「円山応挙の幽霊画」田辺一乃
「徂徠豆腐」一龍斎貞寿
一乃さんは浚っている感じで、チラリチラリと何やらメモのようなものに目をやる。 客前で演って練り上げていくものなのでこれはこれで良い。
完成したものをまた聴きたい。
貞寿さんはパァパァ良く喋ってガチャガチャと入れ事が入る。 「洒落小町」のガチャ松っつぁんみたいな感じ。
嫌いな人は嫌いであろう。 私は好きな種類。
貞心先生の「徂徠豆腐」と較べると矢張り早口で、単位時間当たりの情報量に占める言葉の割合が多い(溜めが少ない)。
早口でも不快ではないのは間が良いからだと思う。
まだ花粉症は辛そうだった。
今日の朝練講談会は客筋が聴きに来ている客(面白ければ笑うが、笑うためには来ていない)と、笑いに来ている客(演芸は「笑う為のもの」と言う先入観がある)に二分されていた。
笑いに来ている客は「入れ事=ギャグ」だと思ってるので、息詰まる場面で空気を入れるためにやってるのも説明のために入れるのも全部笑う。 義務ででもあるかのように笑う。
今日は笑い袋みたいなのが後ろに来てしまい一寸不快。
まぁ、こう言う客が笑わないと、釈場の空気なんざ重くて演りにくいとは思う。
四ツ谷のギャラリーニエプスで開催中の写真展へ。
現代の(現在の)パリで撮影されたストリートスナップ。
撮り方は相手に気配を感じさせない掏摸的手法と、相手に正面からぶつかる強盗的手法の丁度中間の、かっぱらいの様な感じ。 撮られている事に気付いている人もいるし、気付いていない人もいる。
サン・セヴラン教会、サン=ポール駅etc...街そのものはブラッサイやドアノーやエルスケンで見てきた、紛うことなきパリなのであるが、闊歩する人々の肌の色や服装は、これ迄に見てきたパリのストリートスナップより多種多様。 アフリカ系でも東西南北様々。
闊歩するのはスマートフォンを手にした現代のパリ市民。 それでも依然としてパリはパリなのであった。
大和田南那
巻頭グラビア7ページ11カット、撮影は小池伸一郎。
腰回りを正面から撮らず、腰から下を出来るだけ太く見せないように秘術を尽くしたような撮り方。
珍しくハイキーに仕上げているのも含め、粗を隠して良いところを引き出そうとする努力は見て取れ、或る程度は成功してている。
表情は単調だが、カメラと素で向き合えているのは良い。
入山杏奈
5ページ7カット、巻末には珍しく見開き1か所。 撮影はサトウノブタカ。
割り付けが上手い。 巻末で紙幅は少ないながら、訴求力のあるカットを厳選して大きく使っての5ページ。
それだけ入山に被写体としての魅力が有るという事でもある。
1ページ目と見開きが特に良い。
最上もが
9ページ29カット。 カラーコンタクトで読めない表情まで含めて「作り込まれた最上もが像」を愛でる為の写真としては良く撮れているが、ブツ撮りに近いので、質としての高さは認めつつも好きには慣れない種類の写真。
どう作り込んでも最上もがらしく在ると言う事については称賛に価すると思う。
御伽ねこむ
巻末も作り込み系グラビアで6ページ12カット。
瞳孔が開いたまま硬直したような表情が多く、良し悪し以前に生理的に受け付けない。
長澤茉莉奈
7ページ10カット、撮影はTakeo Dec.
放プリユースと言う、ライブを中心に活動しているアイドルを視野に入れている人々以外には未だあまり知られていないグループに所属する、童顔のトランジスタグラマー。 講談社主催乍ら講談社色の薄いオーディションでファイナリストに選出される過程で注目された事からの抜擢人事なのか、表紙無しでの巻頭グラビア。
どうしても肉感で押す感じになるのだけれど、カメラを見つめる眼差しは強く、陰惨さを感じさせないのは良い。
松井咲子
巻末5ページ9カット、撮影は山口勝己。
長身痩躯乍ら凹凸は少なく、水着にしても映え難いところを人を使ったブツ撮りの名手が職人の技と言うか錬金術と言うか、無から有を生み出して9カット。
皮肉なことに、1ページ目の服を着ていて且つ身体が殆ど写らないカットが実に良い表情。
前座勉強会なのだけれど、ゲストが琴調先生。 客の出足は読めないが入れない事も無かろうと何時も通りに家を出て、何時も通り軽く手繰ってから福徳稲荷に額づき、のんびり歩いて日本橋亭へ。
開演時間まではまだ少しあったが、既に20人から並んでいた。
「熊田甚五兵衛」田辺いちか
前に聴いた時は半ばまでだったが、通して演っていた。
途中で絶句してとっちらかったりもしたが、持ち直して最後まで。
口調も声も悪くないので、あとは場数であろう。
「三方ヶ原軍記 五色備」神田みのり
修羅場読みである。 客の前で演らない事には 身になっていかないので出来不出来は兎も角、こうした場があるのは良い。
リズムも抑揚も些か単調ではあったが、先ずは読めてからの話。
「中村仲蔵」宝井琴調
前座時代、三方ヶ原軍記の稽古をする場所に困って開場前の本牧亭で浚っていたら前進座の面々が見学に来てしまった思い出から話に入る。
張り扇をパタリと鳴らして場面転換、会話と地の文を行き来。 聴く方が前のめりになってくると軽く入れ事をして空気を入れる。 程が良い。
言葉が綺麗。 仲蔵が蕎麦屋で出っ食わす御家人の江戸言葉が、実にらしくあった。
タワーレコード錦糸町店の十周年を記念したイベントウィークの最後に里咲りさ。
例によって仕込みから進行から特典会まで、全部ひとりでやる里咲。 勿論歌もうたう。
リハーサルの最中も間繋ぎに喋っているくらいで、歌っているか喋っているかなのだけれど、黙っているときは黙っているときで何かしら考えている。 企んでいるて言った方がより正確だろうか。
ポケットに隠しているのが別れの気配ではないことを祈りたい。
機材の扱いであるとか、拙いところはまだまだあるのだけれど、客の転がし方は実に上手い。
無手勝流で出たとこ勝負のイベントも、顧客満足度は高い。
なんだか良く分からないまま足を運んでも、なんだかんだで楽しめることは私が保証する。
その他の写真はこちらに。
里咲りさ
ペンタックスK10D
ノボフレックス ノフレクサー240mm/f4.5
iso=800 1/100s f5.6 -1補正
亀戸サンストリートも明日で閉館。
様々なリリースイベントが行われてきたマーケット広場の掉尾を飾るのはNegiccoであった。
仕事を片付けてから押っ取り刀で向かったが、着いたのは六時半過ぎ。
既にベンチは埋まり、立ち見も三列目くらい。
開演が30分近く遅れたこともあるが、始まるころにはステージ前は大入り。
二階通路も鈴生りになっていた。 足を止めた通行人かと思ったら光る棒を振っていることで「目当てで来た客」と判る。
2004年頃にやったリリースイベントはベンチすら埋まらなかったと話していたが、そうした「過去の自分たち」への落とし前を付けに来たような気がした。
「リトルレンズ」「ハレンチパンチ」「SHIP」etc... 話の端々に懐かしい名前が出て来る。
同じ時期に始まったSHIPはとうの昔に活動を終え、 Pinkishも先週末に最後のライブを終えた。
紆余曲折は有りつつも、Negiccoが続いている事に感謝。
リリースイベントなのでタイトルチューンとカップリングの曲を先に歌うが、あとは持ち歌からの選り抜きを予め繋げた音源で畳み掛ける構成。
持ち札から場に相応しい曲を撰ぶと、やはり connie 楽曲が多めになる。
叩き上げの強さで押しつけがましくなく場を盛り上げて行き、最後の曲を歌い終えて捌けるや否やスッとBGMが流されて妙に引っ張らない。
特典会の喧騒を聞き乍ら駅へ向かう。
亀戸サンストリートとも、長いお別れ。
開場一寸前に行って縁台に腰掛けて待って観たい席に座る。
その日観たいものをその日の気分で選べる幸せ。
開演する頃合いにはそれなりに埋まった。
「寛政力士伝 谷風七善根 出羽屋幸吉の改心」神田すず
下手ではないし話の運びに破綻も無いのだけれど、どうにも合わない。
良否ではなく(私の中では「否」なんだが)好悪の問題で全く受け付けない。
以前も「蘇生奇談」の中だったか、五世団十郎の 「たのしみハ 春の桜に 秋の月 夫婦仲よく 三度くふめし」を「三度たべるごはん」に変えていた事があって呆れたことがあるのだけれど、表通りに店を構えていることになっている出羽屋幸吉に職人言葉で喋らせてしまうところにも、美学の欠落を感じる。
嘘でも誇張でも、最後まで騙して気持ち良く聴かせてくれれば文句は無いのだけれど、あちこち引っ掛かって醒めてしまう。
それで良いと言う人が少なからず居るから生業になっている訳で、そっち方面を相手に演っていただき、私は避けて通ろうと思う。
「笹野名槍伝 海賊退治」一龍斎貞橘
相変わらずいい加減なところはいい加減なのだけれど、締めるところは締めて来る。
主人公がなかなか出て来ない不思議な構成の話を、言い訳はしつつも妙に変えずに読み進めていく。
こういうところで「脱線して、戻って、また脱線して」と言う遣り方が利いてくる。
面白いんだか面白くないんだか良く分からない部分を端折らないのが良い。
刈り込めばすっきりはするかもしれないけれど、聴いていて草臥れる話になってしまうのだと思う。
ひとしきりへらへら笑って過ごす。
「溝口半之丞 産女の指物」田辺いちか
太福さんのテーブル掛けが釈台に設えられており、張り扇で叩いても張り合いの無い音しか出ないらしく、序盤は一寸やり難そうではあったが尻上がりに良くなった。
「曲垣平九郎 梅花の誉れ」玉川太福/みね子
お馴染み「出世の石段」である。 時間の都合で上がるところまで。
マクラの間は眼鏡を掛けているのだけれど、取ってパタパタと畳むと本編へ。
「曲垣平九郎 曲垣と度度平」神田松之丞
寛永三馬術 リレー口演と言う触れ込みながら、途中すっ飛ばして国詰めになった曲垣先生のお話。
琴調先生に習ったとかで、上げて貰うまでのエピソードがマクラ。
昨日の今日で聴き比べになるとは思わなかったが、端折るところあり、膨らませるところあり、 まるで違うので驚いた。
曲垣先生、かなり変な人になっていたが、これはこれで面白い。
二つ目んなって漲ったやる気と、これでいいのだろうかと逡巡する心と、微妙なバランスの上に在るから聴いていて面白くはあるが草臥れる。
聴く者に真剣勝負を強いる談志のような芸で行くのだろうか。
お仲入り
「トメ」神田松之丞
最後の最後で講談っぽくなる以外はほぼ年寄り夫婦の会話で進行する落語に近い新作。
遣る事の幅が広すぎて、もう少し聴き込まないとなんだか分からない。
「祐天吉松 飛鳥山親子対面の場」玉川太福/みね子
生き別れた親子が期せずして対面する、泣かせる場面。
こう言う情景を描き出すにあたって、これでもかとドラマを盛り上げて来るのだけれど、これが嵌まるか嵌まらないかで浪曲との相性が測れるのではないか。
私は一寸引いてしまう。
こってり、たつぷりな五席。
らくごカフェにはビルの裏から回らなきゃいけないのを忘れていて上がって降りてまた上がる。
「熊田甚五兵衛」田辺いちか
落ち着いた口調、作り過ぎない声。
悪くない。
「真田の入城」一龍斎貞橘
今年はそこら中でいろんな人が演ると思いますが、と前置き。
大坂の陣は終盤だと思われるので、来年の初めまでは使いまわされ続けるネタだと思われる。
「木村又蔵 鎧の着逃げ」一龍斎貞寿
花粉症が酷いと言う話から始まるが実に酷そうであった。
本編に入る前に「木村又蔵が如何に好きか」についてひとしきり。
講釈の愉しさは、実在するんだかしないんだか判らない人物のエピソードが活き活きと詳細に描かれているところにもある。
「相馬大作 最初の本懐」一龍斎貞橘
本所の上屋敷から平井聖天へ野駆けの途中で哀れ藩主は縊り殺されるのであるが、丁度住まっている辺りでもあり、しみじみ聴いた。
<仲入り>
「裸川由来」一龍斎貞橘
青砥藤綱が川に落とした銭を落とした額以上の投資で回収する納得の行くような行かないような美談。
美談の部分より駆り出された人足の狡く情けない部分に重きを置いたような感じで楽しく。
たっぷり五席なのであるが、肩に力が入り過ぎていないので草臥れない。
貞橘先生目当てで行った会だが、貞寿さんもいちかさんも当たりだつた。
昼の会の受付の時に訊いたらまだ空きが有ったので予約を入れて出直し。
「一心太助一代記 喧嘩の仲裁屋」田辺凌天
「寛永宮本武蔵伝 狼退治」神田みのり
講釈で苦手なのは女を全面に出す媚びたようなのと、声が甲高くて耳に付くのと、無理に男になろうとするのなのだけれど、前座二人がそれだったので一と休み。
こなれて来たらまた違うかもしれない。
「寛永三馬術 度々平住込み 」宝井琴調
小津安二郎の映画や先代文楽の落語にも通ずる、「心地よいフレーズ」を浴びる心地よさ。
侍は侍らしく、中間は中間らしく在り、活きた科白が流れるように耳に入ってくる。
「法然上人御一代記 明石定明」宝井琴星
平安時代の地方豪族の話が発端で、法然上人は「のちに法然上人となる少年」としてちょろっとしか出て来ないのだけれど、琴星先生が悪い奴をヤニっこく悪そうに演ると、それだけで面白い。
<仲入り>
「清水次郎長伝 小政の生い立ち」宝井琴柳
最初の師匠の芦州先生の思い出をひとくさり。
「仕事したくないんですよ」「あ、読むのは好きなんですよ。」
なかなかそうも行かないけれど、出来れば好きなことだけしていたいと言う事だと思う。
そのあたりの心持ちと口調に芦州先生を感じる。
三人三様みっちり三席、満足しつつ聴いていて草臥れない。
良い会だった。
サンストリートも今月限りと言う事で、ここでリリースイベントを打ってきたところが名残を惜しむようにスケジュールを入れて来ている。
callmeのリリースイベントは発売日が閉所後と言う事で、引き渡しが近隣店舗になると言う変則的なもの。
それでもやろうと言う義理堅さもこの三人らしい。
時間にはゆとりをもって出掛けた筈だったのであるが、何時からか始まっていた歩行者天国の余波でバスが遅れに遅れ、着いた頃には四時を回っていたが、準備も遅れていたと見えて丁度リハーサルが終わるところ。
一旦引っ込んで定刻より少し遅れて開演。
楽曲資産がゼロになったところからの新規蒔き直しでキラーチューンがまだ無いのが辛いところではあるが、聞くに堪えない曲もなく、芯になる曲が出来れば構成も楽になるだろう。
振り付けで頑張り過ぎるスクール出身アイドルの悪癖を危惧していたのだけれど、半分当たっていて半分は外れていた。
矢張り動きの難易度や正確さに重きを置きすぎるところはあって、体系の嫋やかさまで損なわれていたりもしたが、三人三様違った振り付けで動きのタイミングのみを合わせてみたり、判りにくくはありつつも遊び心は感じられたし、激しい動きの中でも歌を届けようとする姿勢は感じられた。
秋元瑠海の歌が、嫌味無く上手くなっている。 これは核に成り得るのではないか。
ほっとする歌声。
動画で見ただけでは、本当のところは矢張り判らない。
この三人は、また生で観たい。
昨日のあれは何だったんだと言う感じの平和な開場待ち。
開場前はぱらぱらと云う感じであったが、開演までにはそれなりに埋まった。
「寛政力士伝 小田原遺恨相撲」宝井梅湯
漁師上がりのならず者である荒岩の腕を雷電が閂で圧し折ってしまうと言う凄惨な場面もあるのだけれど、温和な口調もあってめでたしめでたしで終わる。
のんびり見られて、程よく面白くて草臥れない。 こう言う芸も良いと思うのである。
「金比羅利生記 金比羅船」一龍斎貞橘
枕から本編に入っても脱線と余計な入れ事が入って、肝心なところを忘れてしまうようなぞろっぺえなところもあるのだけれど、締めるべきところは背筋を伸ばしてきっちり締めてくる。
梅湯さんは「良い人の良い講談」、貞橘先生は「胡散臭い人の胡散臭い講談」 。
昨日今日ではっきり判ってきたのは、私が欲するのは「胡散臭い人の胡散臭い講談」であると言うこと。
そうならざるを得なかったというのは有りそうだが、ネット上に落っこちてる講釈も「軍記物」「忠臣蔵」「偉人伝的新作」が多く、「感心」「感動」「笑い」ばかりで、猥雑・陰惨なものは見かけない。
これは落語でもそうなのだけれど、救いのない話でも良い演目はある。
探して拾って観て歩きたいと思う。
貞橘先生、来週の朝練講談会にも出演。
一度は観ておきたかったので原宿へ。 まぁ、それで秋葉原でも木乃伊取りが木乃伊になった訳であるがそれはさておき。
事務所の入っているビルの上の階なので、飛んだり跳ねたり多少暴れても文句は出ないと言う事のようだ。
もっとも文句が有っても言いやすい事務所ではないが。
天井や壁に吸音材は貼ってあるが、アリバイ的なものであろう。
その代わり音響や照明には手間も金も掛かっている。
内張りを剥がしたところで天井は低く、舞台は10cmくらいの高さ。
幅も奥行きも取れない代わりにランウェイと言うか出舞台と言うかを設えてある。
それでも上背のあるメンバーは梁に手がぶつかりそうになっていたくらいで、天井そのものが低い。
こんな感じの舞台を取り囲むような客席は、少々高めの座面の椅子を床に螺子で固定。
入口に同じデザインの椅子が積んであったので、多少は増減させる事が出来るものと思われる。
椅子には番号が振って有って、座席指定チケットにはなっているものの、客の間で融通するのは黙認されているようで、座りたい場所がある客は交渉次第ではあるが、目的を達しているように見て取れた。
身の回りの連中の中ではTPD(旧)の客が食いついたので、そっち方面の偏差値とプライド高めの面倒臭い客が主流なのかと思いきやそうでもなく、屋内では帽子は取るものと言う常識を持ち合わせていない手合いが片手に余ったところから考えて、少なくとも偏差値は低そう。
開演時間が迫り、スタッフから携帯電話やタブレットの電源を切るようお願い。
それとは別にメンバーの影アナで注意事項など。
影アナで印象に残った言葉としては「ショー」「ご鑑賞」。
何を提供しようとしているかが読み取れる。
CD発売に伴い、リリースイベントで4チーム中2チームが不在。 留守部隊による公演。
自社楽曲遺産を上手く使った構成だが、その分古さも感じる。
喋る際には生きているマイクも、歌う段になると切られているのか被せが強いのかほぼ生歌感は無い。
それでも歌おうとする意志は感じられて、手抜きとしての口パクではないのが視覚的にも分かる。
自己紹介やらファッションショーやらで花道に出てきてぐるぐる回る場面があるのだけれど、幕内土俵入りの緩い顔見世感が楽しい。
販売されているグッズ類は、メンバーの名前入りTシャツやタオルなど、客の側が忠誠心を示すためのものが多く、メンバーの方もそれに合わせて餌をやったりやらなかったり。
フリの客としてただ見ているだけでもそれなりに楽しくはあるのだけれど、通っている客の多くは曲に合わせて踊り、棒状の光るものを振り、メンバーの名前入りのTシャツを着て名前入りのタオルを掲げて忠誠心を示し、それによって餌を貰ったり貰わなかったりする遣り取りに興じており、ショーの構成もシアターの構造も、そうした楽しみ方に即して作られているように感じた。
花道を挟んで客同士が向かい合う形になるので、相互監視下にあって横車は押しにくいが慣れあいはし易く、集団の中の個人としての振る舞いに長けていればより楽しめるだろう。
私向きでは無いだろうと思っていたが、面白くはあった。
ただ、即物的な楽しみ方(楽しませ方)に寄せすぎている観はあり、或る程度出来上がった物を出して来ていることもあって咀嚼し解釈する愉しみ方には向いていない。
要するに私向きではない。
スイス人傭兵部隊みたいなピンクダイヤモンドと、ランツクネヒトみたいな原宿乙女。
ピンクダイヤモンドの「近代化改修した岡部マリ」と言うか「ノックダウン生産したオリビア・ラフキン」みたいな子がなかなか良く、原宿乙女では「装甲を厚くして突撃砲に改装したマルシア」みたいな人が異彩を放っていた。
こうなるとリリースイベント中のチームも見たくなるもので、知己に手引きしてもらって池袋。
会場は東京総合美容専門学校7Fホール。 こういう箱をよく見つけたものだと思うが、学校だから長期休暇中なら借りやすく、廉価でもあるのだと思う。
客席前方は着席観覧、後方に立ち見の区画を設けていた。
音響は簡素な持ち込み機材で、照明も申し訳程度のものなのだけれど、舞台が高いのでどこに座っても(立っても)舞台全体が見渡せる。
ふわふわ
先に登場して2曲。
練度は高くないが兎に角ありとあらゆる種類の「かわいい」が詰め込まれている。 「かわいい」の飽和攻撃。 呆れるほかない。
蝶よ花よとちやほやばかりはしてくれない事務所ではある訳で、楽しいばかりではない日々の中で、どこ迄やる気を維持させることが出来るか。
大衆に見つかるまでどうにか出来れば、売れるのではないかと思う。
原駅ステージA
叩き上げである。 本来の感情と全く関係のない表情を、作り、維持しながら歌って踊れる地力がある。
高いレベルで安定していてブレが無いことは、時として生ものとしての魅力を削いでしまうことにもなるのだけれど、その辺りは本人たちも分かっているようで、ゆとりが持てる部分では客を煽りに行ったり動きにオカズを入れたりして、その日その時のそのライブでしか味わえないものを出せている。
恐らくはカイロスの前髪をすんでのところで掴み損ねてきた悔恨を、一回々々の仕事を遣り切る力にしているのだと思う。
執拗なまでに多種多様な美形を集めた原宿駅前パーティーズ。
既視感の正体は銀座「白いばら」の「47都道府県から女の子集めました」システムであった。
原駅ステージA・・・第1SS装甲師団
ふわふわ・・・イエニチェリ
原宿乙女・・・ランツクネヒトもしくはフランス外人部隊
ピンクダイヤモンド・・・スイス人傭兵部隊
ライジングが多種多様な美形を揃えて、客を皆殺しに来ているのはよく判った。
余程のグルメでもない限り、自分に合った躓きの石は見つかる。
朝八時に家を出て三越前の駅に着くのが九時前、軽く手繰ってから福徳稲荷に詣でて日本橋亭へ。
顔付けからして出足は早そうだったのだけれど、予想以上の客足で開場前に既に30人から並んでいる。
満員とは行かないがほぼ一杯の入り。
「海軍カレーの父 高木兼寛」神田真紅
発声に少々無理があり、低い声を出そうとして喉を絞め過ぎているのが疵だが、演技過剰になっていないのは良い。
二つ目になってSNSを始められるようになり、食べ歩きの写真を投稿するのが趣味になったと言う話からカレーどら焼きを食べた話、そして本編へ綺麗に繋がる構成に唸る。
気になったのは軍の階級が把握出来ていない事。 兵、下士官、士官の別がついておらずあやふや。
詳述する必要は無いのだけれど、「判ってますよ」と言うのは仄めかしておいた方が良い。
海軍の脚気対策の手柄を全部高木に持って行くのは正確では無いと思うのだけれど講談なのでそのあたりの脚色は許容範囲か。
「大岡政談 村井長庵」から「雨の裏田圃」神田松之丞
見巧者の知己が揃って嵌まっているので興味はあったのだけれど、漸く観る機会に恵まれた。
顔が大きく、首から上がぐいと迫り出した写楽の役者絵のような容貌。
松鯉先生の口調の名残は感じられつつ、猥雑で胡散臭く、色気がある。
師匠である松鯉先生が食って行くために編み出した「ビジネス講談」的な物とは逆の芸になっているのが先ず面白い。
ホームページが出来た話、渋谷らくごの話など、マクラは面白いのだけれど、本編に入るとガラリと変わる。
目先の笑いは取りに行かず、ピカレスクロマンを聴かせることに徹する。
そうそう、これこれ。 これなのである。 笑わせるだけが話芸ではなく、聴かせる芸。
楽しいと言うか、愉しい。
陰惨なうえにも陰惨な話なのだけれど、後味は悪くない。
浅草橋駅西口にほど近いギャラリードレインで開催されている写真展を見てきた。
鎌田紘子Presentsだが、撮影はすべて黒澤奨平。
エンピツビルの三階にあるギャラリーで、一階から真っ直ぐ伸びた、擦れ違うのにも難渋するような細い階段を昇って行くのだけれど、こちらが昇り切ろうかと言う頃合いで「微笑みデブ」みたいなのが無頓着に降り始める。
客筋はそういうところに在り、写真そのものより写っている人にのみ興味のある向きが中心。
肌色の水着的な何かを着用した上から紗と言うか絽と言うか、透けた生地を羽織っている。
カラーコンタクト着用、肌のレタッチは強目。 分かりにくく書くと「写真見世」のような感じで、可愛らしくない写真は一枚も無いが、人物写真としての面白味は薄い。
見応えがあるのは構図の妙。 癖のある顔、地味な顔でも、可愛らしく見える角度を探して撮っている。
それでいて自撮り的な決まり切った角度だけで凝り固まった窮屈さも無い。
見に来ている客には全く伝わっていないと思われるが、巧い。
ここのところ宵っ張りで起きられなかったり、顔付けに魅力を感じなかったりして足が向かなかった朝練講談会であったが、久々に聴き応えのありそうな会だったので早起きをしてみた。
9:15開場だが、早く着きすぎてしまい9:00過ぎに日本橋亭へ。
既に5~6人が開場待ち。
「楠屋 義士勢揃い」 一龍斎貞弥
「動員が必要な会がある」とかで告知から入って、しかもそれが長いときて一寸ダレたが、媚びるようなところは無いので鼻に付かないのは良い。
場面展開で張り扇を使う際、静かにパタリとやるのが口調に合っている。
大島だったろうか、華美でない装いにも好感。
「CCN25周年物語」 田辺鶴遊
岐阜のケーブルテレビ局の25周年で頼まれたという新作。
本邦放送の父である後藤新平と板垣退助の縁から語り起こす、地方ケーブル局の社史とは思えないスケールの大きな話。
創業時の貧乏臭い逸話なども織り込みつつ、聴く者を飽きさせない一鶴門下らしい一席。
講談の会と言うのは平日の早い時間から始まるのが殆どで、働いていると中々行く機会がないのだけれど、この会は若手中心乍ら日曜の朝に定期で開いてくれているので実に有り難い。
日本橋亭を出て、さてどうするかと思案しながらツイッターを開いてみると、Chelipの出る渋谷のイベントに間に合いそうだったので三越前から銀座線で渋谷へ。
会場のチェルシーホテルは初めて行く箱だったので少々迷ったが、何の事は無いテイクオフセブンの入っていたビルの地下であった。
入ると遠藤麻生の出番が佳境に入ったところ。 恋するBeatが30分演ってから目当てのChelip。
主催が中村綾(ex.ミラクルマーチ)と鈴木花純(テレジア)なのに実質的なトリがChelipなのは、元々この日のイベントはChelipの主催だったところが運営主体の変更などもあって白紙になってしまい、付き合いの深い二人(と裏方)が代わりに打ったライブであり、且つ新規蒔き直しとなったChelipの壮行会のような意味合いもあったようだ。
セットリストを組んだり、それに合わせて2~3曲ずつ繋いだオケを作ったり、藤井美音の裏方仕事の確実さに唸る。
井次麻友と言う神の恩寵を賜るために、舞台上で楽しく歌い踊れる環境を整え、横から下から支えつつ、客を楽しませて自らも楽しむ。
セルフプロデュースになった事で、それまでに入っていた仕事は一度白紙になってしまったそうで、そこで言葉を詰まらせる場面もあったが、努めて明るく前向きには振る舞っていたし、多少は危惧していた送り手としての質の低下も見られなかった。
音源制作などで越えなければならない山もあるとは思うが、越えて行こうとする覚悟は見て取れた。
開場時間に合わせてモエファーレへ。 覚悟はしていたもののなかなかの民度であり、屯した客で路地は塞がり、路上喫煙防止条例のある千代田区内ながらそこかしこから立ちのぼる紫煙。 携帯灰皿を持ち歩かない向きも多い。
多少の遅延は有りつつも開場。
消防法的に大丈夫なのか心配になる入り組んだ細い通路と階段を抜けて中へ入ると、ライブハウスとしてのスペースはそれなりに取られているが、物販を行える余地はほぼ無いに等しい。
見るものを見たら早々に退散する覚悟を決めて開演待ち。
ミルクセーキ
遠征に帯同できなかったメンバーが二人居たようだが、新メンバーを連れてきていた。
これがまた実に初々しい。
前回見たときは刈り揃えられて整った印象のあった振り付けは練度の差などもあってか再び独自解釈が進んでいたが、客とのやり取りに重心を移し、揃えることは程々にしてその場の盛り上がりを大切にしているように感じられた。
これが「いつもの客」だけを相手にした近視眼的なものだとあまり宜しくないのだけれど、会場全体を巻き込む事は忘れておらず、いつもの客ではない私も十分楽しめた。
出番が終わった後、通路で物販と言う事になっていたが、入る客出る客がっつく客で混沌を極めていたので、音源のみ購入して退散。
出来る事なら金を貰っても二度と足を踏み入れたくないイベントであった。
寝て起きて気が付いたら予約フォームは既に公開されており、慌てて申し込んだが後の祭りで81番。
例によって予約するだけして来ない手合いと立ち見の良い場所を取ろうとする人々のお陰で椅子にはありつけた。
立ち見も含め、ほぼ大入りの盛況。 葬式でも賑やかな方が救いがある。
前半のバラエティ番組部分は、後半のライブに時間を割きたいとの事で短く30分。
メンバーには「PIP年表クイズ」と言ってあったようだが、蓋を開けてみると例によって差し替え。 「クイズ卒業メンバーに聞きました」で澤村、高城、福田が登場。
福田は落ち着きが増し、澤村と高城は磨きが掛かっていた。
濱野智史が一筋縄では行かない連中しか採っていない事もあり、辞めた連中の書く「答え」もメンバーの想像して当てに行く「答え」もなかなかの物で、最後だと言うのも忘れて笑わせて貰った。
ネタの爆発力は意図したものもしないものも小室が頭抜けて凄いのだけれど、滑った後の石川の受け身のうまさが光る。
そして瑞野の「常識的対応」の完璧さ。
これがあるので他の連中もボケやすいし与太も飛ばしやすい。
後半はライブ。 開演前の影アナは全員で。 休演が予め発表されていた豊栄を含む六人の卒業公演と言う位置付け。
山下の出演は「未定」となっていたが結局最後まで現れず。
この「未定」と言うのも連絡が取れずに未定になった訳ではなく、出演の可否を訊ねたところ山下から「未定としておいて欲しい」と頼まれた由。
山下は自分の中では理屈として通っているのだとは思うが、それを他のメンバーと擦り合わせる努力を客の目に触れる形では全くと言って良いくらいしておらず、今回が実質的にPIPとして開催する最後のイベントとなるにも関わらず「残る人」としての最後の説明の場も放棄してしまった。
影アナの段階で既に何かを刺激されてしまったのか意味の汲み取れない奇声を発して騒ぎ始める客もちらほら。
こうした「高まり無罪」系の客の何割かは物販に於ける接触が主目的であり、それ以外のすべてを弁当幕扱いしてしまう。
ライブは無料にして客が金を落とす機会を接触営業に集約してしまった事が客民度を下げた事は否めないし、多種多様な趣味嗜好の客の棲み分けを図ろうとした試みによって一定の治安は保たれたにせよ、根本的な部分では失敗であったと思う。
濱野智史がこれについてどう考えているのか知りたくはあるが、そう言う機会ももう無いのだろう。
「Baby! Baby! Baby!」→「アーモンドクロワッサン計画」→「禁断のカルマ」
2014年6月15日に田町のSHIBAURA HOUSEで行われたお披露目の日に初めて客前で演った曲を演った順に。
あの日の3曲はなんとかみられる物に仕立ててきた感じであったが、一年有半を経て、きちんと見世物になっていた。
「ハート型ウィルス」(小室・石川・瑞野)
この曲の為に色違いのタンバリンを三つ買っていたと記憶しているが、今日は使われず。
「てもでもの涙」(濱野・空井)
体調不良で休演することが多く、出演できても体調が万全ではないこともまま有った濱野。
歌で金の取れる連中が軒並み辞めてしまう中、伍して歌える面子も限られてしまい、ユニットコーナーでの出番も少なくなってしまっていたが、最後の最後でたっぷり聴く事が出来た。
全員出てきて「RUN RUN RUN」から間繋ぎMC。
調子の悪いマイクを交換していたが、専門のライブハウスでは無いところは割り引くにしても、レベルを上げていないだけなのか死んでいるのか判断が遅い。
「誘惑のハートビート」
四つ打ちの佳曲。 なぜこっちを音源化しなかったのか理解に苦しむ。
濱野舞衣香がこの曲に手古摺りつつ歌いこなして行く過程を見ていられたのはPIP: Platonics Idol Platformを見に来ていて良かった事の一つ。
「選ばれたから」
オケを魔改造して5人分の二番の歌詞のみで再構築した特別篇。
歌えども歌えども終わらず、さながら鉄道唱歌。
「きっとぐっとサマーデイズ」
歌いっぱなしても息が上がらなくなった。
泣いたり笑ったり忙しい小室。 将に「今泣いた烏」。
「PIP Move On!」
この曲の昭和19年頃の軍歌のような空元気には全く感情が揺さぶられないままだった。
PIP: Platonics Idol Platform のオリジナル曲も好きなものからそうでないものまで色々有ったが、「駄曲」と切って捨てられるのはこの曲のみ。
「僕を信じて」
「桜のまた咲く日まで」
濱野智史は信じられないし、PIP: Platonics Idol Platformも桜が咲く季節を前にして瓦解してしまった。
最後の曲を歌い終え、一礼して去る。
裏に引っ込むや否や嗚咽とも悲鳴とも嘆息ともつかぬ声が響く。 小室志織だった。
「10年桜」
「最後なのでメンバーの名前でお願いします」的な予定調和のアンコールの後、初期衣装を模した紺ポロシャツをで出てくる5人。 本当はこれと一緒にしつらえたメンバーの名前入りタオルを持って出てくる筈だったようだが、見事に忘れていた。
先月の定期公演ではリーダーの石川からの発表のみであったので、改めてそれぞれから辞めるに至った経緯や今後など。
元々裏方志望であった、と瑞野。
舞台の上と下、表と裏の両方を知っている裏方と言うのは実に貴重な人材であり、石橋のイベントの裏方でも何でもサークルではなく金銭の動く仕事としての現場に潜り込んで欲しい。
舞台に立った経験に裏打ちされた聡明さと謙虚さは、必ず役に立つと思う。
空井は内定を蹴ってPIP: Platonics Idol Platformに入った訳であるが、就職した同期には何をやっているのか話す気にならない時期が長かったとのこと。
CDを出して漸くと言うから、PIP: Platonics Idol Platformとして活動したほぼ全てが鬱屈期であった事になる。
今後どうするかは未定であるとの事だが、喋る仕事は向いていると思う。
小室は嗚咽交じりと言うかほぼ嗚咽で何を言っているのかよく分からない大平正芳の答弁のような感じ。
・辞めたくはなかった
・アイドルは続ける
・今後の事は決まっていない
・違う場所に行ってもよろしくお願いします
大意を汲むとこんな感じ。
濱野舞衣香は休演が多かった事について自虐的に。
「健康になりたい」「長生きしたい」
今後も何かしら活動はしていきたい由。
石川はもうすぐ映画の撮影が始まるが、仕事で地元に帰れるようになる迄、まだまだ頑張るとのこと。
山下以外全員卒業により、PIP: Platonics Idol Platformが事実上の瓦解に至った経緯については、傷つく人が居るかも知れないとのことで多くは語らず。
これはまぁ仕方がない。
説明はなされるべきだと思うが、それは石川の仕事ではない。
「タンポポの決心」で〆。
長いようで短く、短いようで長いPIP: Platonics Idol Platformの一年有半が終わった。
山下が残る形になるのでPIP: Platonics Idol Platformが消えて無くなる訳ではないが、歌って踊る部分は覚束無い、運営業務も担っていない、グループどころかセルフプロデュースも出来ていない人に何が出来るのかは考えなくても判る。
改めて何かが始まるにしても、これまでのPIP: Platonics Idol Platformとは全く別のものにはなるであろう。
palet
7ページ10カット、コラージュ的な見開き1か所。 撮影は外山繁。
投票企画で勝ち残っての巻頭グラビア。 顔見世としては成立しているが、光を強く当てて諸々の不都合を白く飛ばしたようなカットが多く、興醒め。
木﨑ゆりあ
7ページ10カット。 撮影は山口勝己。
表紙の訴求力の無駄な高さに驚くも、撮影者の名前を確認して納得。
ヤングジャンプは表紙だけ煽情的で、中は大人しめな事が多いのだけれど、今号は中身もそれなりに。
寄せたり捻ったり着せたり、見せるところと隠すところを切り取り方とポーズで遣り繰り。 お勉強の方はからきしだが勘は悪くない木﨑なので、ややこしい事になっても表情が死なないのは良い。
岡田奈々
巻末5ページ8カット。 撮影は桑島智輝。
「アイドルたるもの斯く在るべし」的な観念の軛から解き放たれてからの岡田奈々は実に良い。
前髪に未だ頑なさの残滓が感じられるが、それもスパイスの様なものとして笑える位には柔らかい表情をカメラの前に晒せるようになった。
川本紗矢
7ページ11カット。 撮影は小池伸一郎。
直線や曲線の中に被写体を配して絵を作る小池伸一郎らしいグラビア。 首切り・串刺しで不快になりそうなものだが、不思議と気にならない。
川本紗矢の表情は諧調に乏しく、水着になると硬さも見られるのだけれど、これは致し方ない。
人前で水着になるという行為自体が異常なものであり、まぁ仕事の一つではあるので慣れて行かねばならぬ訳ではあるが、肌を多く出す衣装で表情が強張る件について、私は責める気にならない。
閑話休題、川本の話。
硬い部分は硬いのだけれど、笑ったふりをして誤魔化さずにカメラと素で向き合えているのは良い。
伸び代の大きさは感じられる。
結城りおな
6ページ13カット。 撮影は西村康。
かつて細野晋司が担っていた部分のヤングジャンプらしいグラビア。
屋内も屋外も良い構図が切れているし、深度も露出も程が良い。
桑島智輝の弟子筋らしいが、西村康ならではのものと言うのはまだ良く分からない。
求められる質の写真は撮れていると思う。
石川恋
7ページ20カット。 撮影は佐藤裕之。
煽情より抒情に重きを置くヤングジャンプには珍しく、煽情に振っている。
詰め込み過ぎた観のある割り付けはいただけないが、石川恋の売りになる(売りにしようとしている)部分は(多少のあざとさは鼻に付きつつも)見せられていると思う。
柳いろは
5ページ11カット。 撮影はTakeo Dec.
巻末はより煽情的に。
こちらは大き目の写真でじっくり見せる趣向。 編集者の手癖の違いではあると思うが、見せ方としては巻末の方が上手い。
私立恵比寿学園中学
巻頭7ページ13カット、巻末5ページ9カット。 撮影は桑島智輝。
何かと縛りの多い事務所のグラビアは連載漫画のアニメ化に合わせたタイアップ。
閉鎖空間にあるものを上手く組み立てており、面白いかどうかはさておき、良く撮れている。
広瀬すず
巻頭6ページ14カット、巻末4ページ8カット。 撮影は細居幸次郎。
巻頭はロケで巻末はスタジオ。
スタジオ撮影分は光を強く当ててソツなく撮っているが、こうなると細居幸次郎である必然性は無い。
しかし乍ら巻頭の6ページは細居幸次郎ならでは。 実に良く撮れている。
撮られ慣れていて、カメラとの(カメラマンとの)向き合い方を知っていて、商売用の自分の切り売りの仕方も知っている。 そんな厄介な生き物を前にして、多少たじろぎつつも切り取るべきは切り取る。
2ページ目などは、判っていても持って行かれる。 眼福。
NMB48(山本彩、渡辺美優紀、須藤凜々花)
6ページ5カット、見開き1か所。 撮影は山口勝己。
素材としては良いが撮られ慣れてはいない須藤凜々花。 撮られ慣れているがスイートスポットが狭く、一寸癖のある渡辺美優紀。 どう撮っても絵になり、破綻はしないが面白味には欠ける山本彩。
三人三様、撮り易いようで撮り難いのを何とかならしてバランスを取り、三人並んでもきちんと絵にして来るところは流石。
人を使ったブツ撮りの上手さ。
石川恋
5ページ7カット、撮影はHIROKAZU。
全カット布面積少なめの水着。 石川恋の身体の線を生かして上手く切り取った5ページ。
煽情的でありつつ、綺麗に纏めてある。
新川優愛
7ページ6カット、見開き1か所。 撮影は桑島智輝。
これまでの撮られる仕事では「ああそうですか」的なつまらなさしか感じなかった新川優愛。
今回もまた、ソツなく、面白味もなく。
着ているものに目が行ってしまうと言う事は、本業たるモデルとしては良い仕事をしていると言う事なのであろう。
しかし今回のの仕事で見せるべくは着ている服ではなく着ている自分なのである。
「人」を見せる撮られ仕事で着ている服を見せられても困る。
生駒里奈
5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
光を強めに当てても柔らかく当てても絵になり、絵にして来る。
裏方も含め、歯車の噛み合った仕事。
荻窪ベルベットサンで開かれた、田中秀臣の主催イベント。 出演は常見陽平、豊栄真紀(PIP)、山下緑(PIP)、田中秀臣。
お披露目の22人から現在どれだけの人数が残っているかについて田中秀臣が参考資料を出していたのだけれど、CD選抜の6人、休業2人、開店休業1人、派生ユニット2人の計11人が合同会社プラトニクスと契約があり、これが現在のPIPであると規定していた。
これは公式に発表されたものではなく(※公式サイトは重くてどうしようもないのままの状態で放置されており、公式ブログの在籍・卒業の別も或る時期以降放置。)田中秀臣の認識している範囲での話ではあったが、豊栄も山下も帯同していた裏方も否定はしなかったので、概ね合っていたのだと思う。
ちなみにレーベルのサイトはCD選抜の6人しか載っておらず、派生ユニットの2人がキャンペーンに参加しない事には触れられているが、キャンペーン終了後どうなるかについての表記は無い。
兎に角分からない事だらけではあるのだけれど、ともあれ山下と豊栄が在籍していると言う事は確認できた。
豊栄と山下がこの先どんなアイドルになりたいのかについて明言を避けるのではなく、そもそも答えを持っていないと言う事態は、自分の立ち位置を自分で考え、確立することによって生き抜いてきた常見には理解し難く、もどかしくも有ったのではないかと思われる。
それでも最後まで匙を投げずに豊栄と山下の今後の展開について考えてくれたのは見ている側としても有り難かった。
時計が会議室時代の終わりで止まっている豊栄と、空間と時間を超えたところに存在する山下は、一周年公演以降のPIPが置かれた厳しい状況を肌で感じていないと言う事も有ると思うが、販促イベントを打ったら客がツバナレしなかったと言う修羅場を潜って来て、生き残る為に何をしなければならないかを突きつけられてきたCD選抜組との意識に差があるように感じられた。
仄聞はしているであろうそう言った状況に身を置いていない引け目なども有るかもしれないし、さしあたって何をすれば良いのか分からなかったりもしたかもしれないが、ブログやSNSや動画配信など、使えるものは使って何かしら発信するところから始めれば良いと思う。
その為のヒントは山ほど貰った訳であり、そこから自分なりに何が出来るのか考えて出来る事から始めれば良い。
田中秀臣なり常見陽平なりに面白がって貰えていると言うのは、間接的な濱野の置き土産であり、上手く生かして一歩踏み出して頂きたい。
何かしら動きがあれば追記しようと思って寝かせて置いたらブログの更新も殆ど無く、その間にPIP: Platonics Idol Platformに「日本以外全部沈没」的な事が起こって時期を逸してしまった。
そんな訳で今更ながらアップロード。
推敲が雑なのはまぁ、そう言う事です。
第2週のレギュラーは4枠だったのであるが、前の枠に入っていたカタモミ女子が突然の店舗閉鎖からの解散でいなくなってしまい、前倒しで8時半スタート。 まぁ、PIPも今月限りなのであるが。
自分の贔屓のところだけを見て帰ってしまう客と、番組そのものを楽しんでいる客と二た通りいるのだけれど、グループの色が客にも出る。
プロ意識の低いところの客は、民度も低い。
入り口で貰ったパスを首から提げていればスタジオと物販スペースは行き来自由なので、目当ての枠以外は外に居ても構わないのだけれど、わざわざ収録中のスタジオの中で雑談を始めてみたり。
態々そう言う客を選んでいる。 選んでいると言うか、自らの振る舞いによって呼び込んでいるのだけれど、それが分からない。
PIPの客はマシな部類で、石橋哲也の仕込んだ「舞台の上に立つ人としての矜持」が、この番組を見に来ているPIPの客の民度を一定以上に引き上げていたように思う。
石橋も珍しく投げやりな進行だったのだけれど、折角一年以上掛けて育てたグループが瓦解して無くなってしまう遣り切れなさがあったのかもしれない。
それでもそれなりに楽しく過ごせる。
石橋との遣り取りは回を重ねるごとに面白さを増して行ったのだけれど、それは感じる面白さであり、濱野が介在することで生まれていた「考える・解釈する面白さ」は薄れて行った一年だったように思う。
私には落としどころを見たいと言う欲求もあったので見続ける動機も無くならなかったが、橋田や柚木などの中核メンバーが抜けてしまう事により去って行った客だけでなく、グループとしての質的変化から離れて行った客も居たのではないか。
行けば行ったで楽しいのだけれど、私が好きだった楽しさとは別趣のものに、何時の間にか変わってしまっていた。
月末の定期に永瀬が出られない為に打たれたイレギュラーな公演なのに、なぜか「定期」と銘打たれている。
言葉の厳密さに拘らなくなった事からも、濱野の関与が薄れているのを感じる。
何かあったのか、何もなかったのか。 今回はネット予約無しで当日整列順入場。 告知にも遺漏があったり。
石川は恐らく映画の仕事で、濱野(舞)が体調不良で休演。 休業が長引いたままの豊栄は仕方がないとして、山下が出演しない事への言及は理由も含めて丸で語られず。
屯していれば近所迷惑なのは明白、頃合いを見計らって押上に出たら丁度受け付け開始時間。
ツバナレするかしないか位しか集まっておらずどうなる事かと思ったが、開演するころにはそれなりに。 最終的には30くらいか。
影アナは一と足先に辞める永瀬。
盛り上がってますかと元気良く問い掛けられて一瞬言葉に詰まる客席。 苦笑するほかない。
そもそもこの状況でどう盛り上がれと言うのか。
「いや、盛り上げるのはお前ら演者の仕事であってだな。 まぁどうでもいいんだけど。 どうでもよくはないか、しかし(略)」的な面倒臭いことは濱野智史もさんざっぱら言って来たのではないかと思うのだけれど、この辺りの演者としての意識が変わる事は無かった。
暗転して開演、「僕を信じて」から。
今更何を信じろと言うのか。
人数が少ないので瑞野の歌割も多め。 この歌の上手さも殆ど生かされずに終わる。
どうやったって統制は効く人数なのだけれど、今日も撮影は禁止。
濱野隠棲以降、スタッフの官僚化が進んだ事による居心地の悪さは明らかに増した。
「狼とプライド」
小室と永瀬で。 フィル・スペクターっぽいなぁ等と考えながら眺める。
小室の動きは柔らかく細かくなっている。 良い。
「向日葵」
演る側には思い出も思い入れもあるのだと思うが、些か食傷。
今月も既存曲の順列組み合わせの定期公演。 縮小再生産の悪循環から抜け出せぬまま終わってしまった。
空井の歌が「歌」になってきたのが、この半年での数少ない「良かった」ではあった。
歌えてはいるし揃ってもいるのだけれど、こう言う小さく纏まったものを見たかった訳でもなく。
間繋ぎMC、入場整理番号でチョコレートをプレゼントと言う趣向。
「皆さん、チョコは貰えてますか?」と全方位に喧嘩を売る空井。
「盛り上がってね」と何度も念押しをしていたが、これも本末転倒。
永瀬がお色直しで引っ込んでる間に残りの三人で「PIP Move On!」
「未来へ」
白いワンピースに着替えて出てきた永瀬がソロで一曲。
ソツなく歌えてはいる。
辞めて行く連中に遣り切らせて思いを残さないようにするPIPのやり方は、些か内向きに過ぎるところは有ったが、良かったと私は思う。
ただ初めて行くのが誰かの卒業公演と言うのは気詰まりであり、 毎月のように誰かしら辞めて行く状況で一見さんが足を運びにくくなった事は否めない。
「きっとぐっとサマーデイズ」で〆
アンコールは「選ばれたから」
最初で最後の永瀬ver. コピーアンドペースト感の凄まじい歌詞ではあったが、無いよりは良かった。
永瀬と空井がお披露目で歌った「禁断のカルマ」で終演。
興味はありつつも見る機会がなかったのだけれど、折良く近場で、それも撮れる機会があったので足を運んでみた。
それなりに隙間はありつつも、イベントスペースはほぼ埋まった状態。
PAからライブから特典会まで一人でやるので歌いながらスピーカーの向きを調整し、喋りながらPA卓を弄り、曲出しもする。
弾き語り一曲を含め計五曲、合間にはこれまでのインストアイベントを振り返るフリップ漫談なども織り込んで飽きさせない。
どんなことをやるとフリの客が足を止めるか迄店内の状況を観察しながらライブを演っているのも面白い。
特典会の対象商品は自家製CD-R、五曲入りで1200円。
ケースには入れず、歌詞カード兼ジャケットに挟んでのり付きビニールカバーに封入。
客は中の曲と特典に用がある訳で、ケースを省けば利益率も上がる。
そんなところも含めて面白いインストアイベントであった。
気になったので再訪。 まぁ、再訪と言うか三度目なのであるが。
好き嫌いでも良し悪しでも、私が嵌まる要素は思い当たらないのだけれど、妙に気になる。
展示作品が追加になったとも聞いたので、気になっている点を確認がてら神保町画廊へ。
前出の通りで(恐らく)全てのカットでカラーコンタクトを装着し、目尻に付け睫毛を入れている。
これが少女に擬態し、被写体としての「村田タマ」になる為の小道具なのであろうか。
カラーコンタクトを入れると矢張り目から表情は消えてしまって読み取れない。
そして顔を画面に入れないカット以外、カメラと顔の向き合う角度がほぼ一定。
ところが表情が死に切っている訳でも無く、 写真として詰まらなくは無いし、寧ろ程の良い生々しさが有って面白い。
それが何に起因するのか、見れば見る程判らなくなる。
ポートフォリオ的なものがあれば欲しかったのだけれど、作品以外の販売物は缶バッジなどしか無く断念。
作品を見た代価というか喜捨と言うか、何某か落として帰りたかったのだけれど、丁度良いものが無かった。
もやもやしたもの(不快では無い)を抱えつつ帰宅。
「重大発表」がなされるとの告知の効果か予約の出足は久しぶりに良く、80に設定された予約枠はすぐに埋まって100に増やされ、最終的には105まで。
但しこれは無料での枠押さえなので、当日来るとは限らないし、経験則から言って1/3くらいは来ない。
蓋を開けてみたら矢張りそうであった、此処のところの低調な動員からは脱したが、大入りには程遠い入り。
前半は例によってバラエティ番組収録。
「おにぎり対決」的なものから始まる。
オチ要員であることを自覚して不味いものを作る役を演じる者が居るのは構成上仕方が無いとしても、食い物を粗末にする企画は不愉快。
後半は「知ったかぶり対決」的なもの。 こちらは楽しく見られた。
会話の中で、小室が学校行事の都合で昼間は出演出来ず、その為に番組の放送時間も含めて夕方からになった事が明かされる。
学業なり脇の仕事なりの場合は通常休む訳で、無理をして出てきたり、増してや開演時間を動かすなど凶事の前触れでしかない。
半年振りに出演の永瀬も、推薦か何かで内定を貰って高校受験に一定の目処が付いたのかと思いきや、滑り止め校の試験が済んだだけで本番はこれからとの事。 司会の石橋も、そこまで引き出しつつそれ以上は掘り下げない。 これも異常。
今後の活動についてのお知らせにも、次回定期公演が入っていない。
そして客席には節目に現れる元PIP京都の面々。
告知されていた「重大発表」が明るいものではないことを覚悟しつつ、後半のライブに備える。
新しい曲も織り込んで工夫はしているが、基本的にはこれまでやってきた曲の順列組み合わせ。 閉塞感は否めない。
暗い空気の中永瀬が選抜衣装で登場。
「選抜」と言えど既に定員割れして久しく、有名無実化はしているが、それでも着られるのは嬉しいのだろう。 明るい笑顔。
絵に描いたようなポツダム少尉だが、将校で終われるのは良い。
公演の時間を動かしたため、いつもより尺が短く、石川の生誕コーナーも手短に。
曲の途中で語りに入ったのだけれど、辞めて行ったメンバーに言及するのは分かるとして、「最後までついて来てくれたメンバー」との言い回しに秋風を聞く。
重大発表は当日出演していた六人と休業中の豊栄がPIP:Platonics Idol Platformを卒業するということ。
アイドル界隈で濫用される「卒業」と言う言葉には、不都合な現実を糊塗するようなお為ごかししか感じないのだけれど、この七人の決断には合っている様に思う。
ちなみに開店休業中の山下緑の去就についての言及は無し。
まぁ卒業といってもプロデューサーに対する「バカヤロー解散」の様でもあり、 「複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました」と言う理由での総辞職の様でもある。
兎も角、事此処に到って PIP:Platonics Idol Platform は瓦解した。
プロデューサーたる濱野智史からの statement は未だ無い。
16:30から始まるのだけれど、早めに現場へ。
Chelipはインストアイベントそのものも中身の濃いものにしてくるのだけれど、開演前には公開リハーサル、公開リハーサルの前には音響チェックも兼ねてかアイドルポップスを中心にした選曲のDJタイムもある。
プロデューサー氏によるDJは、曲を掛け乍ら喋り、歌い、踊り、そして煽る。 このDJスタイルからして「こちら側」の人なのだけれど、仕事は仕事としてきっちりしている。
曲出しのタイミング、繋ぎもスムーズで、その場で許される最大音量で心地よい現場を作ってくれる。
タワーレコード TOWERmini汐留店は新橋駅から続く地下通路にあるが、地下通路は半吹き抜けになっており、風は吹き抜けるので地下とは言え寒い。
Chelipの二人も初めは寒そうだったが、動くと汗ばんでくる。 ライブが終わってこれが冷えると危ないのだけれど、そのあたりのケアは出来ているようだった。
歌って踊る部分はスクール出身だけあって二人共しっかりしているのだけれど、喋る部分は藤井美音が「これだけは喋らなければいけない部分」を井次麻友が「それ以外」を担当。
昭和のいる・こいるで言うと、「のいる」担当が藤井美音、「こいる」担当が井次麻友。 掛け合いが実に楽しい。
アイドルというジャンルに属するものを、その客ですら見下すような風潮は根強くあるが、Chelipは演者も裏方もアイドルと言う物に対する愛着も誇りも持っていつつ、他の芸能ジャンルと較べても何ら劣るところの無い「娯楽」を提供してくれている。
最近足を運ぶ機会の増えた神保町画廊で金曜から始まった写真展へ。
服を着ていたり着ていなかったり、服ではない何かを纏っていたりするセルフポートレート。
カメラなりスマートフォンなりを手に持って撮ったものと、三脚などに据えて遠隔操作して撮ったもの。
服を着ていても着ていなくても、付け睫毛と瞳を大きく見せるコンタクトレンズは欠かさないのが興味深い。
私は目の光りや表情を殺してしまうコンタクトレンズを好まないのだけれど、全否定するほどの事は無いような気がして来ている。
先日見た七菜乃もそうであったが、付けていても気にならない寧ろ付けていることによって完成する写真もある。
村田タマの場合も、コンタクトレンズと付け睫毛を付けた状態が被写体としての「村田タマ」なのであろう。
「こう見せたい」なのか「ここは見られても良い」なのか「ここを見て欲しい」なのか様々な解釈が成立するし、幼いようでも成熟しているようでもあり、見ていて良く解らなくなってくる。
嗚呼、人生不可解。
金曜夜に東京タワー大展望台一階で行われている Night view DJ を折あゆみが担当とのことで、仕事帰りに大門へ。
コンビニエンスストアで扱っていた割引入場券の廃止以来、窓口販売のみに成ってしまったため、団体の観光客などとぶつかるとエラいことになったりもするが、幸い空いていてすんなりと展望台へ。
電波塔としての役割を終え、観光施設として回して行く事を考えてか、往時の「おのぼりさん御用達」な雰囲気は影を潜め、どこへ行っても洒落乙になってきている。
エレベーターガールも国際色が増し、私が乗った時は中国語の名残のあるイントネーションの女性であった。
展望台に上がると、こちらも洒落乙感溢れる仕掛けになっており、プロジェクションマッピングやら満艦飾のLED照明やら。 我々のような下町を這いずっている人間には敷居の高さを感じるしつらえ。
大展望台一階のステージ前に行くと、既にリクエストカードや曲本などが設置されていた。
曲本には折井の写真が貼られており、リクエストカードの筆記見本には今週のお題も記載。
これまでは番組内での告知だったため、お題に沿った投稿が集まらないこともまま有ったが、そんな事も無くなっていた。
施設の性格上「通りすがりの観光客」が多く、客を運んでくるエレベーターの発着に連動して客の波が出来てしまい、雑踏の喧噪に翻弄されたり、そこに人が居る体で誰も居ない空間に向かって語り掛けたりしなければ成らない事態が起こることもままあるのだけれど、一年間レギュラーパーソナリティーとして勤め上げただけあって、折井は何があっても動じない。
傍から見ていてハラハラするような事は何かしら起こるのだけれど、音だけ聞いていたら恐らく分からないと思われる。
声だけで芝居をする仕事が増えた為か、声を張り過ぎる事が無くなり、強弱緩急は付けつつも聞き取り辛いところは無い。
曲を紹介する際の英語の発音がFM局的な滑らかさになっていた。
大展望台一階にあるカフェ・ラトゥールから一品頼むコーナー。
新メニューのソフトクリームに心惹かれてかひとしきり語りつつ、「食べると喋れなくなってしまうので」いつものホットミルク。 DJミズノ氏は「寒いので」とキャラメルラテ。
大展望台はなぜか上の方の窓が開いており、何時になく寒かった。
折井あゆみセレクションとして何曲か掛けたのだけれど、そのうちの一曲が星野みちるの「YOU LOVE ME」。
細かい説明はせず「十年来の友人」とのみ前置き。 いろいろダメな人だが歌だけは凄いと言う実に的を得た説明。
そろそろ終わる頃合いで今後の告知など。
ちょっと早いかな・・・とも思ったのだけれど、告知する出演情報がドラマから映画から吹き替えの仕事から多岐に亘り、丁度良く終わっていた。
Night view DJ には不定期乍ら今後も出演するようなので、足を運んで行きたい。
外苑前の交差点から西通りを南へ少し下った路地裏にある「ときの忘れもの」と言うギャラリー。
ここに来たのは2012年6月、ドアノーとブレッソンを見に来て以来。
入って右の壁に1999年に撮影したもの、左の壁に2014年に撮影したもの。 どちらもベルリン。
1999年に撮影したものの内、入り口寄りの二枚が当時プリントしたもので、残りはすべて最近のプリント。
被写体との向き合い方、切り取り方に大きな変化はないと思うのだけれど、街の空気なのか撮影者の心持ちなのか、2014年に撮ったものの方が何というか写真が重い。
1999年のベルリンは街も荒れており、曇天なのだけれど、荒れたなり、曇天なりの軽さと明るさがある。
翻って2014年のベルリンは綺麗に出来上がっているもののつるりとした捉えろのどころの無さが、晴れた空にも重さがあり、夜の闇は深い。
私は2014年のベルリンの夜に惹き付けられた。
聳え立つビルの背後の夜空の、黒より黒い黒。 黒と灰色の間の色の黒寄りの部分と、ビルの放つ輝きの対比の妙。
一枚でも写真として成立する強さを持ちつつ、対比させても、纏めて見てもより面白い。
年々厳しくなる印画紙事情の中、今作り得る最良のプリントが目指されており、全体を見てもそれとは判りにくいのだけれど、細部に目を凝らすと秘術を尽くして焼かれているのが判る。
入念に仕上げられていつつ、「これみよがし」なところが無いのも良い。
プリンタで出力する写真も長足の進歩を遂げてはいるが、銀塩には銀塩の素晴らしさが矢張り有った。
落ち着いて見たかったので、開場する時間に合わせて駿河台下の神保町画廊へ。
既に先客はおり、何やら語らいながらじっくり見ていた。
確かに考えさせれれるし、語りたくもなる。
小さめだが揃いの白い額に装丁されたプリントが25点、同じようにチェキを額装(昆虫標本のようになっている)ものが5点。
身長165cmの私の目の高さより若干低めに飾られており、平均身長に近い女子だと、丁度見やすそうな高さ。
額と額との間隔も含め、広くは無いスペースと見せたいものの数と見易さのバランスに腐心した跡が見られる。
裸体と言ってもさまざまな状態に在り、何も着ていなかったり、下着のみだったり、何も着ていないようでいてよくよく見るとそうではなく。
魂魄が肉体を纏い、更にその肉体が光であったり影であったり、水であったり空気であったり、はたまた衣服であったりを纏ったり纏わなかったりするさまが、写真と言う形で紙に描かれている。
桜色に上気していたり、寒さでか白くキュッと締まっていたり、水に濡れていたり乾いていたり。 撮った状況や被写体の状態によって、肌も表情を変える。
変わらないのは、手を触れたら吸い付きそうな、白く薄くしなやかな皮膚。
喜怒哀楽がはっきりとは表れない、如何様にも解釈できる顔貌。
「裸体というドレス」と言う概念が感覚的に解ってくる写真たちであった。
東京ビッグサイトで開かれている環境系見本市に濱野智史とPIPが出演すると言うので見に行ってきた。
イベントステージを見る分には入場者登録は不要と書かれていたが実際には必要で、そのあたりの手続きに手間取っている間にイベント開始時間を迎えてしまい、見られたのは途中から。
「日本のアイドルはエコロジーを超えた」なる濱野らしい煽りが付いており、
現代日本のアイドルは最先端のエコロジーモデル!? 自分たちの存在のみによって新たな価値を創造し、感動を与える日本のアイドル文化がサスティナブルな社会の実現にどう貢献できるのか、アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手がける批評家・濱野智史氏と、PIPのメンバーによるトークショー。もちろんPIPのパフォーマンスもお届けします!
小室と瑞野が学校、濱野が体調不良でお休み。 山下が珍しく出演。
実質、歌って踊れるのが石川・空井・福田の3人だけ。
定期公演ではあるがイレギュラーな日程なのでバラエティー番組部分も無し、と言うことは司会の石橋もいない訳で、全て自分たちだけでやらなければならない。
ライブ以外の部分はそれなりに練られており、トータライザーを使った「ぶっちゃけトーク」的なものや年末の定期公演内でやる「PIP紅白」の前振りなどで間を持たせ、ライブはライブで何とか形にはしていた。
三人半しか居ない状態で公演を公演として成立させられたのは褒めて然るべきであるが、それは内向きの話であり、対外的な訴求力に成り得るかと言うとなかなか難しい。
これだけの損耗率にあって組織的な抵抗が出来ているのは驚嘆すべきかも知れないが、反転攻勢に出る余力までは持ち得ていないし、年末を以って福田も辞めてしまうとなると現状維持すら厳しい。
空井の生誕コーナーでは、間繋ぎの意味合いも有ってか出演メンバーを含めてお祝いビデオレターが流されたが、CD選抜組以外は休業中の豊栄と永瀬、開店休業中の山下のみで派生ユニットに行った森崎と工藤からのものは無く、正式な告知はないものの袂を分かったものと思われる。
エコプロダクトの件も含めて色々書き連ねたが、そんな事は百も承知で且つそれ以上の懊悩を抱えつつやっているアイドル稼業だとも思う。
年内に何かしらの打開策が提示されることを願いつつ、年末の定期公演を待ちたい。
午後から駿河台下の神保町画廊へ。
村田兼一による、服を着ていたり着ていなかったり、一部だけ着ていたり一部だけ着ていなかったりする少女を、撮影場所から大道具小道具衣装メイクに至るまできっちり作り込んで撮ったポートレート展。
撮られているモデルも様々なのだけれど、共通点は無いようで有る。 総じて皮膚が薄い。
脱いだ脱がせたではなく、一部だけ着ている(または「一部だけ着ていない」)、それがその場では自然な状態であるように見える。 現実感のある非現実。
被写体の周囲に配されたあれこれには相応の寓意が込められていると思うのだけれど、残念ながら浅学な私には読み説けなかった。
私が行ったときが特別だったのかも知れないが、客層は男性に大きく偏っており、ポートフォリオのページを熱心に繰っているのに気負されつつ、写真集を一冊購入して退散。
美しい物を美しく撮っており寧ろ女子向けなのではないかと私は思うのだけれど、
写真集を購入して退散。 過去の写真展のモノも合わせてフライヤーを入れていただいたのだけれど、フライヤーそのものの出来も良い。
入場待ちの整列が始まる頃はつ離れしないのではないかとすら思われたが、蓋を開けてみれば椅子席が埋まる程度には入っていた。
これが PIP:platonics idol platform の現状なのであろう。
今月は福田が体調不良でお休み。CDリリース前後に有耶無耶になってしまった派生ユニット兼任組や休業時の話では復帰している筈の豊栄、開店休業の山下については出る出ないの告知すら無い。
遡れば北川もそうなのであるが。
CD選抜組から福田を抜いた五人で前半のバラエティ番組から。
メンバーに自室の写真を撮らせた物を送って貰っておいて、それを上げたり下げたりする「お部屋拝見」。
経済デザイン学科なるものを優秀な成績で卒業したにも関わらず私服のセンスは壊滅的な空井美友の為に、メンバーがいろいろ持ち寄ったものを着せてなんとかするコーナーの二題。
転がす方も転がされる方もきっちり仕事をしており、金の取れる一時間。
すっかり無料が売りになってしまっている定期公演ではあるが、そろそろ中身についても語るべきだと私は思う。
少々インターバルがあって、後半のライブコーナーへ。
開演前の影アナで毎度「盛り上がる準備は出来ていますか?」と問われるのだけれど、開演してから提供される物次第で客の反応なんざ幾らでも変わる訳で、厭な予定調和だと思う。
アキハバラブ
暗転からの一曲目。 「またモモーイの一丁噛みかよ!」と身の回りの Perfume 客がゲンナリしていたのが今となっては懐かしく思い起こされるが、AKB48関連の曲がオリジナル以外の持ち歌の大半を占める中では面白い選曲だと思う。
ステージ上手壁面にストロボライト。
専任の証明担当も凝った機材も置けない中で、なんとかそれらしく見せようと言う箱側の創意工夫。
僕を信じて(空井美友ver.)
誘惑のハートビート
ライブになったら客が増えていた。
ユニットコーナーの着替え待ちでフリートーク。
次の生誕は空井だと言う話など。 工藤はもう居ない。
向日葵
時間が掛かったので何を遣るのかと思ったらこの曲。
五人の曲を二人で遣れば粗も目立つし貧相にも見える。
会議室時代から遣ってきた曲では有るが、慣れているが練れてはいないし季節感も無い。
応用力や対応力はあるが、悲しいかな発想力が無い。
現場の兵卒や下士官としては優秀でも、将校の器ではなく、プロデューサーとしての視点に欠ける恨みがある。
そばかすのキス
こちらも群舞だから華やかに見えていた振り付けを縮小して五人で遣っているので舞台が淋しい。
やりくり上手ではあるけれど、新鮮味が無い。
来れば来たでそれなりに楽しくは有るのだけれど、閉じてた輪の中に居る息苦しさは否定できない。
石川野乃花の皮膚の収縮が痩せるスピードに追いついたようで、若干荒れてはいるがハリは出てきた。
明日は明日の君が生まれる
借り物ではあるが、漸く新曲。
中西パートを小室、秋元パートを石川、宮澤パートを濱野。
生で歌う前提で作られておらず、リリースイベントの際に歌の上手い中西でさえ口パクだった曰く付きの曲を持ってきたので驚いた。
後半は矢張り苦しいののだけれど、それなりに聴けるものにはなっていた。
十二月の告知。
体調不良で休演することになっていた福田蘭奈が到着したとのことで呼び込まれたと思ったら、十二月の定期公演を以て辞めるとのこと。
福田も草創期から中核メンバーとして PIP:Platonics Idol Platform を背負ってきた訳であり、高校進学に当たっては芸能活動を出来る所へ移るなど、覚悟を決めた活動はしてきたと思う。
アイドルとしての未来を提示してやれなかった濱野智史にも、責任の一端はある。
僕を信じて
で一旦〆。 何を信じろと言うのか。
一旦捌けてアンコール待ちの暗転。 客の心も暗転したまま与太話をするものも無く、黙りこくったまま時間だけが過ぎていく中、そろそろマズいかなぁと思った頃合いで漸くアンコール。
RUN RUN RUN
PIP Move On!
メンバーも空元気を出して歌い踊っていたが、なんともやりきれない気分を引きずって終演。
見るべき物はあり、それなりに楽しく過ごせはするのだけれど、どんよりした気分は其処此処に。
内田真礼
屋内で撮ったカットを中心に7ページ8カット、撮影は長野博文。
当たり障りのない声優グラビアではあるが、巻頭になると言う事は需要もあるのだろう。
武田玲奈
巻末乍ら8ページ18カット、撮影はTakeo Dec.
制服っぽい服と水着。
目以外は生きた表情。
柏木由紀
巻7ページ13カット、巻末7ページ17カット、撮影はTakeo Dec.
付録で過去撮影分から7ページ7カット掲載したミニ写真集が付く。
AKB48のメンバーが健康そうに写ることもあまりないのだけれど、それにしても酷い。
魔法を掛けてなんとかしている部分があるだけに、どうにもならなかった部分との落差が激しい。
粗が目に付く分、それを隠そうとするポーズになり、表情は曇り、仕草はお留守になる。
柏木由紀は幸せなのだろうか。
能年玲奈
巻頭7ページ12カット、撮影は桑島智輝。 巻末4ページ7カット、白幡敦弘。
巻頭はカメラの前に素で立てており、柔らかい表情が切り取れているが、巻末は広告連動のコスプレ写真。 面白味は無い。
石川恋
巻末4ページ10カット、撮影はHIROKAZU。
広告タイアップでページを食われて詰め込まれてしまった感はあるが、、見せ方を心得た水着グラビア。
紙幅は少ない乍ら衣装の点数は多く、力が入っていない訳ではない事は見て取れる。
松本愛
巻頭7ページ14カット見開き1箇所、巻末5ページ7カット。 撮影はHIROKAZU。
2015 10号の新人発掘企画のグランプリと言う事でぶち抜き。 最近のヤングジャンプとしては珍しい水着で押すリビドー刺激系水着グラビア。
水着を着た松本愛をより良く見せる事には成功している。
天木じゅん
こちらも肉感で押す巻中3ページ6カット。 撮影はTakeo Dec.。
畳敷きの和室に布団を延べて、はだけた浴衣から覗く肌と言う趣向ながら、じめじめした四畳半グラビアになっていないのは良い。
武田玲奈
7ページ22カット、撮影はTakeo Dec.。
何を着ていても表情はこなれてきつつあるが、それは紋切り型の表情になりがちと言う陥穽でもある。
より撮られ慣れて行くうちに変わって行くであろう。
梅本静香
巻中3ページ12カット、撮影は桑島智輝。
割り付けが詰め込まれていて些か窮屈ではあるが、服を着ていても水着になっても表情に揺らぎが無いのは流石。
カメラと向き合おうとしすぎる息苦しさは無きにしも非ずだが、綺麗に撮れている。
御伽ねこむ
巻末5ページ8カット、撮影は桑島智輝。
コスプレ方面の人特有の構えないとカメラの前に立てない被写体としての煩わしさは感じられるが、桑島智輝が隙を見てそうではない部分を掠め撮っている。
そう言った意味に於いては桑島智輝に撮らせた意味はあったと思うが、被写体の側がそのような撮られ方をすされる意味を解らずに終わったような隔靴掻痒感。
指原莉乃
7ページ11カット、撮影は桑島智輝。
こうして色々書いているのは個人的備忘録としての意味合いもあり、棄てるか残すか判断する為でもあるのだけれど、間違いなく取って置く一冊。 上半期でも出色。
どうすれば無い色気を有るように見せるかについて、撮る側撮られる側編集する側の三者の相互理解と了解があり、腰から尻に掛けての曲線と ennui な表情を見せることに特化。 悪戯っぽい表情も挟み込んではいるが、色気で押す構成。
この辺りの美人局的な示し合わせが楽しい。 見る側がどこまで真に受けるかはともかくとして、美しく撮れている。
今後も上手いこと騙して欲しい。
松岡菜摘
巻末5ページ8カット、撮影は佐藤裕之。
表情は割と単調でポーズもぎこちないのだけれど、綺麗に見える角度の広い顔でどこから切り取っても絵になる。
腰から下の量感を厭味にならぬ程度に生かして撮った2ページ目が秀逸。
石川恋
巻中3ページ3カット、撮影はHIROKAZU。
水着映えする体型、体型に合った水着、それを映える写真に残せるカメラマン。
上手く噛み合った良い仕事。
島崎遥香
7ページ10カット、撮影は川島小鳥。
やって意味のある仕事を振ればそれに見合った結果を出す島崎遥香。
表紙こそ甘口だが、グラビア本編はピリリと辛く。
そう長くは確保できないであろう撮影時間の中、近郊ながらロケを敢行。 衣装の点数も多く、衣装ごとに髪のあしらいもメイクも変えてある。 それに応えてページを繰るごとに多彩な表情を見せる島崎。
色々言われることも多いが、私には仕事の重要度によって適確に力の入れ具合を変えているに過ぎないように感じられる。
この号も棄てられない一冊。
川本紗矢
4ページ7カット、撮影は小池伸一郎。
背景の描き出す線を生かした小池伸一郎らしい絵作り。
表情は紋切り型乍ら、絵を構成するパーツの一つとしての収まりは良く、ハズレカットは無い。
佐々木優佳里
6ページ9カット、撮影はTakeo Dec.。
グラビア映えする体型ではあるが、カメラの前に立つ機会が少ない所為か今一つ表情が冴えない。
元々が一寸困ったような顔立ちであることも災いして、借金のカタに撮られたような陰惨さが漂う。
齋藤飛鳥
巻頭7ページ14カット、巻末6ページ13カット、撮影は細居幸次郎。
天候運良く、曇天に恵まれている。
屋内でも屋外でも細居幸次郎の色は出ているのだけれど、それでもやはり屋内で撮ったカットが頭抜けて良い。
喜怒哀楽のどれにも当てはまらず、どれでもあるようにも解釈できる表情が出せるのが齋藤飛鳥の特質だと私は思うのだけれど、弾ける様な笑顔も撮っておいて並べて提示することによって、その魅力が最大限に引き出されている。
眼福。
御伽ねこむ
7ページ17カット、撮影は桑島智輝。
顔を囲うような髪型であり、可愛らしく見える角度も狭く、決めポーズと決め顔しか撮らせたがらない被写体を相手にして、苦労したようにも見せずに巻頭グラビア一本撮り切る桑島智輝に驚く。
最後のページなどは実に上手く落とし込んでいる。
馬場ふみか
巻末5ページ8カット、撮影は中山雅文。
レタッチの妙なのかもしれないが、中山雅文の撮影でありつつ湿度低め。
他誌だとグラマラスな肢体を前面に出したグラビアになることが多いが、水着の上に一枚着せたり、寄って撮ったりして、体型より表情に目の行く写真。
表情の切り取り方に試行錯誤が足りないようにも思えるが、その辺りは事務所側の縛りの強さかもしれない雰囲気もあり、何とも言い難い。
煮え切らない部分はあるけれども、少なくとも及第点以上である事は間違いない。
武田玲奈
巻頭7ページ6カット、見開き1箇所。 撮影はTakeo Dec.。
日差しの強い水辺・浜辺と言う悪条件の中、光を背負わせたりして上手く撮っている。
武田玲奈が比較的光に強いと言うのも有るかも知れない。
よくよく見ると例によって目は死んでいるのだけれど、あまり気にならないのは撮られ慣れつつ紋切り型の表情になる罠から逃れられているからだと思われる。
巻末6ページ27カット、見開きでコラージュ。
こちらも寄って撮ると、特に斜めからだとカラーコンタクトの弊害が出てしまうのだけれど、前述の通り以前程は気にならない。
短い期間に頻繁に登場し、それなりに紙幅も割かれているのも頷ける逸材である事は間違いないのだけれど、この先演技方面に仕事の幅を拡げようとした時、カラーコンタクトが邪魔をするのではなかろうか。
ANNA☆S(19:00〜19:29)
そう言う構成になったのか、オープニング無しでANNA☆Sの番組から。
馴染みの客が少なかったようで戸惑っていたが、番組としての進行は慣れたもので恙無く。
押上と言うそれなりに便利ではありつつ何処からも遠いと言う微妙な立地もあってか、番組としての完成度と満足感に比して客足は鈍いのだけれど、生ものとしての良さが逆に伝わりにくさにもなっているのかもしれない。
難易度の高いことをサラリと事も無げにやってのけるので凄さが伝わり難い恨みはあれど、そんなことは判らずとも楽しめる親しみやすさもある。
没入して観ざるを得ないので傍から見ていて楽しそうには見えないかもしれないが、私としては実に愉しい。
実に良く出来ている。
東京Cute Cute(19:30〜19:59)
司会の石橋哲也の分を含めてワイヤレスが7本生きていることに驚く。
大喜利で回答が尽きてしまったりでバラエティ対応はまだまだと言うか、その場で自分に求められている仕事は何かと言うところからして判っていないようであったり、ライブコーナーでは生歌感が希薄だったり、振り付けが器械体操の域を出ていなかったりしたが、動ける身体は出来上がっていて、体脂肪率が総じて低いのが面白い。
さて、化けるか化けないか。
カタモミ女子(20:00〜20:29)
転がしなれている石橋哲也と転がされなれているカタモミ女子。
仕込んだ小道具が機能したりしなかったりでバタバタした場面もあったが、潔く切り捨てて次に行く石橋が好判断。
その分引っ張れるところは引っ張る訳なのだけれど、くどくならないのも良い。
PIP:Platonics Idol Platform(20:30〜20:59)
転がされなれているのを通り越して、殺るか殺られるかの微妙な緊張感すら漂うPIP:Platonics Idol Platform。
石川と瑞野抜きの4人なのだけれど、その時その場所で何が求められているのか理解出来ているので話は自然に転がって行き、石橋は廻りすぎる話を整理するような役回り。
濱野がボケたり突っ込んだり良い仕事。 座ったまま口を開かずに30分経っていたような頃を考えると、良くここまで喋れるようになったと思う。
PIP:Platonics Idol Platformは今回から物販レギュレーションが変わり、物販時は撮影禁止に。
「物販終了後に撮影タイムを設けます」との事で、いつもはとっとと帰るところを最後まで残ってどうなるか見ていたが、撮影タイムと言っても囲みで数十秒。
あーそうですか、と言う感じであった。 客が明らかに減っていても質は落とすと言う。 濱野がサービスしすぎだったと言うことか。
元の濁りの 濱野恋しき。
仄聞するところによると「公平性を期すために物販時は撮影禁止とし、別途撮影タイムを設ける」とのことであるが、そもそも何が不公平なのか、別途撮影タイムを設けると何が公平になるのか、全く理解出来ない。
IMGP0236_m posted by (C)2petri2
囲み撮影になってやる気が失せたのでピントが甘々なのであるが、一応載せるだけ載せておく。
IMGP0242_m posted by (C)2petri2
私はその日その時その場所で撮った事に意味のある写真を撮りたい。
こんな詰まらない、紋切り型のニコパチを撮りたくてカメラ担いで現場に行っているのではない。
※小室さんはまったく悪くないので念の為。
最短撮影距離90cmで3枚玉のペトリ55mm/f2.8をペトリ絡みのオフ会で付けたままにしていたのを忘れていてピントで泣く羽目にもなり、踏んだり蹴ったりで帰宅。
ゲンセキ10(佐藤美希、松本愛、寺田御子、大貫彩香、朝比奈彩、大澤玲美、谷口愛理、柳いろは、小林麗菜、片山萌美)
巻頭巻末ぶち抜きで15ページ34カット、見開き1箇所
グラビア本編の撮影はTakeo Dec.、その他は後藤倫人と藪下剛士。
流れ作業の顔見世グラビアではあるが、上手く売り物になる写真に仕立てている。
雨宮天
8ページ12カット、見開き1箇所。 撮影は細居幸次郎。
踏み込んで撮らない典型的声優グラビアでありつつ、所々切り込んだカットを織り交ぜてある。
7ページ目、縦に三枚並べたカットが良い。
椎名ひかり
5ページ9カット、撮影は桑島智輝。
見せたい自分しか出したがらない被写体の意に添うような撮り方をしつつ、そうでもなさそうな物も撮っている。
5ページ目から漂う仄かな悪意のようなものに唸る。
武田玲奈
7ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
カラーコンタクトの功罪について考えさせられる。
寒空の屋外で撮った水着以外は生きている表情ながら、目が死んでいる。
アップになるとこれが顕著で、6ページ目などは正視に堪えない。
素材は良いだけにカメラマンの腕ではどうにもならない部分で残念な出来。
山地まり
5ページ10カット、撮影は橋本雅司。
眩しそうになっていないカットでは柔らかい表情も見せているが、そうでないカットは布面積少な目な事もあって陰惨な印象。
後半2ページは良い。
西野七瀬
7ページ9カット、見開き1箇所。 撮影はTakeo Dec.
過去五回の掲載分からのミニフォトブック付き(こちらはHIROKAZU、大江麻貴、Takeo Dec.)。
boyish、formal、stylish、dressyの4パターンを着こなし撮られ分ける西野七瀬と、撮り分けるTakeo Dec.
寄って撮ってピント薄めの6ページ目が良い。
伊藤万理華
5ページ8カット、撮影はHIROKAZU。
衒いが有るようで無く、見る者を(もしかしたら撮る者も)翻弄する enfant terrible。
4ページ目、見透かすような横顔が良い。
有村架純
巻頭は京王沿線、巻末はハワイ。 合わせて16ページ27カット、撮影は大江麻貴。例によってハイキーで飛ばし気味、撮影時期が離れていなかったとしても、ハワイと西東京で似たような色にしてしまうセンスが良く分からない。 表情は柔らかく切り取れているが、季節感が薄い。
素では無いが臆することなくカメラの前に立てる有村架純に助けられており、1ページ目6ページ目などは良く撮れている。
向井地美音
7ページ10カット、撮影は西田幸樹。
7ページ目の変態的ライティングに唸る。 影の出方がどうかしている。
子役上がりで物怖じしない被写体で、仕草の芝居も細かい。 この辺りは大島優子にも通ずる食えない部分なのだけれど、大島のような盛り込みすぎるヤニっこさは無く、程が良い。
それが食い足りなくもあるのだけれど、モデルとして良い仕事はしている。
佐藤麗奈
5ページ14カット、撮影は宮坂浩見。
宮坂浩見なので全く期待していなかったが、意外に悪くない出来。
佐藤麗奈は表情に階調が乏しく、笑顔と真顔以外の違いは口の開き方くらいなのであるが、切り取る角度を変えて変化を付けており、ハズレカットは無い。
山本彩
7ページ10カット、撮影は門嶋淳矢。
タイガースモチーフの衣装と大道具小道具を揃えつつ、面倒臭い諸々は回避しているところに先ず唸る。
原色の生かし方の上手い門嶋淳矢と、どんな衣装でも自分なりに着こなしてしまう山本彩が凝りに凝った道具立てを生かして、阪神の「は」の字も出さずにそうとしか見えない物に仕上げている。
隙が無さ過ぎるのが瑕と言えば瑕だが、撮られる仕事としては完璧に近い。
益田恵梨菜
5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
撮られ慣れていない被写体を動かして、考えさせずに撮ったお手本のようなグラビア。
宮脇咲良
12ページ23カット見開き1箇所、インタビュー4ページ19カット。 撮影は桑島智輝。
前半はスタジオに桜の木(人工的なものではあるが)を立ててかっちりと。 後半は古汚い民家でごろごろと。
自分なりの決め顔しかしない時期も有ったが、カメラの前に気負い無く立てるようになって表情にも仕草にも幅と厚みが出た。
前半のかっちりした部分でも求められる仕事をしているが、肉まんを頬張るインタビュー部分も含め、後半のごろごろした部分での素に近い表情が新機軸。
乃木坂46アンダーメンバー
表紙と裏表紙、巻頭巻中巻末、おまけフォトブックまで含めると33ページ使用。
巻頭は集合で3ページ、部活動モチーフで数ページずつ。 一人一人の顔写真とプロフィールはミニフォトブックに。 撮影は細居幸次郎。
科学部(伊藤かりん、能條愛未、和田まあや)
2ページ7カット。
バドミントン部(渡辺みり愛、北野日奈子、新内眞衣)
2ページ8カット。
漫画部(佐々木琴子、斎藤ちはる、寺田蘭世)
2ページ6カット。
巻中も集合で1ページ、部活動モチーフ。
吹奏楽部(鈴木絢音、樋口日奈、井上小百合、永島聖羅)
3ページ7カット。
巻末は中元日芽香が写真部として狂言廻し。
写真部(中元日芽香)
1ページ2カット、その他カメラを持って写り込み。
ダンス部(川村真洋、中田花奈、川後陽菜)
2ページ7カット。
かるた部(伊藤純奈、斎藤優里、山崎怜奈)
2ページ7カット。
青年漫画誌の限られた紙幅でも突き詰めれば此処まで出来ると言う見本、素晴らしい出来。
学校と言う設定と狂言回しの中元日芽香が効いていて、伸び伸びと柔らかい表情で撮られている。
高校の写真部でライカのM9を持っていると言うのもなかなか無いとは思うが、ストラップを可愛らしくしてそれらしく。
カメラを構える中元日芽香を画面に入れる事で被写体がこちらを向いていないことにも辻褄が合い、目線が来ていないどころかこちらすら向いていないカットを入れる事で見る側が画面内に入りやすくなる。 女子高の賑やかな雰囲気が卒業アルバムのページを繰るように仄かに甘く香り立つ。
アイドル専門誌でも、此処までしっかり作りこまれたグラビアは滅多に見られない。 眼福。
牧野真莉愛
7ページ24カット、撮影は長野博文。
連載されている漫画に絡めて「野球っぽい」グラビア。
全般的に可も不可もなく、当たり障りのない写真で構成。
決め手になるものが無く、悪くはないが取り立てて良いところもない写真を細切れに並べて詰め込んであるので些か窮屈。
1ページ目や7ページ目のような紋切り型の撮られ方だと映えるのだけれど、如何せん表情の種類が少なく、階調も乏しい。
佐藤麗奈
5ページ16カット、撮影は細居幸次郎。
良く撮れているカットもあるが写真の取捨選択と割り付けが悪く、編集者の(もしくは事務所の)審美眼の無さに殺されてしまっている。
9コマ詰め込んである2ページ目右上のカットや4ページ目左下など、良いカットは小さく使われており勿体ない。
白石麻衣
7ページ16カット、見開き1箇所。 撮影は佐藤裕之。
身体の線と肌を服を着せたまま描き出す事に腐心。 制約が多い方がアガリが良いことはまま有るが、その点で安易に水着に剥かれる事の無い乃木坂46は恵まれていると言えるかもしれない。
屋内での光の廻し方は流石。 2~3ページ目の見開きでは、大きく写真を見せつつ、鏤めた小さめの写真で前後の状況を理解させる事によって物語を紡ぎ出している。
この手法は5ページ目でも見られるが、組写真として良く出来ている。
乃木坂アンダー(北野日奈子、寺田蘭世、中田花奈、中元日芽香、堀未央奈)
6ページ22カット、撮影はTakeo Dec.
見開きを2箇所使っており、2~3ページ目の浜辺で撮った組写真が秀逸。
3ページ目の堀未央奈。 一寸アウトフォーカス気味ではあるのだけれど、このカットはこれで良い。
堀未央奈は最終ページでも実に良い表情を見せており、他の四人が悪い訳では無いのだけれど、目に籠もる意思の力が頭抜けて強い。
齋藤飛鳥
曇天に恵まれた6ページ13カット、撮影は細居幸次郎。
少々暗めなのでピントも薄め。 最後のカットなどはアウトフォーカス気味だが、その日その時その場所の齋藤飛鳥は撮れている。
意識だけがカメラに向いているカットや、撮られている事は了解しつつもカメラが意識の外にあるカットが多く、だからこそ拾えている表情も多い。
モデルの仕事が増えて撮られ慣れた事が良い方に作用している。
星野みなみ
5ページ13カット、撮影はTakeo Dec.
小道具も衣装もロケーションも凝ってストーリー仕立てにはなっているが
、些か詰め込みすぎて物語として成立していない。
表情の階調も乏しいが、可愛らしく撮れてはいる。
齋藤飛鳥には期待しており、期待以上のものは出てきたのだけれど、その上を行ったのが堀未央奈だった。
カメラに向かって素で立てており、巧まずして目を惹く。
間に合う時間にトークショーをやるとの事で、仕事をやっつけて再訪。
被写体であったり撮る側であったり、場内の女子率が高いので様々な「女の匂い」が鼻腔を擽るのだけれど、それが写真の中とリンクしているようでもあり、ないようでもあり、なんとも不思議な空気が漂っている。
こまごまとトークショー内容を書くのは野暮と言うものであり、メモも採っていないので詳述は避けるが、有末剛のこの道に入る切っ掛けの話は実に面白かった。
今日から面子日替わりで毎日19:00からトークショーなと開催とのこと。
一杯引っかけながらエロっちいことを真面目にふざけて語り合う(私は聞くだけだが)と言うのもまた面白い。
クリエイションギャラリー日本橋箱崎で11/3迄。
ここでは毎日何かしら面白い事が起こっている。 日本橋の丸善に用事があったので帰りに寄ってみた。
今日の催しは「ケンタソーアダルトと 仲間たちの【おっぱい談議】」「一鬼のこ氏×北見えり 緊縛ライブシューティング」の二本立て。
女子率が低いというより野郎が佃煮にするくらい多く、3度目にして初めて「良い匂い」のしない会場。
おっぱい談義は馬鹿馬鹿しくも実用的な内容であり、講師が女性だったのでむさくるしさが軽減されていた。
緊縛ライブは撮っても良いと言う事だったので私も撮影。
煩悩が写真に出ないような撮り方なので、私が撮ってもぜんぜんエロくならない。
他の写真はこのへんに。
# らっくす [ご無沙汰してます。 ミランダ研究会の一員?だった らっくすです。 Negicco 聞かれるのですね~ サンスト..]
# 新潟のたけだ [どうもお久しぶりです。 Negiccoってホント凄いですねえ。 10年以上続けているのですから。 「SHIP..]