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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2016-08-02 予想だにしなかった未来 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 34号

深田恭子
巻頭7ページ11カット、撮影はND CHOW。
2016年に深田恭子が青年漫画誌の巻頭で水着になっているとは、徐々に肌の露出を減らしていったあの頃には思いもしなかったが、然程の違和感はなく溶け込んでいる。
3ページ目など、笑うと目尻に烏の足跡が見え隠れすることもあるが、体形や肌の張りからは一体何歳なのか見当が付かない。
正面から撮ると頑健さが際立ちすぎるが、そのあたりを誤魔化すと言う発想そのものが無い撮り方。
悪くは無いが、些か逞しさを引き出し過ぎているように感じられる。

江野沢愛美
巻中7ページ18カット、コラージュ的に見開き1か所。 撮影はMARCO。
相変わらずざっくりしたピントの合わせ方で、引きの構図になると些か散漫なのだけれど、割り付けで何とかした7ページ。
モデルとカメラマンだけでなく、様々な裏方の仕事が噛み合って初めて良いものが出来る。 編集が良い仕事。

江野沢愛美は表情は些か単調なのは瑕だが着ている服を見せる仕事が多い割に自分を見せる撮られ方も出来ており、表情を生かす撮り方をして貰えていないのが惜しまれる。

唐田えりか
巻末5ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
上手く撮り、撮られている。 表情に作為が出過ぎているような気がしないでもないが、カメラに意識だけを向ける撮られ方は巧い。 きちんと芝居が出来ている。
その隙の無さは面白味の無さと紙一重なのであるが、Takeo Dec.の切り取り方が良い。
4ページ目、シャッタースピード遅めで動きを出したカットに唸る。 眼福。

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 35号

西野七瀬
巻頭8ページ17カット、撮影は細居幸次郎。
どきりとさせられる瞬間だけを切り取って作ったような17カット。
ページを繰るたびに寿命が縮んで行く。

ヴェニスではないが海辺の町で「美そのもの」と出会ってしまい、対象の生活を覘き込むことにのめり込んで行くグスタフ・フォン・アッシェンバッハのような視点。
細居幸次郎がそう撮ったと言う事ではなく、西野七瀬も何も企んでいない。 その写真を目にした者(例えば私)が精神をコレラに侵されて病膏肓。

ここまで心臓に悪いグラビアもなかなか無い。

渡辺梨加
巻末5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
撮られ慣れていない硬さもあるが、そこは状況設定と道具立てでほぐしている。
美形感とお茶目さの程良いバランス。


2016-07-31 理想の余暇 [長年日記]

_ 神田愛山独演会(28.7.29)

前の晩に行った両国亭にチラシが有ったので、仕事帰りに神保町へ。
前講無し、前座さんと頼まずに愛山先生が一人で、たっぷり二席。

「徳川天一坊 越前切腹」
続き物を読むときには、それまでの粗筋を簡潔に纏めて初めて聞くお客さんにも分かるようにすべき、ここには自信を持っておられるようで、実際粗筋だけで一席成立するのではないかと思うほど。
春陽先生と松之丞さんを引き合いに出し、「あいつらに後を託すことになるとは・・・。」と慨嘆しつつ、嬉しそうでもある。

粗筋から始まり、何故大岡が切腹せざるを得ない状況まで追い込まれているのかが示されてから、緊迫した場面が始まるのだけれど、愛山先生が化ける。

「骨の音」
結城昌治の短篇を講談に仕立てたもの。 冒頭に説明方々多少有るくらいで地の文は少なく、温泉地の盲目のマッサージ師と客となった初老の紳士会話で進む。
始めは勇ましかった紳士が怖気を発し、下手に出ていたマッサージ師が次第に雄弁になって行くさまに引き込まれる。 不気味だが腑に落ちる、恐ろしくはあるが後味は悪くない結末。

楽しいより愉しい。 心地よい言葉の海に揺蕩う一と時。

_ 講談貞橘会(28.7.30)

愛山先生の会に行って翌日が貞橘会であることを知る。
午前中に用足しをして午後から神保町へ。

「渋川伴五郎」田辺いちか
「黒田節の由来 呑み取りの槍」一龍斎貞橘
「情けの仮名書き」宝井琴柑
「小猿七之助 永代橋網打因果噺」一龍斎貞橘
仲入り
「一心太助一代記 彦左と太助の出会い」一龍斎貞橘

いちかさんは見るたびに確実に良くなっている。 口調の骨格がしっかりしてきたと言うか。
渋川は確か二度目だが、こなれて来ている。

琴柑さんは久しぶりに。
学生時代を山形で過ごした縁からか、米沢藩を題材にした「情けの仮名書き」。
藩校であった興譲館が県立一の進学校となっている話なども織り込みつつ。
嫋やかさもありつつ、講釈の口調は崩さない。 程が良い。

貞橘先生は例によって緊迫し過ぎると安全弁を開けて客の肩の力を抜いていくのだけれど、見せ場では畳みかけて引き込むし、聴かせるべきはしっかり聴かせる。

気楽に聞けて肩が凝らず、楽しく過ごせて充実感もある。
余暇の過ごし方としては理想に近い会。
八月は休みで次回は九月。


2016-07-18 目の奥がひりひりするような感覚 [長年日記]

_ 中悠紀写真展「AUTUMN LEAVES 2」

四谷四丁目のギャラリーニエプスへ。
2013年から2015年にかけてのパリを撮った、厳密に構図を切ったりピントを合わせたりする工程の無い種類の、構えたら撮る写真。

出合頭に撮られた被写体は怪訝そうな顔をしたり、不快感を顕わにしたりしていて、私には撮れない(撮ろうとも思っていない)種類の写真なのだけれど、生々しく瑞々しい、パリと言う都市の現代が切り取られている。

プジョーやルノーが走り、石造りの建物も並ぶ、紛うことなきパリなのだけれど、肌の色や服装からそれと分かる中東やアジア・アフリカの人々が当たり前のように暮らす街。
今のパリを今のパリとして切り取るには、この激しい撮り方が適しているのだと思う。

ひりひりした感覚を醒ますために、何時もより少し先のバス停まで歩いて帰宅。


2016-07-17 年増の色気 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 30号

佐藤麗奈
巻頭7ページ、「宇宙にいちばん近い島」種子島で撮った18カット、撮影は細居幸次郎。 撮られ慣れているのが良い方に出ており、カメラの前に気負わずに立てており、直視することも出来るし、意識しつつ視線を外すことも出来る。
屋外撮影分も悪くないが、屋内で弱く柔らかい光を廻したカットが巧い。
6ページ目の2枚に唸る。

佐藤優樹
巻中3ページ6カット、撮影は佐藤裕之。
モデルを泳がせて撮った、動物写真的なカットのみ、表情が良い。
「超速緊急アンコール」と銘打たれているが、そこまでのものでもなく、政治的な臭いのする煽りには興醒め。
煮ても焼いても食えない素材をとりあへずグラビアとして形にした佐藤裕之の苦心惨憺のみ、評価に値する。

るぅ
巻末5ページ8カット、撮影はTakeo Dec.。
写真としては可もなく不可もなく無難な出来。
構成の妙で見せている。

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 31号

齋藤飛鳥
巻頭8ページ22カット、撮影は細居幸次郎。
晴れた屋外で撮ったカットは少々塗り絵が過ぎるようなものもあるが、旧公会堂やハリストス教会の辺りから港を見下ろす坂でハイキーに撮ったカットは白昼夢の如く。

屋内で撮ったカットは高いレベルで安定。
終点に着いたと思しき、乗客が降りて行く市電車内で撮ったカットから、夕暮れの浜辺で焚き火。
谷地頭で降りて浜に出たのだろうかなどと足取りを考えつつ見る。
そして函館山の展望台からの夜景をバックにしたカットで〆。

このロケだけで写真集一冊作れるくらいの濃密な8ページ。 眼福。

長澤茉里奈
巻中3ページ21カット、撮影は山口勝己。
1ページ目は4分割、2ページ目をコラージュ的に詰め込んで3ページ目をウエストアップで大きめに。
セーラー服の下に横縞のビキニ、ファストフード店員的な縦縞の制服の下に白のビキニ。
メイクそのものは変えていないと思うのだけれど、頭頂部でサイドポニーっぽく一つ縛りにするのと、サンバイザーの上あたりで高めのハーフツインにするのとでは、受ける印象が異なり、成熟した身体と童顔とのバランスも変わってくる。
紙幅は短いが面白いグラビア。

福原遥
巻末6ページ16カット、撮影はTakeo Dec.。 連載漫画に連動したコスプレグラビア。 原作の世界観の縛りが有るので面白味は薄いが、表情は良い。 子役から上手く大人に成れつつある。

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 32号

武田あやな
巻頭6ページ15カット、巻中3ページ17カット、撮影はTakeo Dec.。
夏らしく、ほぼ全篇南国の晴れた浜辺で水着。 どう撮っても眩しい状況とあってか、作ったような笑顔にならざるを得ないこともあって
表情は些か単調。
物怖じせずにカメラと向き合えているのは良い。

生田佳那
巻中4ページ12カット、撮影はTakeo Dec.。
美点に成り得るが強調し過ぎる瑕にもなり兼ねない量感のある部分をうまい具合に切り取って見せている。

高橋胡桃
巻末5ページ7カット、うち見開き1か所。 撮影は渡辺達生。
新鮮味は無いがスタジオで撮らせると矢張り巧い。 少々無茶な道具立てからライティングから、中高年向け週刊誌的な味付けではあるが、写真としての質は高い。
南国の浜辺で撮ったような渡辺達生の写真は全く評価に値しない(それは渡辺達生の側ではなく、依頼する側の安直で怠惰な思考に起因するものであるがそれはさておき)と考えているのであるが、こうしたスタジオ撮影となると、必ずしも私の好みではないけれども、払われた代価に見合った以上の写真は出して来ていて毎度唸らされる。

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 33号

柏木由紀
巻頭8ページ13カット、撮影は渡辺達生。
薹が立って来つつはあり、色々有り過ぎたあれこれが髪の傷みや塗りの厚さに出てしまっても居るのだけれど、それ故に、またこの年頃だからこそ出せる匂い立つ色気と言うものもあり、渡辺達生が巧く掬い取って写真に収めている。

そこそこ上背があって手足も長く、色が白くて皮膚が薄い。 見せたい自分しか客前で出さない頑なさのようなものは疵だが、金の取れないものはお見せしないと言う矜持でもある。
それ故の紋切り型の表情が、今も昔も私は嫌いなのであるが。

面白いのは6ページ目。 ソファに寝転ばせて膝を畳むことにより、体形に於いて唯一の瑕であるところの胴の長さを隠しつつ足の長いのと白いのを効果的に見せている。

最後の最後で胴の長いところも見せているが、吸い付くような皮膚の薄さを感じさせるのはこの部分であるので、これはこれで良いのだと思う。
長い事見て来た柏木のグラビアであるが、褒めるに値するものは初めて目にしたかもしれない。

熊江流唯
巻末5ページ9カット、撮影はTakeo Dec.。 身の丈170cm余、ヒールを履かなくても身体の半分が脚と言う体形を効果的に見せるために腐心。
表情の面白味は薄いがカメラとの向き合い方は素直で良い。
全身が写るカットは水着の上に一枚羽織っており、水着のみのカットはバストアップであったりウエストアップであったり、謎の縛りが垣間見られて後味としてはあまり宜しくない。


2016-07-10 その日観たい聴きたものを観たい聴きたい [長年日記]

_ 朝練講談会 第185回(28.7.10)

「四万六千日、お暑い盛りでございます」でお馴染み、ほおずき市の日に、浅草を通り越して日本橋室町へ。
今週も朝練講談会。 そこそこの入りではあるが、講釈を聴きに来ている客の比率は高め、反応で判る。
私には居心地の良い客層。

「関東七人男 溝呂木新太郎 潟沢屋の強請り」宝井梅湯
人気と言うものについて語るマクラ、多数派ではないからここに居る客としては、どうして反応してよいか分からない。
侠客物の演目としては次郎長や国定忠治、天保水滸伝があるが、天保より少し前の文化文政年間の関東(と言っても武州上州のごく狭い地域らしい)の侠客の興亡を描いた「関東七人男」と言う演目。
御一新で侠客稼業に見切りを付けて講釈師になった人の作った、謂わば小悪党の実録物なのだけれど、実録だけにカタルシスが無いのが疵とのこと。
名の知れた登場人物は出て来ないが、話は練れており、盛り上がりは無いが腑には落ちる展開。 じわじわ盛り上がってこれから・・・と言うところで惜しい切れ場。
これもまた講釈の愉しみ。

「朝顔日記 宇治の蛍狩り」一龍斎貞弥
出自が声優である所為か芝居をし過ぎるところがあり、老爺などは少々臭く感じることもあるが、登場人物が増えて話が込み入ってくると演じ分けが利いてくる。
そして女性が出てくると衒わない抑えた色気が漂う。 程が良い。
続き物の発端なのでじわりじわりと物語は進んで行き、ロマンティックに盛り上がり始めたところで「続きはまた」。

思い立ってふらりと行っても入れて、じっくり聴ける。 実に有り難い会。

_ 田中長徳写真展『TODAY TOKYO 1966』

四ツ谷のギャラリー・ニエプスへ。 先週は折悪しくトークショーの時間にぶつかってしまい、早めに行ったつもりだったが、すでに大入りで写真を見られる状況ではなく、体を交わして出直し。
私は長徳氏そのものより、長徳氏のカメラ趣味評論を好む人々とあまり相性が良くないので、トークショー目当ての人が居ない頃合いを見計らって写真だけを落ち着いて見られそうな時間帯に四ツ谷へ。

1966年、高校3年から大学1年くらいの頃に撮影したネガをプリントし直した写真。 確かすべてノートリミングだったと思う。
ネガキャリアに細工がしてあって、1齣分よりほんの1mmほど鑢を掛けて拡げてあるので、それと判る。
プリントは瑞々しいのだけれど、ネガは60年代の色調。 黒が潔く潰れている。
その塗り潰された黒が締まっているのに驚く。 銀の使用が制限された最近の印画紙では、なかなかこうは行かない。

前述の通り黒が黒々と潰れているので、説明的になりがちなこの種の写真にしては情報量が少ないが、それが写真としては面白い。
切り取り方に出る外連の部分と硬く黒を潰す焼き方に好みは分かれると思うが、見応えのあるプリントではあった。

締めてしまったのでそれは叶わぬ夢ではあるが、「そうじゃないんだよなぁ」と自分好みの写真を焼くために暗室に入りたくなる、罪な写真展だった。


2016-07-03 荒唐無稽 [長年日記]

_ 朝練講談会 前座勉強会vol.13

猛暑日の予報が出ていたが、朝から既に暑い。
暑い中並ぶのも物憂いので開演前に着くよう、蕎麦を手繰ってからゆるゆると。
今日も太鼓の音が聞こえてくる。

ゲストで鶴遊先生と言うのもあってか、なかなかの入り。

「渋川伴五郎」田辺いちか
世話人からの前説が無いのでどうしたのかと思ったら、前座の仕事の一環でもあり、演者の口から。
発声と口調は悪くないのであるが、一度蹴躓くと後を引くきらいがある、考えなくても出来ることが増えてくれば、何食わぬ顔で読めるようになっていくと思う。

「寛永宮本武蔵伝 偽巌流」神田みのり
寛永年間、武芸もの、根多は被ってしまっているがそこはまぁ前座勉強会。
灰汁が抜けたと言うか、きっちり読めるようになってきた所為か癖が気にならなくなってきた。
はたり、はたはた、ぱん、バン、バンバン。 張り扇で句点読点段落分け場面転換、使い方に幅が出てきた。

二人とも未だ前座。 瑕疵もあるが伸び代も感じるので、今後も足を運びたい。

「山田長政遠征記 シャム王国」田辺鶴遊
若手真打が出演すると自分達の頃の前座勉強会の話になる。
私が講釈の会に行くようになったのは黒門町の路地裏の料理屋になっていた本牧亭が無くなる少し前からで、鶴遊先生が出ていたころには間に合っていない。 興味深く拝聴。

九時過ぎから始まる会とあって、眠たげに目をしょぼしょぼさせながら昔語りをしているうちにシャッキリしてきて、山田長政を生い立ちからシャム渡航までみつちり。

織田信忠のご落胤と言う設定に先ず驚いたが、立川文庫的な荒唐無稽な話も楽しい。
時折挟み込まれる一鶴先生のエピソードも懐かしく聴いた。

_ ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」

早稲田(住所としては文京区関口になる)の YUKAI HANDS Gallery (ユカイハンズ・ギャラリー) で開かれている写真展を見てきた。
最寄駅は有楽町線の江戸川橋か東西線の早稲田、もしくは都電荒川線の早稲田電停になるが、どこからも等しく遠い。
都バスなら鶴巻町と関口一丁目の間になり、さほど歩かずに済む。

大きなガラスの引き戸を開けて中に入る。 傘立てがあるので辛うじて入り口であることが分かるが、引き戸には見えないデザインであり、入り口としての表示もない不親切な設計。

モデル一人辺り三枚ずつ、壁二面半くらいにズラリ。 動画をプロジェクターで壁に投影しているので室内は暗くて、写真を見やすい環境ではない。 見やすい見やすくない以前に、見せるための工夫が無い。
中央の机に写真集が山積み。 写真を見せることより、写真集を売ることに重きが置かれているのが視覚的に判る。

長澤茉里奈などは撮られるのも上手く、素材そのものも良いので可愛らしく写っているが、それだけ。
敢えて日の丸構図で撮りました系の写真で、青山の撮る写真にありがちな被写体を踏み付けにするような底意とか、女性そのものへの呪詛みたいな臭気は無いのだけれど、写真としての面白味もまた、無い。

凌雲閣の「東京百美人」を百年遅れでやっているような顔見世写真。

ギャラリーの造りから展示方法から撮り方まで、すべてが独りよがり。
ここまで不愉快な写真展もなかなか無い。


2016-06-26 手元不如意 [長年日記]

_ 第百十七回 花形講談会「宝井琴調・神田春陽二人会」

珍しく複数の選択肢があり、一日中講談漬け・・・と言う事も出来うる日ではあったが、手元不如意につき一番聴きたい会のみ。
開場前から並んで待つ客は多くなかったが、開演迄にはほぼ満席。


「仙台の豪傑 熊田甚五兵衛」田辺いちか
講談の口調に気を付けているのが見て取れた。
大分こなれて来ており、厭味が無いのは良い。

「大岡政談 小間物屋騒動 万両婚」宝井琴調
鈴本に上がった時の話から落語と講談の協会としての組織の大きさの違い、出来ることと出来ないことの話から「三方一両損」の絵本を出すに至った経緯など。 そこから張り扇を一と叩きして大岡政談へ。 落としどころのあるマクラ。
こうした込み入った話になると、講談の特色でもある地の文の多さが整理する機能として働く。

「小夜衣草紙 蛤の吸物」神田春陽
亡くなった陽司先生の思い出から「化けて出てきてくれないかなぁ」と言う話になり怪談めいた話へ。
大阪が舞台なので登場人物は上方言葉なのだけれど、地の文はそうでは無く、進んでいくうちに曖昧に。
このぞろっぺえなのが怪談で在りつつドタバタ喜劇でもある話には合っていて、ゾッとしたり笑ったり。

<仲入り>
「太平記 楠泣男」神田春陽
軍記ものでありつつ、胡散臭い舌先三寸で身を立てようとする男の悪戦苦闘。
琴調先生と被らない方向に振ったのだと思われるが、面白いものか聴けた。

「国定忠治 忠治山形屋」宝井琴調
私もポスターを見て気にはなっていた六月の新派特別公演「深川の鈴」と「国定忠治」の二本立てを三越劇場に観に行った話から。 悟道軒円玉の書生をしていた頃の川口松太郎の自伝的な演目である「深川の鈴」と前進座から移った市川月乃助が主役を張る「国定忠治」。
(悟道軒円玉は講釈師ではあるが読むより書く方が主の人。 国立国会図書館のオンラインサービスで結構な量の著作が読める。)
良く出来た芝居ながら艶っぽすぎる「深川の鈴」とやくざの話、どちらも三越友の会の奥様方には響いていないようであった、興行と言うのは難しいですね・・・と張り扇一と叩きして「国定忠治」。
代官叩き斬って赤城山に篭って降りて、それからの話。
勧善懲悪だが切った張ったは無く、腕っぷしより機智で山形屋をやり込める忠治。
最後の最後で切る啖呵に溜飲を下げる。

神保町講談会の主催興行は、この会に限らずみっちり聴けて外れが少ない。
心地よい余韻に浸りつつ帰宅。

_ MilkShake(ミルクセーキ)「裏ミル食べin東京・品川」

長崎発のアイドル MilkShake(ミルクセーキ) の定期裏公演の東京出張版。
曲もオケもしっかりしてて、きっちり歌えて、刈り込みすぎず盛り込みすぎず適度な振り付けと頃合いの独自解釈。
緩すぎずきつすぎず良い塩梅の運営。 江戸期以来の国際港湾都市の文化的懐の深さなのか、東京出張公演と言っても変に肩肘張ることもなく、楽しく見ていられるのは良い。

会場の東京アイドル劇場はカラオケボックスのビルの二階に仮住まいしており、音響も証明もソコソコながら安価にさまざなアイドルが見られる(撮れる)興行を打っている。

見たいメンバーが学業多忙につき活動を制限しており、次は何時見られる(撮れる)か判らないので今回は見る聴くより撮るに重きを置いて観覧。
撮ったものはこちらに。
MilkShake@東京アイドル劇場(16.06.26)(その1)
MilkShake@東京アイドル劇場(16.06.26)(その2)


2016-06-19 居住まいを正す [長年日記]

_ 朝練講談会 第182回(28.6.19)

早めに日本橋へ。 野良猫の毛繕いを眺め乍ら開場待ち。
バス停と違って割り込まないだけマシなのだけれど、並ぶの厭さにその辺に屯していて、開場するや入り口に寄ってくる手合いが居る。 たいていは老人。

「赤穂義士銘々伝 中山安兵衛 婿入り」宝井梅湯
高田馬場の後、留守居役らしい堀部弥兵衛の巧妙な罠に掛かった安兵衛が婿入りするまでのドタバタ。
すっとぼけた弥兵衛の食えない爺ィっぷりが楽しい。
こう言うほのぼのした話は実に良い。

「澤村淀五郎」一龍斎貞寿
暫く長野で学校寄席だったとか。 一と口に学校寄席と言っても、小学校、中学校、高校では求められるものが違うので演り方も演目も異なる。 それに対処する日常から、久しぶりに「講釈を聴きに来た客」向き合う事になり、そうなると演目にも悩むとの事。
「村越茂助なんか演ったら怒られますよねぇ」と軽口。 居住まいを正し、張り扇を一と叩きして「淀五郎」。

講談らしい地の文を読む口調と、情感の籠る会話のバランスが良く、臭くなり過ぎないのが良い。
義士伝と忠臣蔵では登場人物の名前が異なるので、読む方も聞く方もこんがらがりがちになるのだけれど、上手く丸め込んでいた。
団蔵がただの食えない爺ィではなく、茶目っ気もあるところが描き出されていて、仲蔵とは別のやり方で淀五郎を育てようとしていたと言う解釈。 後味良く、読み終わり。


2016-06-16 錬金術 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 29号

指原莉乃
巻頭7ページ13カット、撮影は桑島智輝。
表紙は笑顔であり、珍しい。

体形や面相については何処からどう切り取れば映えるか、撮る方も撮られる方も分かっており、「今回はこうしたい」と言う方向が定まっていて、編集者や事務所も含めて合意形成が為されていれば、良いものは出来る。

無から(零ではないがそれはさておき)有を作り出す錬金術的な部分は苦笑するほか無いが、美点である部分を線で描き出した絵には唸らされる。
生娘感の無さを糊塗するでもなく、安売りするでもなく、居る訳ゃ無いんだが近所に住んでいそうな現実感のある色気として提示。

4分割が2ページ、あとは1ページに1枚。 選った上で適切な大きさに配置。
今年も良いタイミングで良いものを出して来た。 眼福。

井上由莉耶
巻中4ページ7カット、撮影はTakeo Dec.
インタビューはオマケの冊子に収録して、こちらは写真を見せる構成。
右側から撮ったアップが3カット。 引きのカットも右側からのものが多く、些か単調。
冊子のインタビューを読むとセルフプロデュースで自らの道を切り拓いてきた来たことが解り、腑に落ちる。
セルフポートレートで映える角度、それが「井上由莉耶にとっての『井上由莉耶の貌』」と言う事なのかもしれない。
良し悪しではなく好悪と言うか嗜好の部分で私には受け入れがたいところも無いではないが、生き方としては面白い。

込山榛香
巻末6ページ11カット、見開き1か所。 撮影は岡本武志。
硬くて色が濃くて白っぽい、好みではない仕上げ方だが表情は良く汲み取れている。
光の当て方は強めだが、クシャッと笑うと目を細めるので、眩しさからくる緊張も然程感じられず、目を細めると大仰なカラーコンタクトも気にならなくなる。
6ページ目がそれ。 上手く纏めてある。


2016-06-12 日本橋から吉祥寺 [長年日記]

_ 朝練講談会 第181回(28.6.12)

カメラをバッグに詰めたりレンズを選んだりしているうちにバスは行ってしまい、いつもより遅れて日本橋へ。
程なく開場。

開演時間に近付くと、曲師が調子を合わせる音が聞こえてくる。

「清水次郎長伝 次郎長出立」玉川太福・玉川みね子(曲師)
大型連休の十日間連続読みの話などから、スッと眼鏡を外して畳み、次郎長伝へ。
この所作が良い。 顔つきも変わる。
拍手をするタイミングであるとか、浪曲の客の作法みたいなものには未だ馴染めないが、耳は慣れてきた。

「紺屋高尾」一龍斎貞橘
何かしくじった訳ではないと思うが、頭を丸めていて驚く。
学校寄席の季節らしく、長野で何公演かした話など。
会話で脱線したり入れ事が挟み込まれたりする事も多いのだけれど、地の文はきっちり読み、締めるべきところは締める。
貞橘先生の講談は、常にそれなりに満足感はありつつ、聴いていて草臥れないのが良い。

_ キチロック!(28.6.12)

むさしのFMの音楽番組「吉祥寺ロックレディオ」の公開収録を兼ねたライブイベント。
ゆるキャラ3組、アイドル2組が出演。
はちきんガールズが現体制での最後のライブと言う事で足を運んでみた。

はちきんガールズ
梶原妃菜子は療養中でお休み。 川村あやのと石川彩楓の二人での出演。
現体制での最後のライブに欠員が出てしまったのは残念だが、出番の最後に司会者が川村あやのが今日限りであることに触れるまでは明るく楽しいいつものはちきんガールズ。
 イベント終了後に「卒業式」ファンからの色紙と花束が手渡され、客が二列になって作った花道を潜って退場。
ライブ中の振る舞いには一寸野暮なのではないかと思うところもあるが、温かさと節度はあり、過度にべたべたしに行かないのははちきんガールズならではの良さであったと思う。
写真はこちらに。

藤田恵名
「シンガーソンググラドル」と言う事で、見せる衣装で聴かせる曲。
付いている客はインディーズアイドルにありがちな定型に縛られた観覧方法に縛られた人々が主で、届いた方が良い層とは微妙にずれているのが気になった。
リハーサルではオケとギターとマイクの音量バランスやオケを流すタイミングなど、マメに調整。 歌うたいとしての矜持が見て取れた。
写真はこちらに。

いち狼&ひよこ豆
八王子市のご当地キャラクター「松姫マッピー」に関連した楽曲制作をしている男女二人組。
曲を聴いた司会の宮口文裕が「間奏でメロトロン使ってますよね?」と良い指摘をして作曲者と盛り上がったり、これからも楽曲制作をするのかとと問われた作曲者が「『お呼びとあらば即参上!』と言う感じです」と答えていたのが面白かった。

_ 今日の一枚

川村あやの(はちきんガールズ)
川村あやの(はちきんガールズ)
ペンタックスK10D ノフレクサー240mm/f4.5

_ 今日のもう一枚

川村あやの・石川彩楓(はちきんガールズ)
川村あやの・石川彩楓(はちきんガールズ)
ペンタックスK10D ノフレクサー240mm/f4.5


2016-06-09 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 28号

佐藤優樹
巻頭7ページ24カット、ほぼ見開きになっているところが1か所。 撮影は佐藤裕之。
北海道出身の被写体を北海道で撮影と言う企画。
流石に詰め込み過ぎで、貶すほど悪くは無いのであるが良くも無い。
要点が絞れておらず、些か冗長。 表情も単調。
構えずにカメラと向き合えているカットが少なく、カメラの方すら向いていないカットは写真として良質。
編集が悪いのではなく(良くは無い)、そもそも被写体に原因のある外れカットが多過ぎる。

稲場愛香
巻中7ページ16カット、撮影は佐藤裕之。
作為の出過ぎた笑顔は興醒めだが、無理に表情を作らず、カメラを見ずに意識だけを向けているカットは良い。 撮影の苦労が偲ばれる。
取り繕った笑顔をカメラに向ける癖はよろしくないが、「そうしている」のか「そう躾けられている」のか。

加藤葵
巻末5ページ、ほぼ水着で10カット、撮影は岡本武志。
可もなく不可もないのだけれど、巻頭と巻中がカメラと向き合えていないので相対的に良く見える。
恥じらうような硬さのある表情もあるが、これはこれで良い。


2016-06-06 [長年日記]

_ 村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展

好みに有ったり合わなかったり振れ幅は有るが、気になる写真展をやっている神保町画廊。 先週末にも見に行ったのだけれど、もう一度。

調色とカラーと、ほぼ同じ状況で撮ったものを並べて展示。
この調色した写真が判り難く凄い。
調色と同時に陰翳も付けているので、カラーよりも立体感があるのだけれど、色を付ける必要のない部分はそのままなので、画面内で立体感が有る部分と無い部分と混在。

私は自分の撮る写真では色を邪魔に感じることが多く、だいたいモノクロなのだけれど、村田兼一の調色写真は、必要な部分にしか色を乗せないので邪魔になっていない。

色が乗った部分に魂が吹き込まれ、視覚が混乱する。
乱歩の「押絵と旅する男」の押絵のような妖しさ。


2016-06-05 [長年日記]

_ ZOO 舞山秀一 写真展

tokyoarts galleryにて、舞山秀一による動物園での連作の写真展。
小体なギャラリーに巨大なプリントを展示しているため、点数は少なめながら見やすい環境で落ち着いて見られたのは良かった。

私が言った時間帯は丁度在廊中で、撮影手法や苦労した点などを話しているところに出くわしたので、図らずも気になっていた点を知ることが出来た。

会場の中央に置かれたジッツォと思しき三脚にリンホフ・テヒニカ。 ニッコールの180mmが付けられていたが、4×5にレンズ二本のみで全国の動物園を撮って回ったとのこと。
写っているのは動物と飼育施設のみ。 客や飼育員は写り込まないタイミングでシャッターが切られている。

私が心惹かれたのはハシビロコウを撮ったもの。
飼育施設の網の前後数十センチに被写界深度が設定されていて、網と言う境界の向こうにハシビロコウが立ってこちらを向いている。
網の哀しみ。

購入した図録にも入ってはいるのだけれど、やはりあの大きなプリントで見なければ判らない。

_ ひとはだ脱ぎます展

クリエイションギャラリー日本橋箱崎で開かれている写真展へ。 熊本地震へのチャリティーと言う事で、入場料が500円。 但し、入場券を持っていれば当日に限り再入場可とのこと。

入場料だけでなく、物販の売り上げもすべて寄付との事で、受付の横に物販コーナー。

写真展への出品は初めてと言う人も居るそうで、作風も様々。 「復興」と言うお題についての解釈も様々。
九州で撮影した写真であったり、復興支援のイメージを写真にしたり、ライフワークで撮っている中からの出品であったり。
私が見たかったカメラマンの作品はライフワークとして撮っているものの延長線上にあるもので、趣旨に合わせて控えめな表現にはなっていたが、質は保たれていたので安心した。

復興と言うテーマが生で出ているものも多く、それが気恥ずかしくもあり、面白くもある。
構図の切り方、色の出し方から感じる若さ。

意図はしていないと思うが、種々雑多な写真がサラダボウルの如くに集まることによって文化祭的な祝祭感が醸され、重くなりがちなテーマを幾分軽くしていた。

_ 朝練講談会 前座勉強会vol.12

雨そぼ降る中、日本橋へ。 着いた頃には小降りに。
出足は悪かったが、開演までにはそれなりに埋まった。
開演待ちの間、今日も太鼓の稽古をする音が漏れ聞こえてくる。
心なしか上手くなったような。

「源平盛衰記 五條橋主従の出逢い」田辺いちか
「寛永宮本武蔵伝 吉岡又三郎」神田みのり
「お掃除ホームレス」田辺凌鶴

いちかさんは多少アワアワするところもありつつ。 言い間違いに関しては前座なのでまだ目くじらを立てる必要は無いが、講談特有の音便(「ん」の省略)がまだ身についていないのが一寸気になった。

みのりさんは前回の前座勉強会で不測の事態の中二席読むと言う修羅場を潜ったのであるが、あれで肚が出来たのかもしれない。
サマになってきた。

前座と言う芸人未満の状態で芸を腐すと言うのも野暮なものであり、また見たい・聴きたいと思える水準にあるのは間違いなく、今後も足を運ぼうと思う。

凌鶴先生は、自身の前座修業時代の思い出話、前座勉強会事始めをひとしきり。
そこから、前座の会にも是非足を運んでほしいと温かい言葉。
「お掃除ホームレス」は自作の新作で、講談の文法に則った地の文と会話のバランスが前者よりのもの。 途中で歌が入るのが一鶴門下らしい。
しみじみ聴く。

外に出ると、雨は上がっていた。


2016-06-04 写真展ふたつ [長年日記]

_ 檜画廊写真展「街の記憶・建物の記憶」

神田神保町のすずらん通り東京堂の近くにある画廊での写真展。

なぎら健壱は路地やアーケードの薄暗がり。 立石仲見世あたりの猥雑な空気。

飯田鉄は70年代の浅草。 私が物心付くか付かないかくらいの時期。
桑原甲子雄や木村伊兵衛でお馴染みの建物などもありつつ。

石川栄二は薄く霞んだような、乾いた感じの色合い。
炎天下の散歩の陽炎のような、眩暈のような揺らぎ。

森田剛一はローキーで濃く。 同じ正方形フォーマット乍ら、石川栄二と好対照のみっしりとした、情報量の多いプリント。

中藤毅彦はコントラスト高めで粒感のあるカッチリしたプリント。
雪の残る上野駅不忍口ガード下から建て替え前の聚楽を撮った写真が懐かしかった。

鮮明であったりおぼろげであったり、晴れた夏の日のような眩しいような明るさから、路地裏の呑み屋の暗がりまで、様々な記憶を呼び起こし掘り起こすような写真展であった。


2016-06-02 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 27号

入山杏奈
巻頭8ページ13カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
築百年以上と言う箱根の温泉旅館での撮影。
強羅駅前で饅頭を食べるカットから始まり、浴衣を羽織って脱衣所に腰掛けるカットで終わるのであるが、時系列で並べるようなことはせず、湯船に浸かったり、浴衣で涼んだり。
短篇でもなく、かいつまんだ粗筋でもなく、長い物語のところどころ抜き読みをしたような。 8ページで収まらなかった部分を見たくなる佳品。

何を着てもサマになると言うか、着て映えない衣装が無いのだけれど、デザインとしてだけでなく、体形に合わせて選び調整されているのは良い。
入山の写真を見るときには、未だにどこか身構えてしまうところが有り、そうさせる何か(恐らく有るであろうポーズや構図の制約)を探してしまったりもするのだけれど、入山の表情は飽くまで柔らかく、カメラとの向き合い方も悪くない。

最後のカットを見終えて最初のページに戻ると、饅頭をかじっている。 このカットかあとから効いてくるのであつた。

江籠裕奈
巻末6ページ11カット、撮影は門嶋淳矢。
SKE48に11歳で入った江籠裕奈、16歳である。 上手く年を取っている。
全体的に、水着になると更に表情は硬めなのであるが、カメラと正面から向き合おうとしているのは良い。
じっとこちらを見つめるようなカットが多用されているのだけれど、これが実に厄介で、引き込まれてしまう。
策を弄さずに正面から撮ることで、カメラと正面から向き合おうとする江籠裕奈を余すところなく捉えている。 眼福。


2016-05-30 生成りと言うか露地物と言うか [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 26号

吉﨑綾
巻頭9ページ16カット、見開き1か所。 巻末5ページ8カット。 撮影は桑島智輝。
沖縄ロケで巻頭巻末ぶち抜きである。
ハイキーに撮って漆喰で塗り固めた左官屋みたいな写真になっているのが幾つか有り、全部が全部良い訳ではないが、衒わずにカメラと向き合えてはおり、粗を無理に隠すような撮り方もしていない。

ハイキーに撮る理由を考えながらページを繰っていたら、なんとなく判ってきた。
良くも悪くも生成りと言うか露地物と言うか、粗と言えなくもないところが見え隠れしており、それを整えて出したら作為的になり過ぎてしまったのだと思う。

髪型一つ、撮る角度一つでガラリ印象が変わる。 これだけの紙幅を割くだけの事はある素材ではあった。


2016-05-29 心地よい疲れ [長年日記]

_ 朝練講談会 第179回(28.5.29)

混みそうなので早めに出たが、九時前に着いて既に蕎麦屋の前辺り。
あとから来たのが何やら写真を撮っているなぁ、・・・と思ったら楽屋口近くに並んでいた連れ合いだか何だかに話しかけて、なし崩しに割り込みやがった。
中に入ってみたら桟敷のド真ん中に陣取って居やがる面の皮の厚さ。
こういう客もいる。 割り込まれた後ろの客が何も言わないのが悪い。

「天保水滸伝 相撲の啖呵」神田松之丞
六月四日の自分の誕生日の会で天保水滸伝を通しで演るんだが、浚う場がない。 「朝練」ですからと前置きして天保水滸伝の発端を。
これはまぁ照れ隠しのようなもので、読み始めればみっちりこってり。
過剰と言えば過剰であり、見る者を聴く者を巻き込む力が強いので草臥れるのであるが、この過剰さが見られるのも今のうちであると思われ、今しか見られないものに浸り、味わう。

「大岡政談 鰯屋騒動 伊勢の初旅」神田春陽
立川談志の「人情八百屋」の元になったと言う演目。 担ぎの八百屋が長屋で出会った親子に掛けた情けが仇となる。 「唐茄子屋政談」のようでもあり、「人情八百屋」のようでもあり。
陰惨な場面もあるのだけれど、春陽先生が要所々々で空気を入れるので重くなり過ぎない。

心地よい疲れを感じつつ、広小路亭へ移動。

_ 日本講談協会定席(28.5.29)

朝練講談会で松之丞さんが顔付けの苦労を語っており、愛山先生がトリと言うのも魅力的だったので広小路亭へ。
日本橋亭から流れるかと思いきやそんな事も無く、そこそこの入り。

聴きたいものと苦手なものが混在し、後者が多い。 最初と最後が聴きたいので耐える。

開口一番で前座が二人。 十五分ずつ貰えるのは良い。
最初見たときは良い印象の無かった神田みのりさんが、かなりこなれて来ていた。

「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」神田松之丞
「相撲の啖呵」の続き。 お馴染み平手造酒が例によって酒飲んで暴れるお話。
繁蔵んトコへ転がり込むまでのぶぶんをたっぷりと、残り時間を袖に訊いてから、残り10分で棒祭り。
平手の酒の上の悪さ、駄目さ加減と、剣客としての凄みを堪能。

紫先生の髪型が後家の切髪のようで年相応でもあり、召し物にも演目にも合っていた。

蘭先生は出で立ちから口調から客の弄り方まで女である事を前面に出したもので、私が最も苦手な部類なのだけれど、修羅場の言い立てになると、これが上手い。
良し悪しではなく、巧拙でもなく、好きか嫌いかに係る部分なのだなぁ、と改めて。

「就活物語」神田愛山
「行った方が良いですよ」と方々から言われつつ、なかなか足を運べず、生で聴くのは今日が初めて。 初めてなのに難易度の高い演目。
現代が舞台の新作なのだけれど、これまで聞いた講談の新作と違い、会話より地の文の方が多い。
地の文と会話のバランスが講談を講談足らしめている事を再確認。
客の弄り方に愛山先生の人としての面倒臭さが出て来るが、語り口は飽くまでも格調高く、聴いていて心地よい。

色々有ったが差し引きでプラス。
どんな講釈が見たい(聴きたい)のか、いよいよはっきりしてきたのも収穫だった。


2016-05-22 報われない営為 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 25号

馬場ふみか
巻頭8ページ16カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
肉感で攻める衣装だが、布面積を少なくすることで面を見せるものと、布面積を多くすることで線を見せるものと、二通り使っており、相互作用で悶々とするような仕組み。
馬場ふみかの表情は諧調に乏しいのだけれど、上手い事引き出して切り取っている。
6ページ目に息を呑む。

早乙女ゆう
巻中3ページ10カット、撮影は細居幸次郎。
3ページに無理算段して押し込んだので些か窮屈ではあるが、写真の選択は悪くない。
2ページ目下段、窓から差し込む光で身体の線を描き出したカットが良い。

桜井日奈子
巻末5ページ11カット、撮影は細居幸次郎。
表情に薄っぺらな作為が有ると言うか、素でカメラの前に立てていない。
何とかしようとしている細居幸次郎の報われない営為を眺める5ページ。

_ 生駒里奈ファースト写真集「君の足跡」

高校生と思しき少女の四季を記録したような体裁になっている。
セーラー服、ブレザー、夏服冬服、体操着に水着。 部屋着、普段着からよそ行き迄。 ガーリィなものからボーイッシュなものまで各種取り揃えてお届け。

撮影は青山裕企なのであるが、全てのカットに生駒里奈の意思が反映されており、青山の写真にありがちな下司張った覗き見趣味みたいなもの控えめ。
偶にある「下司な魂胆」の透けて見えるカットも、生駒里奈のお目こぼしがあって存在している。 すべてはお釈迦さまの掌の上の出来事。
下心のある下僕としての青山裕企は、存外有能なのかもしれない。

(こちらも良く出来ていた)生田絵梨花の写真集で唯一の蛇足は水着の部分であったが、生駒里奈は蛇足である部分を敢えて作ることで必然に転換すると言う魔法を使った。
体育館の倉庫で夏服を脱ぎながら下に来ていたスクール水着になっていくのだけれど、体育館と廊下で全てが完結してしまう。
水泳帽を被ったり、髪を濡らしたりしたカットはあるが、暗喩としてしかプールは出て来ない。
水着になるシーンではなく、水着になってみせるシーン。 恩賜の水着。

これで殊更作ったような表情で溢れていると醒めてしまうのだけれど、カメラと向き合った上で必ず虚構ではないが必ず現実でもない表情を見せており、醒めるどころか引き込まれてしまう。
生駒里奈の意思が詰まり過ぎた息苦しさは有るものの、それは生駒里奈が逼ってくる息苦しさでもあり、ページを繰るひとときは、重くはあるが甘美なものとなった。

_ カヤメンタリー4 [少女密着型]

錦織智による、私家版写真集。 流通はしていないがこちらで購える。
(写真も何点か見られるので、一読をお勧めする。)

生駒里奈の写真集は商業ベースに乗ったものであり、被写体の側に主導権があったのに対し、こちらは私家版であり、撮影者が主導権を握っていると言うか、カメラの前で被写体が生き生きと振る舞えるようにしつつ、絵を作る意思は撮影者の側にある。
対照的だが、実に良く出来ている。

頒布価格は4千5百円なのだけれど、平綴じで紙質も印刷も良く、 規模の経済性から考えると殆ど利益は出ていないと思われるし、物の対価として適切。 寧ろ安い。

カヤメンタリー4と題されている通り、同じ被写体を撮り続けた連作の4冊目。
他のカメラマンには撮らせていないようで且つモデルを生業にもしていないようなので名前は出て来ないが、被写体としての魅力はある。

撮られることを赦している被写体の信頼を勝ち得つつ、少し裏切る。
表紙で使われているスカートが風に煽られるカットも、斜め下から撮りつつも信頼を損なうような下卑た写真にはなっておらず、しかし煽られたスカートから覘く膝上数十センチの白さが網膜に焼き付くような鮮烈さはある。

タイミングを逃さない下準備を周到にしつつ、それがあからさまに出ない巧さ。


2016-05-15 休演 [長年日記]

_ 朝練講談会 前座勉強会vol.11

前座勉強会になると、前座二人にゲストで真打と言う構成になる。
開演も10分前倒し。
並んで会場を待っていると、中から太鼓の稽古をする音が漏れて来るのであるが、どちらが叩いていたのか、これがまた空っ下手で微笑ましい。 微笑ましいが延々聴かされると中々つらい。

「出世藤堂」田辺いちか
「寛永宮本武蔵伝 天狗退治」神田みのり
「寛永宮本武蔵伝 熱湯風呂」神田みのり

「天狗退治」を読み終えたところで「まだお時間があるようですので」と「熱湯風呂」を読み始める。
読み終えたところでお席亭が出て来てゲストの宝井一凛先生休演のおしらせ。
食ってかかったり文句を言ったりする客もおらず、無事御開き。

二人共蹴躓いたり抜けたりトチったりする場面はあったが、自分の口調とリズムは出来掛けているように思われる。
「粗いな」と思うところと「おや、これは。」と膝を乗り出すところと綯交ぜになっているのが前座勉強会。 腐すのは野暮と言う物。

一凛先生の入りの遅れ→休演をどの段階で知らされたのかは分からないが、それが動揺に繋がったのかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
入りの遅れとか休演、抜いちゃうなんて事は常に有り得る事なので、これを糧にしていただきたい。


2016-05-12 困惑と恐怖 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 24号

サキドルエース SURVIVAL 5
グループアイドルから一人代表を出し、表紙と巻頭グラビアを掛けて投票させる企画。
巻頭巻末16ページ、一人1ページ1カットずつ。 撮影は細居幸次郎。

根本凪(虹のコンキスタドール)
雨宮伊織(妄想キャリブレーション)
久松かおり(サンミニ)
荒川優那(アキシブproject)
安藤咲桜(つりビット)
横井ほなみ(FES☆TIVE)
星名はる(アイロボ)
天照大桃子(バンドじゃないもん!)
野田仁美(READY TO KISS)
中根もにゃ(STARMARIE)

水着2パターン、Tシャツ、ステージ衣装と限られたページ数にこれでもかと突っ込んである。
私の身の回りでは(関東圏では)既に品薄になっているようだが、全国的に売れるかどうかは一寸判らない。
撮影スケジュールに関しては人数と手間に見合った時間が取れているように見受けられるが、やはり流れ作業的なものにはなっているようで、顔と身体の肌の色が著しく違っていたり、表情が強張りに強張っていたりもするのがあったり、完璧ではないものの細居幸次郎らしさの欠片くらいは出ていて、顔見世グラビアとしては及第点以上の出来。

肚を括った根本凪が出色。 カメラと向き合う事に困惑と恐怖を感じている兆候が見られた安藤咲桜も、今回はそれなりに柔らかい表情。
照明のかつちり組まれたスタジオで水着になる、撮られる機会などは無い者が多かったと見えて、総じて表情は硬いのだけれど、ステージ衣装でカメラに向かうと表情も生きて来る。
投票企画は嫌いなのであるが、そうでもしないとこうした面子が紙面に載ることも無い訳で、痛し痒し。


2016-05-08 みっちりと四時間余 [長年日記]

_ SUNDAY GIRLS 2

謎の自動予約システムが発動し、金策もついたので観覧。
飯田橋と水道橋と神保町と九段の丁度真ん中と言うか、どこからも遠いと言うか、そんな西神田三丁目の試聴室 神保町が会場。
出演は星野みちる、小林清美、姫乃たま、Chicago Bass (大友真美 [ex.ブリッジ]、松村元太)、Pastel Pants (里本あすか a.k.a. asCa)、越智灯子、宗像明将、関東MUSIC 、青野りえ。 そして関美彦。

ばらばらで脈絡が無いようでいて、どこか筋の通った顔付け。
以下、順不同で散文的に。

Chicago Bassは「絵を描いていたり、スポーツ大好きだったりしてなかなかメンバーが揃わない」とかで2人での出演。
Bridgeが好きで、アルバムのみならず一曲だけ入っているトラットリアのコンピレーションなども探して買い、解散後のカジ、大橋、清水のものも買っていたのだけれど好みに合わず、それは大友真美の歌声が無い事も大いに影響していたと思うのだけれど、いつしか追いかけることも無くなってしまい、忘れかけたころにその大友真美の居るバンドに出くわした。

エフェクターを数珠繋ぎにした松村元太がギターの音色を決め、リズムマシンを操作して速さを決め、それで大友の合意を得てから(偶に再考を促したりもする)ギターを弾きはじめ、歌が乗っかっていく。
スタジオでのセッション遊びを覗き見ているような不思議な感覚。
大友真美の歌声は大友真美ならではの、甘く、可愛らしく、一寸舌足らずでありつつも凛としたものであった。

小林清美は手掛けているPeach sugar snowが病欠でプロデューサー本人のみ出演と言う変則的な形態。
Peach sugar snowが歌うはずだった曲と自作曲の弾き語り。
この弾き語りが実にどうもどうかしていて、打楽器的奏法で伴奏の域を超える音圧。
床を文字通り踏み鳴らすようにリズムをとり、手拍子を促す。
弾く人格と歌う人格がシンクロしつつも別々に存在しているかのような迫力。
歌う曲によって無垢な少女のようにも成熟した女性のようにも、「成る」と言うか「降りて来る」と言うか。
下手に関わると命を落としそうな、それでも悔いが残らなそうな、兎に角凄いものを見た。

Pastel Pantsはオケにシンセを被せるやり方で生っぽさを演出。 一人ユニットで自己完結できる分、エレクトリックリボン時代より悲壮感が薄いと言うか、大変そうだが楽しそうでもある感じ。

姫乃たまは殊更「地下アイドル」と言う看板を掲げたがる(そしてその割に「地下アイドル」と言う物の定義が曖昧だったり起源を知らなかったり)ところがあまり好きではなかったのだけれど、曲のつくりは面白く、オケも金より手間を掛けたタイプの分厚く複雑な音。
あまり合理的ではない作り込み方が、却って面白く感じられた。

何故か出てきた宗像明将とのデュエットは完全に弁当幕。 舞台の上を這うケーブルやシールドの類を踏み荒らして踊っていたのには、見ていて痛みすら感じた。 舞台の上に上がる者としての常識が欠如している。

歌い終えてから主催の関美彦を交えてのアイドル談義(ほぼ宗像のひとり語り)。
肉フェスで客の一部が暴れて官憲の介入が入った一件を日刊Spa!が面白おかしく取り上げた事について苦言を呈していたが、こんなのは今に始まった話でもなく、萬朝報の堂摺連糾弾キャンペーンの昔から無軌道な青少年と社会の木鐸さまとは相性が悪い。
この裏を取らずに感覚でモノを言ったり書いたりするところが私は嫌い(※ピカピカについて書くにあたり、事もあろうに虚言屋の綿井にだけインタビューして、裏を取らなかった件に関して、私は立腹している。) なのであるが、その軽さ故に読みやすく、受け入れられてもいるのだろう。

越智灯子は前座で出て来て(他の出演者も巻き込んでゴム飛びなどしつつ)三曲、中盤に関美彦のピアノ伴奏で一曲。
まぁ私は楽曲大賞系イベント全否定なので、この人とは考えが合わない事も多いのだけれど、やっている事は面白い。 大体に於いて、どうかしている。

久しぶりに見た星野みちるは、一寸ふくよかになったような気がしないでもないが、下顎が小さく、尖っているので割と痩せては見える。
ボソボソとヤマも落ちも無い話をするのだけれど、それが妙に可笑しい。 歌以外の全てが出鱈目な感じ。 この辺りは変わらない。

弾き語りは指がキーボード慣れしてしまっていて、弾くより押すに近いような音だったが、歌を引き立てるような弾き方にはなっていた。

驚いたのは振り付けのある曲でもっともらしく踊れている事で、勿論間違えないしきまり悪そうな顔もしない。
歌割りが有る部分と無い部分(無い部分の方が多い)でダンスの説得力に乖離が有り過ぎたのは過去の話で、今は全て自分で歌っている訳であり、歌っていさえすれば情念の籠った動きになる。

歌う事で評価され、評価されることで良い出会いもあり、良い曲良いスタッフに恵まれて良い歌が歌えている。
その「歌う事によって得られた幸せ」が、聴く者にも伝わる良いライブであった。

弾き語りと伴奏で4人のピアノを聴いたのだけれど、それぞれの個性が出ていた。
聴く者を圧伏せしめるかの様な小林清美、ピアノが蹴躓くと歌も蹴躓く越智灯子、ピアノが蹴躓いても歌は蹴躓かない星野みちる。 陰に陰にと回り込むような関美彦。

三時半に始まって終演が八時。 体感時間は「あっという間」ではあったが、みっちりと四時間余。
心地よい疲れとともに帰宅。


2016-05-06 早起きのサイクル [長年日記]

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(七日目~千穐楽)

黄金週間 十日間連続読みの会(七日目)
「任侠流れの豚次より"任侠流山動物園"」玉川太福/玉川みね子
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (6)仁吉の焼香場」神田春陽

黄金週間 十日間連続読みの会(八日目)
「天保水滸伝より"鹿島の棒祭り"」玉川太福/水乃金魚
「清水次郎長外伝より"小政の生い立ち"」神田春陽

黄金週間 十日間連続読みの会(九日目)
「青龍刀権次(6)涙の刑事部屋」玉川太福/水乃金魚
「清水次郎長伝より"次郎長の生い立ち"」神田春陽

黄金週間 十日間連続読みの会(千穐楽)
「青龍刀権次(7・大団円)権次の改心」玉川太福/玉川みね子
「清水次郎長伝より"心中奈良屋"」神田春陽

荒神山は七日目で大団円。 次郎長の株は上がるが、差し当たって誰も得をしない幸せにならない結末。
八日目は読み切り、九日目と楽日は次郎長の生い立ち。
侠客ものと言うのは題材としてあまり好きではないが、淡々と楽しく聴けた。

青龍刀権次も七話なので「任侠流山動物園」と「鹿島の棒祭り」。
「(春陽先生が次郎長伝なので)そのあたりのものを」で何を演るのかと思ったら「三遊亭白鳥作・・・」ここでまず一と笑い。
その件には触れずにじわじわと空気を換えて荒神山に入る春陽先生も良かった。

青龍刀権次は馬鹿で強欲な小悪党の情けない上にも情けないエピソードを味わう演目だと思っていたが四日目から風向きが変わり、白浪物から探偵小説へ。 強引なまでに登場人物の因果が絡み合う江戸風味と、理詰めで犯人を追い詰めていく開化めかした部分の同居。 派手な登場のわりに殆ど何もしない爆裂お玉など、物語として詰め切れていない部分をどう聴かせるかと言う苦労は有ったと思うが、刑事が登場して以降の部分は特に面白く聴けた。

十日興行に九日通うと言う酔狂な連休。 流石に最後の三日は草臥れ果てていたが、お陰で早起きのサイクルを崩さずに済んだ。

_ 声かけ写真展

「中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影しただけの写真を集めました。 それが、声かけ写真展。」

池上中学校の使われていない部分の校舎を利用した世田谷ものづくり学校の三階が展示会場。 冊子が付いて入場料1000円。

教室の机の上に写真が並べられている。 「声かけ写真展」なのだけれど望遠レンズで撮ったものもあり、そうなると合意形成についても怪しくなってくるのだけれど、その辺りには触れずに冊子のコメントが「懐古」「肯定」「夢よもう一度」ばかりだったので頭が痛くなる。
まぁ否定する立場からコメントを寄せることも無いと思うが。

四人四様で被写体の選択、相手との距離、撮り方、似たような状況乍ら写真として出来上がった物はさまざまで、自分の欲望をオブラートに包むか隠すか、もしくは欲望が顕在化としてしまっている事に本人だけ気付いていないところまで写真に現れている。
青山静男の撮る写真は自律的且つ抑制的で良かった。


2016-05-04 ソプラノ [長年日記]

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(六日目)

「青龍刀権次(5)乳母の義心」玉川太福/玉川みね子
権次が出て来ないエピソードの続き。 わたくしといたしましては、いない方が楽しんで聴ける。
これまでのあらすじを語った後、眼鏡を外して本編に入るのだけれど、そこまでの時間が日に日に長くなって行く。
浪曲に耳が慣れてきたので、節回しを味わう愉しみ方も分かりかけてきた。
ここから面白味が増していくのだと思う。

「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (5)仁吉の最期」 神田春陽
ついにクライマックスの切った張った。 血生臭いところなのだけれど、ねっとり演らずに、さらり淡々。
湿っぽくなりそうな部分も適度にクスグリを入れて軽く明るく。
引き込まれて聞き入ってしまうが、草臥れないのが良い。

明日から後半戦である。 気を引き締めて早起きしたい。

_ 第16回 靖国講談会(28.5.4)

湿度は低いが日差しは強く、真夏日となった。
靖国会館は本日も大入り。

「村越茂助 左七文字の由来」田辺凌天
「回向院 猫塚の由来」神田こなぎ
「太閤記 本能寺の朝駆け 右大臣信長の最期」宝井梅湯
「石川一夢」一龍齋貞寿
<中入り>
「赤穂義士本伝 楠屋勢揃い」一龍齋貞弥
「爆裂お玉 三泥棒出会い」神田すず
「加賀騒動 紅葉山の闇試合」一龍齋貞花

こなぎさんは初見だが、特徴のある声。 ソプラノ。
この声がしっくりくる口調と演目が出来てくれば面白いのではないか。

中トリの貞寿さんが良かった。 語り込むべきは語り込み、客を引き込んだところで一寸はぐらかす。
基本的なところがしっかりしているので崩しても変な崩れ方はしない。
気持ちよく手玉に取られる。

良否の否では必ずしもないが、好き嫌いだと嫌いで、まぁ耳を塞ぎたいような局面もあったが、出たり入ったりも出来ないので心を無にして耐える。

貞花先生は今聴けて良かった。


2016-05-03 どうなりますかと気を持たせてまた明日 [長年日記]

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(四日目)

初の平日開催と言う事で、さすがに満員とはならなかったが、それでも中々の入り。
お席亭も含め、はねた後に出勤と言う向きもおられた由。

土日でもつばなれしないどころか客一人なんてことはザラにあったと感慨深げに暗黒時代を振り返る春陽先生。
客一人演者一人の状況をPK戦に例えていたのが可笑しかった。
平日で来られない人が多そうだと言う事で、続き物は一と休みして抜き読みで二席。

「天保六花撰 河内山と直次郎」 玉川太福/水乃金魚
曲師の違いでどう変わるかも見ていただきたいと語っていたが、幕が開く前の調子の合わせ方から違う。 衝立の向こうで座る位置も一寸奥の方。
一音々々に張りがあると言うか、引き立てるより掛け合いと言った趣の弾き方、食い気味のグルーヴ。

河内山と直次郎だと河内山の方が一枚も二枚も上なんだが、直次郎も権次と較べれば格段に肚が据わっている。 その辺りの悪い奴の描き方の違いもまた、面白かった。

「柳沢昇進録 浅妻舟」 神田春陽
柳沢昇進録だが生臭い話ではなく、英一蝶と宝井其角の友情譚。
私は毒にも薬にもならないがほのぼのとした、こう言う話が好きだ。

連続読みの箸休め、のんびり聴けた二席。

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(五日目)

十日間連続読みの会も漸く半分。
再び暦も休日となり、ほぼ一杯の入り。

「青龍刀権次(4)血染めのハンカチ」玉川太福/玉川みね子
前回爆裂お玉が登場してさてどうなるかと盛り上がったところが切れ場で、さてどうなるかと思ったら、並行する別のエピソードが挟み込まれる憎い演出。
上手く出来ている。
曲師も戻って何というか耳への当たりは柔らかいが勁い音、合わせて被せてくるようなグルーヴ。

「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (4)仁吉の離縁場」 神田春陽
段々に役者が揃って、緊張感が増してくるのだけれど、殊更張るようなところもなく、淡々と語るので聴いていて草臥れない。
登場人物も格が上がるほど声を荒げないので、静かに盛り上がって行く。

さぁて、どうなりますかと気を持たせてまた明日。

_ 第十回ノンライツRF友の会写真展

日本橋亭がはねて、午後の靖国講談会まで時間が空いたので、近くで開かれている写真展へ。
レンズは確かにノンライツだがカメラはライカだったり、ノンライツのレンズだがRF機では撮っていなかったり括りとして看板に偽り有りや無しやと言う感じがしないでもなかったが、写真展としては面白く拝見。
落ち着いて見られる環境と言うのが先ず良い。
新しくは無いビルなので天井は低いが、照明の当て方は考えられていて、見難いところは無い。

作品として一本立ちをしているものにも唸らされたが、私個人の嗜好としては作例と作品の間で揺蕩うような感じのものに惹かれた。

アンジェニューのアリフレックス用シネレンズをライカLマウントに改造したものにL-Mリングを噛ましてXマウントアダプターに付けてX-Pro1で撮ると言う回りくどさにも痺れたし、昼寝から目覚めたら目脂が溜まって目が霞んだようなアンジェニューならではの芯はあるもやもやも良い味。
アンスコシネマットの40mm/f6.3の、これぞ三枚玉と言う感じの暴れ方も良かった。

R-BIOTAR 5.5cm/T0.85レントゲンレンズで撮ったもの。
イメージサークルが狭いんで写真は文字通りの日の丸なのだけれどド真ん中の写りは良く、それを生かしてきっちり絵にしてきているのには感心した。

好事家ならニヤリとさせられる道楽の極み。

_ 第16回 靖国講談会(28.5.3)

半蔵門のJCIIフォトサロンから靖国神社へ。 下って上って靖国通りに辿り着いたら、丁度ペトリカメラの東京営業所のビルのあったところだった。
境内で火遊びをしたバカのお陰で未だ空気はピリピリしており、其処彼処に背広を着た警備。
偉そうに踏ん反り返る村田蔵六の野郎を右に見つつ、拝殿に額づいてから靖国会館へ。
貞花先生の差配なので年寄夫婦の客が多く、携帯鳴らしたり一人で三席占拠したり傍若無人気味乍ら、女流にちょっかいを出す厄介は少な目。

貞花先生以外は若手からの顔付け。

「酒呑童子」宝井琴屯
「熊田甚五兵衛」田辺いちか
「沢村才八郎」一龍齋貞鏡
「魚屋本多」神田山緑
<中入り>
「赤穂義士銘々伝 大高源吾」宝井琴柑
「円山応挙の幽霊画」田辺一乃
「関ヶ原異聞・八丈島物語」一龍齋貞花

貞鏡さんは硬さと柔らかさのバランスの良い口調になっていた。
琴柑さんは演出過多と説明的に過ぎる部分(これは客層を考えると仕方がないのかもしれないが)気になったが、安心して聴いていられる。

トリの貞花先生、「面白い話ではないですが、情景を思い浮かべていただければ」と前置きして八丈島に配流された宇喜多秀家の話。
途中で先代文楽の大仏餅の一件の一歩手前の、間なのか絶句なのか良く分からない沈黙が何度もあってヒヤリとしたが、それ以外は流石の「聴かせる芸」。
顔付けを見て逡巡したが、行って良かった会。

貞花先生、中入りで引き出物を配ったり募金箱を持って回ったり八面六臂。
まだまだお元気そうだったので安心した。


2016-05-01 境界の有無 [長年日記]

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(三日目)

三日目になって中々の入り。

「青龍刀権次(3)爆烈お玉」玉川太福/玉川みね子
五年喰らって市ヶ谷監獄に入っていた権次。 生まれ故郷に帰って地道に暮らそうと思い立つも、生き別れた家族を探すうちにまたもや仇敵に巡り合ってしまう。
すぐに頭に血が上り、怒ると粗忽に拍車が掛かる小悪党の悲哀。
爆烈お玉は最後の最後に漸く出て来て、さぁこれから・・・と言うところで続きは次回。
良く出来ている。

「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (3)飯田の焼き討ち」 神田春陽
こちらもおっちょこちょいの馬鹿が先走ってしくじる話。
大立者の出番は少ないのだけれど、脇役に味が有るのでじわじわと盛り上がり、さぁこれからと言うところでまた次回。

一回が30分としても十日で300分=5時間。 木戸銭が千円ポッキリと言う気楽さもあるが、続き物を細切れでじわじわ聴いていくかつての寄席の愉しみを追体験。

_ Photo Infinity Tokyo 2016

北島明、小林幹幸、笹口悦民、設楽茂男、中村和孝、舞山秀一、皆川聡。 6人のカメラマンがお仕事抜きで撮った写真展。
(それは恐らく世間的には写真なのであろうが) 私には写真であるようには思えなかったものもあったが、美術・工芸として捉えれば確かに美しくはあった。

会場は南青山の小原流会館の地下にあるhpgrp GALLERY TOKYO。 入口に扉の無い開放的な空間で入りやすいが、それは内と外との境目が無いと言う事であり、落ち着いて見られないのはいただけない。

地下一階に入る他のテナントは全て飲食店で、昼時に行った所為もあってか厨房からの排気が滞留し、様々な食べ物の匂いで溢れている。
悪臭ではないのだけれど、五感のうちの一つが常に刺激され続けている中で別の五感の一つを働かせると言うのは、中々に骨が折れた。

高いところから照らされているので、額装されたガラスの反射などは然程気にはならなかったが、照明は天井の蛍光灯のみ。 カラーの作品もある中、色温度についてどう考えているのか、考えていないのか。
写真を「見て貰う」と言う点に於いて、会場選びが雑だったのではなかろうか。

設楽茂男
木の葉や木片、貝殻などをじっくり撮った静物。
蝋燭の炎を撮った一点のみ、ガラス有りの額装だったが、ほかは全てむき出しのプリント。
スーっと浮き上がってくるように見えて驚き、瞬きをすると元に戻る。

小林幹幸
いつものスクールガール物。
写真そのものではなく、何かを足すことによって作品として成立させている。
自己模倣に陥りかけているような、美しくはあるが哀しい写真。

北島明
物と人の組み写真で7点。
真っ黒も真っ白も無い、黒に近い灰色と白に近い灰色とその間の色のなだらかな諧調が美しいプリント。

舞山秀一
長い事撮り続けている動物園の写真。
ぱっと見て全体を見渡せる大きさを超えると、受ける印象がガラリと変わる事を改めて感じる大写しの孔雀。
他の写真もそうなのだけれど、寄って細部を見て、離れて全体を、行きつ戻りつして見ていると、動物の居る部分に視線か吸い寄せられるような不思議な感覚。
これが面白かった。

前述の通りで私の思う「写真」とは異なる出品作も多く、図録のサイズにすると判らなくなってしまう作品も有ったので図録は見送り。


2016-04-30 有意義な「人生の暇潰し」 [長年日記]

_ 黄金週間 十日間連続読みの会(二日目)

朝練講談会を主催する神保町講談会(わかりにくい)の連休特別企画。 続き物を毎日十日間読み継ぐ。
毎日来る客もいるので、チラシが要るかどうか一々訊いてくれるのが嬉しい。
この会は差配をする人が「わかってる」人なので、客としてのストレスが送り手には溜まらないのが良い。


「青龍刀権次(2)偽札」 玉川太福/玉川みね子 
開演前、幕の向こうから三味線の調子を合わせる音が漏れ聞こえて来て、徐々に聴く気分が盛り上がってくる。

マクラまでは黒縁眼鏡の太福さん。 本編に入る前にスッと外して畳む。 この儀式めいた所作が絵になる。

小悪党が巨悪を強請ろうとして嵌められて翻弄され続ける、情けなく救いもない話なのだけれど、全く感情移入出来ない奴しか出て来ないのに、きっちり聞かせて飽きさせない。

「清水次郎長外伝 荒神山の間違い 三本椎ノ木お峰の茶屋」 神田春陽
時節柄ナニですが、博奕打ちのお話をと一と笑いさせてからおずおずと。 まだ導入部で小競り合い程度。 次郎長の乾分も出て来ないのだけれど、そこは巧く作られていて、個性的な脇役が見せ場を作るので楽しく聴ける。

落語で言うと子別れの上とか中とか、単体では物語としての魅力に欠けるし大して面白くもなく、端折っても見せ場の部分だけで物語として成立する場合端折られてしまう部分。
そう言う「つまらないなりに味のある部分」。 ゲラゲラ笑うだけではない部分の話芸の魅力。
全員が全員受ける根多で勝負してくるホール落語みたいな会では味わえない、有意義な「人生の暇潰し」。

_ 石川栄二写真展 「みずとか はなとか はっぱとか」

四谷四丁目のギャラリー・ニエプスへ。 小体だが静かで見やすい。
文字通り「みずとか はなとか はっぱとか」をスクエアフォーマットのモノクロで展示。

水や濡れた葉、泥濘などを撮っても乾いた感じになり、ピントが合ったところはきっちりと、アウトフォーカスは暴れる三枚玉っぽい描写。
ポストカードを購った際にどんなカメラを使っているのか尋ねたところ、リコーフレックスを使っているとのこと。(他に国産スプリングカメラなども)

これで腑に落ちた。 確かに富岡光学の三枚玉らしい描写で、これがトリオターとかノバーとかツァイスの三枚玉だとしっとりしてしまうし、テッサーだとカリカリしてしまう。
柔らかくも乾いた感じなレンズの味が、作風に合っていた。
プリントも芯がしっかりしていて美しい。 私の好きな、風邪を引いた時に見る夢の様な写真。

_ 二人展+グループ展『part of the whole』

Gallery NIW は江戸川橋から鶴巻町方向へ少し行ったところに出来た新しい展示スペース。 二人展と四人でのグループ展を同じ会場で開催すると言う珍しい形態。

面白かったものを掻い摘んで。

Nishi Norimasa
黒と灰色の間の色と黒の間の色合いが美しい、風景と静物の間の暗がりを切り取った写真。
暗闇で目を慣らすように、じっくり見ていると諧調のはざまの色まで見えてくるような、何時までも眺めていたい写真だった。

黒滝千里
凍らせた花で6点。
凍らせることによって細胞壁が壊れ、透けた花びらの濡れ濡れとした美しさ。

Megumi Michelle Kawaguchi
動物園で撮ったカラー4点。
キャビネより更に小さいプリント。
大きく伸ばさないからこそ感じられる、 黒い台紙の向こうの覗き穴の世界。

写真もさること乍らギャラリーそのものも居心地の良い空間であった。


2016-04-26 どうとでも解釈できる曖昧な表情 [長年日記]

_ 松岡菜摘ファースト写真集「追伸」

HKT48に所属する松岡菜摘の初写真集、撮影は佐藤裕之。
期待はしていなかったと言うか、そもそも買うつもりもなかったのだけれど、積んであった週刊ヤングジャンプ 2015 43号のグラビアを見直して驚いた。 これは買わねばならない。

セーラー服で始まり、セーラー服で終わる構成。 その間に水着やランジェリーも含めた様々な衣装で撮ったカットが挟まる。
水着やランジェリーは体形には合わせていて、布面積が小さめな物もあるが穏当なデザイン。 煽情的なポーズを取らせる訳でもなく、Les sucettes的な暗喩を込めた小道具を使わせる事も無い。

松岡菜摘は撮られるにあたって「撮られるに任せる」と言うか、感情を露わにしない。
時折笑顔は見せるが、機嫌が良いのか悪いのか、楽しいのか楽しくないのか、眠いのか。
どうとでも解釈できる曖昧な表情が大半を占める。

主張はしないのだけれど、その分よく分からない負圧の様なものが働いていて、知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。

Femme fataleと言う物は、実に意外極まるところに転がっているもので、斯く言う私も松岡菜摘に躓いて転んで途方に暮れているところである。
何が良いのか何処が好きなのか、説明らしい説明をする事が出来ないのだけれど、説明のつかないもどかしさに、答えを探してまたページを繰ってしまう。
おそらくそうさせるような意思が、この写真集を作り上げる際にハンバート・ハンバート氏によって込められていて、それに我々は踊らされるのだと思う。

さっきまでは好きでも嫌いでもなかった松岡菜摘を、最後のページをめくる頃には好きになっている。
まだ四分の一も終わっていないが、今年一番の悩ましい写真集。


2016-04-21 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 21号

篠田麻里子
巻頭7ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
04・05合併号で「ラスト水着」と言うのをやってしまったので、薄着のグラビア。
水着にはならないと言うだけで、撮られ方はいつもの篠田。
1~3ページ目は抜けるような青空の砂丘で大き目に、4・5ページ目はモノクロ、6・7ページ目は光を強めに当てた屋内。
4ページ目の右下、鏡に向かうカットが美しい。

加藤里保菜
巻末5ページ8カット、撮影は西村康。
眼鏡込みで「顔」になっている人が、敢えて外したカットを後半に3枚。
眼鏡ではにこやかに、外して睨めつけるように。
アイデアとしては面白い。


2016-04-20 蠱惑と魅惑 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 50号

西野七瀬
全篇屋久島ロケ。 巻頭「麓の章」6ページ12カット、巻末「山の章」6ページ16カット。 撮影はTakeo Dec.。
降らないがすっきり晴れない、私好みの空模様。 11月の半ばの発売だが、南の島と言う事もあってか全体的に薄着。
仕草やポーズも、不器用と言うか馬鹿正直と言うか、思わせ振りなものにはどうやってもならない。
誘いの隙のようなものは無いので蠱惑的ではないが、嘘偽りは無さそうで、そこが魅惑的ではある。
煽情的なカットは無いのだけれど、ページを繰って行きつ戻りつ眺めていても飽きない、不思議な出来。
眼福。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 51号

おのののか
巻頭6ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
ビキニのみで4着、水着のみで押す構成。 ポーズやら何やらでの補正が目に付くが、そう言う方針なのであろう。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔と作った笑顔の二態で6ページ。 凄いものを見た。

松元絵里花
巻末6ページ20カット、撮影は佐藤裕之。
大きく使えるカットが少なかったのか、コラージュ的に小さめの写真を鏤める割り付けが過ぎて煩わしい。
まぁ顔見世と割り切ってみれば悪くは無い。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 52号

馬場ふみか
巻頭7ページ13カット、撮影は佐藤裕之
光を強く当てると眩し気な表情になって険が出るのだけれど、柔らかい表情を切り取れているのは夕景の一枚のみ。
身体の線を切り取ったカットも少なく、何を目指したのか良く分からない7ページ。

松田るか
巻末5ページ13カット、撮影は唐木貴央。
前後左右から映える角度を探りつつ撮っている。
笑うと些か品下がるのは瑕だが、軽く俯いて目を伏せた表情などは実にどうも。


2016-04-19 充実は欠落の不足 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 40号

最上もが
巻頭7ページ14カット、撮影は桑島智輝。
髪型からカラーコンタクトから作り込んで人前に出る姿が「最上もが」なのであろう。
裏方もしっかりしているのだと思うが、綻びを見せることは先ず無い。

松本愛
巻末5ページ9カット、撮影は桑島智輝。
ファッションの撮られ方を引き摺っているようなところはあるが、囚われ過ぎていないのは良い。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 41号

武田玲奈
巻頭6ページ18カット、巻末3ページ6カット。 撮影はTakeo Dec.
悪くない、寧ろ良いのだけれど、やはり目に生気が無いのが気になる。
素材の良さに寄り掛かってばかりで、生かそう伸ばそうとする工夫が感じられない。
撮る方は何とかしようとしているのであるが。

藤原令子
巻中4ページ4カット、撮影は細居幸次郎。
すっかり大人びて役者の貌である。
4ページ目の睨め付けるような表情が良い。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 42号

佐藤美希
巻頭7ページ16カット、撮影はTakeo Dec.
とっかえひっかえほぼ水着。 程の良い体形と煽情的でありつつも遣り過ぎないポーズと構図。
4ページ目のみ、上に一枚着たカット。 タートルネックの白いニットの描き出す肩から二の腕にかけての線が美しい。

伊藤しほ乃
巻末5ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
巻頭とは打って変わって「これでもか」と煽情的な5ページ。
そう言う売り方なのだと思うが、狙い過ぎているのが一寸鼻につく。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 43号

松岡菜摘
写真集の未使用カットから巻頭7ページ12カット、撮影は佐藤裕之。
水着とセーラー服なのだけれど、どちらを着ていても表情にブレが無く、カメラと素で向き合えている。
上だけセーラー服だったり、水着の上に薄物を羽織っていたり、暗喩で青少年のリビドーを刺激するようなカットが憎らしく巧い。
何気なくページを繰っているうちにコロリと殺られる。
買わずに済まそうと思っていたが、この写真集は買わなければならない気がしてきた。

太田夢莉
巻末5ページ8カット、撮影は門嶋淳矢。
気が付いたら死んでいる(こちらが)感のある松岡に対して、向こうから積極的に殺しに来る太田夢莉。
前門の虎、後門の狼。
物怖じせずにカメラの前に立つ太田夢莉は、カメラのその先を見ている。

アイデア勝負の大道具も含めて面白い8カット。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 44号

伊藤萌々香
巻頭7ページ20カット、撮影は桑島智輝。
10月1日発売なのであるが、夏らしい南国の浜辺で撮った20カット。
惨憺たる出来。
眩しがると眠そうになるので太陽を背負わせたり出来る工夫はしているのだけれど、如何せん光線が強すぎる。
モデルにもカメラマンにもこの不出来の責任は無い。

松井珠理奈
写真集からの未公開カットで巻末5ページ12カット、撮影は渡辺達生。
全編商売用の松井珠理奈。 そのままお蔵入りさせた方が良かったようなカットが並ぶ。
獣脂とグルタミン酸ナトリウムがコッテリと効いたようなのが好きな向きには堪らないのかもしれないが、私は真っ平御免被る。

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 45号

篠崎愛
巻頭6ページ、撮影は桑島智輝。
全編肉感で押し捲りつつ、くびれるところはくびれていることを見せてバランスを取った15カット。

内田理央
巻末5ページ、撮影は桑島智輝。
好対照な「線で見せる」14カット。
巻頭もそうだが、美点を生かすことで被写体を生かしている。
充実は欠落の不足であり、欠落は充実の不足であって表裏をなす・・・とか何とか埴谷雄高が書いていたような朧げな記憶があるが、対称的な巻頭と巻末であった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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