江戸川橋の Gallery NIW へ。
ギャラリーサイトの説明はこうなっている。
展示名称
写真展「KOROBU」
展示概略
グループ写真展
展示詳細
映像作家がストーリーのないムービーを先に作り、5人のフォトグラファーが、写真でストーリーを完成させるという写真展
モデル/フォトグラファー:
まゆのん (志良繭乃役)×担当フォトグラファー:山本華漸
天音ことり (海月ことり役)×担当フォトグラファー:水上あかり
なつか (新木なつか役)×担当フォトグラファー:micchii
白波瀬ミキ (舞川ミキ役)×担当フォトグラファー:小澤トシカズ
佐野小波 (天野こなみ役)×担当フォトグラファー:ナカオ タイキ
江戸川橋から都バスで俎橋へ。 さくら通りを歩いているとモデル撮影会的なことをしている一団。
魚返一真のワークショップだった。 横に見つつ画廊へ。
性的な妄想を写真に現したものと、鉄道や風景を撮ったものとが、不可分に混在。
魚返一真のなかでそれらが等しく価値を持ち、同じ引き出しの中に納められている事が判る。
触れたり弄ったりするものでは無く、見せて貰うものとしての女体。 飾らない美化しない妄想が電車に乗って移動し、旅先に現れる。
臆面の無さが不気味ではありつつ、面白くもある。 不思議な写真展。
撮り方を教わりに行くようなワークショップには、今更行こうとは思わないのだけれど、
さまざまな時代、さまざまな国の絵画を見て、構図、光、表情等について、みんなで意見したり、真似したりしながらポートレートを撮ってみよう!
DSC_7596 posted by (C)2petri2
平手友梨奈
巻頭9ページ23カット、撮影は細居幸次郎。
修学旅行と言う設定での沖縄ロケ。 友達と撮り合ったスナップのような感じのものも含めて、制服、私服、体育着。
年相応のあどけない表情と、見る者の背筋を伸ばす凛とした表情が綯交ぜになったグラビア。
9ページに押し込めるのは勿体無い出来。
長濱ねる
巻末6ページ9カット、撮影は藤本和典。
ジェンガが崩れていく様を連射したカット以外、表情に諧調が無い。
口を半開きにした歯見せ笑顔。 ハンバーガーを顔の前で持たせて口を隠したり、それなりに工夫しているのは感じられるが、あまり成功はしていない。
撮る角度が限られていて、些か単調。 最後のカットの横顔のみ良い。
生駒里奈
巻頭7ページ16カット、撮影は細居幸次郎。
雪国での撮影。 雪原は夏の浜辺以上に光に溢れており、屋内でも窓から差す光は意外に強い。
流石に眩しそうな表情も見せているが、それでも破綻無く「商売用の生駒里奈」で在り続ける。
正体を現さないと言うか、全てのカットで主導権を握って隙を見せないのであるが、生駒里奈の場合はそれが芸になっている。
その隔意まで含めて生駒里奈。
堀未央奈
巻末6ページ10カット、撮影は加藤アラタ。
巻末とは言え、堀未央奈のグラビアと言う事で楽しみにしていたのだけれど、塗り絵的に弄ったものだったので残念。
被写体としての堀未央奈は求められた仕事をきちんとこなしており、加藤アラタもそれを切り取れてはいる。
問題は其処から先とその手前。 カメラとレンズの選択と設定。 レタッチの塩梅。
被写界深度を浅くして前後のボケで絵を作るのは良いが、レンズが安いのでボケが汚い。 作りたい絵に適った機材を使うべき。
性能の低いレンズを使っているのと、撮影時の設定がよろしくないのとで、情報がスッカスカに抜けている。 おまけにレタッチが過剰。
構図に甘さはあるが、切り取り方は悪くないし、堀未央奈の魅力も引き出せてはいるのであるが、画竜点睛を欠いた。
これだけの素材でこの程度の写真では落第。
ヤングジャンプ編集部はしっかりした体制で堀未央奈を撮っていただきたい。
巻頭巻末ブチ抜きでミラクルジャンプと連動して写真集を出すくらい思い切っても良い素材だと私は考える。
山本美月・大園桃子・与田祐希・久保史緒里
オマケ写真集8ページ23カット、撮影はTakeo Dec.。
独り1ページ2カットで顔見世、表紙と裏表紙は4人の並び、真ん中の見開きをコラージュ的に。
ロケ地は矢張り絵になる自由学園明日館。 時間は掛けられなかったと思うが、頭は使って貰っている。
撮った写真の放流と、更新告知用のtwitterアカウントを作りました。
墨田ペトリ堂中央執行委員会広報
馬場ふみか
巻頭7ページ「光の章」17カット、巻中4ページ「陰の章」6カット、撮影は細居幸次郎。
出し惜しみをしないので表紙より中身の方が煽情的と言うヤングジャンプにしては珍しい展開。
眩しい時は眩しいなりに、眩しくない時はより一層訴求力のある表情。
巻中の2ページ目。 或る程度レタッチはしてあると思うのだけれど、窓から差す光を実に上手く使った一枚。
出し惜しみしないのが隠したときに効いてくる。
伊藤紗治子
巻末5ページ8カット、撮影は桑島智輝。
手足が長くて上背があり、出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいる。
誰が撮ってもそれなりの上がりになりそうでいてなかなかそうも行かないのは、被写体を小さくせずに伸びやかさを視覚的に分からせることが難しい為。
ポーズと切り取り方で上手い事見せている。
清水富美加
巻頭8ページ18カット、撮影は阿部ちづる。
実写映画化される連載漫画に絡めて、演じた役に扮しての部分と「清水富美加」として部分を混ぜたグラビア。
努めて明るく振る舞うような笑顔多め。 役ではない自分として撮られることに抵抗と懊悩がありそうな隔意を感じる。
小宮有紗
巻末5ページ6カット、撮影は佐藤裕之。
いつの間にか「声優」の枠になっていた小宮有紗。
笑顔が諧調に乏しいのは物足りないが、撮られ慣れているだけあってどうとでも解釈できる表情でカメラの前に立てている。
miwa・真野恵里菜
巻頭7ページ24カット、撮影はTakeo Dec.。
連載漫画の実写映画化に伴うグラビア。
悪くはないが良くもない。
絞った細さで定着している真野恵里菜。 スチルでも芝居が出来ている。
戸松遥
巻末5ページ7カット、撮影は桑島智輝。
表情に関してはよくある「御真影」的声優グラビアだが、ポーズと構図で見られるものにしている。
武田玲奈
巻頭9ページ24カット、撮影は阿部ちづる。
雪国の温泉旅館での、冬の水着グラビア。 この辺りの季節感の出し方は、矢張り巧い。
これまでは瞳を大きく見せるカラーコンタクトを入れていたが為に、顔や仕草で作る表情の多彩さの割に目が死んでいる事が多かったが、今回のグラビアでは気にならなかった。
何をやらせてもそれなりに様になるので、細部は大切にしてほしい。
鈴木茜音
巻末6ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
屋内の競泳用プール、古びた畳と部屋の隅に重ねられた蒲団、枡のような小さな湯船の浴室。 セーラー服と水着。
愛住町時代の英知出版の雑誌で見られたようなグラビア。
細居幸次郎が撮ると湿っぽくも埃っぽくも無く、良い塩梅。 眼福。
えなこ
巻頭7ページ約7カット、撮影は桑島智輝。
コスプレ畑のモデルにありがちな、見せたい自分だけをカメラの前に出す人。
半ば物撮りのような感じで、その場にある大道具小道具と組み合わせて絵を作る桑島智輝の妙技に唸る。
モデルを信用させておいて一寸騙す、「人の悪い桑島さん」の写真。
プレイボールズvsベスボールガールズ
巻末5ページ18カット、撮影はHIROKAZU。
こちらも企画物グラビアなのであるが、紋切り型の表情ではありつつもそれぞれの人となりは切り取れており、顔見世グラビアとしては上々の出来。
神田松之丞出演回と言うことで、早めに日本橋亭へ。
東京マラソンの混乱を嫌ってか出足は鈍く、思ったより混まなかった。
「天保水滸伝 ボロ忠売り出し」神田松之丞
「大久保彦左衛門 生き肝」神田すず
最近、愛山先生に習ったと言う「左甚五郎 陽明門の間違い」にするか、もうひとつにするか迷っていると言うマクラから、朝だし矢張り明るい方でと「ボロ忠」。
ボロ忠が何故ボロボロの着物なのかと言う説明は端折って、ボロを着ているお調子者として中盤まで。
肚の出来た博徒としてのボロ忠が出てくると、俄然面白くなる。
盛り上がりに盛り上がったところで、おあとと交代。
マクラを長めに婦って空気を変えるか、ダレないようにマクラ無しで話に入るか、どちらになるか注視していると、前者。
優しいお客さんが多く、それなりに笑いもあって終演。
給料も出たので、久しぶりに立川キウイの会。
「金明竹」五楼
「看板のピン」キウイ
「宿屋の富」キウイ
中入り
「転失気」だん子
「富久」キウイ
前座にもマクラを振らせて、割と長めの時間喋らせる。
前座は員数外で客前で噺を浚うくらいの扱いになることも多いが、たまにこう言う機会があっても良い。
小学生が居たので「看板のピン」。 これも含めて全部「当たる噺」。
既に二月も末、正月気分もとうに無いが年明け一回目。
終演後に三本〆。
客筋も良くなり、暖かい雰囲気。
もう少し肩の力を抜いても良いような気がしないでもないが、目先の笑いが欲しくなって無駄に脱線しなくなったので安心して聴けた。
そんなに混まないであろうと多寡を括って九時過ぎに日本橋亭へ。
見やすい(聴きやすい)好きな席には座れた。
二つ目二人の会にしては太鼓の稽古をする音が聞こえると思ったら、前講に貞心先生のところの前座さんが入っていた。
「源平盛衰記 義経と弁慶 五條橋の出会い」一龍齋貞奈
「 三方ヶ原軍記 内藤物見~五色備え(の少し先まで)」寶井梅湯
「浜野矩随」一龍齋貞弥
入ったばかりの前座さんなので良し悪しを判断する段階にはないが、すらすら読めるところと蹴躓くところの差が激しく、声も作り過ぎているきらいが有る。 のびのび育ってほしい。
三方ヶ原軍記は立川左談次師匠の読書日記のような進め方。 時折立ち止まってボヤいたり、梅湯さんなりの解釈や、前座の頃の三方ヶ原軍記みにまつわるエピソードなどを挟み込んで楽しく。
修羅場に慣れ親しんだ人には解釈やエピソードが面白く感じられるし、興味のない(薄い)人には法事の時の読経並みに感じられる修羅場読みを、興味のない(薄い)人にも聞いて楽しい娯楽に昇華(転化)出来得るかもしれない試み。
これは良かった。
浜野矩随は煮え切らない主人公に苛々させられっぱなしで終盤まで進むのであまり好きではないが、何とか折り合いをつけて聴かせた貞弥さんに救われた。
講釈は未だに平日の昼間とか夕方とか、勤め人には休まないと足を運べないような会が多いが、神保町講談会の主催興行はそのあたりを考えて打ってくれるので実に有り難い。
錦糸町駅南口を出てすぐのところ。 小林一三が城南地区の労働者の為の娯楽施設として作った江東楽天地の名残のビルの正面入り口前に仮設ステージを作ってのイベント。
「 今、旬なシンガーソングライター&アイドルユニットが出演します。フレッシュな彼女たちの歌声を楽天地ビルよりお届けいたします。」
・・・と、言う事らしい。
昨日亀有で見た notall が予想以上に良かったので、カメラ担いで江東橋へ。
イベントそのものは12:00に始まって16:00過ぎに終わる長丁場だが、別件もあったので notall 出演部分のみ観覧。
映画館も入る百貨店的なビルの入り口とあって、動線は広めに確保してあり、ステージと観覧スペースはそれなりに。
それでも立ち止まる人が出ることを想定して椅子席の周囲には立ち見スペースを確保していたり、動線確保専門のスタッフを立たせていた理、仕切りはきっちり。
音響は上手い業者が入っていて、ハウリングや曲出しの間違い等のトラブルはほぼ無し。
notallのの持ち歌は毒にも薬にもならないものが多いが、気楽に聞けて「ホレタハレタ」成分が薄いので子供にも聴かせられる。
こうしたオープンスペースでのイベントでは、これが親しみやすさに繋がって強みになるかもしれない。
写真を撮っていると面白いのが渡邊ちこ。
客の前に出す自分をしっかり作り込んでから舞台に立っているので、表情の多彩さでは物足りなさもあるが、兎に角破綻した齣が少ない。
地味に良い仕事をしている。
アイドルを見たい気分が盛り上がってきたところに情報が流れてきたので足を運んでみた。
亀有駅近くのショッピングモール「 アリオ亀有」一階のサニーコートでのインストアイベント。
以前、東京女子流を見に来たときは屋外のイベントスペースだったが、そちらは仮設のスケートリンクになっていた。
仮設舞台の前に椅子が3列ほど並べられ、その後ろが立ち見。 通りすがりの買い物客が滞留してもなんとかなるように、立ち見スペースは多めに見積もってある。 やはり音が鳴ると人は集まってきて、何かやっているのが分かると足を止める。
吹き抜けになっており、2階3階からもそれなりの数の人が見ていたようだ。
ショッピングモールでのこうしたイベントでは、いつもの客だけでなく、目当てで来ていない人に対する売り込みもしなければならないし、未来のアイドルになる可能性のあるお子様に夢の欠片を与える事も、割と重要な仕事なのではないかと私は考えている。
notallはそのあたりしっかりしていて、足を止めてくれた買い物客や子供に対しても目配り気配りを欠かさない。 特に子供に対する手厚さには瞠目。
歌や振付がしっかり染み込んでいるので、多少逸脱しても破綻は来たさない。
4月に出るシングルの予約イベントで、いつもの客にはこれを買ってもらう訳なのだけれど、今日初めて見て興味をもった客に予約させるのは難しい。 その辺りも考えて旧譜も売っているのは良かった。
新譜一枚予約で特典券一枚。 特典券一枚で全員握手、二枚で客のカメラ若しくは携帯による記念撮影的なもの。 分かり易い。
歌って踊っての部分はしっかりしており、裏方の大人もしっかり仕事をしている。 客の民度も低くはなく、不愉快なことが起きない平和な現場。
結局、13時からと16時からと両方観てしまった。
ひねもす notall notall 哉。
渡邊ちこ(notall)
佐藤遥(notall)
片瀬成美
notall
暫らく足を運んでいなかった多摩川競艇。 天気も良く、顔付けも良かったので足を運んでみた。
今回の出演はバニラビーンズ、predia、Party Rockets GT。
バニラビーンズは出囃子に乗って出て来るところからお辞儀から〆の挨拶まで、きっちり形が出来ている楷書の芸。
型に嵌まりっぱなしではなく、その時々で臨機応変(すぎるほどに)対応できるのが凄い。
先代の桂文楽の立ち居振る舞いで、客弄りが先代林家三平。
Aラインの寒々しいワンピースに申し訳程度のダウンジャケットではなく、それなりの厚さのタイツと上着のある衣装で寒そうではありつつ悲惨さは緩和されていた。
Party Rockets GTは、既にオリジナルメンバーの方が少ないのに何故かそれ以外のメンバーの立ち居振る舞いからも立ちのぼるステップワンの残り香。
友人曰く「部活の元気少女みたいな感じ」。 言い得て妙。
客の総体を掴みつつ、細部にも気配り目配りをするところは流石。
prediaは長期休養から復活した松本ルナを確認。 完全復活には今しばらく掛かりそうな感じはしたが、動きが遅れる事も無く、表情もやわらかく踊れていたので、知らない人が見たら全くブランクを感じないと思われるところまでは来ている。
相変わらず頭抜けて色が白いが、病的な感じはしなかったので安心した。
湊あかねと村上瑠美奈が歌の軸になっているのだけれど、他の連中が歌えるようになって奥行きが出来た。 張らずに歌う湊あかねがまた良い。
見世物として出来上がっていて、入れ替り立ち替り目の前に現れる綺麗なお姉さんに眩惑され、歌声に聴き入っているうちに終わる白昼夢のような甘美な時間。
荷物による場所取りに対する注意喚起が為されるようになり、荷物の山を築いてどこかへ行ってしまうようなのは居なくなった。
昔とは違うとは言え、ここは鉄火場。 持ってくる荷物は最低限にして、貴重品は身に着けているべき。
ハズレ舟券による抽選会などを行っていることもあってか、アイドル目当てで着ていると思しき客もレース結果に一喜一憂。 ライブの合間にオッズと睨めっこをしている様が其処此処で見られた。
客層の裾野を拡げる事に、或る程度は成功していると思う。
今回の出演者はステージ巧者揃いで客の民度も高く、不愉快な場面には殆ど出くわさずに一日過ごせた。
次回開催は桜の咲く頃だろうか。
PIP: Platonics Idol Platformに居たような気がしないでもない連中が居るような居ないようなグループのお披露目ライブ。
結論から先に書いてしまうと、二度と来るかと怒るほど酷くも無く、積極的に見に行こうと思わせるほど良くも無かった。
1000RTされると正体が分かる謎のアイドルと言う設定、馴染みの連中の芸名を一部変えさせる小細工。 この辺りからして、私の趣味ではない。
無料公演なのだけれど電子チケットによる予約システムを利用。
予約が100枠に達した時点で受け付け終了。
メンバーは「完売した」と無邪気に喜んでいたが、「売れた」訳ではなく、PIP時代の状況を知っていれば、無料公演の予約のキャンセル率の高さも知っていて然るべき。 この辺りの甘さが始まる前から気にはなっていた。
押上着。 整理券交換開始10分前で十人凸凹。
「予約者百人埋りました!完売です!」(※無料です) で、開場五分前で十数人ってどうなんだろう。 それはそうと待機場所が喫煙天国なのが辛い。
今夜予定されている濱野智史の謝罪会見の話題が聞こえてくるが、批判的なご意見が多そう。
開始時間になったので、整理券の回収に向かう。 物販列と整理券配布列を分けてないのでまず呆れる。
整理番号順入場なのであるが、集合時間は決まっていないと言うか、整理券配布担当者が知らされていない。
一旦外に出る。 客を仕切るスタッフがいないので表も混沌。
外の様子を見に来たり指示を出したりすべきなのだが、手が足りないのかそもそも「そうすべきであること」を知らないのか。
開場五分前に中に入る。 入場待機列を作るなどの準備は始まらず、楽しそうに物販を続けている。
開場が遅れるとか、そう言うアナウンスも無い。
結局、その場にいた客から(整理番号順にはしていたが)なし崩し入場。
中に入ってからも遅々として客入れは進まず、なかなか人が入ってこない。
開演数分前に関係者らしき人々がわらわら入ってきて、それなりには埋まった。 整理番号入場は散発的なので、入ってくる速度と量が違う。
客入れで掛かっていたルイ・アームストロングは、開演五分前くらいに途切れてそれっきり。
15:03頃、楽屋から円陣を組んで気合い入れのような事をしている声が漏れ聞こえてくる。 暫らくして暗転。
エルガーの「威風堂々」が流れて開演。
ライブはすべてオリジナルで5曲。 一曲目の出だしは感極まったか不安定だったが、その後は尻上がりに調子を上げ、客に見せて金を取れるレベルには達していた。
石川野乃花はかなり絞った状態で安定しており、動きも軽い。
どこかで見たような気がする宮瀬しおりは歌はまぁ歌として良い動きと表情。
ライブはオリジナル5曲+アンコール1曲。 これで約1時間。
楽曲の質は悪くない。 全員歌って踊れる体には仕上げて来ていて、歌も振り付けも最低限のことは出来ているのだけれど、そこから先の訴求力が無い。
息を整えるために間繋ぎの自己紹介やお喋りの時間は必要なのだけれど、話題も少々内向きだし冗長。 少々長すぎる。 子供が飽きてしまっていた。
後半は司会のキクチウソツカナイを交えてメンバーの人となりを掘り下げるバラエティー番組的な趣向。
なんだかんだで2時間の長丁場。 お披露目としては成功だったと思う。
武道館でのライブが目標とか、上を目指すとか、アイドル業界の現状に照らして少々外れすぎているような気がする発言も気になった。
この辺り大所高所から物事を俯瞰できる大人がいると違うのだろうけれど、如何せんモノを知らない。
楽曲や振り付け、衣装などは良く出来ていたが、客入れなど「主催ライブをするにあたって最低限なにをすべきなのか」が分かっていない。
物販で客から回収するシステムも機能しておらず、相場からかけ離れたレートには客からも落胆の声。
客からの収奪に頼らずとも運営できる自己資金があるのだと思うが、それでは長くは続かない。
ライブそのものは良かったので ±0 にはなったが、開演までの無能無策ぶりには呆れたし、それがどうしてマズいのか分かってい無さそうなところがまた頭が痛い。
舞台の上で起こっている事に限っては良く出来ているので、暫くは深入りせずに観察したい。
小袁治師が六日目に「柳田格之進」を掛けると言うので、万障繰り合わせて新宿へ。 なんとか中トリ前には潜り込めた。
「子ほめ」菊丸
「二人旅」小里ん
<中入り>
「新聞記事」小せん
「紙切り」二楽
「浮世床 夢」扇好
「漫談」ひな太郎
「太神楽」翁家社中
「柳田格之進」小袁治
小袁治師匠の池袋での独演会が、この噺の根多おろしであったと記憶しているが。 私がこれまで見聞きした落語の中で、最も衝撃を受けたのがあの時の「柳田格之進」であった。
狙って聴けるとあらば万障でも何でも繰り合わせる。
客の入りはそこそこだったが、中入りから前の方にギュッと寄せる感じで詰まってきた。
「二人旅」、「新聞記事」、「浮世床 夢」は好きな感じの柳家の芸。
紙切りで出たお題、「浦島太郎」に「なごり雪」ぼやきながらも「なごり雪」をそれらしく切り上げて拍手喝采。
最近見た太神楽は丸一(鏡味)系統のものが多かったので、久しぶりに見る翁家の芸は新鮮。
出囃子に乗って出てきた小袁治師。 少々いがらっぽそうに咳払いをしつつ喋り出し、「楽屋で馬鹿っ話をしておりまして」などと言い訳をしつつ湯呑を手に取って喉を潤す。
優柔不断と一寸したうっかりと行き過ぎた忠義から始まった不幸の連鎖が、柳田の堪忍によって断ち切られる。
四人の主要人物が人生の底を脱した瞬間、それが柳田が碁盤を両断したその時なのであろう。
取って付けたような大団円は描かれず、碁盤と共に物語も断ち切られて終わるのであるが、そのあとどうなるか考えると、皆不幸にはならずに後の人生を送れる、そんな気がしてくる。 いや、凄い。
久保田万太郎晩年の句
湯豆腐や いのちのはての うすあかり
そんな感じのあと味。
小袁治師の「柳田格之進」。 見たい聴きたい落語そのものだった。 喜怒哀楽綯交ぜの、複雑な感情が押し寄せる。 それでいて草臥れない。
私が今、寄席芸能に求めているのはコレなのだなぁ、と得心する至芸。
沁々と帰宅。
オリンパスプラザ東京に併設されているオリンパスギャラリーへ。
パリで撮った、モノクロームの写真展。
街の風景や建物の一部、市井の人々の肖像。 これまで様々な写真家が撮ってきたものの延長線上にあるパリなのだけれど、距離感とか切り取り方は中藤流。 礼節のある距離の詰め方。
遠くにエッフェル塔を望んでパリ市街を俯瞰した写真が象徴的。
地平線は斜めなのだけれど視覚的な揺らぎは感じない。
他の写真でも水平垂直に関してはざっくりしているのだけけど、見ていて平衡感覚がおかしくなる写真は無かった。
画面の中の水平垂直に囚われていないのが、却って良いのだと思う。 そう見えているであろう角度から切られた構図。
プリントが実に美しい。 デジタルでのモノクロームなのだけれど、銀塩でも此処迄の物には中々お目に掛かれない。
粒感は適度にあり、諧調も豊か。 「黒」と「黒と灰色の間の色」にある暗部に幅と深みがあり、黒もきっちり締まった「黒より黒い黒」。
自らも暗室に入って、試行錯誤しつつプリントをしているからこそ辿り着けた高みだと私は思う。
写真展の概要や写っている人物の説明で貼られた紙の書体が活字調のもので、これも写真に良く合っていた。
入り口に近いものから順に見ていくと、最後の最後でひっくり返る。 夢のようなノスタルジーの中のパリから、現在の現実のパリへ。 生まれ育った人々のパリから、やってきた人々のパリへ。
行きつ戻りつして見返す。 それもパリであり、これもパリである。
以下は展示内容ではなく、ギャラリーそのものに係る部分の話。
オリンパスプラザが入っているビルの構造上仕方がないのであるが天井が低く、低い天井から更に吊り下げられたライトを直接当てているので眩しい。
一寸離れて見ると気にならなくなる位置を見つけられるのであるが、寄って細部を見ようとすると一寸煩い。
直接は当てないとか、もっと高い位置から当てるとか、やりようはあると思うのだけれど、照明機材の選定にあたって「どう見えるか」について検討したとは思えない。
念の為書いておくと、機材選定に当たっての誤りであり、そこに在る機材での最善を目指してはいたと思う。
床や壁の色調や部屋の明るさ、空調の設定などは良かっただけに、画竜点睛を欠いた感があった。
ともあれ、写真展としては非常に見応えの有るもの。 会期中にもう一度見に行きたい。
宮脇咲良
表紙と巻頭8ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
2012年の暮から、年末発売の号はTakeo Dec.の撮った篠田麻里子か続いていたが、今年はTakeo Dec.で宮脇咲良。
大人びたところを見せたいのだと思うが、目元のメイクが強すぎて些か凶相。
解釈に幅を持たせられる表情、仕草、ポーズ。 この場で求められる宮脇咲良にはなれていて、且つ押しつけがましくないのは良い。
えなこ
巻末5ページ10カット、撮影は桑島智輝。
コスプレの人は「見られたい自分」しかカメラの前で晒さない傾向にあり、その偏狭さに辟易すること暫しであつたりするが、やはりその傾向。
桑島智輝が物撮り的に造形美を切り取って間を持たせている。
PINK! PINK!! PINK!!!
ファッション誌レギュラーモデル10人による巻頭巻末ぶち抜きグラビア。巻頭9ページ、巻末6ページ、撮影はkisimari。
備忘録的に記しておくと、撮られているのは以下の通り。
斎藤みらい(LARME)
日向カリーナ(S Cawaii!)
平尾優美花(Popteen)
遠山茜子(JELLY)
加藤雛V(S Cawaii!)
山崎あみ(with)
杉本美穂(S Cawaii!)
レイニー(LARME)
阿部菜渚美(Cancam)
松元英里花(Ray)
媒体によって求められる写真が異なることが分からないか、撮り分ける事が出来ないか、青年誌のグラビアを見下しているか、その何れか若しくは全てであると思うが、一貫して着ている物を見せる写真。 写真と言うか、塗り絵とコラージュ。
人物が撮れないカメラマンを巻頭グラビアに使う意味が解らない。
体制が変わったのだか何だか分からないが、ヤングジャンプ編集部の迷走ぶりには頭が痛い。
神保町試聴室で年に何回か開催される関美彦主催のライブ。
関美彦セレクトのガールポップ祭りと言った趣。 誰が出るのか気にしなくても外れないので、安心して指名買い出来る。
演者が十分に持ち時間を与えられてたっぷり歌う。
客が熱心な演者が何組か居た所為か、出足は早め。 一寸早めに出てみたが5番目くらい。
受け付けで出演者の誰で予約したか訊かれたが記憶になく、帳面を見たら店舗予約になっていた。 実質的には関美彦予約である。
しずくだうみ
「闇ポップシンガーソングライター」を自称し、「暗い歌ばかり」と語っていたが、暗いと言うより静かと言った方がより適切ではないかと思う。 静かで意志の強さを感じさせる歌声。
DSC_6582 posted by (C)2petri2
曲の合間に譜面を捲りつつ、間繋ぎに訥々と喋るのだけれど、話にしっかり起承転結がある。
撮影した写真の手元を見ると、この人だけ「キーボード的な弾き方」なのが分かる。 ピアノの鍵を押すように弾くので音に角が無い。
DSC_6590 posted by (C)2petri2
歌と喧嘩しないので、私はこう言うのも好きだ。
Chelip
療養中の中村綾に代わっての出演。 喉が本調子では無いこともあってか、緊張の面持ち。
DSC_6598 posted by (C)2petri2
暖房が石油ストーブだったこともあってか、空気が乾燥して少々埃っぽくもあったので、その辺りも影響していたかもしれない。
何時ものように藤井美音が曲間に喋りに喋って客席を温める。 或る程度お膳立てが出来た頃には井次麻友の表情も柔らかくなり、茶々を入れ始めるとほぼ本調子。
DSC_6642 posted by (C)2petri2
少々歌い難そうではあったが、本領に近いところは出せていたのではないかと思う。
井次麻友が楽し気に歌い踊れている現場のChelipは、見ている側も実に愉しい。
姫野たま
客を手なずけて巻き込むのが上手い。 前の方に座る自分以外を目当てにしている客を上げたり下げたり。
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DSC_6706 posted by (C)2petri2
地下アイドルを自称し、実際の活動もそこから大きく外れてはいないのだけれど、曲の質が高く、オケもしっかり作り込まれている。
しっかりし過ぎていて、オケに耳が持って行かれる。
ユメトコスメ
華やかで聴く者の気分まで明るくする長谷泰宏のピアノと、ユミの柔らかく優しい歌声。 ちょうどこんな曲が聴きたかったことに、聴きながら思い至る。
DSC_6763 posted by (C)2petri2
サポートで入ったヴァイオリンも利いていた。
杏奈(ANNA☆S)
姉妹ユニットで出る予定が、色々有ってソロでの出演となったこともあってか、ピリッとした空気で撮りにくい。
撮るのが難しいのではなく、撮るのが憚られる雰囲気。
ソロアルバムのボーナストラックに入っていると言う「ひこうき雲」に息を呑む。
抑えた歌い出し。 ブレスまで含め、発する音全てでの表現。
ギターの東田亮との息もあっており、練りに練って臨んだライブだった事が窺い知れる。
DSC_6786 posted by (C)2petri2
小林清美 with 山口サララ
Peach sugar snow 新体制準備中の山口サララとK&Mミュージックスクール代表の小林清美。
オケが流れるや、客にライブアイドル的な盛り上がりを要求する小林先生。
DSC_6825 posted by (C)2petri2
その流れで緊張もほぐれたのか、終始笑顔の山口サララ。
DSC_6842 posted by (C)2petri2
肩の力が抜けて来ていた。 上手くないのを糊塗しない歌い方も良かった。
小林清美はピアノで一曲弾き語り。 この人の弾き方は指をしっかり立てて、打楽器的と言うか、きっぱりした音。
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アイドルとして活動する人、アイドルではないけれどアイドルと共演することもある人、アイドルに楽曲を提供する人、アイドルをプロデュースする人。
様々な出演者が「音楽」で緩やかに繋がっている。 客も自律的で、夫々の流儀で楽しみつつ、聴くべきは聴く。
非常に居心地の良いライブだった。
その他の写真は下記に。
しずくだうみ
Chelip
姫野たま
ユメトコスメ
杏奈(ANNA☆S)
小林清美 with 山口サララ
クリエイションギャラリー箱崎で開催されている写真展へ。
休日は混む(落ち着いて見られない)と踏んで成人の日だった初日は外して二日目に行ってみたのだけれど、中々の盛況。
基本的に一人3点(ゲスト枠的な上野勇と常盤響は多め)。
技術とセンスが有って洒落の解る大人が本気で遊ぶとこうなる。
伊達と酔狂。
惹かれたものから幾つか。
Koujiro KANAZAWA
ピントとかブレとか、そう言ったことがどうでも良くなる写真。
ピントは来ていない乍ら立体感はあり、寄ったり離れたりしながら見ると、眩暈がするような揺らぎも感じる。
こうでなければならない必然を感じるブレボケ。
有末剛
縛る人の縛らない写真。
上気した桜色の肌の湿り気と温もり。
Micchii
寒々とした枯野の真ん中であったり、シャワーを浴びながらであったり、絡み合う男女の熱が伝わる。
生々しくありつつも、さらりとした質感。
錦織智
さっと撮ったようでいて、よくよく見ると厳しい構図。
ピントの置きどころ、深度、露出。 じっくり見ると腑に落ちる、噛むほどに味の出る写真。
ちゃちゃ@佐々木薫
レタッチ過多ではないかと思いつつ、なにか惹かれるものがあり、寄ったり引いたりして眺めているうちに、塗り篭め方の執拗さから描き出されたものが見えて来る。
鏝絵のような、生気の無い美しさ。
末光美幸
常盤響にむしゃぶりつくような体のセルフポートレート。
慌てているようでいて、まんざらでもなさそうであり、躰は冷静。
常盤響の色悪っぷりが愉しい。
ムーニーカネトシ
車の助手席に女性を乗せて、それを運転席から撮った連作をコラージュ的にまとめたもの。
助手席で靴と靴下だけを脱ぐことでエロティックな何かを暗示してしまう発想力にはシャッポを脱ぐ。
Eros は遍在するが、見つけたものの目にのみ映る。
Jelly
特別な人にしか見せない特別な表情。
特別であるからこその抑制。 撮る側も、撮られる側も。
甘く切なく、ほろ苦いもどかしさ。
常盤響
満ち足りているからか、ガツガツしない、枝葉を追わずざっくりと撮った女体。
質感は伝わるけれどカラリとした湿り気の無い写真。
上野勇
キャンバス調の紙に、油彩のようなこってりと濃厚な色乗りのプリント。
「同棲」がテーマになっていて、最終的に目指すところは一つでありつつ、焦らし焦らされる仄めかしとはぐらかし。
殆ど脱いでいないのに匂い立つ色気。
眼福。
R18指定ではあるが、見ていて嫌になる様な表現は(少なくとも私には)無かった。
今年も面白いもの詰まらないもの、唸らされるもの首を捻らざるを得ないもの、息を呑むもの唾棄すべきもの、様々な写真展を見た。
それぞれの感想などは「2016 写真展まとめ」に。
見た後で「写真を撮ろう」と前向きに思えた写真展としては。
石川栄二写真展 「みずとか はなとか はっぱとか」
檜画廊写真展「街の記憶・建物の記憶」
写真展「私的写真集選手権」Vol.4
舞山秀一写真展 [progress]
写真展 『’Inhabitants’ 居住者』
ササガワ ヨウイチ写真展「ヨコハマ モダン スタイルズ」
人そのものより「人の気配」を感じられる写真が私は好きなのだけれど、それをどう切り取るかについて自分とは違う視点で撮られたものを見た後、どう写るのか試してみたり、考えたり。
女性を撮ったものとしては
村田タマ写真展「いまは、まだ見えない彗星」
村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展
七菜乃写真展 私の女神たち -My Venuses-
it’s me 桑島智輝 × 杉本有美
村田兼一「魔女の系譜」出版記念展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
私には撮れない種類の写真なので、感嘆するほかない。
村田兼一の写真展は、二度とも財政がカツカツの状態で観に行き、熱に浮かされるように写真集を購ってしまって大変なことになった。
七菜乃の撮る女性の躰は、現実でありつつもそうでない何かのように見える不思議なものだった。
写真展と言うものの企画の仕方、運営の仕方について考えさせられたものとしては
声かけ写真展
『シースルー写真展』1・2
月刊槙田紗子×魚住誠一写真展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」
Photo Infinity Tokyo 2016
声かけ写真展は、主催者の趣味嗜好を肯定し喧伝するために、故人を含めた撮影者を利用主義的に扱うところからして不快だった。
被写体がアイドル(もしくはそれに準ずるもの)である写真展でありがちだったのが、写真には用が無くて被写体と接近遭遇を目的とした来場者が多く、写真の前を塞いで屯してしまうこと。
そう言う人がが寧ろ写真の購入者であったりはするので、無碍にも出来ないのであるが。
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」は、ミスiDと言う出鱈目な企画の派生イベントらしいいい加減さで、写真を見せると言う事について殆ど何も考えていないに等しい見辛さだった。
Photo Infinity Tokyo 2016は写真そのものの質は悪く無いのだけれど、飲食店街と仕切りなしで接しているので見る環境としては最悪に近かった。
小林幹幸はもっともらしい発言の割に、やっている事は雑なのがいただけない。
圧倒されて帰ってきたものとしては
ZOO 舞山秀一 写真展
東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13
刺激を受けるとかそう言うレベルのものでは無く、頭を抱えて帰宅。
今年は神保町画廊、ギャラリー・ニエプス、 tokyoarts gallery などに足を運ぶ機会が多かったが、秋口に東京都写真美術館が(多少問題はありつつも)再開され、年明けにはルーニィが広くなって小伝馬町に移転。
来年はアンテナをより高くして、写真を見て行きたい。
小伝馬町へ移転してしまうと言う、四ッ谷四丁目のルーニィへ。
地下鉄駅の高い天井、ショーウインドウのチャイナドレスの裾のスリットからちらりと覗くマネキンの脚。
欄干であったり敷石であったりタイルであったり、街の中の様々な意匠。 そしてそこに佇んだり、通り過ぎたり、腰掛けて寛いだりする人々から滲み出る「モダン」。
何処で撮られたのかよく分からない風景の中に切り取られた、横浜ならではの「モダン」が写し取られたものが、実に良かった。
横浜税関や赤レンガ倉庫などの良く知られた建物や、どこで撮られたか類推できる文字情報の入った写真も悪くはなかったが、そうしたものが入り込まない方が、街そのものに通底する「モダン」が分かり易く出ていたように思う。
目を惹く物が画面内にあると、どうしても幻惑されてしまう。
ともあれ、見応えの有る写真展ではあった。
「良く知られた建物」「文字情報」この二つを省いて或る特定の街(今日見た写真展では横浜)の特性を感じさせる写真を撮る試み。
これは一寸面白いのではないか。
そんなことを考えた。
サキドルエース サバイバル
巻頭から巻末まで、16ページ。 撮影は細居幸次郎。
アイドルグループの代表が読者の投票で巻頭ソログラビア登場権を争う企画。
・プレゼントページに付いている読者アンケート葉書による投票
・投票項目以外のアンケートに対して無回答だと無効
・掲載順は籤引き
・ミューラーンと三愛水着楽園の衣装協力で、水着はより取り見取り
発売日から各陣営の買い占め合戦が始まり、素材がどうこう、グラビアとしての出来がどうこうではなく、現金での殴り合いになっている。
郡司英里沙 (pimm’s)
侑杏 (PREDIANNA)
涼本奈緒 (atME)
加藤桃花 (バクステ外神田一丁目)
安藤笑 (愛乙女☆DOLL)
鹿目凛 (ベボガ!(虹のコンキスタドール黄組))
黒宮れい (The Idol Formerly Known As LADYBABY)
キャン・マイカ (GANG PRADE)
八木ひなた (ぷちぱすぽ)
甘夏ゆず (バンドじゃないもん!)
(※掲載順)
それぞれが選んだ水着とステージ衣装。
スタジオでの流れ作業の撮影なので、細居幸次郎が撮っているとは言えヤッツケ感は否めない。 破綻はしていないが質的なものは望むべくもない。
メイクもよろしく無い。 引き出すメイクではないので、メイクとの相性で印象がガラリと変わってしまう。
相性が悪かった者はとんだ貧乏籤。
多少の波はありつつも、指名買い出来る安心感はあったヤングジャンプであったが、2017年は3号続けて冴えないグラビアが続く。
挙句、こうした課金収奪企画。 突発的に売り上げが上がっても、中身が伴わないと先は無いのではないか。
ほのか
巻頭6ページ14カット見開き1か所、巻中3ページ4カット、撮影は唐木貴央。
投票企画優勝のご褒美で巻頭・巻中ブチ抜きグラビア。
撮る側も気を付けてはいるのだけれど、強い光に弱い。
眩しがるのを誤魔化すと歯見せ笑顔になり、表情が固まってしまう。
表情として評価できるのは巻中2ページ目上段くらい。
しかし煽情的なところを狙ったのかポーズで無理をさせ過ぎている。
唐木貴央も、こう言う撮り方は講談社だけにして欲しいし、編集する側もそうならないようなお膳立てをすべき。
大園桃子
巻末4ページ14カット、撮影は藤本和典。
とりあへず笑っておきました的な表情が殆どだが、それ以外の表情は良い。
しかし、その「良い表情」は小さく使われており、素材を生かし切れていない。
年が変わって最初の号で編集者の力量不足が出ると言うのも幸先が悪い。
桜井日奈子
表紙と巻頭8ページ18カット、撮影は藤本和典。
ああそうですかとしか言いようの無い8ページ。
何かしら作り込まないとカメラと向き合えないところに、闇を感じる。
良し悪しではなく、生理的に受け付けず、目が見ることを拒否する。
石塚汐花
巻末5ページ6カット、見開き1か所、撮影は細居幸次郎。
「はにかみ温泉旅行」と題して浴衣やら水着やら。
5ページながら見開きで2ページ使う思い切った構成。
笑顔は一種類なのだけれど、カメラとしっかり向き合えているのは良い。
上手く撮り、撮られている。
夕方から tokyoarts gallery へ。
先日、大和田良ゼミ第6期修了制作展を見に行った際に教えていただいた写真展。
最終日の終了間際だったがとりあへず寄ってみたら、思った以上に良かった。
空いている時間帯に来て、じっくり見るべきだった。
大和田良によって撮影された、酒井法子の30周年コンサートの模様。
上から降り注ぐ照明の光、場内の熱気。 演者だけでなく、観客やスタッフを含めたコンサート全体の雰囲気、空気を写真に閉じ込めている。
演者に寄って撮ったものもあるが、引いた構図が実に良い。
酒井法子も、薹は立ってきているものの節目のコンサートとあって流石に仕上げては来ており、きっちり「舞台の上に立つ人」としての威厳が現れていた。
大和田良の上手さはその「薹が立った」部分を糊塗せず、年相応の美しさとして写真にしているところ。 客席も写ってはいるのだけれど晒す感じではなく、コンサートの一部として扱っている。
移動の自由、撮影の自由を与えられていたからこその写真だとは思うが、唸らされた。
下北沢のバロンデッセギャラリーで開かれている、クラウドファウンディングで資金を調達して行われたもの。
昭和の雑居ビルの三階部分。 天井が低いので照明に俯角を付けられず、一寸見づらいのだけれど、そこは建物自体の雰囲気と相殺。
良くも悪くも魚住誠一と言う感じ。 構図も角度も突き詰めない撮り方。
緊張を強いないので表情そのものは柔らかく、諧調も豊かだが、どの角度から撮れば映えるかについての試行錯誤はないので写真そのものは単調。
単調な写真をズラリ並べた、弾幕を張ったような写真展。 それでも良い人は多いようで、私以外の皆さんは楽しそうに見ていた。
クラウドファウンディングで資金を募って沖縄ロケをしつつ、水着の上にTシャツ一枚着る以上の露出はしない槙田紗子の筋の通し方には感心した。
下北沢から神保町へ移動。 閉廊間際に神保町画廊に駆け込む。
阿部定事件と津山事件をモチーフにした連作。 カメラマンやらモデルやら、身の回りの友人知人を集めてそれらしい恰好をさせ、それらしい場面を組み立てて絵を作り込む。
衣装から小道具からロケーションまで、凝る部分は凝っているのだけれど、それ以上どうしようもない部分への割り切りもさっぱりしており、程が良い。
髪型や化粧は現代人のだけれど、「それらしく」見えてしまう匙加減の妙。
猥雑であり、陰惨でもあるのだけれど、思わず笑ってしまうような滑稽味。
今月も書評イベント的なものに混ぜていただいた。
日の暮れ方に東神奈川へ。 諸式高騰の煽りで、日栄軒は11日から値上げ、ネギ大盛りも有料になるとの事。
世知辛さを噛み締め乍ら会場へ。
私以外の十冊はこちら
丸岡巧
久世光彦「卑弥呼」(2000/新潮文庫) ※親本・1997/読売新聞社
サイプレス上野「ジャポニカヒップホップ練習帳」(2016/双葉社)
大槻ケンヂ「おまけのいちにち(その連続)」(2015/PARCO出版)
とり・みき「メカ豆腐の復讐」(2016/イースト・プレス)
大塚幸代「初恋と座間のヒマワリ」(2013/リイド社) ※電子書籍のみ
小林銅蟲「めしにしましょう」1巻(2016/講談社イブニングKC )
山名沢湖「結んで放して」(2016/双葉社 ACTION COMICS )
施川ユウキ「バーナード嬢曰く。」3巻(2016/一迅社 REX COMICS )
小原愼司「青猫について」1巻(2016/小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル)
太宰治「人間失格 グッド・バイ 他一篇」(1988/岩波文庫)
倉庫の二階・村田席亭
大西信行「正岡容 -このふしぎな人-」(1977/文藝春秋)
マイウェイ昌彦「人気独占! 拍手のあらし ザ・一人芸」(1989/高橋書店)
マイウェイ昌彦「みんなで楽しめる ザ・宴会芸」(1989/高橋書店)
種村季弘「徘徊老人の夏」(2008/ちくま文庫) ※親本・1997
「月刊シナリオ教室」2016年12月号(シナリオ・センター)
「短歌」2016年12月号(KADOKAWA)
「幸縁会会報」平成28年12月1日号(談幸幸縁会事務局)
小島なお「歌集 サリンジャーは死んでしまった」(2011/角川書店)
川上ゆう「ソノ先が、知りたくて」 (2016/双葉文庫)
亜衣まい「【朗報】ソープ部の顧問になったんだけど研修といってエロいことするの楽しすぎwww」(2014/ぷちぱら文庫 Creative)
ドジブックス・佐藤晋
夏目漱石「吾輩は猫である」(1990/岩波文庫) ※改版
吉本隆明「読書の方法 なにを、どう読むか」(2006/光文社知恵の森文庫)
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」(2007/廣済堂)
猪又孝・編「ラップのことば」(2010/ブルース・インターアクションズ)
クリス松村「「誰にも書けない」アイドル論」(2014/小学館新書)
井上二郎(チャーミング)「芸人生活」(2015/彩図社)
爆笑問題 町山智浩「自由にものが言える時代、言えない時代」(2015/太田出版)
MELODY KOGA 「やさい」(2016/ MARUTENN BOOKS )
「漫画アクション」2016年12月20日号 ※こうの史代×のん スペシャル対談 (双葉社)
「悲劇喜劇」2017年1月号 ※特集・落語と演劇 (早川書房)
私の十冊は、こんな感じ。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
久世光彦「卑弥呼」は、読売新聞の夕刊に連載されていたもの。
「吾輩は猫である」の手法を取り入れて書かれており、時代の風俗を鏤めたり、文学小ネタを織り込んだりしてあるとのこと。
後書きの先にある新潮社の出版物紹介のページ。 久世光彦の著作の後に作品の中で触れられた著作がズラリ並んでいるのも面白い。
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」は、ですます調の淡々とした文章で血生臭いあれこれがサラリと書かれているのが却って恐ろしい。
そんなこんなで「何が」「どう」琴線に触れたか話しているうちに、他の人の選んだ別の本との関りが出てきたりする。
面白かったのは、著作に接している人とツイートでしか知らない人とでは所謂「サブカル蛇おじさん」の評価が異なっていたこと。
私なんぞは、あのプライドの高い人特有の、自分の好きなアイドルを肯定するためにそれ以外を否定するような振る舞いが嫌いなのだけれど、著作に親しんで来た人は同情的。
逆に松谷創一郎については、ツイートと書いた記事でしか知らない人は否定的、私は多少付き合いがあり「数字には強くて理詰めの文章は書けるが、人情の機微にとことん疎いしょうがない人」と言うのがあるので「まぁまぁ」となる。
そう言うものなのである。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
AKB48の正式名称が"Akihabara48"だった頃、劇場で販売されていた冊子。
2006年の2月19日発売。 (1stシングルの「桜の花びらたち」は2/1発売)
AKB48のシステムの紹介(実際にはそうならなかった1軍2軍システム)、公演楽曲とメンバーの紹介、コラム、客が撮ったお台場イベントの写真コンテスト。
このコラムを書いているのが、後述する岡田隆志。
奥付のSpecial Thanks に電通から12人、電通テックから1人。
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
今年の春に日刊スポーツから出た、公式10年史。
かなり綿密に、運営側には都合の悪そうな事も含めて取材されている良書。
初期の客を集めて昔話をさせる座談会に呼ばれて行ったが、相当マズそうな事以外はだいたい反映されていて驚いた。
これの編集にも岡田隆志。
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
岡田隆志が編集長を務めていたアイドルと芸能スクールのミニコミ誌。
表紙と巻頭にアイドル時代の浜崎あゆみ、「お芝居がやりたい。歌はそれからでいい」
エッセイに、後に椎名林檎になる人。
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
草創期のAKB48の活動は、劇場公演と呼ばれて出た外部イベント(電通が絡んでいるのでCMなどのタイアップは当初からあった)のみ、後ろ盾はあったものの知名度は低く、マキタスポーツの言うところの「第二芸能界」にあるグループだった。
それが売れ出すとテレビに出られる連中と出られない連中に分かれて来る。 出られる連中は知名度が上がり、外部の仕事も増える、出られない連中は劇場公演に出続けて、そこで見つけてもらうしかない。
(当時はまだ「握手会」が仕事の殆どと言うバカバカしい状況にはなかった)
劇場公演に外部仕事で穴をあける連中の代演に如何に出られるようにするかに特化して努力を重ねて一定の成功をみたのが仲谷明香。
その後AKB48を辞め、事務所も辞める際にはきな臭い話も有ったが、新しい事務所に移り、とりあへずは声優として飯を食えている。
現在は劇場公演での出来不出来より、握手会での社交性がのし上がる為には必要になってしまい、また握手会対応で相対的に客がついても、絶対的な人気の量には繋がらない八方塞がりの状況にある。
なので第二芸能界の住人であるメンバーが立つ瀬も浮かぶ瀬も無く、それに絶望してか辞めて行く連中が近年になく多い年となったが、それはまた、別の話。
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
萩原朔太郎の短篇小説3本と散文詩13篇、随筆2篇が集められたもの。 紙幅の1/3くらいが解説に充てられている。
表題作の「猫町」は道に迷った際に既知の街並みが未知の街並みに感じられるさまを幻想的且つ何かに酩酊したかのような筆致で描いたもの。
それを絵本に仕立てたのが金井田英津子の「猫町」。
絵だけでなく、書体やレイアウトも含めて物語の怪しげな感じを視覚的に伝える為に組み上げられている。
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
レーシングカーデザイナーとしてインスタントコーヒーのCMに出て「違いの判る男」になっていた人がカーグラフィックに連載していた落書き随筆をまとめたもの。
宮崎駿の雑想ノートと並ぶ良書。 車だけでなく、飛行機や船まで、動くかっこいいものについて描いているのだけれど、線画だけの雑なイラストが三次元的に生き生きと描かれている。
P107からの「オタクについて」の項。 オタクというものの由良拓也なりの解釈は「没入する深度」にあるような文章。
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
「正岡容を浅草で語る」の会で触れられた、安藤鶴夫的な演芸との向き合い方と正岡容的な演芸との向き合い方、本寸法ではないけれど愛おしい芸をどう評価するかについて考えつつ、本棚を整理していたらこの号が出てきた。
アンツル的な落語の対極にあるもの。
快楽亭ブラック師の除名と大病、立川談笑師の真打昇進がトピック。 談笑師の弟子は、トンデモ落語会から離れて以降の高座を見た人々なので、この頃の芸風は知らない。
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
フォトテクニックデジタルの連載を纏めたもの。
カラーで撮ったものと、モノクロで撮って彩色したものとあるのだけれど、彩色したものが私の好みに合う。
必要なところにしか色を乗せていないので、色が五月蠅くない、邪魔にならない。
カラーで撮った物にも通底していて、余計な色が無い。
この写真集に絡めて神保町画廊の話など。 この写真集も出版記念写真展の際に購ったものであり、年間を通して面白い写真展を開催している。
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
現在開催中の写真展。 こちらについては別項にて。
仕事帰りに両国へ。 六時半開演と一寸早いので開演した頃合いに到着。
「猫の皿」小柳
「ポンコツラーメン」(仮)可風
「犬の目」鯉太
「代書屋」笑好
中入り
「皿屋敷」桃之助
「バッタもん歌謡ショー」鯉太
「竹の水仙」和光
よく笑うお客さんが二人いたので、人数以上に笑い声が多い。
この会の良いところは、寄席が本来持つ美点であったものでありつつ、諸式高騰した昨今ではなかなか分かりにくい部分である「金のかからない、くたびれない暇潰し」が常にあること。 木戸千円で二時間半だらだらして、へらへらと、解釈せず考えずに只々笑って過ごせる。
仕事帰りに神保町へ。 本屋で買い物を済ませ、開場時間を少し過ぎたころに会場着。
開演五分前くらいには出してあった椅子は埋まり、追加の椅子も出て、〆て30人くらいの入り。
静かに開演を待つ。
白湯の入った蓋つきの湯飲みが茶托とともに置かれ、捲りがめくられて神田愛山になったところで開演。
足元を確かめるようにゆっくりと高座に上がり、座布団を直し、釈台を直してから、確かめるようにバン、、バンッと張り扇で釈台を二回叩く。
これか愛山先生の形。 静かに近況などから語り始める。
先輩である立川談四楼師匠の新刊が二冊出て、そこに愛山先生に関する記述があり、良く書かれていることなど。
自虐的でありつつ誇らしげでもある。
「徳川天一坊 龍の夢」
大阪城代から京都所司代、老中幕閣から大岡越前まで、ここまで巧みに言い包めてきた山内伊賀亮。 自らの弁舌・知識以外の部分から出た綻びを、ちょっとした「兆し」から観て取り、事破れたと察してからの独酌。 酒の苦みまで伝わる。
潔く負けを認め、自らの美学に則って恬淡と身を処す決断をするところまで。
召し取りの手前のダレ場になりそうなところでありつつ、得意の絶頂にある伊賀亮が、ふとしたことから事露見と覚るに至るまでの心理描写が細やかで、引き込まれたまま最後まで。
中入り無しで、続けてもう一席。
「講談私小説 真剣師」
一つの躓きから酒に溺れる講釈師が行きつけのスナックで一人の真剣師(賭け将棋を生業とする人)と出会い、郷里でアルコール依存症治療の療養中に週刊誌に載った訃報に接する迄の、暗くやるせない日々を綴った私小説仕立ての講談。
酒に溺れ、酒に苦しみ、酒を絶てたからこそ描ける、どうしようもない酒飲みの姿。
時折混ぜっ返して空気を入れつつも、終始どんよりと。 それでも最後までダレずに聴けてしまう。
愛山先生の酒にまつわる話の厄介なのは、不味い酒が飲みたくなってしまう事。
調子を上げたり声を荒げたりすることは殆どなく、そうであることを仄めかしつつ、低く淡々と読み進める。
だから聴いていて草臥れ過ぎない。 心地よい疲れの中、帰宅。
次回の開催は一月。 天一坊もいよいよ最終回。
写真美術館へ向かう前に tokyoarts gallery へ。
面白かったものを幾つか。
小林直樹
モノクロームで6点。
建物の描く縦と横の線で画面を構成。 組み写真として巧い。
飯田夏生実
モノクロームで9点。 あっさりしたプリント。
団地を、一歩引いて撮ったような、ふわりと鼻をかすめるような生活感。
稲村泉
ラルティーグのポートレート作品を再現したような小品が面白かった。
黒の濃い、濃密なプリント。
写真もまだまだ撮りようはあるのだなぁ、と、視野の広がる写真展だった。
改装成った東京都写真美術館へ。
3階で開催中の「TOPコレクション 東京・TOKYO」も気になったが、脳味噌が飽和しそうだったのでこちらだけ。
中藤毅彦
今回はデジタルカメラで撮影したものであるとのことだが、フィルムで撮ったような風合いの、粒感のあるザラついた硬めのプリント。
ストリートスナップが中心。 撮ろうと思ってから撮るまでが早い写真。
たなびく無数の日の丸の小旗、雪の九段上など、特定の因子を含んだ写真を並べることで見る者に何かを感じさせるようなものもあり、見上げた夜空に浮かび上がる聖橋であったり、上野と思しきガード下のラーメン屋の横で抱擁し接吻をする中年男女であったり、一枚で語り切るものもある。
高い建物の上から東京を俯瞰した写真の中央を横切る烏の写真。
地平線は斜めに切り取られているが、烏は右から左へ真っ直ぐ飛んでいるように見え、水平の感覚が揺らいでくる不思議な感覚に捉われた。
佐藤信太郎
デジタルカメラで撮影された何枚かの写真を繋ぎ合わせる事によって作られたパノラマ写真。
富嶽三十六景のように、どこかしらにスカイツリーが写り込んでいる。
建設中の頃のものもあり、今年撮った物もあるので、震災前後の記録のようにも見える。
雷門を西側のビルの上から見下ろして撮った三社祭の宮入りであったり、荒川土手の北側から撮った足立の花火であったり、東京の四季を切り取った絵巻物のようでもあり、パノラマでしか遺せない種類の写真。
離れて愉しく、寄って面白い。
京島の長屋越しに撮った二点に、特に惹かれた。
小島康敬
普通の風景の中に、何か引っ掛かるものが潜んでいる。
そこに在って当たり前だと思っていたもの。 例えば東急東横線渋谷駅ホームであったり、今はもう走っていない型の都バスであったり。
古びていない色のカラー写真なので、その異物に気付きにくい。
元田敬三
街で出会った悪そうな子、悪そうな大人に声を掛け、話をして撮った写真。
私の苦手な部分の「東京」だが、こう言う形で見ると面白い。
添えられたキャプションが利いている。 一行の文章で写真が動き出す。
野村恵子
この一角だけ照明が落とされ、暗がりの中で写真だけにスポットが当たっている。
周辺光量が落ちた写真であるのも相俟って、文字通り「浮かび上がる」よう。
この光景まで含めての作品であり、仕方のない事ではあるが、図録では感じられないのが残念。
人物と風景、人物と静物を組にしていたのは何らかの寓意が有ったのか無かったのか。
田代一倫
街で出会った人に声を掛け、許可を得て撮ったポートレート。
屋内は横位置で上半身、屋外は縦位置で全身、被写体は中央に配して、ほぼ決まった構図で撮ったものの集積としての面白さ。
訝しむ人、戸惑う人、照れる人、気を呑まれる人、微笑む人etc...
撮られた人の反応が写っている。
改装後の写真美術館は、脳味噌のむず痒くなるような「トップミュージアム」なる愛称であったり、整理され過ぎて却って分かり辛いチケット売り場であったり、入りやすくはなったが場所が辺鄙になったミュージアムショップであったり、軽くお茶でもとは到底思えない飲食施設の敷居の高さであったり、少なく硬いベンチであったり、改悪に等しいところもあるが、展示室の見易さについては及第点。
ライトが高い位置から当たる為、必要な光量で照らされていつつ、眩しくはないのは良い。
図録は同じもの乍ら、出展者六人それぞれの表紙カバーが掛けられたものが用意されていた。 面白い試み。
私は中藤毅彦のものを購入。
恵比寿からバスを3本乗り継いで四谷四丁目へ。
ギャラリーニエプスで、Jiye Kim(キム・ジエ)、Venelina Preininger(プライニンガー・ベネリナ)、Gueorgui Tcherednitchenko(チェレドニチェンコ・ゲオルギ)による三人展を見て来た。
英語を話さない(話せない)日本人と思しきお客さんが居た所為か、共通語として日本語が話されていたのが面白かった。
キム・ジエはモノクロ作品の黒と白の使い方に、チェレドニチェンコ・ゲオルギ は被写体との向き合い方に、プライニンガー・ベネリナは被写体の切り取り方にそれぞれ特色があり、特にプライニンガー・ベネリナは色遣いから構図の切り方から、「丁度見たかった写真」。
バスの中、椅子に座った女性のスカートから靴までであったり、人の身体のうち顔以外の一部を切り取っていて、見えない部分への想像が膨らむ。
静かに興奮した。
朝飯代わりに蕎麦を手繰ってゆるゆると、九時過ぎに到着。
出足は悪かったがまずまずの入り。
「義士銘々伝 前原伊助」一龍斎貞橘
今聴きたい講釈師を三人挙げろと言われたら、若手では貞橘先生を入れる。
硬すぎず柔らかすぎず、程が良い。 脱線が過ぎてとっちらかりそうになることもあるが、踏み外さずに最後まで持って行く。
暮れなので義士伝。 銘々伝でもあまり掛からない前原伊助。 荒唐無稽、史実とはだいぶ異なるようではあるが、物語としては面白いところ。
昨日の貞橘会では本伝の「二度目の清書」を演ったそうで、聴いてきた知己の評によると「昨日の清書は良かったけど、今日ははあんまり」との事であったが、悪いなりに良い今日のようなのも私には愉しい。
「 難波戦記 長門守木村重成の最期」旭堂南海
嫁となる青柳との馴れ初めと今生の別れ、重成の討ち死にから首実検まで。
柔らかく始まり、引き締まって終わる。 兜に香を焚きしめた逸話など、しみじみ聴く。
上方講談ならではの読み物。
泉里香
表紙と巻頭8ページ11カット、巻中前半4ページ7カット、撮影は阿部ちづる。
遅れてきた大型新人的扱いで計12ページ。 どこかで見たような・・・と思ったら、元の浜千咲であった。
モデルとしての仕事歴が長く、自分を見せる仕事も服を見せる仕事もしてきているので、「青年誌初水着」と煽るものの初々しさは無く、良く言えば堅実、悪く言えば手慣れた感じ。
とは言え過不足なく商売用の自分をカメラの前に提示して見せる仕事ぶりは流石としか言いようもなく、阿部ちづるは据え膳を食った感じ。
煽情的ではありつつ、品はある。
馬場ふみか
巻中後半3ページ4カット、撮影は熊谷貫。
期待していたのだけれど、晴天の海辺と言うどうにも撮りようのない状況で3枚。 木陰で撮った一枚はなんとか見られる出来。
こういう形で事務所に殺されるとは思わなかった。
実に勿体無い。
南りほ
巻末4ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
「ウエスト48cm」と言うカタログスペックを煽り文句にしているが、それをことさら強調するような不自然な格好はさせていないのは良い。
左右ではなく、前後方向に細いので絵にし難い。
水着での撮影は初めてとの事なので、無理はさせなかったのだと思う。
そんな訳で表情は硬く単調なのだけれど、映える角度とタイミングを探して何とか使えるカットを揃えている。
こなれて来れば、また違った撮られ方になると思う。
先月見に行った好事家が集まってその月に読んだ本十冊について語り合うイベント。
今月は出る方に混ぜていただいた。
喋る人は丸岡巧(漫画家/イラストレーター)、倉庫の二階 村田席亭(演芸コンサルタント)、墨田ペトリ堂(好事家)。
司会はドジブックス 佐藤晋(古本屋)
それぞれのリストは以下の通り。
丸岡巧
ロマン優光「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」(2016/コア新書)
町山智浩「さらば白人国家アメリカ」(2016/講談社)
畑中純「愚か者の楽園」(2000/新潮社)
いましろたかし「新釣れんボーイ」(2016/エンターブレイン)
彩瀬まる「神様のケーキを頬ばるまで」(2016/光文社文庫) ※親本・2014
村上春樹「職業としての小説家」(2016/新潮文庫) ※親本・2015/スイッチパブリッシング
広瀬和生「僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集」(2016/淡交新書)
立川志らく「雨ン中の、らくだ」(2012/新潮文庫) ※親本・2009/太田出版
「落語とメディア」展パンフレット(2016/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館)
「この世界の片隅に」劇場パンフレット(2016)
倉庫の二階 村田席亭
スペンサー・ジョンソン「チーズはどこへ消えた?」(2000/扶桑社)
吉行淳之介「夕暮まで」(1982/新潮文庫) ※親本・1978
天津木村「天津 木村のエロ詩吟、まだまだ吟じます。」(2009/河出書房新社)
朝井リョウ「少女は卒業しない」 (2015/集英社文庫) ※親本・2012
加藤千恵「卒業するわたしたち」(2016/小学館文庫) ※親本・2013
川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」(2006/新潮文庫) ※親本・2003
春日太一「鬼才 五社英雄の生涯」(2016/文春新書)
ロマン優光「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」(2016/コア新書)
市川しんす アダム徳永・監修「スローセックス相談所」(2010/講談社)
愛内なの「どんな時でも巨乳女子と子作りOK!! ~目が覚めたら全ての女が俺に惚れていた!?~」(2016/ぷちぱら文庫 Creative)
ドジブックス 佐藤晋
外山滋比古「思考の整理学」(1986/ちくま文庫)
内村光良「アキオが走る」(1996/角川書店)
村田席亭「業務日報」1~5巻(2006~2008/倉庫の二階)
矢野誠一「落語とはなにか」(2008/河出文庫)
南原清隆「僕の「日本人の笑い」再発見 狂言でござる」(2010/祥伝社)
丸山健二「田舎暮らしに殺されない法」(2011/朝日文庫)
前田敦子「前田敦子の映画手帖」(2015/朝日新聞出版)
「ユリイカ」2016年6月号 ※特集・日本語ラップ (青土社)
「BRUTUS」2016年11月15日号 ※特集・漫才ブルータス (マガジンハウス)
「ヒトハコ」創刊号(2016/書肆ヒトハコ)
墨田ペトリ堂
成島柳北「柳橋新誌」(1987/岩波文庫)※1刷1940
齋藤緑雨「かくれんぼ 他二篇」(1991/岩波文庫)※1刷1939
大杉榮・伊藤野枝「二人の革命家」(1985/黒色戦線社)
子母澤寛「味覚極楽」(昭和63年/中公文庫)
青木正児「華国風味」(1984/岩波文庫)
平井正「ゲッベルス」(1991/中公新書)
太宰治「もの思う葦」(昭和54年/新潮文庫)
立川談志「談志楽屋噺」(1990/文春文庫)
東京都写真美術館「ドキュメンタリーの時代 名取洋之助・木村伊兵衛・土門拳・三木淳の写真から」(2001/財団法人東京都歴史文化財団)
JOHN R.BAIRD「collecters guid to KURIBAYASHI-PETRI cameras」(1991/CENTENNIAL PHOTO SERVICE)
全ての本について語り切れるはずもなく、それぞれが選んだ十冊について簡単に説明した後、旬な話題にまつわる本などから。
ロマンポルシェが「浅草おにいさん会」にどの時期からどういった経緯で出演していたのかの検証から騒動の経緯を考えたり、広瀬和生「僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集」から落語家同士の対談があまりない理由を考えたり、縦糸と横糸が意外な形で織られて行って、思いもつかなかった図柄が現れたり、有意義な3時間だった。
日本語ラップのルーツが企画もののノベルティーソングにあり、新しいジャンルの音楽が持ち込まれる際にはえてしてそうなってしまうと言う話。
日本語をリズムに乗せようとすると、どうしても阿呆陀羅経のような音頭のような感じになってしまい、その実例とそこから抜け出す苦労を実際の音源から辿れたのも有意義だった。
予想通り聞いているだけより話の輪に入った方が愉しい。
私が興味を引かれたのは丸山健二の「田舎暮らしに殺されない法」。
一文の長さが異常で噛んで含んで回りくどく、ねちねちと読者を殺して行く理想の文章。
これは探して買いたい。
混むであろうと踏んで早めに出て、九時前には着いたのだけれど既に蕎麦屋の先まで列が伸びていた。
こうなると椅子席は選びようがないので久しぶりに桟敷へ。
百人から入ったとの事。
「中村仲蔵」神田松之丞
門閥の無い役者が努力と機転で這い上がっていく様に焦点を当てた演出。
仲蔵を押し上げていくものが「四世団十郎の引き立て」「己の力」「客の後押し」に絞られていて、女房のお岸も師匠の伝九郎も出て来ない。
蕎麦屋で見本になる侍と出くわす時も観察するのみで会話は無し。
主題を「大部屋の役者がのし上がっていく様」に絞って枝葉を削り、幹を太らせて力技で押して行く。
話をぬるくする要素は徹底して省かれ、仲蔵は苦悩を通り越して苦悶の体。
役の工夫は成功するのだけれど、これで安泰とは到底思えない。
よかったよかったにはならない重い一席。
「名人小團次」一龍斎貞寿
善意を善意として受け取れなかった若き日の過ちのエピソードから、時が経って初めて判る人の心について語り、熱せられた客席を常温まで戻してから読み始める。
モールス信号のように細かく刻むリズム、丸いが角はある発声、芝居掛かった科白廻し。 しみじみ聴く。
貞心先生の口調を消化しつつ、貞寿さんなりの講談を読めるようになって来ているタイミングでの真打昇進。
大入りになるのも納得の二席。
私の好みに合うか合わないかと言う話になると、まぁ合ったり合わなかったりなのだけれど、凄いものを見たのは間違いない。
石川恋
表紙と巻頭7ページ21カット、撮影はLUCKMAN
連載漫画連動グラビア、スカジャンやら特攻服やらを着せてストーリー仕立てにしてあるのだけれど、些か説明的に過ぎる。
更にいただけないのはメイクが濃く、表情がきつく見える事。
マンガの方に引っ張られ過ぎて被写体を殺している。
石川恋は編集者の意図に則った小芝居。 煽情的に撮られるコツは弁えていて、なんとか間を持たせている。
内田理央
巻中3ページ6カット、撮影は今村敏彦。
2冊同時に出す写真集の片方から。
今村敏彦らしい、生きた表情。
鈴木絢音
巻末5ページ15カット、撮影はTakeo Dec.
こちらも連載漫画連動。 秋田出身の鈴木絢音を秋田で撮影。
鄙には稀な美形を都会の絵の具で染めずに撮った、80年代の英知出版のようなグラビア。
衣装に野暮ったさが無く、浴衣の裾をたくし上げるくらいで(例によって)露出度は抑えめなので、騙されたような、借金のカタにされたような、じめじめした陰惨さが無いのは良い。
兒玉遥
表紙と巻頭13ページ17カット、見開き1か所、撮影はTakeo Dec.
写真集の other cut で構成。
明るく楽しい部分が中心だが、カメラと真っ直ぐ向き合うカットまで、諧調は豊か。
悪くはないのであるが、そうせざるを得ない立場が作った人格と言うか、カメラの前では一枚壁があり、正体を現さないようなところがあり、今一つ没入できない。
岡田奈々
10ページ13カット、撮影は山口勝己。
一番切羽詰まった時期の撮影なのではなかったかと思われる。
面窶れしていて、肌の状態もよろしくなく、痩せているのに浮腫みがある。
そこを何とかしているのが裏方の腕と頭脳であり、男装に仕立ててみたり、映える角度を探りつつ光を強めに当てて、粗が目立たぬようにしている。
グラビアとしてはぎりぎり及第点と言う感じで、出来としては良くも悪くもないのだけれど、岡田奈々の「撮られ方」「カメラとの向き合い方」については以前より格段に良くなっており、体調や精神状態が本復した状態でどう撮られてくれるか、希望の持てる10ページだった。
須田亜香里
10ページ12カット、見開き1か所、撮影は桑島智輝。
この号の撮影時期にはAKB関連グループのメンバーにとっては精神状態が穏やかならざるのも仕方のないあれこれがあり、須田亜香里も硬い。
そこを撮る側が上手く誤魔化して洒落乙に仕上げている。
樋口日奈
10ページ10カット、撮影は唐木貴央。
屋内撮影分は薄着にするためと思われる、ミニ丈の白いキャミソールワンピース。
それ以外はアクセサリーや小物も含め、昭和40年代風の出で立ち。
これがよく似合っている。
構図もマルベル堂チックと言うか何と言うか紋切り型のものだが、それらしく纏まってはいる。
北野日奈子
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
熊谷貫にしては珍しい距離感。 寄らず離れず。
歯応えの無い被写体では守りに入ると言うか、あまり寄らずに絵作りに専念して纏めてしまう事があるが、今回はそうではなく、正面から寄らずに、迂回して側面から。
横からの角度に美しさを見出したと言う事なのか、側面から。
特に右側に回り込んで撮ったカットが良い。
ぐいと迫るのではなく、じわじわ寄って最適な距離まで詰めている。
9ページ目の横から撮ったカット。 これが実に良い。
守屋茜
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西村康。
眩しいと眩しそうに、どうして良いか判断が付きかねている時は所在なく、素直に感情がでてしまっているので撮り難そうではあるが、本人が与えられた役割を咀嚼できているカットは、上手く撮られている。
石田亜佑美
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
水着ありの写真集からのグラビア。 水着部分の多くは例によって晴天の浜辺での撮影なので守りに入って「使えるカット」を確保するための写真になってしまっているが、それ以外の部分では熊谷貫の「らしさ」が随所に出ている。
どう撮っても動じない石田亜佑美に思い切って寄ったカットが、撮る側も撮られる側も巧い。
吉岡里帆
7ページ10カット、撮影はサトウノブタカ。
正面から撮っても、心持ち左右に振っても絵になる。
絵にし易いとどうしても単調な構図になりがちなのだけれど、そこは変化を付けて飽きさせない。
ヨガマットに座って背筋を伸ばすカット。
伸ばした指先から下がってくる身体の線が美しく描き出されている。
長濱ねる
10ページ17カット、撮影は藤本和典。
このグラビアの後にけやき坂46の新規メンバーお披露目があるので、長濱ねるの顔見世グラビアの意味合いも強い。
まだ一寸肩に力が入り過ぎているような、表情を強く作り過ぎているようなところは有るが、カメラと素で向き合う事も出来ており、悪い出来ではない。
ギャラリーE&M西麻布はどの駅からも均等に遠く、渋谷から新橋行き01系統のバスに乗り南青山七丁目で降りててくてくと。
Googleマップに騙されて見当違いの方向に歩かされたりしつつ、辿り着いてみたら以前も来たことのあるギャラリーであった。
2002年にフランスからイタリアにかけて撮り歩いたスナップからの作品。
プリントはトリミングなしのネガサイズのものが、大キャビくらいの大きさに焼かれている。
ネガサイズと言うか、ネガキャリアを少し削って四辺が黒く縁どられたような焼き方。
これを見てしまうとフィルムで撮りたくなるし、現像したくなるし、プリント作業をしたくなる。
ピントも構図もざっくりしていて、レンジファインダーのカメラで撮ったおおらかさがあるが、シャッターを押したことの必然性は感じられる写真。
お気に入りの手に馴染んだカメラに、画角もピントの合う範囲もだいたい把握しているお気に入りのレンズを付けて、好きなフィルム5~6本鞄に詰めて旅に出たくなる、そんな写真たち。
いろいろあってデジタル化してしまい、それはそれで面白くはあるのだけれど、フィルムで撮っていた頃の愉しさを思い出させてくれる写真展だった。
写真集を購って帰宅。
西麻布から神保町へ、どう移動したら効率が良いか思案しながら新橋行きのバスに揺られ、新橋駅北口まで来たところで内幸町から三田線に乗ることを思いつく。
日の暮れたすずらん通りを歩いて神保町画廊へ。
フォトテクニックデジタルの連載が一冊の写真集に纏まったのを記念しての写真展。
カラーと調色と二本立て。
服を完全には着ていない、一部をはだけていたり、一部だけまとっていたりする女性が何らかの寓意を持たせた大道具・小道具に囲まれ、手に取り、時に縛られたり。
強めの表現もあり、観覧に当たっては年齢制限もあるのだけれど、厭な感じのする表現は無く、背徳的ではあるが猥雑ではない。
被写体としての七菜乃が、畏怖すら感じるほど「人と物」の境目を超えてしまっていて、見てはいけないものを見ているような冷や汗をかいた。
肌は飽くまで薄く白く、その下の脂肪と肉と骨は感じられるのだけれど、それは一般的な人間とは違う構成比で成り立っていて、美しいのであるが、おっかない。 目が潰れるのではないか。
「魔女の系譜」を購入するも、展示作品の中でも一と際目を惹き、はっと息を呑んだ一枚は掲載されておらず悲嘆に暮れる。
これは作品そのものを購えと言う啓示であろうか、いやいやそれは・・・。
武田玲奈
表紙と巻頭8ページ27カット、撮影は阿部ちづる。
変則的な構成で、表2(表紙をめくった内側)から見開きで巻頭グラビアページが始まる。
オマケのシールが邪魔なのであるが、人気連載漫画のものなので仕方がない。
感情の宿らないビー玉のような瞳、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔。
ポーズや仕草も含めて、諧調に乏しい。
そう言う資質のモデルを工夫して撮って変化を付けるのがカメラマンの仕事であると私は考えるのだけれど、どうにもなっていない。
グラビア映えは確かにするのだけれど、衣装は変われど似たような写真が並ぶ。
踏み付けにするような撮り方も見たくはないが、それにしても退屈。
見るべきものがあるとすれば、それは割り付け。
表2から始まるコラージュ的な見開きから、ページを繰ると1/2→1/4→1/8と視点を誘導するように並べ、更にページを繰ると心持ち左側から撮ったものと心持ち右側から撮ったものが並ぶ。
最後は9カットを曼荼羅のように配置したのを右側に、一番煽情的なカットを左に1ページ使って〆。
見開きで4つで絵を作ったと考えると、表2から始まる特異な構成にも合点が行く。
惜しむらくは、写真の質が伴わなかった事。 画竜点睛を欠いた。
荒川優那
巻末4ページ5カット、撮影は細居幸次郎。
細居幸次郎にしては思い切って煽情的な方向に舵を切った5カット。
半ばブツ撮りであるが、どこをどう撮れば映えるかについては十二分に考えられている。
西野七瀬
表紙と巻頭19ページ23カット、見開き3か所。 撮影は長野博文。
冴えない。
悪くはないのだけれど目が死んでいて、表情も諧調に乏しい。
撮り方も一本調子で紙幅の割に中身は薄く、衣装と大道具小道具でついた変化のみで間を持たせている。
西野七瀬と長野博文の相性の問題なのかもしれないが、とことん息が合わない。 それを諦めたところで撮られた感じもする最後のカットのみ、良い。
寺田蘭世
10ページ10カット、撮影は佐藤裕之。
雨に恵まれてしっとりと湿り気のあるグラビア。
肱枕でベンチに横たわったのを縦に使った2ページ目が面白い。
どう切り取れば映えるか、探りながら撮っているが、器用では無いながら能くそれに応えている。
5ページ目、右に振り向いたアップが良い。
唇の縦の線から手前の肩先あたり迄が深度に収まっていて、見開いた目が、睨むでも射竦めるでもなく、大掴みにこちらを見据えている。
表情でも仕草でも、小細工をしないのが良い。
柿崎芽美
10ページ11カット、撮影は西田幸樹。
衣装は三態。 オーソドックスなセーラー服、白のタンクトップとホットパンツの部屋着的なもの、白いスリップドレス。
7ページ目の上下。 目を見開いてカメラを直視した上段、目と口元で微笑んだ下段。 ほぼ同じ構図でほぼ同じ表情ながら、見事に変わっている。
湿度の高そうな空の色であり、癖っ毛が暴れてしまったりもしているのだけれど、それを逆手に取って、うねった前髪を鬢の辺りに。
実に絵になる。
坂口渚沙
8ページ8カット、撮影は山口勝己。
2ページ目、背後の窓の描く線がフランク・ロイド・ライトっぽいので「もしや」と思ったら 撮影協力=自由学園明日館 とあった。
あの建物を判り難く使うのが心憎い。
写真の方は山口勝己のブツ撮り職人としての匠の技。
建物の力も借りつつ、坂口渚沙の造形美を引き出している。
表情は一本調子なのだけれど、それは織り込み済で絵を作っている。
高橋朱里
10ページ15カット、撮影は門嶋淳矢。
構図の切り方、人物の配置、色使い。
下手な職人の作った金太郎飴のような、多少の揺らぎは有りつつも似たような表情が並ぶ高橋朱里の被写体としての詰まらなさ加減は相変わらずだが、門嶋淳矢ならではの写真には仕上がっている。
緑地に薔薇の柄のワンピースで撮った前半の3カットが特に良い。
高橋朱里の欠点は、自分が在り過ぎる事だと思う。
良かった3カットは、撮る側の工夫で存在が薄まっている。
吉岡里帆
7ページ8カット、撮影は岡田佳那子。
ファッション誌的な撮影手法、ここで服を見せられても困る。
吉岡里帆は自分を見せる撮られ方をしているので、撮影する側のしくじり。
媒体に合わせて求められる写真を撮らない、自分の撮り方を変えないのであれば、せめて質の伴ったものにしていただきたい。
佐々木莉佳子
8ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
見られる人としての人生が始まった街での撮影。
顎を上げて撮ると少々頑健さが目に付くが、上手く大人になりかけていると思う。
海風に髪を靡かせる横顔を下から撮った見開きが良い。
宮本佳林
10ページ12カット、撮影はLUCKMAN
南の島、海、水着。 短絡的発想で作られたハロプロらしいと言えば実に「らしい」面白くなりようのない陳腐なお膳立ての中、宮本佳林の表情が死なぬよう工夫が凝らされている。
誰が撮っても同じになると思われがちな状況下での撮影だが、悲惨な状況での退却戦にこそ巧拙が出る。
駄目なりに良い。
衛藤美彩
10ページ11カット、撮影はサトウノブタカ。
デコトラ、ツナギ、スポーツ新聞。 前半は奇を衒った企画グラビア。
後半は普通の服で相対的にしっとりと。
衣装や設定に合わせて求められる振る舞いや表情を過不足なく出せるのは流石。
星名美怜
表紙と巻頭6ページ18カット、撮影は細居幸次郎。
「初水着を収録した1st写真集」なる売り文句での巻頭グラビアなのであるが、水着部分は晴れた日の浜辺で開かない目を無理にこじ開けて取り繕うような笑顔、凡百の詰まらない上にも詰まらない写真。
余程の事が無い限り露出面積の多い衣装は着せない事務所がなにを間違ったのかやらせた水着グラビアと言うのが珍しいだけで、笑顔一辺倒で諧調に乏しく、退屈なカットが多い。
事務所の描いた絵図通り撮らされた海辺の水着は箸にも棒にもかからないが、屋内で服を着せて撮ったカットは細居幸次郎の本領。
被写体はさておき、撮り方として面白い。
長濱ねる
巻中3ページ6カット、プレゼントページにも2カット。 撮影は細居幸次郎。
そこで自分に何が求められているか汲み取り、振る舞える長濱ねるの被写体としての魅力に唸る。
紙幅が限られた中でも質の高い、濃度の高いグラビア。 眼福。
私の購ったものはインクをこってり盛ったところにくっつき防止のスターチを吹きすぎて白っ茶けてしまっているのだけれど、薄い紙でよく刷ったと思う。
水上京香
巻末5ページ9カット、撮影は佐藤裕之。
ワイシャツを羽織ったカットもあるが、ほぼ全篇水着。
硬いっちゃ硬いのであるが、上手く纏めてソツなく。
ピント薄めにしつつ、過不足なく深度内に必要なものを収めた最後のカットが良い。
生田絵梨花
表紙と巻頭8ページ22カット、オマケピンナップ付き。 撮影は細居幸次郎。
更にモノクロでインタビューが8ページ。
売れに売れた写真集と同じスタッフでの沖縄ロケ。 晴れた日の海辺では目の開き切らないカットも散見される。
そう言うカットも使わないと沖縄で撮った意味は無いし、表情としては悪くないので、これはこれで良い。
柔らかく光を廻したり、強い光源は背負わせたりしたカットは、より変化に富んだ表情。
オマケピンナップの表面など、カメラを見ずに意識だけを向けたカットが実に良い。
見開きで大小さまざまに写真を鏤めた中にもハズレカットは無い事にも驚く。
カラーページぶち抜きでも良いくらいの質と量。
優希美青
巻末4ページ5カット、撮影は細野晋司。
アップになったカットは塗り絵レタッチが過ぎて出来の悪い鏝絵のようになってしまっているが、表情そのものは良い。
ほぼ見開きになっている2~3ページ目。スクエアフォーマットに近い形で配置された3齣。 全て目が生きている。
特に左上の弓を構えたアップ。 目は的を見据えていて視線どころか意識も来ていないのに、見る者を気圧する力がある。
神保町ブックフェスティバルと神田古本まつりの同時開催で自棄な人込み。
飲食店は軒並み満員、空きっ腹を抱えたまま落語カフェへ。
「阿倍善四郎 隅田川乗っ切り」田辺いちか
「三方ヶ原軍記 酒井の太鼓」一龍斎貞橘
「寛永御前試合 仙台の鬼夫婦」神田すず
「青砥藤綱 裸川由来」一龍斎貞橘
<中入り>
「左甚五郎伝 水呑みの龍」一龍斎貞橘
他の演者目当てで行った朝練講談会で文字通り「出くわした」のが、貞橘先生を選って聴きに行くようになった発端。
ゴリッとした口調と腹から出る声で惹きつけておいたところで、すっと逸らす。
脱線が過ぎてトチることもあるが、誤魔化し方がまた良い。
色々と見聞きするうちに、落語も講釈も演者の好みがはっきりしてきた。
「面倒臭い人」
「心地よい日本語」
「緩急自在だが『緩』多め」
「脱線多めで時に事故」
「掘り起こす人」
総じて言えるのは「ケチケチしないしガツガツもしない人」
貞橘先生は今後も聞きに行きたい。
いちかさんは張らなくても声が通るようになってきた。
松之丞さんの出る回は相対的にも絶対的にも混むので、早めに室町へ。
今日も結構な入り。
「薩長同盟と坂本龍馬とお龍」 一龍斎貞弥貞弥
司馬遼太郎的な視点からの幕末譚。
地の文少なめの、科白劇のような講談。 声による演じ分けは流石に上手い。
講釈の音便や読み下しから自由なのは良いのか悪いのか。
新作なのでこれはこれで良いのかもしれない。
「和田平助 鉄砲斬り」「寛永宮本武蔵伝 狼退治」「播髓院長兵衛 芝居の喧嘩」神田松之丞
先代山陽の命日で且つ自分の入門記念日と言うことで、入門の日の思い出から当代山陽の三席短目に畳み掛ける手法で先代山陽の得意根多を。
それぞれ短く刈り込んだり、半ばまでで切ったりしつつ、美味しいところを摘まんで盛ったワンプレートランチ的に。 みっしり詰まった時間。
中井りか
表紙と巻頭7ページ13カット、撮影は桑島智輝。
気は強いが脆いのが凶と出て、撮られ慣れていない事もあってか表情は硬く単調、目も虚ろなのであるが、そこを上手く誤魔化して巻頭グラビアとして成立させている。
何とか拾い集めた使えるカットからより良いものを選って大き目に使い、1ページ目は猫を被った感じに、3ページ目はあざとく。
この2カットで或る程度は伝わるであろう。
身の回りに(斯く言う私も、であるが)嬉々として振り回されている向きも多く、素材としては良いので何とかなっていただきたい。
佐々木希
巻中2ページ見開きで5カット、撮影は川島小鳥。
写真集の宣伝も兼ねてのグラビアなのであるが、上手く撮り・撮られている。
川島小鳥の撮る女性は安心して撮られているのが表情から窺えることが多いが、気を許していると言う事はそれを裏切れないと言う事でもあり、明るい中にも哀しみがある。
遠山茜子
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
グラビア映えする体形と綺麗に見える角度が上下左右に広い。
作った笑顔が不自然なのが瑕だが、カメラと素で向き合えているので当たりカットは多い。
光が強く当たると上瞼に力が入って表情が厳しくなる傾向があり、晴れた日の屋外でどうなるか不安はあるが、素材としては上々。
武田あやな
巻頭9ページ14カット、見開き1か所。 巻末6ページ5カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.
口の開け方閉じ方で表情に変化が出ているのだけれど、まだ上手くコントロール出来ていない。
どのくらいどうするとどう映るのか把握して、意識はしつつも不自然にならぬよう振る舞えるようになれば化けると思う。
唇の閉じ方、引き結び方でここまで表情に諧調が出せるのも珍しい。
八木莉可子
表紙と巻頭8ページ17カット、撮影はTakeo Dec.
表紙は塗り絵のようなレタッチで、あまり好みではない写真なのではあるが、今回は連載漫画の主人公に扮してのグラビアなので、これはこれで良い。
若さ故の肌の瑞々しさと言うか湿り気や光沢が出てしまうと、現実に寄り過ぎてしまう。
その辺りの現実を光を強く当てることで飛ばしているカットと、そうも行かなかったカットでブレが出てしまっているが、糊塗しきれない現実の方に、私はより惹かれる。
松本愛
巻末6ページ9カット、撮影は藤本和典。
珍しく全体を通して煽情的なグラビア。
部分的に見せたり隠したりしているカットの、悪戯っぽい表情が良い。
最上もが
表紙と巻頭6ページ10カット、巻中3ページ6カット。 撮影は桑島智輝。
例によって銀髪のショートボブなのだけれど、纏めたり濡らしたりして変化を付けている。
作り込むのも此処まで突き抜ければ寧ろ自然なように見えて来る不思議。
鈴木茜音
巻末4ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
セミロングの髪の揃わない毛先とうねり、薄めのメイク、硬めの表情が生々しい。
生成りのグラビア。