページ11カット、見開き1か所、撮影は山口勝己。
カメラを睨めつけるように撮ると映える。
ポケットに親指を掛けたり、指を組ませたり、何らかの指示を与えると手に表情が出る。
素材も勘も良いと思うのだけれど、ポーズも表情も一本調子で少々物足りない。
樋口日奈
8ページ10カット、撮影は佐藤裕之。
短い紙幅の中にも物語があり、畳の上に投げ出した爪先を撮ったブリッジのようなカットが利いている。
アパートと言うより下宿屋然とした昭和の日本家屋。
畳まれた布団、糊の利いたシーツ、しなだれ掛かる樋口日奈。
干された布団の温かみと日向の匂いが感じられるような一齣。
共同物干し台の便所サンダルも輝いて見える。
中山莉子
8ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
屋内と屋外両方での撮影だが、曇天が細居幸次郎に味方した。
総じて柔らかい表情、薄い深度、的確なピント。
中山莉子はカメラの前で余計なことをすべき時とすべきでない時の見極めが出来ており、役を与えられた中山莉子と中山莉子本人役の演じ分けが出来ている。
平手友梨奈
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
熊谷貫がぐいぐい迫るように撮っており、平手友梨奈もたじろいだような表情は見せているのだけれど、一定以上の距離からは詰めさせないような、存在としての強さがある。
歯応えのある被写体を前にして仕事以上の仕事をした熊谷貫の写真を久しぶりに見た。
橋本愛奈
7ページ7カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
私は読み解くのが下手なのであるが、どの光が何処からどう来てどう当たっているのか、考えながら見ると面白い写真。
ピントの置きどころ、どこまで絞るかなど、教科書的なヒントの詰まった7ページ。
小芝風花
5ページ7カット、撮影は橋本雅司。
役者属性の人にありがちな、役になっている自分でないとカメラの前で上手く振る舞えない人であるようで、演技過多なカットが私には物足りなく感じられる。
逆に何らかの役になることでカメラの前に(この場合は役としての小芝風花)立っているので、破綻は無い。
これが良い人には良いのだろう。
工藤遥
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は大江麻貴。
前半の浜辺で撮った水着グラビア然とした水着グラビアは陳腐。
後半の服を着た写真は上手い事表情を切り取ったり掬い上げたり出来ている。
欅坂46(今泉佑唯、平手友梨奈、鈴木美愉、渡辺梨加)
17ページ18カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
まだ海のものとも山のものともつかない時期のグラビアなので顔見世的に一人2ページ2カットずつ顔見世的に使い、学校モチーフで。
今撮るとまた違ってくると思うが、公立高校的な制服とスポーツウェア。
平手友梨奈にも未だ他を圧する貫禄のようなものは無い。
月日の経つのは早いものだ。
6ページ目、鈴木美愉を正面から撮ったカットが素晴らしい。
小嶋真子
10ページ15カット、見開き1か所、撮影は小池伸一郎。
背景に直線があるところでは例によってそれで絵を作っているが、何もないところでも遠近感を上手く使って奥行きのある写真。
4ページ目が良い。
小嶋真子はそつは無いが表情が単調で面白味は薄い。
矢倉楓子
9ページ17カット、撮影は佐藤裕之。
ベレー帽にスモッグのようなワンピース、マルマンのスケッチブック。
三菱鉛筆のの9852EWはHBのみなので、スケッチ向けには適さないが、鉛筆としてわかりやすい形ではある。
矢倉楓子は素でカメラの前に立たせると幸薄そうなのが際立ってしまうが、鉛筆を鼻の下に挟ませてみたり、お茶目なところを挟み込むことで中和。
部屋の中で着ている水着は毛糸で編んだビキニ。 これにニット帽やマフラーをあしらって季節感を出している。
冬のグラビアとしては面白い出来。
山下エミリー
8ページ11カット、撮影は桑島智輝。
青い空と白い雲の描かれた背景紙の前でオーソドックスなセーラー服。
ここまでは柔らかい表情なのだけれど、水着になると少々硬い。
硬いとは言え、ガチガチで右手と右足が一緒に出てしまうようなオモチャの兵隊トテチテタ感までは流石に無いので、初々しさと言えなくもないが、もう少し布面積の多い衣装で見てみたい。
吉岡里帆
8ページ15カット、撮影は西條彰仁。
そろそろ役者一本で食えそうな吉岡里帆。
カメラに対する向き合い方が程よく、直視しても意識だけを向けても絵になる。
水谷果穂
6ページ8カット、撮影は長野博文。
昔ながらの「水着もある写真集」からの蔵出し。
私が良いと思うカットは扱いが小さく、青少年のリビドーを刺激したい為に採ったであろうカットは扱いが大きい。
写真の良し悪しは兎も角、編集が退屈。
平祐奈
6ページ8カット、撮影は西條彰仁。
カメラを前にしても全く物怖じするところが無いが、射すくめる様な視線に見る側が気まずさを感じるくらいカメラを見ているので少々重い。
山岸理子・谷本安美
7ページ8カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
反政府ゲリラの捕虜になった正規軍の兵士の見せしめビデオのようなどんよりした表情のバストアップを見開きで使って始まる意図の判らない構成。
バレエのレッスン風景のような3~4ページ目、特徴的な椅子から自由学園明日館と判る5~6ページ目は良いのだけれど、眩しがると冴えない顔になってしまう山岸理子を屋外で撮ったのは失敗だった。
ロケーションも衣装も良かっただけに、画竜点睛を欠いた観がある。
井上小百合
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は丸谷嘉長。
ポーズでも仕草でも表情でも語れる井上小百合。
扉の前で真っすぐ立っているようでいて、若干左肩が上がっているカットが生々しい。
巧まず衒わずカメラの前に立っても絵になっている。
身体を捻ったカットが少なく、もう少し動かしても良かったように思う。
松村沙友理
10ページ12カット、見開き1か所、撮影は長野博文。
長野博文にしては珍しく、切り分けた林檎タルトを食べる絵で鼻の頭にクリームをつけて見たり、ベタな演出が目にも鼻にもつくが、松村沙友理の人徳と言うか人柄と言うか、そのあたりで中和されて許せる出来。
先入見というのもあるとは思うが、笑顔はまだ無理に作ったように見えてしまい、カメラと素で向き合えば虚無的な表情に見えてしまう。
そうなると過度であろうと何だろうと演出はせざるを得ない訳で、こうなるのは必然だったのかもしれないし、松村沙友理をなんとか笑顔にしたいと思ってしまうのも判らないではない。
これはこれで良かったのかもしれない。
私立恵比寿中学
表紙と巻頭15ページ15カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
8人となると、15ページあっても顔見世で始まって終わる。
8人横並びの見開きで始まり、続いて一人1ページ1カットずつ。
そこから3人2人2人、・・・一人足りない。
続く全員のカットも判り難いながら7人しか確認できない。
最後の最後の集合は8人揃っているのだけれど、やはり途中で一人抜けている。
(居ないカットが有るのは柏木ひなたらしく、体調不良による休業期と重なっていたものと思われる。)
流して見ていると分からないように誤魔化してあって、この辺りは編集者が上手い。
紅白のマントで全体の色味を揃えつつ、それぞれに合わせた小物で差別化する衣装も良い仕事。
顔見世グラビアとしては良く出来ている。
木﨑ゆりあ
11ページ14カット、撮影はサトウノブタカ。
その言動から馬鹿扱いされがちであるが、撮られる人としての勘は悪くない。
指示されてやっているところは勿論あると思うが、言われたから出来る物でもない。
4ページ目の身体を反らせつつ横向きに立ったカット。
前後方向には細いウエストと量感のある臀部の対比、ぽってりとした唇とつぶらな瞳。 粗を隠して美点を上手く見せている。
切り取り方も良いし、それに答えた立ち姿も良い。
松岡菜摘
10ページ10カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
カーブする高速道路を借景に、見上げる形のカットから。
熊谷貫が例によって例の如く寄って撮っても動じないし、構えない。
相性としてはかなり良いと思う。
撮り甲斐があると意気に感じて良い仕事をするカメラマンと、がっぷり四つに組んでも寄り切れる松岡菜摘。
特に表情を作るでもなく、切り取るに任せているが、カメラの向こう側にあるものを巨視的に見据えているような、大きな表情。
見れば見るほど味わい深い10カット。 眼福。
NGT48(加藤美南、山口真帆、太野彩香、荻野由佳、山田野絵、中井りか)
11ページ10カット、見開き1か所、撮影は西條彰仁。
覚醒前夜の中井りか。 旧ソ連式に集合写真の並び順から序列を読み取ると真ん中から下くらい。 これが海千山千を手玉に取る今の中井りかに化けるとは思わなかった。
閑話休題、県内だけでなく、他県から来たメンバーも多いのだけれど、面相も様々。
上手く集めたものだと思う。
しかし目に付くのは中井りか。 しどけない、へたり込む様なしなだれかかる様な座り方をさせたら右に出る者はいないのではないか。
桜井玲香
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は大江麻貴。
衣装と大道具小道具に凝った外連味たつぷりの写真。
小細工なしに撮った10ページ目は良い。
若月佑美
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
魔術と言うか幻術と言うか、光を自在に操る西田幸樹。
屋内はまだわかるのだけれど、屋外で撮ったカットも細工がありそう。
ミリ単位の角度調整の指示などを出されていそうな若月佑美であるが、カメラマンの撮影意図をきっちり咀嚼してポーズを取り、表情を作っている。
乃木坂46は撮られる仕事についても多士済々であるが、その場で何が求められているかを嗅ぎ分ける能力に於いては若月佑美も中々のものだと思う。
渡辺梨加
10ページ9カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
インタビューの中では全開の撮影で口の力を抜くよう指示が出たと語っているが、確かに口元が強張ることで表情を硬くしている。
意識して口を開けるのではなく、意識を抜いて口元を弛緩させられれば良いのだけれど、こうして選ばれて撮られる機会を生かしていけば、構えずにカメラの前に立てるようになる。
真野恵里菜
10ページ10カット、見開き1か所、撮影は上原朋也。
コダクロームっぽい、黄色味掛かった色合い。
粒子粗目と言うかノイズを乗せたと言うか、ざらっとした質感。
あまり好きではない撮り方だが、真野恵里菜は流石にカメラとの向き合い方が上手く、すべてのカットで求められる真野恵里菜であり続けている。
聞間彩
2ページ4カット、撮影は國方大。
メンバーカラーである赤の背景紙に赤の小道具。
気負いなく撮られているのは良い。
夕方から恵比寿の tokyoarts gallery へ。
15:00まではレセプション的なものがあると聞いていたので時間をずらして伺ったが、まだ祝祭の余韻の残る廊内。
写真は全て販売されており、かなり頑張らないと購えない物、頑張ればなんとかなりそうなもの、頑張らなくてもなんとかなるもの。 各種取り揃えてある。
最後の水着姿と銘打たれているが、衰えて止める訳ではなく、体型も崩れてはいない。
肌の張りは二十台半ばのそれではあるが、塗り絵的な補正をしなくても絵にはなっていた。
メイクはある程度しているものの厚くはなく、前述の通り塗り絵的な補正もしていないので肌の質感は生々しいが、それでも絵として破綻しない強さはある。
正面奥の右側に飾られた、木の床に横たわった写真が印象に残った。
手前の床から顔までが被写界深度内。 若干前ピンかなとは思ったが、近付いたり離れたり、まじまじと見てみると、顔から先がぼけている事で視線が手前に誘導されている。
相手の懐にすっと入って撮れる桑島智輝と、小細工せずにありのままを撮らせる杉本有美の、息の合った写真。
宮脇咲良
表紙と巻頭16ページ17カット、うち見開き2か所。 撮影は山口勝己。
大道具小道具衣装、すべてが宮脇咲良の透明感を強調する為に透明、銀、白に揃えられている。
山口勝己が新機軸。 動きのあるカットに驚く。
それでも被写体ブレなどは皆無で、時は止まっているのが山口勝己らしさか。
UTBでは桑島智輝に撮らせる事の多い種類の写真だが、求められる物を取りつつ、「らしさ」は存分に出している。
被写体の宮脇咲良は高いレベルで安定しており、その場その時に求められる宮脇咲良としてかっちり決められた構図の中に納まっている。
ところどころあどけなさの残る表情も見せているが、すっかり大人びた。
古畑奈和・大場美奈
11ページ16カット、撮影はTakeo Dec.
過去の一時期精彩を欠いこともあった大場美奈もすっかり復調、柔らかく優しい表情。
古畑奈和は表情が諧調に乏しいのが疵だが、悪くはない。
二人共、縦長で良い臍。
太田夢莉
10ページ13カット、撮影はサトウノブタカ。
メイド服、水着、制服の3種。 メイド服はミニ丈のものとロング丈のものと2種類。
ロング丈のものは、クラシカルなデザインかと思いきや透ける生地になっており、内側に着るものによって、また付けるエプロンによって、清楚にも挑発的にもなる。
1ページ目を4分割にしてメイド服2種を見せ、2ページ目でロング丈、3ページ目でミニ丈。
ページを繰ると4ページ目5ページ目は黒のチューブトップワンピース水着、6~8ページ目は白のビキニ。
流れの作り方が上手い。
最後に夏服の制服なのだけれどブラウスが黒、黒と言うかブルーブラックと言うか。
判り難く書くとローラー&クライナーのライプツィヒアンブラックのような、濃い濃紺と黒の間の色。
非実在制服だと思う(汗を掻くと白くなってしまうので現実的ではない)のだけれど写真映えはする。 臙脂のリボンタイと言うのも良い。
太田夢莉は口が閉じきらない表情が多いのだけれど、引き結んで閉じたり歯を見せて微笑んだり、微細な変化で表情に諧調を持たせているのが良い。
スカートの裾であったりカーテンであったり、何かを掴ませたり握らせたりすると手に表情が出る。
これが自然に出来るようになると、もう一と皮剝けるのであるが。
太野彩香
9ページ11カット、撮影は佐藤裕之。
服を着ているカットと水着のカットで表情がガラリと変わる。 無理に作った泣き笑いのような笑顔はさておき、表情を作らずにカメラの前に立ったカットはなかなか良い。
笑うと口角が上がり過ぎるきらいがあり、表情がクシャッとしてしまうのだけれど、意識して口を閉じると楚々とした感じに。
この落差をうまく使えるようになれば、表情の諧調も豊かになると思う。
肌の白さは七難隠すと言うが、難の無いところに持ってきて肌が白い。
斜めからの光を使って身体の線を下品にならない程度に描き出す佐藤裕之の撮り方も相俟って、意外に水着映えしている。
中田花奈
10ページ9カット、うち見開き1か所。 撮影は西田幸樹。
インタビューの中で細かい指示の入る撮影だったと語っているが、それを踏まえて見ると様々な発見がある。
左目が光に敏感で、ともすれば瞼に力が入って表情に険しさが出てしまうのだけれど、光を柔らかく当てたり、険しく見えない角度で撮ったり。
5ページ目の、一寸俯き加減に横を向いたカット。 表情もさること乍ら、首筋の陰翳が美しい。
1ページ目2ページ目も、似たような角度ながら顎を引くか上げるかで異なる印象。
どう撮れば映えるか、観察し考察し、伝わる指示を出すことで成り立った9カット。
渡辺みり愛
10ページ10カット、うち見開き1か所。 撮影は西條彰仁。
判型の大きさを生かした割り付け。 紙幅を割いてもらっているからこそなのであるが、大きめの写真で押す構成。 風に髪が揺れるカットがアクセントになっている。
光を柔らかく回したカットではカメラと上手く向き合えており、2ページ目6ページ目、8ページ目が良い。
鈴木美愉
10ページ13カット、撮影はサトウノブタカ。
浴衣姿で木桶に冷やした胡瓜や西瓜を頬張り、お茶目なところを。
ページを繰ると縁側に腰掛けて水を張ったブリキの盥で足を浸ける、日本画の題材にありそうな、いにしえの夏の光景。
引いた構図で切り取ってあるので、裾から覗く白い脚を垣根越しに見るてしまったような、そこはかとない背徳感。
浴衣を着て映えると言う事は、細くは無いと言う事でもあるのだけれど、
部屋着のような白いキャミソールも、ウエストはゆったりしていて身体の線は描き出さない種類のもの。 これはこれで良い。
扇風機を両手で挟むように持ち、吹き付ける風に声を震わせて遊ぶようなカットや、前述の頬張るカットなど、ところどころにお茶目さを鏤めて楚々とした部分との対比で見せている。
中山莉子
6ページ12カット、撮影は上原朋也。
スターダスト所属のアイドルグループは、事務所主導での企画物めいたグラビアが多いのだけれど、今回はケレン味薄めで綺麗に撮ってある。
綺麗には撮ってあるが些かファッション誌的な道具立てと構成。
私が見たいのは服でも小道具でもない。 それらは主たる被写体たるモデルを引き立てる物であって欲しい。
高木悠未
6ページ7カット、見開き1か所。 撮影は唐木貴央。
グループの看板を背負っているだけの事は有り、隙の無い7カット。
私にはその隙の無さが息苦しくもあり、商売用の自分を不足無く少し多めに出すそつの無さが詰まらなくもあるのだけれど、万人向けの顔見世グラビアとしては最適解に近い。
無理に表情を作らずにカメラと向き合った4ページ目は良い。
矢島舞美
10ページ11カット、見開き1か所。 撮影は西條彰仁。
貶すところが、無い。
撮る側も撮られる側も、やるべき仕事をきっちりやっていて、完璧に組み上げれば組み上げられるところを、一寸外す。
カメラを虚心に見つめる事も出来るし、カメラを見ずに意識だけを向ける事も出来るし、まるでカメラなど無いかのように振る舞う事も出来る。
4ページ目。 鎖骨から肩にかけてのライン。 高く聳える鼻梁。 思わせ振りに少し開いた唇。 何かを語るかのような指。
様々な要素の詰まった一カット。
眼福。
兒玉遥
10ページ11カット、見開き2か所。 撮影はTakeo Dec.
そう悪くはないのだけれど、頑張りが見えてしまうのが興醒め。
可愛くなろう美しく在ろうと言う意欲と言うか義務感と言うか、そう言うものに囚われ過ぎているような息苦しさ。
これを健気さと受け取る向きには好まれると思う。
そう、良否ではなく、好悪に係る部分。
競合誌が増えて来たのは二匹目三匹目の泥鰌が居ると踏んで、算盤が合うと判断しての事だと思うが、載せて金になるアイドルの原資は限られており、それを捌けるカメラマンも無限に居る訳ではない。
そう言った状況下にあって、UTBはしっかり手間と時間と智慧を投入しているのが、見ていて判る。
指名買いの出来る品質を安定して保っている事には敬意を表したい。
新たな写真展が始まっていたので四ツ谷へ。
市ヶ谷富久町のバス停から歩いてみたが、四谷三丁目の駅から歩くよりも近かった。 路地が入り組んでいるのが難だが、歩いて楽しい道ではある。
街の中で暮らす小動物や昆虫を撮った写真なのだけれど、小動物や昆虫そのものではなく、暮らしている場所まで含めて切り取っているのが面白い。
背景の中にある直線や曲線を組み合わせて画面を組み立てて、そこにそれらが収まる。
ブロック塀の上でこちらを窺う蟷螂、地を這う芋虫、谷中と思われる墓地の野良猫然とした野良猫のふてぶてしさ、雨上がりの路地に這い出してきた蟇蛙、カーテンの隙間から撮ったふくら雀の集会、どちらに行こうか思案する蝸牛。
嫌われがちな生き物に対しても温かい視線。
血を吸って満腹になった藪蚊に対しても、憎しみは感じられない。
私が苦手なうねうねと動く種類の虫を撮ったものもあったのだけれど、グロテスクな切り取り方はしていないのでなんとか我慢して見られた。
富久町からバスを乗り継いで俎橋。 駿河台下まで歩いて神保町画廊。
絵画的な写真を撮る人として認識していた HASEO の作品展へ。
大変な労作だが、私の中の基準では写真ではなく、レンズが描き出した部分が筆で上塗りされている事への違和感が拭い難く、私向きではないのでざっと見て退出。
分かってはいたが、改めて私向きでは無いことを確認してきた感じ。