小林一三が城東地区の労働者向けの娯楽施設として作った江東楽天地の名残のビルの前の広場で不定期に開催されるアイドルとシンガーソングライターのライブイベント。
タイムテーブルは下記の通り。
11:30~12:00 LuI (ルイ)
12:10~12:40 月乃凛(ツキノリン)
12:50~13:20 akane
13:30~14:00 ANNA☆S(アンナッツ)
14:10~14:40 水森由奈withつるぴかりん
14:50~15:20 CURATIONS
15:30~16:00 神様アイドルプロジェクト
見たかった(撮りたかった)グループの出演時間に合わせて現地へ。
ANNA☆S
スイッチの入り切りが上手い。
にこにこと登場して立ち位置へ。 小池優奈が一曲目に何を演るかど忘れして「おいこら」的やり取りがありつつも、曲が始まると表情は一変。
歌って踊っての部分は実にしっかりしたもので、こともなげにやってのける全てが研ぎ澄まされている。
安定していて破綻しないので分かりにくいからやっている事の凄さが分かりにくい。
送り手の側は難易度の高いあれこれを難易度が高いようには見せないようにしているのだと思う。 そこがまた良いのだけれど、もどかしくもある。
一曲だけ撮影可なのを訝しく思っていたが、撮ってみて解った。 この一曲で、撮られる事に勝負を掛けている。
その曲だけ「撮られる事」を意識した動きになっている。
撮っているカメラを把握しており、その全てに視線を送って一寸止める。 それでも歌って踊っての部分は一切疎かになっていない。 なまなかのことでは出来ない芸当。
水森由奈withつるぴかりん
アイドルと言う括りでアイドルのライブに出てくると辛いところは有るが、コミックソング的なものを歌う人として地域のお祭りなどの営業に出た場合は強いと思う。
CURATIONS
このイベントの裏方に入っていたマネージャー氏が転換時間のBGMに CURATIONSの曲を流し、メンバーは出演時間直前までチラシを撒いて歩き、「知ってもらう事」に関して出来る事を片っ端から精力的にやっている。
オリジナル曲だけでセットリストを組めないのを逆手に取り、人口に膾炙した曲や盛り上がり易い曲を持ってきて通行するフリの客の足を止め、後半に自分たちの持ち歌を持ってきて聴いて帰らせるしたたかな構成。
大道芸や街頭広告の「聴いたことのあるメロディーで客を寄せ」「人だかりを作って足を止める」やり方を、知ってか知らずか踏襲しているのが面白い。
借り物の曲でも人前で演って金を取れるくらいの練度にはなっているから安心して見ていられる。
これでお客さんがドーンと増えてくれると良いのであるが、そうは問屋が卸してくれにくい。
良い循環にはなっていると思うので、倦まず腐らず続けて欲しい。
今田美桜
巻末4ページ10カット、撮影は長野博文。
人気連載漫画の映画化に伴う特別編成で、グラビアは巻末4ページのみ。
こうした撮影は初めてらしく、表情は単調で硬く、笑顔もぎこちないが、水着映えする体形ではある。
サキドルエースSURVIVAL SEASON 7 ~I scream of love~
グラビアが主目的で、掲載されている漫画も読んでいる私などは主客転倒している口であり、漫画を読むために買っているのが読者の多くを占めると思う。
然るに今般の「サキドルエース」なる企画では、漫画でもグラビアでもなく、投票葉書が欲しい層によって買い占められ、発売当日に街からヤングジャンプが消えた。
私も本屋とコンビニエンスストアを梯子したが、ついに買えずに終わった。
集英社にとっては空前の売り上げだったかもしれないが、連載漫画を一周読み損ねた人が次の号を素直に買ってくれるだろうか。
主たる客層を踏みつけにして目先の利益を採ったヤングジャンプ編集部には、必ずや報いが有るであろう。
そんな訳で、グラビアアーカイブを見ながら書いている。
掲載ページ順に
橘莉子(seeDream)
南口奈々(GEM)
吉井美優(26時のマスカレイド)
ましろ(CY8ER)
真中芽衣(それでも時代はまわってます。)
小泉明音(ヲルタナティブ)
瀬戸真凛(じぇるの!)
山中美保子(2o Love to Sweet Bullet)
的場華鈴(虹のコンキスタドール)
沖口優奈(マジカル・パンチライン)
基本的に一人1ページ1カット、集合で3ページ2カット、うち見開き1か所。
撮影は細居幸次郎と西村康。 どちらがどれを撮ったのかは不明。
まぁ良くも悪くも流れ作業の顔見世グラビア。
ひどい上りが無いのは不幸中の幸いだが、企画としてのヤッツケ感は否めない。
「これは」と思うカットは無い。
被写体の魅力ではなく、所属するグループの客の数と資金力。 割った話が「太い客をどれだけ囲ってるか」に掛かった勝負なので、被写体の魅力と結果の間に相関は無い。
結果が出るのはまだ先であるが、選に漏れたとしても気に病まずとも良い。
連載漫画を読者に届けると言う本義を閑却した企画は、漫画を読みたくて買っている顧客を敵に回しかねない。
課金させて小金を儲けたいなら、それなりの工夫をすべきであろう。
仕事やっつけて室町へ。
思ったより早く着いたので小諸そばで冷やしたぬきを手繰ってから行ったらほぼ埋まっていたが、知己のとなりに空席を発見して潜り込む。
開演前に掛かっていた曲を聴かれたので「あぁ、東京女子流ですね。」と即答したら、周りが引いていた。
「狸の札」らくぼ
「蛙茶番」志ら玉
「青菜」志らく
<中入り>
「江島屋」志ら玉
ドット欠けみたいな空席がいくつかあったが大入り。
二席ともハメコミ入りで、江島屋には前座さん扮する幽霊も出す趣向の凝らしかたが志ら玉師らしかった。
夏も終わりと言う事で夏の噺を、と「青菜」。
暑さでおかしくなって行く人の話として描かれた爆笑篇。
志らく師らしい一席。
親子会と言うものは、師匠に提出するレポートみたいなもので、なにを演るかで「どうなって」「どうやって」行きたいのかを見せる。
二席ともハメモノ入りの面倒な演目を持ってきたところに矜持を感じた。
ただ、客は選ぶ。 特に江島屋は笑いに来た人には向かない。
そんなところも含めて、これで良かったと思う。
唸る人は唸り、解る人は解っている。
寄席を含めて現場で観る芸能の愉しみは無為だが有意義な人生の浪費、それが分かる人には志ら玉師、お薦めである。
アウェーの対バンでも、目当てで来ていない不特定多数をどれだけ巻き込めるかが勝負のオープンスペースのイベントでも、ノルマの達成が掛かっている訳でもない。
「目当てで来ている」お客さんの前で安心して出来る CURATIONS 主催興行。
ワロップ放送局のある押上と言う立地は、鉄道が2路線通り、バスの便もある。
来るには便利なのだけれど、他のアイドル現場「から」「へ」移動するには少々便が悪い。
開催時間にもよるが、他と重なる場合は厳しい集客になる事がある。
逆に考えると、その時来ているお客さんが「最優先で来てくれている人」と言う事になり、集客力を計る目安にはなる。
15:00受付開始と言う事で、間に合うように現場へ。 生誕祭と言う事もあり、やる気のあるお客さんが既に並んでいた。
前の枠が遅延したらしく、受付開始が遅れて冷房の効かぬ階段で待つこと10分少々。
大汗を搔く羽目にはなったが、その埋め合わせか開場は早くなり、涼しいスタジオ内で一と息つく事が出来た。 こうした配慮は有り難い。
生誕祭と言う事で、一色真衣本人が組んだセットリスト。
全員で2曲歌った後、一色はお色直し。
4人で間繋ぎをしてから生誕祭のソロコーナーへ。
普段のライブだと撰び難い曲をしっとりと丁寧に。
一色の何と言うか、アイドルには珍しい「楷書の芸」の基礎になっているものが何なのか不思議に思っていたのだけれど、ソロコーナー後の間繋ぎに流された秘蔵映像で合点が行った。
バレエの発表会らしき動画だったのだけれど、衣装からメイクから本寸法のもの。
ここまで突き詰めてやっていれば、情緒はありつつも正確で綺麗な動きが自然に出て来るのも頷ける。
後半は一色のメンバーカラーである「赤」を基調とした私服コーディネイト。
「よそ行きの服」の桐谷と月城、、本日の主役感を漂わせる一色。 急に御呼ばれしたパーティーに来て行く服に悩んだ風な春名、夏休みの子供的な橘。
それぞれの性格めいたものが服に出ていて面白い。
今出来る事の精一杯を詰め込んだ生誕祭。
慎ましくはあったが、程よい祝祭感。
来年はより多くの人と祝いたい。
晴れた日曜の午後とあって、ごった返すと言う程ではないが、なかなかの集客。
作者在廊中となると更に混むので、早めに行っておいて良かった。
画廊での写真展なので当然販売もしているのだけれど、「被写体が誰某である」と言うのと売れ行きには特に相関が無さそうなのが面白い。
良いと思われた、手元に置きたいと思われた作品が買われて行く。
売約済の作品の横には赤いシールが貼られるのだけれど、私が見ても面白いと感じる写真が売れていた。
結果としてどうなるかは見る人夫々の嗜好に係るので措くとして、撮影者としては性的興奮を惹起せしめることは意図しておらず、美しいと思ったものを美しく切り取って写真として形にしている。
私が気に入ったのは美しいものに隠し味として悪戯心と諧謔を一滴垂らしたもの。
この一滴が効いている。
中央線に乗ったところで洒落のきつい土砂降りになり、駅で遣り過ごしてからギャラリーニエプスへ。
「66から」とタイトルにあるように、当初はリコーフレックスで撮影した写真を中心に展示する予定だったが、選んでいるうちにそれ以外の物が増えてしまったとの事。
左側の壁、パリはローキーに柔らかく。
右側の壁、ヨルダンはハイキーにかっちりと。
ローキーなプリントは「黒」と「黒と灰色の間の色」の間の色。
ハイキーなプリントは、白く飛んでしまうところは飛んでしまうに任せて、残ったところの黒と灰色で絵を作る感じ。
ヨルダンとパリ、土地々々の光と空気、撮影者の心情や気分などが写真に出ているように感じられた。
ヨルダンで撮影した作品のテストプリントを見せた戴いたのだけれと、テストプリントの常で色味を確認した後の処理が雑になり、定着不足で変色してしまったプリントが幾つか有った。
出そうとして出せるものでは無く、変色も進行してしまってこのままの色では保存出来ないのだけれど、その変色ぶりがまた味わい深かった。
バライタ紙の手触り、定着不足のプリントの匂い。
撮ってフィルム現像してプリントしたくなる、物狂おしい後味の写真展。
「オープニングアクトに数千円」などと悪態をついていたら、きゃわふるTORNADOが仕事帰りに行っても間に合って懐にも優しいライブをつっこんできた突っこんで来た。
これは行かずばなるまい。
渋谷に着いた頃には七時を回っていたのでそのまま会場へ向かったが、一向に開く気配がない。
チケット予約サイトの情報は
開場: 19:00/開演: 19:15
予約
前売券1,500円
当日券1,500円 (+1D)
となっていたが、ハコの方の告知は
OPEN 19:30 / START 19:45
前売¥1,500+D
当日¥-,---+D
となっている。
今回はハコの方の告知が正しかった。
このあたりは何とかしていただきたい。
明らかに「お目当て」が居ない感じの海外からのお客さんが多く、開演の時点で7割程度の入り。
ここをどう攻略するかが鍵になる。
ユメオイ少女
吉祥寺を本拠に活動する三人組。
歌って踊っての部分はしっかりしており、特に歌が良い。
仕事帰りに駆け付けた事がありありと分かるサラリーマン然としたお客さんが頑張って盛り上げているのが目を惹く。
現代の便衣隊。
S☆UTHERN CROSS
鹿児島発のアイドルグループ。 噂には聞いていたが初見。
メンバー6人で6色のツナギが衣装。
海外からのお客さんに何処から来たのか訊いていたが、「UK!」との答えを聞くとそのままパングリッシュ感溢れる英語でぐいぐい押していた。
薩摩おごじょの強さを目の当たりに。
客の中心になって盛り上がっていた人が物販の準備を始めて驚く。
きゃわふるTORNADO
出囃子の「威風堂々」が掛かると、海外から来たお客さんがざわつく。 我々が海外に行ったときに「君が代」が出囃子になっているようなものなので、ざわざわするのは仕方がない。
曲が始まればいつも通り。
どのタイミングで決めたのかは分からないが、盛り上がる曲で押して行き、最後の最後にキラーチューンを持ってきて聴かせて〆る構成。
持ち歌に幅が有る強みを生かしている。
石川が全体を煽り、道地が個別に挑発する役割分担。
適材適所。
別所と神咲は危なっかしいところも無くなり、常に訴求力のある表情で舞台に立てている。
目当てで来ていたのではないらしい若者が、別所の指差しの直撃を受け、仲間の手前表情には出さぬもののクネクネと悶絶していたのが可笑しかった。
人生には、至る所に陥穽がある。 甘美な地獄へようこそ。
杏斉のソロパート、磨きがかかってきた。
上手さをこれ見よがしにせず、素直に歌い上げるところが良い。
宮瀬はやるべきことをこなしつつ、会場の隅々にまで目配り出来ている。
どうしても盛り上がっている「自分たちの客」に目が行きがちであり、前方に集中している場合はそれも無理からぬことなのであるが、会場全体を大掴みに出来ないと「自分たちの客」以外には届かない。
こうした「意識」に関しては、グループ全体で共有できているように感じられた。
200枚からのチケットを売り切り、箱を一杯にしたワンマンライブを成功させたとは言え、日々のライブに来てくれるお客さんがドーンと増えてはくれないのが辛いところではあるが、アウェイの現場でも目当てで来ていない客を巻き込む力はある。
グループとしての強さを感じたライブだった。
バスを降りたところで車軸を流すような雨、駿河台下の交差点は機動隊に封鎖され、九段下方面に侵入しようとするエセ右翼の怒号が聞こえる中、神保町画廊へ。
先客は一人だけ。 静かに見ることが出来た。
撮影者としての七菜乃の写真展は三回目、自分以外の被写体を撮ったものとしては二回目になると思う。
表現の幅が拡がったと言うか、無限にあるイメージを写真として具現化する手札が殖えたと言うか。
加工はされているのだけれど、塗り絵にはならず、寧ろ抜ける物を抜いて素描に近づけたような感じ。
モデルはすべて女性の体をもつ人々。 うすものを羽織る程度で、ほぼ裸体。
群像は顔の判然としない写真、一人もしくは二人で写っているものは顔まで判る。
群像の写真が良い。
囁きは聞こえるが何を話しているのかは分からないような、静かな賑やかさ。
凝視せずに全体を見ると、構成する個々が浮き上がってくる。
カメラにしても技法にしても、イメージを形にする手段であり、手段が目的に忠実なので使う機材が何であっても、七菜乃の写真は七菜乃の写真で在り続ける。
柔らかいが芯は強い。
写真で出来る事は、まだまだある。
例によってCURATIONS出演部分のみ短評。
ハロープロジェクトは守備範囲外と言うか御宗旨が違うと言うか食い付けないと言うか、まぁむそんな感じで回避しようと考えていたのであるが、行こうと思っていた19日のライブが飛んでしまったのでそちらの予算を転用することにした。
一寸早めには並んだのであるが、大手のところのお客さんが輪を掛けて必死だったので三列目。
このあたりの箱のライブでは通常みられる出演者毎の客の入れ替わりとは別の文化の人々。
M1.チュッ!夏パ~ティ(橘 桐谷 春名
M2.ね?ぇ?(桐谷
M3.kiss me 愛してる(桐谷 春名
MC
M4.cha cha sing(全員
どうやったら盛り上がれるかに特化した選曲。
このあたりはハロープロジェクトに親炙と言うか惑溺と言うか、一家言ある桐谷の仕事だと思う。
2曲目の桐谷ソロ。
表情が最初から最後まで柔らかく、一心不乱になった時の凶相が出ない。
趣味とは言え歌詞も振り付けも身体に染み付いており、考えなくても動けるから、表情を作るゆとりもあったものと思われる。
持ち歌でもこれは出来る筈なので、今後に期待したい。
「kiss me 愛してる」は春名あかりが流石の安定感で桐谷を支えていた。
橘まきはトチりもあったが、可憐さと愛くるしさで帳消しに出来ている。
一色と月城は全体曲のみの出演だったが、この手のライブは頑張れる人が頑張ればよい。
それぞれの負担と役割と盛り上がりを勘案しての4曲だったと思う。
今やれることをやって、目の前の客を掴みに行く。
普段は5人でやっていますと言う印象も残せた。
チケット二百枚売り切ると宣言し、百枚捌けたところで百枚売れた事より「まだ百枚残っている事」への悔しさが生で出てきてしまったのには正直申し上げて一寸醒めてしまった。
悔しく思うのは当然であり、それは自然な感情であるから抱くこと自体は悪くない。 しかしそれを客前で出してしまうのはいただけない。
既に買ってくれている人がいるから「あと百枚」である事が分かっていないと言うか、数字でしか物を見ていないと言うか。
その辺りは直接苦言を呈する向きもあったようで、悔しさを表には出さなくなり、情に訴えずに「売り切る努力」を始めてからの残数の減り方は早かった。
初期から一貫して「大き目の対バン形式ライブのオープニングアクト」「馴染みの客には告知しない路上ライブ」、道場破りと野試合で客を増やしてきたからこそ、二百枚からのチケットを売り切ることが出来た訳で、プロ意識を持たせる為の指導と言うか躾と言うか、薬が効きすぎて出たのが「悔しい」であったのかもしれない。
チケットは、売り切れ御免になってから手を尽くして入手したものの、よくよく考えたら盆前最後の出勤日で、今更有給など取れる筈もなく、定時で退勤してからに渋谷へ。
着いた頃には七時を回っていた。 バースペースとの境の扉のガラスの向こうには背中。 つまりそこまでギッチリ入っていると言う事。
扉を開けると「前の方は空いています」との事で奥へ。 PAの横合いから観覧。
前の方三分の二が盛り上がる系の客。 今のところ上手く行っている「他流試合で客を掴むやり方」これでどこまで行けるのか。
休日で開演が早かったこともあり、既にアンコール。
宮瀬しおりが考えていた挨拶が飛んでモジモジしているあたりで入場。
それぞれの挨拶はそれぞれらしく、感極まりつつも決壊させることなく〆ていた。
結局2曲しか聴けなかったが、現時点でのきゃわふるTORNADOの到達点を確認できたので足を運べてよかった。
前の方はわいわい騒いで楽しむ客。 他流試合で他所から引っ張ってきた人々と、PIP: Platonics Idol Platformの頃からの「諦めの悪い連中」。
後ろの方に大人しく見る系の男女、家族など関係者、友人知人。 そこに身をひそめるPIP: Platonics Idol Platformの頃からの「諦めの悪い連中」。
今のところ「おとなしく見られる環境」も担保されているのは有り難い。
メンバーの顔つきは締まったものになってきており、良い方向に向いているとは思う。
宮瀬しおりは洗練を増して「わかりやすく可愛く」なっていた。 看板として堂々と振る舞える風格を手に入れつつある。
きゃわふるTORNADOの伏龍と鳳雛であるところの神咲くるみと別所佳恋。 舞台の上の人としての 顔を保てる時間が長くなっており、振り付けも身体に染み込んで考えなくても動けるようになっている。
道地文子は醒めた仮面の下の煮えたぎるような熱さを程よく出せている。 これが救いになることもあるのではないか。
杏斉ゆかはリーダーとしての自負を強く出し続けてきたが、それがアイドルとしての人生を振り出しから始めたメンバーには自覚を持たせると言う点に於いてプラスに働いたように思う。
石川野乃花の「統率しない最年長」と言う立ち位置。 リーダーではないが故の難しさは有ったと思うが、だからこそ生かせた年の功もあった。
虚勢というか大風呂敷と言うか、もはや使い古されてしまった感のある「目標は武道館」を敢えて掲げる辛さ(見ている側の)はあるし、オープニングアクトに数千円突っ込むと言うのは今の私には過ぎた贅沢でもあるが、節目節目での定点観測は続けようと思う。
雨の予報であったが、昼前にはすっきり晴れた。
イースト21は、位置付けとしてはショッピングモールなのであるか、どの駅からも近くはなく、車でやってきて余暇を過ごす程のハレの場ではない。
平日はオフィスビルに勤める人々の、休日は近隣住民の憩いの場として機能しているようだった。
タイムテーブルの前半が終わりSiAM&POPTUNeの物販が粛々と行われているところに到着。
丁度休憩に入ったところらしく、場所取りの荷物がちらほらある以外は人影もまばら。
出演者によって撮影禁止だったり、一部指定曲のみ可だったり、静止画のみ可だったりしたのだけれど、会場内の至る所に「撮影録音禁止」の札が掲げられていたのがSNSで流布され、忌避されたのかもしれない。
中入り明けのクイツキはシンガーソングライターのsuzuから。
静かに始まり徐々に盛り上がったところでCURATIONS。
出番前にチラシを配って回ったりしたのも功を奏したのか、音を出して賑やかにやっているとそれなりに人は集まってくる。
チラシを配る対象がみつからないような状態から、気付けば設えられたベンチは埋まり、遠巻きにではあったが人垣も出来ていた。
良い具合に場を温めて次の Needs に繋げたのではないかと思う。
チラシを配るのもなかなかどうしてメンタルを削られるものなのだけれど、これを出番前にやって、今いる客だけではなく「未来の潜在顧客」を耕す。そのイベントの客の想定顧客層、イベントスペースに集まるアイドル目当てではない客層。 自分たちの何が売りで何が強みなのか、そして今何をすべきなのか。
今出来る事を探し、出来る事から実行する。
しっかり考えられているし、肚は括れているけれど悲壮感はない。
セットリストは
M1.大声ダイヤモンド
M2.ロッタラロッタラ
MC
M3.ひとりごと。
M4.ぱぴぷぺぱ!
M5.ここから!
「大声ダイヤモンド」は人口に膾炙し過ぎて借り物感は否めないが、その分客は盛り上がり易く、客との掛け合いも含めて何か賑やかにやっている雰囲気を出すのには成功していたと思う。 先ず耳目を惹いて客を寄せなければならないところでの選曲としては悪くない。
「ロッタラロッタラ」は知られていない分借り物感は薄く、演り慣れてはいるので見応え聴き応えはある。
客が増えてきたところで自己紹介、後半はオリジナル曲で押す構成。
客を誘い集めた上で楽しませる。 春名あかりはグループの特質を「ガチャガチャしているところ」と語っていたが、賑やかで明るいから通りすがりの人も足を止めやすい。 良い組み立てだったと思う。
終演後も物販の準備が出来るまでチラシを配りに出掛けていたが、蒔いた種が一粒でも多く目を出すことを祈りたい。
デックス東京ビーチの海側開放通路に簡素ながら舞台を設えての屋外ライブ。
雨が降っても大丈夫なようにか、建物の張り出し部分が庇状になった部分に舞台が設えられているので少々暗かったが、西日が差してくるとそれなりに明るく。
近隣で開かれている大規模アイドルイベントとは些か異なる客層。
そちらに行く層はそちらに行きっぱなしで、こちらに来る客とは棲む世界から違う感じ。
黒山とは行かない人だかりではあったが、広く売れるためのロケットの一段目の燃料となるのはこの種の人々なので、先ずはこの辺りに届く事を願いたい。
17:00開演予定で進めていたが、出演可能なアイドルが増えたとの事で、前倒しして15:45開演とのこと。
ザ・うれぴーナッツ
ミラクルキャンディーベリーの派生ユニットがオープニングアクト。
香具師のような風体のおじさんと注意事項などの告知をした後、「恋のバカンス」。
それで「うれぴーナッツ」か、と遅まきながら気付く。
ミラクルキャンディーベリー+
法被を加工したような衣装で夏らしい。
歌って踊る以外の部分が子供然としていて気まずかったのであるが、自己紹介を聞くと中学生。
元気に動くので時折表情が破綻するのだけれど、それもご愛嬌。
CURATIONS
舞台上の演者に気を遣いつつ、袖でそっと気合い入れの儀式的なものを執り行う姿が微笑ましい。
ワイヤレスマイクの調子がスコブル悪く、ハウリングともつかぬ異音に悩まされつつも、慌てず騒がず勤めおおせたのは良かった。
オリジナル曲だけでセットリストを組めるだけの手札がまだ無い為、前半はカバーで2曲。
人口に膾炙した曲は諸刃の剣であり、訳知りが多くを占める場所では「ノリやすさ」としてプラスに働くが、ライブハウスにアイドルを見には来ない層には「偽物」「紛い物」として見られてしまう辛さが有る。
演っていることの質ではなく、印象で、もしくは「自分が知っているか否か」で判断するのが一般大衆なので、今回のような「そうした人々」が多めの出演機会には、カバーでも借り物で有る事が分かりにくい曲を持ってきた方が良いように思う。
歌って踊れて煽りを入れるゆとりもある。 質的には客前で演れるレベルであるだけに、曲が知られている分余計借り物に見えてしまう。
後半はオリジナル2曲。 これが手札に加わったのは大きい。
見ている側が手応えを感じるくらいだから、演っている側は尚更だと思う。
自前の曲が有ると、演者としての説得力が違う。
オリジナル曲でないと(カバーを演るにしても必然性が無いと)呼んで貰えないイベントもあるので、手札は多い方が良い。
しかしオリジナル曲が「CD」と言う形になって未だ一と月。 まさに『ここから』。
並行物販なので、まだまだライブは続くがここで失礼して特典会へ。
会場は一寸離れたところにあり、知っていて見に来た人以外には何をやっているのか分かりにくい。
それでも衣装然としたものを着た女子が握手したり写真を撮ったりしていれば「アイドルが何かやっている」くらいの事は分かるようで、目当てで来ている人の周りに人だかり。
人だかりが出来ると更に人は寄ってくる。
目当ての客相手の特典会の前に、フリの客に 向けての「フリー写メ会」を持ってきた判断は良かったと思う。
送り手の意図通りハッシュタグを付けて拡散してくれたかどうかは分からないが、通りすがりの若者たちが盛んに写真を撮ってはいた。
知らない物には興味を持ちえないので、「知ってもらう」事で興味を持ってくれる可能性の種は蒔ける。
その種が目を出してくれると、私も嬉しい。
集客ノルマのある定期ライブと言う趣の催し。
長くアイドルを見ていると「人質商法」的なものは厭と言うほど目にしてきており、当事者として体験するする虚しさも身に染みているので、「ノルマ」の文言を目にしただけで忌避感情が湧くのは避けられない。
それでこれまで足を運ばなかったのだけれど、実際にライブを目にしてノルマ云々の部分を抜きにして考えれば費用対効果は高いと判断し、足を運ぶことにした次第。
会場は押上WALLOP放送局3階のスタジオ。
消防法の規定による定員98名に対し、集客ノルマは50名。
ほぼ半分埋めれば達成と言う事になるが、「1500円払って入った有料入場者で50名」なので、これが中々に難しい。
先に結果を書いてしまえば、有料入場者は36名でノルマ達成ならず。
達成のご褒美であるところの「オリジナルグッズの作成」は叶わなかったが、達成出来なかった事に対する懲罰も課されなかったので、後味は悪いなりに良かった。
notallは名古屋、きゃわふるTORNADOは渋谷でそれぞれライブ。 相互乗り入れではないCURATIONSのみの集客としての36名である事には留意されたい。
「首都圏アイドルファン300人説」と言うのが有って、誤差は有っても狭い商圏で客の奪い合いになっているのは事実だと思う。
その中でオリジナル曲や販売するCDなど「使える武器」が限られている中で潜在顧客を掘り起こすのは難しく、昨今の集客にも現実として出てしまっていたのだけれど、オリジナル曲が増え、それがCDと言う形になった事で打てる手も増える。
そしてCD発売から3週目。 漸く手応えを感じ始めた頃合いの7月30日。
ノルマ云々について語るにはまだ早いと私は思うのだけれど、出てしまった数字は受け止める他ない。
メンバーが一人々々所感を述べる中、感情が涙として嗚咽として溢れてしまう場面もあったが、これを見ている遣る瀬無さは筆舌に尽くし難い。
客はメンバーの責任ではないと思い、メンバーは客の責任ではないと言う。
どちらも或る程度正しいが、抜けているものがある。
送り手側の営業戦略の齟齬と言うか蹉跌と言うか、どうにもならなかったことに関してのどうにもならなかった原因は直視されるべきだと、私は考える。
この辺りの愁嘆場を除けば、楽しみ愉しませる良いライブが出来ていたと思う。
発券開始時間にリハーサルが行われており、漏れてくる音を聴くともなしに聴いていたのだけれど、時間が無い中でも要点を押さえた確認と指示。
見えるところも見えないところもしっかりしている。
感情を解放すべきところでは解放できていたし、歌い上げるところは歌い上げ、動きで見せるところは見せられている。
これを呼ばれたライブでも実践できれば、風向きは必ず変わると思う。
連れて行った知己も、ノルマに係る愁嘆場以外は楽しめたようだった。
武田あやな
表紙と巻頭7ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
カメラに対しても布面積の少ない水着に対しても耐性が出来ているので、構えずにカメラと向き合えているのは良い。
ただ一寸笑顔が単調で、表情の諧調に乏しいのが瑕と言えば瑕。
1ページ目や6ページ目の、笑顔ではない写真に、私は惹かれる。
撮る側は撮られる側の引き出しを開けている訳で、それを選ばない者が居ると言う事であろう。
一寸勿体ない。
鈴木陽菜
巻中4ページ13カット、撮影は栗山秀作。
東宝シンデレラオーディションのヤングジャンプ賞。
初々しさと美少女感が良いバランス、この味は今しか出ない。
かつての制服コレクションを思わせるヤングジャンプらしいグラビア。
背景を縦横の線が横切り、微妙に首切り串刺しになってしまっているカットもあるのだけれど、そこはぼかして回避。
危険を冒しつつ敢えて背景に盛り込むことの画面効果の方を採った感じ。
解り難いけれどよくよく見ると凝っている、栗山秀作らしい13カット。
最後の河川敷に立つカットが特に良い。
背景と被写体との距離、カーブする道に対する被写体の配置、撮影者と被写体と背景との距離のバランス、レンズの選択。 全て噛み合っている一枚。
眼福。
ジャスミンゆま
巻末4ページ10カット、撮影は桑島智輝。
髪の量が多いのかあしらいに苦労が見られるように、少ないものを多く見せたり、その逆だったり、さまざまな細かい工夫の積み重ねで組み上げた4ページだが、少々無理があるように思える。
素材としては悪くないが、カメラマンの更に向こう側にあるもの、良く見せようとする意志が見えすぎる。
柏木由紀
表紙と巻頭7ページ15ページ、うち見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
肌や髪には年相応以上の綻びも見られるのだけれど、それを補って余りある撮られ方の巧さ。 今が一番良いのではないか。
全カット殺しに来ていて「素の柏木由紀」なんてものは何処にも無いのだけれど、酸いも甘いも嚙み分けた柏木の手練手管に翻弄されるのも悪くないし、ただの狐ではない柏木をそうと分かった上で撮るTakeo Dec.も上手い。 そしてそうなるように仕組んだ担当編集も人が悪くて良い。
倉持由香
巻中2ページ9カット、撮影はHIROKAZU。
広告としての扱いなので表紙にも目次にも載らないが、グラビア的に見開きでの掲載。 独立独歩でここまでやれている倉持には敬意を表したい。
渡辺梨加
巻末4ページ8カット、撮影は阿部ちづる。
表情はほぼ一種類、ポーズと髪型と服だけが異なる8カット。
顔のパーツが正面を向いているので、美しく見える角度もそう広くはない。
これで押し切る渡辺梨加の素材としての強さも驚きであるが、小道具などを使いつつも全てを当たりカットにした阿部ちづるが上手い。
武田玲奈
頑なにカラーコンタクトの装着を続けてカメラの前に立っていた武田玲奈が、それを外したと言うのが第一の驚きであった。
全カットそうなのかは分からないが、それと分かる1ページ目のカットは訴求力が高い。
その辺りもあってか、人としての感情が宿ったような写り方に変わっていて、私は良い傾向であると感じた。
阿部ちづるは寄りでの画面構成が巧い。
きっちり構図を切りつつ、表情は生きているのが良い。
梅澤美波
巻末5ページ8カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
表情は諧調に乏しいが、カメラとの向き合い方は自然で、一寸硬いが悪くない。
ハイキーに飛ばし気味の撮り方は好みでは無いが、撮り方としては上手い。
脚の長いのを強調するポージングと構図、それを生かす割り付けも良い。
発売日に書店に行けば買えるだろうと多寡を括っていたらまさかの売り切れ。 区内から秋葉原、神保町まで足を延ばしたが全滅。 一と月待って漸く手に入れた。
撮影は中村和孝。 ページを繰って行くと、写真は悪くない。
同じ服、同じ水着でも、綺麗と艶で撮り分けているから、男性女性どちらが見ても満足できる。 それぞれが見たい泉里香が其処には居る。
ただ、衣装ごとに短い物語が展開され、終わる。 それぞれの物語に繋がりは無く始まりも終わりも唐突。 写真集としての通底した物語は存在しない。
泉里香と中村和孝の仕事を纏めたポートフォリオとしては及第点だが、写真集としては落第。
中村和孝にその力量が無かったのか、そこまでの仕事は任せなかったのかは分からない。
しかしSDPが出版社として無能であることは明らかである。
写真集全体の物語を紡ぐことの出来なかったのは編集者の力量不足であり、写真集とは写真の繋がりによって物語を作り紡いで出来上がるものであると言うことを知らなかった出版社としての無知に起因する。
芸能事務所が収益率を上げるために多角化し、出版に手を染める事例が散見されるが、大抵プロの仕事と言うものを舐めている。
発売当初の品薄も、需要を読み切れなかった事によるものであり、機会損失は小さくない。
餅は餅屋に任せるか、餅を搗ける体制を整えるか、何れにしても肚を括るべきであろう。
澤北るな
表紙と巻頭、撮影はTakeo Dec.
「夏だ海だ水着グラビアだ」と言う感じの、良く言えば古典的、悪く言えば退屈極まる8ページ12カット。
ほぼニコパチの、眩しくて目の開かない歯見せ笑顔。 身体を見せるものと考えればこれで良いのであろう。
仲村美海
巻末6ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
こちらも良く言えば初々しく、一寸硬いが、光が柔らかく廻る環境で撮っているので表情は辛うじて生きている。
粗を隠して美点を見せるポージングも相俟って見られる出来。
中井りか
表紙と巻頭8ページ14カット、撮影はHIROKAZU。
或る程度自由に振る舞える媒体では水を得た魚の中井りかであるが、静止画との相性がよろしくない。
謎の拘りがあったりして撮る側も大変だとは思うが、宥めたり賺したり試行錯誤を重ねて撮ればそれなりに当たりカットは出来て来る。
これがコンスタントに出て呉れれば楽なのだけれど、当たればデカいがホームランか三振。 打率2割1分8厘でホームラン39本のような感じ。表紙をめくると現れる扉の写真なぞは、まさに先頭打者ホームランの趣だが、打棒爆発とは行っていない。
丸くなったら詰まらなくなってしまうのかもしれないが、撮られる事には慣れて欲しい。
倉野尾成美
巻末6ページ11カット、撮影はHIROKAZU。
トヨタらしいと言えばらしい、アイドル界の都市対抗・・・の、ようなもの、AKB48チーム8熊本県代表の倉野尾成美。
目まぐるしく変わる表情を見せたかと思えば、カメラと素で向き合うことも出来る。
撮る側撮られる側撮らせる側、息の合った佳品。
えなこ
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影は桑島智輝。
この手の限られた材料で組み上げて行くグラビアは矢張り巧い。
元になる漫画に寄せ過ぎると窮屈で退屈なものになりがちなのだけれど、換骨奪胎して被写体を生かしている。
コスプレ方面のモデルは「見せたい自分」しか見せたがらないのだけれど、八割満足させて二割やりたくない事もやらせるような人の悪い撮り方。
小日向結衣
巻中4ページ12カット、撮影はHIROKAZU。
こちらは「コラボグラビア」を言い訳に、最低限の部分でやるべきことをやったら、あとは野となれ式のもの。
モデルの特質は生かして撮れている。
加藤里保菜
巻末5ページ13カット、撮影は西村康。
眼鏡ありきでの人選だったのか、全篇眼鏡。
同じデザインでレンズ入りのものとレンズ無しのものを使い分けるなど、芸は細かい。
眼鏡が同じだと、視点が引っ張られてしまって表情に変化が付きにくいのだけれど、口の開け閉めを大袈裟にしてアクセントにしている。
この辺り、伊達に長くやっていない。
竹内愛紗
6ページ18カット、撮影は藤本和典。
「あの事務所が好きそうな顔だ。」と言う友人の評に唸る。 よくもまぁ見つけてくるものである。
表情は単調なのだけれど、動かすことで引き出しを開けている。
顔見世としては充分以上の出来。
松下玲緒菜
巻末6ページ9カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分をアクセントに、屋内でじっくり撮る細居幸次郎の横綱相撲。
撮り手が古谷完ではこうは行かない。 引き合いに出して上げたり下げたりするのは好まないが、マネジメントをしたいのか手活けの花にした上で見せびらかしたいのか判然としない遣り口には毎度辟易していたので、腕っこきのカメラマンにきちんと撮らせたグラビアになっていたのは喜ばしい。
ウエストを細く見せようとするあれやこれやにが苦笑を誘うが、写真としての出来は悪くない。
振替休日の月曜だが SUNDAY GIRLS 、早くもと言うか漸くと言うか5回目の開催。
「神保町試聴室」だが住所としては西神田3丁目。 神保町駅からも九段下駅からも水道橋駅からも、等しく遠い。
周囲は学校とオフィスビルなので、休日の午後は人影もまばら。
例によって10分ほど遅れて開場。 西日にたっぷり焙られたあとのビールが沁みる。
次のライブがあって出演後に移動するSAKA-SAMAが前物販。 お祭りムード。
前物販が終了し、BGMの音量が上がって下がってフェードアウトして開演。
姫乃たま
訳知りの演者と訳知りの客。 確信犯同士のの腹の探り合い。
良く出来た予定調和の中で進行するライブ。
韜晦なのか前面には出さないが、丁寧に作り込まれた楽曲も良い。
SAKA-SAMA
何とも形容しがたい奇天烈な曲。
仕掛ける大人の趣味嗜好が出た楽曲だが自由に歌い踊っており、実に愉しそう。
やらされてる感が無いのは良い。
戸惑いつつ見始め、あっけにとられているうちに終わった。
宗像明将×関美彦×姫乃たま(鼎談)
宗像明将はリリースイベント週が終わると精神状態が悪くなるとの事で、不機嫌だが饒舌な状態で始まった。
「Stereo Tokyo はっきり解散しないままサイト削除」な話など、昨今の宗像の「不愉快の種」についてひとしきり。
関美彦が制服向上委員会に楽曲提供(初のアイドルへの提供曲が制服と言う修羅の道 )したことを発表するも、宗像が話の腰を折って終了。
(※ちなみに作詞はサンダル高橋。)
宗像明将がサンダル高橋の政治的言動について腐していたが、あんなのは所詮ファッションでやっているにすぎないので、政治でも何でもない。
そもそもサンダル高橋に人の道を説く資格なぞ無い訳で、真に受けてはいけない。
宗像は「知っている事」について語っている時は放言でも聞き流せるが、したり顔で知りもしない昔のことを語り出すのはいただけない。
ボロしか出ないのだから止めた方が良い。
小林清美
様々なアイドルに提供した楽曲をセルフカバー。
アイドル的な振る舞いをしながら歌う事に味を占めたらしく、楽し気に客を煽る。 ひとしきりそんな感じで歌った後、ピアノ弾き語りに移行。
「さよなら惑星」に感服。 Peach sugar snowの儚げな歌声とは打って変わって、力強いピアノと毅然とした歌唱。
別趣の物になっていたが、これがまた良かった。
作文と化してしまった歌詞が蔓延る昨今であるが、小林清美の書くそれは、解釈と想像の余地を残した詞であり、詩である。
歌い手が変わり、解釈が変わるとまた別の意味を持ってくる。
Mi-Ⅱ
「Mi-Ⅱ?」と思ったら曲が始まって石田彰プロデュースの富士山麓アイドルであったことを知る。 歌って踊っての部分がしっかりしていて更に驚く。
間繋ぎのお喋りでは、近況として「自校(※自動車教習所の意)に通っている」てな感じで、じつに牧歌的。
曲が始まると鋭く激しく踊ってしっかり歌う。 もっと緩い感じのものだと思っていたので意外だったが、感心しつつ堪能。
ユメトコスメ
ユメトコスメはサポートバイオリンを加えた3人編成。
こともなげにやっているが恐ろしい技巧。 長谷泰宏のピアノが、いつもながら洒落乙で華やか。
長谷泰宏はピアノを弾く姿も実に絵になるのだけれど、今回は下手に座れなかったので撮れていない。 優しくも強くも弾けるのだけれど、タッチが柔らかいので耳への辺りは穏やか。 そして要所々々でグリッサンド奏法、これが良い。
譜面台を二個並べて長大な楽譜と向き合うユメトコスメサポートバイオリニストの田中氏。
ポロシャツに半ズボンと言う夏休みの少年のような出で立ちでいて腕っこき。
やさしくせつない歌声。 華やかで明るいピアノ。 的確に音を刻み耳をくすぐるバイオリン。
何も考えたくなくなり、何も考えなくて良い。 ユメトコスメの音楽にひたる至福のひととき。
南波志帆
出囃子代わりに The Cardigans の "Lovefool" を流し、口ずさむような口ずさまないような感じで、何やら良い香りを漂わせつつフワリと登場。
得も言われぬ良い香りを纏い、歌えば場を支配し、語れば相手を手玉に取る。 そして舞台からの「圧」が桁違い。
徳が高い。
後半はユメトコスメの長谷泰宏を呼び込み、ピアノ伴奏で。
モニタースピーカーからの返しが弱くて音がとり辛かったらしく、ミキサーとやり取りをしつつ歌っていたのを見ていての対応だと思うが、いつもより強めの大きな音で弾いており、南波志帆も歌いやすそうだった。
音数が多く、諧調が豊かで、演奏として聴き応えのあるものでありつつ、伴奏としても機能している。
南波志帆は「世界の長谷」と執拗に持ち上げていたが、そう言わせるだけのことは有る至芸。
外はうだるような暑さ、中も冷房は機能していつつも静かな熱気に満ちていた。
SUNDAYGIRLSは関美彦の顔付けが素晴らしい。 目と耳の肥えた音楽家が「見たい」「聴きたい人」を呼ぶシステムだからハズレが無い。
そして呼ばれた人と呼ばれた人が繋がり、其処此処で新たな化学反応。
Mi-Ⅱの出番が終わり、目当てで来ていた客が物販に行って空いた最前列の席に、南波志帆目当ての客が移動してきたのだけれど、ユメトコスメの出番中にずっと携帯と睨めっこでLINEをやっている。
で、南波志帆の出番後半にゲストピアニストで長谷泰宏(ユメトコスメ)が登場すると、臆面もなく拍手で迎える。
天知る地知るどころではなく、客からも演者からも可視化されている状態でこの振る舞い。
「人と人との繋り」に鈍感な人と言うのがコアな客の中に居たのに驚いた。
どの面提げて物販に行くのだろう。
昨日気になったのは、なんと言うか「聴けない客」。
聴くと言う行為に集中できない客が、隙あらば手拍子を入れてくる。 それも繰り返しの部分が表になったり裏になったり。
長谷泰宏の伴奏を超えた伴奏と、さらに挑発するような南波志帆の歌声。 スリリングな駆け引きが行われているのに、聴けない。
「手拍子=盛り上がっている」と言う短絡的発想。
日比谷線広尾駅から歩いて数分、外苑西通りから一本裏に入ったところにあるエモンフォトギャラリーが会場。 路地裏で且つ半地下になっているので非常に静か。 落ち着いて写真を見られる環境。
これまでに撮り溜めたパリの写真から新旧大小取り混ぜて展示。 全てモノクローム作品。
対象との距離の取り方、向き合い方は変わらないのだけれど、撮った時期によってカメラや感光材料が異なり、それによってプリントの風合いはざらついたものになったり、しっとりしたり。
写っているものや撮り方が似通っていても、カメラや感光材料のフィルターを通すと違う絵になる。
ざらついたプリントに写るのは光の街としてのパリ。 シャドーが潰れやすく、黒寄りの諧調は乏しいが、ハイライトは割かし頑張ってくれるので明るい絵になる。
しっとりしたプリントに写るのは影と闇の部分が多めのパリ。 黒と「黒と灰色の間の色」の諧調が豊かなので、暗めの絵になる。
私の好みのプリントは最近のしっとりしたものなのだけれど、銀塩時代のものと思われるざらついたでしか見えてこないものもある。
パリの空に十文字に飛行機雲が交わる写真。 よく見ると他にも何本かの飛行機雲の航跡。
逆光で撮ったシャボン玉は光を吸って輝き、街角の店仕舞いした飲食店だろうか、売りに出されたカトラリー、西に傾いた陽の光が長い影を描き出す。
私の好きな光景。
撮られることを気に留めない人は徹底して気に留めない。
勿論撮られることを嫌い拒絶する人もいて、そう言う人は写真として残らない訳だが、それでも気に留めない人の気に留めなさ加減は矢張り徹底していて、意識はこちらに向いていつつも一顧だにしない。
撮影者が被写体を通して写真に残りにくい街なのだと思う。
然し乍ら土着のパリ人と移民と思われるとでは、撮影者に対する無関心の質が異なる。
自分以外に対する無関心と自分たち以外に対する無関心。
「私」と「我々」
古き佳きパリの残滓と生々しいパリは、並行して存在していつつ交わらない。
カメラとプリント、被写体となるものとの向き合い方や距離感etc...、見て感じたことから色々考えつつも、沸々と写真が撮りたい気持ちが満ちてくる、素敵な写真たちだった。
会場は渋谷と恵比寿の間にある tokyoarts gallery。
杉原杏璃の最後のDVDを記念した写真展であり、上野勇にとっては初の個展でもある写真展。
そんなこんなで何時にも増してスタンド花が多い。
カラー14点、モノクロ4点。 ポストカードサイズのものが廉価で頒布されていた。
目を惹いたのは天井から床まで届くような縦位置の巨大プリント。 タペストリー的な雑なものでは無く、しっかりプリントしてあるのが凄い。
こちらは値付け無しの入札式になっており、最終日に開けてみて最も高い値を付けた人のところへ行くらしい。
レタッチは勿論してあるのだけれど、生々しさを残してあって程が良い。
構図もかっちりしていて、全て一枚で語り切れる強い写真。
寄りも有れば引きもあり、必要な絵は全部揃っている。
仕事師としての上野勇に唸らされた。
アンデパンダンのポートレート展
デザインフェスタギャラリーに東館が有る事を知らず、右往左往したが何とか辿り着けた。
テーマは「日本」と言う事になっていたが、縛りは極めて緩く、それぞれがそれぞれの日本を撮影。
其処此処で来客と撮影者の写真談義。 自作について語れる何かを持っている人が集まったことによる熱気と祝祭感。
作風や目指すところはバラバラであるように見えて、祝祭空間を共有し支えるという点では一致している。
この緩やかな繋がりがコミュニティを支えているのだと思う。
私の見たい写真の割合は少なめなのだけれど、その「見たい写真」のレベルは高く、ふと目に飛び込んで来た写真に感心させられたりもするので、行けば確実に視野は拡がる。
勝手がわからないので早めに会場へ。 チケット引き換え時間に窓口に行くと私が口開けの客だった。
訳知りの客は三々五々集まり、開場までにはそれなりの数に。 現状では未だ、頑張らなくても見やすい状態で確実に見られると言う事らしい。
定期公演的なもので「ノルマ会」と言うのが有り、これまでお誘いなど受けたりしつつも「ノルマ」と言うのが引っ掛かってしまって未見だったのだけれど、先日のわろっぷ最強夏祭りで行われたライブ「notall × CURATIONS × きゃわふるTORNADO」が思ったより良かったので足を運んだ次第。
一周年と「ノルマ達成」のご褒美でCDが作って貰えたと言う二つの慶事が重なったライブ。
歌って踊っての部分はしっかりしていて、喋る方も抜けるところは抜けつつも締めるべきところは締める。
客もワイワイやりつつ羽目を外し過ぎない。
色々な意味で「程が良い」。
屋外の大規模ライブなど競合するイベントやライブが重なった日曜とは言え、周年イベントの集客としては厳しさを感じざるを得ないところは有り、メンバーも所感を述べる際に涙ぐみつつ言及していたが、CURATIONSのライブやイベントの「居心地の良さ」に関しては同業他社に対するアドバンテージに成り得ると、私は思う。
身の回りの客と話しても、イベントでの動員は大手以外厳しいようで、明るい話はついぞ聞かない。
「景気が良いとアイドルには金が落ちない。」(※もっと即物的な娯楽に落ちる)などとも聞くし、アイドルと言う市場そのものが収縮しつつあり、且つ大衆が「知っているもの」にしか興味を示さないという傾向も縮小再生産に拍車をかけているとも考えられる。
然し乍らグレシャムの法則が、送り手側ではなく客の側に働いていると仮定すると、良質な現場であると言う情報が共有されることで市場が拡がる可能性が無いとは言えない。
「集客を増やす」と言うのは、何が正解か分からない中での試行錯誤を強いられる目標であり、重ねた苦労の割に得られるものが少ないこともあるが、実った果実は労苦を癒してくれると思う。
人生の苦みを感じさせるところは有ったが、それすらも後味としては良かったと思える、楽しいライブだった。
こう言うものが、私は見たい。
特典会は無料の全員握手会の後はワンショットチェキなどの「訳知り向け」のものから。
CDを買った人向けの当日限りの特典券が配布されており、一見の客や関係者(親御さんや親類縁者と思しき人々)はそちらを持っていたのだけれど、説明が無かったこともあって待ちぼうけ。
新規の客を獲得しようとするなら、一見の薄い客を如何に取り込むか考えた方が良いように思った。
対応そのものは丁寧で悪くないし、メンバーも考えて能動的に動いていた。
給料が出たので、定期で購っているものを4冊買って帰ってきたのだけれど、フォトテクニックデジタルが出色の出来だった。
北原里英、中村歩加
表紙と巻頭14ページ25カット、見開き2か所。 撮影は細居幸次郎。
外でも撮っているが屋内中心。 外で撮ったものをアクセントにして、中で撮ったものを見せる手法。
技術誌らしく撮影機材とデータが載っているのだけれど、オリンパスはマイクロフォーサーズのOM-D E-M1 MarkII に17mm/f1.8と25mm/f1.2、ライカM9にはズミルックス 50mm/f1.4ASPH。
単焦点の標準レンズと一寸広めの換算35mm。
かなりのソフトフォーカスになっているのが2カットあるのだけれど、どちらも25mmで撮ったもの。 開けて撮っただけでここまでの絵にはなるのか、あるいは何かしらの細工をしているのか。 兎に角、良い。
中村歩加は撮られ慣れていないが故の硬さが出ているカットもあるが、北原の寄り添い方が上手く、和らいだところを細居幸次郎が逃さず掬い取っており、中でも10ページ11ページの2カットは、中村歩加の被写体としての魅力を良く引き出している。
北原も寄り添いつつ、脇に廻り過ぎずに自分の色は出している。
北原が良いから、中村も良くなる。 良い循環。
私がこの雑誌に期待しているのはアイドルグラビア誌にも年寄り向け月間写真誌にも載らない類の、想定読者層であるコアなアイドルファンに迎合せず、権威に寄り掛かったような分別くささもなく、それでいて質の高いポートレートなのである。
今月のフォトテクニックデジタルは、この巻頭グラビアの為だけでも購う価値がある。
役者をやっているショートカット女子の鏡越しの、毎朝の寝癖の状態を記録したセルフポートレイトをコピー用紙にプリントしたものを、集積する感じで薄暗がりの部屋の隅に貼り付けてある。 これを遠巻きに眺める。
一枚一枚の写真ではなく、それを集めた寝ぐせの集合体に意味を持たせたような、現代美術寄りの展示手法。
部屋のもう一方の隅には、起き抜けのベッド、壁に寝姿が投影され、生活音が流されている。 寝室に忍び込んだかのような後ろ暗い気持ちと、覗き見のワクワク感。
寝起きのすっぴんの寝ぐせ写真でも成立するビジュアルレベルが有ってこその虚構と現実のはざま。
見世物としては上手く出来ていた。
1人のモデルを様々なカメラマン( Jelly、Koujiro KANAZAWA、ムーニーカネトシ、舞山 秀一)が撮った写真、イメージして作られたアクセサリー(saku×labo(サク))などを集めた写真展。
親しみやすい雰囲気と、侵すべからざる何かが同居したような勁さ。
撮る側が投影するもの、撮られる側が放つもの。 このバランスによって、撮る人ごとに、まるで違う人のようにすら見える。
小ぢんまりした会場に溢れるくらいの量。 売れるたびに作品差し替えだったようで、何度か来るべきだったが、後の祭り。
最上もが
表紙と巻頭7ページ24カット、撮影はいつもの桑島智輝。
染めた金髪とカラーコンタクト。 作り込みに作り込んであるのだけれど、手入れは行き届いていて破綻は無く、ここまでやられてしまうとこれはこれで良いような気もして来る。
モデルの撮られたい自分と媒介側の欲しい写真の折り合いを上手く付けて回を重ねたことによる信頼感の醸成が見て取れる。
桑島智輝の、仕事師としての側面。
鈴木友菜
巻末5ページ11カット、こちらも撮影は桑島智輝。
適度に凹凸が有って手足も長い。
役でも服でもなく自分を見せなければならない撮影には慣れていないと見えて表情が単調なのは瑕だが、桑島智輝が構図とポーズ指示で引き出した造形美で帳尻を合わせている。
足の長いのを長くきれいに見せると言うのもなかなかどうして難しいのだけれど、この辺りが巧い。
HASEO主催のグループ展へ。
会場は新装成った渋谷のギャラリー・ルデコ。
以前より狭くなったが、それでも目抜き通りに面したビルの3階から6階までブチ抜きで展示スペースになっているので、こうして大規模なグループ展も開ける。
ギャラリーとしては、非常に良い。
先ず6階に上がる、丁度HASEOの作品解説が始まる頃合いで自棄な混み様。
HASEO作品は落ち着いて見られないどころか作品の前まで辿り着けない状態。
仕方のない事ではあるが、作品解説待ちの観覧者が他の出展者のスペースまで侵食して歓談、6階はざっと見て5階へ。
こちらも出展者と来客が作品の前で歓談しており、写真をじっくり見るような雰囲気ではなかった。
錦織智の作品は相変わらず美しく在ったが、作為と露悪が強すぎるようにも感じられた。
これは写真展のテーマに寄せた結果であり、別なところで別な形で見ればまた印象も変わると思う。
4階へ移動。
山本華漸の写真が何時もながら小洒落て狡くて美しい。 この人の写真は大仕掛けに纏めてドンと見たい。
全体的に撮ってから後の工程に力点を置かれたようなものが多く、予想はしていたがそれ以上に私向きではない展覧会だった。
写真と絵の間にある、絵寄りの、写真に似た何か。
良否ではなく、好悪に属する感情を刺激するもの。
美しくはあっても、見ていて心が浮き立たない。
厭悪ではなく、何と言うか、「俺はいいや」と言う諦めに似た感情。
出展者と来客、楽し気に歓談する祝祭空間。
煙草と食べ物と人いきれ、それに新築の建材の臭いが混ざった空気に耐え切れず、3階は見ずに退散。
行きたい現場が三つ重なり、遠くて暑そうなので回避しようと思っていたところに「撮れる」の報。
横須賀線に飛び乗ればなんとか間に合いそうだったので山下公園へ。
2月のお披露目以来、撮れそうで撮れない現場が多かったが、撮れるのであれば俄然優先順位は高まる。
楽曲も振り付けも衣装もきちんと作って貰えていて、レッスンを積んだ上で客前に立ってはいるし、出演するライブやイベントも必然性のあるものを選っているので、自転車操業で消耗戦に陥るようなことは今のところないが、新鮮味のあるうちに客が付くに越したことは無い。
前述の通り準備に準備を重ねた上で客前に出しているので、お披露目からはまだ数か月だがオリジナル楽曲だけでセットリストを組めており、目当てで来ている客はまだ多くないが、目の前の客の多寡に関わらず足を止めて貰おうとする意欲が押しつけがましくなく出ているのは良いと思う。
6人のメンバーのうち、場数を踏んで来たのが3人、初々しいのが2人、トンパチが1人。 バランスも悪くない。
DSC_0305 posted by (C)2petri2
道地文子
危なっかしいところ無きにしも非ずだが、物怖じしないのは良い。 何処から切っても絵になる。
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神咲くるみ
気を抜いて撮っていた訳ではないのであるが、虚を衝く形で訴求力のある仕草や表情を突っ込んでくるので、泡を食って取り逃がしかける事が何度かあった。
そう、こんな感じで。
DSC_0325 posted by (C)2petri2
石川野乃花
ストイックに突き詰めすぎてているような危うさを感じる事もままあるが、舞台の上に立つ人としては信用も信頼も出来る。
DSC_0310 posted by (C)2petri2
杏斉ゆか
笑うと目が無くなる愛くるしさと、射貫くような眼力が同居。
DSC_0452 posted by (C)2petri2
別所佳恋
兎に角「汚れていない」これに尽きる。
舞台の上からも楽しげな表情を素に近い形で見せてくれる。
DSC_0445 posted by (C)2petri2
宮瀬しおり
舞台の上でやるべきことはやりつつ、こうして殺しに来る。
いつの間にやらこんな物騒な芸当も出来るようになっていた。
DSC_0534_tore posted by (C)2petri2
横浜港を背にしたイベントステージは、なんとか6人で歌って踊れる広さ。 日は傾きつつあったが、ほぼ順光。
行きたい現場が三つ重なった日であったが、これが撮れただけでも横浜へ足を延ばした甲斐はあった。
撮った写真はこのあたりに。
富久町から坂を上り、四谷四丁目のギャラリー・ニエプスへ。
子育てで写真から離れている10年の間に撮り溜めたと言う写真群から、撰り抜いてプリントしたもの。
育っていく子供の成長の記録であり、育てる側の心象の記録でもある。
デジタルカメラで撮ったものをモノクロームに加工して出力したとの事だったが、粒感のある美しいプリント。
暗室作業の経験が矢張り生きるようで、銀塩の風合いを感じさせるもの。
子供と過ごす日常をさらりと掬い取ったようでいて、一本芯のような物はあり、寄ったり離れたりして見ているうちに気付く構図の厳しさ。
手間も時間もかけられない中で撮られた一と齣が、生まれ持った美的感覚と習慣として身に付いた構図を切る技術によって、切り取られた瞬間から作品としての命を宿している。
そしてそれが、プリントされることによって生まれ出た。
人形や縫いぐるみをズラリ並べて川の字になって眠ったり、暗がりの部屋の真ん中に据えた灯篭の周りにやはり人形や縫いぐるみを取り巻かせて何やら祀りを執り行ったり、物心がつく手前の時期の子供の不思議な行動を捉えた写真が神々しく、妖しく、美しい。
子供と共に暮らす日常と言うのは、(恐らく私は経験しないまま人生を終えると思うのだけれどそれはさておき)、時間的にも精神的にも「それ以外の何か」に割けるゆとりを持ち難いようで、身の回りの「撮る人」同士の夫婦でも、母となった人はカメラを置いてしまうことがままある。
そんな中で、纏めたり発表したりする時間的精神的ゆとり迄は持ち得なかったとしても、日常の中でカメラを持ち続け撮り続けた営為は、尊いものだと思う。
寄ったり離れたり、行きつ戻りつじっくり見て、咀嚼し、消化することで分からなかった事が分かり、見えていなかったものが見えてくる。
滋味溢れる写真展であった。
撮影ワークショップであり、撮影会でもあるSHOZO CLASS PROJECTへ。
モデルは水瀬りんこ。
機材面で試したいことがあり、元々不得手なポーズ指示などはせずにお任せだったのだけれど、良い意味で撮られ慣れていてシャッターを切る度に表情や仕草に変化を付けてくれる。
撮り易いモデルさんで助かった。
自然光編のポイントは、ポージングとポジショニング
動かない光源に対するアプローチを考えます。
先ずスタジオ内で、広い天窓から入る光をレフ板で拾って当ててみる。
晴れてはいたが風が強く、気まぐれな雲の動きに翻弄される事で、図らずも自然光で撮る事の難しさを知る。
ひとしきり撮ったところでスタジオの外へ。
街を歩きつつ背景として映える場所、良い具合に光のある場所を探して撮影。
初夏の午后、日向に出ると強すぎるが日陰では一寸暗い。
そこで頃合いの光が有る場所を探すのだけれど、木漏れ日であったり、周囲の建物の窓や壁からの反射、道路からの照り返しなど、晴れていたからと言うのはあるが、思ったより選択肢には幅が有る。
その光源に対してモデルをどう配置するのか、撮りながら試行錯誤。
日向に出ると流石に暑いが、日陰に入れば吹き抜ける風は未だ涼しく、一時間近く歩きながら撮ったが、然程汗もかかずに済んだ。
撮影した写真はこのあたりに。
ワークショップ帰りに四ツ谷のギャラリー・ニエプスに寄って写真展を見て来た。
脳梗塞で療養中の父との九州への里帰りの日々を撮った写真。
ベッドに横になっていたり、介護用車椅子に乗っていたり、自らの意志で出来る事が限られている状況ながら目には光が有り、表情は柔らかい。
そうした父の姿と、撮影者の心象を現すかのような風景や動物、草花の写真が並ぶ。
浜辺に居る首の長い鳥が鷺ではなく鶴であるところに九州を感じる。
流れる車窓、燃えるような赤い花、枯草に絡んで風に靡くビニールなどから、その時々の撮影者の思いを推し量り、父と過ごした最期の日々を思い起こす。
静かで強い写真だった。
武田玲奈
表紙と巻頭7ページ16カット、撮影は阿部ちづる。
長崎ロケ。軍艦島、グラバー邸、ホテル室内の3部構成。
上りが良いと盛り込みたくなるのが編集者の性だが、細切れになり過ぎないように「選り抜き」の写真で構成。
見開きでベッドに横たわる写真を載せつつ、上下をトリミングして作った隙間に縦位置横位置で4齣貼り付ける割り付けが巧い。
ここでふと気付いてトリミングされたカットを較べてみると、実に厳しい構図で切っている。
上は窮屈にならないように少し空けて、下をぎりぎりで切る。
阿部ちづるが使えるカットを揃えたから出来た芸当だとは思うが、このグラビアの成功は担当編集の妹尾真理子に依るところ大。
ネガサイズの縦横比から自由なトリミングと割り付けのセンスに唸る。
解り難いが、実に良く出来ている。
伊東紗冶子
巻末4ページ11カット、撮影は桑島智輝。
仕草や表情に曲が無く、些か面白みに欠けるが、造形美と言う点に於いては評価されて然るべきであろう。
伸びやかではある肢体を曲げたり畳んだりして画面構成をした物撮り写真。
首から下で何とかするように考え抜かれたような4ページ。
重馬場に強い桑島智輝、今回も何とかしている。
馬場ふみか
表紙と巻頭8ページ14カット、見開き1か所。 撮影は細居幸次郎。
連載漫画との「コラボグラビア」と言うのは、短絡的な仮装の域を出ないものばかりで、見るべきものは無かったのだけれど、初めて面白いものに出くわした。
ボクシング漫画に因んだものなので、グローブを付けたりリングに立ったりしているのだけれど、寄せ過ぎていないのが良い。
表紙と1~2ページ目迄の導入部でノルマ?を済ませた後は、「汗を搔いたので温泉へ」。 ここからが本番。
屋外から始まって屋内へ。 湿り気のある、光の柔らかく廻る場面。 深度を浅くして撮る細居幸次郎は、やはり巧い。
身に着けたもの、纏ったものを見せる振る舞いも、自らそのものを見せる振る舞いも出来るし、何か与えられた役割を演じる事も出来る稀有な被写体。
肉感的な部分を切り取られがちな馬場ふみかの、演技者としての部分。
柔らかな表情や仕草、身に纏った空気や、醸し出す「何か或るもの」。
これらを上手く掬い取った8ページ。 眼福。
安藤咲桜
巻末6ページ17カット、クレジットが無いので撮影者は不明。
前号の予告ページでは細居幸次郎となっているが、巻末の目次では佐藤佑一となっている。
集英社サイトのグラビアアーカイブでは「(c)Yuichi Sato/SHUEISHA」と入っているので、佐藤佑一で間違いなさそうではある。
薄着の仕事に拒否反応を示していた次期もあった安藤咲桜(それは無理からぬことではある)であったが、肚を括ったのか生きた表情でカメラの前に立てている。
その辺り斟酌してか、水着映えする安藤咲桜に合わせた衣装の選択でありつつ、誇張するようなポーズは控えめにして、可愛らしく見せる方に振っているのは良い。
乃木坂46から選り抜きで4人。 「至高の美少女カルテット」て銘打って巻頭から巻末までぶち抜き25ページ。
西野七瀬
表紙と巻頭7ページ38カット(うち27カットは過去に撮影された分をコラージュ的に小さく)、撮影はTakeo Dec.
白ホリで白ワンピース、これまでに撮られた写真の夥しい数のプリントを床に散乱させた上に黄色のTシャツで座らせたり寝そべらせたりと2パターン。
これまでのグラビアを振り返りつつシンプルに。
西野七瀬の魅力は負圧を帯びたものだと私は考えるのだけれど、素でカメラと向き合うだけで表情に愁いを帯びるその特質をよく捉えており、笑顔と組み合わせることで「負圧の陥穽」に誘導される。
若月佑美
巻中4ページ7カット、撮影は桑島智輝。
画面内を様々な直線が走るのだけれど、水平垂直から自由でありつつ、見る側の平衡感覚に違和感を与えない。
これは被写体が屈んでいたり、首を傾げていたり、そもそも水平も垂直も無いと言う事でもあるのだけれど、被写体と撮影者の撮り撮られる呼吸が合っているため、其処に惹き込まれるのではないか。
そんなことを考えた。
与田祐希
巻末5ページ11カット、撮影は細居幸次郎。乃木坂も三期はまだスケジュールにゆとりがあるのか、山奥の木造校舎でのロケ。
五月の頭の発売とは言え、桜の花を花入れに活けたり手にしたりしている事から考えて、それなりに遠くまで行ったのだと思う。
乃木坂特有の閉塞感、何をどうすれば現状を変えられるのか分からない絶望のような物を未だ知らないが故の無邪気さがそこかしこに。
スーフィーの旋舞のようにワンピースの裾を翻すカット。
階段の下から見上げるように撮っているのだけれど、膝頭が覗くか覗かないかくらいの角度に止め、透けそうで透けないのも良い。
曇天の光を柔らかく廻すことで、晩春の山間部の空気の湿り気まで伝わる。
齋藤飛鳥
8ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
袋綴じのオマケ写真集なのだけれど、横長に開く凝った造りに、写真集企画を他社に持って行かれた悔しさが滲むようにも感じられる。
見開きごとに衣装3パターン、暗めの屋内7カット、最後に屋外で1カット。
閉鎖空間での濃密な空気感のあとに晴天の屋外を持ってくる配置も良い。
屋内あっての屋外。
他社から出た写真集も良い出来だったとは思うが、齋藤飛鳥ならではの、肉感由来の物とは別趣の色香を引き出し得ているヤングジャンプの手による写真集も見てみたかった。
四谷四丁目のギャラリー・ニエプスで開催されているフランス人写真家による日本をテーマにした2人展。
入って左側の壁面ににクレモン・パラディ、右側の壁面にマキ。
それぞれの紹介文が、母語がフランス語であることもあってか、詩的で且つ晦渋。
ドアノーの写真に添えられたプレヴェールの文章に面食らったことを思い出す。
クレモン・パラディ(Clément Paradis)
長方形の部屋の左側の壁の長辺と短辺にモノクロームの巨大コラージュを貼り付け、その上にカラーやモノクロの小品を額装して展示。
色を抜いた粗目のモノクロームとこってり色を乗せたカラーの対比の妙。
マキ(MAKI)
粒感の強いモノクロームのプリントを額装したもの。
連れ合いの女性を撮ったと言うか写し込んだと言うか、そう言う作品が何点か有ったのだけれど、横断歩道を渡る二人の影を撮った作品が印象に残った。
どちらも切り取り方に土着の人間では気付きにくい視点があり、唸らされる。
モノクロームで切り取った街の風景への文字情報の入れ方。
ささくれのように目に引っ掛かる。
文章ではなく、文字そのものの意味が文章から離れて刺さる不思議な感じ。
そんなマキのポストカードを、一枚購って帰宅。
オリンパスのショールームとギャラリーが神田から新宿へ移って二周年と言う事で開催されているイベントの一つ。
PEN-F(※現行の)のカメラ側の設定で、どれだけ撮りたいイメージに近い写真が撮れるかと言う機能解説と、写真そのものについての話が半々。
中藤はモノクロ、コムロはカラーを担当。 今年の一月に見た中藤の写真展『Sous le ciel de Paris』が、やはりオリンパスのマイクロフォーサーズ機で撮られたもので、これが「デジタルでのモノクロ表現も此処まで来たか」と感嘆させられる作品群であったのだけれど、スペインや東京で撮ったものも含め、撮影時の話や、使ったレンズ・機能について。
コムロミホはキューバやパリで撮った写真を中心に、光の状況や出したい色に合わせせてのカメラの機能の使い方について。
特定の色をカメラ側の操作で抜いたり盛ったりできるので、キューバの車の原色の鮮やかさを増したり、水銀灯の緑かぶりを消したり、朝のもやもやした光を引き締めたり。 色の出し方や差し引きの匙加減の上手さには唸らされた。
共通しているのは「RAW現像をしない」と言う事。
中藤がカメラの設定を予め済ませておくことにより、RAW現像をせずとも意図した色合いに近づけられることに美点を感じているのと対照的に、コムロはフォトショップでの作業と同質の事を、より簡便にカメラ側で行えることに美点を感じており、その違いが興味深かった。
これはカラーとモノクロとで求める物が違う事と、ウェットダークルームでの作業経験の有無に起因するものだと思われる。
モノクロームで撮る場合、カメラ側での条件設定は「フィルムや印画紙の種類」「現像液の種類と処理温度や時間」にあたるので、ここを決めておけば上りは或る程度コントロール出来るのだけれど、オリンパスPEN-Fはかなり細かいところまで弄れるようで、コントラスト調整用のフィルター機能やNDフィルターの機能まであるとのこと。
パソコンで写真と睨めっこをして調整すると、一枚々々はそれなりに仕上がっても、組み写真にした時に色味が揃わないことがままある。 それが防げるだけでも作品を仕上げる効率は上がる。
思わぬところで物欲を刺激されて嫌な汗をかいた。
腐食が進んで銀の被膜がはがれかかった鏡に映したポートレートについての裏話のなかで、「 LOVE ON THE LEFT BANK(セーヌ左岸の恋)」にあった同種の写真を意識して撮った事が語られたのだけれど、傷ついた心の暗喩のようなエルスケンのそれに対して、モデルの女性が来ていたヨレヨレのTシャツを隠すためにそう撮った中藤の悪戯心が面白かった。
また、夜のパリを撮るに際しては嘘か本当か「良い写真が撮れますように」とブラッサイの「夜のパリ」に手を合わせて祈ったとか。
一寸残念だったのは、転がると面白いこの二つの話題が転がらなかったこと。
知っているから、見たことが有るから良い写真が撮れるとは限らないが、どちらも人生を豊かにしてくれる写真集だと私は思う。
見たことが無かった、知らなかった人は、一度手に取って眺めてみて欲しい。
中藤の話の進め方で感心したのは、相手が知らないかもしれないことを考慮して「エルスケンって知ってますか?」「ブラッサイって知ってますか?」と確かめていたこと。
知っていれば知っていたなりに話を進められるし、知らなければ説明から始める。
最後は駆け足になってしまったが、見応え聴き応えのあるクロストークだった。
出口でオリンパスの方から冊子とカタログをいただく。 オリンパスPEN-F、実に悩ましいカメラであった。
アイドルイベントやネット配信番組の司会進行と企画構成などを生業にしている石橋哲也が、見たい・聴きたいアイドルを集めて開催するごった煮ライブ。
こう言う形式のライブは苦手なのだけれど、顔付けが面白いので足を運んでみた。
チラシでは12:30開場となっていたが、開く気配が無いので調べ直すと、タイムテーブルでは13:30開場に変わっていた。
13:30にはきっちり開場。
TOKYO FM HALLは天井が高く、空調もしっかりしているので、ごった煮ライブ特有の暑苦しさや異臭などが濃くならないのが有難い。
前方は背もたれのある椅子が並び、年寄りに優しい。 後方は立ち見で、わいわい見る客はそちらへ。
中央ブロックの最前列は管理組合的な若いのが陣取って入れ代わり立ち代わり見たり見なかったりしていたが、諍いなどは起きず。
タイムテーブルが出ていて、出演者も掛け持ち、客も掛け持ちなので開演しても客の入りは薄く、どうなる事かと思ったが徐々に客は増えて中々の盛況。
並行物販なので客の出入りは激しいのは仕方が無いにしても、もう少しスマートに出入りできないものだろうか。
常識の持ち合わせがないのだと思うが、ライブのさなかにステージ前を堂々と横切ったりするのには呆れた。
出るにしても入るにしても、演目と演目の境目でささっとやるものだと思っていたが、昨今は寄席でも連中の親やその上の世代が臆面もなく出たり入ったりしているので躾けもへったくれも無いのであろう。
こういう形式のライブが苦手と言うのは、この躾けもへったくれも無い手合いと同じ空気を吸うのが嫌だと言う事。
閑話休題。
出演者の手配が付かなかったとのことで14:00からの最初の枠は石橋のDJ、繋いだり語ったり歌ったり煽ったり。
場を温めてから最初の出演者へ。
きゃわふるTORNADO
二月にお披露目ライブをやって以来、いくつかライブをこなしてきてはいるが、まだ斯界に知られているとは言い難く、ほぼオープニングアクトとして登場。
石川と杏斉が安定した歌唱で下支え。 別所と神咲は初々しく、道地は元気に、宮瀬は可愛らしくしっとりと。
歌って踊っての部分はしっかりしており、楽曲も(オケも)丁寧に作られている。
最低限の事は出来ているので、あとは「どう売るか」。
新曲が披露されたが、盛り上がる曲を作ろうとする目論見が透けて見えすぎてしまって、私は醒めてしまった。
最後は「星空ディスティネーション」で〆。 難しい歌いだしだが、別所の懸命さに引き込まれる。
キラーチューンに成り得る佳曲。 大切に歌って欲しい。
閃光ロードショー
映画をモチーフにしたグループ。
流行ったものが主だが、その映画のエッセンスを詰め込んだ楽曲が愉しい。
バスドラが疾走するイントロから激しい曲が始まったと思ったら胸の前に両腕でバツを作って飛び跳ね始めたのにはやられた。
映画とは関係なさそうだが、面白ければ細かいことは良い。
エルフロート
激しめの邦楽ロックの楽曲に可愛らしい歌声。 落差が面白い。
2o Love to Sweet Bullet
ミニ丈のチャイナドレスで登場。 髪は両側頭部でお団子にして、さながらリン・ミンメイ。
曲は当世風EDMだが、淡々とした曲調のものが多く、歌い踊っても感情を露わにしない。
フォーメーションに変更があったらしく、振り付けは間違えないものの移動が覚束ず、挙動不審なメンバーが居たが、覚束ないなりになんとかしているのが面白かった。
notall
芸人に 上手も下手も なかりけり 行く先々の 水に合わねば
なんて事をよく言うが、行く先々の水を変えて味方にしてしまうのがnotallのnotallたる所以。
出てきただけで場が明るくなる。
其処此処に潜伏していたnotallの客が一斉に隠し持っていたカメラを鞄から出して撮り始めるのも愉快と言うか滑稽と言うか。
最初期から仕事をしてきた石橋が男泣きに泣いているのを茶化し、舞台に上げて一緒に踊らせるなど、沸かせ方も心得ている。
格にしては浅い出番なのだけれど、これはまぁ定期公演との兼ね合いであろう。
ダイヤモンドルフィー
エルフロートと同じ送り手、曲調も同じく激しめの邦楽ロックなのだけれど、こちらは四人が四人ともきっちり歌えて、振り付けも自棄糞に激しい。
振り付けの激しさに髪飾りが外れて飛んで行ってしまったりもしたのだけれど、自然な動きで安全なところに蹴り出すなど、舞台度胸もあり、状況判断も的確。
沸かせに沸かせて降りるであろうnotallの後に上がって、しっかり自分たちの空気に換えていた。
(これは石橋の組み方も巧い。)
絶対直球女子!プレイボールズ
野球モチーフのグループなので衣装もユニフォーム然としたもの。
足元はコンバースのバスケットシューズだったので訝しく思ったが、よくよく見ると野球のボールのような赤い糸のステッチが入っていた。
打ったり捕ったり、野球に因んだ楽曲は総じて明るく楽しく、振り付けは体育会系の体力勝負のもの。
グローブやメガホンの小道具も楽しい。
見世物としてきっちり練られているので、アイドル目当ての客のいない野球絡みのイベントでも受け入れて貰えているのだと思う。
オケのレベルが上げ過ぎなのではないかと思うくらい大きく、被せも強めなのだけれど、見世物としての均質さを考えての事だと考えると納得が行く。
前半の〆には相応しく、お祭り気分を盛り上げて降りていた。
長丁場のライブは耳が持たないので、ここで失礼したが、木戸銭以上に愉しむことが出来た。
大箱でのライブではないにしても、長らく別形態イベントは打っており、芸人としての常識もある所為か、開場開演も時間通り。
自らのDJの時間を調整用に確保しつつ、その必要が無いくらいタイムテーブル通りの進行。
仕切りに関しては専業のイベンターよりしっかりしているくらいで、主催者側に起因する不愉快は皆無。
次回開催にも期待したい。
前日の昼間に思い出して予約サイトを見たところ、前売りの枠が残っていたので予約して見た。
チケットの販売方法に会場のwallop放送局ならではの決め事が有り、チケット引き換え開始時間(19:20)以降に3階の受付に行き。
1. チケットの自動販売機で、チケット代金と同じ額のものを購入する。
2. 受付に渡して予約番号を申告する。
3. チケットに予約番号を記入してもらう。
これでチケット購入が完了。
予約番号はそのまま入場順となる。
当日券が出ることもあり、その際は予約番号の手続きは無く、予約者の後からの入場になるとの事。
19:30から21:00までは2階の別室で事前物販。
その後、ライブ会場となる3階のスタジオ前で整列し、21:20ころから整理入場と言う流れ。
鉄道が2路線通っておりバスの便もあるとは言え場末と言えば場末の押上だが、21:20入場なら勤め人でも頑張れば間に合わない事は無いし、ライブが正味一時間だったとしても、22:30ならまだ帰れる。
終演後物販は厳しいが、前倒ししてライブ前にやれば一定時間確保できる。
よく考えられた時間設定。
定員の98人が動員目標(※これを3回連続で達成すると、別の場所で無料イベントが打てるらしい)なので、椅子は片付けられて立ち見のみ。
撮ろうとすると2列目までならまぁ何とかという感じ。
notallは撮りたい層とわいわい盛り上がりたい層が上手く共存しており、統制はされないが一定の秩序はある状態。
前の方に撮る客がいても場は盛り上がっているし、場は盛り上がっていても撮っている客が邪険にされる事も無い。
場内で掛かっていたBGMの音量が上がり、客電が落ちて開演。 出囃子が掛かって手拍子が始まる。
notall目当ての客が集まる主催興行とあって、客とメンバーが分かち合って喜ぶ祝勝会のような雰囲気。
感極まりそうな雰囲気はありつつも、笑顔多めの祝祭空間。
DSC_9491 posted by (C)2petri2
そもそもが収録用のスタジオなので音響は兎も角照明に関しては厳しいところはあり、着席観覧前提の舞台なので舞台も低い。
ライブ会場としては難しいところは有るのだけれど、本拠地ならではの気安さと使いやすさもあり、今のところは良いバランス。
DSC_9634 posted by (C)2petri2
ライブはほぼ一時間。 予定調和のアンコールなどは無く、すっきりした構成。
木戸銭も安く(1500円)、ダレ場も無くたっぷり見られる(聴ける)。
対バン形式のライブなどで気になったら、見に来やすい敷居の低いライブだと思う。
DSC_9689 posted by (C)2petri2
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写真を纏めてアップロード。
RSSnotall@バシフェス(29.05.05)
notall定期公演(29.05.05)
前日の喧騒が嘘のように静かな朝。
まぁ、訳知りの客はのんびり来ても座れるのを知っているので開演までにはそこそこ埋まる。
「関東七人男 林蔵高坂へ斬り込み」宝井梅湯
あまり有名ではない北関東の侠客を描いた続き物。 侠客そのものは荒唐無稽な脚色が為されていないので実在感が有ると言えば実在感が有るのだけれど、出てくる人物が揃いも揃って小物で悪事もぱっとしない。
ところが今回の主役の落合の久五郎は「神道無念流の免許皆伝」。 「戸賀崎熊太郎道場」とか「秋山先生」なんて単語が出てくると私の中ではそれなりに盛り上がって来る。
「徳川天一坊 網代問答」神田春陽
天一坊の山場の一つである、大岡と山内伊賀亮の問答。
緊迫感のある場面なのであるが、春陽先生締めるところは締めつつも、例によって要所々々で混ぜっ返すので肩が凝らない。
伊賀亮の悪役っぷりがまた良い。
続きは三日からの連続読みの会で、と言う良い流れ。
ミハマニューポートリゾート ニューポート広場で開催される野外ライブへ。
出演は 東京CLEAR’S と きゃわふるTORNADO。
郊外型の商業施設なので自家用車で来る前提の立地。 無料シャトルバスもあるにはあるのだけれど、平日限定らしい。
稲毛駅から新港車庫行のバスに乗り「ニューポート第一」で降りると、そこが会場であるニューポート広場だった。
ミハマニューポートリゾート を構成する専門店は、ゲームファンタジアマウンテン、サイクルベースあさひ、 湯快爽快 「湯けむり横丁」、イエローハット、ロピア、スギ薬局、イエローハット、東京靴流通センター、イエローハット、エコタウン、ザ・ダイソー、ユニクロ、眼鏡市場、ソフトバンク 美浜ニューポート。
これらが駐車場を囲むように建っており、車で来た客は目的の店に近いところに停めて往復。
ニューポート広場は商業施設と駐車場の動線の外側にはなるが、施設の飲食部門を担うびっくりドンキー、牛繁、ラーメンばんだいが集まる一角に在り、そこを利用する人々は駐車場を越えてやってくる。
逆に言うとここで飲食をしない利用者は通らない位置にある。
更にはステージが駐車場を背負う形になっているため、音が人の多くいるところに届きにくい。
館内放送でイベント告知をしている様子もなく、ポスターは貼られているものの買い物客への告知は充分とは言い難い。
そんな訳でライブイベントの観客は出演者目当てで来た人々が中心。 通行人のうちの幾許かが足を止める。
12時頃には現場の設営は済んでおり、当日の出演者の音源が流されていたのだけれど、12時半ころに流行歌に差し替えられ、開演までそのまま。
東京CLEAR’Sは12:30、きゃわふるTORNADOは12:40頃に到着。 きゃわふるTORNADOは商業施設にチラシ配りに。
リハーサルも無く、音響機材を使ったイベント告知も直前のみ。 客を集めようとする工夫が主催者側に見られないのが不思議だった。
少人数のスタッフでも十分コントロール出来得る集客ながら、撮影録画は禁止。
きゃわふるTORNADO
ほぼ時間通りに開演。 出囃子に乗って一人ずつ登場してそれぞれが決めポーズ。 全員揃ったところで一曲目。
結局持ち歌の全てを演って30分持たせていた。
リハーサルも無く、バミリも有って無きが如しの状態ながら、フォーメーションもきっちり揃っており、歌って踊っての部分はお披露目ライブから長足の進歩を遂げていた。
全員「動ける躰」になっており、振り付けにも情緒が有るし、それぞれの解釈の差はありつつも一定の幅には刈り込まれており、集団として美しく動けている。
石川野乃花の歌が上手くなっていて驚く。 自己流ではなく、きっちり鍛えられている感じの上手さ。 「ほうら巧いだろう」的な嫌味は無く、グループを構成するパーツの一つとして磨きが掛けられている感じ。
別所佳恋と神咲くるみも動きがこなれてきた。 まだ曲の世界観と乖離して表情が厳しくなるところが無くは無いが、舞台に立つ人としては及第点。
道地文子は肚が据わっている。
杏斉ゆかはニューポート広場のイベントステージの特徴である橋をその場の機転で使っていたのが面白い。
宮瀬しおりは動きのキレはそのままに、指先まで神経の通った柔らかい動きを身に着けており、表現の幅が拡がっていた。
愛嬌ある歌い方でありつつ、上達したような気がしてよくよく聴いてみると、オケが丁寧に作られていて、弱い部分に裏打ちがされている。
これで生歌感は保ちつつ、より「上手く」聞えるようになっている。
物販は千円で一枚籤か引けて、そこでハズレだと予め撮っておいたメンバーのソロショットチェキ、あたりだとサイン色紙、ワイドチェキ(全員)、ツーショットチェキなど。
時間の掛かる特典から先に行うなど、効率を考えていないのと、(これでも改善されたらしいが)ハズレの多さによる割高感が気にはなった。
客の方もその日その時の思い出の為に金を落とす気はある訳で、もう少し効率的に収奪していただきたい。
撮影禁止にしておきながら、スタッフの撮る現場写真がスマートフォンの引きの絵ばかりと言うのも如何なものか。
その程度の機材しかないのであれば、商用使用前提で許可して客に撮らせて使える物を使えばよい。
メンバーの歌って踊っての部分や楽曲の出来に関しては貶すところが無いが、裏方の大人の仕事ぶりには辛い点を付けざるを得ない。
特典会などで接する限りに於いては客を踏みつけにするような不遜さは見られないのだけれど、芸能の裏方をするにはあまりにも無知であるが故の慇懃無礼な感じは気になる。
良いものを作れば売れると言う時代ではなく、それ相応の工夫をしなければ商売になりにくい時代に我々は生きている。
初期を支える客をどう囲い込むか、まずそこに頭を使って欲しい。
宿題は溜まりっぱなしだが、最新号を。
中井りか
表紙と巻頭16ページ21カット、うち見開き1か所、撮影はHIROKAZU。
和装と洋装、水着2パターン。
和装は屋外。 「衣装協力= 撫松庵」とあったので、ちょっと調べてみたら提供したものが紹介されていた。
「レディスゆかた/ストライプブロッサム」と言う、ダズル迷彩のような白と黄の斜めのストライプに桜があしらわれたもの。
飛ばし気味に撮ってあるので、着こなしの細かい部分が見えないのは惜しい。 レースの半襟、柄足袋、リボンの髪飾りetc...、細部も見たかったが使える物が少なかったのか2カットのみ。
ページを繰ると一転して屋内で洋装。 緋毛氈のような絨毯の敷かれた洋館の窓辺。 赤い古風なパフスリーブのワンピースに、これまた古風な赤いエナメルのメリージェーン。 白のアンクレットソックスが映える。
顔の横に来る髪を、鬢の辺りに少しだけ残して後頭部で編み込んで纏めてすっきりと。
ワンピースの生地は薄手のもので、透過光で少しだけ透ける。
16ページ目の最後のカットなどはこの「透け加減」が絶妙。 唸らされる。
水着部分は撮られ慣れてきたこともあってか、表情も柔らかく諧調も豊か。 それ以上にポーズや仕草に幅が出ている。
何かを掴む、握る、絡める。 指先の意味ありげな動きに引き込まれる。
眼福。
小熊倫美×長谷川玲奈
10ページ14カット、撮影は小池伸一郎。
襟にグレーの線が二本入った白のセーラー服に薄水色のスカーフ、白のロークルーソックスにペニーローファー。
髪の長さは同じくらいだが小熊は前髪を作って二つ縛り、長谷川は前髪を作らないストレートのロングボブ。
ページを繰ると場面変わって音楽室。 似通った意匠でありつつ一寸違う白のキャミソールワンピース。 足元はヒールの無い白のパンプス。
仲の良さ+α的な暗喩。 受け身に回った小熊の見せる感情の揺らぎを捉えたカットが良い。
更にソフトボールのユニフォーム。 経験者だけあって、道具を持たせてもサマになっている。
太田夢莉
10ページ10カット、撮影は塩原洋。
オレンジのビキニ。 顔のアップから徐々に引いていく三枚から。
ボタンを留めずに来た紺のブレザー、第一ボタンを外したワイシャツに紺のネクタイを緩く締め、グレーのスカートは膝上20cmくらいに穿いた、鼻っ柱の強そうな女子高生的な風体。
ここから色々脱ぎ捨てて白ビキニになって行く。
今の太田夢莉の「食えない感じ」を活写。
最後のカットの、自棄糞に高いハイヒールも「らしさ」を出していた。
渡辺みり愛
10ページ12カット、うち見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
ケーキやお菓子、縫いぐるみ、さまざまな「カワイイ」に囲まれ「カワイイ」を具現化したような衣装に身を包んだ12カット。
引き結びすぎると作為が感じられてくるのは瑕だが、口の開き方閉じ方で表情に諧調をつけられている。
梅澤美波
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西村康。
立っても座っても寝転んでも、見せ方を知っていて隙らしい隙が無い。
既に出来上がってしまっていて面白味は薄いが、間違いなく上質ではあるし、撮り方によってアウトプットも変わってくると思う。
その点では楽しみ。
高本彩花
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西條彰仁。
満開の白木蓮の下、オーソドックスな紺のセーラー服、紺のハイソックス、ペニーローファー。
屋内で白のキャミソールとショートパンツ。 ベージュのソファーに寝そべらせたり、白い壁の前に立たせたり、暗がりを背負わせたり。
最後は緩く巻いた髪を下の方で二つ縛り、レースのブラウスにウサギの耳のようなサスペンダーの付いた水色のフレアスカート。
これでくるりと回ると裾の拡がりが綺麗なのだけれど、翻させるには丈が短すぎるか。
ネモフィラであろうか、顔の前に青い花を一輪。 歯並びなど粗もあるのだけれど、上手く切り取ってそれを感じさせない。
上國料萌衣
8ページ9カット、撮影は唐木貴央。
薄い黄色のキャミソールとショートパンツ。 襟と袖口が紺で白いラインが3本入った白のセーラー服、スカーフは緑で紺のスカート、紺のソックスに焦げ茶のペニーローファー。 黒いレースのワンピース。
打ち合わせ擦り合わせはしているのだと思うが、似たような衣装でも被らないのに改めて驚く。
上國料萌衣は非の打ち所の無い美形なのだけれど、正面より心持ち斜めから撮った方がより映える。
微調整しつつ様々な角度から切り取った最適解が6ページ目の横顔。
カメラの前で構えず衒わず、素で向き合えているからこそ撮り得たカット。
山岸理子
1st写真集からの8ページ9カット、撮影は唐木貴央。
眩しいと凶相になるのは分かっている筈なのに、敢えてそうなる絵を撮りたがるのは事務所の方針だろうか。
光を背負わせたり柔らかく廻る時間に撮ったり、工夫はされているので破綻はしていないが、その工夫が何かを糊塗する為のものでは無ければ、より良い写真が撮れたのではないかと思われてならない。
北原里英
10ページ13カット、撮影は山口勝己。
何時か見たような組み合わせだと思って調べてみたら2010年にヤングジャンプの巻頭をやっていた。
相変わらずの物撮り錬金術で遣り過ぎが鼻に付く部分が無くはないが、捉えにくい美点を写真として固定する技には唸らされる。
5ページ目からの4カットは貶しようのない出来。 こと北原に限っては、ここまで上手く撮れるのは山口勝己が一番かもしれない。
思えば5期で最初にグラビアの仕事が来たのは北原で、掲載誌はアップトゥボーイであったと記憶している。
あのガチガチの笑顔から考えると、紆余曲折は有りつつも、よく此処までの高みに達したものだと思う。